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千年の緑と時のしずく

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月19日
  • 読了時間: 7分

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 静岡市の外れ、なだらかな丘の上に広がる茶畑。その一角に、ひときわ大きく、幹も太い茶の木がそびえていました。普通の茶の木は人の腰ほどの高さしかありませんが、この木は不思議なほど背が高く、幹はごつごつした樹皮に覆われ、どんな嵐がきてもびくともしない様子。それだけで、その茶の木がずっと昔からここに根を下ろし、長い年月を生きてきたことを物語っています。

 地元では「千年茶(せんねんちゃ)」と呼ばれ、「この木が芽吹いた頃から、あの丘一帯は茶作りが盛んになったのだ」という、半ば伝説のような話が伝わっていました。実際に千年も生きているかは定かではありませんが、いつしか人々はこの木を大切にし、茶畑の守り神のように崇めるようになったのです。

老木のささやき

 茶農家の少年・**俊介(しゅんすけ)**は、小さい頃から祖父に連れられ、この茶畑で遊んでいました。祖父も父も茶農家で、家族代々ここでお茶を作ってきましたが、俊介自身は将来どうするかまだ迷っています。農家を継ぐべきか、町に出て働くべきか――そんな風に悩みながら、今日もいつものように作業を手伝っていました。

 昼休み、俊介はひとり茶畑の丘の上へと歩き、千年茶の下で少し休むことにしました。夏の盛りだったので、強い日差しを避けるように幹に背を預け、微風の通る影でひと息つくと、とても心地よい。少年は目を閉じ、うとうとしはじめます。

 すると、まるで耳元で誰かがつぶやいているような、かすかな声が聞こえました。

「やあ、俊介。君はこの先、どう生きたいと思っているんだろうね?」

 俊介はびっくりしてあたりを見回しましたが、誰の姿も見えません。ただ、千年茶の幹が、ほんのわずかに軋むような音を立てているだけです。風が葉をさらさらと揺らし、ちいさな木漏れ日がきらめく――その光と影の狭間から、声がもう一度ささやいてきました。

「わたしは、この畑に根を下ろして、幾百年もの間、人々を見てきた。それこそ、君の祖先がこの地に茶を植え始める前からずっと、この地の移り変わりを見守ってきたんだよ。」

 俊介は息をのんだまま、じっと幹を見つめます。まるで茶の木そのものが語りかけているようでした。

昔日の記憶

 突然、俊介の意識のなかに、次々と光景が流れこみます。最初は煙るような森と草原の姿。まだ今のような茶畑が広がっていない時代、ここには原生の木々や野草が群生し、人々は狩りや採集をして暮らしていました。その中で、一人の老人がこの場所に茶の種を植えている姿が見えます。

「これは……昔の静岡……? そんな昔に茶の木を植えた人がいたのか?」

 頭の中で俊介が疑問をつぶやくと、老木は静かな声で応じました。

「そうさ。茶はもともと、この地に伝わったときから、何世代もの人々の手によって少しずつ広がり、そして今のような畑ができあがったんだ。わたしは、その最初の種の一部から育てられたのかもしれないよ。」

 次に見えたのは、戦乱の時代。槍をかついだ兵士たちが駆け抜け、荒れた道を疲れ果てた庶民たちが歩いていく姿――そんな混沌のなかでも、茶の木を守るために必死に働く農民の姿がありました。家族を養うため、朝から晩まで葉を摘み、手揉みをして茶を作り、なんとか生計を立てていたのです。

「苦しかった日々もあった。けれど、この土地の人たちは、茶を育てることで希望を見いだし、それを商品として売ったり、遠くに届けたりして、この土地全体を支えてきたんだ。」

 さらに映るのは、近代に入っての話。新しい製茶技術が開発されたり、外国に輸出されたり、鉄道や道路が整備されて都心との往来が増えたり――茶畑はますます広がり、静岡の名前は日本中、そして世界にも知られるようになります。一方で、大規模化や効率化で、昔ながらの手間ひまをかける農法が失われてしまう部分もあり、人々の間には葛藤も生まれました。

少年の悩み

 ひと通りのビジョンが終わると、俊介ははっと息をのみ、再び茶の木の下にいる自分に気がつきました。日差しはやや西に傾き、畑の向こうには青く霞む駿河湾が見えます。頭の奥には、まださっきまで見た映像の名残が脈打つように残っていました。

「こんなにも長く、いろいろな時代を見てきたんだな……。俺なんて、ちっぽけな存在にしか思えない……。」

 少年は、老木の足元に体を寄せ、ぽつりぽつりと打ち明けました。自分が本当に茶農家の跡継ぎになるのか、それとも町へ出て別の仕事に就くのか――。家族は続けてほしいと言うが、自分には才能も興味も、よくわからない。中途半端な気持ちのままで、この畑を守れるのか不安で仕方ない――。

 すると、老木はやさしい声で語りかけます。

「人はだれでも、自分がなすべきことを探しながら生きている。それはひとり一人、違う道だ。けれど、この畑や茶の文化がここまで育まれたのは、多くの人たちの情熱と苦労が積み重なったからだよ。その営みを大切に思うなら、君が選んだ先で、きっと生かすことができるんじゃないかな。」

 俊介の胸は、少しだけ温かくなりました。

未来へのしずく

 しばらくして、俊介の父と祖父が、何やら心配そうに丘を登ってきました。どうやら作業が進まないので、様子を見に来たらしい。俊介は急いで立ち上がり、「おじいちゃん、こんな話があったんだ……」と、老木から見せられた過去のビジョンを話しました。もちろん、祖父には完全には信じられないかもしれないけれど、長い間この畑に携わってきた祖父の目はどこか優しく、静かにうなずきます。

「まあ、不思議なことはあるもんだね。でも、この木はわしらが子どもの頃からずっとここに立っていて、そりゃあいろんなことを見てきたじゃろうさ。そんな木が、俊介に何かを託してるのかもしれんな。」

 祖父がそう言うと、父は俊介の肩に手を置き、「お前がどうするにせよ、茶の木も、俺たち家族も、お前を応援するぞ」とぽんぽんと叩いてくれました。

 そのとき、風がさっと吹き抜け、老木の葉がざわざわと音を立てます。ひとつの小枝から一滴の雫が、俊介の手の甲に落ちてきました。それは露とも汗ともつかない、不思議な輝きを持っていました。

「わたしの見てきた歴史、感じてきた思いが、このしずくにこもっている。どうか、未来へ運んでおくれ。茶の香りとともに、人々の心を潤すことを願って……。」

 老木の声が耳の奥にやわらかく響きました。俊介はそのしずくをそっと拭いながら、何か大切な贈り物を受けとったような感慨に浸ります。

新しい一歩

 それからしばらくして、俊介は高校を卒業するときに一度町へ出て、勉強や仕事を経験してみることを決心しました。両親や祖父も快く送りだし、「外の世界を見てきて、それでも茶の道が好きなら帰っておいで」と背中を押してくれたのです。

 そんなある休日、久しぶりに実家へ帰った俊介は、あの丘の上の千年茶に会いに行きました。茶畑は緑の新芽がまぶしく揺れ、老木は変わらぬ姿で堂々と立っています。

 俊介がその幹にそっと触れると、微かな風が立ち、またあの懐かしい声が囁きました。

「おかえり、俊介。迷うこともあるだろう。けれど、ここには君のルーツがあり、君が未来へつなぐ大きな力がある。茶の香りを絶やさないでほしい。それがわたしの、そしてこの土地に眠る人々の願いだよ。」

 少年はもう一度、あの時と同じように不思議な安堵を感じ、「ただいま。ありがとう」と返事をしました。両手いっぱいに受けとめるように、木漏れ日の下で深呼吸すると、茶畑や風、そして駿河湾の広がりまでもが、自分を優しく包んでくれる気がしたのです。

 ――こうして、千年茶の木はこれからも丘の上に立ち、人々が歩む物語を見つめ続けます。悲しいときも嬉しいときも、すべてを受け止め、静かに見守りながら、命と時を分かち合っていくのです。やがて俊介がどんな道を選ぼうとも、そこには茶の香りと老木の語りが、彼の心の糧として生き続けるでしょう。

 その葉先に宿る小さな露のしずくは、まるで遠い昔から今へ、そして未来へと連なる時のきらめき。やがて風に揺らされて地に落ち、土へ染み込んでゆくそのひと滴が、次の世代の芽吹きを支えていくのです。

 
 
 

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