top of page

大和出撃14


第六十七章 平成二十三年(2011) 瓦礫の海に灯る灯

海は、時々、顔を変へる。

平らな顔。光を返す顔。船を通す顔。夕焼けを抱く顔。そして――すべてを呑む顔。

平成二十三年三月、海はその「呑む顔」を、全国に見せつけた。

あの日、私は台所にゐた。

春の気配はあったが、まだ風は冷たく、湯呑の茶がありがたい季節だった。仏壇の水を替へ、線香を一本、いつも通り。“いつも通り”を積み上げて生きてきた女の、いつも通り。

そのあと、買い物の献立を考へてゐた。豆腐と葱。味噌。鰯が安ければ煮る。そんな、ささやかな計算をしてゐた。

床が揺れたのは、その最中だった。

最初は、小さく。次に、大きく。家が、きし、と音を立てる。棚の中で皿が鳴る。仏壇の灯が揺れる。

私はすぐに身体が動いた。火を消す。棚を押さへる。床にしゃがむ。

揺れの中で、私は無意識に桜袋を胸へ押し当ててゐた。押し当てることで、心臓の位置を確かめる。心臓が動いてゐる。動いてゐることだけが、いまの命だ。

揺れが治まったあと、町は妙に静かだった。静かすぎる静けさが、嫌な予感を連れてくる。静けさの中で、私はテレビをつけた。

画面は、すぐに割り込んだ。

「地震」「津波」「大津波警報」

津波。

その二文字が見えた瞬間、胸の奥が冷えた。津波は、この国の言葉だ。遠い国の戦の言葉より、ずっと身に来る。津波は、逃げようのない水の言葉だ。

画面に映ったのは、海だった。黒い海。黒い海が、こちらへ走ってくる。走る、といふ言葉が合ふほど速い水。速い水が、田を呑み、家を呑み、車を呑み、人を呑む。

私は声が出なかった。出ない声の代りに、胸の奥で別の言葉が鳴った。

——また、海だ。

海は、あなたを呑んだ。いま、別の海が、別の人を呑む。呑む海の映像を、私は茶の間で見てゐる。見てゐるだけで何も出来ない。何も出来ないことが、昔の焼け跡の「見てゐるだけ」と同じ形をしてゐて、私は喉の奥が熱くなった。

その日から、テレビは海と瓦礫を映し続けた。

家が流れる。橋が流れる。港が壊れる。炎が上がる。煙が空を覆ふ。夜なのに、赤い。赤いのに、冷たい。

“瓦礫の海”。

瓦礫は本来、陸にあるものだ。けれど津波は、陸を海にしてしまふ。海にしてしまへば、瓦礫は海に浮く。海に浮いた瓦礫は、海のものになる。海のものになった瞬間、回収は難しくなる。難しくなるものを、私は知ってゐる。海の底から、戻らぬものがあることを、私は知りすぎてゐる。

画面の中の瓦礫の海を見てゐると、私は自分の胸の底の青がざわつくのを感じた。ざわつく青の底に、あなたが居る。居るから、私は海の映像を見るだけで息が浅くなる。

息が浅くなると、私はテレビの音を下げた。音を下げても、映像は残る。残る映像が、目の裏に張りつく。

その夜、私は灯を消した。

部屋の灯を消すと、テレビの画面だけが浮く。浮いた画面の中の海が、さらに黒く見える。黒く見える海の上に、小さな光が点々と現れた。

避難所の灯。懐中電灯。車のライト。消防の赤い回転灯。そして、誰かが点けた小さな灯。

灯が、瓦礫の海に浮いてゐるやうに見えた。浮いてゐる灯を見ると、私はふいに、盆灯籠を思ひ出した。川面に浮く灯。流れゆく灯。影を追ひ、君をのせたかと問ひ続けた灯。

今夜の灯は、供養ではない。生き延びるための灯だ。それでも、灯の形は似てゐる。似てゐる形を見ると、私は勝手に胸の中で祈り始めてしまふ。

「生きて」

と、私は画面に向かって呟いた。誰に言ったのか分からない。画面の中の人々に言ったのか。それとも、海の底のあなたに言ったのか。言葉は行き先を失っても、形だけ残る。形だけでも残るから、人は倒れずに済む。

翌日も、翌々日も、映像は続いた。

原発。爆発。避難。被曝。汚染。

見慣れぬ言葉が、急に日常になった。言葉は、日常になった瞬間に人の胸を鈍らせる。鈍らせなければ、毎日は越えられないからだ。

けれど、鈍らせたくないものがある。死者の名。失はれた町。そして、海の底のあなた。

私は鈍らせたくないから、毎晩、仏壇の前で線香を一本焚いた。線香の煙が上がると、私は「今日も」を確認できる。確認できるだけで、息が整ふ。

数日後、募金箱が店先に並び始めた。

「東日本大震災義援金」「ご協力お願いします」

“ご協力”。その言葉が、戦時の「献金」「供出」を思ひ出させて嫌だった。嫌だったのに、私は財布を開けた。開けて、小銭を入れた。

嫌なのは、助けることではない。嫌なのは、助ける行為に「空気」がまとはりつくことだ。空気がまとはりつくと、助けが命令に見える。命令に見えると、昔の怖さが戻る。

けれど、いまは命令ではない。自分で決めて入れる。自分で決めて入れることだけが、私の救ひだった。

募金箱に硬貨を落とす音が、からん、と鳴った。その音が、意外と軽い。軽い音の中に、重い現実が沈んでゐる。沈んでゐる重さを、音だけでは支へきれない。

私は、また便箋を買った。便箋を買ひ足す癖は、もう止まらない。そして、携帯の画面の下書きに、桜の絵文字を見た。

「今日は、桜が咲きました🌸」

今は三月。桜はまだ咲いてゐない。咲いてゐないのに、絵文字は咲いてゐる。咲いてゐる桜が、今夜はやけに痛かった。

私は下書きを閉ぢた。閉ぢたのに、胸の中の桜袋が熱くなる。熱くなると、私はふいに、声にならぬ声で泣きさうになった。

泣けば、少し楽になる。けれど泣けば、瓦礫の海が自分の胸の中で“個人の痛み”に変はってしまふ気がして、私は泣けなかった。瓦礫の海は、私の個人の痛みではない。あれは皆の痛みだ。皆の痛みを、私の恋の痛みで覆ひ隠したくなかった。

その代り、私は祈った。

祈るしかない。祈るのは、無力の証明だ。無力の証明を、私は長いことしてきた。してきたからこそ、祈りの形を崩したくない。

四月になって、桜が咲いた。

東の瓦礫の海の映像の横で、西の町でも桜が咲く。それが、ひどく残酷に見えた。残酷に見えるのに、桜は桜で咲く。咲くことに躊躇がない。躊躇がないところが、桜の残酷さでもあり、救ひでもある。

私は土手の桜の下へ行った。花は薄紅。風に揺れて、すぐ散りさうだ。散りさうな薄紅を見てゐると、瓦礫の海の黒さが、胸の奥で混じっていく。

私は桜袋を胸へ押し当て、息を整へた。

——篤志さま。——桜が咲いたよ。——でもね、海が……海がまた人を呑んだよ。

返事はない。返事はないのに、私は言ふ。言ふことで、私の中の海と、あの瓦礫の海を、同じ「祈り」の場所に置きたかった。

その夜、テレビの中で、小さな灯が映った。

避難所で、誰かが灯を囲んでゐる。毛布にくるまり、顔を寄せ合ひ、静かに息をしてゐる。その灯の小ささが、胸を打った。

灯がある限り、人は人でゐられる。灯がある限り、海に呑まれても、どこかでまた息をしてゐる。息が出来るなら、明日が来る。明日が来れば、誰かが誰かの名を呼ぶ。

私はそこで、ふいに思った。

——大和の魂は、まだ守ってゐるのかもしれない。

守る――といふ言葉は怖い。怖いのに、守るといふ言葉に救はれることもある。守ると言ふのは、命令のためではない。生き延びるための祈りだ。

あなたが沈んだ海の底の魂が、今夜、瓦礫の海の上の灯を守ってゐる――そんなことがあるはずはない。けれど、あるはずがないものを信じて生きてきた女が、私だ。

私は灯を消し、暗い部屋でテレビの灯だけを見つめた。灯の中の灯。闇の中の小さな明かり。

私は胸の中で、静かに言った。

——守りけむ。

“けむ”といふ古い言ひ方が、自然に出た。古い言ひ方は、私の恋と同じ年輪を持つ。年輪がある言葉は、軽くならない。軽くならないから、今夜の痛みに耐へられる。

年の終り、私は机に向かった。

平成二十三年。今年の頁は、黒い。黒い海。黒い瓦礫。黒い煙。そして、その中に点々と灯る灯。

灯を見て、私は大和を思った。大和を思うたとたん、あなたが浮かんだ。あなたが浮かんだとたん、私はまた書かずにゐられなくなった。

鉛筆を握り、息を整へる。今年の一首は、祈りの形で置くしかない。

津波あと 瓦礫の海に 灯る灯を大和の魂 また守りけむ

書き終へたとき、胸の奥が少しだけ静かになった。静かになったのは、癒えたからではない。癒えるはずがない。ただ、今年の黒さを、今年の言葉として置けたからだ。

窓の外で、冬の風が鳴った。風の音は、遠い波音に似てゐる。似てゐる音を聞きながら、私は桜袋を胸へ押し当てた。

来年、私は参道の石段で膝を引きながら、「まだ登るか」と君の叱咤を聞くことになる。登るのは、神社の石段。そして、老いの石段。それでも登る。登ることでしか、生きる側へ戻れないからだ。

第六十八章 平成二十四年(2012) 石段の数

石段は、年と似てゐる。

 

一段一段は低く、踏めば済むやうに見える。けれど、数が重なると息が切れる。途中で振り返れば、上る前には想像もせぬ高さになる。それでも、上りきった者にだけ、風の通り方が変はる。

 

平成二十四年の正月明け、私は久しぶりに氏神さまへ行かうと思った。初詣――などと、いまさら言ふ柄でもない。けれど、あの瓦礫の海を見た年を越え、私は「手を合わせる場所」に一度、自分の足で辿りつきたかった。

 

理由は、立派なものではない。ただ、心臓の薬を飲み、膝をさすり、便箋を買ひ、線香を焚く――その手順の中に、「上る」といふ動きを一つ、足しておきたかったのだ。上る動きがなくなれば、私はきっと、だんだんと座り込んでしまふ。座り込めば、手紙の字まで小さくなる。字が小さくなれば、君の名も、いつか薄くなる気がした。

 

薄くなるのが怖い。怖いから、私は上る。

朝はまだ暗かった。

 

起き上がると、膝がきしんだ。きしむ音は耳では聞こえない。けれど身体が聞く。冷えた畳に足の裏をつけると、冬の硬さが骨に来る。骨に来る硬さに、私は一息吐き、台所で湯を沸かした。

 

湯気が立つと、胸が少しだけ緩む。茶を一口。それから仏間へ行き、水を替へ、線香を一本。

 

「……今日は、上るよ」

 

誰に言ったのか分からない。父母へか、胸の中へか、氏神さまへか。けれど言葉を置くと、身体が動く。

 

外出の支度は、昔より時間がかかる。靴下を履くのにも、膝の角度を選ぶ。上着のボタンを留めるのにも、息を整へる。それでも、ゆっくりでいい。白い廊下で「ゆっくりでいい」と言はれてから、私は少しだけ自分の速度を許せるやうになった。

 

杖を持った。「まだ要らん」と言ひたい日もある。けれど石段の日は、意地より安全が勝つ。

 

賽銭用の小銭を、掌に乗せて確かめる。十円玉と百円玉。硬貨の冷たさは、冬の冷たさと同じだ。同じ冷たさを握りしめると、心が引き締まる。

 

そして、桜袋。懐へ入れると、刺繍の凹凸が指に触れた。触れるだけで、私は息が出来る。

 

——篤志さま。——行かうか。

 

返事はない。返事がないのに、私は玄関を出た。

神社は、家からそう遠くない。遠くないのに、途中の坂が少し怖い。坂は、膝に正直だ。

 

朝の空気は澄んでゐて、吐く息が白い。白い息が自分の前に出ると、私はそれを見てしまふ。生きてゐる証拠のやうに見えるから。証拠を見れば、ありがたくもあり、罪深くもある。

 

鳥居が見えた。赤い鳥居の色が、冬の空に映える。鳥居の前に、まだ人は少ない。若い夫婦らしい二人が、子どもを抱いてゐた。子どもの頬が赤くて、息が白い。その光景を見ただけで、胸の奥がきゅっとなる。

 

私には、抱くものがない。抱くものは、桜袋と、便箋と、名だけだ。

 

それでも私は、列に並んだ。列に並ぶと、自然に背筋が伸びる。背筋を伸ばすと膝が痛む。痛むのに伸ばすのは、古い癖だ。人前では、しゃんとしてゐたい。しゃんとしてゐないと、戦後の女は舐められると思って育った。

 

やがて、石段の前に来た。

 

見上げると、段が続いてゐる。数は分からない。分からないほど続いてゐる。

 

手すりに手を置く。金属が冷たい。冷たいのが、かへってありがたい。冷たさで掌が現実へ戻る。

 

一段目を上る。膝が「う」と言ふ。二段目。三段目。杖を突き、息を吐き、また上る。

 

途中で、ふいに足が止まった。止まったのは、痛みのせゐだけではない。自分の心が、逃げ口を探したのが分かったからだ。

 

——今日はやめておかうか。——来年でもええ。——無理せんでも。

 

そんな声が、胸の中に生まれる。優しい声だ。優しい声なのに、私はその優しさが怖い。優しさは、いつか私を座り込ませるからだ。

 

そのとき、別の声が来た。

 

低くて、短い声。

 

「……まだ登るか」

 

叱るやうで、けれど笑ってゐるやうな声。軍隊の声ではない。けれど軍人の芯を持った声。

 

私は思はず、石段の途中で口の中だけで答へてゐた。

 

「……登るよ」

 

返事は、誰にも聞こえない。聞こえない返事でも、私の足は前へ出た。

 

「まだ登るか」

 

その言葉は、叱咤に見えて、本当は励ましだ。君はいつも、優しさを真っ直ぐ言へなかった。照れ屋で、堅くて、いま思へば少し不器用だった。その不器用さが、私にはいま、支へになる。

 

一段。また一段。

 

膝を引く。膝を引いて、足先を置く。体重を移す。杖を突く。息を吐く。

 

まるで訓練のやうだと、私は思った。君が見てきた訓練。軍靴の音。号令。規律。

 

私は戦の訓練を知らない。けれど、戦後の暮らしは訓練に似てゐた。耐へる。我慢する。順番を守る。感情を飲み込む。泣くのは夜だけ。笑ふのは外だけ。

 

石段を上りながら、その“訓練”が身体の奥から戻ってきた。戻ってきて、足を押す。

 

途中、息が切れた。胸がひゅうと鳴りさうになり、私は立ち止まった。手すりに両手を置き、ゆっくり息をする。心臓の薬のことが頭をよぎる。無理はするな、と医者が言った声。ゆっくりでいい、と看護師が言った声。

 

私はその二つの声の間で、少し笑ってしまった。

 

ゆっくりでいい。けれど、止まるな。

 

そういふことだらう、と。

 

そしてまた、君の声がした気がした。

 

「……ほら、行け」

 

私は頷き、上った。

上りきったとき、境内の空気が少しだけ違ってゐた。

 

風が、下より冷たく、澄んでゐる。木々の匂ひが濃い。杉の黒い幹が、冬の光を吸って立ってゐる。その静けさの中で、鈴の音が響いた。

 

拝殿の前に立つと、足が少し震へた。震へは疲れか、喜びか。分からないまま、私は賽銭を投げた。硬貨が鳴る音が、乾いてゐる。乾いた音が、空に吸はれていく。

 

二礼二拍手一礼。その作法を、私は若いころより丁寧にするやうになった。丁寧にしないと、祈りが散る気がするからだ。

 

拍手を打つ。掌が鳴る。鳴った瞬間、私は胸の中で名を呼んでゐた。

 

——篤志さま。——今日も、上ったよ。——まだ、上れるよ。

 

そして、瓦礫の海のことを思った。東の海で失はれた町。灯る灯。名の分からない多くの死者。まだ帰れぬ人々。

 

私は、氏神さまへ願ひを言ふのが苦手だ。願ひは、自分の都合に見える。戦後の女は、自分の都合を前に出すのが下手だ。

 

だから私は、願ひより先に、頼むやうに言った。

 

「……守ってください」

 

誰を。何を。言葉にしきれないまま、頭を下げた。

 

頭を上げると、拝殿の奥は暗かった。暗い奥の向うに、何かがある。何かがあると思へることが、救ひだ。

 

境内の端に、小さなベンチがあり、私はそこに腰を下ろした。膝がじんじんしてゐる。じんじんする膝をさすりながら、私は空を見上げた。

 

冬の空は高い。高い空の下で、私はたった今、石段を上った。上っただけのことで、こんなにも胸が落ち着くのが、不思議だ。

 

私は懐の桜袋を押さへ、そっと呟いた。

 

「……叱ってくれて、ありがとう」

 

返事はない。返事はないのに、風がひとつ、頬を撫でた。撫でた風が、君の手のやうに思へて、私は目を細めた。

帰りは、上りより怖い。

 

下りのほうが、膝に来る。踏み外せば転ぶ。転べば、次の春が遠のく。

 

私は杖を確かめ、手すりを握り、ゆっくり下りた。ゆっくり下りる途中で、若い男が軽々と追い越していく。軽々と追い越していく背中を見て、私は羨ましいとは思はなかった。若さは借りられない。借りられないものを羨むと、心が荒れる。

 

荒れるより、私は今の足で降りきることを選ぶ。それが、いまの私の“勝ち方”だ。

 

鳥居をくぐると、下の空気が少し温かい。町の匂ひが戻る。車の音。人の話し声。甘酒の匂ひ。

 

私は甘酒を買はなかった。買へば温まる。けれど、私は今日はもう十分温まった。温まったのは身体ではなく、胸だ。

 

家へ帰る道で、私はふいに、石段の途中の君の声を思ひ出してゐた。

 

「まだ登るか」

 

その言葉は、私の老いを叱るのではない。私の生を確かめる言葉だ。登るか、と訊かれて、登る、と答へる――そのやり取りが、私に「まだ」をくれる。

 

“まだ”。

 

まだ書ける。まだ呼べる。まだ桜を待てる。

夜、仏間の灯を点け、水を替へ、線香を一本。

 

煙が上がる。今日の煙は、少しまっすぐだった。まっすぐなのは、私が上ったからだらうか。そんな馬鹿なことを思って、私は小さく笑った。

 

机に向かい、帳面を開く。平成二十四年。白い頁が待ってゐる。

 

膝は痛む。痛みは現実だ。現実の痛みを抱へたまま、私は今日の声を紙の上に置く。

 

参道の石段。つらい膝。膝を引きながら上ったこと。そして――「まだ登るか」と、君の叱咤が胸の中で鳴ったこと。

 

鉛筆を握り、私は今年の一首を書いた。

参道の 石段つらき 膝を引き「まだ登るか」と 君の叱咤

書き終へると、胸の奥が少しだけ整った。整ったのは、膝が治ったからではない。膝は治らない。けれど、治らない膝で「登る」と答へた――その事実が、今年の私の背骨になった。

 

窓の外で、冬の風が鳴ってゐた。風の音は、遠い波音に似てゐる。似てゐる音を聞きながら、私は桜袋を胸へ押し当てた。

 

来年は、百合草の花粉がこぼれ、手が黄に染まる。黄に染まった手を、君が洗ってくれるやうに夢見る一年になる。老いた手に残る色さへ、私は君との触れあひに変へてしまふだらう。

第六十九章 平成二十五年(2013) 黄の残り香

百合の花粉は、よく染まる。

 

白い花びらの奥で、黄色い粉がふるふると揺れてゐる。揺れてゐるだけなら綺麗で、触れなければ無垢だ。けれど、指が触れた途端――それは肌に移り、溝に入り、皺に残る。

 

落ちにくい。石鹸でも、湯でも、なかなか消えない。

 

落ちにくいものは、時に厄介で、時に救ひだ。私は、落ちにくいものを胸の中に抱へて生きてきた。あなたの名も、桜袋の刺繍も、消えない春の匂ひも。

 

そして平成二十五年、私の手に残ったのは、百合の黄だった。

冬が明けるころ、町は「復興」といふ言葉をよく言った。

 

テレビの中の東の町は、瓦礫の海の黒を少しずつ薄めながら、白い道路や新しい建物を増やしてゐた。それは良いことだ。良いことなのに、画面の向うの人の目には、まだ波の色が残ってゐる。残ってゐるものを、言葉だけでは拭へない。

 

拭へないものがあることを知ってゐるから、私は「復興」といふ言葉を、あまり大きく言へなかった。大きく言へば、拭へないものまで拭ひ去ってしまひさうで怖い。

 

私は、いつも通りの暮らしを続けた。湯を沸かす。水を替へる。線香を一本。薬を飲む。便箋をしまふ。そして、膝をさする。

 

そんな日々の中で、ふいに思ったのだ。

 

——百合を植ゑてみようか。

 

百合。私の名。若いころは、自分の名を花と結びつけて考へるなど、気恥づかしくて出来なかった。けれど、年を取ると、気恥づかしさより「残したい形」が勝つ。

 

桜は、毎年勝手に咲く。咲いて散って、私の胸を刺しては去る。けれど百合は、植ゑなければ咲かない。植ゑた者の手の中で咲く。

 

私の手で咲く花が、いまの私には欲しかった。握れないもの、戻らないもの、届かないものばかりの人生の終盤に、「私の手で起こせる春」を、ひとつ置いておきたかった。

二月の終り、私はホームセンターへ行った。

 

昔は、金物屋と種屋は別だった。いまは広い建物の中に何でもある。通路が長く、天井が高く、照明が白い。病院の白に似てゐる白が、少し苦手だ。

 

園芸の棚に、球根が並んでゐた。チューリップ、スイセン、ヒヤシンス。そして「ユリ」と書かれた袋。

 

袋の写真は、白い百合だった。白の中に、花粉の黄が小さく見える。その黄が、私には妙に眩しかった。

 

「白百合は、葬式の花じゃけえねえ」

 

隣で球根を選んでゐた年配の女が、連れに言った。その言ひ方には、否定も肯定もない。ただ、昔からの常識があるだけだ。

 

私はその常識をよく知ってゐる。白百合は、仏間にも、葬列にも、よく似合ふ。清らか、と言はれる。清らか、と言はれる花に、私はずっと何かひっかかるものがあった。

 

清らか、と言ふ言葉は、女を縛る。清らかに耐へろ。清らかに待て。清らかに泣くな。

 

戦後の女は、清らかといふ鎖を、見えないところでたくさん巻かれてゐた。私はその鎖の中で、あなたの名だけは汚したくないと思って生きてきた。汚したくないと思ひながら、同時に、清らかといふ言葉に腹を立ててもきた。

 

だから私は、白百合を選んだ。

 

清らかの鎖ではなく、「私の名」として。

 

袋を手に取ると、紙が少し冷たかった。冷たい紙を握りしめる指は、皺が深い。深い皺に、土が入るだらう。土が入るのは嫌ではない。瓦礫の土を掴んだ手が、いまは花の土を掴む。それだけで、人生は少しだけ報はれる気がする。

 

レジで球根を払ひ、帰りのバスで膝をさすりながら、私は窓の外を見た。まだ冬の色の町。けれど、土手の枝先には、もう春の気配がある。

 

——篤志さま。——百合を植ゑるよ。

 

胸の中で言ふと、桜袋の凹凸が少し温かくなった気がした。

植ゑたのは、庭と呼ぶほど立派ではない、小さな場所だった。

 

昔、母が植ゑてゐた南天の横。石の縁の内側。陽が当たりすぎず、風が通るところ。

 

私は膝を曲げるのがつらいので、古い座布団を持ち出し、そこへしゃがんだ。しゃがむだけで息が少し上がる。けれど土を掘る動作は、なぜか心を落ち着かせる。

 

土は冷たく、湿ってゐた。指で掘ると、爪の間に土が入る。その入り方が、昭和二十一年の瓦礫町の土と似てゐて、胸がきゅっとなった。

 

あのころも、土を掴んだ。瓦礫をどかして、土を握って、君の名を呼んだ。

 

いま握る土は、瓦礫ではない。花のための土だ。同じ土でも、意味が違ふ。意味が違ふことが、私にはありがたかった。

 

球根を置き、土をかぶせ、掌でそっと押さへる。押さへる掌は、皺だらけで、うすい染みもある。その掌で、未来の花を押さへる。

 

——まだ、私は「未来」を押さへられる。

 

そう思へた瞬間、胸の奥が少しだけ明るくなった。

 

水をやる。水が土に吸はれていく音は、ほとんど聞こえない。聞こえない音を、私は身体で聞いた。聞こえない音があることが、老いの暮らしにはよく似合ふ。

春、芽が出た。

 

細い緑が、土から顔を出す。顔を出すだけで、私は何度も見に行った。見に行って、指で触れたくなる。触れれば折れるかもしれないのに、触れたくなる。

 

触れたくなる気持ちを、私はよく知ってゐる。触れられないものほど、触れたくなる。

 

私は触れずに、ただ見た。見て、胸の中で名を呼んだ。それで十分だと思へるやうになったのは、歳のせゐだらう。

 

六月、茎が伸び、蕾がふくらんだ。

 

蕾は、桜とは違ふ形をしてゐる。桜は枝先に小さく集まって、春の群れになる。百合は一本の茎に、いくつかの蕾をぶら下げて、黙って待つ。

 

黙って待つ花。その姿が、私自身に似てゐるやうで、可笑しかった。

 

そして、咲いた日。

 

朝、窓を開けた瞬間、匂ひが来た。甘いのに、どこか冷たい匂ひ。部屋の中へ入ってくる匂ひが、まっすぐだった。

 

庭へ出ると、白い花が開いてゐた。白が、朝の光を受けて、少し青く見える。花の奥で、黄色い花粉がふるふると揺れてゐる。

 

私はしばらく、立ったまま見てゐた。見るだけで胸がいっぱいになる。花を見るだけで胸がいっぱいになる日が来るとは、思はなかった。

 

「……咲いたねえ」

 

誰に言ったのか、自分でも分からない。花に言ったのか、庭に言ったのか、胸に言ったのか。

 

そのとき、ふと、思ひ立った。この百合を一本、あなたへ持って行かう、と。

 

桜は持って行けない。散ってしまふ。押し花にしても、色が変はる。けれど百合なら、切って持って行ける。持って行ける花を、持って行きたかった。

 

私は台所から古い鋏を持ってきた。花茎を切るとき、手が少し震へた。震へは老いの震へか、気持ちの震へか。分からないまま、私は花を切った。

 

切った瞬間――花粉が落ちた。

 

ふわ、と。

 

黄色い粉が、指に移った。移った黄は、思ったより濃い。白い花の黄は、金色みたいに目立つ。目立つ黄が、私の皺の溝に入り込む。

 

「あ……」

 

私は慌てて指をこすった。こすれば、余計に広がる。広がって、指先が黄に染まる。

 

石鹸で洗った。湯でこすった。爪の間もこすった。それでも、黄は残った。残って、皺の溝に居座る。

 

指先の黄を見つめてゐると、急に、自分の手が「老いた手」だとはっきり見えた。皺。染み。乾いた皮膚。そこへ、花粉の黄が乗ってゐる。

 

若い手なら、黄はもっと軽やかに見えたかもしれない。けれど老いた手の黄は、どこか「残り香」みたいに見えた。残り香。消えないもの。落ちにくいもの。

 

私はその黄を、嫌だと思へなかった。厄介なのに、嫌だと言へない。嫌だと言へないのは、黄が私の名に触れたからだ。百合の黄が、百合の手に残る。

 

——私が百合であることを、花が思ひ出させた。

 

私は切った百合を新聞紙に包み、桜袋を懐へ入れ、杖を持って家を出た。

慰霊碑へ向かふ道は、もう慣れたはずなのに、毎回少し緊張する。

 

バスの段差。人の流れ。坂の呼吸。膝の痛み。それら全部が、「会ひに行く」を一度ずつ確かめさせる。

 

丘へ向かふバスの窓で、私は自分の指先を見た。黄が残ってゐる。残ってゐる黄を見て、ふいに胸がきゅっとなった。

 

——この黄を、あなたは笑ふだらうか。

 

あなたが生きてゐたら、私はこんなことで慌てなかったかもしれない。「また付けたんか」と笑はれて、私も笑って、洗面器に手を突っ込んで、あなたが石鹸を泡立てて――

 

そこまで想像した瞬間、胸が熱くなった。熱くなって、喉の奥が痛くなった。痛くなると、私は目を逸らした。逸らして、窓の外の空へ視線を逃がした。

 

慰霊碑の前で、私は百合を供へた。白い花が、石の灰色の前でいっそう白く見える。白が白であるほど、黄の残る指が目立つ。

 

私は手を合わせ、静かに言った。

 

「……百合を持ってきたよ」

 

そして、指先の黄を、石の前でそっと隠すやうに握った。握ってしまふのが、私の癖だ。見せたいのに、見せられない。見せられないのに、見せたい。

 

握ったまま、胸の中で言った。

 

——篤志さま。——黄が落ちんのよ。——老いた手の溝に、入り込んでしもうた。

 

言った瞬間、涙が出さうになった。出さうになって、私は息をゆっくり吐いた。涙をこぼすと、花粉が流れてしまひさうで、私はこぼしたくなかった。馬鹿げてゐる。けれど馬鹿げたことが、私の生きる形だ。

その夜、夢を見た。

 

夢の中の台所は、古い台所だった。戦後の、まだ瓦礫の匂ひが少し残ってゐる頃の台所。窓の桟が木で、ガラスが少し波打ってゐる。そこに、洗面器が置かれてゐた。

 

あなたが、ゐた。

 

軍服ではなかった。白いシャツの袖を肘までまくり、少し照れたやうな顔で立ってゐた。その顔は、若い。若いのに、私の目をまっすぐ見た。

 

「百合」

 

と、あなたが言った。その呼び方が、胸の奥を一瞬で柔らかくした。

 

あなたは私の手を取った。私の手は、夢の中でも皺があった。皺があるのに、あなたは嫌がらなかった。

 

「何を付けた」

 

あなたが笑って、私の指先を見た。百合の花粉の黄が、そこにあった。

 

「百合の黄よ」と、私は言った。言った途端、胸が少し恥づかしくなった。自分の名を口にする恥づかしさ。若いころの私が持ってゐた恥づかしさ。

 

あなたは、洗面器に湯を張った。湯気が立つ。湯気の匂ひが、なぜか海の匂ひと混じってゐた。

 

「ほら」

 

あなたは、私の手を湯に浸した。湯が温かい。温かさが掌の奥まで来て、私は息を吐いた。

 

あなたは石鹸を泡立て、指の間を一本ずつ洗った。皺の溝も、爪の端も、丁寧に。丁寧さが、軍隊の丁寧さではなく、家の丁寧さだった。

 

黄が、ゆっくり薄くなっていく。薄くなっていくのを見ながら、私は言った。

 

「落ちん思うた」

 

あなたは「落ちる」と言った。短く。それだけで、私は救はれた。

 

そして最後に、あなたは私の手を、軽く、ほんの少しだけ強く握った。握った手の力が、いまでも掌に残るやうな気がした。

 

「お前の手は、働いた手じゃ」

 

あなたは、そう言った。働いた手。瓦礫をどかした手。針を持った手。切符を握った手。石段を引いた手。そして百合を切った手。

 

働いた手、と言はれた瞬間、私は泣きさうになった。泣きさうになったところで、夢がほどけた。

 

目が覚めると、部屋は暗かった。仏間の灯は消してある。外の風の音だけがある。

 

私は起き上がり、手を見た。黄はまだ残ってゐた。現実の黄は、夢のやうには落ちない。

 

落ちないのに、掌の奥に、あなたの湯の温かさが残ってゐた。残ってゐたのは、幻でもよかった。幻でも、私は息が出来る。

 

私は布団の中で、そっと指を組んだ。指を組むと、黄が皺に移る。移る黄が、まるであなたの手の跡のやうに見えて、胸が静かに熱くなった。

 

——洗ってくれた。

 

夢でも、洗ってくれた。洗ふ、といふ行為は、拭ふより深い。拭ふのは表面だけ。洗ふのは、溝の中まで。

 

溝の中まで洗ってくれる人が、私には一人だけゐる。ゐた。ゐる。

 

私はそのまま、もう一度だけ目を閉ぢた。

夏が来て、秋が来て、冬が来た。

 

百合はまた枯れた。枯れても、球根は土の中で生きてゐる。生きてゐると信じられるものが、土の中にある。そのことが、今年の私を支へた。

 

私は、少しずつ「人の世話」をする場へ顔を出すやうにもなった。近所の知り合ひが勤める介護の施設で、行事の手伝ひを頼まれたのだ。若い職員の子が「飾り付け、手を貸してもらへませんか」と言ふ。頼まれると、私は断れない。断れないのは、戦後の癖だ。けれど同時に、頼まれることが嬉しい。

 

そこでも私は、手を洗った。人の手を拭ひ、人の顔を拭ひ、食器を洗ひ、自分の手を洗ふ。洗ふことばかりの一日がある。洗ふたびに、夢の湯の温かさを思ひ出した。思ひ出して、胸の中であなたに礼を言った。

 

——私はいま、誰かの手を洗ひよるよ。——あなたが洗ってくれたやうに。

 

返事はない。返事がないのに、私は言葉を置く。

 

言葉を置けば、今日が今日として終はる。終はれば、また次の日に立てる。

年の終り、帳面を開いた。

 

平成二十五年。今年の頁には、百合の白と、花粉の黄と、夢の湯気が残ってゐる。老いた手を見つめた年。その手を、あなたが洗ってくれた年。

 

鉛筆を握る指にも、皺がある。皺の溝は、もう浅くならない。浅くならない溝に、私は言葉を落とす。

百合草の 花粉こぼれて 黄に染むる老いた我が手を 君が洗へり

書き終へると、胸の奥がすうっと整った。整ったのは、黄が落ちたからではない。黄は残る。老いも残る。けれど、残るものを「洗ってくれる手」が、夢の中でも確かにあった。その確かさを、今年の頁に置けた。

 

窓の外で、冬の風が鳴ってゐた。来年、私は介護の夜の静けさの中で、点滴の滴を数へることになる。滴を数へながら、「桜咲けや」と君に呼びかける。老いの夜も、春を呼ぶ声だけは、まだ枯らしたくない。

第七十章 平成二十六年(2014) 介護夜

夜の灯は、やさしいやうで冷たい。昼の灯は太陽の色を真似るが、夜の灯は「眠るな」と言ふ色をしてゐる。眠るなと言はれてゐるのは、患者ではない。生きてゐる側だ。

 

平成二十六年、私はその灯の下で、滴の数を数へてゐた。

介護の夜は、音が少ない。少ないのに、少ないことが怖い。

 

廊下は白い。病院の白より少し黄みがかってゐて、床は光りすぎない。それでも夜の蛍光灯が当たると、白は白のまま、やはり少しよそよそしい。

 

消毒の匂ひ。リネンの匂ひ。古い皮膚の匂ひ。それらが混じって、施設の夜の匂ひになる。

 

昔、焼け跡の夜にも匂ひがあった。煤と湿った土と、焦げた木と、人の汗の匂ひ。匂ひを嗅ぐと、どんなに時代が変はっても、身体は古い記憶へ手を伸ばす。伸ばさないやうにしても、伸びてしまふ。伸びてしまふ手を、私はここへ来て、また別の仕事に使ふやうになった。

 

「百合さん、見回りお願いします」

 

夜勤の若い職員が、声を落として言ふ。声を落とすのは、眠ってゐる人を起こさぬためだけではない。夜は、声が大きいと、心の影まで揺れるからだ。

 

私は頷き、名札を指で確かめた。名札には「綾瀬 百合」と書いてある。名前が胸の上で揺れると、私はいつも少し可笑しい。この歳になっても、私は名札をつけて誰かの役に立ってゐる。戦後、瓦礫をどかした手が、いまは夜の廊下で人の眠りを守る。

 

守る、といふ言葉は怖い。けれど、いまの守るは命令ではない。頼まれて、引き受けて、出来る範囲でやる。その「出来る範囲」があるだけで、私は救はれてゐた。

最初の部屋は、点滴の人だった。

 

「○○さん、点滴中ですから、滴下見てくださいね」

 

夕方の看護師が言ってゐた。看護師の言ひ方は、きびきびしてゐるのに、どこかやさしい。私はそのやさしさを信じたい。信じたいから、言はれた通りに、点滴を見る。

 

ベッドの傍に立つ。灯りは落としてあるが、ナイトライトが足元を照らしてゐる。寝息。時々、喉の奥で小さく鳴る痰の音。それだけで、命がそこにあるのが分かる。

 

点滴の管は、透明で、滴が落ちる部屋だけが少し膨らんでゐる。滴が、落ちる。

 

ぽつ。ぽつ。ぽつ。

 

その落ち方が、妙に落ち着く。落ちるたびに、時間が一つ進む。時間が進めば、夜が終はる。夜が終はれば、朝が来る。朝が来れば、誰かが「おはやう」と言へる。

 

私は滴下の速さを確かめるため、目で数へ始めた。

 

一、二、三――。

 

数へるのは、昔から得意だった。配給の米粒を数へた。縫ひ針の目を数へた。切符の穴を数へた。便箋の枚数を数へた。年も数へた。

 

滴は、年より小さい。けれど小さいものほど、積もると重い。

 

十、十一、十二――。

 

滴の音は、祈りに似てゐる。寺の鐘のやうに大きくはない。けれど、小さい音が続くと、人はいつしか、そこへ心を合わせる。

 

私は数へながら、ふいに胸の奥で名を呼んでゐた。

 

——篤志さま。——聞こえる?——滴が落ちよるよ。

 

返事はない。返事はないのに、点滴の滴は落ちる。落ち続ける滴を見てゐると、「返事がない」ことが、ある意味で自然に思へてしまふ。返事がなくても、命は進む。進むから、私はここで立ってゐる。

 

滴の落ち方が少し速い気がして、私はクレンメを目で探した。触っていいのか迷ふ。勝手に触るな、と教へられてゐる。私は機械の速度をいぢる人ではない。いぢれるのは、自分の呼吸くらゐだ。

 

呼吸を整へ、ナースコールを押した。

 

しばらくして看護師が来て、滴下を見て「ありがとうございます」と小さく言った。その「ありがとうございます」が、夜の白い廊下に温さを落とした。温さは滴より軽いのに、胸に残る。

見回りの途中、廊下の突き当りにある小さな窓から、外の暗さが見えた。

 

庭と呼ぶほどのものではないが、中庭に一本だけ桜がある。施設の責任者が「春に皆さん喜ばれるから」と植ゑたと言ってゐた。

 

暗い中でも、桜の枝は分かる。冬の終りの枝先には、ほんの少しふくらみがある。蕾だ。

 

蕾を見ると、胸がきゅっとなる。私は毎年、蕾に救はれてきた。咲く前の硬さが、私を落ち着かせる。硬いものは、まだ壊れてゐない。壊れたものばかり見てきた女は、硬さに安心する。

 

その窓のところで、夜勤の若い職員が立ち止まってゐた。まだ二十代だらうか。頬が少しこけて、目の下にうすい影がある。

 

「大丈夫?」と私が言ふと、若い職員は小さく笑った。

 

「大丈夫です。…百合さん、寒くないですか」

 

「寒いよ。寒いけどね、蕾があるけえ」

 

私が窓の外を指さすと、若い職員も外を見た。

 

「あ、桜。…もうすぐですね」

 

「もうすぐよ。…もうすぐは、長いけどね」

 

若い職員は、私の言ひ方を少し不思議さうにして、それでも頷いた。若い人は「もうすぐ」を軽く言へる。老いた者は「もうすぐ」の中に、いくつもの夜を数へてしまふ。けれど、数へても、春は来る。来ることを信じなければ、夜勤は越えられない。

別の部屋で、認知症のおばあさんが起きてゐた。

 

「お母さん…お母さん…」

 

と、小さく呼んでゐる。呼び方が、子どもみたいだ。子どもみたいな声を聞くと、私は胸が痛む。

 

「どうしたん」と声をかけると、その人は私を見た。見た目はもう九十近いのに、目だけが幼い。

 

「……帰らん。帰らんのよ」

 

帰らん。

 

その二文字が、私の胸に刺さる。帰らん、と言ふ言葉の痛さを、私は知りすぎてゐる。

 

私はベッドの柵の外から、そっと手を差し出した。手を取ると、その人の手は細く、冷たい。冷たい手を握ると、私の掌の熱がはっきりする。熱があることが、罪でもあり、役目でもある。

 

「大丈夫よ。ここにおるよ」

 

と私は言った。“お母さん”とは言はない。代りに、いまここにゐることだけを言ふ。言へるのは、それだけだ。それだけでも、夜の不安は少し薄まることがある。

 

その人はしばらく私の手を握って、やがて目を閉ぢた。眠りに落ちる瞬間の顔は、年寄りではなく、子どもに戻る。戻るのが、やさしくもあり、怖くもある。

 

——もし私がこうなったら、篤志さまの名も呼べなくなるのか。

 

ふいにそんな考へが来て、私は唇を噛んだ。呼べなくなることが、死より怖い。死は終りだが、呼べなくなるのは、あなたが消えるやうで怖い。

 

私は廊下へ出て、桜袋を懐の上から押さへた。刺繍の凹凸が、指に当たる。当たるだけで、私は「私はまだ呼べる」と確かめられる。

夜は長い。長い夜は、点滴の滴で区切る。

 

別の部屋では、点滴の滴がまた落ちてゐた。私は椅子に腰を下ろし、滴を数へ始めた。

 

一、二、三――。

 

滴は、いつも同じ顔をして落ちる。落ちるたびに、私は心の中で別のものを数へる。

 

昭和二十年から、ここまでの年。書いた歌の数。桜の数。便箋の束。あなたの名を呼んだ回数。

 

数へてゐるうちに、いつの間にか、滴の音が波音に重なって聞こえた。波音に重なると、胸の奥の海が動く。動く海の底に、坊ノ岬沖の青がある。青の底に、あなたがゐる。

 

私は息をゆっくり吐いて、胸の中へ言った。

 

——篤志さま。——春が来るよ。——桜が、咲くよ。

 

「咲く」と言ふと、少しだけ未来になる。未来の言葉を言へるだけで、夜は越えられる。

 

点滴の滴を数へながら、私は唇だけ動かした。

 

「桜咲けや」

 

誰にも聞こえない声。聞こえない声でも、私は言ふ。言ふことで、季節の扉が少し開く気がするからだ。

 

桜咲けや。咲けや、は命令ではない。願ひだ。祈りだ。どうか、咲いてくれ、といふ、こちらの頼みだ。

 

桜が咲けば、施設の人は少し笑ふ。笑へば、夜勤の若い職員も少し救はれる。救はれれば、誰かの手がまた誰かを支へる。

 

そして――私も、あなたにまた一つ春を届けられる。

 

届けられないと分かってゐても、届けたい。届けたいと思へるうちは、私は生きてゐる。

夜明け前、廊下の向うの窓が、ほんの少しだけ白んだ。

 

白みは、はじめは気のせゐかと思ふほど薄い。けれど、薄い白が確かになると、夜の底が少し軽くなる。

 

若い職員が小さく伸びをして言った。

 

「もうすぐ朝ですね」

 

もうすぐ。その言葉が、昨日とは違って聞こえた。昨日の「もうすぐ」は遠い。今の「もうすぐ」は、手が届く。

 

私は頷いた。

 

「うん。…もうすぐよ」

 

そして、胸の中でまた言った。

 

——篤志さま。——もうすぐ、桜じゃ。

 

窓の外の桜の枝は、まだ硬い。硬いのに、春へ向かふ力がある。力があるものを見ると、私は自分の老いを少し許せる。老いは衰へだが、衰へても、春を待てる。待てるうちは、まだ終りではない。

家へ戻ったのは、朝の光が町を普通の色に戻したころだった。

 

仏間の灯を点け、水を替へ、線香を一本。夜の消毒の匂ひが、線香の匂ひに混じって、やがて薄れる。薄れると、私は自分がまた「私の家」に戻ったのを感じた。

 

机に向かい、帳面を開く。平成二十六年。白い紙は、夜勤の白い廊下より温かい。温かい白に、私は今年の夜を置く。

 

点滴の滴。眠れぬ人の声。若い職員の影。中庭の桜の蕾。そして、滴を数へながら口にした「桜咲けや」。

 

鉛筆を握り、息を整へて書いた。

介護夜 点滴の滴 数へつつ「桜咲けや」と 君に呼びかく

書き終へると、胸の奥が少しだけ静かになった。静かになったのは、夜が終はったからではない。夜の中でも、私はあなたを呼び、季節を呼び、呼ぶことで自分をつないだ。そのつなぎ方を、今年の頁に置けたからだ。

 

窓の外で、朝の風が鳴った。来年は、戦後七十年と世間が騒ぐ年になる。けれど、どんな喧噪の中でも、私の恋は静かに燃える。静かに燃える火を、私はまだ胸の底で守るだらう。

第七十一章 平成二十七年(2015) 胸底の火

「七十」といふ数字は、どこかで“区切り”の顔をしてゐた。

 

七十年。戦後七十年。新聞も、テレビも、ポスターも、口をそろへて「七十」を言ふ。まるで、七十と数へ上げさへすれば、失はれたものが一つずつ戻るやうな言ひ方で。

 

私は、その数字を聞くたびに、胸の奥が小さく鳴った。

 

七十年――と言ふなら、私の中では、あなたが帰らなかった年から七十年だ。あなたの名を呼び続けた年が七十年。桜を押し花にして、便箋を買ひ足し、海へ問ひ、石に触れ、切符を握った年が七十年。

 

区切りの顔をした数字は、世の中では祝ひにもなる。「節目」「記念」「次へ」

 

けれど、私にとって七十は、祝ひではない。ただ、胸の中の火が、まだ消えずにゐる年数だ。

 

消えずにゐるのは、強いからではない。消さうとしたことがないからだ。消さうとすれば、私の生きてきた道が、足元から崩れさうで怖かった。

春、介護の施設では、掲示板に色紙が貼られた。

 

「戦後七十年」「平和について考へる」

 

職員の誰かが書いたのだらう。太い字で、丁寧に。色紙の横には、利用者の写真が何枚か並び、「昔の暮らし」といふ見出しもあった。

 

昔の暮らし――といふ言葉が、私は少し苦手だ。“昔”にしてしまふと、あの痛みは紙の上に収まってしまふ。紙の上に収まるほど、あの時代は小さくない。小さくないのに、人は言葉で小さくしたがる。小さくしないと、今の暮らしが揺らぐからだ。

 

夕方の休憩のとき、若い職員が私に言った。

 

「百合さん、戦争の時って……やっぱり大変でしたか?」

 

若い声だった。恐る恐る、けれどどこか“知りたい”が勝ってゐる声。責める声ではない。ただ、教科書の外にあるものを、目の前の老いた女から受け取りたい声。

 

私は紙コップの茶を一口飲み、しばらく黙った。黙ると、若い職員は慌てて「すみません、聞いていいのか迷ったんですけど」と言った。

 

私は首を振った。

 

「聞いてええよ」

 

と言ってしまってから、困った。何を、どこから、どう言へばいい。七十年を、数分の会話に切り縮めることは出来ない。切り縮めると、君の名まで薄くなる気がした。

 

私は結局、こんなふうに言った。

 

「大変じゃったよ。……大変いうより、戻らんものが出来るんよ。戻らんものが出来るとね、人はそれを抱へて暮らすしかない。抱へて暮らすのが、戦後じゃった」

 

若い職員は、まっすぐ私を見て、ゆっくり頷いた。

 

「戻らんもの……」

 

「うん。……戻らん。ほんまに戻らん」

 

それだけ言ふと、私はそれ以上を言へなかった。戻らん、といふ言葉の中には、篤志さまが居る。居るものを、職場の休憩室で並べたくなかった。並べれば、皆の“話題”になってしまふ。話題になるのが嫌だ。

 

若い職員は、追ひかけるやうには聞かなかった。代りに、小さく言った。

 

「……百合さん、今日は無理しないでくださいね」

 

無理しないで。その言葉は、白い廊下の看護師の声と同じ温さを持ってゐた。私は頷いて、名札の角を指で触れた。名札の硬さが、いまの私を現実へ戻す。

 

けれど、胸の底の火は、そこでまた小さく揺れた。

夏が近づくほど、世の中は騒がしくなった。

 

テレビは特番ばかりになった。あの頃の映像。白黒の焼け跡。進駐軍。闇市。復興。証言――「私は見た」「私は逃げた」「私は失った」。

 

失った、といふ言葉が繰り返されるたび、私は台所の手を止めた。止めると、味噌汁の匂ひが、急に“生活の匂ひ”として胸へ来る。生活の匂ひがあることが、ありがたい。ありがたいのに、ありがたいことが、罪みたいに思へる日がある。

 

八月が近づくと、「談話」といふ言葉が出始めた。誰かが何を言ふか。何を言はないか。言葉の細部で、人が割れる。

 

言葉が刃になるのを、私はもう何度も見てきた。教科書でも、国会でも、家族の食卓でも。言葉が刃になると、刃は必ず誰かの胸へ刺さる。刺さると、刺さった側は黙るか、叫ぶか、泣くかしかない。

 

私は、黙る側だ。黙ることで、胸の底の火を守る。叫べば、火は燃え広がって灰になる。灰になれば、君の名が砂に混じる。混じるのが嫌だ。

 

八月十五日。テレビの中で式典が映り、黙祷があり、鐘が鳴った。私はそれを、こたつの上の湯呑を二つ並べて見てゐた。片方は空のまま。この癖は、もう治らない。

 

黙祷の時間、私は画面に向けてではなく、空の湯呑へ向けて頭を下げた。

 

——篤志さま。——七十年じゃって。

 

七十年、と言った瞬間、胸の奥が少し痛んだ。痛むのは、数字があなたを遠ざけるからだ。七十年も経った、と言ふと、あなたはもう“歴史”の側へ行ってしまふ。私は、あなたを歴史へ行かせたくない。あなたは私の生活の中に居てほしい。押し花の中に、便箋の匂ひの中に、線香の煙の中に、桜袋の凹凸の中に。

 

式典が終はると、今度は討論が始まった。“次世代へ”だの、“責任”だの、“誇り”だの。言葉が並び、顔が並び、正しさが並ぶ。

 

私は音量を下げた。

 

正しさの声が大きいほど、私の中の小さな火は、風に晒される。晒されると、消えさうで怖い。怖いから、私は台所へ行き、湯を沸かした。

 

湯気が立つ。湯気の白さは、テレビの白黒より温かい。温かい白を見てゐると、胸の底の火が、少し落ち着く。

 

その夜、私は仏間へ行き、灯を点け、水を替へ、線香を一本。煙が上がるのを見ながら、ふいに思った。

 

——世の中が騒げば騒ぐほど、私は静かになる。

 

騒がしさは、外の火だ。外の火は、風で燃え上がる。燃え上がるほど派手で、遠くまで見える。けれど派手な火は、すぐ燃え尽きる。

 

私の火は、派手ではない。燃え上がらない。胸の底で、じっと、炭のやうに赤い。灰に埋もれても、残る火。残る火で、私は生きてゐる。

八月の終り、私は一度だけ、海へ行った。

 

人の集まる慰霊祭の時間を避け、朝の早いうちに堤へ立った。風はまだ夏の名残を持ってゐたが、どこか乾いてゐる。海は平らな顔をしてゐた。

 

平らな顔の海を見ると、私はあの瓦礫の海の黒を思ひ出す。思ひ出すと同時に、坊ノ岬沖の底の青も来る。黒と青が胸の中で重なるのを、私はもう止められない。

 

堤の柵に手を置く。金属が冷たい。冷たいものに触れると、自分の体温がはっきり分かる。体温があることが、ありがたい。ありがたいことが、痛い。

 

私は海へ向かって、小さく言った。

 

「……世の中がよう喋るのう」

 

海は返事をしない。返事をしない海に向かって、私は続けた。

 

「七十年、言うての。……七十年も経ったら、忘れてええみたいに言う人もおる。忘れるんは、楽じゃろうね。でも、忘れたら、戻らんものが二度死ぬ」

 

戻らんものが二度死ぬ。そんな言ひ方をすると、私はまた“正しさ”の側へ行ってしまふ気がして、そこで言葉を止めた。

 

正しさであなたを語りたくない。あなたは、私の恋だ。恋は、正しさでは測れない。測れないものを、私は胸の底にしまってきた。

 

海はただ揺れてゐる。揺れてゐるだけで、こちらを裁かない。裁かないからこそ、私は海へ来る。

 

私は桜袋を懐の上から押さへた。刺繍の凹凸が、指に当たる。当たるだけで、私の心は少し整ふ。

 

——篤志さま。——世の中がどれだけ騒いでもね、私は変はらんよ。——私は、君を離さんよ。

 

言ひ切ると、胸の底の火が、ほんの少しだけ明るくなった。燃え上がるほどではない。ただ、消えない赤が、確かにそこにある。

秋、施設の中庭の桜は葉を落とし始めた。

 

夜勤の窓から見る枝は、石段の年のやうに細い。細いのに、折れない。折れない枝を見ると、私は自分の骨も、まだ折れてゐないと信じられる。

 

若い職員が、ふと私に言った。

 

「百合さん、戦後七十年って、百合さんにとっては……どういう感じですか」

 

私は少し考へた。考へて、やはり答へは一つしか出なかった。

 

「数字はねえ……外のもんよ」

 

と私は言った。

 

「外は七十年言うても、私は毎年、君の名を呼んどるけえ。私の中では、七十も、七十一も、同じじゃ。ただ、呼ぶ声が少し細うなるだけ」

 

若い職員は、目を伏せて頷いた。その頷きが、分かった頷きかどうかは分からない。分からなくてもいい。分からなくても、私は言葉を置けた。置けたことで、胸の底の火は守れる。

年の暮れ、私は机に向かった。

 

帳面を開く。平成二十七年。紙の白は、相変はらず温かい。世の中の喧噪がどれほど大きくても、紙の白は静かに待ってゐる。待ってゐる白を見ると、私は自分の速度に戻れる。

 

今年は、世が騒いだ。戦後七十年。式典。談話。討論。番組。言葉の洪水。

 

けれど、その洪水の中で、私の恋は流されなかった。流されなかったのは、強いからではない。胸の底に沈めてゐるからだ。

 

沈めた火は、風に煽られない。煽られない火は、静かに燃える。静かに燃える火が、私の命の芯だ。

 

私は鉛筆を握り、今年の一首を置いた。

戦後七十巡りて 世騒げど恋は静かに 胸底に燃ゆ

書き終へると、胸の奥がすうっと整った。整ったのは、世の中と折り合ひがついたからではない。折り合ひなど、簡単につくものではない。ただ、外の騒がしさの中でも、私は自分の火の在処を見失はなかった。見失はなかったことが、今年の救ひだった。

 

窓の外で、冬の風が鳴った。風の音は、遠い波音に似てゐる。似てゐる音を聞きながら、私は桜袋を胸へ押し当てた。

 

来年、地が震ふ映像をまた見ることになる。熊本の地が揺れ、人が祈る夜が来る。そのとき私は、海ではなく「地」に向けて、君に願ふだらう。

 

——人を護れや、と。

第七十二章 平成二十八年(2016) 揺れる地、守る願ひ

地は、踏むものだと思ってゐた。海は怖い。海は呑む。海は返さない。だから私は、地を信じてゐた。

 

けれど平成二十八年、地もまた揺れ、割れ、崩れ、呑んだ。

 

海の津波の黒を見た年から、私の中で「自然」は一段、怖い顔を持つやうになった。自然は恵みだと、子どものころは教へられた。恵みの顔を信じたいのに、恵みは時々、こちらの都合など構はずに牙を見せる。牙を見せるとき、人は祈るしかなくなる。祈るしかなくなることを、私は長いことしてきた。

四月のある夜、施設から戻った私は、いつものやうに仏間の灯を点けた。

 

水を替へ、線香を一本。煙が細く上がる。その煙の形で、その日の私の心が分かる。まっすぐ上がれば落ち着いてゐる。ふらつけば、胸の奥が揺れてゐる。

 

その夜の煙は、少しふらついた。理由ははっきりしてゐた。テレビで、熊本といふ地名が繰り返されてゐたからだ。

 

熊本。九州。震度。前震。本震。余震。避難所。倒壊。崩落。

 

“震度七”――とアナウンサーが言った瞬間、私は思はず線香立ての縁を握ってゐた。握った指が白くなる。白くなるほど、胸の中で何かが固くなる。

 

震度七。数字がつくと、人は現実を理解した気になる。けれど理解した気になっても、瓦が落ちる音や、家が潰れる瞬間の重さは、数字では届かない。

 

画面には、崩れた家が映る。倒れた塀。割れた道路。暗い夜の中を、懐中電灯で歩く人。泣く子ども。毛布にくるまった老人。

 

その光景を見たとき、私の胸の奥は、津波の年と同じやうに冷えた。ただ、違ふのは“海”ではなく“地”だといふことだ。

 

海なら、逃げろと叫べる。海なら、高いところへ行けと叫べる。地は――どこへ逃げればいいのか。地が揺れたら、地の上にしか人は居られない。居られないのに居るしかない。その理不尽さが、私には耐へ難かった。

 

私はテレビの音量を下げた。音量を下げても、画面の揺れが胸を揺らす。揺れを見ると、私の心臓の鼓動まで不揃ひになる気がした。不揃ひになると、薬のことを思ふ。白い廊下のことを思ふ。命の線のことを思ふ。

 

それでも私は、画面を消さなかった。消したら、遠い誰かの痛みから目を逸らすことになる。逸らすことが出来ないのは、私自身が痛みを抱へてゐるからだ。痛みを抱へてゐる者は、他人の痛みを見捨てにくい。

夜更け、ニュースが途切れ、画面が一瞬暗くなった。

 

その暗さの中で、私はふいに、篤志さまの顔を思ひ出した。軍帽の紺。若い頬。真っ直ぐな目。あの目は、いつも「守る」といふ言葉を口にしなくても、守らうとする目だった。

 

守る。

 

守る、といふ言葉は、私には複雑だ。戦時の「守る」は、国のために命を投げることと結びついてゐた。守るために攻める。守るために死ぬ。守るために若い命が海へ沈む。

 

私はそれを肯定できない。肯定できないのに、私の胸は、守るといふ言葉を完全には捨てられない。あなたがその言葉の中で生き、そして沈んだからだ。

 

けれど、いま私が願ふ「守る」は違ふ。

 

誰かが誰かを殺すための守りではない。自然の牙から、人を守る守りだ。夜の寒さから、赤ん坊を守る毛布の守りだ。倒れた家の下から、息のある人を守り出す守りだ。老いた人の手を支へる守りだ。

 

私は、その守りを、あなたに願ひたくなった。

 

願ひたくなるのは、私が無力だからだ。無力だから、死者に頼る。死者に頼ることを恥だと思ふ人もゐるだらう。けれど、私は恥ぢない。恥ぢないでここまで生きてきた。恥ぢてゐたら、私は昭和二十年で折れてゐた。

 

仏間の前に座り、私は手を合わせた。線香の煙がまだ残ってゐる。煙の匂ひは、夜の不安を少しだけ丸くする。

 

——篤志さま。——熊本が揺れよる。——人が、家の外で震えとる。

 

言葉にすると、胸が少しだけ落ち着く。落ち着くのに、映像の残像は消えない。消えない残像の中で、私は言葉を続けた。

 

——どうか、人を護れや。——あんたの魂で、誰かの上に覆いかぶさってやって。——瓦の下の息を、消さんでやって。——余震の夜を、越えさせてやって。

 

“護れや”。

 

「守れ」ではなく「護れ」と書きたい言葉だった。守るは、国の匂ひがする。護るは、人の肌の匂ひがする。家の匂ひがする。抱く匂ひがする。

 

あなたが守ったのは、結局、何だったのか――私は分からない。分からないままでも、いま私は、あなたに“護り”を頼む。頼むことで、あなたの死を、殺すためではなく生かすための場所へ置き直したい。置き直さなければ、私は「死」だけで終はってしまふ。

翌日、施設でも熊本の話になった。

 

利用者の老人が、テレビの前で言った。

 

「戦争みたいじゃ……」

 

その言ひ方に、私は胸がきゅっとなった。戦争と災害は違ふ。違ふのに、違ふと言ひ切れない“崩れる”感覚がある。家が壊れる。街が壊れる。人が泣く。夜が怖い。

 

怖い夜は、形が似る。だから老人は「戦争みたい」と言ってしまふのだらう。

 

若い職員が、少し困った顔で言った。

 

「でも、今は助けが来ますから。自衛隊も、消防も」

 

助け。来る。その言葉が、私は少し羨ましかった。戦争のとき、助けはすぐには来なかった。助けが来るまで、瓦礫を自分の手で掘った。自分の手で掘って、何も出てこない空っぽを掴んだ。

 

いまは違ふ。違ふことが、ありがたい。ありがたいのに、ニュースは「道路が寸断」「孤立」と言ふ。孤立といふ言葉は、また私の胸を冷やす。孤立は、戦後の焼け跡の孤立と似てゐる。

 

私は若い職員に言った。

 

「助けが来るように、祈らにゃあ」

 

若い職員は頷いた。祈る、といふ言葉に抵抗がない世代ではないはずなのに、彼女は頷いた。災害の前では、合理も科学も、最後に“祈り”を許す。許さなければ、胸が持たないからだ。

 

募金箱がまた出た。私は小銭を入れた。入れながら、去年の戦後七十年の喧噪より、今年の地の揺れのほうが、よほど私の胸を揺らすのを感じた。

 

人は数字で区切り、言葉で語り、式典で整へる。けれど揺れは、区切りを許さない。揺れは、身体へ直接来る。身体へ直接来るものを前にすると、私はまた昭和の女に戻る。黙って、手を動かして、祈る女に。

夜、家へ戻り、私はいつもより丁寧に仏壇を拭いた。

 

布で拭くと、木の艶が少し戻る。戻る艶を見ると、心が落ち着く。落ち着く心で線香を一本。煙が上がる。

 

テレビはつけない。つければ、また胸が揺れる。揺れていい夜もあるが、今日は揺れすぎてゐる。揺れすぎると、心臓がまた締まる気がする。

 

私は代りに、携帯を開いた。下書きのメールに、桜の絵文字がまだ残ってゐる。「今日は、桜が咲きました🌸」

 

桜はまだ咲かない季節だ。けれど、咲かない季節の桜が、いまは“未来”に見えた。未来は、まだある。未来があるから、人は避難所で夜を越える。未来があるから、私は祈る。

 

私は下書きを閉ぢ、桜袋を胸へ押し当てた。

 

——篤志さま。——護ってやって。——海の底からでも、護ってやって。

 

返事はない。返事はないのに、祈りは口を離れない。離れない祈りが、私の生き方だ。

年の暮れ、帳面を開く。

 

平成二十八年。白い頁の上に、揺れる地の映像がまだ残ってゐる。暗い夜の避難所。崩れた家。懐中電灯の光。そして、仏間の線香の煙。

 

私は鉛筆を握った。胸の奥に、言葉が一つだけ確かに残ってゐる。守れ、ではなく、護れ。

熊本の 震ふ地を見て 祈る夜「人を護れや」と 君に願ひぬ

書き終へると、胸の奥が少しだけ整った。整ったのは、地が揺れなくなったからではない。余震は続き、人の不安も続くだらう。ただ、私は今年も、無力の中で“願ひ”の形を見つけた。見つけて、君へ預けた。預けることで、私の胸は少しだけ息をした。

 

窓の外では、冬の風が鳴ってゐた。来年は、国会の紛擾が画面に溢れ、言葉が刃になって降ってくる春になる。その雨の中で、私はまた君に諭されるだらう。

 

——言葉は刃ぞ、と。

第七十三章 平成二十九年(2017) 言葉の雨

雨は、音で心を濡らす。

 

窓を閉めてゐても、襖を立ててゐても、雨垂れのひとつひとつは、家の中へ入ってくる。それは優しい濡れ方で、土の匂ひを連れてきて、乾いた畳の目をしっとりさせる。

 

けれど――この年の雨は、もう一つ、別の濡れ方をしてゐた。音ではなく、言葉で濡らす雨だ。

春先、朝の寒さがやうやく緩んだころ、私はいつものやうに湯を沸かし、仏間の水を替へた。

 

線香を一本。煙は細く上がり、途中で少し揺れた。揺れは、風のせゐだけではない。胸の奥が揺れてゐると、煙も揺れる。

 

「……今日は雨じゃね」

 

誰にともなく言ふと、返事はない。返事のない空気の中で、私は桜袋を胸の上から押さへた。刺繍の凹凸が指に当たり、心臓の鼓動が少し落ち着く。

 

台所へ戻り、湯気の立つ湯呑を両手で包んだ。指の皺の溝に、湯気の温かさが染み込む。温かさが染み込むと、私はやっと一日を始められる。

 

テレビを点ける。点けた瞬間、画面の中は騒がしかった。

 

背広の男が並び、紙が舞ひ、マイクが並び、言葉が飛び交ってゐる。見慣れたやうで、見慣れない光景。

 

国会。

 

「追及」「説明責任」「疑惑」「忖度」――

 

字幕の太い字が、雨のやうに降ってくる。降ってきて、胸の上に積もる。

 

私は湯呑を口へ運びながら、目を細めた。近頃のテレビは、字が大きい。老いた目に優しいやうで、逆に刺さる。大きな字は、刺さる面も大きい。

 

討論といふ名のもとに、声がぶつかる。声は、ぶつかれば角が立つ。角が立つ声は、刃に似る。

 

刃に似る声を聞くと、私の胸の奥は、昔の「号令」を思ひ出す。号令は、短い。短い言葉が、人を動かす。動かして、止める。止めて、並ばせる。並ばせて、黙らせる。

 

戦後、私たちは「自由」を手に入れた、と言はれた。言ふことが許され、書くことが許され、疑ふことも許される。許されるのは、ありがたいことだ。ありがたいのに、許された言葉が刃になって飛ぶのを見ると、私は怖くなる。

 

言葉は、本来、抱くためにあるはずなのに。

その日、私は施設の手伝ひがあった。

 

雨の中、杖を突いて歩くと、膝は湿気で少し重くなる。道路の水たまりが車の音で跳ね、裾が濡れた。濡れるのは嫌だ。けれど濡れた裾を見れば、「私はまだ外を歩いてゐる」と分かる。分かると、胸の奥が少しだけ安心する。

 

施設へ着くと、玄関の自動扉が軽く開いた。消毒の匂ひ。リネンの匂ひ。そして、どこかに漂ふ、甘いお粥の匂ひ。

 

談話室では、いつも数人がテレビを見てゐる。今日は雨で散歩が出来ないせゐか、集まる顔が多かった。そして――画面はやはり国会だった。

 

「またこれか」と、車椅子の男が小さく吐き捨てた。

 

別の老人が、眉をひそめて言った。「嘘つきばっかりじゃのう」

 

その言葉の強さに、私は胸がひくりとした。嘘つき、と言ひ切る刃。刃は、言った本人の口元まで硬くする。

 

若い職員が困ったやうに笑って、リモコンを探した。「皆さん、テレビ、ちょっと違うのにします? 天気とか」

 

けれど、誰かが言った。「ええ、ええ、見ときたい。……こがぁなこと、ちゃんとせにゃあ」

 

“ちゃんと”。

 

ちゃんと、といふ言葉は、便利で恐ろしい。ちゃんとは、正しさの顔をして、人の胸を縛る。ちゃんとしてゐない者は、外へ出される。戦後の女は、ちゃんとで縛られて生きてきた。ちゃんと働け。ちゃんと黙れ。ちゃんと耐へろ。ちゃんと忘れろ。

 

私は職員の横に立って、画面を少しだけ見た。議員が立ち、相手を指さし、声を張り上げてゐる。声が大きいと、内容が正しく見える。大きい声は、正しさの仮面を被る。

 

「いけんねえ」と、私は思はず口の中で言った。

 

若い職員が私を見て、目で訊いた。私は小さく首を振って、談話室の端へ行った。端へ行くと、声の刃が少し鈍る。鈍ったところで、私は洗濯物を畳み始めた。手を動かすと、心は少し静まる。静まった心でないと、私は言葉の雨にやられてしまふ。

 

畳みながら、談話室の声が耳へ入る。

 

「誰が悪いんじゃ」「いや、あれは――」「責任じゃ責任」「ほいじゃけど、あんたも――」

 

言葉が、次の言葉を呼ぶ。言葉が、言葉で人を刺す。刺された側は、また刺し返す。

 

それは、戦の形に似てゐた。武器が言葉に替はっただけで、やり方は同じだ。勝つため、負けさせるため、相手の胸へ刃を投げる。

 

私は畳んだタオルの角を揃へながら、胸の奥へ言った。

 

——篤志さま。——いまの世は、言葉で戦ふねえ。——戦ふんは、まだ終はっとらんのかねえ。

 

返事はない。返事はないのに、胸の奥から、ふいに別の声が上がった。

 

低くて、静かで、けれど譲らない声。

 

「……言葉は刃ぞ」

 

私は手を止めた。タオルの白が、指の間で少し崩れた。

 

言葉は刃ぞ。

 

その言ひ方に、覚えがあった。あなたが実際にそう言ったかどうか、もう確かめられない。けれど、あなたなら言ひさうだった。軍隊の中で、余計なことを言へば誰かが傷つき、誰かが連れて行かれる。戦時の暮らしは、言葉一つで命が揺れた。あなたはそれを知ってゐた。知ってゐたから、言葉を慎むことを、私に諭した――そんな気がした。

 

私は、タオルをもう一度きちんと畳み直した。崩れた角を揃へると、心も揃ふ。揃ふと、私は若い職員に小さく言った。

 

「テレビ、天気に変へてもええよ。雨じゃけえ、ほら、皆も落ち着かん」

 

若い職員はほっとしたやうに頷き、チャンネルを変へた。画面に映ったのは、桜前線の地図だった。南から北へ、薄紅の線が伸びてゐる。

 

談話室の空気が、すうっと軽くなった。老人たちも、さっきまでの鋭さを少し引っ込める。

 

「もう咲くんか」「今年も早いのう」

 

その声は、刃ではない。ただの季節の声だ。ただの声が出るだけで、場は救はれる。

 

私は胸の奥で、もう一度だけ、言った。

 

——ありがとう。——言葉は刃ぞ、って。

帰宅すると、雨はまだ降ってゐた。

 

春の雨は冷たくない。けれど、冷たくない雨ほど、長く降る。長く降る雨の音は、心の奥の古い井戸を叩く。

 

私は濡れた上着を脱ぎ、畳の端へかけた。湯を沸かし、仏間の灯を点け、水を替へ、線香を一本。煙が上がる。今夜の煙は、まっすぐだった。

 

テレビを点けるか迷ひ、結局、点けた。画面の中は、また言葉の洪水だった。私は音量を下げた。下げた音量でも、口の動きは見える。見える口は、どれも急いでゐる。

 

急ぐ言葉は、刃になりやすい。

 

私はふいに、自分の便箋の束を思ひ出した。私が書く言葉は、届かない。届かないから、相手を刺さない。刺さない代りに、私の胸だけを温める。

 

戦後の女は、よく「口は災ひの元」と教へられた。黙ってゐろ、と言はれた。黙ってゐることが美徳とされた。私はそれに従ひすぎた。従ひすぎて、言ひたいことが喉の奥で固まった日もある。

 

けれど――黙ることだけが正しいわけではない。言ふべきときに言ふために、言葉を研がずに置く。刃にしない言葉を持つ。その難しさを、私は年を取ってからやっと分かる。

 

雨の音が、窓の外で続く。雨は、同じ場所を叩き続ける。叩き続けて、土を柔らかくする。柔らかくなった土から、桜が咲く。

 

言葉も同じだらうか。叩き続けるだけでは傷になる。けれど、やわらかい叩き方なら、芽を出すのかもしれない。

 

私はテレビを消した。消して、雨の音だけを聞いた。雨の音は、昔の恋文の雨垂れの音に似てゐる。似てゐる音に耳を澄ますと、私はまた、あなたへ手紙を書きたくなる。

 

机に向かい、便箋を一枚出した。指の皺が紙を撫でる。紙は、静かだ。静かな紙の上でなら、言葉は刃になりにくい。

 

「篤志さま」

 

と書き、そこで一度、筆を止めた。止めて、胸の奥であなたの声を聞いた。

 

「言葉は刃ぞ」

 

私は小さく頷いた。そして、今日の出来事をゆっくり書いた。国会の声が談話室の老人の胸を荒らしたこと。若い職員が困ってゐたこと。私がタオルを畳みながら、あなたの声を聞いたこと。

 

書きながら、私は確かめた。

 

私は、言葉で戦はない。私は、言葉で守りたい。守る――ではない。護る。人を。名を。記憶を。あなたを。

 

封筒へ入れ、封はしない。封をしない手紙が、私のやり方だ。

年の終り、帳面を開いた。

 

平成二十九年。今年の頁には、春の雨が降ってゐる。雨の向うで、言葉が刃になって飛び交ふ。刃を見て、私はあなたの声を思ひ出す。

 

鉛筆を握り、私は今年の一首を置いた。

国会の 紛擾映す 春の雨「言葉は刃ぞ」と 君に諭さる

書き終へると、胸の奥が少し整った。整ったのは、世の中が静かになったからではない。世はきっと来年も騒ぐ。けれど私は、刃ではない言葉の置き方を、今年もあなたに習ひ直した。そのことが、私の背骨になった。

 

窓の外で、雨がやうやく細くなり始めた。雨の細さは、春の終りの合図でもある。終りが来れば、また次が来る。

 

来年、平成が終はるといふ報せが胸を打つ。二つの時代を、私はあなたと越えてきた――さう思ふ年へ続く。

第七十四章 平成三十年(2018) ふたつの時代

「平成が終はる」

 

その言葉を初めて聞いたとき、私は台所で大根を煮てゐた。鍋のふちから湯気が立ち、味の染みた匂ひが部屋を温めてゐた。そんな“いつもの匂ひ”の中へ、ニュースの言葉は静かに入ってきた。

 

静かに入ってきて、胸の奥を打った。

平成三十年の春、桜はいつも通り咲いた。

 

土手の桜は薄紅を広げ、施設の中庭の桜も蕾をほどき、風が少し強い日には花びらが廊下の窓に貼りついた。花びらが貼りつくと、私は思ふ。生きてゐるものは、何かに触れたがる。触れたがるものは、やがて離れる。離れる前の一瞬の貼りつきが、恋に似てゐる。

 

私はいつも通り、桜袋を胸へ押し当て、帳面に一首の準備をし、便箋を買ひ足した。平成が終はると言はれても、私の手順は変はらない。変はらない手順があるから、私は時代の言葉に呑まれずに済む。

 

けれど――変はらない手順の中に、ひとつだけ、変はりさうなものが入り込んだ。

 

年号。

 

昭和。平成。令和――まだその名は知らない。

 

年号は、私の帳面の左肩に、毎年きちんと書かれてゐる。そこへ新しい字が入る。入ると、私の恋の暦もまた、新しい字を背負ふ。

 

背負ふ、といふ言葉が、妙に重く感じられた。

夏、施設で若い職員が言った。

 

「百合さん、次の年号、何になるんですかね」

 

次。若い人は、次と言ふ。次があることを当たり前に言ふ。当たり前に言へる若さが、眩しくもあり、少し切なくもある。

 

「さあねえ」

 

と私は笑った。笑ひながらも、心の中では答へが違ってゐた。

 

次の年号が何であっても、私の中の年号は変はらない。私の中の年号は、昭和二十年四月七日で止まってゐる。止まってゐる年号の上に、世間の年号が積み重なっていく。積み重なるほど、止まってゐる一点が際立つ。

 

際立つ一点は、あなたの死だ。あなたが海へ出た日。あなたが還らなかった日。その一点から、私はずっと、年を数へてきた。

 

七十年以上。それだけ数へても、私の中の一点は、薄くならない。薄くならないから、時代が変はると言はれても、胸の底の火は揺れない。

 

ただ、揺れるものが一つある。それは――私の身体だ。

 

膝は去年より確かに痛む。心臓の薬は減らない。夜勤の手伝ひをすると、翌日は背中が重い。鏡の前で髪をとかすと、白髪の量が増えてゐるのが分かる。

 

時代は変はる。私は老いる。

 

それだけのことなのに、年号が変はると聞くと、老いが急に早足になるやうで怖かった。まるで、時代の区切りに合わせて、私の命も区切られさうで。

 

そんな怖さを、私は誰にも言へなかった。言へば、「気にしすぎよ」と笑はれる。笑はれるのが嫌なのではない。笑はれると、私の怖さが“些細なもの”になってしまふのが嫌だ。些細なものではない。私にとって年号は、帳面の骨格だ。骨格が変はると、身体が揺れる。

秋、テレビの中で「元号の公表はいつ」といふ話題が出た。

 

政治の言葉と、儀式の言葉が混じってゐた。混じってゐると、私はまた「言葉は刃ぞ」といふあなたの声を思ひ出す。儀式の言葉は刃になりにくい。けれど政治の言葉は刃になりやすい。刃が儀式の衣を着ると、余計に厄介だ。

 

私は音量を下げ、湯呑を二つ並べた。

 

片方は空。片方は温かい茶。空の湯呑は、平成になっても、ずっと空のままだった。空のまま、私は昭和も平成も越えた。

 

越えた――といふ言ひ方が、今年は妙に胸へ来た。

 

越える。時代を越える。何を越えたのか。

 

私は、ただ老いてきただけではない。私は、時代の空気も越えてきた。

 

占領の空気。復興の空気。高度成長の空気。バブルの空気。震災の空気。不況の空気。政治の空気。災害の空気。

 

空気は形がない。形がないのに、胸へ入ってくる。胸へ入ってくる空気に、私は何度もむせ、何度も耐へた。耐へるたびに、胸の底の火が赤く残った。

 

その火は、あなたの火だ。あなたが海へ沈むときに、私の胸へ移った火だ。移った火を抱へて、私は昭和を越え、平成を越えた。

 

越えたと言ふなら――私は一人では越えてゐない。あなたと越えたのだ。あなたが居なければ、私は越えられなかった。越えられなかったものを、私は数えきれない。

冬、風が冷たくなるころ、施設の中庭の桜は枝だけになった。

 

枝だけの桜は、寂しい。寂しいのに、私は枝だけの桜が好きだ。蕾の場所が見えるからだ。来年の準備が、まだそこにあると分かるからだ。

 

私は窓際に立ち、枝先を見ながら、ふいに胸の中で言った。

 

——篤志さま。——平成が終はるんじゃって。

 

言った瞬間、胸の奥がじんとした。じんとしたのは、悲しいからではない。驚きに近い。平成といふ時代が、私には“静か”だった。昭和の終りの崩れるやうな空気に比べれば、平成は確かに静かだった。静かだから、私は胸の底の火を守れた。火を守って、あなたを守れた。

 

だから、終はると言はれると、胸が響く。

 

響く胸を抱へながら、私はまた現実の手順へ戻った。水を替へる。線香を一本。薬を飲む。便箋を揃へる。

 

その繰り返しの中で、私はひとつ決めた。

 

次の時代が来ても、私は年号の字の上に、あなたの名を置き続ける。昭和で始めた恋文を、平成で止めなかった。なら、次でも止めない。止めないことが、私の誓ひだ。

年の終り、帳面を開いた。

 

平成三十年。左肩の年号の字が、今年は少しだけ重い。重いのは、終はりが近いからだ。終はりが近いと聞くと、人は今までを振り返りたくなる。

 

私は振り返った。

 

昭和――戦と焼け跡と瓦礫と闇市と復興。平成――静けさの中の災害と不況と議論と、老いの時間。その二つを、私は生きた。生きたと言へるのは、あなたの名が私を立たせたからだ。

 

私は鉛筆を握り、胸の奥の響きをそのまま置いた。

平成果つ 告ぐる報にぞ 胸響くふたつの時代 君と越えたり

書き終へたとき、胸の奥の火は静かに燃えてゐた。燃え上がらない。けれど消えない。消えない火は、時代が変はっても、私の中で同じ赤さを保つだらう。

 

窓の外で、冬の風が鳴った。風の音は、遠い波音に似てゐる。似てゐる音を聞きながら、私は桜袋を胸へ押し当てた。

 

次の年――新しい御代のはじめの桜風の中で、九十路を越えた私は、また君を呼ぶ。年号が変はっても、呼ぶ声だけは変はらない。変はらない声を、私はまた紙の上へ置くことになる。

 
 
 

コメント


Instagram​​

Microsoft、Azure、Microsoft 365、Entra は米国 Microsoft Corporation の商標または登録商標です。
本ページは一般的な情報提供を目的とし、個別案件は状況に応じて整理手順が異なります。

※本ページに登場するイラストはイメージです。
Microsoft および Azure 公式キャラクターではありません。

Microsoft, Azure, and Microsoft 365 are trademarks of Microsoft Corporation.
We are an independent service provider.

​所在地:静岡市

©2024 山崎行政書士事務所。Wix.com で作成されました。

bottom of page