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三保の松原、羽衣の午後は笑ひで終る

 幹夫青年が三保の松原へ出かけたのは、富士を拝まうといふ敬虔からではない。まして「羽衣伝説」に胸をときめかすやうな素直さを、今さら取り戻したわけでもない。 ただ、静岡の町にゐると、何をしてゐても自分の顔が窓ガラスに映つて、妙に気取つた憂鬱がまとはりつく。憂鬱は、部屋の中で育つ。ならば外へ出ればよい――といふ理屈のやうで理屈にならぬ口実を、彼はいつも用意してゐる。

 清水の方へ向ふバスの窓から、駿河湾がちらりと見えた。 海の色は、今日は青といふより、白みがかつてゐる。春の光が多すぎるのである。光が多いと、人は勝手に明るくなつてしまふ。幹夫は、勝手に明るくなるのが少し怖い。明るくなると、つい大きなことを言ひたくなる。大きなことを言ふと、翌朝それが腐つて臭ふ。幹夫は、腐つた言葉の臭ひに弱い。

 三保へ向ふ道は、観光地らしく、案内の札がよく立つてゐた。 「松原」「富士」「羽衣」。――どれも、字面だけなら立派である。立派な字面は、たいてい人の心を置き去りにする。幹夫は立派なものに置き去りにされるのが嫌で、だからこそ、立派なものの近くをうろつく。いかにも青年らしい矛盾である。

 松林に入ると、匂ひが変つた。 松脂の匂ひ、乾いた砂の匂ひ、潮の匂ひ。匂ひが増えると、頭の中の言ひ訳が少し黙る。言ひ訳が黙るのは助かるが、その代り、胸の内の本音が顔を出す。これがまた扱ひにくい。

 人は多かつた。 家族連れが、修学旅行らしい一団が、カメラを持つた中年の男が、皆それぞれの「名所らしい顔」をして歩いてゐる。幹夫は、その名所らしい顔に混るのがどうにも苦手で、わざと歩調を落とし、松の幹の陰へ身を寄せた。 ――観光客のふりをするのは、案外疲れる。 そのくせ、観光客を馬鹿にすることだけは、疲れない。疲れないところが我ながらいやらしい。

 「羽衣の松」と書いた札の前には、人だかりが出来てゐた。 誰かが「天女がね」と説明してゐる。子どもが「ほんと?」と言つてゐる。母親が「ほら、写真撮るよ」と言つてゐる。 幹夫はそこで、ふと、冷たい笑ひが出かけた。伝説を写真にする――その軽さが、いかにも現代である。現代を笑ふのは簡単だが、笑つたところで、幹夫も同じ現代の靴を履いてゐる。靴を履いてゐる以上、砂は入る。

 幹夫は人だかりを避け、砂浜の方へ出た。 松林を抜けると、急に空が広がる。海がひらける。波の音が、近くなる。 そして富士山が――見えるはずだつた。

 見えた。見えたには見えたが、今日は霞がかかり、輪郭がふんはりとしてゐる。 幹夫は、これに少し救はれた。富士が完璧だと、こちらも完璧に感動せねばならぬ気がする。霞んでゐれば、感動も霞んでよい。霞んだ感動は、翌朝腐りにくい。幹夫の幸福論は、つまるところ、腐らぬ程度に喜ぶ、といふあたりに落着くらしい。

 砂浜の端に、木のベンチが一つ置いてあつた。 幹夫はそこへ腰を下ろし、潮風を吸ひ込んだ。風は冷たく、しかし嫌な冷たさではない。冷たさが正確だ。正確なものは、嘘をつかぬ。

 そのとき、足元で、ころり、と何かが転がつた。 見ると、小さな貝殻を入れた透明の袋が落ちてゐる。袋の口が少し開いて、貝が一つ、砂に転げてゐる。 幹夫は、反射的に拾ひ上げた。拾ひ上げてから、誰のだらうと辺りを見回した。

 少し先で、小さな女の子が、涙をこらへた顔をしてゐる。 母親が「どこで落としたの?」と訊いて、父親がスマホを見ながら「さつき写真撮つたとこだよな」と言つてゐる。 女の子の両手は、空になつてゐた。その空っぽが、妙に痛々しい。子どもの空っぽは、すぐ世界の終りになる。

「……これ、落としました?」

 幹夫が袋を掲げて声をかけると、母親がぱつと振り向いた。

「あっ、それです! すみません、ありがとうございます!」

 女の子が駆け寄つて来て、袋を受け取り、胸に抱いた。 抱き方が、真剣である。貝殻一つで真剣になれる年齢が、幹夫には羨ましかつた。大人は何を失つても「まあいいか」の顔を作る。その顔を作るうちに、本当に「まあいいか」になつて、何も残らなくなる。

 母親が、礼を言ひながら言つた。

「よければ……写真、お願いできますか」

 来た、と幹夫は思つた。観光地の儀式である。 儀式は苦手だが、断るのもまた面倒である。面倒といふ理由が先に出るあたり、幹夫はまだ自分が好きになれぬ。しかし、今日はその面倒を、少しだけ引き受けてみる気になつた。清水港の男が言つた「顔を近づける」といふ言葉が、どこかで残つてゐたのだらう。

「はい」

 幹夫はスマホを受け取つた。 画面には、松と海と、霞んだ富士が入る。家族が並ぶ。父親は少し照れてゐる。母親は笑顔を作る。女の子は貝袋を持つて、まだ涙の跡が残つてゐる。 幹夫は、その涙の跡が写るのを、なぜだか避けたくなつた。悲しい顔で残る写真は、あとで見返すと胸が痛む。痛む写真は、家族のアルバムに似合はぬ。似合はぬものは、なるべく撮らぬ方がよい。

「すみません、ちょつとだけ……もう少し右に寄つた方が富士が入ります」

 幹夫は、自分でも驚くほど自然に言つた。 自分がこんなふうに指図をするのは、珍しい。指図は嫌はれるかもしれぬ。嫌はれるのが怖い。だが今、彼は「いい写真にしたい」と思つてゐた。思つてゐたから、怖さが少し小さくなつた。

 家族は素直に動いた。 幹夫は膝を少し曲げ、角度を変へ、松の幹の線が家族の後ろで邪魔にならぬ位置を探した。富士の霞が、ちやうど家族の頭上に柔らかく乗るやうに。海の白い光が、画面の端で暴れぬやうに。 ――結局、幹夫は、何かに真剣になるのが嫌ひではない。真剣になつた後で、それを笑はれるのが怖いだけなのだ。

「いきます」

 シャッターを押す。 カシャ。

 母親が画面を覗き込んで、声を上げた。

「わあ……きれい! すごい、上手ですね」

 上手、と言はれて、幹夫は照れた。 照れるが、今日は逃げの冗談を言はなかつた。上手と言はれて、ただ「ありがとうございます」と言へるぐらゐの余裕が、潮風の中に生まれてゐた。

 女の子が、幹夫の方を見上げて言つた。

「おにいさんも、いっしょに、うつって」

 幹夫は、ぎくりとした。 一緒に写る。 観光の輪の中へ入る。 名所らしい顔をする。 それが、急に恥づかしい。

「いや、僕は……」

 と言ひかけたところで、女の子が袋を胸に抱へたまま、にこつと笑つた。 その笑ひが、あまりに正直で、幹夫の拒む言葉を、砂に埋めてしまつた。正直な笑ひの前では、斜に構へる方が野暮になる。

「……じゃあ、一枚だけ」

 幹夫は、負けたやうに言つた。 だがこの「負け」は悪くない。青葉おでんの湯気や、港の値切りのやうに、悪くない負け方がある。負け方が悪くなければ、勝ちも案外やさしくなる。

 父親がスマホを受け取つて、今度は幹夫を真中に入れようとした。 幹夫は慌てて端へ寄つた。端へ寄つたところで、女の子が幹夫の袖を引き、「ここ」と立たせた。 幹夫は、久しぶりに、写真の中で笑つた。笑ひは上手ではない。だが、上手でない笑ひの方が、今日は似合つた。

 カシャ。

「ありがとうございました!」

 母親が深く頭を下げた。父親も「助かりました」と言つた。女の子は小さく「またね」と言つた。 またね、といふ言葉を、幹夫はしばらく胸の中で転がした。約束ではない。責任でもない。ただ、またね、といふ軽い未来である。軽い未来は、腐りにくい。

 家族が去つたあと、幹夫は砂浜をゆつくり歩いた。 松林の影が、さつきより柔らかく見える。波の音が、さつきより明るく聞こえる。富士の霞が、さつきより優しい。 景色が変つたのではない。幹夫の目の角が、少しだけ取れたのである。角が取れると、世界は手触りが良くなる。

 帰り際、土産物の小さな店で、幹夫は絵葉書を一枚買つた。 三保の松と、霞んだ富士が刷つてある。完璧な富士ではない。今日の富士に似てゐる。 彼は絵葉書の裏に、誰宛でもないやうで、しかし誰かに届くやうに、短く書いた。

  「今日は、笑つてしまつた。」

 それだけで充分だ、と幹夫は思つた。 羽衣伝説のやうな大きな物語は持てなくても、貝殻袋と写真一枚で、人は少し軽くなれる。 桜の影が軽いのと同じで、松原の午後も、案外軽い。

 松林を抜けると、観光客の声がまた近づいた。 幹夫は、その声を嫌はなかつた。嫌はぬふりではなく、嫌はなかつた。 負けたからである。子どもの「いっしょに」に負けて、笑つてしまつた。笑つてしまへば、今日のところはそれで勝ちである。

 バス停へ向かふ足取りは、来る時より少し軽かつた。 幹夫青年は三保の松原で、羽衣を見たのではない。 自分の肩にかかつてゐた、重たい外套を、ほんの少し脱いだだけである。 それが、午後の終りにふさはしい、明るい結末であつた。

 
 
 

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