古邸に灯る時間の声
- 山崎行政書士事務所
- 1月17日
- 読了時間: 5分

第一章:保存活動への誘い
興津(おきつ)の海が穏やかな水平線を描くあたり、そこから少し内陸に入った場所に古い邸宅が佇(たたず)んでいる。かつては名家の所有であったという旧五十嵐邸である。 主人公・**下田 響(しもだ ひびき)は、地元の歴史建造物を保存する活動に携わる若い研究員で、ちょうど旧五十嵐邸の調査を進めるために興津へやってきた。 彼女が所属するNPOに、最近「この邸宅をどうにか保存したいが、修復費や賛同者が少なく進捗(しんちょく)しない」という相談が舞い込み、支援を求められたのだ。興津にある有名な坐漁荘(ざぎょそう)**のように、歴史的価値を後世に残そうという動きが起きているらしい。 響は、まだ若いながらも情熱を持って「旧五十嵐邸の価値を見つけたい」と心を弾ませた。
第二章:邸内に残る古文書
旧五十嵐邸は、木造二階建てで、大きな中庭と昔ながらの日本庭園を備え、昭和初期の建築様式を色濃く残している。だが屋根瓦はだいぶ傷み、床板もきしむほど老朽化していた。 響はほこりを払いながら、屋敷の押し入れや襖(ふすま)の奥を調べていく。座敷にある蔵書の一部には、古い書簡や家族の記録帳と思しきものが見つかった。 何十年も放置された書類の山をめくっていると、一通の手紙が紛れ込んでいた。**「五十嵐家当主へ」と記された封筒。差出人は不明。 手紙を開くと、そこには―― 「この地に住まう方へ。時代が移ろいゆくなかで、我が家はどのように人々の記憶をとどめるのでしょう。新たなる時代に耐えうるよう、残してほしいものがあります……」 あまりにも謎めいた文章が、響の心を強く惹(ひ)きつけた。
第三章:興津坐漁荘の影響
調査を進めるうちに、響は興津にある坐漁荘とも何らかの関係があったらしいことを知る。坐漁荘は、かの有名な政治家・西園寺公望が晩年を過ごした別荘として知られ、いまは記念館として保存されている。 旧五十嵐邸の先祖が、かつて坐漁荘の建築に関わった職人を手配したという記事が見つかった。さらに当時、この邸宅でも似た意匠を取り入れようとした――だが何かの事情で頓挫(とんざ)したまま完成に至らず、結果として微妙に歪(ゆが)んだ構造になっているようだ……。 「ここに隠された“残してほしいもの”とは何だろう」 響は、一人きしむ床を歩きながら思いを巡らす。かつての当主は、この建物に込めた願いを果たせずに、歴史の流れに取り残されてしまったのか。
第四章:手紙が示す秘密
手紙の裏面には、脇に小さく座標のような数字が書かれていることに響は気づいた。邸の図面を広げて重ね合わせ、各室を照らし合わせてみると、どうやら欄間(らんま)の裏あたりを指しているように思われた。 興味に駆られた響は脚立を持ち込んで欄間の裏を探ると、そこにさらに小さな木箱が押し込まれていた。箱を開くと、数点の文書や写真が丁寧に畳んで入れてある。 写っていたのは昭和初期の座敷で、五十嵐家の人々が集まっている記念写真。その背後には有名な政治家らしき人物のシルエットが映りこんでいる……もしかすると西園寺公望やその関係者かもしれない。 文書にはこうある。 「新しき時代を迎えるたび、この家が風化していくのが忍びない。もしこの手紙を見つけたなら、どうか家の魂を次の世代へ繋いでほしい——私たちが紡(つむ)いだ記憶が、未来の港町で生きられるように」
第五章:歴史と現在の重なり
これほど想いのこもった家を、そのまま取り壊すのか? そんな疑問が響の胸に沸き上がる。 しかし、予算や老朽化、さらには地元の開発計画など問題は山積みだ。NPOのメンバーや市役所の担当者に訴えても「この規模を完全に保存するのは厳しい」と及び腰。 だが、響は言う。「自分たちがやれる形で活かす方法はあるんじゃないか。たとえば部分的に移築して資料館と結合するとか……」 昔、五十嵐家が坐漁荘から学んだ建築の美しさを、いま一度公共の財産として展示できないだろうか。そう構想を膨らませるうちに、地元の有力者や議員の興味を惹き、少しずつ話が前に進みはじめる。
第六章:最終的な選択と再生
そして数週間後、響が提案した“旧五十嵐邸の部材を活用した新しい文化交流館”の計画が認められる方向に動き出した。完全な保存はできずとも、歴史の核となる部分を解体して新築する施設に融合させよう、という案である。 「この家が指し示していたのは、ただ古きを守るだけじゃなく、新しい形で記憶を継承することではないか」 手紙を書いた当主の言葉を想うとき、響は強くそんな考えを抱く。たとえば家全部を無理に残すよりも、中核的な梁(はり)や建具を守り、また庭園の一部を再現することで、昔の想いを現代へ繋(つな)いでいくことができる——それがきっと、当主が望んだ「家の魂」のあり方だろう。
エピローグ:港町に芽生える新しい風
解体作業が始まる日、響は邸の座敷で最後の写真を撮った。窓から差し込む朝の光が、埃(ほこり)の粒子を金色に染め、どこか神秘的に見える。 “また新しく生まれ変わるんだね、この家も。興津坐漁荘がそうだったように、何度でも時代に合わせて姿を変えて、記憶を残しながら進んでいくんだ……” 彼女は手紙の文面を心に刻みながら、ゆっくりと頭を下げる。「ありがとう、あなたたちが築いてくれた歴史を、私たちは未来に繋げます」 外に出ると、港から吹く潮風が彼女を迎えてくれる。若葉の香りが混じった春の匂い——この町の海と山の気配が、まるで家の再生を応援するかのようだ。 歴史建造物には、確かに人間模様が刻まれている。それは時代を越えたメッセージとなり、今を生きる私たちの希望となる。“古い家が教えてくれたのは、人々の想いと港町の歴史を両方大切にしながら、次の世代へ渡していくこと”。 潮の香りの中で、響は微笑んだ。大きく深呼吸すれば、興津坐漁荘や旧五十嵐邸が織り成してきた歴史が、今もこの空気に溶け込んでいるのを感じる。遠くで汽笛が鳴り、それが新しい季節の到来を告げているようだった。
(了)





コメント