オーダーメイドスーツの続編
- 山崎行政書士事務所
- 2月2日
- 読了時間: 7分

夜の帳が降りた商店街。昼間は少々閑散としていた通りも、灯りがともるとどこか幻想的な雰囲気をまといはじめる。その一角にある「ラ・ナポリテーラ」の看板が、黄色味を帯びた街灯の下でやさしく光っていた。 先日の採寸から約二週間。田中は新調したスーツの仮縫いに呼ばれ、店を再び訪れることになった。ドアについている真鍮のベルを鳴らすと、またしても――
「ブラボォォォォ!」
と、景気のいい叫び声が店内にこだまする。スリーピースにオールバックというマフィア感あふれる装いの店長、マリオがお目見えだ。前回と変わらず胸元には派手なスカーフをあしらい、両耳のピアスはきらめきを放っている。
「いやぁ、タナカ! 待っていましたよ。ちゃんと来てくれるか、わたしは眠れぬ夜を過ごしていました!」 「そ、そんなに? でも呼ばれたら来ますよ。僕、面接用のスーツがかかってるんで」 「ブラボォォォォ! 真面目な若者の鏡! ここまで真剣なお客様なら、わたしもバッチリ手をかけちゃいますよ! どうぞ、奥へどうぞ!」
そう言われ、田中は店の奥のフィッティングルームへと通される。そこには、仮縫い状態のスーツがトルソーにかけられていた。軽く芯地が見え隠れしているが、すでにきちんと形になっていて、淡い照明の下で控えめな艶を放っている。ネイビーの生地は高級感があり、落ち着いた中にも程よい色気を感じさせる。
「おぉ……なんだかすごいですね。まだ未完成なのに、すでに僕が普段見る安物のスーツとは違うのがわかります」 「ふふふ、そうでしょう。仕立ての仕事というのはですね、いわば“オペラ”の序曲のようなもの。楽器ごとにチューニングを重ね、徐々に完全体に近づいていくのです。わたし達は指揮者であり、演奏者であり、時にはホールの管理人でもある!」 「は、はぁ……」
何やら大きなことを言われている気はするが、田中にはイマイチ伝わらない。だが、マリオの熱意は相変わらずだ。
「さぁ、早速着てみましょう。仮縫いの段階で、微調整は何度でもさせていただきますよ。クライアントとテイラーの共同作業が醍醐味です!」 「はい。お願いします」
フィッティングルームで袖を通すと、驚くほどフィットする。肩や胸周りはまだ少し余裕があるものの、着丈やアームホールは身体の動きを妨げないように計算されているのがわかる。鏡の前でくるりと回ると、田中は自然と顔がほころんだ。
「な、なんか……いいですね! 自分で言うのも変だけど、ちょっとカッコイイかも」 「ブラボォォォォ! その自信、いいですね! でもまだまだ伸びしろがある!」 マリオは田中の周囲をぐるりと回りながら、時折チョークでスーツに印をつけたり、襟の角度を確認したりしている。
「襟元をあと数ミリ詰めましょうか。首回りが余ると、“埋もれ感”が出てしまうんですよ」 「埋もれ感…」 「そう、スーツを着た時に“首がスーツに埋もれている人”っていますでしょう? あれはちょっともったいない! タナカのように細身の方は、襟元を詰めて首をしゅっと見せる。これが大切! それだけで印象が段違いですよ」 「なるほど、なんだか勉強になりますね。普段、首が埋もれるとか意識したことなくて」
マリオはうなずきながら、次はウエストのあたりを確認する。 「ここは…うん、このぐらいがいいでしょう。あんまり絞りすぎると、上着の胸が引っ張られてしまう。パスタも茹ですぎるとベチャベチャになるでしょう? 同じことです!」 「ま、またパスタですか」 「わたしにとってファッションとパスタは切っても切れない関係なのです!」
そんなことを言いながら、二人はしばし真面目な顔で微調整を重ねる。すると、突然店の奥から見覚えのある派手な店員が顔をのぞかせた。先日のロール生地を抱えてやってきた青年で、今日は虹色のベストを着ている。派手すぎる。
「ボス~、この前タナカさんが『就職が決まった暁にはまた来る』って言ってましたよね? もしや内定出たとか?」 「あぁ、まだ面接も受けてないらしいですよ。これから面接用に着るんですからね」 「ふーん、そうかそうか。いやぁ、わたし気が早くって、すでに“就職祝いハット”を提案しようかと思ってましたぜ。へへっ」 「いや、ちょっと待ってください。就職祝いハットって何ですか?」 「スーツに合わせたお洒落な中折れ帽のことなんですがね。『社会に出ても常にオシャレを忘れないぜ』っていう意思表示ですよ!」 「いや、面接には絶対に被れませんよ、それ……」
田中は困惑しながらも、どこかこの店の空気に慣れ始めている自分に気づいた。最初は圧倒されていたが、今では心地良くも感じている。
そんなやり取りをしていると、マリオが再び調整を終えて鏡の前へと田中を促す。 「さぁ、見てください。これが仮縫い状態ではありますが、あなたのためだけに作り上げられた一着です」 鏡の中に映る田中は、やや緊張気味だが、眼差しには少しだけ自信が宿っているようにも見える。 「田中さん、どうです? 好きになれそうですかね、このスーツ」 「…はい。もっと地味になると思ってたんですけど、落ち着いた色なのに存在感がありますね。これなら面接、頑張れそうです」
マリオは満足げにうなずき、田中の肩をぽんと叩く。 「あなたの人生の新たなステージを、わたしたちの仕立てが少しでも支えられるなら、これほど嬉しいことはありません。次回は最終フィッティングでより完成形に近づけますからね。そこでボタンの色とか裏地の仕上げとか、最終確認をしましょう」
田中がフィッティングルームのカーテンを閉めてスーツを脱ぎ始めたところで、ふと聞こえてくるマリオの声。どうやら派手な店員と何やら相談しているらしい。
「……実は面接用のスーツを作ってるお客様を、面接官側でお出迎えしたら面白いんじゃないか、なんて話があるんだよね」 「へぇ、つまり採用担当者もうちの常連さんってことかい?」 「らしい。知らん顔して聞いてみたら、偶然同じ日でね。それがまた面白いところなんだよ」 「じゃあ、あの田中さんが“マフィアテイスト”にメロメロになってる姿、面接官も知ってると?」 「しぃーっ! まだ言わないでおこう。なんでも“オシャレ好きな人材を募集中”とか言ってたし。面接官も随分ウキウキしてるみたいだ」
田中はその会話を小耳に挟んで、一瞬「え?」と動きを止める。まるで、知らぬところで自分の就職が奇妙に転がっているような気配。
「じゃあ、次のフィッティングまでには、もうちょっと攻めた裏地提案を……」 「いや、待て。あくまで面接用なんだぞ」 「そうっすけど、面接官がそれ狙いなら、ちょっと冒険してもいいかなーって」 「ふむ…まぁ、タナカさんの意志を最優先にね。わたしはあくまで提案はするけど、強制はしないよ。そこが“ラ・ナポリテーラ”のいいところだろう?」 「へいへい。了解です、ボス」
――着替え終わり、フィッティングルームから出てきた田中を見たマリオは、いつもの笑顔で迎える。 「では田中さん、今日はここまで。次回、最終フィッティングの日程は追ってご連絡しますね。楽しみにしていてください!」 「はい。ありがとうございます。僕もすごく楽しみになってきました」
田中は店を出ると、冷たい夜風に一瞬身震いした。しかし、その胸には先程までの熱気が残っている。まるで自分の新しい一面が少しずつ解放されていくような、不思議な高揚感だった。
「…そういえば、さっき変な話が聞こえたような……?」 小さく首をかしげながら、街灯の下を歩いていく田中。背筋は自然と伸び、足取りもどこか軽快だ。面接の不安もあるが、自分の新しいスーツができあがる喜びも大きい。
そのころ、店の中ではマリオたちがトルソーにかけたままの仮縫いスーツを見やり、再び何やら作戦会議をしていた。 「よーし、じゃあ次のフィッティングでは、ちょっと攻めの赤い裏地と、少し個性的なボタンのサンプルを用意しておこうかな? 面接官ウケも期待できますよ!」 「やめろと言いつつ、ボスもノリノリじゃないっすか」 「ふはははは! お客様が乗るならばそれでよし! 乗らないなら、それもまたよし!」
マフィア風でいてどこかお茶目なテイラー集団が紡ぐ“オーダーメイド”は、どうやらスーツの枠を超えて、田中の人生にささやかなスパイスを振りかけているようだ。 まだ知らぬうちに、田中の就職活動にも一風変わった波紋を広げていることなど、本人はつゆ知らず。次回の最終フィッティングと面接本番に向け、物語はさらに面白く転がっていきそうである。





コメント