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レンガ色の高さ、蓮の折りかた――ワット・ヤイ・チャイモンコンの午後

アユタヤの陽は、午前十時でじゅうぶん遠慮がない。貸し自転車で川沿いを走り、赤茶のレンガが幾重にも重なるワット・ヤイ・チャイモンコンに着いたとき、Tシャツの背中はすでに地図みたいな汗の模様になっていた。門の前の屋台で水を買うと、店先のおばちゃんが青い蓮の蕾と細いロウソクを手にして「折ってみる?」と笑う。うなずくと、彼女は私の手を取り、爪で花びらの縁をちょんと起こし、内側にくるりと巻き込んで小さな王冠を作ってみせた。

サワディーって言う前に、花びらを四つ折るの。心も四つ折りね、欲張りが小さくなるでしょ」

見よう見まねで折ってみたが、三枚目でペロンと戻る。おばちゃんは吹き出して、もう一枚を貸してくれた。「マイ・ペン・ライ(大丈夫)。ここでは、やり直しはいいこと」

境内に入ると、規則正しく並んだ坐像が、壁の上で静かにこちらを見ている。布が外されて石の地肌が出た仏もいて、係の人が洗って干したサフラン色の布をたたんでいた。近づくと、年配の女性が古い足踏みミシンで裾を縫っている。「今日は洗濯の日なの」と言い、ほつれた糸を私に引いて持たせる。足元のペダルが小さく鳴り、サフラン色の帯がすべすべと指先を滑った。

「2011年のは、ここまで来たのよ」と彼女が壁の黒い線を指す。そこだけレンガが濃い。「布はぜんぶ上へ避難させた。乾いたら、また巻く。人も同じ、乾いたら戻る」

ありがたく頷きながら、大仏塔の急な階段を上る。途中でうっかりペースを上げすぎ、脚ががくんと笑った。手すりで休んでいると、隣の若い僧侶がヤードム(メンソールのスティック)を差し出す。「吸って、数えて。十まで行ったら下りるのも楽になるよ」。言われるまま鼻先で深呼吸すると、頭の中がすっと冷えて、景色が一段クリアになる。私は拙いタイ語で「コップクン・クラップ」と言い、彼は歯を見せて笑った。

塔の上は、洗い立ての空気だった。四方に赤い屋根の海がひろがり、下を見れば、さっきの坐像の列が同じ角度で西日を待っている。風が帽子をさらい、危うく落としかけた瞬間、後ろから「Hold on!」と声。バンコクから来たという青年が、ストラップを結び直してくれた。彼のポケットから甘い匂いがする。「タマリンドの飴、食べる?」彼は一つ渡し、自分の分も口に放り込む。酸っぱさで立て直ったところへ、今度は下から「ハロー、写真!」と修学旅行の子どもたちの声。私は手すり越しにシャッターを押し、彼らの跳ねる手を一枚の写真にまとめた。

階段を下りる途中、小さなハプニングがあった。前を歩く男の子が段差でつまずき、膝を石にこすったのだ。泣くほどではないが、顔が歪む。私はポケットから絆創膏を取り出し、彼の母親に目で「使います?」と訊く。母親は何度も頭を下げ、男の子は黙って親指を立てた。貼り終えると、近くの売店のお姉さんが「いる?」と小さな袋を渡してくる。見知らぬ人同士が、手持ちのものを少しずつ出し合うと、痛みはちゃんと縮む。

広場に戻ると、ココナツアイスの屋台がいい音で鳴っていた。紙カップに白いアイス、その上にピーナッツとコーンをぱらぱら。ひと口で、暑さが体の中から後ろ向きに退いていく。ベンチには寺の猫が横倒しになり、尻尾だけが忙しく動く。そこへ先ほどのミシンの女性が通りかかり、「さっきの糸、上手に引いてくれたから」と、サフラン色の切れ端を小さく束ねて手渡してくれた。「旅のお守り。財布に入れてね」

そのあと、私は長い回廊の扉のトンネルを抜け、裏手の芝生へ出た。中央のレンガの仏塔が近づくと、草むらからスプリンクラーが突然シューと水を吐き、直撃。慌てて避けると、近くでピクニックをしていた家族が大笑いだ。お父さんがフェイスタオルを投げてくれ、私はお返しにカメラで家族写真を撮る。お母さんは髪を整えながら、「アユタヤはゆっくりが合う」と英語で言った。彼らは敷物に座り、もち米と豚の串焼きを分け合っている。小さな男の子が私にも串を一本差し出した。「アロイ?」――うん、アロイ(おいしい)。

芝生の端では、若い僧たちが大きなサフラン色の布を空気で膨らませながら畳んでいた。私が見とれていると、一人が「端を持って」と手招きする。布の縁を持ち、合図で一気にふわり。風船がしぼむみたいに空気が抜け、布はするすると手の中へ入ってくる。最後はきゅっと巻いて、木箱に収まった。僧は「サドゥー(善いこと)」と笑い、手のひらを合わせる。ほんの一作業でも、景色の一部になれた気がして、胸が軽くなる。

日が傾き、レンガの面が蜂蜜色に変わるころ、私は再び坐像の列の前に立った。洗濯を終えたばかりの布が数体の肩に戻され、風にほんの少し揺れている。そこへ、昼の蓮のおばちゃんがやって来て、私の折った不細工な蓮を見つけ、くすっと笑った。「最初の四つ折り、覚えてる?」私は花びらをもう一度起こし、ゆっくり巻き込む。今度はうまく冠になった。

よくできました。ここでは、急がない人がいちばん上手になるのよ」

境内を出る前、売店で冷たい水をもう一本。レジ横には2011年の洪水のときの写真が貼られていた。腰の高さまで茶色い水が来て、坐像の膝まで濡れている。おばちゃんは小さくため息をつき、「でもね、そのあとの片づけが一番熱かったの」と言った。近所の人も、観光客も、子どもも、みんなで泥を落とし、花を戻し、布を乾かしたという。たぶんその熱さが、いまの蜂蜜色の面影に混じっている。

帰り道、私は自転車のハンドルにサフラン色の切れ端を結んだ。風が吹くたび、ひらりと揺れる。橋の上で振り返ると、塔の上の影が長く伸び、坐像の列が同じ角度でまばたきをしているように見えた。胸ポケットには、蓮の蕾で教わった小さな冠の手順。九つまで数えなくても、ずいぶん落ち着いている。

旅で記憶に残るのは、いつも誰かの手つきだ。蓮を折る爪の角度、ミシンのペダルのリズム、ヤードムを差し出す親指、人が人に渡すタオルの湿り気、サフラン色の布をふわりと膨らませる合図。歴史の大きさの中で、そういう小さな所作が景色をやわらかくする。

夕飯前、屋台で買った袋入りの氷水をちゅっと吸いながら、私は自転車をこぐ。ハンドルのサフラン色が風に揺れ、結び目がほどけないか何度も確かめてしまう。大丈夫、きゅっと結べばほどけない。ゆっくりでいい。アユタヤは、そう言ってくれている気がした。

 
 
 

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