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『風韻(ふういん)』

  • 山崎行政書士事務所
  • 5月4日
  • 読了時間: 18分

─ 幹夫、蒲原にて ─三島由紀夫風

第一章 端午ノ景

蒲原の空は、風のない朝ほど張りつめている。

それは初夏の光を反射して眩く輝くわけでもなく、かといって海から立ち上る湿気に霞むでもない。むしろ、その張りつめた空気は、少年の胸に微かなる緊張と恍惚を同時にもたらすような、冷ややかなる形式の面差しをたたえていた。

幹夫がその朝、白い足袋を履き終えたとき、祖母はすでに庭の石畳を掃き終えていた。彼女の老いた手の動きには、一切の無駄も遊びもなく、竹箒の動きすらが儀式の残響のように感じられた。朝の光は、縁側から襖を経て、幹夫の髪に落ちていた。

「今日は風があるねえ」祖母が言った。それはただの天気の話ではなかった。

鯉のぼりを掲げるには、風が要る。だがそれは単なる自然現象としての風ではない。少年の魂を天に引き上げるための、形式としての風である。蒲原というこの海辺の町において、端午の節句とは、単なる祝祭ではなかった。それは、戦死した父たちの影と、生き残った母たちの祈りと、少年たちの成長が、一つの象徴に結晶する日だった。

幹夫の父も、戦地で姿を消した。彼の遺影は、床の間に掲げられた鎧兜の横に、慎ましく立てられていた。

幹夫はその遺影に背を向けるようにして、庭に出た。

空には、まだ風は届いていなかった。だが幹夫には分かっていた。風は、必ず来る。

鯉のぼりは、すでに母の手で竿に結ばれていた。黒く、雄々しい真鯉と、朱の緋鯉。その布は、海の塩気を含んだ空気にふれて、少し湿っていた。

幹夫はその鯉のぼりを見上げるとき、ふと、己の姿が透かし見えるような気がした。

真鯉は父である。緋鯉は自分である。しかし、もし真鯉が、滝を登り切って龍と成るならば、緋鯉はいかなる運命を背負うのか――。

「幹夫、そろそろ揚げなさい」

母の声が、障子越しに静かに響いた。幹夫はうなずき、竹竿の根元を握った。まるで刀の柄を握るように、きつく、正確に。

そして彼は、それを天に向けて立てた。

風が来た。予告もなく、しかし確実に。

風が鯉の布の裾を撫で、波打たせ、やがて一気に膨らませた。黒鯉が口をひらき、咆哮のような沈黙を放ち、天空に躍り出る。緋鯉はそれに続き、真鯉の腹に寄り添い、はるか雲の彼方へと、昇華されていった。

幹夫の頬に、鯉のぼりの影が一瞬よぎる。それはまるで、己が死の影を一度、地上に残して空へと去っていくような形式美の予感であった。

彼は、微かに笑った。

それは少年の微笑みというより、あらかじめ予定された運命への諾のようでもあった。それを誰かが見ていれば、幹夫という名の少年が、この瞬間に「少年」という形式を脱し、「男」という象徴に変貌したことに気づいたかもしれない。

空を見上げれば、海風を受けて泳ぐ鯉の腹が、まるで燃えるように光っていた。

その色は、父の血の色か。それとも、己の未来に滲む、ある静かな戦いの炎か――。

幹夫は、背を伸ばした。

そして彼の影は、庭の敷石の上に、鯉のぼりと重なるように、長く、ひたすら長く、伸びていた。


第二章 父ノ影(ちちのかげ)

蒲原小学校の校庭は、奇妙なほど静けさをたたえていた。

五月の陽は、無慈悲なまでに明るく、子供たちの身体に影を落としていたが、その影の一つ一つまでもが、まるで小さな十字架のように見えるほど、幹夫の眼には、異様に意味を帯びていた。

朝礼の整列。全校児童は整然と並び、黒い学生服の襟をきちんと立て、先生の訓話を受ける。だが、幹夫はそれを聞いてはいなかった。

彼の耳には、もっと遠くの音――たとえば、かつて戦地から届いた父の遺書の筆跡の音、あるいは、竹竿の先で翻った鯉のぼりが、風に擦れる音――そういった、象徴が放つ沈黙の響きが、ひたすら木霊していたのである。

「父上……」

幹夫は、声にならぬ声で呟いた。

その呟きは、空へと昇るわけでもなく、ただ己の胸の奥深くに、白刃のように沈んでいった。

授業が始まっても、幹夫の思念は、常に一点へと向けられていた。それは黒板でもなく、教科書でもなく、隣の席の女子が使っている新しい鉛筆の匂いでもない。

それは――教室の壁に掛けられた、「英霊に感謝」の額だった。

かつてそこに、幹夫の父の名が書かれていたことを、誰も口にしない。だが幹夫だけは、それを知っていた。そしてその沈黙こそが、生者が死者に対して捧げる、唯一の形式的礼儀であることも、彼は理解していた。

だから彼は、言わない。誰にも、何も。

むしろ幹夫は、黙して校庭に立ち、放課後になると、無言で砂を掃いた。竹箒を持つその姿は、まるで戦場の遺体を清める僧侶のように、清らかで、静謐だった。

クラスの誰かが、「幹夫は変だ」と笑った。

だが幹夫は、その嘲笑すら形式の一つと受け入れた。形式こそが、人間の尊厳であり、美の根源である。そう彼に教えたのは、父であり、そして蒲原の空であった。

夕暮れ、幹夫は自宅の座敷に佇んでいた。鎧兜の横に据えられた遺影は、相変わらず沈黙のなかにあり、幹夫はその眼差しの前で、そっと正座をする。

「僕は、泳ぎます。空を、滝を、父上の背を、追います。」

少年の胸に宿った言葉は、祈りではなかった。それは**誓いであり、決意であり、あまりに冷たく、あまりに明確な未来への楔(くさび)**であった。

幹夫は、立ち上がった。

ふと、庭の方を見ると、鯉のぼりはまだ掲げられていた。しかし、もはやそれは風に揺れる魚ではなかった。それは、自らの宿命に抗わぬまま昇天する、美しき獣の遺骸のように、静かに翻っていた。

その姿を見て、幹夫は思った。

「死とは、風のない鯉のぼりのようだ。」

だが、形式を忘れぬ限り、それは“生”の一部である。

だからこそ、幹夫は今、鯉の尾のように自らをたなびかせて、空へ、未来へ、父の影を追って泳ごうとしていた。

蒲原の空が、蒼く張りつめるその下で。


第三章 影ノ中ノ風

蒲原の海が、異様なほど静まりかえった日があった。空は晴れていたが、風がまったくなかった。鯉のぼりは、まるで天上から垂れ下がった処刑された英雄の亡骸のように、竿に寄りかかり、無言のまま揺れた。

幹夫はその朝、微かな違和感を感じながら起きた。

夢の中で、父の顔がはっきりと見えた。けれど、それは仏壇にある遺影の父ではなかった。それは、剣を携え、目元に憐憫と厳しさを併せ持った、どこか軍神のような存在だった。夢の中の父は、こう言った。

「幹夫、おまえの風は、まだ吹いていない。」

その声が、起きてからも耳朶に残った。幹夫は、庭先に立ち、竿の先の鯉が風を失った肉体のようにだらりと垂れているのを見つめた。

その日、小学校では小さな事件が起きた。

同じ組の福井という少年が、教室の机に、戦争を揶揄する落書きをしたのである。「兵隊なんてバカばっかり」「死んだってムダだ」――その稚拙な筆跡は、どこか狂気めいてすらいた。

それを見た瞬間、幹夫の胸の奥に、あまりに鋭い、冷たい怒りが突き上がった。

けれど彼は、声を上げなかった。拳も握らなかった。

彼がしたことは、黙って、その落書きを、書き直すことだった。

黒板消しを取り、机の文字を消し、筆箱から鉛筆を取り出し、整った楷書で、こう記した。

「戦死者に、礼を欠いてはならない。」

それを見た福井は、最初笑い、次に唇を噛み、最後は逃げるように校庭へ走り出していった。

幹夫は、何も言わなかった。ただ、自席に戻り、いつも通り国語の教科書を開いた。

その日、先生は何も咎めなかった。

だが放課後、教室に残った担任の石山先生が、幹夫の肩を叩いて、ぽつりと呟いた。

「君は、静かだけれど、風が強い。」

その言葉に幹夫は、胸の奥が焼けるような感覚を覚えた。

風――。あの、父が夢の中で語った、まだ吹いていない風。

帰り道、幹夫は一人、浜に向かった。

駿河湾の砂浜には誰もおらず、波音が、軍靴のような規律で砂を踏む。少年は、制服のまま波打ち際に膝をつき、手のひらで波を掬った。

海水は冷たく、そして、血のように塩辛かった。それは、父の汗か。それとも、少年のまだ知らぬ涙か。

そのとき、背後から風が吹いた。

強い風だった。海からではなく、山からの風だった。

それは鯉のぼりを泳がせる風ではなく、それを一度、竿から引き剥がし、天へ連れ去るかのような、死と再生の風だった。

幹夫は、立ち上がった。制服の裾が風に煽られ、まるで何かの儀式衣装のようにひるがえった。

「この風だ…」

少年は胸の奥で、確かにそれを感じた。

この風こそ、父が言った“まだ吹いていない風”であり、この風こそが、幹夫の中の形式を現実と突き合わせる風であった。

家に帰ると、鯉のぼりはまだ掲げられていた。しかし――その黒鯉の尾が、風に煽られ、裂けていた。

布の繊維がほどけ、まるで内臓を晒す動物の腹のように見えた。

幹夫は、言葉を発せず、それを見つめた。

それは、死ではない。死の模倣に過ぎない。

けれど、その裂けた尾の美しさに、幹夫は何か清冽な歓喜を覚えた。それは、完璧な形式の崩壊によって訪れる真の形式だった。

少年は、裂けた尾の先に、己の宿命の輪郭を見た。

風は、吹いている。そして、己もまた、裂けるべき時が来るのだ。



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第四章 喪失ト式日

その夜、蒲原の空は、不気味なほど星が多かった。

無数の光点が、あたかも永劫の数列のように空に散りばめられ、少年・幹夫の眼差しを釘づけにした。それらは輝くというよりも、むしろ神聖なる死者たちの目のように、静かに地上を見下ろしていた。

幹夫は、縁側に膝を立て、裂けた鯉のぼりを膝の上に抱いていた。その黒い布は、今や威厳を失った一匹の屍であり、形式を全うした者の残骸であった。

母は、黙ってそれを見ていた。そして言った。

「もう、しまいましょうか。」

だが幹夫は、首を横に振った。

「これは、しまうものじゃない。……弔うものだ。」

その言葉に、母は一瞬、目を細めた。

それは哀しみでもなく、恐れでもない。むしろ、幹夫の中に**“何かが完成しつつある”**ことを、母は本能的に悟ったのだった。

翌日、幹夫は、鯉のぼりの尾をきちんと折りたたみ、白木の箱に納めた。

箱の中には、戦地から帰らなかった父の古い手紙、軍帽、そして遺骨の代わりに渡された石片がすでに納められていた。

そこへ、黒鯉の尾を加えた。

それは幹夫にとって、形式の完了であり、同時に“少年期の終焉”の儀式だった。

幹夫は、母に尋ねた。

「式を、してもいい?」

母は驚かなかった。ただ頷いた。

式は、誰もいない庭で行われた。

幹夫は制服を着て、白手袋をし、正座をした。庭の中央には、黒鯉の布を納めた箱と、一本の香が焚かれていた。

彼は、深く一礼し、唱えた。

「これは私の象徴です。これは私の喪失です。これは私の、最初の死です。」

その言葉を、幹夫は心の中で繰り返し繰り返し、唱えた。

彼がそれを唱えるたびに、彼の中で、何かが剥がれ落ちていった。

それは、子どもという皮膚だった。それは、過剰な希望という毒だった。

幹夫は、自分の心の中心に、冷たく、静かで、硬質な“核”を感じた。

それは、死への憧れでも、生への執着でもない。ただ一つの完璧なる構造であった。

式が終わると、幹夫は、母に向かって一礼した。

「これで、来年の鯉のぼりは要りません。」

「どうして?」

「僕は、もう泳ぎません。 泳がなくても、風そのものになるから。

その答えに、母は何も言わなかった。

ただ、小さく頷いたその姿は、まるで神前に控える巫女のように、幹夫の中の変容を、静かに受け容れていた。

夜、幹夫は、再び空を仰いだ。星は、昨夜よりも静かだった。

いや、幹夫が静かになったのだろう。彼の中では、もう何も動いていなかった。死者と形式と空だけが、音もなく支配していた。

風は止んでいた。

しかし、幹夫には、それが分かった。

風は、今、自分の中で吹いている。それは肉体を揺らすものではなく、精神という鯉を、遥か彼方へ押し上げるためのものだった。

彼は微笑んだ。それは初めて見る、死者のように整った笑みだった。

そして、少年はゆっくりと目を閉じた。


第五章 再生ノ序章

幹夫は、朝の光の中で目覚めた。

蒲原の町は、どこまでも静かだった。いや、正確に言えば、世界の音が失われたわけではない。むしろ幹夫の聴覚そのものが、あらゆる“雑音”を拒むような構造に再編成されたのだ。

軒下で鳴く燕の声すら、彼にはもはや単なる自然の音ではなかった。それは、新しい形式が生まれる予兆の警鐘だった。

目覚めてすぐ、幹夫は本を開いた。彼が読んでいたのは、かつて父が軍務の合間に読んでいたという古い漢詩集だった。漢字の筆画ひとつひとつが、剣の切っ先のように冷たく、美しかった。

「言葉は、生の剣であり、死の化粧である。」

そう、彼は感じた。そして、自らもその剣を握ることができるなら、己の魂をそれで切り拓いていくことができるのだと、信じた。

その日から、幹夫は言葉を綴り始めた。

原稿用紙は、学校の机の中にあった古い紙だった。万年筆ではなく、鉛筆の芯を削ったものだった。

だが、そこに記された言葉は、少年の書いたものとは思えぬほど峻烈で、冷たく、美しかった。

《風は、死者の声である。生者の耳に届かぬ、正しい音律である。鯉の尾は裂け、少年は笑った。その笑いは、形式の完成だった。》

彼はそう記した。

そして、書きながら、幹夫はようやく気づいたのだった。自分は「泳ぐ者」ではない。自分は「風そのもの」でもない。

自分は、“それを記録する者”なのだ。

それは、死を生き、形式を愛し、そしてそれらを紙に封じ込めることで初めて成立する、冷静な熱狂者の道であった。

夜、母が幹夫の机に近づくと、彼は黙って原稿用紙を差し出した。

そこに記された詩の一節を、母は声に出して読んだ。

「裂けた鯉の尾より我れ、魂を紡ぎたり血を流さぬ剣にて白紙を斬るは、我が宿命なり」

読んだあと、母は何も言わなかった。ただ、少しだけ眼を伏せ、ぽつりと呟いた。

「お前の中で、鯉はまだ、泳いでいるのね。」

幹夫は、頷いた。

「泳がせている。 ただし、僕の中で、静かに。」

その返答に、母はうっすらと微笑みを浮かべ、背を向けて立ち去った。彼女は知っていた。この少年が、もう普通の人間として“育つ”ことはないのだと。

だが、それが悲しいことではないことも、また理解していた。

この子はもう、生きるという“通俗的な形”を棄て、形式そのものとして生きるという、恐るべき道を選んだのだ。

その夜、幹夫は自らの詩稿を手に、再び庭へ出た。

鯉のぼりの竿は、今は何も掲げていない。ただ、天に伸びる一本の竹が、まるで空へ向かってそそり立つ、無音の剣のように存在していた。

幹夫は、詩を朗読した。

夜の風がそれを聞いた。星が、それを記憶した。海が、それに拍手を送った。

そして、少年の中で、再び“風”が吹いた。それは、あの日の“父の風”ではない。己の内奥から立ち上がった、完全に自分自身の風であった。

その風は、少年の言葉を紙に定着させ、言葉の刃先は、未来という未定形の布を、静かに、冷たく、しかし確実に――斬っていた。


第六章 感情ノ不在

ある日、幹夫は呼び止められた。

それは、同級生の少女――佐保であった。丸髷のような癖毛を三つ編みに束ね、薄い桃色のブラウスの襟元に小さな刺繍が施されていた。声は高くはないが、柔らかく、余白のある声だった。

「幹夫くん、これ、貸してあげる」

そう言って、彼女は小さな文庫本を差し出した。『星の王子さま』――フランスの本を、日本語に訳したものである。

幹夫は、受け取った。だが、手は震えていた。

彼は、その夜、それを開いた。

その文章は、幹夫にとってあまりに異質だった。語られるものは象徴ではなく、形式でもない。それは、感情そのものであり、涙のようにやわらかく、血のように温かかった。

「いちばんたいせつなものは、目に見えないんだよ」

幹夫は、何かが崩れる音を聴いた。

それは、胸の奥で構築していた自己という城砦の、最初のひび割れだった。

「これは、……破綻だ」

彼は思った。だが、その“破綻”は恐怖ではなかった。むしろ、それは一種の快感だった。形式が壊れる瞬間にこそ、美が宿る。

彼はそれを、鯉の裂けた尾と重ねていた。

けれど今回、その裂け目から漏れ出したのは、構造や象徴ではなかった。

それは、感情だった。

翌日、幹夫は佐保に本を返した。

何も言わず、ただ返した。

佐保は言った。

「泣いた?」

幹夫は答えなかった。

だが、それは答えだった。

佐保は、ふわりと笑った。それは、幹夫の知るどんな形式よりも、**強靭で、抗えない“生の笑い”**だった。

彼は思った。

この者は、形式を知らない。けれど、形式の内奥にあるものを、すでに持っている。

そして幹夫は、自分がその逆であることを、確かに理解した。

自分は形式を知っている。だが、そこに宿るべき感情を、もはや持ち得ない。

それは敗北ではなかった。ただ、ひとつの事実だった。

夜。幹夫は、日記にこう書いた。

「私は、象徴の中に閉じこもっていた。だが、彼女は、生そのもので、私の壁を突き破った。私は彼女を恐れている。なぜなら、彼女は、形式を必要としない。」

この記述のあと、幹夫の鉛筆は止まった。

彼の手は汗ばんでいた。

“感情”というものが、自分の中にまだ生きていた――その事実は、彼に深い敗北感と、同時に絶望的な安堵を与えていた。

それから幾日か、幹夫は佐保の姿を追ってしまうようになった。

校庭で跳ねるスカートの裾。放課後、友人たちと笑うその横顔。

それらは、幹夫の内側の無数の“未定形”に火をつける。それは、形式を乱し、美を崩し、構造を軟化させる――“生”という反逆者の微笑だった。

だが幹夫は、叫んだ。

「私は、形式を愛したのではなかった。私は、形式によって、死の静寂に留まりたかっただけなのだ。」

そして彼は初めて、**“生きることの苦痛”**に、真正面から向き合うことになる。


第七章 白紙ノ剣

幹夫は、言葉を失っていた。

それは沈黙ではなかった。沈黙とは、音の反対である。だが今、幹夫の内には、音もなければ、音の不在もない。

つまりそれは、“無”であった。

それは、形式と感情の双方を突き抜けた先にある、無限の白紙であった。

そしてその白紙の中央に、一つの点が現れた。

それは、幹夫が初めて**“自分のため”に書いた、たった一つの言葉**だった。

「私は、生きる。」

それは、短く、鋭く、まるで刀身の先に一滴だけ垂らされた血のように濃密で、崇高だった。

幹夫は、その言葉の余白を見つめた。

かつて彼が愛した形式は、そこにはなかった。かつて彼が排した感情も、そこにはなかった。

だが、確かにそこには、“自分”があった。

いや、“自分という現象が、初めて紙面に現出した”と言うべきかもしれない。

それはもう、父の遺影でもなければ、裂けた鯉の尾でもなく、佐保の笑顔でも、海の風でもなかった。

それは、少年・幹夫という、一個の存在の証明書であった。

彼は、墨を摺った。

鉛筆ではなく、墨である。

それは、彼にとって“儀式”であり、無言の声明文であった。

白紙の原稿用紙の中央に、幹夫はこう記した。

「我、言葉を以て、我を斬る。」

その一文字一文字は、まるで刀の軌跡のように美しく、紙に刻まれた瞬間、微かに紙の繊維が悲鳴を上げるのを彼は感じた。

墨の香が部屋を満たす。それは、葬儀の香ではなく、誕生の香であった。

少年は今、初めて――真に「生きること」を、自ら選び、受け容れたのだった。

その夜、幹夫は鯉のぼりの裂けた尾を、そっと取り出した。

すでにほつれはさらに進み、布の端は風化していた。

彼はそれを、今度は“直そう”とした。

針と糸を使ってではない。詩で、である。

幹夫は、裂けた箇所に一枚の紙をあて、そこに詩を書いた。

「裂けたものにこそ、風は宿る。裂けたものこそ、未来の鞘(さや)である。鯉よ、裂けたまま泳げ。我が言葉が、お前の鱗となる。」

それはまるで、少年自身の**“存在の衣”を新たに織り上げる行為**のようであった。

詩を書き終えたとき、幹夫の手は震えていた。

だが、それは恐れではなかった。

それは、命の熱が、初めて自分の内から湧き出した震えだった。

幹夫は、部屋の障子を開けた。

夜風が、静かに入ってきた。

それはあの春の日、父の幻影を伴って吹いた風とは違っていた。

それは、誰のものでもない。彼自身の風だった。

そしてその風は、紙の上の詩を微かにめくり、裂けた鯉の尾を、ほんの少し、泳がせた。

ほんの、少し。

それで、十分だった。


最終章 風韻(ふういん)

蒲原の空は、どこまでも澄んでいた。それは洗われた後の静寂であり、儀式の終わった神殿のような空気が流れていた。

六月の初め、町は端午の華やかさを終え、田畑は深緑の呼吸を始めていた。

風は――吹いていた。だが、それはもはや幹夫の目に映る風ではなかった。

風は、音でもなく、動きでもなく、存在そのものに染み込んだ“調べ”であった。

幹夫は、それを「韻(ひびき)」と呼んだ。

そして、それを胸の内に名付けたとき、彼の物語は完結した。

幹夫は、自ら縫い直した鯉の尾を、最後にもう一度掲げた。

今、それは完全な姿をしていない。切れ目もある。補修の継ぎも見える。

だが、それらはすべて、記憶と意思のしるしであり、その不完全さこそが、幹夫にとって“完成”だった。

風が来た。

その風は強くはない。けれど、確かに鯉を揺らした。

裂けた尾が、小さくはためく。

まるで、一度死に、そして再び生き直した者だけが知る、静かな合図のように。

幹夫は、目を細めた。

空の向こうに、もう父の影はなかった。そこには、ただ“空”があった。だがその空には、死も、生も、形式も、感情もすべてが透徹したかたちで含まれていた。

幹夫は、筆を取った。

そして、白紙にこう書いた。

「風は、我が身に満ちたり。韻は、我が血の中に鳴り響けり。我、語ることなし。されど、風は語る。韻として、詩として、我が存在として。」

幹夫は、それを書き終えると、原稿用紙をそっと閉じた。そして、それを一切誰にも見せることなく、机の引き出しに納めた。

彼は知っていた。

表現とは、見せるためのものではない。生きることそのものが、最上の詩である。

夏が来る。蝉が鳴く。川がぬるむ。

幹夫は、家の前を流れる用水路のほとりに腰かけ、風に吹かれながら本を読んでいた。

彼の髪がなびき、ページが揺れた。

遠くで、誰かが鯉のぼりの竿を倒す音がした。

幹夫は、顔を上げた。

空を見た。

そのとき、風が、ふいに頬をなでた。

それは、もはや死者の風でも、儀式の風でもなかった。

それはただ、彼が生きているという証としての風だった。

幹夫は、何も言わなかった。

ただ、微かに微笑した。

それが、彼の“風韻”そのものだった。

──終──

 
 
 

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