三つの影を分け合う午後――ワット・プラ・シー・サンペットにて
- 山崎行政書士事務所
- 9月15日
- 読了時間: 5分

朝のアユタヤは、空気の端までよく洗われていた。遺跡公園の中を自転車で進むと、赤土の道の先に、鉛筆を立てたみたいに細長い三つの仏塔(チェーディー)がぬっと現れる。近づくほど、白と灰の縞が日に焼けた皮膚のように表情を持ちはじめ、足もとには崩れた煉瓦の壁が折り重なる。ここが王宮寺院、ワット・プラ・シー・サンペット。入口の案内板には「王の遺骨を納めた塔」とある。年号よりも先に、風の向きと石の温度が体に入ってきた。
チケットを買って中へ。最初の失敗は、ほんのすぐあとだった。靴ひもを結び直そうと低い煉瓦に腰をかけたら、庭師のおじさんが慌てて手を振る。「Not on the ruins, my friend」。しまった、と立ち上がると、彼は笑って近くのベンチを指さし、ついでに蛇のマークの白い粉を私の首すじにぱふっとはたいた。スースーするあのタイ名物のパウダーだ。「Hot day, cool neck」。お礼を言ってベンチへ移る。煉瓦は遺跡、ベンチは現在。境界線をひとつ学ぶ。
三塔の間の芝生で、家族連れが写真に苦戦していた。お父さんがスマホを構え、お母さんと女の子が塔を背に並ぶ。けれど三本の塔がうまく画面に入らない。通りがかりに「撮りますよ」と申し出て、しゃがんで角度を探しながら、思わず口にする。「ヌーン、ソーン、サーム…」とタイ語でカウント。押した瞬間、女の子がまねして小声で「サーム」。画面に収まった三本の塔と、指でハートを作る二人。お父さんが「コップクン・クラップ」と深く会釈し、氷の入った袋ドリンクを差し出した。ナム・マナオ(ライム水)。ストローを縛った輪っかが指に冷たい。
塔の基壇へ上がる階段は、ほどよく脚にくる。途中でひと休みして息を整えていると、制服姿の女の子たちの修学旅行が目の前を通った。先生が「静かに歩いて、手すり持って」とやわらかい声で合図する。列の最後の子の靴ひもがほどけ、私が目で「いい?」と問うと、彼女はうなずいた。しゃがんで蝶結びを作ると、彼女は胸の前で小さく合掌して「コップクン・カー」。その仕草が、塔の上の風より涼しい。
基壇の上は、思ったより広い。三つの塔が斜めに影を投げ、影の合間に細い日なたが縞模様を作っている。影は時計みたいにゆっくり動き、そこへ人が入れ替わりで立ち止まる。私は塔の根元の石に背をあずけ、汗を拭いていた。すると隣に腰を下ろしたおばあちゃんが、手提げからプルメリアの落花を取り出して見せた。「いい香り、でも持ち帰らないでね」と英語混じりに微笑む。花びらを指でくるりと折って小さな王冠の形にして、ベンチにそっと置くと、白い芳香が風に混ざった。ここでは“持ち帰らない”やさしさも、お供えのひとつだ。
煉瓦の回廊を歩いていると、ボランティアの青年が足を止め、石の角を指さして教えてくれる。「ここ、黒い染みは昔の水の跡。雨季には草がすぐ伸びる。僕らの仕事は“刈りすぎない”こと」。彼は小さな鋏を取り出して、草の先をほんの少しだけ切った。「景色にも“髪の長さ”があるからね」。冗談に見せて、たしかにここでは一本の草まで写真の一部だ。
正午が近づくころ、影は短くなる。売店の叔母さんがサトウキビジュースを絞ってくれた。ぎゅうっとハンドルを回し、ライムと塩を一滴。紙コップは汗をかき、手が気持ちいい。私がごくごく飲んでいると、近くのご夫婦が思案顔で座っていた。お母さんのハットのゴムが切れ、風で飛びそうなのだ。私はさっき庭師が見せてくれた白いテープを思い出し、バックパックから絆創膏を取り出して、裏の粘着を細く裂いて輪にする。「即席ゴム」。お母さんが目を丸くして、笑いながらハットに通す。ジュガード(工夫)はタイでもインドでも通じるらしい。
塔の裏手へ回ると、赤い煉瓦の壁に囲まれた小さな空間があった。壁の向こうから、ワット・モンコン・ボピットの読経が風に乗って流れてくる。ここは王の塔で仏像は残っていないのに、声はちゃんと届く。煉瓦の影に座ると、犬が一匹やって来て私の足もとに寝そべった。背中だけ日なたに出して、頭は影の中――暑さと賢さの中間点。私は水の袋を持ったまま動けなくなり、しばらく犬の枕になった。通りがかった女の子がクスクス笑い、母親が「写真、撮っていい?」と目で訊く。どうぞ、と首だけ頷くと、犬はあくびをしてさらに体を私の靴に預けた。三つの塔の影は、四つ目の影――犬の影――まで面倒を見てくれた。
午後、雲が少し出て日差しがやわらぐと、遺跡の管理スタッフが説明板の掃除をしていた。布でさっと拭くたび、王の名前と年代がくっきりする。「読めることがまず保護だからね」と彼が言う。私は「今日のこと、忘れないように」と冗談を言い、彼は笑ってポケットから細い鉛筆を取り出し、私の手のひらに小さく「๓ เงา(三つの影)」とタイ数字で書いた。汗で消えるよ、と言いながら。「消えたら、また来なさい」。手のひらにくすぐったい痕跡が残った。
帰り際、入口の庭師がまだベンチの陰にいた。私はパウダーのお礼を言い、冷たい水を一本差し出す。彼は代わりに、さきほどの粉を指さき一振りだけ私の襟元へ。「今日の暑さは、ここで止まれ」。三塔の上には薄い雲、足もとでは犬が伸びをして、落花は風で王冠を崩した。私は自転車のハンドルにプルメリアを一輪だけ結び、ほどけないように小さく結び目を作る。
振り返ると、三つの塔がそれぞれ違う角度で空を刺し、影は朝よりもやさしい色で地面に落ちていた。ここで起きた小さなこと――ベンチと遺跡の境界、三本の塔を入れる角度、蝶結び、草の“髪の長さ”、即席ゴム、犬の枕、手のひらのタイ数字――それぞれが、王の塔の大きさの脇でやわらかい重さを持っている。
旅の記憶は、遺跡の高さよりも影の分け合い方で残るのかもしれない。暑さを半分、ベンチを半分、水を半分、そして笑いを少し。ペダルを踏み出すと、ハンドルの花がふわりと揺れ、三つの影が私の前を案内するようにのびていった。次にここを訪れるときも、私はきっと、影を探し、誰かの速度に合わせて歩く。王の塔の足もとで、ゆっくりと。





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