一番茶の葉っぱ学校
- 山崎行政書士事務所
- 5月7日
- 読了時間: 15分

五月の朝、茶畑には小さな学校がひらく。
そう教えてくれたのは、母だった。
まだ幹夫がうんと幼く、茶の畝のあいだを走ると、若葉の先の露まで笑っているように見えたころである。母は白い手ぬぐいを頬の下で結び、籠を背負って、朝の茶畑に立っていた。
「一番茶の葉っぱたちはね、幹夫」
母は、若葉をそっと指で撫でながら言った。
「摘まれる前に、学校へ行くのよ」
「葉っぱが?」
「そう。光の受け方、風に揺れる加減、露をこぼさない眠り方、それから最後に、香りになる練習をするの」
幹夫は目を丸くした。
「香りになる練習?」
「ええ。葉っぱはね、ただ摘まれてお茶になるんじゃないの。自分の中にある春を、誰かの胸まで届ける練習をするのよ」
母はそう言って笑った。
その言葉を聞いたとき、幹夫は本当に、茶の若葉たちが畑のどこかで小さな机に座り、先生の話を聞いている気がした。露の玉を硯にし、光を鉛筆にし、葉脈の上に細かな文字を書いている。風が吹くと、みんなでいっせいに返事をする。
さわさわ。
それが、葉っぱ学校の朝の挨拶なのだと思った。
けれど母は、去年の冬に亡くなった。
雪の降らない、ただ冷たいだけの日だった。病院の白い壁、消毒液の匂い、細くなった母の手。幹夫はその手を握っていたのに、言いたいことを何も言えなかった。
ありがとうも。 行かないで、も。 また茶畑へ連れていって、も。
みんな喉の奥で固まり、声にならなかった。
母がいなくなってから、幹夫は学校へ行くのが少し苦手になった。
教室には、たくさんの音がある。机を動かす音、椅子を引く音、黒板にチョークが当たる音、友だちの笑い声。どれも普通の音なのに、幹夫の胸には大きく響きすぎることがあった。
誰かが軽く言った言葉も、幹夫の中では一日じゅう消えない。
「そんなこと気にするなよ」
「幹夫って、また変なこと考えてる」
「葉っぱが痛いとか、分かるわけないじゃん」
悪気のない言葉だと分かっている。
それでも胸は痛んだ。
幹夫の心は、茶の若葉のように薄かった。少し強く触れられると、そこに跡が残る。風が吹けば揺れる。雨が当たれば震える。父はそんな幹夫を見て、よく言った。
「もう少し、強くならんとな」
父の声は責めているのではなかった。けれど幹夫には、強くなるということが分からなかった。
揺れないことだろうか。 痛まないことだろうか。 泣きそうになっても、平気な顔をすることだろうか。
その年の一番茶の日、幹夫はいつもより早く目を覚ました。
まだ空は夜の名残を抱いていた。東の山の端だけが、薄く白みはじめている。家の中では、祖母が台所で湯を沸かしていた。父は土間で手ぬぐいを畳み、無言で茶摘み籠を整えている。
「幹夫、今日は少し手伝うか」
父が言った。
幹夫はうなずいた。
けれど、胸は小さく震えていた。
一番茶の若葉は、冬を越えてようやく出てきた葉だった。霜の朝も、冷たい雨も、山から吹く風も、みんな越えてきた葉。その葉を、幹夫の指が摘んでしまう。そう思うと、指先がこわばった。
茶畑へ向かう坂道には、朝露が降りていた。
草の先に小さな水玉が並び、幹夫の靴を濡らした。空にはまだ星がいくつか残っていた。夜と朝のあいだの、ほんの短い時間だった。
茶畑に着くと、幹夫は息をのんだ。
畝はやわらかな緑の波となって山裾へ続き、若葉の先には露が宿っていた。朝の光がまだ届く前なのに、葉の一枚一枚が内側から明るんでいるようだった。
まるで、これから授業が始まるのを待っている子どもたちの顔だった。
そのとき、幹夫の耳に小さな音がした。
ちりん。
鈴の音に似ていた。
父も祖母も、畑へ入る支度をしている。近所の人たちも、まだ畦道の向こうで声をかけ合っている。誰もその音に気づいていないようだった。
ちりん。
もう一度鳴った。
幹夫は音のする方へ歩いた。畝の奥、古い柿の木の下だった。そこは母がよく休んでいた場所で、平たい石が一つ置かれている。
石のそばまで来ると、幹夫は目を見開いた。
茶の木の間に、小さな校舎があった。
といっても、人間の学校のような大きな建物ではない。茶の枝を柱にし、若葉を屋根にし、露の玉を窓にした、掌に乗りそうな小さな校舎だった。入口には、細い葉脈で編んだ札がかかっていた。
――一番茶の葉っぱ学校。
幹夫は息を止めた。
校庭には、小さな葉っぱたちが集まっていた。
どの葉も、茶の若葉だった。真ん中の芽と、その下の柔らかい二枚。みんな淡い緑をして、露を帽子のように乗せている。風が吹くと、列が少し乱れ、またすぐに整う。
「おはようございます」
どこからか声がした。
幹夫はしゃがみ込んだ。
校舎の前に、小さな先生が立っていた。
それは古い茶の葉だった。若葉より少し濃い緑で、縁には冬を越えたしるしのような薄い傷がある。けれど、その葉脈はしっかりしていて、光を受けると金色に透けた。
「おはようございます」
葉っぱたちが、いっせいに答えた。
さわさわ。
幹夫は胸が熱くなった。
母の言っていたことは、本当だったのだ。
葉っぱ学校は、本当にあった。
古い葉の先生は、幹夫に気づくと、静かにお辞儀をした。
「幹夫さん、ようこそ」
「僕の名前を知っているの?」
「もちろんです。あなたは、よくこの畑で立ち止まっていましたから」
先生の声は、風が葉の裏を撫でるような音だった。
「ここは、葉っぱの学校なの?」
「はい。一番茶になる葉たちが、最後の朝に学ぶところです」
「最後の朝……」
幹夫の胸が少し痛んだ。
先生はうなずいた。
「今日、彼らは摘まれます。けれど摘まれることは、消えることではありません。形を変えて、香りになるための旅の始まりです」
校庭の葉っぱたちは、静かに揺れていた。
幹夫は一枚の若葉を見た。ほかの葉より少し小さく、露の玉を重そうに抱えている。葉脈もまだ細く、光を通すと透けてしまいそうだった。
その葉っぱは、幹夫の視線に気づいたように、かすかに震えた。
「怖いの?」
幹夫は小さく尋ねた。
若葉は、さわ、と揺れた。
「少しだけ」
声が聞こえた気がした。
「摘まれたら、もう空が見えないの?」
幹夫は答えられなかった。
すると古い葉の先生が、やさしく言った。
「そのために、今日の授業があります」
鈴がまた鳴った。
ちりん。
一時間目は、「光の授業」だった。
先生は若葉たちを朝の光の方へ向かせた。東の空から、薄い金色の光が茶畑へ差しはじめている。若葉たちは、その光を一枚一枚の中に受けた。
「光は、ただ浴びるものではありません」
先生は言った。
「通すものです。自分の中を通って、柔らかくするものです」
若葉たちは静かに光を受けた。
幹夫は、自分の胸のことを思った。
人の言葉も、夕焼けの色も、母の記憶も、幹夫の中へ入りすぎる。入りすぎて苦しくなる。でも、もしそれをただ抱え込むのではなく、光のように通すことができたら。自分の中を通って、少し柔らかくなって外へ出せたら。
それは、香りになるのだろうか。
二時間目は、「風の授業」だった。
山の方から、朝の風が吹いた。葉っぱたちはいっせいに揺れた。中には大きく揺れすぎて、露を落としそうになる葉もあった。小さな若葉も、身を縮めるように震えている。
「風に逆らいすぎてはいけません」
先生は言った。
「けれど、全部任せてもいけません。折れないために揺れ、飛ばされないために根を思い出すのです」
幹夫は父のことを思った。
父はいつも根のような人だった。あまり話さず、黙って畑に立つ。幹夫には、それが時々重く見えた。けれど根があるから、葉は揺れられるのかもしれない。
幹夫の心はよく揺れる。
けれど、それは根がないからではなく、風を感じているからなのかもしれない。
三時間目は、「露の授業」だった。
若葉たちは、自分の先に乗せた露を見つめた。露の中には、空が逆さまに映っていた。山の影、朝の雲、消え残った星。小さな水の粒の中に、広い世界が入っている。
「露は、長くは残りません」
先生は言った。
「陽が昇れば消えます。風が吹けば落ちます。けれど、短いあいだに空を映します」
幹夫は、母の言葉を思い出した。
露は、消えるものなのに、たくさん映そうとするからきれいなのよ。
幹夫の目の奥が熱くなった。
母の声は、もう聞こえない。けれどこうして、別の声の中に戻ってくる。茶畑の先生の声の中に。若葉の露の中に。幹夫が思い出そうとする胸の中に。
四時間目は、「痛みの授業」だった。
幹夫は、その名前を聞いたとき、胸がきゅっと縮んだ。
葉っぱたちも静かになった。
古い葉の先生は、しばらく茶畑全体を見渡した。それから、ゆっくり言った。
「今日、あなたたちは摘まれます。指が触れます。枝から離れます。怖いでしょう。痛みもあるかもしれません」
小さな若葉が震えた。
幹夫も震えた。
「でも、痛みは終わりだけを運ぶものではありません。変わる時には、痛みが伴うことがあります。芽がひらく時も、殻を破る時も、冬から春へ出る時も」
先生は続けた。
「大切なのは、痛みを受けたあと、自分の中の春を失わないことです」
幹夫は、母を失った冬を思った。
その痛みは、幹夫の中にずっとあった。触れれば今でも苦しい。けれど、その痛みの中に母がいたことも確かだった。母の笑顔。母の声。母が茶畑で言った不思議な言葉。
痛みを全部なくしたら、母のいた春まで失ってしまうのかもしれない。
幹夫は、小さな若葉にそっと言った。
「怖くても、春はなくならないよ」
若葉は、かすかに揺れた。
「本当?」
「たぶん」
幹夫は正直に言った。
「僕もまだ、練習中だけど」
若葉は少しだけ明るくなったように見えた。
最後の授業は、「香りの授業」だった。
校舎の小さな窓から、朝の光が差し込んでいた。葉っぱたちはみんな、静かに先生の前へ集まった。
「香りとは、目に見えない手紙です」
先生は言った。
「自分が受けた光、耐えた寒さ、抱いた露、揺れた風。そのすべてを、見えない形で誰かへ届けるものです」
幹夫は息を止めた。
「香りは、強く叫びません。けれど、届きます。遠い人にも、寂しい人にも、言葉をなくした人にも」
幹夫の胸に、新茶の香りが満ちていく気がした。
母のいない家で、幹夫は何度もその香りに救われた。悲しみを消してくれるわけではない。けれど悲しみのそばに座ってくれる。泣けない胸を責めず、ただ静かに包んでくれる。
それが、香りなのだ。
小さな若葉が、幹夫に尋ねた。
「僕も、誰かに届く?」
「届くよ」
幹夫は言った。
「たぶん、湯呑みの中で。誰かが疲れて帰ってきた夕方とか、泣きたいのに泣けない夜とか、そういう時に」
「幹夫にも?」
「うん」
幹夫は微笑んだ。
「僕にも届く」
そのとき、遠くから父の声がした。
「幹夫!」
幹夫ははっとした。
顔を上げると、小さな校舎は朝の光の中で薄くなっていた。葉っぱたちの列も、校庭も、古い葉の先生も、露の窓も、すべてが茶畑の緑に溶けていく。
「待って」
幹夫は小さく叫んだ。
古い葉の先生は、最後に言った。
「幹夫さん、あなたも学びましたね」
「僕も?」
「はい。感じる心は、葉っぱ学校の生徒です」
先生の声は、風の中へほどけた。
「揺れることを恐れず、光を通しなさい。痛みを受けても、春を失わないように。そしていつか、あなたの言葉も香りになります」
校舎は消えた。
そこには、いつもの茶畑があるだけだった。
父が畦道から近づいてきた。
「何をしている。もう摘み始めるぞ」
幹夫は立ち上がった。
「うん」
父は幹夫の顔を見て、少し眉を寄せた。
「泣いたのか」
幹夫は頬に触れた。
知らないうちに、涙が一筋こぼれていた。
「少し」
「どうした」
幹夫は茶畑を見た。
葉っぱ学校のことを話しても、父には分からないかもしれない。けれど、嘘にはしたくなかった。
「葉っぱの授業を聞いてた」
父は困った顔をした。
「葉っぱの授業?」
「うん。一番茶の葉っぱ学校」
父はしばらく黙った。
以前なら、そんなことを言うなと叱ったかもしれない。けれどその朝の父は、朝露の残る茶畑を見渡し、低く言った。
「母さんが言いそうなことだな」
幹夫は父を見た。
「お母さん、言ってたよ。葉っぱは摘まれる前に学校へ行くって」
父は少しだけ目を伏せた。
「そうか」
幹夫は勇気を出して言った。
「お父さん」
「なんだ」
「僕、摘むのが怖かった」
「うん」
「でも、摘まれる葉っぱは消えるんじゃなくて、香りになるって、少し分かった」
父は幹夫の言葉を、すぐには返さなかった。
朝の光が、父の横顔を照らしていた。父の頬には、仕事で刻まれた皺があった。幹夫はその皺の中にも、父が言えなかった言葉や、母を思う寂しさがしまわれているように感じた。
「怖いなら」
父はゆっくり言った。
「ゆっくり摘め」
幹夫は驚いた。
「いいの?」
「最初から早くなくていい。葉を傷つけない手を覚えろ」
その言葉が、幹夫の胸に温かく入ってきた。
幹夫はうなずいた。
畝の前に立つ。
真ん中の芽と、その下の柔らかい二枚。
一芯二葉。
幹夫は指を伸ばした。若葉にはまだ少し露が残っていた。触れるとひんやりした。けれど前ほど怖くはなかった。
小さな若葉が、さわ、と揺れた気がした。
幹夫は心の中で言った。
おはよう。 ありがとう。 いってらっしゃい。
そして、そっと摘んだ。
若葉は音もなく幹夫の指に収まった。
籠の中へ置くと、その一枚はほかの葉と一緒になった。もうどれがさっきの若葉か分からない。けれど幹夫には、その中に葉っぱ学校の声が残っているように思えた。
午前中、幹夫はゆっくり茶を摘んだ。
父のように早くはできなかった。祖母のように迷いなく指を動かすこともできなかった。それでも、一枚一枚に触れるたび、幹夫は授業を思い出した。
光を通すこと。 風に揺れること。 露を映すこと。 痛みのあとも春を失わないこと。 香りになること。
昼前、籠の中には若葉がふんわり積もっていた。
青い香りが立った。
幹夫はその香りを吸い込み、胸の奥が静かに震えるのを感じた。震えは消えない。けれど、その震えを少しだけ嫌いではなくなっていた。
茶畑の端で握り飯を食べていると、祖母が幹夫の隣に座った。
「今日は、ずいぶん丁寧に摘んでいたね」
「遅かった?」
「遅いけれど、乱暴じゃなかった」
祖母は笑った。
「一番茶には、それも大事だよ」
幹夫は少し照れた。
「おばあちゃん」
「なんだい」
「葉っぱ学校って、本当にある?」
祖母は握り飯を食べる手を止めた。
「幹夫が見たなら、あるんだろうね」
「お母さんが言ってたんだ」
「そうだろうねえ。あの子は、茶畑の中にいろんな学校や駅や郵便局を見つける子だった」
幹夫は笑った。
祖母は茶畑を見ながら言った。
「でもね、幹夫。人間も葉っぱ学校に通うことがあるんだよ」
「人間も?」
「悲しいことがあった時。怖いことがある時。変わらなければならない時。そういう時、人はみんな葉っぱ学校の生徒になる」
幹夫は、父の背中を見た。
父は少し離れたところで、黙ってお茶を飲んでいた。大きな背中だった。けれどその背中も、母を失ってからずっと、何かを学び続けているように見えた。
父も葉っぱ学校の生徒なのかもしれない。
言葉にする練習。 寂しさを抱えたまま働く練習。 幹夫の心へ、乱暴に触れない練習。
そう思うと、父が少し近くなった。
夕方、摘んだ葉は製茶場へ運ばれた。
蒸気が白く上がり、茶の葉の青い香りがいっそう深くなった。若葉は熱を受け、揉まれ、細く撚られ、少しずつ姿を変えていく。
幹夫はその様子を見つめた。
葉っぱ学校を卒業した葉たちが、香りになる練習の続きをしているようだった。
夜、祖母がその日の新茶を少しだけ淹れてくれた。
湯呑みに注がれた茶は、淡い緑色をしていた。仏壇の母の写真の前にも、小さな湯呑みが置かれた。湯気が白く立ち、写真の母の顔をやわらかくぼかした。
幹夫は湯呑みを両手で包んだ。
一口飲む。
最初に、若い苦みが舌に触れた。
それは、若葉が枝を離れるときの怖さのようだった。母を思い出すときの胸の痛みのようでもあった。
けれど、そのあと甘みが戻ってきた。
ゆっくりと。
春の光が、葉の中を通ってくるように。
幹夫は目を閉じた。
茶の中に、葉っぱ学校があった。
露の窓。 光の授業。 風の授業。 古い葉の先生。 小さな若葉の「怖い」という声。 母の笑顔。 父の「ゆっくり摘め」という言葉。
全部が、その一杯の中に入っていた。
「おいしいか」
父が尋ねた。
「うん」
「どんな味だ」
幹夫は少し考えた。
「卒業式の味」
父は首をかしげた。
「葉っぱ学校のか」
幹夫は驚いて父を見た。
父は湯呑みを見たまま、少しだけ笑っていた。
「お父さん、信じるの?」
「見たわけじゃない」
父は言った。
「だが、今日のお前の手は、何か習ってきた手だった」
幹夫の胸が熱くなった。
祖母が静かに笑った。
その夜、幹夫は机に向かった。
白い紙を出し、鉛筆を握った。学校の宿題ではなかった。けれど、どうしても書きたかった。
――今日、一番茶の葉っぱ学校へ行きました。
字は少し震えていた。
けれど幹夫は、その震えを消さなかった。震える字には、朝の露が入っている。若葉に触れる怖さが入っている。母の言葉を思い出した痛みも、父に少し分かってもらえた温かさも入っている。
――葉っぱたちは、摘まれる前に授業を受けていました。 ――光を通すこと、風に揺れること、露を映すこと、痛みのあとも春を失わないこと、香りになることを学んでいました。 ――僕も少しだけ一緒に学びました。 ――僕の心は、茶の若葉みたいに薄くて、すぐ揺れます。 ――でも、薄いから光を通せるのかもしれません。 ――揺れるから風を知れるのかもしれません。
幹夫は窓の外を見た。
茶畑は闇に沈んでいた。
けれど香りがある。
見えない葉たちが、夜の中で静かに息をしている。
幹夫は続きを書いた。
――摘まれることは、消えることではありませんでした。 ――葉っぱは形を変えて、香りになります。 ――悲しいことも、すぐには分からないけれど、いつか香りになることがあるのかもしれません。 ――お母さんがいない痛みも、僕の中で少しずつ形を変えて、誰かにやさしくできる力になればいいと思いました。
最後に、こう書いた。
――葉っぱ学校は、茶畑の中にありました。 ――でも、本当は僕の胸の中にもありました。 ――これからも怖いことや悲しいことがあるたび、僕はまたそこへ通うのだと思います。 ――一番茶の葉っぱたちのように、春を失わずに香りになる練習をするために。
書き終えると、幹夫は紙を畳まずに机の上へ置いた。
窓を開けると、夜風が入ってきた。
茶畑の方から、さわさわと音がした。
それは、葉っぱ学校の生徒たちが、夜の教室で小さく復習している音のようだった。
幹夫は耳を澄ませた。
どこか遠くで、鈴が鳴った気がした。
ちりん。
幹夫は静かに微笑んだ。
そして胸の中で、小さく返事をした。
――はい。
それは、誰にも聞こえない、けれどたしかに幹夫の中で始まった、新しい授業の声だった。





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