あの頂に交わる空
- 山崎行政書士事務所
- 1月17日
- 読了時間: 4分

プロローグ:見上げる峠の空
静岡の海岸線を走る電車の窓から、富士山が雲の切れ間からひょっこり顔を出していた。 藤倉 紬(ふじくら つむぎ)は久しぶりに地元へ帰省し、車窓に映る山の稜線を胸の奥で受け止める。 ——失くした家族との思い出を、もう一度手繰(たぐ)り寄せたい。そう願い、久しぶりに薩埵峠(さったとうげ)へ向かおうとしているのだ。
第一章:失われた家族の記憶
かつて、紬の家族はこの辺りで暮らしていた。幼い頃は、家族全員で日本平へピクニックに行き、山頂から富士山を見下ろしては拍手をしていた記憶がある。 しかし数年前、事故で母を失い、父も遠い町へ移っていった。紬自身は東京の大学へ進学したまま、ろくに帰省もしていなかった。 ——富士山が綺麗に見える薩埵峠は、亡くなった母のお気に入りだった場所。いつも「あの山はどんな時も変わらないね。私たちを見守ってくれてる」と笑顔で言っていた。あれから、あの峠へ行くことすら紬は避けてきたが、今回こそ足を運び、その想いと向き合う決意をしたのだ。
第二章:峠への道と不思議な出会い
駅からバスを乗り継ぎ、さらに少し歩いて薩埵峠へ向かう途中、紬はある青年に声をかけられた。 「すみません、薩埵峠への道って、この分かれ道で合ってますか?」 彼は**秋谷 颯太(あきや そうた)**という名前で、どうやら写真を撮りに来たらしい。地図アプリが使えず迷っていたのだという。 紬は「私もこれから峠へ行くんです」と答え、一緒に行こうと誘う。颯太はカメラを携え、「富士山と海を一緒に収める写真を撮りたいんですよ」と、どこか楽しげに笑う。その笑顔が、少しだけ紬の緊張をほぐしてくれた。
第三章:薩埵峠での感傷
峠へ登る坂道を二人で歩いていくと、視界が一気に開けた。駿河湾が美しく伸び、海岸線には行き交う車のライトが線を引いている。そしてその先に、堂々とした富士山が雲を抱きながら聳(そび)えていた。 紬の心は、もう抑えきれないほどいろんな思いが溢れ出す。母を想う切なさ、失った時間への後悔……そして、ふいに、この場所から見える景色はあの頃と何一つ変わらないのだと気づいた。 颯太はカメラを構え、「うわ……すごい……この海と山のコントラスト!」と興奮してシャッターを切る。紬はそんな彼の横顔を見つめながら、「私も写真、撮ろうかな……」と弱々しく笑みを零(こぼ)す。
第四章:日本平への小さな冒険
翌日、二人は意気投合し、日本平へ行くことに。ロープウェイを利用すれば、駿河湾と富士山の眺望が格別だ。 紬は母との思い出が強すぎて、少し足がすくむ思いだったが、颯太が「行こうよ、せっかくなら」と背中を押してくれる。 山頂で眺める富士山の姿に、紬の瞳が潤(うる)んだ。「母がここにいたら喜んだだろうな……」と小さく呟(つぶや)くと、颯太はそっと隣に立ち、「一緒に写真を撮ろう」と優しく提案した。二人で富士をバックにシャッターを切ると、その一瞬がまるで宝物のように感じた。
第五章:想いと未来の狭間
颯太は実は、地元の再開発プロジェクトに関わる若き技術者だった。彼は港の未来を作る側の一人で、今は資料撮影のためにここへ来ていると言う。 「港や観光地がもっと栄えると、町全体が元気になる。けど、昔からの景色がどうなるかって声もあるし……」 颯太は葛藤を口にする。紬もまた「私も家族の思い出がたくさんある場所が変わってしまうのは悲しいけど……」と同意する。 けれど同時に、彼女は今の自分が「母との過去」に囚(とら)われすぎているのかもしれないと思い始める。富士山はずっと変わらずそこにいるのに、人間は少しずつ環境や状況が変化する。その変化に目を向け、受け入れることが“前へ進む”ということかもしれない、と。
第六章:再生への決意
翌朝、紬は母の遺影の前で静かに祈る。「もう一度ここへ戻ってきてよかった。私はこの町を、母の思い出を、大事にしたいけど、新しい未来も受け止めたいんだ」と。 そして颯太に、「私、故郷に帰ってきてちゃんと生きたい。港の仕事を手伝うかもしれないし、この山や海の魅力を伝える仕事もいいかもしれない。とにかく、何か変えたい」と打ち明ける。 颯太は笑って、「いいじゃないか。きっと君ならこの場所をより良いものにできる。富士山も、その想いを見守ってくれると思うよ」と返す。 紬は母を亡くしてからずっと止まっていた時計が、やっと動き始めたように感じた。
終章:変わらぬ富士が包み込む結末
最後に紬はもう一度、薩埵峠へ足を運んだ。薄青い空に浮かぶ富士山。その姿は幼い日の記憶と全く変わらない。 ——「母さん、私はこれから新しい生き方をするよ。」 彼女は心でそう呼びかけ、遠く駿河湾の水平線に目をやる。そこには数隻の船影がかすかに揺れ、太陽が海面に光を散らす。 「いつか、私のやり方で、この町をもっと素敵にしてみせる。母が残した思い出と、ここに住む人たちの未来をつなげるために……」 風がさらりと紬の髪をかすめ、富士の稜線には雲がうっすらと懸(か)かっていた。空も海も山も、すべては繋がっている。 “時を経ても富士山は変わらず、この世界を見つめている”。その厳然たる存在感こそ、過去の悲しみと未来への希望を包みこみ、紬の心に優しい光を投げかけていた。
(了)





コメント