光の川(長編)
- 山崎行政書士事務所
- 5月26日
- 読了時間: 40分

―イエローストーン国立公園にて―
第1章 裂け目の向こうへ
羽田空港を発つ前夜、幹夫は自分の手の中のスケッチブックを見つめていた。最後のページに描かれたのは、ビルの谷間からわずかに見える灰色の空と、交差点に立ち止まった人々の後ろ姿だった。描きかけたままのその絵には、どこかしら自分の疲弊した日常が滲んでいて、彼の筆もそこから先に進もうとはしなかった。
二十三歳。
高校時代からひたすら絵を描き続けてきた。大学では油彩を専攻し、東京の芸術大学を首席で卒業した。卒業制作では教授陣の推薦を得て、都内のギャラリーに展示されることになった。人々はその作品を「完成されている」と言った。けれども幹夫自身は、なにかが空っぽだと感じていた。
「手応えがないんです」
そう言ったとき、ギャラリーのディレクターは首をかしげた。「売れているのに?」という意味がその表情に浮かんでいた。幹夫には、売れることが嬉しくなかったわけではない。だが、キャンバスに向かう時間が、次第に「締切と評価のため」へと塗り替えられていくことに、じりじりとした焦燥感を覚えていた。
絵の中に、自分がいない。
そう気づいたのは、深夜のアトリエで、ふと指先が震えたときだった。
彼は筆を止め、そのまま制作をやめた。
それから半月後、幹夫はアメリカ行きの片道航空券を手にしていた。目的地は、イエローストーン国立公園。
写真集で偶然目にした、グランド・プリズマティック・スプリングの彩色と、ロウアー滝の垂直な落差に、彼はなぜか深い引力を感じた。
この目で、あの裂け目を見てみたい──。
そんな思いが、皮膚の内側を這うようにして、自分を押し出していった。
画材は最小限。A4サイズのスケッチブック3冊と、12色の色鉛筆、数本の筆と小瓶の水彩。あとは古い単眼望遠鏡と、10年前に買ったカメラ。アトリエの鍵を母に預け、郵便物の転送も止めた。
「しばらく帰らないと思う」
そう言ったとき、母は少し驚いた顔をしたが、口に出して反対はしなかった。ただ、「風邪をひかないように」とだけ言って、祖母が使っていた古いウールのマフラーをバッグに押し込んだ。
成田を出てから、ミネアポリスを経由し、アイダホフォールズへ着いたのは約二十時間後のことだった。さらにレンタカーで、幹夫は北東の山道を三時間走り、ようやくゲートの標識が見えた。
Yellowstone National Park。
白く乾いた標識の文字が、どこか記号のように感じられた。目の前にあるのに、それが「本当に自分が向かっている場所だ」という実感はなかった。地図の中の点が、風景として立ち上がるには時間がかかるものだ。
最初の宿は、ラマー・バッファロー・ランチという環境教育施設だった。長期滞在型の野外プログラムに申し込み、空きのあるログキャビンを一部屋借りることができた。電気と簡単な暖房はあるが、シャワーは共用、水は氷のように冷たい。周囲にはスーパーもコンビニもなく、最も近い商店まで車で一時間。だが、幹夫はそれを「失うこと」とは思わなかった。
それよりも彼の胸を満たしたのは、夜明け前の静けさだった。
初日の朝、まだ月が山際に残る頃、彼は小さな散歩に出た。宿舎の裏を抜けるとすぐに、ラマー川の支流がゆっくりと蛇行している。岸辺には霧が立ち込め、草原に朝露が濃く降りていた。
鳥の声もない。風の音もない。ただ、川が、少しだけ音を立てていた。
幹夫は、手にしていたスケッチブックのページを一枚めくった。何かを描こうとしたが、鉛筆は空中で止まったままだった。何を描いていいか分からなかった。
だが、立ち去ることはできなかった。
そのまま四十分、彼は川の音と霧の変化だけを見つめていた。
何も起きない。ただ、時が流れていた。
そしてふいに、川の先に、大きな影が現れた。
バイソンだった。
それも一頭ではない。三頭、五頭、十頭……草を掻き分けて、黒く、どっしりとした身体が移動してくる。朝霧を切って、その姿が浮かび上がるたび、幹夫の胸の奥に不思議な熱がこみあげた。
重さと静けさ。
この地には、すべてのものが、あるべき場所にある。
バイソンの大きな目が、一瞬、幹夫を見た。
だがすぐに視線をそらし、再び草を食み始めた。
幹夫は息を吐いた。肩の力が抜けた。
「……ようこそ、ということか」
自分でもなぜその言葉を呟いたのか分からなかった。ただ、少しだけ、東京で感じていた「押し返される感じ」が、ここにはなかった。
幹夫は、ようやく鉛筆を手に取り、紙の上に最初の線を引いた。
第2章 川の言葉
朝と夜の境目が、ここでは驚くほど長く感じられる。
日本では、陽が昇るとすぐにまぶしく、夜が来ると一瞬で沈むような、そんな時間の切り替わりだった。だがイエローストーンでは、太陽が東の稜線に顔を出すまでに、永遠にも思える静寂が空に漂っている。
幹夫は、毎朝その境目の中に立っていた。ラマー川の支流に沿った道を歩き、バイソンたちが昨日と違う位置に群れているのを確認しながら、川岸に座る。そこには倒木があり、ちょうど人一人が背を預けるにはよい角度の斜面があった。
幹夫は、言葉を失うことに慣れ始めていた。
ここでは、沈黙が会話だった。風が木の葉を揺らし、遠くで鳥が一声鳴くだけで、その場が満たされる。日本にいたときは、無言でいることが居心地の悪さだった。だが今は、音を出さないことでしか味わえないものがあると、ようやく気づきはじめていた。
その日、彼は川にスケッチブックを落とした。
ふと立ち上がったとき、膝に置いていたスケッチ帳が滑り、草を抜けて川の中へと転がった。ページが水を含み、ゆっくりと沈んでゆく。
幹夫は咄嗟に飛び込もうとしたが、足が止まった。
水の中で、スケッチの線がにじんでいく様を、なぜか目を離さずに見てしまった。
青く塗った空が、滲んで川の流れと溶けていく。
灰色の岩が、水の中でやわらかく波打つ。
そして、バイソンの輪郭も、ゆっくりとほどけ、流れに乗っていった。
紙が川底に沈みきった頃、幹夫はようやく足を進めた。
膝まで水に入って、紙を拾い上げた。重く、水を吸ったその束は、もう使いものにならないかもしれなかった。
けれども、紙の中にあった線は、柔らかく、流れるように変わっていた。
その夜、彼は部屋に戻り、ストーブの火のそばで濡れた紙を一枚ずつ乾かした。にじんだ色が乾くにつれて、思いもよらない模様を作り出していた。
それは、最初に描いた意図など、どこにも残っていなかった。
けれども──
「これが、本当の意味で“自然と描いた絵”なのかもしれない」
幹夫は、静かに呟いた。
紙を乾かす手を止め、彼はその中の一枚を見つめた。
それは、ラマー川の岸辺の風景を描いた絵だったはずだった。
だが、にじみの中でそれは、どこか夢のような、あるいは彼の内面をなぞるような、知らない場所に変わっていた。
風景を描いたつもりが、自分の心の川を描いていたのかもしれない。
翌朝、幹夫は川を歩いた。
新しいスケッチブックを持たずに、ただ、歩いた。
昨日まで気づかなかった音があった。
水の音。バイソンが草を噛む音。鳥が枝を渡る羽ばたき。
それらすべてが、彼に向かって、何かを語りかけているように感じられた。
幹夫は小さな石を拾った。平らで、滑らかな石。
それをポケットに入れ、歩き続けた。
水に絵を返したことで、自分もまた、何かを川に預けたような気がしていた。
失ったように見えて、むしろ、それでようやく始まった。
第3章 黄の渓谷
十月の始まり、風の肌触りが変わった。
空は澄みきり、木々の葉が日に日に色づいていく。白樺やアスペンが黄金色に染まり、その下では短い夏を惜しむように、リスたちが忙しなく走り回っていた。
幹夫は北から南へと車を走らせていた。目的地は、イエローストーン川が刻んだ大峡谷――グランドキャニオン・オブ・ザ・イエローストーン。
かつて写真集の中で目にした、あの断崖、あの滝。
だが幹夫は、それを“実物として”目にする心の準備が、まだできていなかった。
ラマーバレーの草原にいたときの静寂と、これから対峙するものとは、質が違う気がしていた。
前者が「包み込まれる静けさ」ならば、峡谷は「裂かれる沈黙」だ。
自分の中にある何かが、音もなく断ち切られる予感があった。
駐車場に車を停め、遊歩道を歩き始める。谷底から吹き上げる冷たい風が、幹夫のコートの裾をはためかせた。
空気が、明らかに違った。
背後から聞こえる人々の足音や話し声が、風にかき消されていく。
それはまるで、峡谷そのものが、訪れる者の「音」を吸い取ってしまうかのようだった。
数分歩くと、展望台が開けた。そこには、幹夫の記憶を超える世界が広がっていた。
谷は、まさに「黄」だった。
だがそれは単なる黄色ではなかった。
焼きついたような黄土。赤味がかった橙。煤けたクリーム。焦げ茶色の影。
幾万年という時間が、幾層にも塗り重ねられた「大地のパレット」が、そこにあった。
そして谷の奥。
ロウアー滝が、白く轟いていた。
落差九十メートル以上。川が地面を突き破って、そのまま空に向かって逆流するような力強さがあった。
水が、落ちているのではなく、「落ちることによって上っている」と感じた。
幹夫は、足を動かせなかった。
「描けない」
そう思った。
構図が定まらない。色が拾えない。形がつかめない。
自分が何を描こうとしていたのかすら、分からなくなっていた。
何分経ったのか。
幹夫は、鞄から小さなノートを取り出し、ゆっくりとペンを走らせた。
そこに描いたのは、滝ではなかった。谷でもない。
紙の真ん中に、小さな丸を描いた。
それは、朝の霧に煙るバイソンの瞳に見えた。
あるいは、川に沈んだ自分のスケッチブックの円環のにじみ。
その小さな丸の周囲に、色を置いた。
オーカー。焼き朱。月白。群青。
まるで記憶の地層を掘るように、幹夫は色を重ねていった。
彼の中の“黄”は、あの谷の色ではなかった。
“黄”は、これまで自分が目を背けていたものの象徴だった。
安易な成功。承認への渇望。描けない日の自分。評価されるための「構成」。
それらすべてを、峡谷は突きつけてきた。
「お前は、それでも描くのか?」
風がそう語りかけているようだった。
幹夫は、自分の描いた“丸”の上に、淡い光の線を一本、引いた。
それは谷底から滝を通って空に向かう、あの水煙の線だった。
その線を描いた瞬間、幹夫は、ふいに涙が溢れるのを感じた。
「描く。俺は……描く」
声にはならなかった。
けれども、その言葉が胸の底から浮かび上がってきたとき、ようやく筆が、紙と同じ呼吸を始めた。
第4章 ドラゴンズマウス
風が乾いていた。谷を離れた幹夫は、再び車を走らせ、公園の南部に位置する「マッド・ボルケーノ地区」へと向かっていた。
この辺りには、地熱地帯が集まっている。
土壌は粘土質で、草木は少なく、地表のいたるところから湯気が立ち昇っていた。温泉や間欠泉、泥の池、熱水の穴──そのすべてが、地下の熱と地上の空気とがぶつかり合い、生まれているものだった。
「ドラゴンズマウス・スプリング(竜の口の泉)」
案内板にそう書かれていた。
幹夫は、まるで寓話の一節に触れるような気持ちで、遊歩道を歩いていた。
すると、すぐに、湿った硫黄の匂いが鼻をついた。
その先に、岩の裂け目があり、そこからごうごうと音を立てながら、白い蒸気が噴き出していた。
まるで、地下に棲む生き物が、今まさに息を吐いているようだった。
泉の奥から、低いうなり声のような音が断続的に響いてくる。
「……これは、呼吸の音だ」
幹夫は直感的にそう思った。
地面が、生きていた。
かつて、この泉には先住民たちの伝説があったという。
「火の神が眠る場所」「水の神が目覚める口」。
この場所に近づくとき、ショショーニー族の祈祷師たちは、必ず火を焚き、頭を地に伏せ、息を整えたという。
幹夫は、泉の前にしゃがみこんだ。
噴き出す蒸気の先、泉の奥が黒くぽっかりと口を開けている。
その奥から響く音が、胸の奥を震わせた。
不安。恐れ。怒り。焦燥。
何かが、自分の奥底から浮かび上がってくるのを感じた。
──お前は、本当に描きたいものを、描いてきたのか?
そう問いかけられた気がした。
幹夫は、思わず目を閉じた。
――あの個展、あの賞、あのポスター。
どれも、他人の評価のためだった。
誰かの承認を求めるために、形を整え、色を選び、光を演出した。
けれど、そのたびに、何かが剥がれていった。
「お前は、誰の絵を描いていた?」
噴き上がる蒸気が、その言葉を包み込むように白く濁らせた。
幹夫は、震える手でスケッチブックを開いた。
だが、紙の上には何も描かなかった。
かわりに、ページの真ん中に指を押しあてた。
その指先に、泉の蒸気が触れ、紙がわずかに濡れた。
そして、そこから、にじむように、色が生まれた。
幹夫は、絵の具を一切使わず、その「にじみ」を見つめた。
それは、意志ではなく、自然と偶然が生んだ模様だった。
けれど、そこには確かに、自分がいた。
風が吹き、蒸気が一瞬、途切れた。
泉の奥が見えた気がした。
その暗がりの中に、幹夫は、過去の自分を見た。
描けなくなった日の自分。
筆を折りそうになった夜の自分。
評価されるために嘘を塗った、自分の絵。
彼は、そっと紙を閉じた。
この絵は、誰にも見せない。
これは、自分のための記憶。
ドラゴンの息吹を、そのまま封じた絵。
帰り道、幹夫は風を感じながら歩いていた。
地熱のあたたかさが、まだ皮膚に残っていた。
その温度が、彼にとっての「火」だった。
描くということは、自分を燃やすこと。
けれど、燃え尽きるのではなく、熾火を残すことだ。
それが、表現の芯にある「声」なのかもしれない。
夜、宿に戻った幹夫は、焚き火の前でマフラーを巻き直しながら、しばらくじっと、闇を見ていた。
風の音が、かすかに「ごう」と鳴った。
あの泉と同じ音だった。
そして、彼は微かに笑った。
「……今夜は、眠れそうだ」
第5章 語りの森
ラマーに初雪が降った。
谷の地面にまだ緑の草が残っているうちに、空から白い粒が舞い降りてくる。
風は冷たく、けれど澄んでいた。地上の色を洗い流すように、空気の粒子そのものが透明だった。
幹夫は再び北東のラマーバレーへ戻ってきていた。
地熱地帯の強い光と音を浴びたあと、静けさの中に身を浸したくなったのだ。
バイソンはすでに南へ移動を始めており、草原は不意に広くなっていた。
地面には踏みならされた跡が幾筋も残っていて、まるで一冊の書物のページをめくるようだった。
誰がそこを通ったのか、どんなふうに、どんな時間に。
その夜、幹夫は偶然、語り部と出会った。
ラマーの環境教育施設では、年に数度だけ、**Tribal Night(部族の夜)**と呼ばれるプログラムが開催される。
近隣に住む先住民の末裔が、キャンプファイヤーの場に招かれ、イエローストーンにまつわる口承を語る夜だった。
その夜、招かれたのは、グロヴァントラ族の老爺だった。
名を聞いても、それは「風のまにまに語るもの」という意味にしか聞こえず、幹夫にはうまく聞き取れなかった。
老人は、毛布のようなコートを羽織り、白いひげを胸まで垂らし、火の前に静かに座った。
話すとき、彼は目を閉じていた。言葉は、彼の中からではなく、火の揺らぎや木々のざわめきから生まれているように見えた。
「イエローストーンは、裂かれた大地の名。
かつて空と地のあいだに生まれた子どもが、母なる火と父なる水に引き裂かれ、
その叫びが川になり、その眠りが谷になった──」
語りは、物語というより、詩だった。
けれど、そこには幹夫が知らなかった“もうひとつの風景”があった。
岩は石ではなかった。
それは、祈りが化けたものだった。
間欠泉の噴き上げは、神が怒っているのではなく、涙を流しているのだ、と老人は言った。
幹夫は焚き火の後ろで、ただ黙って聞いていた。
理解する言葉は少なかった。
だが、語りの合間に、風が吹き抜けるたび、何かが身体の中を通り抜けるのを感じた。
語りのあと、彼は一人で星空の下を歩いた。
地面は白く霜が降りていた。風が、低い声で語るように吹いていた。
幹夫はふと、絵筆を持たずに絵を描きたくなった。
言葉で描く絵、音で描く絵、沈黙で描く絵──。
翌朝、彼はノートに絵ではなく、形のない線を描いた。
風の音を、ぐるりと囲うように。
炎の揺れを、ひとつの線で表すように。
バイソンの歩みを、太さで表現するように。
絵ではない。だが、絵でもあった。
幹夫はようやく気づいた。
「形にしなくても、伝えられることがあるんだ」
その気づきは、彼にとって大きな変化だった。
東京にいた頃、幹夫は“伝えるために形を決めていた”。
構図を練り、色を選び、説明ができる絵を描こうとしていた。
だが、いま、ここでは違う。
描くということは、誰かに「伝える」ことではなく、
「今ここに、感じていたことがあった」と、
ただ、それを残すことなのかもしれない。
その日、風はあたたかかった。
雪は昼にはとけ、草地にほんのわずかに湿った土の匂いが戻ってきていた。
幹夫は、ノートの余白に小さく書いた。
第6章 カットスロートの谷
小さな川沿いの遊歩道を、幹夫はゆっくりと歩いていた。
川幅は狭く、水は浅く、冬の気配が濃くなった空の下でも、その流れは驚くほど透明だった。
地元の研究者が言っていた言葉を思い出す。
「この川を遡る魚がいる。
カットスロート・トラウト。
在来種で、首に“切り傷”のような赤い線がある。
だからその名があるんだ」
遡上。
魚が、自分の生まれた場所に戻る旅。
その旅路は、命の終わりと始まりを内包している。
その日、幹夫は魚を見るために、イエローストーン川中流の観察小道に向かっていた。
地元の保護団体が整備した木製の遊歩道が川に沿って続いている。
秋の終わりでも、冷たい水に入る覚悟さえあれば、運がよければその姿を見られるのだという。
観察小屋の影に、釣り竿を持った老夫婦がいた。
網ではなく、ノートと鉛筆だけを手にして、椅子に座っている。
幹夫が挨拶すると、彼らは微笑んでうなずき、静かに川を指さした。
川の中に、小さな影がいくつも揺れていた。
最初は水のゆらぎにしか見えなかったが、幹夫の目が慣れてくると、それが魚の体であることに気づいた。
魚たちは、遡っていた。
浅瀬を這うように、頭を上流に向けて進んでいた。
大きな音も跳ねる姿もない。
ただ、じっと見つめていなければ気づかないような静かな推進力で、彼らは前へ進んでいた。
「生きるって、こういうことなのか……」
幹夫はつぶやいた。
力を入れて、跳ねて、爆発するような生ではない。
流れに逆らいながら、少しずつでも、確実に前へ。
その動きが、自分の絵のことと重なった。
東京にいたとき、自分の筆は何を“掴もう”としていただろうか。
速さ、鋭さ、目を引く構図――
だがそれは、誰かに見せるための足掻きだった。
この川の魚たちのように、誰にも見えずとも、進むだけの命がある。
その線を、幹夫は、まだ一度も描けていなかったのではないか。
ノートを開き、幹夫は魚の姿をなぞった。
いや、魚の「動き」だった。
静かに、揺れ、進み、すこし後退し、また前に出る。
その軌跡を、線でなぞる。
色を乗せる。
けれども、魚の体色ではなく、川の音の色を塗った。
風に揺れる草の光を滲ませた。
ページの上に、1匹の魚が生まれた。
名も知らぬ魚。
だが、それは、幹夫の中で何かを象っていた。
自分自身。
いや、もっと深い、**自分の中でまだ名を与えられていない「旅」**そのもの。
老夫婦が立ち上がり、会釈をして去っていった。
幹夫は手を振ったあと、彼らの歩いていく背中をしばらく眺めた。
夫婦の距離は、ずっと変わらなかった。
まるで2匹の魚が、流れの中で同じ速さで進んでいくようだった。
夕陽が川面に差し込んでいた。
赤く光る波紋が、魚の背を照らしていた。
ふいに幹夫は、その赤い線を見て、はっとした。
喉を切り裂かれたような、その痕。
それは、痛みではなく、証だった。
どれほどの流れを越えてきたか。
どれだけの岩をかわし、どれほどの寒さを越えてきたか。
それを刻んでなお、魚は泳いでいる。
幹夫は、その夜、ノートの裏表紙にこう書いた。
──切り傷が、命の紋章になることもある。
第7章 白い鏡
空が、地面に降りてきたようだった。
それが、幹夫がイエローストーン湖に初めて立ったときの、最初の印象だった。
波はなかった。風もなかった。
ただ、湖面が一枚の白い鏡のように、空をそのまま映していた。
標高二千三百五十メートル。
イエローストーン川の源流であり、この広大な湖が、あの滝へと続いているとは思えなかった。
静かすぎて、むしろどこか「はじまり」と呼ぶには似つかわしくないような、終点のような場所だった。
幹夫は、湖畔の遊歩道を一人で歩いた。
足元には浅い砂浜が続き、小石がちらほらと転がっていた。
岸辺のヤナギの影に、1羽のオオハクチョウが静かに立っていた。
羽根は白く、すべての色彩を拒むように、ただ光を吸い込んでいた。
「白って、何の色だろうな……」
幹夫は、独り言のようにつぶやいた。
キャンバスの白。
描き始める前の、空白。
それは、いつも恐怖だった。
何を描けばいいか分からない。
線を引くことは、間違いを生む可能性を引き受けることだった。
だが、今、湖の前に立ってみると、その白は、余白ではなく、完成に近かった。
空も、雲も、山も、すべてを映して、なお、静かだった。
幹夫はベンチに座り、スケッチブックを開いた。
だが、筆を取らなかった。
描かなくてもいい、と初めて思えた。
描くことは、ただ「記録」ではない。
見つめること自体が、すでに描くことに近づいている。
湖の中央、視線の遠く、雲が裂けて陽が差した。
その光が、湖面に一本の道のように降りてきた。
幹夫は立ち上がり、靴を脱いで、素足で水際まで歩いた。
水は冷たかった。だが、刺すような冷たさではなかった。
掌で水をすくった。
その水に、自分の顔が映った。
だが、風が吹くと、すぐにかき消えた。
幹夫は、ひとつ深く呼吸した。
そして、ポケットから、1枚の紙片を取り出した。
それは、数日前に描いた、魚の絵だった。
にじんだ線と、川の音を写したような色。
旅の途中、幹夫が自分の「はじまり」に近づいた感覚を得た一枚だった。
幹夫は、その紙を水にそっと浮かべた。
風がそれを少し押し、紙は湖の方へゆっくりと流れていった。
やがて、水面に吸い込まれるように、沈んでいった。
彼は、何かを手放した気がした。
名残や後悔ではなく、
「これでいい」という納得のようなものだった。
誰かに見せるためでもない。
誰かの評価のためでもない。
この旅で出会ったすべての風景が、自分の中にしみこんでいる。
それで十分だった。
夜、幹夫は湖畔の宿に戻り、暖炉の前でひとつの絵を描いた。
それは、あの湖ではなかった。
あの空でもなかった。
けれど、確かに「そこにいた自分」の絵だった。
構図はなかった。
ただ、筆が動くままに、風の記憶、光の温度、水の重みを描いた。
描き終わると、紙には一本の光の道が残っていた。
幹夫は、その道に、自分の名前を添えた。
それは初めて、「名前を書いてもいい」と思えた作品だった。
彼の中で、何かが静かに始まっていた。
湖が鏡ならば、そこに映るのは、これから向かう“もうひとつの旅”だった。
第8章 オールド・フェイスフル
オールド・フェイスフル──
その名は、どこか寓話めいていた。
幹夫が初めてその名を聞いたとき、「忠実な老人」という意味が不思議に思えた。
しかし間欠泉が、何十年、何百年という時を越えて、同じように噴き上がり続けるというその性質を知ると、その呼び名が急に胸に迫ってきた。
宿を出てからおよそ十五分。
木道をたどっていくと、周囲がひらけ、白く乾いた地表の中央に、円形のくぼ地がぽっかりと空いていた。
その周囲には、観光客たちが集まっていた。
誰もが噴出の瞬間を待っていた。
幹夫もその輪に加わり、岩に腰を下ろした。
静寂だった。
時刻は午後三時。案内板には「3:12 PM 予想」とだけ書かれていた。
ふと、隣にいた少年が父親に訊ねていた。
「お父さん、間欠泉って、何で噴き上がるの?」
父親は答えた。
「地下に熱いマグマがあって、そこに水が入るんだ。
水は加熱されて、すごく高温の蒸気になる。
けど、その蒸気が逃げ場を失うと、やがて圧力に耐えきれなくなって──
どかん、って噴き上がる」
その説明を聞きながら、幹夫は自分の胸の奥を思った。
絵を描くとき、自分はどれほどの「蒸気」を溜めているのだろう。
どこに、それを逃がせばよかったのだろう。
描きたい衝動。
描けない不安。
誰にも見せられない絵。
誰かに見せたくて仕方なかった過去。
そのすべてが、自分の内側で、音もなく圧を高め続けていたのかもしれない。
時刻は3:11。
幹夫は無意識に立ち上がっていた。
空がわずかに陰り、雲が流れ、木々が風に鳴った。
3:12。
間欠泉の中央から、ぶくぶくと泡が立った。
そして、次の瞬間──
水柱が、空へ向かって突き上がった。
轟音。
白い水しぶきが、一直線に天空を裂いた。
高さは三十メートルを超えていた。
風に乗ってしぶきが揺れ、太陽の光を受けて虹をつくった。
幹夫は息を飲んだ。
それは自然の爆発ではなかった。
規則に従った、信仰のような「繰り返し」だった。
この場所において、数時間おきに決まって行われる、熱と水と大地の“呼吸”だった。
少年が拍手をしていた。
人々がスマートフォンを掲げていた。
幹夫は、スケッチブックを開いた。
絵を描くつもりではなかった。
ただ、筆を紙に置き、滲ませた。
その滲みが、水柱のように中央から放射状に広がった。
描こうとしなくても、筆が勝手に動いていた。
何度も、何度も、失敗してきた。
途中でやめた絵も、破り捨てたキャンバスも。
けれど、幹夫は気づいた。
自分の中の「オールド・フェイスフル」は、ずっとそこにいたのだ。
間欠泉の噴出が終わり、白煙が風に解けていく。
幹夫の中に、ひとつの言葉が生まれた。
「描きたいと思ったとき、それはすでに噴き上がっていたんだ」
抑えることも、偽ることも、できないもの。
それが本当の“衝動”であり、“祈り”だった。
その夜、幹夫は宿の机に向かい、筆を走らせた。
テーマもなく、構図も決めず、ただ、内から噴き出る線を描いた。
紙の上には、幾筋もの飛沫があがり、それがやがて、一本の川に繋がっていった。
光の川だった。
第9章 凍てつく野の遠吠え
ラマーバレーに、冬が本格的にやって来た。
白い。すべてが白かった。
見渡す限りの雪原に、空から舞い降りる雪が音もなく降り積もり、境界がすべて失われていた。
空と地面の区別さえ、視線を長く置くほどに溶けていく。
幹夫はラマー・バッファロー・ランチに再び滞在していた。
夏には草原だった地は今、広大な凍土となり、足を一歩踏み出すごとに、ぎゅっ、ぎゅっ、と雪がきしむ。
夜明け前の気温はマイナス二十度を下回っていた。
宿舎の壁には断熱材が施されていたが、寝袋の中にまで寒さが染み込んできた。
それでも幹夫は、あの“白の沈黙”の中に、自分の鼓動が少しずつ定まっていくのを感じていた。
その朝、幹夫は望遠鏡を抱えて谷へ向かった。
目的は、オオカミだった。
冬のラマーバレーは、世界でも有数の野生オオカミの観察地として知られている。
グレイウルフ──灰色の毛皮を纏った群れの捕食者。
時に孤独に、時に群れで、雪原を音もなく渡っていく彼らの姿に、幹夫はなぜか強く惹かれていた。
朝六時、まだ薄暗い中で、彼はレンジャーとともに双眼鏡を構えた。
遠くの尾根に、黒い影が動いた。
幹夫はその影に目を凝らした。
雪の斜面に、五つの影。オオカミの群れだった。
先頭を歩くのは、ひときわ大きな個体。リーダーか、古参の個体だろう。
彼らは歩いていた。
並んでいなかった。
一定の距離を保ちながら、それぞれがそれぞれの足で進んでいた。
それが、幹夫には美しかった。
「なあ、群れって……こういうものなんだな」
思わず口からこぼれた。
人間の「群れ」は、同調と依存が支配する。
だが彼らは、自立しながら歩いている。
互いの気配を読み、無理に近づかず、離れもせず、
風の中で、それぞれの方向と距離を保っていた。
幹夫はふと、自分のこれまでの制作を思い返した。
誰かに認められようと群れの中に足を踏み入れ、
でも心の奥では、ずっと一匹でいたかったのではないか──
そんな問いが、胸の奥で、雪のように静かに積もった。
そのときだった。
谷に、響いた。
遠吠え。
風を割くような、一本の長い声だった。
高く、低く、どこか哀しみを孕んだ響き。
空に昇り、谷に落ち、聞く者の骨を震わせる。
幹夫は、その場に立ち尽くした。
目の前の雪原では、群れのひとつが遠吠えを放ち、
数秒後、尾根の向こう側から、もうひとつの声が応じた。
対話だった。
声というより、魂の残響。
風が止まり、世界が一瞬凍ったように感じた。
そしてまた、風が動き、雪が舞った。
幹夫はその夜、スケッチブックではなく、白紙のノートを開いた。
鉛筆で、一本の線を描いた。
それは、谷に響いた遠吠えの軌跡だった。
その線は紙の端から端まで届き、さらにページを超えて、幾重にも繋がっていった。
彼はその線に、名前をつけなかった。
けれど、それはまぎれもなく、自分の声だった。
――声をあげていい。
誰かが聞いてくれなくても。
それが空に届かなくても。
それは、存在の証になる。
幹夫は、再び火を焚いた。
薪が爆ぜ、橙の光が壁を揺らす。
ふと彼は、自分のこれまでの絵を思い返した。
その中に、“誰にも聞こえない遠吠え”は、どれだけあっただろうか。
この旅が終わるとき、彼はもう「ひとりではない」のだろう。
描くという孤独の中に、遠くで応えてくれる声を、彼は感じていた。
第10章 凍土のスケッチ
雪が、立っていた。
降っているのではない。
風のない朝、空から舞い降りた雪は地面に根を張ったように動かず、
すべてが止まっているようだった。
幹夫は、手袋を脱いだ。
指先がすぐに凍りつくような寒さだった。
けれど、その冷たさすら、今は筆の一部のように思えた。
前日、レンジャーの案内で谷の北東、風の遮る斜面の岩場にたどり着いた。
その高みからは、ラマーバレーが一望できた。
深い雪の中、黒い点のように見えるバイソンの群れが、ゆっくりと円を描いて移動している。
斜面の向こうには氷で縁取られた川がのび、谷の先には、朝日を受けてわずかに染まった尾根が浮かび上がっていた。
幹夫は、そこで描こうと決めていた。
この地での旅を、一枚に残したいと思った。
構図も、色も、完成も、求めない。
ただ、自分がこの冬を、確かに「ここにいた」という証にしたかった。
スケッチブックを膝に置き、鉛筆を走らせる。
手は冷えきっていたが、芯だけは燃えていた。
筆圧は強くならず、どの線も細く、震え、滲みそうだった。
けれど、幹夫は止めなかった。
雪原の起伏を、ひとつずつ写し取っていく。
空は、白の中の白で描く。
川は、動いていないのに、どこか流れを感じるように、重ねる。
そして、中央に――自分の「声」を置いた。
それは、形のない光だった。
色があるようで、ないような、淡い金のにじみ。
旅の途中で見た、朝焼け。
霧の中のバイソンの瞳。
水に溶けたスケッチ。
間欠泉の飛沫。
オオカミの遠吠え。
それらすべてが、彼の中でひとつの光になっていた。
描きながら、幹夫は泣いていた。
理由は分からなかった。
涙は温かく、すぐに頬で凍った。
でも、それが彼にとって初めての「救い」のように思えた。
このスケッチは、誰にも見せない。
この絵は、彼自身の記憶の核だった。
完成という感覚はなかった。
だが、ふと空を仰いだとき、幹夫は初めて、雲の切れ目に太陽が顔を出すのを見た。
光が谷に降りてくる。
雪の上に、影が動く。
風が、小さく音を立てて吹いた。
幹夫はその光を、画面の右下に、ひとすじだけ加えた。
筆先を止め、手を温め、スケッチブックを閉じた。
絵には、題名をつけなかった。
彼の旅は、まだ終わっていなかった。
けれど、ようやく今、始点に立てた気がした。
谷をあとにする帰り道、雪に覆われた小道の脇で、
1本の木が、雪をかぶりながら立っていた。
その幹はねじれ、枝は風にちぎられたように不揃いだった。
でも、そこに美しさがあった。
幹夫は足を止め、もう一度スケッチブックを開いた。
雪の中、震える手で、その木を描いた。
そして、その枝の先に、小さな光点をひとつ置いた。
その光点が、自分だった。
第11章 マフラーの記憶
幹夫は、ラマーバレーの宿舎の部屋で、荷物の整理をしていた。
イエローストーンに来て三ヶ月。十一月の終わり。
翌日には、ガーディナーからボーズマン空港へ出て、ミネアポリス経由で東京へ戻る予定だった。
部屋の空気は乾いていて、ほんのりと薪の匂いがした。
外は雪。ラマー川は、流れの中央だけがまだ凍らず、岸辺には氷の花ができていた。
幹夫は、スーツケースの底から、ウールのマフラーを取り出した。
それは、出発の日に母が黙ってバッグに押し込んだものだった。
祖母が編んだという、焦げ茶と深緑の縞模様のマフラー。
厚手で、重くて、どこか時代遅れで──でも、やけにあたたかかった。
この三ヶ月、毎日のように巻いていた。
霧の谷でも、間欠泉の噴気の中でも、雪の尾根でも。
風の中で自分をつないでくれていたのは、この古びたマフラーだった。
幹夫は、マフラーを膝に置いて、指で撫でた。
ところどころ、ほつれた糸。
細い毛糸が重なって、束になって、編まれている。
一本では弱いものも、織り重なれば、冬を越えられる。
思い返せば、この旅のあいだ、幹夫は無数の「糸」に出会ってきた。
川の流れ。風の筋。獣の足跡。遠吠えの軌跡。
それらが、すべてひとつの絵の中で交わり、編まれていた。
「描くって、編むことなのかもしれないな……」
幹夫はそう呟いた。
そしてふと、母のことを思い出した。
美術大学に進むと言ったとき、母はあまり反対しなかった。
けれど、「ちゃんと生活できるの?」と何度も繰り返した。
あの言葉の裏には、ただの心配だけでなく、母自身の人生の重さがあったのかもしれない。
幹夫は、そのことにようやく気づいた。
自分が描いてきたものは、どこかで「母に見せたいもの」だった。
けれど、それは直接の愛情ではなく、
「僕はこの道でやっていけるよ」と告げるための、遠回しな返答だった。
スケッチブックの最後のページに、幹夫はマフラーの絵を描いた。
写実的ではなかった。
毛糸が風に解けて、空に舞い上がっていくような構図だった。
その中心に、小さな点を描いた。
それが、自分だった。
点は小さい。けれど、ほどけた毛糸が、その点を支えていた。
母の手、祖母の時間、火の前の冬の夜。
描いているうちに、幹夫の頬に、静かに涙が落ちた。
旅の中で、彼は自然と向き合った。
だが今、幹夫は、自分の「根」と向き合っていた。
マフラーを巻いたまま、窓の外を見た。
雪はやんでいた。空に月が昇り、星が広がっていた。
幹夫はその夜、母に手紙を書いた。
「ただいまと言える場所があるから、
僕は、こんなに遠くまで来られたのだと思います。」
便箋の最後に、彼はそっとマフラーの絵を一枚、挟んだ。
第12章 雪解けの音
雪は、まだあった。
だが、その形が少しだけ変わっていた。
これまでの雪は、積もり、覆い、隠していた。
しかし今の雪は、どこか柔らかく、光を通し、溶けはじめているのがわかった。
出発まであと三日。
幹夫は、朝のラマー川沿いを歩いていた。
耳を澄ませると、どこかで「ことっ」「ぽたっ」と、水が滴る音がしていた。
それは、枝先の氷がとけ、雪の重みに耐えていた葉がようやく自重を解く音だった。
小さく、けれど確かに“始まっている”音だった。
水の音が、土の匂いを連れてきていた。
沈黙が、揺れ始めていた。
幹夫はその音を、胸のどこかで懐かしく感じた。
東京を離れてから、日常という言葉を忘れていた。
しかし、今、少しずつ、心の奥にあの生活の気配が戻ってくるのを感じていた。
通勤の電車、夕方のコンビニの明かり、コーヒーの湯気、締切の電話。
それらが、ノイズではなく、“生活の呼吸”として蘇っていた。
ただ、違うのは、幹夫がそれを「受け入れる準備がある」ことだった。
帰ることは、諦めではない。
帰ることは、選び直すことだ。
幹夫は、そう思った。
川沿いの倒木に腰を下ろし、スケッチブックを開いた。
描こうと思ったのは、雪解けではなかった。
「雪解けがもたらす音」だった。
どう描けばいいのか分からなかった。
色は? 形は? 線は?
何も決まっていなかった。
でも、幹夫は筆を取り、迷わずに描き始めた。
紙の左上に、ほそい光の粒を置いた。
それは、滴り落ちる雫だった。
そこから音が広がるように、波紋を描いた。
波紋の中に、これまでの風景の“記憶”を滲ませていった。
ロウアー滝の音。
プリズマティックの蒸気。
バイソンの息づかい。
オオカミの遠吠え。
すべてが、波紋の中で、静かに響いていた。
描き終えた絵は、決して「完成」ではなかった。
だが、そこには“これから”があった。
これまでとは違う筆致。違う呼吸。違う光。
幹夫はスケッチブックを閉じ、川面を見た。
水面には、わずかに春の風が映っていた。
「描ける」
それは、宣言ではなかった。
祈りに近い、肯定だった。
自分は、描き続けていく。
描くことが、自分の生き方であるかぎり、
それは風のように、またやってくる。
雪が解け、土が露わになる。
その下に、ずっと眠っていた命が、光を求めて動き出す。
幹夫の中でも、何かが動いていた。
第13章 光の川
出発の前夜。
ラマーの宿舎は静まり返り、薪ストーブの火だけがかすかに揺れていた。
幹夫は机に向かっていた。
これまで描いてきたスケッチブックを何冊も広げ、その余白をめくりながら、旅の断片を指でなぞっていた。
雪原に残された足跡。
プリズマティックの虹の蒸気。
渓谷の崖にこだまする轟音。
黒い狼の影。
風にちぎれた遠吠え。
水に沈んだスケッチブック。
祖母のマフラーのぬくもり。
それらが、ひとつの線になって彼の中を流れ始めていた。
幹夫は、一枚の新しい紙を取り出した。
画用紙でも、厚手のボードでもない。
あえて選んだのは、少しだけ皺のある、旅の途中で湿らせてしまった古い紙だった。
「この紙じゃなきゃ、描けない気がする」
筆を取り、色を並べ、迷わずに線を引いた。
最初に描いたのは、水だった。
線ではない。動きだった。
ラマー川でも、イエローストーン川でもない。
けれどそれらが“重なった何か”が、紙の中央をすうっと貫いた。
次に描いたのは、空。
グランド・プリズマティックで見上げた空。
雪の夜、星が瞬いた空。
オールド・フェイスフルの蒸気が消えていった空。
その空を、絵の上半分に描いた。
色はつけなかった。
けれど、そこには確かに風の通路があった。
幹夫は描きながら、もう「自分が描いている」と思っていなかった。
手は動いていたが、それは導かれるような感覚だった。
「描かされている──」
筆を握る指が、誰かの声を聴いていた。
あの日、谷で出会った語り部の声か。
それとも、滝の音か。
狼の遠吠えか。
あるいは、雪の重みか。
次第に、画面の中に光が現れた。
色ではなく、空白が光って見えた。
それは川の上に差し込む一本の光芒。
バイソンの群れが通ったあとの草の軌跡。
水面に一瞬だけ浮かんだ魚の鱗の反射。
幹夫は筆を止めなかった。
一度でも止めれば、その流れが切れてしまいそうだった。
描いているうちに、彼は泣いていた。
声は出なかった。
涙は落ち、紙の端をにじませた。
けれど、それすら絵の一部になっていった。
川は絵の中を静かに流れ、
空はそれを映し、
影は少しずつ朝の色を帯び始めていた。
幹夫は、その絵に、ひとつの題を添えた。
「光の川」
それは、旅のタイトルだった。
そして、自分自身の軌跡でもあった。
描き終えたとき、窓の外に朝の気配があった。
雪がやみ、東の空がうっすらと茜に染まっていた。
世界が動き始める音が、聞こえてきた。
幹夫は絵を前に、椅子にもたれ、長く深く、息を吐いた。
「これでいい」
それは完成の言葉ではなかった。
もっと静かで、もっと芯のある、赦しに似た言葉だった。
光はもう、川を流れていた。
彼の中を、流れていた。
第14章 空の道
幹夫を乗せた小型機が、ボーズマンの空港を飛び立ったのは、午前十時ちょうどだった。
冬の晴れ間。風はなく、空には一筋の飛行機雲もなかった。
機体はしばらく地上すれすれを滑るように進んでから、山並みを越えてゆっくりと上昇していった。
窓際の席から、幹夫は外を見ていた。
遠く、白く縁取られた谷が見える。
それは、ラマーバレーだった。
三ヶ月間、彼が立ち、描き、歩いたあの場所が、地図のように縮まって、翼の向こうに広がっていた。
だが、そこにいたときには見えなかったものが、今はよく見えた。
川のうねり。斜面の曲線。バイソンが歩いた道。狼の通り道。
そして、小さなログキャビンと、そこから伸びる一本の足跡。
幹夫は、ふっと笑った。
あれが自分の足跡だと思った。
誰にも見えなかったし、誰に気づかれたわけでもなかった。
けれど、確かに、あの線を辿って彼は旅をしたのだ。
飛行機が旋回し、イエローストーン湖が見えた。
広大な凍った水面。
白い静寂。
その中にぽつりと浮かぶ氷の割れ目が、一本の線に見えた。
「光の川」と名づけた絵の中央に流れていたのも、ああいう線だった。
偶然のようでいて、必然。
沈黙のようでいて、音。
やがて機体は高度を上げ、山の稜線を越えて雲の中に入った。
幹夫の目の前は一面の白に包まれた。
だが、その白は、かつての「怖い白」ではなかった。
描き出す前の余白。
どこに線を引くか分からず、筆を躊躇するような白。
いま目の前に広がる白は、始まりの白だった。
描き出すための布。
旅のあとに、初めて触れられる白。
幹夫は、バッグから一冊のスケッチブックを取り出した。
日本に戻ってから描こうとしていた、新しいシリーズのための準備だった。
表紙を撫でてから、彼はペンを取り、最初のページに線を引いた。
その線は、何かの形ではなかった。
ただ、機体が雲を裂いて進むときにできる、空の道をまねた一本の動きだった。
描いていて、彼は不思議な安心感を覚えた。
どこへ行くのか分からなくてもいい。
誰が見るのか分からなくてもいい。
この線を、今、自分が引いたということ。
それだけで、十分だった。
幹夫は、自分の中にある“描く力”を、ようやく信じることができた。
イエローストーンは、遠ざかっていった。
けれど、その大地はもう彼の中にあった。
色も、風も、音も、光も。
それらは絵の具ではなく、彼の指先の熱として残っていた。
そして彼は思った。
描くとは、生きることの跡を残すことなのだ。
その跡が、空に描かれる飛行機雲のように、
一瞬でも、誰かの心に触れたなら、
それでいいのだと。
幹夫の目には、雲が晴れた先の大地が再び見えていた。
遠く、水平線の向こうに、小さな家々と、うっすらと東京の輪郭。
「ただいま」
彼は、誰に言うでもなく、そっと呟いた。
でもその声には、はっきりとした力があった。
そしてそれは、次の旅の始まりでもあった。
第15章 帰郷
日本の冬は、イエローストーンとは違う冷たさだった。
湿り気を含んだ風。電線に沿って鳴るカラスの声。
東京の朝は、人とビルと車で埋まっていた。
幹夫は、成田から乗り継いだ電車で、そのまま実家のある下町へ向かった。
駅を出ると、低い空の下に、見慣れた路地とアスファルトの匂いが広がっていた。
自動販売機の明かり。傘を持つ通学途中の中学生。
焼き鳥の屋台から漂う甘いタレのにおい。
すべてが懐かしく、けれどどこか遠く感じた。
玄関の引き戸を開けると、母が台所から顔を出した。
「あら……帰ってきたのね」
その言葉には、特別な抑揚も、驚きもなかった。
けれど幹夫は、その言い方に安堵した。
母は、幹夫が“帰る場所”として、この家を守っていたのだ。
夕飯の後、母が言った。
「痩せたけど、いい顔になったわね。昔の顔に戻ったみたい」
幹夫は、少し笑って言った。
「戻ったというより……ようやく“来た”って感じかな」
母はその言葉の意味を深く問わなかった。
けれどもその夜、食卓に置かれた湯気の向こうで、ふと目を伏せて何かを飲み込んだように見えた。
幹夫は、しばらくのあいだ実家の二階の部屋に暮らした。
大学時代のイーゼルも机もそのまま残っていた。
壁には、学生時代に描いた風景画のコピーが額装されていた。
それを見て、幹夫は言った。
「これ、外してもいい?」
母は「あら、気に入ってたのに」と言ったが、すぐに了承した。
彼はその場所に、新しいキャンバスを置いた。
東京の冬の光は弱かった。
けれども、午後の西日がふと窓から差し込んだ瞬間、机の上の白いキャンバスが静かに光った。
幹夫は、あの旅で描いた「光の川」のスケッチを見返した。
そして思った。
絵は終わらない。
描き終えたと思ったそのときに、
新しい絵がもう始まっている。
川と同じだった。
山を流れ、谷を渡り、やがて海に届く。
けれど、また雲になり、雨になって、再び川を生む。
描くということは、循環だった。
春になったら、小さな展示を開こうと思っていた。
大きなギャラリーではなく、カフェの壁の一角のような場所で。
「絵を見せる」というより、「絵がそこにある」ような場所で。
幹夫は筆を握った。
構図は決めなかった。
テーマもなかった。
けれど、彼の中にはもう、一本の流れがあった。
それは、
風の道であり、
雪解けの音であり、
遠吠えの線であり、
マフラーの毛糸であり、
光の川だった。
幹夫は筆を動かした。
部屋の中には、誰もいなかった。
けれど、筆の音だけが、かすかに鳴っていた。
その音は、確かに生きていた。
そして今も、
彼の中を、
流れ続けている。
(完)
番外編①:母の視点より――「あの冬の光」
あの子が旅に出た朝のことは、よく覚えている。
無言だった。
けれど、たしかに背中に何かを抱えていた。
「風邪ひかないように」
そう言って、私は引き出しの奥から、亡くなった母が編んだ古いマフラーを取り出した。
焦げ茶と深緑。重たくて、少しばかり毛玉ができていたけれど、あれは“旅”に必要なもののような気がしていた。
あの子は、東京で描くことに疲れていた。
けれど、私にはそれを慰める言葉がなかった。
昔、私も若かった。
進学したい道を、家の事情であきらめた。
だからこそ、あの子には「自分の色を見つけてほしい」と願っていたのだ。
旅の間、あの子からはほとんど連絡がなかった。
年が明けて、一通だけ届いた手紙。
便箋の間に挟まっていた、一枚のスケッチ。
風の中に、毛糸のような線が浮かび、その中心に、点がひとつ描かれていた。
それが、あの子自身だったと、私はすぐに分かった。
帰ってきたとき、あの子の顔は少し痩せていたけれど、
目が、穏やかだった。
「戻ったというより、ようやく来た気がする」
その言葉が、あの子の旅の全てを物語っていた。
私は食卓に味噌汁を置きながら、湯気の向こうで小さく涙を拭いた。
そして思った。
この子は、もう大丈夫だ。
自分の絵で、生きていける。
あの冬の光の中に、私は確かに、それを見た。
(母の視点編・終)
番外編②:語り部の記憶より――「風の骨」
俺の名は、もう誰にも教えちゃいない。
聞かれても、「風に聞け」と答えるだけさ。
この谷に通って、もう何十年になるか。
昔は馬で来た。今はバスで送られる。
それでも、この場所は変わっちゃいない。
イエローストーンは、俺たちの言葉で「裂けた骨」と呼ぶ。
大地が割れ、川が通り、そこに風が宿った場所だ。
人は火と水の子だ。
熱く、溢れて、でも形を持たぬまま進む。
あの若い絵描きが来たとき、俺はすぐに気づいた。
あいつは、形よりも先に“音”を探していた。
目じゃなく、胸で何かを描こうとしていた。
だから、火の前で語ってやった。
「お前の線は、まだ曲がってる。
だが、曲がったものは、風と似ている。
だから、生きて描け」
語りは技術じゃない。
誰かの中に、見えない骨を立てること。
その骨が、風に鳴るようになったら、それは物語になる。
旅立つ朝、俺はあの子に声をかけなかった。
けれど、あいつの背中には一本の線が立っていた。
まっすぐじゃない。ねじれていて、不格好で、
でも、どこまでも響きそうな線だった。
語り部にとって、それが一番の贈りものだ。
(語り部編・終)
番外編③
売らない絵
個展は、思った以上に静かに始まり、 思った以上に人が来た。
場所は、蔵前の小さなギャラリーカフェだった。 古い町家を改装した白壁の空間に、幹夫は旅のスケッチと絵を十五点飾った。 「光の川」と題された個展は、DMを出したわけでも、メディアに載せたわけでもなかったのに、SNSでの拡散や口コミで人が少しずつ集まってきた。
最初の週末には、絵に値段をつけていた。 旅費を回収しようと考えたわけではない。 ただ、「欲しい」と言ってくれる人がいれば、それを否定する理由はないと思ったからだった。
絵は、静かに売れていった。 「この色の重なりが好き」「この風景は自分の記憶に似ている」 そう言って、購入していく人々の声はあたたかく、誠実だった。
けれど、一枚だけ、幹夫は売らなかった。
それは、誰にも説明していない一枚だった。 カウンター横の柱に、さりげなく掛けていた。 A4サイズのパネルに、水彩と鉛筆で描かれた抽象画。
中央には、曲がりくねった光の筋が一本、斜めに走っていた。 色は淡く、にじんでいて、境界がなかった。 けれど、見る人によって、バイソンの背にも、滝の光にも、祈る人の手にも見えた。
ある日、幹夫のもとに年配の女性が来て、そっと言った。
「あの絵が欲しいの。値段はいくら?」
幹夫は、静かに微笑んで、答えた。
「すみません。……あの絵は、売っていないんです」
女性は少し驚いた顔をしたが、やがてうなずいた。
「そうね。あれは、売る絵じゃないわね」
そう言って帰っていった。 幹夫は、何も言い返さなかった。 ただ、胸の奥が、すこしだけ熱くなった。
あの絵は、イエローストーンの最後の夜、 誰もいない薪ストーブの明かりの中で描いた一枚だった。
タイトルもない。 でも、それは幹夫にとって、旅の核だった。
すべての絵が誰かのもとへ旅立っても、 あの一枚だけは、自分の中に残しておきたかった。
帰宅後、彼はその絵を額に入れ、自室の壁に飾った。
朝、絵の前に座り、コーヒーを飲みながら眺める。 それが、幹夫にとっての**「帰ってきた証」**だった。
売らない絵。 それは、いちばん自分が“生きていた”絵だった。
そして、その絵だけが、 毎朝、彼に向かってこう言っていた。
「まだ、描けるよ」
(番外編③・終)





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