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シャンゼリゼの風花




 パリの午後、灰色がかった雲が空を覆いながらも、どこか柔らかい光が漂っていた。シャンゼリゼ通りの並木はわずかに芽吹きはじめ、まだ冬の名残を抱えながらも、春の予感を纏(まと)っている。 黒いコートに身を包んだクロエは、ゆっくりと通りを歩いていた。今日はこれといった目的もなく、仕事を休んで散歩に出かけたのだ。車のクラクションや観光客の笑い声が響く中、彼女はイヤフォンで小さくピアノ曲を流しながら、淡々と自分の足音に耳を傾ける。

 通りをしばらく行くと、ふわりと甘い風が頬をくすぐった。どこからともなく花の香りが漂ってくる。クロエは足を止め、周囲を見回す。マロニエ(セイヨウトチノキ)の並木のつぼみはまだ固く、近くに花屋も見当たらない。「おかしいわね……」 そうつぶやいた瞬間、まるで幻のように白い花びらが風に乗ってふわりと舞い降りた。ハラハラと空から落ちてきた花びらは、彼女の肩にそっと落ちる。香りは確かに甘いが、何の花か見当がつかない。それなのに、暖かな気持ちが心に広がるのを感じた。

「珍しいね、こんな時期に風花が舞うなんて」 後ろから声がして振り返ると、紺色の帽子をかぶった青年が立っていた。彼もまた、手のひらに白い花びらを受け止めて、やや困惑気味に微笑んでいる。「あなたも……この花びらを?」「うん。風下のほうへ少しついていってみたけど、どこから来るのか分からないんだ。まるで空に浮かぶ幻想みたいだね。」

 その言葉にクロエはうなずいた。まさに幻のような白い花びら――一体何の花で、どこから舞い降りてきたのだろう。青年が花びらを手のひらで眺めながら、興味深そうに言う。「ねえ、よかったら一緒に探してみない? きっとどこかに、この花が咲いている場所があるはずだから。」

 普段なら知らない人に誘われても戸惑って断るだろう。けれど、今日は何となくいつもの日常から少しはみ出した気分だったし、謎めいた風花に興味を惹かれてもいた。クロエは「いいわね」とほほ笑むと、二人で花びらの行方を探すことにした。

 シャンゼリゼ通りを行き来しながら、わずかな手がかりを追う。花びらが飛んできた方向を推測し、ふらりと脇道へ入ってみる。アール・ヌーヴォー様式の建物の門扉や、洒落たカフェのテラスをのぞき込んでは、風に乗って流れてくる香りを確かめる。 不思議と、青年との会話は弾んだ。パリに住んでまだ半年しか経たないという彼は、通りや小路の由来を面白い逸話を交えて教えてくれる。クロエは、その話に感心しながらも、いつの間にか心が軽くなる感覚を味わった。

 夕方が近づき、街の灯りがともりはじめたころ、ささやかな風のすき間にまた白い花びらが踊った。跡をたどるようにアパートの裏手へ回り込むと、そこには小さな中庭があった。石畳の地面に、ふわりと散った花びらがいくつも落ちている。 中庭の奥には、一本の白い花を咲かせた木が立っていた。梅や桜とも違う、繊細な五弁の花。細い枝に可憐な白が灯り、その周囲を小鳥がついばんでいる。まるでパリの喧騒を忘れさせるような、隠れ家のような空間だ。

 「ここだったのね……」 クロエが感嘆の声をもらすと、青年も「こんなところにこんな木があったなんて」と目を見張った。二人はそっと木に近づき、落ちた花びらを踏まないように気をつけながら枝先を見上げる。優しい甘い香りに包まれた一瞬、パリの街の音が遠のいていく。 ふいに微かな風が吹いて、いくつもの花びらが舞い散った。その中でクロエと青年は顔を見合わせ、思わず笑みを交わす。まるで、この白い花がシャンゼリゼから二人を導いたかのように感じられた。

「なんだか、夢を見てるみたいだね」「ええ、そうね……パリにはまだ、こんな秘密の場所があったのね。毎日通り過ぎてたのに、知らなかった。」 そんなふうに言葉を交わしていると、心のどこかに新しい風が吹き抜けた。日常の先にある小さな奇跡――そんなものを感じさせる、穏やかな夕暮れだった。

 やがてランプが灯る中庭の壁面には、花びらの影が揺らめいている。クロエと青年は、しばらくその光景に見とれていた。大都会であるパリも、視点を変えればまだこんなに静かで美しい一面を持っている。 別れ際、クロエは思わず言ってしまった。「よかったら、また一緒に街を歩きましょう。いつか、ほかの風花にも出会えるかもしれないから。」 青年は微笑みながら応える。「もちろん。パリのいろんな秘密を、これから一緒に見つけよう。」

 その夜、クロエは眠りにつく前、窓の外に目をやった。街のネオンや月の明かりが混ざり合うパリの屋根の向こうで、春を呼ぶかもしれない風がさっと吹いた気がする。 ――あの白い花が見せてくれたのは、一瞬の奇跡か、それともこれから始まるなにかの予感か。 胸の奥でときめきを抱きながら、クロエは優しい気持ちで瞼を閉じる。明日もまたパリの街を歩けば、思いもよらない風花が吹いてくるかもしれない――そう信じて。

(了)

 
 
 

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