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トリチウムの軌跡

  • 山崎行政書士事務所
  • 5月14日
  • 読了時間: 13分

第一部:地上の黎明

第一章 落陽の地

西暦2075年。地球は深刻な気候変動と資源枯渇を迎えていた。化石燃料はほぼ掘り尽くされ、原子力発電の燃料ウランも産出制限を受け始め、世界各国では深刻なエネルギー不足が続いている。再生可能エネルギーが一部を支えているものの、人類の総需要をまかなうにはまだ不十分だった。

そんな世界で最後の希望と目されたのが核融合だった。とはいえ、長らく期待されながらも商業化の扉を開けなかった核融合発電に対して、人々の信頼は揺らいでいる。 かつてフランス・カダラッシュで建設された国際熱核融合実験炉(ITER)は大幅な遅延を重ねた末、ようやく2040年代に初回プラズマを達成したものの、本格的なD-T運転は半世紀がかかるとさえ言われた。 その間、民間ベンチャーが高温超伝導(HTS)コイルを使った小型炉をいくつも試作し、いくつかは試験的に数十MW程度の出力に成功した。しかし、世界の大半を賄うにはまだまだ大規模化・普及が進まない。

こうした中、アフリカ大陸北部の砂漠地帯に広大な敷地を確保し、世界最大級の核融合発電所建設計画が進んでいた。その名を**“ヘリオス・フロンティア”**。資源企業「ヴィクトール・グローバル・エナジー(VGE)」が推進し、各国政府や連合体が巨額の資金を投下している、最後の大プロジェクトとも言われる。しかし、技術上の課題は山積。特にトリチウムの自給システムをどう実装するか。 高速中性子によるブランケットでのリチウム転換をうまく制御し、かつ放射線障害を抑える技術はまだ確立されていなかった。

第二章 燃料の行方

ヘリオス・フロンティアの建設現場には、若き日本人技術者の姿があった。名を佐伯 光一(さえき こういち)。東京大学で核融合工学を学び、卒業後は民間ベンチャーで小型核融合炉の開発に携わっていたが、世界規模のヘリオス計画に強く惹かれ、2年前にアフリカ大陸へ渡った。現在は燃料サイクル部門の主任研究員として、トリチウムの生産・取り出し・再循環を統括している。

「どうしてこんな極端な砂漠に世界最大の炉を建てるんだ?」――配属当初はそう疑問に思った佐伯だったが、やがて答えを知った。 「ここなら周辺人口が少なく、万が一事故が起きても被害を抑えられる。昼夜の気温差も極端だから熱効率を制御しやすい。 そしてなにより……政治的に自由な場所なんだ」。 多くの国際条約や規制が複雑に交差するヨーロッパや北米では、こうした大規模計画を立ち上げるのは不可能に近い。政治・経済・軍事の利害を離れた“フリーゾーン”が、この砂漠には存在した。

ヘリオス・フロンティアではD-T(重水素-三重水素)燃料の大規模運用が想定されており、ブランケット内で高速中性子からリチウムを変換してトリチウムを生む必要がある。 しかしその実用化には、トリチウム透過を防ぎつつ同時に効率的に回収する高度な材料工学と配管技術が求められる。 佐伯は、研究所の部屋で膨大なシミュレーションデータを睨みながら、一歩でも先に進めたいという思いを募らせていた。

だが計画に暗雲が立ち込める出来事が起きる。 建設を請け負っていた複数の国際施工チームが、急に撤退を表明し始めたのだ。 理由は不明。ただ「砂漠地帯における新型コロニー政策との軋轢」「ある秘密結社が核融合プロジェクトに干渉している」という噂まで飛び交う。 次々と撤退する作業員たち、資金不足に陥る関連企業。佐伯は不安を感じながらも、プロジェクトの核心部分――トリチウムブランケットだけはなんとしてでも完成させようと奮闘する。

第二部:月面の夜明け

第三章 ルナシティの白い塔

時は同じく2075年。 地球から約38万キロ離れた月面には、かつてないほど人類の活動が拡大していた。 ルナシティと呼ばれる自治都市には数万人が暮らし、新技術やレアメタル資源を巡って多国籍企業が激しく競合している。 その中心には高層ドームで囲まれた“白い塔”――大型研究施設がそびえていた。施設名はラグランジュ研究所。月面での小型核融合炉の実証研究や、ヘリウム3(He-3)を利用した陽子-ヘリウム3核融合の可能性を探る、先端的なプロジェクトが進行中である。

ここには、佐伯の大学時代の親友、ロベルト・フォン=エステルが所長代理として勤務していた。 彼はドイツ出身で、かつてITER計画にも加わった天才的な核融合理論家だが、地球の政治的混乱を嫌い、近年は月面で自由な研究を追求している。 そのロベルトは今、ヘリオス・フロンティアの危機的状況を知りながらも「地球は今さら…」とやや悲観的な見解を示していた。

「月の表面には微量のHe-3が存在する。もしこれを採掘し、プラズマ中で陽子と核融合できれば、ほとんど放射性廃棄物を生まずに済む。D-Tほど危険ではない、理想に近い核融合だよ」ロベルトは研究所の展望ラウンジで、同僚たちに夢のような計画を語る。 「トリチウムブランケットで悩んでいる地球の連中は、もう旧時代の遺物だ――」そんな言葉をつぶやき、遠くを見つめる。その視線の先には青白く輝く地球が浮かんでいた。

第四章 ヘリウム3の誘惑

しかし、ロベルトのHe-3核融合計画は、実際には非常に大きな技術的ハードルを抱えていた。陽子(または重水素)とヘリウム3の核融合は高温高密度を必要とし、かつ反応断面積が小さいため、磁場閉じ込めもしくは慣性閉じ込めを格段に強化せねばならない。

そのためラグランジュ研究所では、高温超伝導をさらに超える次世代の超伝導材料「ウルトラ高温超伝導(仮称)」や、強力なレーザー・イオンビームを組み合わせた複合型核融合など、前例のない挑戦を行っていた。実験装置は巨大で、資金も莫大。ルナシティの自治政府やスポンサー企業が投資しているものの、成果はまだ出ない。 結果が出なければ利潤には結びつかない。ロベルトは焦りを隠せなくなっていた。

そこへ招かれざる客が訪れる。アルジャーノン・カーン――ヴィクトール・グローバル・エナジー(VGE)の特使を名乗る男だ。VGEは地上でヘリオス・フロンティアを主導しているはずだが、なぜ月面に?カーンはロベルトを静かに見つめ、「地球のD-T炉がもしも行き詰まったら、こちらのHe-3炉を次の本命にしたい。技術は進んでいるか?」と問いかける。ロベルトは憮然とする。「そちらこそ、ヘリオスが頓挫しそうだから我々に乗り換えたいというのか?」カーンはあえて答えず、不敵な笑みを浮かべるばかりだった。

第三部:交錯する軌跡

第五章 再会

地球・アフリカ大陸の研究所に戻ったカーンは、佐伯のいるトリチウムブランケット部門を視察した。 「君が佐伯博士か。ロベルトとは大学時代の友人だそうだね?」佐伯は怪訝に思いながらも答える。「ええ、そうですが……彼がなにか?」「彼の研究も興味深いが、ここではまずD-T炉を完成させるのが急務だ。それに私は、どうやら sabot(妨害工作)が起きているらしいという噂を聞いた」佐伯ははっとする。確かに、各社の撤退や建設遅延は不可解だった。「妨害…とは具体的に何が?」カーンは続ける。「わからない。だが、月側か、あるいは各国の原子力利権が裏で糸を引いている可能性がある。ヘリオスの完成を阻止したい連中は多い。私はそれを防ぎたいのだ」

しばらくしてカーンは、極秘資料を佐伯に渡す。「これはラグランジュ研究所の内部動向レポートだ。おそらくロベルトはHe-3炉の完成に執心している。 もし、それに対する国際的な投資が本格化すれば、我々のD-T炉の立場はなくなる。 私としては、可能な限り早くヘリオスを軌道に乗せ、地球で核融合の覇権を確立したいんだ。 そのために君が必要だ、佐伯博士」佐伯は嫌悪感を覚えつつも、ヘリオス建設を成功させたい思いが勝り、やむなくカーンの提案に同意する。 「D-T炉を完成させ、世界のエネルギー不足を救う。それが僕の使命だ。それにロベルトとは友達だが、競争関係にあるわけじゃない……はずだ」

第六章 裏切りの螺旋

その夜、ヘリオスの制御センターで重大なサイバー攻撃が発生。燃料制御システムがハッキングされ、ブランケット内の冷却水流量が一時的に暴走しかけるトラブルが起きる。 大惨事にはならなかったが、建設作業が2週間ストップする事態に。捜査の結果、月面からの通信を経由した高度なハッキングだったことが判明する。 しかし真相は依然不透明だ。ロベルトが何か関与しているのだろうか? 佐伯は彼を疑いたくなかったが、事態は深刻だった。

同じ頃、月面では逆にラグランジュ研究所内のシステムにも不自然な不具合が多発していた。 「地球側からのサイバー妨害では」と噂が立つ。 互いが疑心暗鬼に陥り、メディアは「地球D-T炉 vs. 月He-3炉」という対立構図を煽り立てる。ロベルトは研究員たちを前に、「私たちは核融合研究者であり、政治の道具ではない。だが、このままだとプロジェクトが吹き飛ぶ」と語る。彼自身もサイバー攻撃などに関与していないし、その意図もない。 だがカーンの暗躍が見え隠れすることで、状況がさらに複雑化していく。

第四部:宇宙への橋

第七章 古代の記憶

2080年。ヘリオス・フロンティアの完成は予定より5年遅れ、いまだ稼働テスト段階にあった。 反対に月面のHe-3炉は大規模化が進み、実験炉としては既にプラズマ燃焼に成功。陽子-ヘリウム3核融合で実にQ=3~5ほどのエネルギー増倍率が得られたとの報道が流れ始める。

時を同じくして、火星の有人探査ミッションが計画される。 その動力として、D-T型核融合ロケットを採用する案と、He-3核融合ロケットを採用する案が競合し、国際宇宙機関は意見の対立で揺れていた。

この頃、佐伯は衰弱した父の看病のため一時帰国していた。日本の故郷で、父が語った言葉が心に残る。「私は昔、君が子どもの頃に、一緒にプラネタリウムで星を見たね。あのとき、お前は『僕が大人になったら、星の力を地上に持ってくるんだ』と言った。 その夢は……どうだい?」佐伯は答える。「まだ途中です。大きな力に翻弄されながら、それでも僕は核融合に賭けています。人類の未来を、僕らの手で創るんだと信じたい」そう呟いたとき、佐伯の端末に月面からのメッセージが届く。差出人はロベルト・フォン=エステル。「友よ、すべてを話したい。大至急、月へ来てくれ」と。

第八章 決裂と希望

佐伯は地球を飛び立ち、月面ルナシティへと向かう。そこで再会したロベルトは、衰弱した姿だった。「先月のサイバー攻撃でシステムの誤動作が起き、He-3炉のコイルが部分的に損傷した。放射能汚染こそ少ないが、強力な放射線が発生する事故があったんだ。私も被曝してしまってね」ロベルトは穏やかな笑みを浮かべる。「地球側の誰かがやったとは思いたくない。だが、事実はわからない。 ただ、分かっているのは……私たちを分断したがっている者がいるということさ」

さらにロベルトは衝撃的な事実を告げる。 「おそらく、カーンは二つの計画を天秤にかけている。地球のD-T炉が完成すればそこから利益を得、失敗すればHe-3炉を世界に売り込む。どちらに転んでも自分が利益を得る構造を作っているんだ」佐伯は息を呑む。「そんな……まるで裏で世界を操ろうとしているようだ」ロベルトは言う。「私が恐れるのは、それらの技術が『軍事利用』されることだ。月面でテラフォーミング用と称して開発した高出力レーザー核融合は、用途次第では破壊兵器にもなる。 カーンのような人物がそれを手中にすれば、地球も月も人類もすべて危うくなる」佐伯は迷い、そして決意する。「地球と月を繋ぐ協力体制を作らなければならない。カーンの計略を止めて、核融合を本来の平和的な目的へと導くために……僕ら研究者が動くしかない」

第五部:星間の光

第九章 運命の完了試験

2082年、ついにヘリオス・フロンティアの最終段階が訪れる。 「完了試験運転」――大量のトリチウムを循環させ、1GW規模の出力を連続して生み出すことを目指す。そのための制御チームに、佐伯は月から戻って合流した。ロベルトとの誓いを胸に、絶対にこの炉を完成させる。 そしてHe-3炉とも手を携え、人類のエネルギーを未来へつなぐ道を開くのだ。

しかし試験直前、ブランケット冷却系統に異常が発生。 原因はやはりサイバー妨害とみられ、緊急対策チームがシステムを切り替えて手動制御に移行する。 佐伯は制御室へ駆け込み、職員たちと復旧作業に全力を注ぐ。

同じく現場に現れたカーンは、不機嫌そうに佐伯を睨む。 「なぜ君は月へ行き、あの男に会った? 私の忠告を無視したようだな」佐伯は毅然と返す。「あなたのやり方には協力できない。核融合は人類全体の財産だ。あなたの利権や思惑のためだけに利用されてはならない」カーンは短く嘲笑する。「君は理想主義者だ。私は現実を見ているだけだ。どのみち、どちらかの炉が成功すれば巨大な権益が動き、歴史が変わる。そんな理想は、砂上の楼閣に過ぎないよ」佐伯は歯を食いしばる。「いいえ、私たちは変えてみせる。それが研究者の意思だ」

第十章 トリチウムの軌跡

完了試験の開始ボタンが押される。 巨大な真空容器内にプラズマが立ち上がり、徐々にトリチウムを注入。強力な磁場が高温プラズマを閉じ込め、周囲のブランケットが中性子を受け止めてリチウムを転換、さらに生まれたトリチウムを循環させる。制御室では激しいアラートが鳴り響く。部分的なクエンチを検知したHTSコイルが電流値を制限し、磁場が低下。出力が安定せずプラズマが乱れはじめる。予断を許さない。しかし佐伯はあらゆる手を尽くしてパラメータを修正し、手動で冷却水量を調整。 制御モジュールのオーバーライドキーを回し、HTSコイルのフォルトトレランス機能をフルに活用する。 周囲の研究者も一丸となり、マニュアル操作でプラズマの揺らぎを抑える。「ここを乗り切れば——!」まるで数百メートルの巨人が暴れ回るかのような大システムが、徐々に落ち着きを取り戻す。トリチウム燃焼が安定域に入り、発生エネルギーが上昇していく。

液体リチウムブランケットの循環ポンプが唸りを上げ、トリチウム回収ラインからは「規定量のトリチウムが再注入されている」との表示。 ついに、プラズマ入力100MWに対し、総出力1GWを超える瞬間が訪れた。「Q=10……目標到達だ!!」制御室が歓声に包まれる。佐伯は拳を握りしめ、歓喜の涙を浮かべる。外部では作業員たちも大歓声を上げ、この瞬間を固唾を飲んで見守っていた世界中の人々が、奇跡のような大ニュースを知ることになる。

カーンは沈黙していた。計画は成功し、これでVGE社も莫大な利権を得る。しかし佐伯が月側との対立を解消しようとしていることを考えると、自分のプランが単純には運ばないかもしれない。それでも、時代は動き出した。核融合の新しい地平が開かれ、人々は長く待ち望んだ大量エネルギーへの道を得たのだから。

終章:光の先

試験運転の大成功から半年後。ヘリオス・フロンティアは本格稼働を始め、出力は徐々に安定。世界各地に送電が行われ、深刻だったエネルギー危機は緩和の兆しを見せた。同時に、月面ラグランジュ研究所のHe-3炉もまた実験を重ねており、新型コイルや反応制御技術を組み合わせて高いQ値を達成。比較的低放射化でクリーンな核融合を実現する道筋が見えてきた。

佐伯は地球と月を往来しながら、両陣営の研究者たちと協議の場をつくる。 そこで「D-T炉とHe-3炉の技術統合を進め、将来的には惑星間・星間移民のための融合ロケット開発にも取り組む」というビジョンが掲げられる。かつて対立を煽ったメディアや利権団体の一部は依然として暗躍しているが、多くの研究者や技術者が「核融合は平和に活かすべき人類共通の財産」として集いはじめた。 ロベルトは被曝後遺症と闘いながらも、「He-3炉は人類の長期的な未来を支えるだろう」と語る。佐伯はかつての夢、「星の力を地上に持ちこみ、そして宇宙へ羽ばたく」ことを、今こそ現実にしようと決意を新たにする。

――2085年、カーンは相変わらず大きなビジネスを動かしていたが、世の潮流は彼の独走を許さなくなっていた。技術の独占を阻む動きが国際社会で強まり、D-T炉とHe-3炉の“ハイブリッド”研究が公的資金で推進され始めている。佐伯は火星移住計画のための核融合エンジンチームにも参加し、ついに人類が太陽系へ本格的に飛び立つ時代が近づいていることを感じる。かつて乱立した陰謀と対立は、未来への協調路線によって徐々に収束しつつあった。

果てしない星空の下で、地球から見ればただの小さな光かもしれないが、その輝きは確実に増している。トリチウムの軌跡はやがてHe-3の可能性と交差し、宇宙の新たな頁を開くだろう。人類が自ら星を生み出す技術を手にしたとき、それは終着点ではなく、新たな旅の始まりにすぎない。

—了—

 
 
 

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