取締役会の九十分 — 山崎行政書士事務所 経営者小説
- 山崎行政書士事務所
- 9月14日
- 読了時間: 7分

7:12月曜の朝。製造業A社の社長・堂前は、三本目の電話で目が覚めた。CFOの声は短い。
「支払い先変更のメールが連続で届いています。購買の二名、ログイン不可。工場のラインは止まっていませんが、出荷前の決済が止まる可能性あり。」
堂前は一言だけ返した。「山崎さんを呼んで。」
1|ウォールームの入り口で言うことは三つ
8:20A社・本社会議室。スクリーンには「ウォールーム」の文字。山崎行政書士事務所のチームが入ってくる。先頭は律斗(りつと)。隣に、法律パートのりな、広報のふみか、可視化担当の蓮斗、運用の奏汰(そうた)。
律斗はホワイトボードに三行を書いた。止める/伝える/回す
「社長、ここでの約束は三つだけです。」
止める:今すぐ支払いを止める権限をください。
伝える:三文で現状を社内に伝えます。
回す:出荷と顧客対応を止めない設計に切り替えます。
堂前はうなずいた。「やってください。」
2|“言い切る”文章を用意する
りながメモを置く。「社長、いま必要なのは三文です。読み上げてください。」
現状:社内メールに不審な送信設定を検知。支払い手続きの安全確保のため、一時停止を指示しました。 対応:社外への支払い指示は、メールだけでは無効。必ず電話で二重確認します。 影響:出荷は継続。お客様への納期影響は最小化します。追加があれば正午に再報告します。
「正午を入れたのは、不安の期限を決めるためです。」りなが続ける。「言い切りは、現場の手の震えを止めます。」
3|CFOに必要なのは“数字より順番”
CFOが口を開く。「キャッシュ、納期、違約金。優先順位をください。」
律斗は指で三角形を描いた。
第一層:支払い停止。全仕入先に「メール単独の指示は無効」の一斉通達。電話ダブルチェックに切り替え。
第二層:信用の維持。主要顧客十社には経営トップの言葉で先に知らせる(営業任せにしない)。
第三層:稼ぐ現場を回す。出荷前検査・在庫引当の例外を期限付きで緩和。期限は48時間、延長は取締役の承認。
「数字は午後に出ます。いまは順番です。」律斗は言い切る。
4|広報の役割は“沈黙の温度”を決めること
ふみかが一次報の原稿を差し出す。読みやすい三段落、修飾語が少ない。
事実(確認済み):外部への自動転送設定を検知、削除。支払い手続きは一時停止。
影響(現時点):個人情報の第三者提供の確証はなし。継続調査中。
約束(期限):正午と17時に更新。取引先には担当役員から直接連絡。
りなは付け加える。「法の線はここです。APPI(個人情報保護法)、GDPR域の取引先には72時間の報告ラインを並走。**“可能性”と“事実”**を段落で分けます。」
堂前は原稿を見てうなずいた。「正午に私が読み上げます。」
5|“止める”は技術ではなく決裁
奏汰が短く言う。「支払いシステムのワークフローを二名承認に移します。例外は48時間、取締役決裁で延長。電話での口頭承認だけでは動きません。」
CFOがペンを止めた。「例外は現場が嫌がる。」
「嫌がっていいんです。」りなは静かに答える。「例外には必ず期限。期限を超えた例外は、もう例外ではない。」
6|顧客の心は“速度”で守る
9:30営業本部長が不安げに入ってくる。「顧客に何と?」
ふみかがA4一枚の“顧客用三文”を渡す。
現状:御社の納入分は予定通り出荷します。社内で支払い手続きの安全確保を行っています。 お願い:支払い先の変更など、メールだけの依頼は無効です。必ずお電話での確認を。 再通知:状況更新は本日17時までにお送りします。
「最初の一報は早く、短く、約束を含める。長文は二報目でいい。」ふみかが言う。
7|“見える化”は経営の言葉で
蓮斗がスクリーンを切り替える。四つの数字だけが並ぶダッシュボード。
検知までの時間(MTTD):17分
封じ込めまでの時間(MTTR):73分(見込み)
支払い停止率:100%
主要顧客通知率:70% → 12:00までに100%
堂前は息を吐いた。「これなら取締役会で話せる。」
8|取締役会:議題は“誰のせい”ではなく“どの線”
10:40臨時の取締役会。議題は三つだけ。
支払い停止の継続(48時間、延長は決議)
顧客・仕入先への通達方式(トップメッセージ+二名承認)
再発防止の原則(言い切り、例外に期限、二重確認)
監査役が尋ねる。「この件、**“漏えい”**に当たるのか。」
りなが答える。「現時点では“確認されたのは設定変更”です。“漏えい”は確認されていません。ただし、可能性が否定できないため、72時間の報告ラインを管理しています。ここを混ぜないのが適切です。」
取締役の一人が言う。「生産性が落ちるのでは?」
律斗が短く返す。「安全で回ることが目的です。速くて危険より、遅くても確実を48時間選びます。期限があるから戻れます。」
9|社長の三つの台詞
12:00正午の全社配信。堂前は迷いなく読んだ。
「一、支払いの安全確保のために一時停止しました。二、メールだけの依頼は無効です。必ず電話での確認を。三、出荷は継続。状況は17時に再度お伝えします。」
読み終えてから、彼は一呼吸置いた。「責めるために止めたのではない。守るために止めた。」
その一行が、社内の空気を変えた。
10|夜:ルールは“語れる形”で残す
18:10ウォールームの最終報告。被害は未確認、転送設定は全削除、支払いは安全化。主要顧客への通知は完了。
山崎行政書士事務所は、A4二枚の“経営者シート”を置いていった。上にはこう書かれている。
経営者シート(配布可)
今日決めたこと
メール単独の支払い指示は無効。電話ダブルチェックを常態化。
例外は48時間。延長は取締役決議。
正午/17時の定時更新を続ける。
次にやること(1週間)
主要仕入先の二名承認導入状況を一覧化。
役員レビュー付きで支払いプロセス図を更新。
訓練(釣りメール)は罰ではなく学びとして実施。
指標(ボード向け)
MTTD/MTTR、主要顧客通知率、例外件数と期限遵守率。
原則
言い切る(事実と可能性を混ぜない)
期限を付ける(例外は時間で管理する)
二重に確かめる(メールだけを信用しない)
堂前は紙を鞄にしまい、律斗に握手を求めた。「**“設計の完璧”より“反応の訓練”**だと、今日わかりました。」
律斗は笑った。「止める/伝える/回す。経営の言葉に直すと、決裁/広報/事業継続です。」
11|数週間後、取締役会の冒頭で
三週間後。定例の取締役会。最初の五分は、サイバーの定点報告になった。
MTTD:12分 → 9分
MTTR:73分 → 58分
例外期限遵守率:82% → 97%
主要顧客通知率:100%(維持)
CFOが言う。「**“止める勇気”にセットで“戻す仕組み”**が必要だった。例外に期限が、あれほど効くとは。」
堂前は頷いた。「経営とは、線を引くことだ。法律の線、信用の線、そして時間の線。その線を物語れる形にしてくれたのが、山崎さんたちだった。」
会議の最後、堂前は付け加えた。「次回から**“危機広報の練習”**を役員の議題に入れます。言い切る練習も、経営の仕事です。」
終章|やまにゃんの札
A社の受付カウンターに、小さな札が増えた。白猫のマスコット「やまにゃん」。しっぽの先はUSB Type‑C。札にはこう書かれている。
「メールだけなら、まだ半分。電話で、ほんもの。」
社員は笑って通り過ぎる。だが、支払い先変更のメールが来たとき、誰もがこの札を思い出す。“止める/伝える/回す”は、スローガンではなく、会社の日常になっていた。
付記(作者より)この物語はフィクションです。登場する企業・人物は架空ですが、経営者がサイバー事案で最初に決めるべきこと(止める判断、言い切る広報、事業を回す設計)と、ボードが見るべき指標(MTTD/MTTR、例外の期限、通知率)は、実務に即した骨組みで描いています。技術名や細部の設定は省き、経営の言葉で進む構成にしました。





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