七間町の小さな演奏会、鈴の音は短い
- 山崎行政書士事務所
- 2025年12月25日
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幹夫青年が七間町へ出て来たのは、聖夜の賑はひに胸を躍らせたからではない。 躍る胸など、さう易々と持てるものではない。ましてこの頃は、胸の中にあるものと言へば、返事の遅れた言葉だとか、言ひ損ねた挨拶だとか、さういふ「後から重くなるもの」ばかりである。
けれど家にゐれば、机の上の白い灯が、余計にそれらを整列させて見せる。 整列して見えるものは、いつもこちらを責める。責めるものからは、灯の多い方へ逃げるのがいちばん早い。七間町の看板の灯は、責めない顔をしてゐる――幹夫は勝手にさう思ひ込んで、足を向けた。
通りは、クリスマスの顔をしてゐた。 といふのは、実際に雪が降るわけでもないのに、窓に白い雪の切紙が貼られ、赤いリボンが吊られ、どの店も「特別」を売つてゐる顔をしてゐる。特別を売る顔は、こちらの平凡を少しだけ許す。その許しが、今夜の幹夫にはありがたかつた。
焼き物の匂ひ、甘い菓子の匂ひ、珈琲の湯気。 匂ひが混ざると、頭の中の裁判が黙る。黙ると、人はただ歩ける。幹夫は、歩けるだけで十分だと思つた。祝ひの日に立派な感動など要らぬ。歩ける程度の上等が、案外長持ちする。
七間町の角を曲がつたところで、幹夫は立ち止まつた。 かすかに、鈴の音がしたのである。 ちり、ちり――といふより、つん、と一度鳴つて、すぐ消えるやうな音。音の方が先に消えて、余韻だけが耳の奥に残る。残り方が、いかにも冬の音である。
見上げると、古いビルの二階の窓に、小さな札が出てゐた。
クリスマス小さな演奏会(七時半〜四十分) 鈴とピアノと少しの歌 ——ひとり歓迎。
また「ひとり歓迎」である。 この町は、ひとりを責めない札を、時々さらりと出す。さらりと出されると、こちらもさらりと入れる。 幹夫は、札の前で一度だけ迷つた。迷ふのは、いつもの癖だ。入れば拍手のタイミングに困る、座る場所に困る、終演後の「どうでした?」に困る――困りごとを先に並べる癖は、幹夫の得意技である。
だが、鈴の音がもう一度、短く鳴つた。 短い音は、考へる暇を与へない。 幹夫は、考へる前に階段を上つた。
ドアを開けると、木の匂ひがした。 小さなホールといふより、広めの部屋に椅子を並べた程度の空間である。壁には手作りらしい紙の飾りが貼られ、受付のテーブルにプログラムが積まれ、隅に紙コップとポットが置いてある。豪華ではないが、豪華でないから嘘が利かぬ。嘘が利かぬのに息が苦しくない――それが、かういふ場所の不思議だ。
受付の若い女が、明るい声で言つた。
「こんばんは。どうぞ。自由席です。終はつたら、温いのありますよ」
「こんばんは」
幹夫は、先に挨拶を返した。 挨拶を先に出すと、こちらの肩が少し軽くなる。最近覚えた稽古である。
椅子は二十ほど。客はまだ十人ほど。 年配の夫婦、学生らしい二人組、仕事帰りらしい一人客――幹夫と同じやうな顔をしてゐる者。皆、声は小さく、目はどこか柔らかい。幹夫は後ろの端に座つた。端は、逃げ道がある。逃げ道があると、人は落ち着く。
舞台といふほどの高低もない前方に、小さなベルが籠に入つて並べられてゐた。 鈴といふより、ハンドベルの小型のやうな、銀色のもの。灯を拾つて光り、しかしじつと黙つてゐる。黙つてゐる金属は、これから鳴ることを知つてゐる顔だ。知つてゐる顔は、少し頼もしい。
やがて演奏者が出て来た。 ピアノの女と、ベルを持つた二人。ベルの二人は、年齢が若いとも老いとも言ひにくい。だが手つきが落ち着いてゐる。落ち着いた手つきは、音に余計な感情を押しつけない。
最初の曲は、いかにもクリスマスらしい旋律であつた。 ピアノが柔らかく和音を置き、ベルが、つん、と鳴る。 つん、つん――。 鈴の音は短い。短いくせに、空気の芯だけを揺らす。揺らされた芯は、しばらく戻らない。 幹夫はそこで、ふと思つた。自分の言葉も、かうであればいいのに、と。長い言葉は言ひ訳になる。言ひ訳は温度を奪ふ。温度を奪はれた言葉は、結局どこにも届かぬ。鈴は短い。短いから、ちゃんと届く。
二曲目は、静かな歌であつた。 歌ふ声は大きくない。だが、部屋の端まで届く。届く声は、張り上げた声ではない。息の置き方が正しい声だ。 幹夫は、息の置き方、といふものが生活にも要るのだと思つた。返事も、息を置けばいい。勢ひで立派なことを言はうとするから、息が詰まつて黙る。
最後の曲が終はる。 音が消え、部屋に「間」が戻つて来る。 この「間」のときに、幹夫はいつも遅れる。拍手のタイミングを探してゐるうちに、もう他人の拍手が始まつて、遅れて叩く自分が恥づかしくなる。恥づかしくなるから、さらに小さく叩き、結局、何をしたいのか分からなくなる。
だが今夜は、鈴の音が教へてゐた。 短い音は、迷はない。 迷はぬ音は、冷めない。 ならば拍手も、迷ふ前に出してしまへばいい。
幹夫は、先に叩いた。
ぱち、ぱち。
大きな拍手ではない。 けれど、迷ひのない拍手である。迷ひのない拍手は、音より先に気分を明るくする。 それに釣られるやうに、客席もぱちぱちと揃つた。演奏者が微笑んで頭を下げる。微笑みが舞台の微笑みではなく、生活の微笑みに見えたのがよかつた。生活の微笑みなら、こちらも返せる。
終演後、受付の隅のポットのところに人が集まつた。 紙コップのほうじ茶、珈琲、甘いココア。湯気が立つ。湯気が立つと、部屋の端まで柔らかくなる。 幹夫がほうじ茶を取つてゐると、さつき受付にゐた若い女が言つた。
「拍手、早かつたですね」
幹夫は少し赤くなつた。 赤くなつたが、逃げる冗談は言はなかつた。
「……鈴の音が短いから、遅れるのがもつたいなくて」
女は笑つた。
「分かります。鈴って、すぐ消えるけど、消えたあとがあたたかいですよね」
消えたあとがあたたかい。 幹夫はその言ひ方が好きだと思つた。あたたかいのは音ではなく、音が通つた空気なのだ。 人の言葉も、言ひ終へたあとにあたたかさが残るなら、それで十分だ。
隣でココアを飲んでゐた年配の男が、ふいに言つた。
「兄さん、鈴は短いけどね、短いから毎年鳴るんだよ。長いと飽きる」
幹夫は笑つて頷いた。 毎年鳴る――それが祝ひの本当だらう。立派な一回より、短いものが毎年続く方が、生活には効く。
帰り際、受付の籠の中に、小さな鈴の紙片が置かれてゐるのに気づいた。 メモのやうな、ちいさなカードで、そこに短く書いてある。
「鈴は短い。だから、言葉も短く。」
幹夫はその紙片を一枚もらひ、コートのポケットに入れた。 持ち帰るのは、土産より、かういふ小さな合図の方が役に立つ。
七間町の通りへ出ると、看板の灯がまたにじんでゐた。 にじんだ灯は叱らない。叱らない灯の下なら、今夜の自分は少しだけ素直でゐられる。
幹夫はスマホを出した。 長文は書かない。長文は言ひ訳の巣になる。鈴は短い。だから言葉も短く。
――「メリークリスマス。七間町で小さな演奏会。鈴の音が短くて、あたたかかつた。元気?」
送信すると、胸の内がすとんと静かになつた。 返事が来るかどうかは分らぬ。分らぬが、今夜はそれで十分だ。言葉を冷まさずに出せたことが、今夜の小さな祝ひになつた。
幹夫青年は、七間町で立派な感動を得たわけではない。 ただ、鈴の音の短さに背中を押されて、拍手を先にし、言葉も短く出しただけである。 けれど短いものほど、胸へ残る。 鈴の音は短い。だから、明日にも鳴る。――幹夫の前向きも、今夜はその程度に軽く、そして確かに







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