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ノルマ圧力

  • 山崎行政書士事務所
  • 2月2日
  • 読了時間: 7分



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序章──1973年、イタリア・フィレンツェの革工房から

 LADARE(ラダーレ)──1973年、イタリア・フィレンツェの革工房で生まれたファッションブランド。高級バッグや小物を中心に、近年はシューズやウェア、アクセサリーなど幅広いラインナップを展開している。 イタリア発のクラフトマンシップを掲げて世界的に成長を遂げ、日本でも直営店を多数展開。そこで働く店舗スタッフには、毎月の店舗売上に応じたインセンティブが支給される。 月給は20万円以上、年収は320万円以上という待遇に加え、交通費全額や時間外手当、年1回の昇給などの福利厚生が用意される。――しかし、それらの充実した条件を支えるのは、店舗売上を達成して当然という厳しい現実だった。

第一章──ノルマの重圧に揺れる表参道店

 東京・表参道にあるLADARE表参道店は、ガラス張りのエントランスを備えた高級感あふれる店舗。若者から富裕層まで幅広い客層が訪れるが、先月からの売上停滞でスタッフたちは焦りを感じていた。 店長の**神崎(かんざき)は、店内のバックヤードでタブレットに表示された売上実績を睨む。 「今月のノルマ、あと250万円……どうにも伸び悩んでいるわね」 彼女の隣に立つ副店長の阿久津(あくつ)**も苦い顔をする。 「新作トートが出たばかりなのに、思ったほど客足が伸びません。コロナ禍からの回復で景気が上向いているというけど、実感がないですね」 LADAREでは、旗艦店である表参道店がノルマを達成できなければ、エリアマネージャーや本社の上層部から厳しい追及が待っている。そればかりか、店舗スタッフ全員のインセンティブも無くなってしまうのだ。 そんな重苦しい雰囲気の中で、神崎はひそかに胃痛を抱えながら「あと数日のうちに何とかしなければ」と気をもんでいた。

第二章──本社からの冷ややかな通告

 閉店後、バックヤードの電話が鳴る。ディスプレイには「本社」と表示されている。神崎が出ると、受話器の向こうから冷静な声が届いた。 「神崎店長、こちらエリアマネージャーの**広崎(ひろさき)**です。今月の売上、厳しいですね」 「はい。新作投入の効果がまだ出ないようで……。週末にイベントを企画して巻き返すつもりです」 神崎が答えるも、広崎はまるで数字の羅列をチェックするかのように冷ややかだ。 「先週もイベントをやったと聞いていますが、結果は芳しくなかったとか。そろそろ違うアプローチをしてもらわないと、本社も納得できません」 語気はきつくないが、突き放すような響きがある。神崎は苦笑まじりに言い訳をするしかない。 「一応、別の施策を考えている最中で――」 「“考えている”ではなく、“実行する”です。できなければ、店全体の人員配置や予算を再検討しますよ。旗艦店がノルマ未達じゃ、我々も困りますので」 それだけ言うと、広崎は一方的に電話を切った。虚脱感がバックヤードを覆う。

第三章──スタッフたちのジレンマ

 翌日、神崎は開店前にスタッフ全員を集めて朝礼を行った。そこには正社員からアルバイトまで、さまざまなキャリアのメンバーが揃う。 「みんな、今月の数字がかなり厳しい。あと数日でノルマを埋めないと、インセンティブどころか本社からのイメージダウンも避けられないわ」 そう切り出すと、若手の**佐伯(さえき)**が声を上げる。 「今週は顧客リストに片っ端から連絡してみます。誕生日が近い常連のお客様や、昨年大きな買い物をされた方などに狙いを定めて……」 スタッフの士気は決して低くない。だが、一方で“必死さ”がにじむアプローチを嫌がる客も少なくない。副店長の阿久津は眉をひそめる。 「同じお客様に何度も電話するのは、逆効果にならないでしょうか。 ‘押し売りっぽい’ と感じられたら、ブランド価値を下げるリスクが……」 神崎は苦渋の表情で言葉を探す。 「わかっている。でも、本社からは売上優先の圧力がすごいし……。客に嫌われず、かつ数字を上げる、というギリギリの綱渡りよ」

第四章──エリアマネージャーの突然の視察

 週末初日、あいにくの雨模様で客足が鈍る。焦るスタッフたちの前に、エリアマネージャーの広崎が突然姿を現した。 「失礼するよ。今日の状況はどうかな?」 広崎はやけに落ち着いた口調だが、その眼差しはどこか冷徹。 店内のディスプレイや配置を一通り見回したあと、神崎に短く言い放つ。 「旗艦店とは思えないほど客が少ないな。ディスプレイのレイアウトも、もう少し ‘雨の日でも入りたくなる工夫’ をすべきじゃないか?」 「おっしゃる通りですが……今週は特に天候も影響していて」 「天気のせいか。まあ、言い訳する余地はないぞ。ノルマが未達で終われば、来月からの予算配分に響く。十分承知してるよね?」 視察というより “最終警告” に近い圧力をかけられ、神崎もスタッフも言葉を失う。広崎が出て行ったあと、店内にはどんよりとした空気が残った。

第五章──救いの兆し、そして

 午後に入ると、雨が上がり通りを行き交う人が増えてきた。外国人観光客もちらほら店に入ってくる。スタッフはチームワークを駆使し、一人ひとりの客に丁寧な接客を試みた。 その結果、外国人の若いカップルが新作バッグをまとめ買いし、さらに近隣にオフィスを持つ経営者風の男性がスーツケースとブリーフケースを即決。店の雰囲気が少し活気を帯びる。 神崎がレジで売上を確認すると、今月のノルマまであと100万円ほど。副店長の阿久津が感慨深げに言う。 「少し光が見えましたね。明日でなんとか届くかもしれない」 スタッフたちの表情も明るくなる。週末ラスト一日を残し、ようやく突破口が見えたのだ。

第六章──本社からの最終連絡

 だが、閉店時間が迫るなか、またしても本社から電話が入る。今度は営業統括部長である**叶井(かない)**の声だった。 「広崎から一報を受けたが、表参道店はまだノルマに届かないようだね。明日がラストチャンスだが、もしダメなら各店長会議で ‘処遇’ を検討することになる」 淡々とした口調だが、その言葉の意味は重い。「処遇」とは要するに店長の異動や降格を示唆している。 神崎は背中に冷たい汗をかきながら返答する。 「明日こそ何とかします。新作イベントを強化して、顧客にも直接声がけして……」 「具体的な数字が欲しいところだが、ま、期待している。うまくやってくれたまえ」 通話が切れると同時に、神崎は持っていたスマートフォンをテーブルにそっと置いた。スタッフの一人が心配そうに覗き込むが、神崎は無理に笑みをつくるしかない。

第七章──嵐の最終日

 翌日、朝から澄み渡る青空。表参道は一気に人通りが増え、店内もオープン直後から賑わう。 神崎と阿久津、そしてスタッフたちはフロアを隈なくカバーし、お客様一人ひとりにアプローチ。英語や中国語が堪能な佐伯が観光客を手厚く案内し、店長の神崎はVIP顧客の予約対応に奔走する。 結果、外国人がショルダーバッグを2点購入、さらに常連の女性客が春物のウェアとアクセサリーをまとめ買い。昼にはノルマまであと30万円を切った。 「これはいける……!」 スタッフの士気が最高潮に達する。疲れを感じる暇もなく、夕刻にはブランド好きの大学生グループが財布やキーケースを複数買いし、ついに売上がノルマを突破した。 「やった……!」 神崎がレジ横のディスプレイを見ながら小さく拳を握る。周囲も歓声を上げ、ほっと胸を撫で下ろした。

終章──終わりなき闘い

 閉店後、スタッフ全員で簡単な打ち上げを兼ねてバックヤードに集合した。神崎は満面の笑みで言う。 「本当にお疲れさま。みんなのおかげでギリギリ達成できたわ。インセンティブもある程度つくはずよ」 歓声がわき起こり、若手の佐伯は涙ぐんで拍手をする。――しかし、その明るい雰囲気の中、阿久津だけは複雑な表情を浮かべている。 「また来月から、同じような地獄が始まるんでしょう? 私たち、ずっとこんなに追い詰められながら売り続けるのかな……」 誰もがその疑問を抱えながらも、明確な答えは出せない。LADAREというブランドの看板と、厳しいノルマ。両方を成立させるには、このギリギリのバランスに耐えるしかないのだ。 ひとたびノルマを達成しても、翌月にはより高い目標が設定され、エリアマネージャーや本社は容赦なく結果を要求する。ファッションブランドの華やかな光の裏には、スタッフの血のにじむような努力終わりなきプレッシャーが渦巻いている。

 ――それでも、店の明かりが灯る限り、神崎たちは笑顔を絶やさずに接客を続ける。LADAREのブランド理念を信じ、顧客を喜ばせるために。その先にあるものが栄光か、再び訪れる試練かは、誰にもわからないまま。

(了)

 
 
 

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