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大和出撃13


第五十八章 平成十四年(2002) 歓声の外側

歓声は、壁を越える。

 

戸を閉めても、窓を閉めても、テレビの音を小さくしても、街の「わあっ」といふ声は、夜の空気に乗って入ってくる。歓声は、戦時のサイレンのやうに人を立たせはしない。けれど、立たせはしない代りに、人の胸を浮かせる。浮かせて、どこか別の場所へ連れていく。

 

平成十四年の初夏、町はその歓声に浮いてゐた。

 

ワールドカップ。日韓。世界。国旗。応援。勝つ。負ける。

 

言葉が踊る。踊る言葉は軽い。軽い言葉が踊れる夜は、平和なのだらう。平和なのだらう、と頭では思へるのに、胸は素直に頷かない。

 

胸は、去年の灰をまだ少し吸ってゐる。塔が沈み、灰が波になった映像の後に、世界がすぐ「勝つ」「負ける」で騒げることが、私には不思議だった。不思議といふより、少し怖かった。人は忘れる。忘れることで生きる。忘れることの強さが、時々恐ろしく見える。

六月のある夜、私は買い物帰りに商店街のざわめきを聞いた。

 

酒屋の前に人が集まってゐる。小さなテレビが店先に出され、若い男も、子どもも、年寄りも、皆そこへ目を向けてゐた。目の向け方が、同じ方向へ揃ってゐる。揃った目を見ると、私は胸が少し固くなる。揃った目は、戦時の「同じ方向」を思ひ出させるからだ。

 

けれど今日は、憎しみの方向ではない。白いユニフォームの若者が走る方向。ボールが転がる方向。ゴールの方向。

 

それでも、揃った目の圧はある。

 

「いけー!」「打て!」「よし!」

 

声が上がるたび、私は肩を小さくすくめた。声が大きい場に、私はいつからか居場所を失った。居場所を失ったのは、耳が弱ったからではない。胸の奥に、返事のない静けさを持ってしまったからだ。

 

私はその人だかりの外を、静かに通り過ぎた。籠の中で豆腐が揺れ、葱の先が袋を叩く。豆腐が崩れぬやうに手を添へながら、私は思ってゐた。

 

——あなたが生きてゐたら、こういう祭りの夜をどうしただらう。

 

篤志さまは、応援しただらうか。「日本、がんばれ」と言っただらうか。それとも、ただ静かに見たのだらうか。戦のあとに来る平和な競技を、あなたはどう受け止めただらう。

 

想像すると、胸がきゅっとなる。想像の中でも、あなたは若いままだ。若いままのあなたが笑ふと、私は痛む。

 

家へ着くと、空がもう暗かった。雨戸を閉め、台所の灯を点け、湯を沸かす。湯気の白さが立つと、私はやっと自分の家に戻れる。

 

仏壇の灯を点け、水を替へ、線香を一本。線香の匂ひは、歓声より強い。匂ひは壁を越えない。家の中の匂ひは、家の中に留まる。留まる匂ひが、私を守る。

 

それでも、外の歓声は遠くで続いた。まるで波のやうに、上がっては引き、上がっては引く。波の音に似てゐるのが嫌だった。波の音は、海の底へ繋がるからだ。

 

私はテレビをつけた。画面の中は明るかった。スタジアムの光。緑の芝。白い線。走る人。

 

人が走るのを見るのは、悪くない。人が走れることは、平和の証拠だ。走る人が、銃を持ってゐないことが、何よりの救ひだ。

 

画面の片隅に、旗が揺れてゐる。旗が揺れると、私はまた胸がざらつく。旗は、戦時の記憶を呼ぶ。けれど今日は旗が「祝ひ」の顔をしてゐる。祝ひの旗を、私は上手く受け取れない。

 

私は音量を小さくした。小さくしても、画面の明るさは変はらない。明るさの中に、私は自分の影を見てしまふ。こたつに丸くなった老いた女の影。影の中に、ひとつだけ濃いものがある。胸の中の位牌。

 

私はふいに思った。

 

——応援してみよう。

 

応援、といふのは、未来へ手を伸ばす行為だ。私はずっと過去へ手を伸ばしてきた。便箋へ、名簿へ、石へ、押し花へ。過去へ伸ばす手を、今日は少しだけ未来へ向けてみたい。未来へ向ける練習をしないと、私はこのまま、過去だけで終はってしまふ。

 

けれど応援したい相手は、画面の選手ではなかった。もちろん、若い子たちが頑張るのは良い。けれど私の胸が本当に動くのは、別の名だ。

 

私は、こたつの上に湯呑を二つ置いた。片方は空のまま。この癖は、もう治らない。治らない癖が、私の「二人」を作る。

 

空の湯呑へ向かって、私は小さく言った。

 

「……篤志さま、見とる?」

 

声に出した瞬間、自分でも少し驚いた。いままで私は「見とる?」とは言っても、「応援」などと言ったことがない。応援は、生きてゐる者に向ける言葉だと思ってゐたからだ。死者を応援する――そんなのは変だ。

 

変なのに、私は続けて言ってしまった。

 

「……がんばりんさい」

 

がんばりんさい。若い人を励ます言ひ方。子どもに言ふ言ひ方。その言ひ方が口から出たとき、私は胸の奥が熱くなった。

 

あなたはもう頑張らなくていい。頑張った。頑張りすぎた。頑張った結果が、海の底の青だ。それでも私は、応援と言ふ形で、あなたの“居場所”をこの夜に作りたかった。

 

画面の中で、日本が点を入れた。店先から遠い歓声が上がった。私はその歓声に合わせて、胸の中で、あなたに拍手を送った。送っても届かない。届かないのに、送る手だけが動く。

 

「よかったねえ」

 

と、私は空の湯呑へ言ってしまった。空の湯呑は、黙ってゐる。黙ってゐるのに、そこへ言葉を置くと、私は少しだけ「二人」の夜になれる。

試合が終はり、街の歓声が長く続いた。

 

窓の外から、車のクラクションが聞こえる。若い男の叫び声。拍手。どれもが、夜更けまで続く。

 

私は歓声の外側で、こたつに丸くなりながら、テレビの残像を見てゐた。明るい芝。白い線。走る足。ゴールネットが揺れる瞬間。

 

それらの映像の間に、私はあなたの顔を挟み込む。戦の映像ではなく、祭りの映像にあなたを挟む。挟めば、あなたの不在が少しだけ“別の形”になる気がした。

 

外の歓声は、私にとっては遠い。遠いのに、遠いまま聞こえてくる。聞こえてくるものを、私は遮らない。遮らずに受け入れるのが、老いのやり方なのかもしれない。

 

夜が更け、テレビを消すと、部屋の中が急に暗くなった。暗くなると、胸の中の灯が見える。仏壇の灯は、もう落としてゐる。けれど、胸の中の位牌は、暗いほどよく分かる。

 

私は布団へ入る前に、仏間へ行った。灯を点け、水を替へ、線香を一本だけ焚いた。一本だけ、と決めてゐるのに、今日はもう一本焚きたくなった。けれど我慢した。我慢したのは節約ではない。一本で十分だと思へるほど、今夜は少しだけ胸が軽かったからだ。

 

——篤志さま。——今夜は、応援したよ。——君を、応援したよ。

 

返事はない。返事はないのに、言へたことで、胸が少し整った。

年の終り、私は帳面を開いた。

 

平成十四年。今年の頁には、歓声が残ってゐる。歓声の外側の静けさ。こたつの上の空の湯呑。「がんばりんさい」と言ってしまった口。そして、応援といふ言葉が持つ、不思議な温さ。

 

私は鉛筆を握り、今年の一首を置いた。

ワールドカップ 歓声高き 夜ふけて独りの部屋で 君を応援

書き終へると、胸の奥が少しだけ静まった。静まったのは、祭りが終はったからではない。私の中で「応援」といふ新しい動きが、あなたへ届かぬままでも、ひとつ形になったからだ。

 

窓の外で、冬の風が鳴った。風の音は、遠い波音に似てゐる。似てゐる音を聞きながら、私は桜袋を胸へ押し当てた。

 

来年、私は外へはあまり出られなくなるかもしれない。膝は相変はらず痛むし、遠出は億劫だ。けれど、テレビの中なら旅が出来る。テレビの桜名所図を、あなたとの“逢はずの旅”に重ねる一年が来る。

第五十九章 平成十五年(2003) 桜名所図

旅は、足でするものだと思ってゐた。けれど足が先に年を取ると、旅は目でするものになる。

 

平成十五年の春、私の足は、とうとう「遠出」に素直に頷かなくなってゐた。膝は相変はらず、朝の冷えで重くなる。一度痛みが出ると、歩幅は勝手に小さくなり、階段の段差は急に深くなる。深くなった段差を前にすると、身体は「無理をするな」と先に言ふ。若いころの私は、身体の言ふことを聞かなかったのに。

 

それでも春は来る。春が来ると、町はどこか浮き立つ。浮き立つ町には、決まって「旅」の匂ひが混ざる。

 

駅の掲示板に貼られた観光のポスター。旅行会社の窓に並ぶ「桜名所めぐり」の札。テレビの合間の短い宣伝――「今年こそ、あの桜へ」。

 

今年こそ。今年こそ、と言はれるたび、私は胸の奥で小さく首を振った。今年こそ、が私にもあればよかった。けれど、私の「今年こそ」は昭和二十年で止まったままだ。

三月の初め、郵便受けに色のついた封書が入ってゐた。

 

旅行会社の案内だった。薄い紙の中に、写真がぎっしり詰まってゐる。吉野の山、弘前の城、角館の武家屋敷、千鳥ヶ淵の水面。どの写真にも、桜が「満開」といふ顔をして写ってゐた。

 

「二泊三日」「添乗員同行」「歩行距離 少なめ」

 

「歩行距離 少なめ」の文字に、私は思はず笑ひさうになった。少なめ、と書いてくれる時代になったのだ。昔は「根性」で片づけられた。女の足腰は、黙ってついて行くものだとされてゐた。いまは違ふ。いまは「無理なく」と書いてくれる。

 

無理なく、は優しい。優しいのに、私はその紙を持ったまま、少し泣きたくなった。無理なく行けない場所が増えると、人は自分の世界が小さくなった気がするからだ。

 

私は封書を台所の棚の上に置き、湯を沸かした。湯を沸かせば、胸の奥のざわつきが少し整ふ。整へて、仏間へ行く。

 

父と母の位牌の前の水を替へ、線香を一本。煙が細く上がる。煙は旅をしない。この家の中だけで、ゆっくり形を変へる。形を変へながら、どこにも届かない。

 

私は胸に手を当てた。

 

——篤志さま。——桜の旅の案内が来とるよ。

 

返事はない。返事がないまま、私は封書の写真をもう一度思ひ出した。満開の桜の下に、人がゐる。笑ってゐる。肩を寄せてゐる。

 

肩を寄せる――といふ、当たり前の形が、私には一生なかった。ないまま、年を重ねた。

 

それを悔やむ日もある。悔やんでも戻らぬ日がある。戻らぬ日を抱へたまま、私は今年も春を迎へる。

四月に入るころ、テレビは急に「桜」ばかり言ふやうになった。

 

ニュースの中に「開花宣言」。天気予報の中に「桜前線」。旅番組の中に「今年の名所」。画面の端に、小さな日本地図が出て、赤い印が南から北へ動く。

 

その地図を見たとき、私はふいに息を止めた。

 

日本地図。地図は私にとって、ただの便利な紙ではない。地図は、あなたの行き先を奪った紙でもある。戦時中、地図は「前線」といふ言葉で塗られた。塗られた地図は、海の底へ人を運んだ。

 

けれどいま、テレビの地図は「桜」で塗られてゐる。塗られる言葉が変はっただけで、地図の形は同じだ。同じ形が、違ふ意味を持つことに、私は少しだけ救はれた。

 

救はれたから、私はその夜、旅番組を最後まで見た。

 

画面には「桜名所図」といふやうなものが出た。日本列島のあちこちに、桜の印がぽんぽんと咲く。印が咲くたび、ナレーションが言ふ。

 

「次は奈良・吉野」「続いて青森・弘前」「そして京都・哲学の道――」

 

哲学の道。吉野。弘前。

 

どれも、私は名前だけは知ってゐる。けれど足がそこへ行ったことはない。行けなかったのではない。行かなかったのだ。

 

あなたが居ないのに、旅へ出るのが、どこか不義のやうに感じた。そんな考へ方が古いと知ってゐても、私は古い女だから、胸の底が勝手にそう思ってしまふ。古い価値観で、自分を縛ってきた女が、いまさら軽やかに旅が出来るはずもない。

 

けれど、画面の中なら、誰にも咎められない。画面の中なら、私は「行く」と言ってもいい。

 

私はこたつの上に、湯呑を二つ置いた。片方は空のまま。この癖は、もう治らない。治らない癖が、私の旅の同行者だ。

 

座布団も二枚、並べた。並べると、部屋の隅が少し広く見える。広く見えるのは、心が「二人」を想像するからだ。

 

テレビの音量を少し落とし、私は空の湯呑へ向かって言った。

 

「……篤志さま、桜の旅に行かうか」

 

言った瞬間、胸がきゅっと縮んだ。行かうか、など。行けないのに。行けないと分かってゐるのに、口が勝手に「行かう」と言ふ。

 

けれど、行かう。足ではなく、目で。身体ではなく、胸で。

 

画面の中の桜は、風に揺れてゐた。花びらが川へ落ち、水面が薄紅に染まる。染まる水面を見てゐると、私はふいに、あなたと並んで歩く自分を想像してしまふ。

 

もし――。もし、あなたが帰ってきてゐたら。

 

そんな「もし」は、胸に刺さる。刺さるのに、刺さるまま、私はしばらく想像をやめられなかった。

 

あなたはきっと、旅の支度も不器用だっただらう。軍隊の支度は整へられても、夫婦の旅の支度は照れ臭かっただらう。私は私で、弁当を作りすぎて、荷物を増やして、あなたに笑はれたかもしれない。

 

笑はれる――といふ、当たり前の未来が、私にはない。ないから、画面の中へ借りる。

 

旅番組は次々と場所を変へる。名所の名が流れ、橋が映り、列車が映り、茶屋が映り、桜餅が映る。桜餅を食べる人が笑ふ。

 

私はふっと、こたつの上の小皿に、桜塩をひとつまみ置いた。昔から、春になると私は桜塩を舐めた。桜の匂ひを舐めると、季節が身体に入ってくる。身体に入れば、旅をしなくても「春を迎へた」と言へる。

 

「甘いのう」

 

と、私は空の湯呑へ言ってしまった。返事はない。返事はないのに、空の湯呑に向かって話すと、私は少しだけ旅人になれる。

 

旅番組の最後に、また日本地図が出た。桜の印が全国に散り、ナレーションが言った。

 

「今年の春も、日本列島は桜に包まれます」

 

包まれる。包まれる、と言ふ言葉が、私には少し怖い。包まれると、人は同じ色になる。同じ色になると、個々の名が薄くなる。私は薄くなるのが怖い。

 

だから私は、桜の印の中から、あなたの居る一点を探す。沖縄の海の一点。地図には桜の印はない。海の底に桜は咲かない。けれど、私の胸の中では、海の底にも薄紅が届いてゐる。

 

番組が終はり、画面が別のニュースに切り替はった。遠い国の戦の映像が一瞬流れ、私は反射のやうにチャンネルを変へた。戦の色を、これ以上胸へ入れたくない。入れたら、あなたの死がまた新しく痛む。

 

私はテレビを消した。消してしまふと、旅は終はる。終はると、部屋が急に狭くなる。

 

狭い部屋で、私は桜袋を胸へ押し当てた。刺繍の凹凸が、指先に確かだ。確かなものがあるから、旅が終はっても私は戻れる。

 

——逢はずの旅。

 

私は心の中でそう名づけた。逢はずの旅を、今年も私は重ねる。逢へなかった分だけ、旅の回数が増える。増えても、どこにも着かない。着かない旅を、私は続ける。

夜更け、私は机に向かった。

 

帳面を開くと、紙の白が静かに待ってゐた。白い紙は、旅番組の色より落ち着く。落ち着くのは、白が「私だけの場所」だからだ。

 

私は鉛筆を握り、今日の日本地図を思ひ浮かべた。テレビの中を流れていった桜の名所。行けないと分かってゐるのに、行った気になった夜。空の湯呑に向かって話した「二人」の旅。

 

そして、旅を終へたあとに残った、静かな寂しさ。

 

私は、今年の一首を置いた。

テレビより 流るる桜 名所図逢はずの旅を 君と重ねむ

書き終へると、胸の奥が少しだけ整った。整ったのは、旅が出来たからではない。出来ない旅を、出来ないまま言葉にして、ちゃんと「今年」の場所へ置けたからだ。

 

窓の外には、春の夜の匂ひがした。遠くで車が走り、誰かの笑ひ声がかすかに聞こえる。私はその音を、もう怖がらずに聞けるやうになってゐた。歓声の外側でも、私は私の旅をしてゐるのだから。

 

来年は、墓参の帰り道、駅のベンチで切符を握りしめる年になる。切符の紙の角の硬さに、あなたの掌を探してしまふ年になる。旅は目でしても、切符は手で握る。手で握るものがあるうちは、私はまだ歩ける。

第六十章 平成十六年(2004) 切符の掌

切符は、薄いくせに意外と硬い。

 

紙は紙なのに、端がきちんと角ばってゐて、指の腹に当たると小さく痛い。その小さな痛さが、私は嫌ひではなかった。痛いと、手が「いま」を知る。いまを知ると、胸の中の過去が少しだけ静まることがある。

 

平成十六年、私はその切符の角に、あなたの掌を探した。

春の前、私は久しぶりに「墓参」といふ言葉を口にした。

 

墓参――といふ言葉の響きは、私にとっていつも複雑だ。父と母の墓へは、私は行ける。墓は近い。家から電車で行ける。行けば、花を供へ、手を合わせ、「来たよ」と言へる。父と母の墓は、私の生活の延長にある。

 

けれど、篤志さまの墓は――ない。

 

ない、と言ふと語弊がある。あなたの名のある場所はある。碑もある。名簿もある。追悼式もある。けれど「ここに骨がある」と言ひ切れる場所がない。海の底を墓と呼ぶには、海が広すぎる。広すぎる墓は、私の手のひらに収まらない。

 

それでも、年を重ねるほど、私は「行かねば」と思ふやうになった。行かねば、といふのは、誰に言はれたわけでもない。自分の中の時間が、そっと背中を押す。背中を押されると、人は急に「しておくべきこと」を数へ始める。数へ始めるのが、老いの癖だ。

 

春先のある日、私は仏壇の前で線香を焚きながら、ぽつりと言った。

 

「……今年は、行かうかね」

 

父と母に言ったやうでもあり、胸に言ったやうでもある。返事はない。返事のない部屋で、私は決めた。

 

遠くまでは無理でも、せめて、あなたへ繋がる“道”を踏まう。道を踏めば、私は「行った」と言へる。行ったと言へば、胸の中の自分が少し落ち着く。

当日、私はまだ薄暗いうちに起きた。

 

膝は痛む。けれど、痛むからこそ早く動く。早く動けば、痛みが身体に根を張る前に家を出られる。

 

湯を沸かし、少し熱めの茶を飲んだ。熱い茶は、喉の奥を焼いて、心を起こす。仏間の灯を点け、水を替へ、線香を一本。煙が上がる。

 

桜袋を懐へ入れた。最近は、外出には必ず入れてゐる。護符のやうなものだ。護符がないと、胸の奥の海がざわつく。

 

黒に近い紺のスーツを着るほどではない。けれど派手な色も避けた。灰色に近い服。灰色は、喪にも日常にも馴染む。馴染む色で行くのが、私のやり方だ。

 

駅へ向かふ道で、朝の冷えが膝に来た。来たけれど、歩ける。歩けるうちは、行ける。

 

駅の改札は、もう機械が増えてゐた。昔は駅員が切符を切ってくれた。切符を切る音がした。その音が、旅の始まりの音だった。

 

いまは、機械に切符を吸はせる。吸はせると、切符は一瞬で飲み込まれ、吐き出される。吐き出された切符を取る指が、少しもたつく。もたつくと、後ろの人が詰まる。詰まると、私は焦る。

 

焦るほど、歳を取ったのだと思ふ。若いころは、後ろが詰まっても、そんなに気にしなかった。いまは、迷惑をかけるのが怖い。迷惑をかける怖さは、戦後の女の骨に染みついてゐる。

 

ホームで列車を待つ間、私はベンチに座った。ベンチの冷たさが、膝に響く。響くのに、座らないと立って待つのが辛い。辛いことを避けるやうになったのも、年だ。

 

列車が来て、私はゆっくり乗り込んだ。車内は静かだった。平日の朝の車内は、働く人と、病院へ行く人と、私みたいな用事の人で出来てゐる。皆、声を出さない。声を出さない車内は、落ち着く。落ち着くと、胸の奥の声が聞こえる。

 

——篤志さま。——いま、行きよるよ。

 

返事はない。返事がないのに、言葉を置くと、旅が「二人」の形になる。

墓参り――と言っても、私が向かったのは、父と母の墓ではなかった。

 

私は、あなたに繋がる碑のある場所へ行った。昔、埠頭の風に髪を乱されたあの石。あの石は「帰られた」と言ってしまった石。あれから十年近く経ってゐるのに、石の冷たさは変はらない。変はらないものに触れたくて、私はまた行った。

 

駅からバスに乗り換へる。バスの揺れが膝に来る。来るのに、窓の外の海が見えると、胸の奥が少し整ふ。海は怖い。けれど海は、あなたの居場所でもある。怖いものほど、見ておかねばならない気がする。

 

碑の前で、私は花を供へた。白い花。派手ではない白。手を合わせ、頭を下げる。頭を下げると、首筋に風が当たる。今日は埠頭ほどの風ではない。けれど潮の匂ひがある。潮の匂ひを嗅ぐと、胸の奥の青が動く。

 

「……来たよ」

 

私は小さく言った。言って、石に掌を当てた。石は冷たい。冷たいからこそ、私は「生きてゐる側」の熱を知る。知ると、胸が少し痛む。痛むのに、掌を離せない。

 

——篤志さま。

 

名を呼ぶ。名を呼ぶと、ここが“墓参り”になる。骨がなくても、名があれば、墓参りになる。そう信じないと、私は立ってゐられない。

 

長く居ると膝が痛む。痛むから、私は早めに帰ることにした。帰ると決めると、急に空腹を感じた。空腹を感じるのは、身体がまだ生きたがってゐる証拠だ。生きたがってゐるなら、帰らねばならぬ。

帰り道、駅に着くころには、背中が少し丸くなってゐた。

 

背中が丸くなると、視界が足元に寄る。足元に寄ると、段差が怖い。怖い段差を避けるため、私はベンチを探して座った。

 

駅のベンチは、昼の光を吸って少し温かかった。温かいベンチに座ると、膝がほっとする。ほっとした膝の代りに、胸が少しだけ重くなる。

 

重くなるのは、帰り道だからだ。行きは「会ひに行く」気持ちが背中を支へる。帰りは「また離れる」気持ちが胸へ乗る。同じ道でも、行きと帰りで重さが違ふ。

 

私は鞄から切符を出した。自動改札で使ふための、小さな紙片。行きの切符。帰りの切符。

 

帰りの切符を指でつまむと、角が指の腹に当たった。角の硬さ。紙の薄さ。それが、妙に「掌」の形に似てゐる気がした。

 

掌。

 

あなたの掌は、どんな温度だったらう。私の記憶の中の掌は、いつも少し冷たい。軍帽の紺と同じやうに、冷えた色をしてゐる。冷たい色の中に、若い血の熱がある。熱があるのに、触れられない。

 

切符の角が指に当たると、その「触れられない」熱を、私は想像で触れたくなる。

 

私は切符を握りしめた。

 

握りしめると、紙が少ししなる。しなる紙の弾力が、肉の弾力に似てゐる。似てゐると思った瞬間、胸がきゅっと縮んだ。

 

馬鹿げてゐる。ただの紙だ。ただの切符だ。切符に掌などない。

 

それでも私は、切符を握りしめたまま、しばらく動けなかった。動けなかったのは、切符のせゐではない。掌を思ひ出したせゐだ。思ひ出した掌が、いまの私には遠すぎるせゐだ。

 

ベンチの隣に座った若い女が、携帯電話で誰かと話してゐた。

 

「うん、いま駅。すぐ帰る。……うん、切符買った」

 

切符買った――。その言葉が、当たり前の生活の言葉として流れる。当たり前の言葉が流れる時代の中で、私は切符一枚に泣きさうになってゐる。泣きさうになる自分が、情けなくもあり、愛しくもある。

 

情けなくてもいい。愛しくてもいい。私は自分の生き方を、いまさら変へられない。変へられないなら、この情けなさも抱へて帰る。

 

列車がホームに入る音がした。私は切符を握った手をゆっくり緩め、立ち上がった。立ち上がるとき、膝がきしんだ。きしむ膝の音は聞こえない。けれど私は、その音を身体で聞いた。

家へ戻ると、仏壇の灯が薄暗く待ってゐた。

 

灯を点ける。水を替へる。線香を一本。今日の潮の匂ひが、家の匂ひに混じる。

 

私は桜袋を胸へ押し当てたまま、静かに言った。

 

——篤志さま。——今日、行ってきたよ。——帰り道でね……切符を握ったら、あなたの掌に似とったよ。

 

返事はない。返事がないのに、言へたことで、今日がひとつ終はる。

 

机に向かい、帳面を開いた。平成十六年。頁の白が、駅のベンチの光みたいに静かだ。

 

私は鉛筆を握った。指の腹には、切符の角の小さな痛みがまだ残ってゐる。残ってゐる痛みが、今日の“触れたかったもの”の証拠みたいで、私はそれを消したくなかった。

 

だから、今年の一首には、その感触をそのまま置いた。

背を曲げて 墓参帰路の 駅ベンチ切符握れば 君の掌似る

書き終へたとき、胸の奥が少しだけ整った。整ったのは、あなたに触れられたからではない。触れられないままでも、触れたいやうに握った紙の角が、今年の頁の中に残ったからだ。

 

窓の外では、春の夜が少し温くなってゐた。来年は、国道を登るバスの窓から、また慰霊碑の遠さを見て、君を待つやうな気持ちになるだらう。遠いものを待つ癖は、私の中で、まだ終はらない。

第六十一章 平成十七年(2005) 丘へ向かふバス

国道の上を走るバスは、戦後の私の「足」になった。

 

若いころは、自分の足でどこへでも行けると思ってゐた。足は、黙って私の都合に従ひ、坂でも石段でも、息を切らしながらついて来た。けれど年を取ると、足は足の都合を持ち始める。膝は天気を先に知り、腰は冷えを先に拒み、指先は小銭を探すのに時間がかかる。

 

それでも――会ひに行く、といふ気持ちは、年を取っても薄くならない。

 

会ひに行く相手は、生きてゐる人ではない。それが、私の人生の奇妙さであり、誇りでもあり、そして時々、ひどく切ない。

その朝、私はいつもより少し早く起きた。

 

台所へ行き、やかんに水を入れる。火を点ける。青い炎が立つと、胸の奥が少しだけ整ふ。湯が沸く間に仏間へ行き、父と母の位牌の前の水を替へ、線香を一本。煙は細く、まっすぐに上がった。

 

「……今日は、行くよ」

 

誰に言ったのか、自分でも分からない。父母へか。胸の中へか。けれど言葉を置くと、身体が次の手順を思ひ出す。

 

鞄を開け、桜袋を確かめる。刺繍の凹凸が、指の腹に馴染む。この凹凸があるだけで、私は外へ出られる。外は、いつも少し怖い。人の声、車の音、速い足取り――それらが、私の遅さを照らすからだ。

 

白い花を一本、新聞紙に包んだ。菊ほど固くない、春の白。花は軽い。けれど、供へる手は軽くない。軽くないものを、私はまた今日も運ぶ。

 

そして杖。「まだ要らん」と意地を張りたい日もある。けれど、バスの段差で躓いたら、今日の“会ひに行く”が途中で折れる。折れるのが怖いから、私は杖を持った。恥より、会ひに行くほうが大事になった――それが、私の平成十七年だった。

国道へ出ると、車が途切れなく流れてゐた。

 

白い軽自動車、配送のトラック、真新しいミニバン。車の形は変はる。人の暮らしも変はる。けれど道路だけは、長い。長い道路を見ると、私はいつも思ふ。

 

――この道にも、軍用の車が走った時代があった。――この道を、兵隊が歩いた時代があった。

 

国道は平らな顔をしてゐる。アスファルトの黒い皮膚で、昔の傷を隠してゐる。隠してゐるのに、私は時々、その下の瓦礫の匂ひを思ひ出してしまふ。戦後の土の匂ひ。焦げた匂ひ。人の汗と煤の匂ひ。

 

バス停で、私は小さく息を整へた。風が少し冷たい。けれど日差しの端が、もう春の匂ひを持ってゐた。

 

先に並んでゐたのは、買ひ物袋を持った年配の女。小さな子を連れた母親。背広の男が一人。皆、黙ってゐる。黙って並ぶ列は、私は嫌ひではない。余計なことを言はずに済む。余計なことを言はずに済めば、胸の中の名が汚れない。

 

遠くからバスのエンジン音が近づいてきた。停まり、扉が開く。運転手の「どうぞー」といふ声。

 

段差を上がるとき、私は杖に少し力を預けた。車内の匂ひ――ビニールの匂ひ、エンジンの熱の匂ひ、朝の人の香水の匂ひ。混じった匂ひの中へ入ると、私は「世の中の中へ戻った」と思ふ。

 

運賃箱の前で小銭を探し、もたつく。もたつくと、後ろの人の気配が背中へ刺さる。刺さるのに、私は焦らないやうにした。焦ると、手が震へて、もっと時間がかかる。

 

「……すみませんね」

 

小さく言ふと、運転手が「ゆっくりで大丈夫ですよ」と言った。その言ひ方が、昔の「急げ」ではなくて、少しだけ救はれた。急げ、と言はれ続けた女は、「ゆっくり」が許されるだけで、泣きさうになる。

 

私は前の方の席に腰を下ろした。膝を伸ばせる場所。窓側。窓側に座ると、外の景色が“会ひに行く道”になる。

バスは国道を走り出した。

 

最初は平らだ。平らな道は、暮らしのやうだ。何もないやうで、車の流れと信号の赤と青に合わせて、淡々と進む。

 

けれど、目的の場所へ行くには、平らだけでは足りない。必ず、坂がある。

 

やがてバスは、ゆるやかに右へ曲がり、上り坂へ入った。国道から少し外れ、丘へ向かふ道。坂へ入った瞬間、エンジンの音が少し太くなり、車体がわづかに唸った。

 

ゆるやかに

 

そのゆるやかさが、私の心臓の鼓動と似てゐた。昔はもっと速かった。速い鼓動で走り、速い足で働き、速い涙で拭ひ、速い言葉で飲み込んだ。いまの私は、速く出来ない。速く出来ない代りに、ゆるやかに、確かめながら進む。

 

窓の外に、桜の木が見えた。まだ蕾の枝。枝の先に、薄い赤がほんの少しだけ滲んでゐる。滲む赤を見ると、胸がきゅっとなる。春が来れば、君の名が濃くなる。濃くなる名を抱へるのは、嬉しさだけではない。嬉しさと同じ分だけ、痛みも濃くなる。

 

坂道の途中、ふと視界がひらけ、遠くに石の姿が見えた。

 

慰霊碑。

 

丘の上に、灰色の石が立ってゐる。まだ遠い。遠いから、小さい。小さいのに、私はそれが見えただけで、胸の奥の海が動いた。

 

――あそこだ。

 

私は思はず、背筋を少し伸ばした。背筋を伸ばすと膝が痛む。痛むのに、伸ばしてしまふ。あなたの前では、いつまで経っても少しだけ姿勢を正してしまふ。

 

バスは、ゆるやかに上る。上るほど、慰霊碑は少しずつ大きくなる。大きくなるほど、私の胸は不思議な具合に落ち着いていく。

 

いつもなら、私は「待つ女」だ。待つ女として、ここまで生きてきた。帰らぬ人を待ち、返事のない朝を待ち、桜の季節を待ち、心臓の鼓動を待つ。

 

けれど、今日の道は違ふ。

 

私は――会ひに行ってゐる。

 

会ひに行く道なのに、車窓に見える慰霊碑が、まるで向こうが私を待ってゐるやうに見えた。

 

「君待つごとし」

 

そんな言ひ方が、胸の中に浮かんで、私はふいに息を止めた。

 

待ってゐるのは、ずっと私だったはずだ。待つことしか出来なかったはずだ。それが、年を取って足が遅くなると、今度は“待たせてしまふ”側になる。私はあなたを待ち続け、いまはあなたに待たせてしまふ。

 

その逆さまが、なんだか可笑しくて、なんだか泣きたかった。

 

バスの中で、後ろの方から子どもの声がした。「もう着く?」母親が「もう少しよ」と言ふ。その会話の、当たり前の温さが胸へ沁みる。当たり前の温さの中に、私は入れなかった。入れなかった代りに、私は別の温さを抱へてきた。返事のない温さ。胸の奥だけで燃える温さ。

 

坂を上りきるころ、運転手がミラー越しに言った。

 

「次、慰霊碑前です」

 

その一言が、私には「お帰り」と聞こえた。お帰り、と言ふのは本当は家に戻る言葉だ。けれど私にとっては、あなたへ近づく言葉でもある。近づくことが“帰り”になる人生もあるのだと思った。

バスを降りると、空気が少し違った。

 

街の排気の匂ひが薄くなり、草の匂ひが増える。風が通る音がする。丘の上の風は、港の風ほど荒くない。けれど、同じ潮の匂ひを持ってゐる。

 

私は杖を突き、ゆっくり歩いた。石段は避け、緩い坂の道を選ぶ。若いころなら、正面から上っただらう。いまは、遠回りでも「着く」ほうを選ぶ。着けなければ、意味がない。

 

慰霊碑の前には、すでに花がいくつか供へられてゐた。白い花、黄色い花、薄紫。誰かの手が、ここへも届いてゐる。届いてゐることが、私は少し嬉しい。あなたが私だけのものではないと知るのは、時々苦い。けれど同時に、あなたが“世界に居た”証拠でもある。

 

私は花を供へた。花を供へるとき、指先が少し震へた。震へは老いの震へか、気持ちの震へか。分からないまま、私は手を合わせた。

 

掌を合わせると、胸の奥が静かに熱くなる。熱くなるのに、涙は出ない。涙は、年を取ると出にくくなる。出にくくなる代りに、胸の中の熱が長く残る。

 

「……来たよ」

 

私は小さく言った。石は返事をしない。返事をしないのに、今日は石が「待ってゐた」と言ってゐるやうに見える。そう見えるのは、私が遅いからだ。遅いから、待たせた。待たせたことが、申し訳なくて、そして少し嬉しい。

 

――待ってゐてくれた。

 

そんな勝手な想像で、私は生きてゐる。

 

石に掌を当てる。冷たい。冷たさが、私の体温をはっきり教へる。体温があることは、罪でもあり、役目でもある。

 

——私はまだ、ここへ来られる。——来られるうちは、来る。

 

胸の中でそう言って、私は石から手を離した。

 

ベンチに腰を下ろすと、膝がほっとした。ほっとした膝の代りに、胸が少し重くなる。帰り道の重さが、もう先に来てゐる。

 

遠くに海が見えた。光ってゐる。平らな顔をしてゐる。平らな顔の下に、底がある。底の青を思ひ出しさうになって、私は視線を桜の枝へ移した。

 

枝には、まだ蕾。蕾は硬い。硬い蕾を見ると、私は少し落ち着く。硬いものは、まだ割れてゐない。割れてしまったものを、私はたくさん見てきたから。

帰りのバスが来る時間になり、私はゆっくり立ち上がった。

 

立ち上がるとき、膝がきしむ。きしむ音は聞こえない。けれど、私は身体でそれを聞く。きしみを抱へながらも、私は振り返ってもう一度、慰霊碑を見た。

 

遠くなると、また小さくなる。小さくなるほど、胸が「また来るよ」と言ふ。言ひながらも、胸のどこかで「いつまで来られる」と数へてしまふ。数へる癖は、老いの癖だ。癖を責めても仕方ない。

 

バスに乗り、窓側に座る。バスはゆるやかに下る。下る景色の中で、慰霊碑が少しずつ見えなくなる。見えなくなると、私はまた「待つ」に戻る。

 

けれど今日の「待つ」は、少し違った。向こうが待ってゐた――と思へたことで、私の待ち方に、ほんの少しだけ厚みが増えた気がする。

 

国道へ戻ると、車の流れがまた始まった。人の暮らしが動いてゐる音がする。動いてゐる中で、私は静かに胸の中へ言った。

 

——篤志さま。——今日、会ひに行ったよ。——遠かったけれど、行けたよ。

 

返事はない。返事のない言葉で、私はまた一年を終はらせる。

夜、机に向かい、帳面を開いた。

 

平成十七年。白い頁の上に、今日の坂道が浮かぶ。国道を離れ、丘へ向かふバス。車窓の遠い慰霊碑。ゆるやかに近づいて、ゆるやかに離れていく石の姿。そして、石が「待つ」やうに見えた瞬間。

 

鉛筆を握り、私は今年の一首を置いた。

国道を バスゆるやかに 登る丘慰霊碑遠く 君待つごとし

書き終へると、胸の奥が少し整った。整ったのは、会へたからではない。会へないままでも、「待つ」の形が今年は少しだけ変はった――それを言葉にして置けたからだ。

 

窓の外では、春の風が鳴ってゐた。風は、また季節を運ぶ。そして来年、私は新しい病院の白い廊下で、足を取られながら“命を計る”ことになる。計られても、私はきっと言ふだらう。

 

――君と生きむ、と。

第六十二章 平成十八年(2006) 白い廊下

病院の白は、春の白とは違ふ。桜の白は、散る前の息づかひを持つ。けれど病院の白は、息を数へ、熱を量り、脈を刻み、**命を“計る”**ための白だ。

 

平成十八年、私はその白に足を取られた。

最初に「心臓」といふ言葉が現れたのは、台所だった。

 

朝、湯を沸かしてゐた。やかんが鳴る前、いつものやうに仏壇の水を替へ、線香を一本。煙が細く上がり、父と母の位牌の金文字が小さく光る。その光に一礼して台所へ戻り、火を少し弱めた瞬間――胸が、きゅっと縮んだ。

 

痛い、といふより、締めつけられる

 

息を吸ふと、胸の奥で何かがきしむ。吐くと、少しだけ緩む。もう一度吸ふと、また締まる。

 

私はやかんの取っ手に手をかけたまま、動けなかった。動けないくせに、頭の中だけが早い。

 

――ああ、これはいけん。――倒れたら、湯がこぼれる。――火がついたままになる。

 

私は火を消した。その動きだけは、身体が覚えてゐる。火を消したあと、流しの縁に肘をつき、ゆっくりと息を整へた。

 

胸の締めつけは、数分でほどけた。ほどけたときの自分の情けなさが、妙にこたえた。情けないのは、痛みよりも「怖い」と思ったことだ。若いころ、怖いと思っても、怖いと言へなかった。戦後は特に、女は怖がってゐる暇がなかった。

 

いま私は、怖いと思へる。怖いと思った瞬間、「病院へ行かう」と思へる。その変化が、ありがたいのか、哀しいのか。私はまだ、うまく言葉に出来なかった。

 

房子に電話をかけた。房子は相変はらず声が大きい。

 

「百合ちゃん、あんた、胸? それはいけん。今日のうちに行きんさい。今は新しい病院が出来とるけえ」

 

新しい病院。

 

その言ひ方が、妙に眩しかった。新しい――といふ言葉は、私の胸の中ではいつも、どこか遠い。けれど、遠くても行かねばならない。行かねば、私はここで止まる。止まったら、手紙も、桜も、君の名も――私の手から落ちる気がした。

病院へ行く朝、私は鏡の前で少し長く自分の顔を見た。

 

白髪は増えた。目尻は下がり、頬は少しこけた。けれど目の奥には、まだ火がある。火があることが、時々怖い。火があるほど、人は燃え尽きるとき痛いからだ。

 

桜袋を懐へ入れる。それから診察券と保険証。この二枚の紙が、いまの命の門札になる。戦後すぐは配給手帳だった。紙が変はっても、人は紙で守られ、紙で区切られる。

 

杖も持った。病院の床は滑る、と房子が言ってゐた。「新しい病院は、床がぴかぴかで、かへって怖いんよ」その言ひ方に、私は小さく笑った。ぴかぴかが怖い――といふ歳になったのだ。

 

バスに乗り、揺れに合わせて膝をかばひ、窓の外の町を眺めた。新しい店が出来、古い店が消え、看板の字が横文字になっていく。けれど川は流れ、土手の桜はまだ同じ場所に立ってゐる。同じものがあるうちは、私はまだ帰れる。

 

病院が見えてきた。

 

大きい。白い。ガラスが多くて、空が映る。入口の自動扉が、近づくだけで開いた。開く扉の軽さが、私には少し怖かった。扉は、押して開けるものだと思ってゐたから。押さずに開くものは、便利で、どこか信用ならない。

 

中へ入ると、匂ひが変はった。

 

消毒の匂ひ。新しい壁の匂ひ。人の息の匂ひ。それらが混じって、白い空気になってゐる。

 

受付の前には、機械が並んでゐた。画面が光り、「診察受付」と書いてある。人の手ではなく、機械に診察券を通す。通すと、番号札が出てきた。

 

番号。

 

また数字だ。税も、年金も、健康も、みんな数字になる。数字になった途端、人は安心する。けれど私は、数字になるときに何かが削られる気がして、いつも少しだけ怖い。

 

私は番号札を握りしめ、椅子に座った。椅子の列が、白い廊下の両側に並んでゐる。白い床。白い壁。白い天井。白の中で、人の服の色だけが浮いてゐる。黒い服、灰色の服、病衣の水色。どの色も、どこか遠慮してゐた。

 

呼び出しの声が、機械の音で鳴る。

 

「○番の方、循環器内科へ」

 

循環器――と聞いた瞬間、胸の奥がひくりとした。循環といふ言葉は、本来やさしい。回って、めぐって、生きる。けれど今日は、その言葉が「止まるかもしれない」を連れてきた。

 

私は立ち上がり、案内の表示に従って歩き出した。

 

白い廊下は、まっすぐで、長い。長いまっすぐは、戦後の復興道路みたいだと思った。復興道路には、希望もあった。けれど白い廊下のまっすぐは、希望より先に、判定がある。

 

廊下の角を曲がらうとしたとき、足の裏がつるりと滑った。

 

「――っ」

 

声にならない息が漏れた。杖を出す間もなく、私は体を傾けた。心臓がひゅっと跳ねる。

 

その瞬間、手すりに手が触れた。金属の冷たさ。冷たさが掌に刺さり、私はかろうじて踏みとどまった。

 

「大丈夫ですか!」

 

白衣の女の人が、すぐ横へ来た。看護師だらう、髪をきちんとまとめ、声がやさしい。私は恥づかしさで顔が熱くなった。

 

「……すみません。足が、ね……」

 

「床、滑りますよね。ゆっくりでいいですよ。手すり、使ってください」

 

ゆっくりでいい。その言葉が、胸へ沁みた。戦後の女は、ゆっくりが許されなかった。ゆっくりしてゐたら、列に置いていかれる。ゆっくりしてゐたら、配給がなくなる。ゆっくりしてゐたら、生活が壊れる。

 

いま、ゆっくりでいい、と言はれる。言はれて、私は泣きさうになった。泣きさうになるほど、私は「急がされて」生きてきたのだと、その白い廊下で気づいた。

診察室は、さらに白かった。

 

医者は若い男だった。パソコンの画面を見ながら、こちらに目を向ける。目は真面目で、声は淡々としてゐる。

 

「どうされました?」

 

私は胸の締めつけの話をした。息が詰まる感じ。数分で治まったこと。最近、坂道で息が上がること。夜、時々、脈が速くなること。

 

言ひながら、私は自分の言葉が「年寄りの愚痴」みたいに聞こえるのが嫌だった。けれど言はねば、医者は分からない。分からないことを、機械で計られるのも嫌だった。

 

医者は頷き、検査をいくつか指示した。

 

心電図。血液。胸の写真。エコー。

 

検査室へ案内され、私はまた白い廊下を歩いた。白い廊下の途中で、点滴の台を押す人とすれ違った。点滴の滴が、透明な管の中を落ちていく。滴が落ちる様子を見てゐると、時間が目に見える気がした。落ちる一滴が、一秒みたいで、怖い。

 

心電図の部屋で、私は胸に丸いものを貼られた。冷たい。冷たいものが肌に触れると、身体がびくりとする。

 

「力を抜いてくださいねー」

 

抜く。抜けるなら、抜きたい。抜きたいのに、心臓のあたりだけ、うまく抜けない。心臓は、自分の意志で動かせない。動かせないものが、私の命の真ん中にある。

 

機械が、紙を吐き出した。波形。山と谷。命の線。

 

私はその線を見ながら、ふと思った。戦後、私は何度も、紙の上の線に泣かされてきた。名簿の線。通知の線。年金の線。そしていま、命の線。

 

線が、私を裁く。

 

血液を採られた。針が刺さる。刺さる痛みは、むしろ安心する。痛いと、「生きてゐる側」に戻れる。

 

胸の写真の部屋で、機械の前に立った。胸を板に押し当てる。押し当てると、息が詰まる。その詰まり方が、朝の締めつけに少し似て、私は目を閉ぢた。

 

エコーでは、暗い部屋で画面を見せられた。黒い中に、白い影が動く。それが自分の心臓だと聞いた瞬間、私は息を止めた。自分の中のものを、外の画面で見る。不思議で、少し気味が悪い。けれど、気味が悪いほど、私の命は機械に見られてゐる。

 

検査が終はり、白い廊下をまた歩いた。足はさっきより慎重になってゐる。慎重になると、歩幅が小さくなる。小さくなる歩幅で、私はふと思った。

 

――もし、ここで倒れて、そのまま逝ったら。――私は、どうなる。――君に会へるのか。――会へるなら、いまでもいいのか。

 

胸の奥が、ふっと温かくなった。会へる、といふ言葉が、甘い。甘いのに、すぐに苦くなる。

 

いま逝ったら、誰が君の名を呼ぶ。誰が桜袋を守る。誰が帳面を開く。私が逝けば、君の名は世間の名簿の中の字に戻る。字に戻るのが嫌だ。私は、君を字に戻したくない。君は、私の中で息をしてゐる。その息を、私が止めてしまふのが怖い。

 

私は白い廊下の手すりに手を置き、ゆっくり息を吐いた。

 

——篤志さま。——まだ、行かんよ。——まだ、こっちに居るよ。

 

返事はない。返事はないのに、言へたことで足が前へ出た。

診察室へ戻ると、医者は検査結果を見ながら言った。

 

「大きな異常は今のところ――ただ、念のため薬を出します。あと、しばらく様子を見て、必要なら詳しい検査も」

 

“念のため”。

 

その言葉が、私にはありがたかった。いきなり「危ない」と言はれたら、私はたぶん折れてゐた。念のため、と言はれて、私は「まだ日常へ戻れる」と思へた。

 

医者は、最後にこう言った。

 

「無理はしないでください。でも、適度に動くのは大事です。散歩とか」

 

散歩。

 

桜の土手。慰霊碑の丘。私の散歩は、ただの散歩ではない。君へ繋がる散歩だ。動け、と言はれたことが、妙に救ひだった。

 

薬局で薬をもらい、白い「お薬手帳」といふ小さな冊子も渡された。薬の名前が、細い字で並ぶ。また数字。また紙。

 

私はその手帳の裏表紙の内側に、鉛筆で小さく書いた。

 

――篤志。

 

誰にも見せるためではない。ただ、紙に名を置くと、私は落ち着く。名を置けば、命の線がどれだけ揺れても、私の芯が残る。

家へ帰ると、仏壇の灯が薄暗く待ってゐた。

 

私は灯を点け、水を替へ、線香を一本。今日の消毒の匂ひが、線香の匂ひに混じっていく。混じっていくと、「生きる匂ひ」と「弔ふ匂ひ」が同じ部屋に並ぶ。並ぶのが、私の暮らしだ。

 

桜袋を胸へ押し当て、私は小さく言った。

 

——篤志さま。——白い廊下で、足を取られたよ。——命を計られたよ。——でもね、まだ生きるよ。君と。

 

「君と生きる」といふのは、誰かと暮らすことではない。君の名を抱へて、生きることだ。君の名を抱へて、桜を待ち、線香を焚き、便箋を買ひ、石に触れに行くことだ。その暮らしを、私はまだ終はらせたくない。

 

机に向かい、帳面を開いた。平成十八年。白い頁が、病院の白よりずっと温かく見えた。この白は、私の白だ。私が言葉で染める白だ。

 

鉛筆を握り、今日の白い廊下を思ひ出す。つるりと滑った床。手すりの冷たさ。機械の吐いた命の線。そして「ゆっくりでいいですよ」と言った看護師の声。

 

私は、今年の一首を置いた。

新病院 白き廊下に 足とられ命計るも 君と生きむと

書き終へると、胸の奥がすうっと整った。整ったのは、病が消えたからではない。病も老いも、これから先も続くだらう。けれど、その中でも私は「君と生きむ」と言ひ切れた。言ひ切れたことが、今年の支へになった。

 

窓の外で、春の気配が少し濃くなってゐた。来年は、歴史の教科書の言葉が騒がしくなり、私は「誰が悪か」と海に問ふことになる。言葉が刃になる時代に、私はまた、海へ――そして君へ、問いを投げる。

第六十三章 平成十九年(2007) 海へ問ふ

教科書の紙は、薄い。薄いのに、そこへ載った言葉は、時に骨より重い。

 

――正しいことが書いてある。――子どもが学ぶのだから、余計なことは書かない。――国のかたちが崩れる。

 

テレビの中で、そんな言葉が行き交ふのを、平成十九年の私は、薬の包み紙を弄りながら聞いてゐた。白い小袋の端を指で折ると、ぱり、と乾いた音がする。その音が、紙の上の「正しさ」の音に似てゐて、私は胸の奥がざらついた。

その年の春、私は机の引き出しを整理してゐた。

 

心臓の薬が増えると、紙が増える。お薬手帳の薄い冊子、検査の結果の紙、次回予約の紙。紙が増えるほど、私は昔の紙も増えて見える。

 

便箋の束。古い領収書。遺族会の名簿。大和会の案内状。そして、色の褪せた小さな地図。

 

昭和二十四年に、私は教科書の掠れた地図に、自分で青を塗った。君の海を、碧濃く塗った。塗らなければ、載らないものがあると思ったからだ。

 

載らないものがある。載せないものがある。載せられないものがある。

 

言葉は、紙の上でいつも選ばれる。選ばれた言葉だけが「歴史」として残る。残らなかった言葉は、誰の胸で生きるのか。胸でしか生きられぬ言葉を、私はずっと抱へてきた。

 

だから私は、教科書といふ紙が、どれほど恐ろしいかを知ってゐる。

きっかけは、夕方のニュースだった。

 

台所で、味噌汁の鍋を火にかけ、葱を刻んでゐた。手元の葱の緑が、まな板の上で細くなる。細くなるのを見ると、私は安心する。手がちゃんと動く日は、胸の奥の海が少し静かだからだ。

 

テレビが、突然「教科書検定」と言った。

 

画面に出たのは、沖縄の海ではなく、会議室みたいな場所だった。背広の男、資料の紙、マイク。そして、次に映ったのが沖縄の空と、人の群れ。

 

「集団自決」「軍の関与」「検定意見」「訂正」「抗議」

 

言葉が、画面の端で赤く光る。赤い字を見ると、昭和の赤紙を思ってしまふ癖は、まだ抜けてゐない。

 

アナウンサーが丁寧な声で説明する。「教科書の記述をめぐり――」「表現が修正され――」「県内では反発が――」

 

反発。修正。表現。

 

私は、葱を刻む手が止まってゐるのに気づいた。まな板の上の葱が、途中で途切れて、そこだけ太いまま残ってゐる。太いまま残った葱は、どこか不格好だ。

 

不格好なのは、葱ではなく、私の胸だった。“修正”といふ言葉が、喉の奥にひっかかった。

 

修正――。

 

言葉は修正できる。けれど、死は修正できない。死んだ者を「実は死んでゐませんでした」と書き換へることは出来ない。死の原因を「違ふやうにも書けます」と言ふのも、私には、ひどく薄情に思へた。

 

画面には、年配の女の人が映った。涙をこらへながら話してゐる。「事実を消さないでください」そんな言葉が聞こえた。

 

私は味噌汁の火を弱めた。鍋が沸き立つ音が、急に遠くなった。沸き立つ音の代りに、胸の奥で、別の音がした。

 

――誰が悪い。――誰が悪いのか。

 

そんな問いが、勝手に浮かんだ。

 

誰が悪い。戦を始めた者か。命令した者か。従った者か。恐ろしくて死を選んだ者か。恐ろしくさせた空気か。空気を作った国か。国を作った人々か。

 

問いを立てると、答へは必ず誰かを切る。誰かを切ると、別の誰かが泣く。泣く者の横で、切った側もまた苦しくなる。

 

私はその苦しさを、ずっと自分ひとりで抱へてきた。抱へてきたから、軽々しく「誰が悪い」と言へない。

 

言へないのに、言葉はいつでも人を二つに割りたがる。善と悪。正しいと間違い。被害者と加害者。

 

それらの分け方の中で、君はどこへ入るのだらう。大和に乗って、命令に従って、海へ行った君は――悪か。悪と言はれたら、私は立ってゐられない。けれど「悪ではない」と言ひ切るほど、私は戦を知らぬふりも出来ない。

 

味噌汁の香りが立った。香りが立つほど、現実が戻る。戻ってしまへば、鍋は焦げる。私は慌てて、葱を落とし、火を止めた。

 

火を止めたあと、私は椅子に座った。膝が少し震へてゐる。震へは冷えのせゐか、問いのせゐか。分からない。

その夜、房子が電話をかけてきた。

 

「百合ちゃん、見た? 教科書のやつ。沖縄が怒っとる言うてた」

 

「……見たよ」

 

「うちの孫がなあ、学校で習う言うて。先生が困っとるらしい。何をどう言やあええんか、って」

 

孫。学校。教科書。

 

世代が変はると、戦は“学ぶもの”になる。学ぶものになったとき、人は大事なものを二つ持つ。ひとつは、事実。もうひとつは、言ひ方。

 

言ひ方が違へば、事実も違ふ顔をする。顔が違へば、子どもの胸に残るものも違ふ。

 

房子は続けた。

 

「軍が命令したんか、してないんか、って。よう分からん話じゃねえ。……百合ちゃんは、どう思う?」

 

どう思う。

 

その問いは、房子が悪いのではない。世の中が「どう思う?」と訊きたがる時代になったのだ。戦後すぐは、思ふより先に生きるだけだった。思ふ暇がなかった。いまは、思へる。思へるからこそ、意見が要る。意見が要るからこそ、人はまた割れる。

 

私は受話器を握ったまま、少し黙った。黙ると、房子は「ごめんね」と言ひさうになる。房子に謝らせたくない。謝るべきは房子ではない。

 

「……分からんよ」

 

私は、正直に言った。

 

「分からんけどね、分からんままでええと思へんのが、怖いんよ。誰が悪いって、決めたがるじゃろ。決めたら、誰かが楽になる。けど……その楽は、他の誰かの痛みの上にある気がする」

 

房子はしばらく黙って、「そうじゃね」とだけ言った。それ以上、言葉を続けなかった。房子の「そうじゃね」は、慰めでも同意でもなく、ただ隣に座る返事だった。隣に座る返事は、ありがたい。

 

電話を切ったあと、私は仏間へ行った。灯を点け、水を替へ、線香を一本。煙が上がる。煙を見てゐると、胸の奥の問いが少し丸くなる。

 

——篤志さま。——教科書が騒がしいよ。

 

言ってみても、胸の奥の問いは消えない。

 

——あなたは、誰が悪いと思ふ?——あなたは、あの海の底で、何を思ってゐる?

 

返事はない。返事がないのに、問いが残る。

 

問いが残るとき、私が行く場所は、いつも決まってゐる。

 

海だ。

翌日、私は瀬戸内の堤へ行った。

 

遠くまで行ける足ではない。けれど堤なら、杖があれば歩ける。歩ける範囲の海で、私は海へ問ふ。

 

昼過ぎの海は、平らな顔をしてゐた。風が弱い。弱い風の海ほど、底が深く感じる。底が深いほど、言葉が届かぬ気がする。

 

堤の上に立ち、私は波の音を聞いた。波は、砲声ではない。ただの波だ。ただの波であってほしい。その「ただ」を守るために、どれだけの人が死んだのか――と、私は知ってゐる。

 

知ってゐる者は、ただの波をただと受け取れなくなる。受け取れなくなるのが、戦後を生きた者の罪なのかもしれない。

 

私は堤の柵に手を置いた。金属が冷たい。冷たい金属は、病院の手すりを思ひ出させる。病院の白い廊下の冷たさ。命が数字で計られる場所の冷たさ。

 

海もまた、命を計る。数ではなく、沈黙で。

 

どれだけ沈んだか。どれだけ戻らぬか。戻らぬものの重さで、海は深くなる。

 

私は海を見つめながら、口の中で小さく言った。

 

「……誰が悪いんかね」

 

声に出すと、恥づかしい。恥づかしいのに、声にしないと、問いが胸の中で暴れる。暴れる問いは、心臓に悪い。医者に叱られるやうな気がして、私は息をゆっくり吐いた。

 

海は、返事をしない。返事をしない返事が、海の答へだ。

 

返事がないからこそ、私は思ふ。

 

悪い者を一人に決めて、そこへ石を投げても、海は軽くならない。悪い者を誰かに押しつけても、死んだ者は戻らない。死んだ者が戻らない以上、私たちは「分からない」を抱へて生きるしかない。

 

分からないを抱へること。それは、痛い。けれど、痛いまま抱へるのが、平和の始まりなのかもしれない。痛みを消すために誰かを切れば、また次の痛みが生まれる。

 

海は、ただ揺れてゐる。揺れながら、すべてを抱へてゐる。抱へたものを、選り分けない。海は、善も悪も区別しない。区別しないからこそ、海は冷たい。

 

私は海の冷たさに触れたくて、堤の端まで歩いた。波が石に当たり、白い泡が立つ。泡が立って消える。消える泡の速さが、言葉の速さに似てゐる。速い言葉ほど、すぐ消える。消える言葉の跡に、しこりだけが残る。

 

私は、海へ心の中で言った。

 

——篤志さまの海よ。——沖縄の海よ。——教科書の紙の上で、言葉が削られていくよ。——削られた言葉は、どこへ行く?——誰が悪い? 誰が正しい?——海よ、教へて。

 

海は、ただ波を返した。返された波の音は、答へではなく、祈りのやうに聞こえた。

 

祈り。私はいつも、答へより祈りで生きてきた。答へがないから、祈る。祈るしかないから、言葉を置く。

 

堤の上で風が少し強くなり、髪が頬に触れた。触れた髪を押さへながら、私はふと思った。

 

君もまた、答へを持たないまま命令に従ひ、海へ出たのだらう。誰が悪いか分からないまま、あなたは海へ沈んだ。分からないまま沈んだ者に、私は「悪」と言へない。言へないから、私は今日も海へ問ふ。

夕方、家へ戻ると、仏間の灯が薄暗く待ってゐた。

 

灯を点け、水を替へ、線香を一本。海の匂ひが、家の匂ひに混じる。混じると、胸の奥が少し落ち着いた。

 

机に向かい、帳面を開く。平成十九年。紙の白は、教科書の白と同じなのに、私の白は少し温かい。温かいのは、この白が「誰かを裁く白」ではなく、「抱へる白」だからだ。

 

鉛筆を握り、今日のニュースの赤い字を思ひ出す。沖縄の空。人の涙。背広の男の資料。そして堤の上の、返事のない波。

 

私は短く、けれど逃げずに置いた。

検定の 教科書騒ぎ 報じられ「誰が悪か」と 我は海に問ふ

書き終へたとき、胸の奥のざらつきが、少しだけ丸くなった。丸くなっただけで、消えはしない。消えないままでも、今年の問いは今年の頁に置けた。

 

窓の外で、黄砂のやうな乾いた風の匂ひが、どこか遠くから来てゐる気がした。不況、と人が言ひ始める年が近づいてゐるのだらう。街が荒むと、頬に当たる風まで痛くなる。けれど私は、桜の塩を指に載せ、君を守るやうに舐めることを覚えてゐる。

第六十四章 平成二十年(2008) 桜の塩

風が荒れると、街の人の顔つきが変はる。

 

天気の風ではない。新聞の見出しが運んでくる風。テレビの経済の言葉が煽る風。誰かのため息が、店先の空気を重くする風。

 

平成二十年、その風は「不況」といふ名を持ってゐた。

春先、私はいつものやうに商店街へ出た。

 

杖はまだ「毎日」ではない。けれど、家を出る前に膝の具合を確かめる癖がついた。立って、歩いて、数歩。それで「今日はいける」「今日は控へる」と、自分の身体に訊く。

 

「いける」と身体が答へたので、私は財布と買ひ物袋を持って外へ出た。外へ出れば、世間の声が聞こえる。聞こえる声に、私は時々、胸の中の海をざわつかせられる。

 

魚屋の前を通ると、貼り紙が目に入った。

 

「値上げ」

 

油の値段が上がる、と言ふ。ガソリンが高い、と皆が言ふ。灯油も、魚も、野菜も、何もかもがじわりと上がる。上がるのに、年金は上がらない。上がらないものを抱へて生きるのは、戦後の女には慣れたことだ。慣れたことなのに、慣れたままの暮らしが、また一段きつくなると、胸の奥に小さな棘が立つ。

 

八百屋の前で、女たちが話してゐた。

 

「また上がるんじゃと」「若いもんは仕事がない言うて」「派遣が切られる言うてのう」

 

派遣――といふ言葉は、私の若いころにはなかった。けれど、言葉がなくても似たことはあった。工場の口が閉まる。配給が減る。働き口が消える。

 

消える、といふことだけは、時代が変はっても同じだ。

 

私はその輪の外側で、豆腐と葱を買った。レジの数字が小さく増えてゐる。たった数円、数十円の違ひが、今日は妙に重い。

 

「世の中、また戦後みたいになりゃあせんかねえ」

 

誰かが冗談のやうに言って、別の誰かが笑った。笑ひの中に、怖さが混じってゐた。冗談にしておかないと、怖さは生活を呑む。呑まれないために、人は笑ふ。その笑ひ方を、私は知ってゐる。知ってゐるから、胸が痛い。

その日の午後、風が強くなった。

 

窓の外が少し白っぽく見える。空が曇ったわけではないのに、光が濁る。濁る光は、私にとっては嫌な合図だ。

 

黄砂。

 

春の黄砂は、昔からあった。けれど近年は、ひどい日がある。洗濯物がざらつく。窓の桟が薄茶色になる。目が痒く、喉がいがらっぽい。

 

私は若いころ、黄砂など「春の埃」くらゐに思ってゐた。戦後の埃に比べれば、黄砂は可愛いものだった。けれど年を取ると、可愛いものでも身体が敏感に痛む。

 

外へ出る用事があった。薬をもらひに、病院へ行かねばならない。心臓の薬は、途切らせたくない。途切れれば、白い廊下で滑った日の怖さが戻ってくる。

 

私はマスクを探した。花粉の季節用に、房子がくれた箱がある。白いマスクを一枚取り、耳にかけた。

 

マスク、といふものを日常にする時代が来るとは、思ってゐなかった。けれど、黄砂と花粉の季節には、もう珍しくない。人の顔が半分隠れると、世の中は少しよそよそしく見える。よそよそしさに慣れると、人は大事なものまで隠し始める気がして、私は少し怖い。

 

玄関を出ると、風が頬を打った。

 

打った――といふほど大げさではない。けれど、細かな砂が混じってゐるのが分かる。頬に当たると、ちくりとする。まるで、目に見えない針を投げられてゐるやうだ。

 

私は襟を立て、杖を突いて歩いた。

 

国道の車は相変はらず流れてゐる。けれど、看板の色がどこかくすんで見えるのは、黄砂のせゐだけではない気がした。不況――といふ言葉が、空気の色まで変へる。人の顔も、道端の花も、少しだけ黙ってしまふ。

 

病院の帰り道、私は息を整へるために堤へ寄った。

 

瀬戸内の海は、今日も平らな顔をしてゐた。平らな顔の上を、黄砂の混じった風が滑っていく。海の上の風は、陸より冷たい。冷たい風に、砂が混じると、頬がさらに痛い。

 

痛い頬をさすりながら、私はふいに思った。

 

——海は、何もかも受け取る。——煙も、言葉も、砂も。——そして、人の命も。

 

あなたを受け取った海が、いま黄砂を受け取ってゐる。遠い国から飛んできた砂が、この海を越えて、私の頬を刺す。越えてくる、といふことが、どこか戦の「前線」を思ひ出させて、胸がざらついた。

 

私は堤の柵に手を置いた。金属が冷たい。冷たいものに触れると、私は「生きてゐる側」の熱を知る。知ると、胸が少し痛む。

 

——篤志さま。——今日は、風が痛いよ。——砂が、頬を射つよ。

 

返事はない。返事がないのに、私は言ってしまふ。言ってしまふことで、痛みが言葉に変はり、言葉になると少しだけ耐へられるからだ。

家へ戻ると、まず手を洗った。

 

石鹸の泡で、指の皺の間までこすり、砂を落とす。顔も洗ふ。頬を洗ふと、さっきの痛みが少しだけ引く。引いても、胸のざらつきは残る。

 

ざらつきは、砂のせゐではない。世の中の風のせゐだ。

 

テレビをつけると、やはり不況の話をしてゐた。株がどうだ、銀行がどうだ、世界がどうだ。世界、といふ言葉が、昔よりずっと近い。昔は、世界は地図の向うだった。いまは、世界の揺れが、商店街の豆腐の値段にまで来る。

 

私は音量を下げた。言葉が大きすぎると、胸の中の名が傷つく気がする。

 

仏間へ行き、灯を点け、水を替へ、線香を一本。線香の匂ひが立ち上がると、部屋の中の空気が少し落ち着く。落ち着く空気の中で、私は桜袋をそっと取り出した。

 

桜袋の中には、押し花と、古い便箋の切れ端と、そして――小さな小瓶があった。

 

それは、桜の塩だった。

 

去年、房子が「これ、春の味じゃけえ」と言ってくれたものだ。塩漬けの桜をほぐして混ぜた、薄桃色の塩。小瓶の中に、花びらの欠片が見える。

 

私はその塩を、ここ数年、食卓に出すだけではなく、時々“お清め”のやうに扱ふやうになってゐた。

 

昔、葬式から帰ると、玄関先で塩を撒いた。死の気を家へ持ち込まぬため、と教へられた。死の気――などといふものが本当にあるのか分からない。分からないけれど、塩を撒くと心が落ち着いた。落ち着くなら、それでよかった。

 

私はいま、塩を撒きたいのは家ではない。家は、線香の匂ひで守れてゐる。撒きたいのは、胸の中のあなたの名だ。

 

不況の風。黄砂の風。人の心が荒みやすい風。言葉が尖りやすい風。

 

その風が、あなたの名に砂をかけてしまふやうで、私は嫌だった。砂をかけられて、名がざらつくのが嫌だった。

 

私は小瓶の蓋を開け、指先でほんのひとつまみ取った。指に乗せると、塩は冷たく、少し湿ってゐる。花の香りが、かすかに立つ。春の香りだ。

 

私はその塩を、掌に落とし、両手を合わせるやうにして軽く包んだ。包む掌の中で、塩の粒が小さく擦れて、さらさらと鳴った。その音が、砂とは違ふ音に聞こえて、私は少し安心した。

 

そして、掌を胸に当てた。

 

——篤志さま。——これで、守るけえ。——世の中の風がどう荒れても、あなたの名だけは汚させん。

 

馬鹿げてゐる。塩で人が守れるはずがない。けれど私は、馬鹿げたものに何度も救はれてきた。押し花。便箋。石の冷たさ。切符の角。空の湯呑。

 

それらは全部、現実には何も変へない。変へないのに、私の胸の中の秩序を守る。秩序が守れれば、私は生きられる。

 

塩の香りが、少しだけ鼻に届いた。桜の香りは、海の匂ひと混じると、不思議に落ち着く。海の塩と、桜の花。あなたの眠る底と、私の毎年の春。

 

二つが混じると、私は「二人」の形を思ひ出せる。

その夜、窓の外で風がまだ鳴ってゐた。

 

黄砂のせゐか、月がぼんやり見える。ぼんやりした月を見てゐると、昭和二十年の空襲の夜の薄い月を思ひ出しさうになる。思ひ出しさうになる前に、私は視線を落とした。

 

机に向かひ、帳面を開く。平成二十年。白い頁が、今日のざらつきを待ってゐる。

 

私は鉛筆を握った。指先には、桜の塩の粒の感触がまだ残ってゐる。残ってゐる感触が、護符のやうに心を整へる。

 

今日の風は、頬を射った。砂は目に見えないのに、確かに痛かった。不況といふ言葉もまた、目に見えないのに、確かに胸を刺した。

 

刺すものが二つ重なるとき、私は守りの形を取るしかない。守りの形は、塩と桜。

 

私は今年の一首を、静かに置いた。

不況風 黄砂まじりて 頬射つなり桜の塩で 君をまもらむ

書き終へると、胸の奥のざらつきが少しだけ丸くなった。丸くなっただけで、不況が消えるわけではない。黄砂が止むわけでもない。けれど、あなたの名を守ると決めたことが、今年の私の芯になった。

 

窓の外の風は、まだ鳴ってゐる。それでも私は、桜袋を胸へ押し当て、静かに息をした。

 

来年、世の中は「給付金」といふ言葉でまた騒がしくなるだらう。けれど私は、その金さへも使はずに、きっと紙を買ひ足す。恋文の紙を。あなたへ届かぬ紙を。届かぬ紙を買ひ足すことが、私の生きる手つづきなのだから。

第六十五章 平成二十一年(2009) 給付金の封筒

役所の封筒は、いつも茶色い。薄い茶色に、黒い字で「親展」などと書いてあって、開ける前から、こちらの背筋を少しだけ硬くする。

 

平成二十一年の春、その茶色い封筒が、郵便受けに入ってゐた。

 

差出人は市役所。宛名は私の名。印刷された私の名は、手書きより冷たく見える。冷たいのに、まちがひなく「私」を指す。指された瞬間、人は自分の年を思ひ出す。役所は、生きてゐる者を数へる。数へる紙が届くと、私はいつも少しだけ、胸の奥の海をざわつかせる。

 

封筒を台所の卓の上に置き、湯を沸かした。湯を沸かせば、手が落ち着く。落ち着いた手でないと、私は紙を開けられない。紙を開ける、といふことは、いつでも何かの区切りを受け取ることだからだ。

 

湯気が立つ間に仏間へ行き、水を替へ、線香を一本。煙が細く上がる。煙の上がり方を見てゐると、少しだけ心が整ふ。

 

こたつに戻り、茶色い封筒を開けた。

 

中から出てきたのは、白い紙の束だった。太い見出しの文字が目に入る。

 

「定額給付金」

 

給付金。その言葉は、去年から時々聞いてゐた。不況、黄砂、値上げ――そんな言葉の中に、ぽつりと混じる「給付」。“配る”といふ響きが、戦後の配給を思ひ出させて、私は苦笑ひした。

 

紙には、手続きの説明が並び、申請書が挟まってゐた。「記入例」「振込先」「本人確認書類」小さな文字がぎっしりだ。

 

私はその字を追ひながら、ふと思った。

 

——国は、私に「使へ」と言ってゐる。——使って、街を動かせと言ってゐる。

 

テレビは言ふ。「景気対策」「消費喚起」「家計の下支え」

 

下支え。それは、たしかに助かる。けれど私は、胸の奥で別のことを考へてゐた。

 

私はもう、街を動かすやうな買ひ物はしない。若い者みたいに新しい服も買はない。車も買はない。家電も、壊れるまで使ふ。使ふ癖は、戦後に身についた。“足りる”まで使う。“もったいない”を、骨で覚えた。

 

なら、この給付金を、何に使へばいいのか。

 

私は紙を膝の上に置き、しばらく動けなかった。動けなかったのは、金の話が嫌ひだからではない。金の話は、私はずっとしてきた。嫌なのは、金が「生きてゐる側の現実」すぎることだ。

 

生きてゐる側の現実が、ふいに茶色い封筒で届くと、私はいつも、胸の中のあなたをかへって強く思ひ出す。あなたは、この封筒を受け取れない。あなたの名宛に、役所の封筒は届かない。届かないことが、いまさらながら、胸を刺す。

 

私は桜袋を懐から出し、指で凹凸を確かめた。刺繍の糸は、薄紅のまま、まだしぶとい。その薄紅に触れると、私はやっと息が戻る。

 

——篤志さま。——役所から、金の紙が来たよ。

 

返事はない。返事はないのに、言へたことで、私は申請書に手を伸ばした。

申請書に書く、といふ行為が、私はいつも苦手だ。

 

名前。住所。生年月日。電話番号。振込先。

 

書けば書くほど、私は「制度の中の私」になる。制度の中の私は、あなたと出会ふ前の私よりも、ずっと老いてゐる。老いてゐる私の字は、若いころより少し震へる。震へる字で書く自分が、恥づかしくて、腹が立つ。

 

けれど、書かねば届かない。届かないものは、私の人生にはもう十分ある。これ以上、届かないものを増やしたくなかった。

 

印鑑を出した。小さな朱肉を開ける。朱肉の匂ひは、どこか懐かしい。結婚の手続きの朱肉の匂ひを、私は思ひ出してしまふ。結婚の朱肉は、私には一度も押されなかった。押されなかった朱肉の匂ひが、いま、別の手続きのために立ち上がる。

 

私は、書いて、押した。

 

押すとき、少しだけ息を止めた。印鑑は、紙の上に小さな確かさを残す。確かさが残ると、私の胸も少し落ち着く。落ち着くのに、同時に、寂しい。寂しいのは、こういふ「確かさ」が、あなたには届かないと分かってゐるからだ。

 

翌日、必要な書類を揃へて、市役所へ行った。

 

役所の待合室には、同じ封筒を持った人がたくさんゐた。年配が多い。皆、手元の紙を読み返し、番号札を握りしめてゐる。握りしめる手の形が、去年の私が駅のベンチで切符を握った手に似てゐて、私は目を逸らした。

 

「わしらに金配ったところで、何を買え言うんかねえ」

 

隣の席の男が、連れの女に言った。女は「そりゃあ、孫にやるんじゃろ」と笑った。

 

孫。そう言へる人が羨ましい、と思ってしまふ自分が嫌だった。羨ましいと思った瞬間、胸の奥であなたの名が少し痛む。痛むから、私はすぐ桜袋を押さへた。

 

窓口で手続きを終へると、係の人が丁寧に言った。

 

「振り込みは、後日になります」

 

後日。人は「後日」で待てる。待てるのは、生きてゐるからだ。生きてゐる者の待ち方と、死者を待つ私の待ち方は、同じ言葉でも質が違ふ。違ふのに、私は同じやうな顔で頷いた。

数週間後、通帳に印字された。

 

小さな数字が一行増える。増えた一行は、誰かのため息の積み重ねみたいに見えた。世の中の「困った」を、国が紙で埋め合わせてゐる。埋め合わせは、ありがたい。ありがたいのに、私の胸の穴は紙では埋まらない。

 

私はその数字を見て、通帳をそっと閉ぢた。

 

使はうと思へば、使へる。灯油を買へる。薬の足しにもなる。台所の鍋も新しく出来る。壊れかけたラジオも買ひ替へられる。

 

けれど、私は通帳を閉ぢたまま、しばらく触らなかった。

 

触らなかったのは、もったいないからではない。「これは生活の金ではない」と、どこかで決めたかったからだ。

 

生活の金は、私の生活が稼ぐ。私の生活は、年金と、節約と、戦後の癖で回してきた。それで回るなら、回したい。国が配ってくれた金に、私は頼りたくなかった。頼れば、私は自分の暮らしの輪郭を見失ひさうで怖かった。

 

それに――

 

国が「使へ」と言ふ金を、私は「使はない」で持ってゐたかった。持ってゐるだけで、私の心が少しだけ強くなる気がした。強くなる、といふほど立派なものではない。ただ、私の「頑固」が生き延びてゐる証拠だ。

 

房子にその話をすると、房子は笑った。

 

「百合ちゃん、あんたは昔っから、そうよ。配給の砂糖も最後まで取っとったじゃろ」

 

「……取っとったねえ」

 

「最後まで取っといて、結局、誰にも使わんで固めてしもうた」

 

房子の笑ひ方は、優しい笑ひだった。戦後の女同士の笑ひ。笑ひながら、分かってゐる。“取っとく”といふ癖が、私たちを生かしたことを。

 

「でもねえ」と房子は続けた。「せっかくじゃけえ、なんか楽しいことに使いんさい。花でも買いんさい」

 

花。花は買ってゐる。毎年。けれど、房子の言ふ「楽しい」は、たぶん旅行とか、新しい服とか、さういふものだ。

 

私は曖昧に笑って、話を流した。

 

楽しいこと――。私にとっての楽しいは、世間の楽しいと違ふ。違ふと分かってゐるから、説明するのが面倒だった。

 

房子が帰ったあと、私は商店街へ出た。

 

春先ほどではないが、まだ風はどこか荒い。黄砂は今日は薄い。けれど不況の風は、空気の底に残ってゐる。店の人の「いらっしゃい」が、昔より少し小さい。小さい声の中で、私は文房具屋の前に立った。

 

ガラスの向うに、便箋が並んでゐる。白い紙。薄桃の紙。桜の印刷のある紙。封筒。切手。万年筆。ボールペン。

 

紙は、私の呼吸だ。紙があると、胸が動く。胸が動くと、私はまだ生きられる。

 

私は店へ入った。

 

「こんにちは」と言ふと、店の女の人が「いらっしゃいませ」と頭を下げた。頭を下げる角度が丁寧で、私は少しだけ救はれた。不況でも、丁寧は残る。残る丁寧は、戦後の復興のときと同じやうに、胸を支へる。

 

棚の前で、私は便箋を手に取った。

 

今年の柄は、少し控へめだった。派手な桜ではなく、枝先だけが薄く刷られてゐる。その薄さが、私のいまの春に似てゐた。若いころの春は満開だった。いまの春は、蕾と散り際の間にある。間にある春には、控へめな枝が似合ふ。

 

値札を見る。値段が去年より少し上がってゐる気がした。「紙も上がるのう」と、私は小さく呟いた。

 

紙も上がる。けれど私は、紙を買ふのをやめない。やめれば、私の胸の中のあなたが、言葉を失ふ気がする。

 

便箋を二冊。封筒を一束。便箋は、すぐに減る。書いて、折って、封をせずに重ねる。重ねた恋文は、私の部屋の隅で年を取る。年を取っても、捨てられない。捨てられないから、紙が増える。増える紙は、私の「生きた証」みたいになる。

 

レジで金を払ひながら、私はふと思った。

 

——給付金は、通帳に眠ってゐる。——眠ってゐるのに、私は紙を買ひ足してゐる。

 

可笑しい。世間は「使へ」と言ふ。私は「使はない」と言ひながら、別のところで使ってゐる。しかも、誰にも届かぬ恋文のために。

 

誰にも届かぬ――。その言葉が一瞬、胸を刺した。刺したのに、私は紙袋を握り直した。

 

届かぬからこそ、書くのだ。届くなら、こんなに書かない。届かぬから、毎年一首ずつ、積み立てる。積み立てたものが、私の恋の預金だ。

 

恋の預金――。去年、税やら何やらの数字の中で、私はそんな言ひ方をした。今年は国が本当に「預金」をくれた。くれた預金を、私は触らない。触らない代りに、恋の預金の紙を買ひ足す。

 

世間の預金は使はない。恋の預金だけ増やす。

 

それが、私の頑固な生き方だ。

家へ戻ると、紙の匂ひが鞄の中から立った。

 

新しい便箋の匂ひ。印刷の匂ひ。紙の繊維の匂ひ。その匂ひは、薬の匂ひと違って、胸を少し柔らかくする。柔らかくなると、私は仏間へ行きたくなる。

 

灯を点け、水を替へ、線香を一本。線香の匂ひと、紙の匂ひが混じる。混じると、私の生活の匂ひになる。

 

机に向かい、新しい便箋を一枚取り出した。白すぎない白。少しだけ温かい白。その白に向かって、私は筆ペンを握った。指は少しこわばる。けれど、紙が新しいと、指も少し若返る気がする。

 

「篤志さま」

 

書く。書くときの背筋の伸び方は、いまも変はらない。伸ばすと膝が痛む。痛むのに、伸ばしてしまふ。あなたに向かふときだけ、私はまだ若いころの姿勢を借りる。

 

今年のことを、私は書き始めた。

 

役所の茶色い封筒のこと。給付金の紙のこと。通帳に印字された一行のこと。世間が「使へ」と言ふこと。そして、自分はその金を手つかずにして、便箋ばかり買ひ足してゐること。

 

書きながら、私は小さく笑った。笑ったのは、滑稽だからだ。滑稽なのに、私は自分を恥ぢなかった。恥ぢるほど、私はもう若くない。若くないからこそ、恥より大事なものが残る。残るのは、あなたの名だ。

 

「国は、景気のために配るんじゃと。けれど私の景気は、あなたの名が今日も胸の中で生きてゐるかどうかで決まります」

 

そんなことまで、私は書いてしまった。書いてしまふと、少しだけ気が楽になる。楽になるのは、誰にも見せない手紙だからだ。誰にも見せない手紙には、見栄が要らない。見栄が要らない場所で、私はやっと息が出来る。

 

便箋を折り、封筒へ入れ、封はしない。封をしないのは、あなたに届ける郵便がないからだ。ないのに、封筒へ入れるのは、形がないと心が散るからだ。

 

封筒の束を、引き出しにそっとしまった。引き出しの中には、同じやうな封筒が何十と並んでゐる。並んだ封筒は、私の「年月」だ。年月が紙になると、私は自分の人生を、手で触れられる。

夜、帳面を開いた。

 

平成二十一年。白い頁に、茶色い封筒の色がまだ残ってゐる。役所の字。通帳の数字。不況の風。そして、文房具屋の紙の匂ひ。

 

私は鉛筆を握った。

 

給付金は、まだ通帳の中で眠ってゐる。眠ってゐる金は、いざといふ時の命綱かもしれない。けれど私の命綱は、金だけではない。紙がある。言葉がある。あなたの名がある。

 

私は結局、今年も紙を買ひ足した。紙を買ひ足して、恋文を重ねた。それが、私の生き延びる手つづきだ。

定額の 給付金さへ 使はずに恋文ばかり 紙を買ひ足す

書き終へたとき、胸の奥がすうっと整った。整ったのは、世の中が良くなったからではない。世の中はまだ風が荒い。けれど、荒い風の中でも、私は自分のすることを見失はなかった。

 

紙を買ふ。名を書く。桜を待つ。そして、あなたを胸の中で守る。

 

窓の外では、春の夜が静かに更けてゐた。来年、携帯の小さな画面に桜の絵文字が咲く時代が、もうすぐ来る。指の皺へ落ちる光の中で、私はまた君の影を探すことになるだらう。

第六十六章 平成二十二年(2010) 桜絵文字

指先は、皺を隠さない。

手袋をしても、指の節の形は変はらない。石鹸で洗っても、皺の溝は消えない。皺は、年の印だ。年の印を、私はもう隠さない。隠せない。

平成二十二年の春、その皺の上に、桜が咲いた。

咲いた――といふのは、もちろん本物の桜ではない。携帯電話の画面の中の、小さな桜。絵文字、といふもの。

房子が、ある日言った。

「百合ちゃん、携帯、まだ古いの使うとるん?」

私は頷いた。

「壊れてないけえ」

「壊れてないけえ、って。……でもね、いまの携帯、字も大きゅうできるし、写真も撮れるし、便利よ」

便利。その言葉は、いつも正しい顔をしてゐる。正しい顔をしてゐるから、私は時々身構へる。便利に押されて、昔の手触りが奪はれる気がするからだ。

けれど、房子の言ふ便利は、生活のための便利だ。若い人の自慢の便利ではなく、老いた女の助けの便利だ。それなら、私は頷ける。

「まあ……考へる」

と私は言った。考へると言ふのは、たいてい「やる」の前触れだ。やると決めるまでの間に、女は自分の癖を一度抱きしめ直す。抱きしめ直して、それでも前へ出る。

春の終り、私は結局、携帯を買ひ替へた。給付金はまだ通帳に眠ってゐたが、これはそれとは別の金で払った。別の金で払ったのは、意地だ。国の紙で買った便利に、私はまだ素直になれない。素直になれない癖も、もう私の一部になってゐる。

店の若い男が、手際よく説明した。

「メールはここで。絵文字も、ここです。ほら、桜もありますよ」

男の指が画面の上を滑る。滑る指は若い。若い指が、小さな花を呼び出す。呼び出された花は、画面の中で淡い桃色をしてゐた。

私は、その小さな桜を見て、一瞬、息を止めた。

桜は、紙の上に刷られてゐるものだと思ってゐた。押し花になるものだと思ってゐた。風に散るものだと思ってゐた。それが、光の粒になって、掌の上に現れる。

不思議だ。不思議なのに、どこか怖い。光は触れない。触れない桜は、余計に儚い。

店の男が笑って言った。

「送ってみます? 試しに」

私は首を振った。

「……送る相手が、ね」

男は一瞬、顔を曇らせたが、すぐに営業の笑顔に戻った。営業の笑顔に戻れる若さが眩しい。

「そうですよね。……でも、お友達とか」

友達。房子なら居る。けれど、私は桜を友達に送る女ではない。桜は、私にとっては合図で、祈りで、墓標で、恋文の封印だ。軽々しく送るものではない。

そう思ってゐたはずなのに――家へ帰って、説明書を読み、ボタンを押し慣らすうち、私は試しにメールを打ってみたくなった。

宛先は、誰にも出来ない。房子には出来る。けれど房子に送るのは違ふ。房子に送れば、「どうしたん?」と返ってくる。返ってくるのが怖い。怖いといふより、説明が面倒だ。説明は、君を薄くする。

だから私は、宛先を入れずに、文章だけを打った。

「今日は、桜が咲きました」

打ってみる。画面の字は小さい。小さい字が、私の指先で動く。動くのに、指先は皺だらけだ。皺だらけの指が、光の中で文字を作る。その不釣合ひが、少し可笑しく、少し悲しかった。

そして、私は絵文字の一覧を開いた。そこに、桜がある。

🌸

小さく、薄紅。花びらが五枚。現実の桜とは違ふのに、桜に見える。見えるだけで、胸の奥がきゅっとなる。胸がきゅっとなると、私はつい、押してしまふ。

文の最後に、桜をひとつ。

「今日は、桜が咲きました🌸」

宛先がないまま、送れないまま。送信ボタンを押さずに、そのまま画面を眺めた。眺めると、桜が光の中でじっとそこにある。散らない。風にも負けない。雨にも濡れない。押し花にもならない。

散らない桜が、怖かった。桜は散るから、春が終はる。散るから、次の年が来る。散らない桜は、季節を止めてしまふやうで怖い。

けれど、散らない桜は、別の救ひでもあった。散らないなら、いつでも見られる。見られるなら、あなたに「見せたし」と思ふ痛みが少しだけ薄まるかもしれない。

私は、画面をそっと指で撫でた。撫でても、光は変はらない。変はらないのに、撫でた指の皺だけが、画面に映って見えた。

皺。皺の上に、桜。皺の影が、桜の光を受けて揺れる。

その揺れの中で、私はふいに、あなたの影を見た。

——君の影ゆく。

光の桜の下を、私の皺が通る。皺の影が通るたび、私の歳月が通る。歳月が通るたび、あなたの若さが際立つ。際立つ若さが、画面の小さな桜と重なり、胸が痛くなる。

痛くなるのに、私は画面を閉ぢなかった。閉ぢると、桜が消える。消えると、また“現実の桜”だけが残る。現実の桜は、散る。散る桜を見るたび、私は海の底を思ふ。

なら、光の桜でいい。散らない桜で、今日だけはいい。

私は、送信せぬまま、メールの下書きを保存した。保存、といふ言葉もまた新しい。新しい言葉の中に、私は古い癖を入れる。送らない。封をしない。保存して、引き出しに入れるやうにしまっておく。

それが、私の恋文の作法だ。

夏、房子が家へ来て言った。

「百合ちゃん、携帯慣れた?」

「まあ、ぼちぼち」

「絵文字、使う?」

絵文字。私は少し笑ってしまった。

「……桜だけ」

房子は「そうじゃろ」と笑った。房子には、全部見えてゐる。見えてゐるのに、言葉にしない。言葉にしない優しさで、私を守る。

「桜の絵文字、孫が好きなんよ。ピンクじゃけえ」

房子の孫の桜は、ただ可愛い色だ。私の桜は、墓標の色だ。同じ記号が、世代でこんなにも違ふ。違ふのに、違ふまま共存できるのが、平和なのかもしれない。

秋が来て、冬が来て、私は相変はらず便箋に字を書き、桜袋を撫で、仏壇に水を替へた。その合間に、時々携帯の画面を開き、下書きのメールを見た。

「今日は、桜が咲きました🌸」

その一行は、一度も送られない。送られないのに、消されない。消されないから、私の胸の中のあなたは「今日も」存在する気がする。存在する気がするだけで、私は生きられる。

年の瀬、私は帳面を開いた。

平成二十二年。今年の頁には、光の桜が残ってゐる。指の皺の上を滑る、薄紅の記号。送られない言葉。保存される恋文。

私は鉛筆を握り、今年の一首を書いた。

携帯の 画面に咲かす 桜絵文字指の皺へと 君の影ゆく

書き終へると、胸の奥が少しだけ静かになった。静かになったのは、時代に追いついたからではない。追いつかないままでも、私は桜を見つけ、桜にあなたを重ねた。その重ね方が、今年も私を支へた。

窓の外では、冬の風が鳴ってゐた。風の音は、遠い波音に似てゐる。似てゐる音を聞きながら、私はまた次の年を思った。

来年、東の海が瓦礫の海になる。津波の海。灯る灯を見て、私は大和の魂を重ねてしまふ。重ねて、また祈る。

 
 
 

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