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エッフェル塔に灯る夢

  • 山崎行政書士事務所
  • 2月2日
  • 読了時間: 4分


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 夜の帳(とばり)が静かに降りるころ、パリの空は淡い群青色に染まっていた。遠くから聞こえる車のざわめきや、人々の足音が徐々に低くなり、街中の明かりが次第にその輝きを増していく。そんなとき、セーヌ川のほとりに立つアメリアは、エッフェル塔の頂上を見上げていた。

 彼女は、小さな旅行カバンを片手に握りしめている。これが、初めてのパリ。空港に着くやいなや、その足でエッフェル塔を目指して歩いてきた。雑誌や写真で何度も見てきたその鉄の塔は、実物を前にすると想像以上に雄大で、まるで星を支える支柱のようにそびえ立っている。アメリアの胸は、初めて見る本物のエッフェル塔に対する感嘆と、これからの旅への期待で高鳴っていた。

 やがて、夜のとばりが深まるのに合わせるかのように、エッフェル塔のライトが一斉に点灯した。無数のランプが鉄骨を柔らかい金色に照らしだし、塔全体が輝きに包まれる。アメリアは思わず息をのんだ。塔の光がセーヌの川面に映り、水面を金色のかけらで満たしていく。その光景は、一瞬にして彼女の中にある世界の境界を溶かしてしまうかのようだった。

「ようこそ、エッフェル塔へ。」 ふいに、後ろから声がした。振り返ると、制服を着たガイドらしき青年がアメリアを見て微笑んでいる。「ありがとうございます。ずっと来たかったんです、ここに……」 そう言った途端、アメリアの目には涙が浮かんだ。驚いた彼女自身が思わずまばたきをして、その涙を追い払う。何か特別な思い出があるわけではない。ただ、この美しさが、あまりにも鮮やかに心を揺さぶったのだ。

 青年は彼女の表情を見て、にこやかに続けた。「もしよければ、塔の展望台まで一緒に行きませんか? 夜景が一番きれいに見える時間ですよ。」

 アメリアは少し戸惑いながらも、その申し出を受けることにした。塔の下でチケットを買い、ガイドの青年とともにエレベーターへ乗り込む。鉄骨のすき間を抜けて上昇していくにつれ、パリの街並みはどんどん遠ざかり、足元に広がる明かりの海が輝きを増していく。まるで、夜空が地上へ降りてきたような幻想的な光景だった。

 最上階へ着くと、夜の冷たい風が頬をかすめた。そこからは、セーヌ川が曲線を描いて流れ、ノートルダム大聖堂やルーヴル美術館、凱旋門などの建物が、夜景の一部として連なっている。塔の上で吹く風は冷たかったが、アメリアの胸の奥は、まるで温かいランプを灯されたかのようにじんわりと熱を帯びていた。

「きれい……本当にきれい……」 アメリアは、感動で言葉を失いそうになる。「僕も何度見ても、この景色には圧倒されます。パリは昔から多くの人の夢を受け止めてきました。このエッフェル塔だって、当初は批判もあったけれど、いまでは街を象徴する存在になった。もしかすると、この塔は人々の夢を集めて、こうして夜に輝いているのかもしれないですね。」

 青年の言葉に、アメリアは胸が熱くなった。そう、夢――自分は何を夢見てここに来たのだろう? 仕事にも疲れ、人間関係にも行き詰まり、もう少しだけ“違う景色”を見たくて飛び出してきた。それがいつの間にか、エッフェル塔の光と出会い、知らないはずの土地なのに、どこか懐かしい安堵に包まれている。

 ふと、アメリアはエッフェル塔のてっぺんを見上げた。金色の光をまとった先端が、夜空へ向けて細く伸びている。あの先には星が瞬き、そして世界が果てしなく広がっている。自分の悩みなんて、夜空の広さに比べたら、ほんの一粒の星くずかもしれない。

 彼女はそっと両手を合わせて、小さく願いをかける。――また、この場所に戻ってこられるように。仕事や人生の色々な問題をゆっくりと乗り越えて、次はきっと誰か大切な人と一緒に、エッフェル塔の上から夜景を見下ろせたらいいな、と。

 エレベーターで地上に降りる途中、塔のすき間から見える街の灯が名残惜しそうに瞬いていた。下へ着くと、セーヌ川の冷たい風がアメリアの髪を揺らし、川辺の並木道にかすかな春の香りを運んでくる。 そのまま川沿いを歩くと、対岸からもエッフェル塔が夜空にくっきりと立ち昇っていた。高すぎるほど高く、そして温かい光を放ちながら、人々の夢と物語をそっと見守っている。

 アメリアは微笑み、胸の中でそっとつぶやく。「ありがとう、また来るね。」

 エッフェル塔は相変わらず、金色のランプを煌(きら)めかせていた。セーヌ川の波間に反射するその光は、都市の闇に新しい希望の道筋を描いているかのようだ。まるで、無数の人々の願いをまとって、塔そのものが巨大な灯台に変身したみたいに――。

(了)

 
 
 

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