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大和出撃3


第五章 昭和二十四年(1949) 掠れた地図

紙の匂ひほど、時代の匂ひをよく映すものはない――と、その年、私は思ふやうになった。

 

戦時中の紙は硬く、荒く、どこか土の匂ひがした。配給の帳面も、軍需の伝票も、手に取るたび指先がざらつき、文字は命令のやうに突き刺さった。終戦直後の紙は薄く、すぐ破れた。墨を塗って「ないこと」にする教科書の紙は、涙を吸ふより先に破れてしまひさうで、私は何度も、破れた紙片を指で撫でては、破れないでくれと願った。

 

そして昭和二十四年。「新しい教科書」が配られると聞いたとき、私はまず、紙の手触りを思ひ浮かべた。

 

母の咳は、薬のおかげで少し落ち着いた。落ち着いた、といふより、波が引いたやうに静まっただけで、潮はまだそこにある。夜更けに咳がぶり返すこともあるし、起き上がった拍子に息が詰まることもある。私は朝いちばんに湯を沸かし、薄い粥を作り、母の背をさすり、それから外へ出た。

 

家計は相変はらず苦しい。闇市で手に入れた米は、あっけなく底をついた。配給はまだ細い。働き口も、誰もが探してゐる。その中で、私は町の小学校に顔を出すやうになってゐた。正規の先生ではない。「代用教員」といふ名目だ。若い先生が足りず、こちらの学歴など問はず、とにかく子どもに字を教へられる者が必要だった。

 

「百合さん、手がきれいに字を書くねえ。来てくれんかね」

 

校長先生に言はれたのは、去年の暮れだった。手がきれい――と言はれて、私は胸が痛んだ。私の手は荒れてゐる。洗濯と土と煤で、指の節は赤く割れてゐる。けれど「字」は、まだ崩れずに残ってゐる。戦争で壊れていくものの中で、私に残った数少ない「形」だった。

 

仕事を引き受けたのは、母のためでもある。学校に出れば、わずかだが給与が出る。配給も多少は融通が利く。けれど、引き受けた瞬間に胸の奥で別の声が囁いた。

 

――教へる。――子どもに、未来の言葉を教へる。篤志のいない未来を、私は手伝ふのだらうか、と。

 

その問いに、私は答へを持たなかった。持たなくても、朝は来る。腹は減る。母は咳をする。だから私は、今日も学校へ向かふ。

校舎は、ところどころ修繕されてゐた。窓ガラスはまだ足りず、板を打ち付けて風を防いであるところもある。廊下の床板は軋み、雨の日にはどこかの隙間から雫が落ちる。それでも、子どもの声があるだけで、建物は生き返る。笑ひ声、泣き声、呼び合ふ声――それは軍靴の音とは違ふ、「生の音」だ。

 

職員室の端に、小さなストーブが置かれてゐた。燃料は乏しく、火は細い。先生たちは息を白くしながら、帳簿を書き、教材を作る。その机の上に、束になった「新しい教科書」が積まれてゐた。

 

私は、思はず立ち止まった。

 

白っぽい表紙。印刷はまだ粗いが、戦時中のやうな硬い標語はない。「修身」ではなく、「社会科」と書かれてゐる。「国語」も、以前より柔らかな挿絵が添へられてゐた。子どもが手をつなぎ、畑を耕し、町を掃除する絵。そこにあるのは、「戦へ」ではなく、「暮せ」といふ教へだった。

 

若い先生が言った。

 

「やっと墨塗りの教科書から、まともになりましたね」

 

墨塗り――その言葉に、胸の底がきゅっと縮む。あの黒い墨は、ただ軍国主義を消したのではない。私たちの記憶の入り口まで黒く塗ってしまった。黒で塗られた文字の向うに、篤志の影がゐる気がして、私はあの教科書を捨てられずにゐた。誰にも言へないことを、紙だけが知ってゐる――そんな気がしたのだ。

 

私は返事を曖昧にし、教科書の束の端をそっと撫でた。紙は薄く、ざらりとしてゐる。インクの匂ひがまだ新しい。その匂ひの中に、微かに油の匂ひを探してしまふ自分がゐた。

 

――燃料廠の匂ひ。――篤志の手の匂ひ。

 

当然、そんなものはしない。「新しい」紙の匂ひしかない。

その日の授業は「社会科」だった。

 

黒板に大きく「日本」と書き、私は子どもたちに言った。

 

「今日は、わたしたちの国の形を見ませう」

 

子どもたちは教科書を開き、ぱらぱらと紙を鳴らした。その音が、雨のやうに一斉に降る。私は教卓の上の教科書を開き、地図の頁を探した。

 

そして、そこに――掠れた地図があった。

 

印刷が薄い。海と陸の境が、ところどころ途切れてゐる。インクが足りないのか、紙が悪いのか、線が頼りない。日本列島は描かれてゐる。北海道、本州、四国、九州。けれど南の方――島々のあたりは、ひどく薄く、まるで「そこは遠い」と最初から言ひ訳してゐるやうだった。

 

私はその薄さを見た瞬間、言葉を失ひさうになった。

 

――沖縄。――坊ノ岬沖。――君の海。

 

教科書は、戦争を語らない。語らせない。語ればまた憎しみが生まれる、と誰もが言ふ。「もう戦争の話はよしなさい」「子どもに余計なことを教へるな」「これからは平和だ」その言葉は正しい。たぶん、正しい。正しいからこそ、私は苦しい。

 

篤志の死を、私は子どもたちの前で語れない。語れば、昔の私たちが信じさせられたものまで、すべてが嘘に見えてしまふ。語らなければ、篤志は教科書から消えてしまふ。

 

私は黒板に地図の簡単な形を描きながら、声を整へた。

 

「このあたりが九州です。ここから南へ――」

 

南へ、と言ひかけて、喉が詰まる。南へ行ったのは、君だ。南へ沈んだのは、大和だ。南へ、といふ方向が、私の胸の中では墓標になってゐる。

 

子どもたちは、無邪気に言った。

 

「先生、沖縄ってどこ?」「アメリカなの?」「行けるの?」

 

その問いが、現実を突き刺した。沖縄は、もう「こちら側」ではない。地図の線の薄さは、ただの印刷の粗さではなく、時代の線引きでもあるのだと、私は思った。

 

「沖縄はね……南の方にある島です」

 

それ以上言へなかった。「今はアメリカが……」などと言へば、子どもの目に余計な影が落ちる。私は、先生としての言葉を選ぶ。選びながら、ひとりの女として心の中で叫ぶ。

 

――そこに、君がゐる。――そこに、君の海がある。

 

授業が終はり、子どもたちは外へ飛び出していった。廊下は、また静かになる。私は教卓に残り、開いたままの教科書の地図を見つめた。

 

薄い線。掠れた島影。そこに、君が消されてゐる気がした。

放課後、職員室の隅で、私は自分の鞄を開けた。中から出したのは、短い鉛筆と、小さな色鉛筆の束。色鉛筆は貴重だ。子どもたちに配る教材など足りないから、先生たちは古いものを削り削り使ってゐる。その中に、一本だけ、まだ芯が残ってゐる青があった。

 

青――海の色。私はその青を、指先でそっと転がした。まるで、宝石のやうに。

 

職員室にはまだ数人、先生がゐた。皆、自分の仕事に没頭してゐる。私が何をしてゐるかなど、誰も気にしない。私はそれがありがたかった。誰にも気づかれずに泣ける時間は、戦後の女には滅多にない。

 

教科書を開き、地図の頁を机の上に広げる。掠れた海。掠れた南。私は息をひとつ吸ひ、青鉛筆の先を紙に当てた。

 

――塗る。

 

地図帳の海を塗るなど、本当はよくないのかもしれない。教科書は公共のものだ。勝手に手を入れるな、と叱られるかもしれない。けれど、これは私の教科書だ。私の掌の中にある。誰にも配られない、私だけの「遺族の帳簿」だ。

 

私は、沖縄のあたり――薄く途切れかけた島影の周りを、碧く塗った。薄い印刷の海が、青で息をし始める。碧を重ねれば重ねるほど、紙の上に海が深くなる。

 

坊ノ岬沖――正確な点など地図にはない。けれど私は、心の中でそこを知ってゐる。私は青を少し濃くし、南の海に、見えぬ墓標を立てた。

 

塗ってゐるうちに、視界が滲んだ。涙が出たのだと気づいたときには、もう遅い。涙は、紙の上に落ちる前に、睫毛の先で震へてゐる。

 

私は慌てて顔を伏せ、鉛筆を動かし続けた。塗ることに集中すれば、泣いてゐる顔を見られずに済む。涙は「仕事の邪魔」だといふふりをすればいい。戦後の女は、涙にも理由をつけて隠す。

 

ぽとり、と何かが紙に落ちた。海の上に、薄い水の跡が出来た。私はすぐに鉛筆を重ね、濃い青でその跡を覆ひ隠した。泣いたことを、海の色で隠す。あまりにおかしくて、胸が痛くて、私は息を殺した。

 

そのとき、後ろから若い先生の声がした。

 

「綾瀬先生、何してるんです?」

 

私は肩が跳ねた。振り向くと、彼女は笑ってゐた。悪意はない。私は咄嗟に教科書を閉ぢかけ、手を止めた。

 

「……ちょっと、薄くて見えにくいから」

 

私はそれだけ言った。彼女は教科書の端を覗き込み、「ああ、ほんとだ、印刷ひどいですね」と笑った。

 

「青、きれい。海、深くなりましたね」

 

私は笑へなかった。「深い」のは海だけではない。私の中の海も、年々深くなる。深くなって、誰も手が届かなくなる。

 

けれど私は、ただ頷いた。「……ええ。深くしておかないと」

 

その言葉の意味を、彼女は知らない。知らなくていい。知らないからこそ、彼女は明るく生きられる。

 

彼女が去ったあと、私はもう一度、地図を開いた。青で濃く塗られた海。掠れてゐた南が、私の青で確かな場所になってゐた。

 

紙の上の海は冷たくない。匂ひもしない。波の音もしない。けれど、私はそこに「君」を置ける。

 

私は袖の中に指を入れ、布包み――桜の押し花に触れた。闇市でも汚さず守った一片。その薄紅と、この碧。春と海。私の一年は、結局その二つを巡ってゐる。

家へ帰ると、母が縁側で日向に背を向けて座ってゐた。咳は少ない。それだけで、私は救はれたやうな気がした。

 

「おかへり」

 

「ただいま。……今日は、教科書が来たの」

 

「まあ」

 

母は興味深げに言った。戦前の母なら、教科書など「先生に任せなさい」で済ませたかもしれない。けれど戦後の母は、文字や紙に、飢ゑに似た関心を持つやうになってゐた。知らないと、生きていけない。騙される。置いていかれる。さういふ恐れが、母を変へた。

 

私は教科書を見せた。母は表紙を撫で、紙の匂ひを嗅いだ。

 

「紙の匂ひがするねえ……」

 

それは、飢ゑの匂ひでもあった。私たちは、米だけでなく、紙にも飢ゑてゐた。紙があるといふことは、学べるといふことだ。学べるといふことは、次の暮しを作れるといふことだ。

 

母はぽつりと言った。

 

「百合、あんたも……もう二十を過ぎたね」

 

私は背筋が固まる。この言ひ方の先に来る言葉を、私は知ってゐる。

 

「縁談の話も……ぼつぼつ」

 

私は俯いた。母の声は責めるやうではなかった。心配なのだ。世間体もある。老後の不安もある。当時、女がひとりで生きることは、今よりずっと難しい。仕事は少ない。金もない。家もない。女が「独り身」であることは、ただの選択ではなく、「危うさ」だった。

 

私は静かに言った。

 

「……私は、もう決めてゐるの」

 

母は何も言はなかった。言はなくても分かってゐるのだらう。けれど分かってゐても、母の胸のどこかは痛むのだらう。娘を幸せにしたいと願ふ親の心は、時代が変はっても変はらない。

 

私は母の手を握った。

 

「母さん。私は――」

 

「いいよ」

 

母が先に言った。「言はなくていい。……あんたの心は、あんたのもんだ」

 

その言葉が、涙を誘った。私は笑ってごまかし、台所へ立った。涙は、今日すでに海に落とした。家では落とさない。母を不安にさせたくない。

 

夜、母が眠り、家の中が静かになった頃、私は机に向かった。教科書を開き、あの碧い海を見た。掠れてゐた地図は、もう掠れてゐない。私の青が、そこにある。

 

私は帳面を開く。毎年の歌を記す帳面。遺族でない私が、私自身を遺族にする帳面。

 

今日のことを思ふ。新しい教科書。新しい国の言葉。掠れた地図に、載らぬ海。塗り重ねた碧。隠した涙。

 

鉛筆を握り、私は一首を書いた。

教科書の 掠れし地圖に 君の海碧濃く塗りて 涙を隠す

書き終へてから、私は青鉛筆を丁寧に拭き、短くなった芯を紙で包んだ。青は貴重だ。けれど私にとっての貴重は、物の不足だけではない。記憶の不足だ。時代が「忘れろ」と言ふたびに、私は青を重ねて思ひ出す。

 

君の海は、教科書には載らない。けれど、私の帳面には載る。私の袖の中にも載る。私の胸の底にも、碧く深く、ずっと残る。

第六章 昭和二十五年(1950) 麦畑の風

麦の穂が色づくと、町の光景が少しだけ明るく見えた。米の白さはまだ遠いままでも、麦は嘘をつかない。土があれば芽を出し、風があれば揺れ、陽があれば金色に熟す。焼け跡の黒い年々を知る私たちにとって、その当然さは、救ひであり、どこか悔しさでもあった。

 

校庭の隅に、麦が植ゑられてゐた。子どもたちが理科の時間に蒔いたものだ。細い芽が出て、いつの間にか穂を立て、初夏の風にさらさら鳴る。私はその音を聞くたびに、胸の奥が、条件反射のやうに硬くなるのを感じた。

 

音が、似てゐるのだ。さらさらと流れる音が、遠い銃声の記憶を連れてくる。

 

銃声――といふほど、私が本当に銃を見てゐたわけではない。戦時中、女の私たちは銃を持たされなかった。持たされたのは鍬と布と、黙って耐へる心構へだけだった。けれど、音は聞いた。防空壕へ走る足音と、上空の唸りと、対空砲火の乾いた裂け目のやうな音。港の方から伝はる爆発の低い腹鳴り。それらは、耳の奥に砂のやうに沈んでゐて、ふとした拍子に舞ひ上がる。

 

私は教師になって二年目になってゐた。「代用」の札はまだ外れない。けれど子どもたちは、そんな札など見ない。子どもにとって私はただの「先生」であり、呼ばれれば答へ、泣けば撫で、叱れば怖い顔もする人間だ。

 

職員室の棚には、粉ミルクの缶が積まれてゐた。進駐軍の援助だと聞く。子どもたちに配るのだ。それを湯に溶かすと、白い匂ひが立つ。牛乳とは違ふ。どこか粉っぽく、甘いのに、甘さが胸へ落ちない匂ひ。子どもは鼻をつまんで飲み、飲み終へると舌を出して笑ふ。

 

「先生、これ、変な味!」

 

私は笑って、

 

「身体のためよ。飲みなさい」

 

と叱るふりをする。叱るふりをしながら、心のどこかで思ふ――こんな白い匂ひが、戦時中にあったなら、と。腹が減って、眠れない夜に。母が咳をして、私が闇市へ走った夜に。

 

世の中は「良くなってきた」と言ふ。確かに、瓦礫の山は少し低くなり、町には店の灯が戻り、闇市の声も以前ほど荒々しくはなくなった。けれど「良くなる」といふ言葉の中に、置き去りにされるものがある。私の中の海の底は、良くなることがない。

 

その年の六月、梅雨が短く切れたやうな日があった。朝から青空で、雲が軽い。子どもたちは授業中も落ち着かず、窓の外ばかり見てゐる。昼休み、校長先生が職員室のラジオのつまみをひねった。普段は音を絞ってあるのに、その日は珍しく大きくした。

 

「朝鮮で……戦さが始まったさうだ」

 

校長先生の声が、やけに小さく聞こえた。ラジオの男の声は、淡々と「朝鮮」「戦闘」「米軍」と言葉を並べる。戦争は終はったはずなのに。平和の憲法ができたはずなのに。その淡々とした調子が、かへって恐ろしかった。

 

若い先生が言った。

 

「また、戦争ですか……」

 

別の先生は、机の上の粉ミルク缶を見ながら、ぼそりと言った。

 

「……結局、世界は終はらんのだな」

 

私はその場で何も言へなかった。胸の奥で、海がざわついた。遠い国の砲声が、私の耳の砂を揺らしたのだ。

 

その日から、町の空気が少し変はった。駅前の掲示板に、見慣れぬ募集の紙が貼られた。「予備隊」といふ字が目に入る。若い男たちが、冗談めかしてその前に立ち、「行くか」「どうする」と笑ひ合ふ。笑ひ声の下に、恐れが透けて見える。戦争を知らぬ顔はもう出来ないと、彼らも感じてゐるのだらう。

 

私はその紙を、見ないふりをした。見れば、また「万歳」と言はねばならぬ気がしたからだ。言ひたくない。言へない。私はもう、送り出す言葉を持たない。

六月の終はり、学校は近くの農家の手伝ひに出た。農繁期の助け――戦時中にも似た言ひ方だが、今は「勤労奉仕」とは呼ばない。子どもたちに「働くこと」を教へるのだと、先生たちは言ふ。私は、その言葉の端に、戦時中の影を見てしまふ。けれど子どもたちは、そんな影など知らない。畑へ行けることが嬉しくて、列を乱し、笑ひ、虫を追ひ、帽子を飛ばして騒いだ。

 

麦畑は、町外れの低い丘のふもとにあった。見渡す限りの金色。穂が揺れ、陽が跳ね、風が走る。風が通るたび、麦が一斉に身を伏せるやうに波打つ。その波が、海の波に似てゐると思った瞬間、私は足が止まった。

 

――坊ノ岬沖。――鉛色の水平線。――灰色の巨体が、雲へ溶けていった日。

 

子どもが私の袖を引いた。

 

「先生、こっち! 見て、麦が海みたい!」

 

私は笑はうとして、笑へなかった。「海みたい」といふ言葉が、胸の底の蓋を叩くからだ。

 

子どもたちは鎌を持つ。刃は短く、扱ひは危なっかしい。私は声を張り、

 

「手を切らないやうに。鎌を振り回さない。穂はこう、根元から――」

 

と教へながら、視線だけは麦の波を追ってしまふ。風が走る。さらさら、さらさら――と音がする。

 

その音が、ふいに変はる。

 

さらさら、ではなく、ぱらぱら――ぱらぱら、ではなく、ぱきぱき――

 

耳が勝手に別の音を聞く。対空砲火の裂け目。遠い機銃掃射の乾いた粒。空襲警報の予兆のやうな、胸の奥のざわつき。

 

私は鎌を持つ手が震へるのを感じた。指先が冷える。背中に汗が出る。息が浅くなる。

 

頭では分かってゐる。ここは畑だ。空は青い。鳴ってゐるのは麦の音だ。けれど身体が分からない。身体は一度覚えた恐怖を、簡単に手放さない。

 

私はぐっと唇を噛んだ。こんなところで倒れるわけにはいかない。子どもたちの前だ。先生が取り乱すなど、あってはならない。「大人は強い」と、子どもは勝手に信じる。その信を裏切りたくなかった。

 

私は胸の中で言った。

 

――違ふ。――これは銃声ではない。――風だ。麦だ。生きる音だ。

 

自分に言ひ聞かせるやうに、私は大きく息を吸った。麦の匂ひが鼻に入る。青臭い匂ひ。土の匂ひ。燃料廠の油の匂ひではない。焼け跡の煤の匂ひでもない。

 

私はその匂ひにしがみついた。今の匂ひで、過去の匂ひを追ひ払はうとした。

 

けれど、風がまた走る。麦がまた波打つ。さらさら、が、またぱらぱらに聞こえる。

 

私はとうとう、堪へきれずに、畑の端へ歩いた。子どもたちから少し離れ、杭の影に身を寄せる。誰にも気づかれぬやうに、私は目を閉ぢた。

 

――篤志さま。

 

名を呼ぶと、少しだけ息が深くなった。名は、私の中では護符だ。恐怖の記憶に飲まれさうになるとき、私は名を呼んで、自分をこちら側へ引き戻す。

 

――篤志さま。――今、また遠くで戦が始まったといふ。――終はらないのですね。――あなたが沈んだあとも、世界はまだ血を欲しがるのですね。

 

声には出さない。声に出せば、畑の風に攫はれて、誰かの耳に入ってしまふ。戦争を口にするのは、今の世ではまだ厄介だ。「もう忘れなさい」と言ふ人がゐる。忘れられる人は、忘れればいい。私は忘れられない。忘れたくもない。けれど、それを大きな声で言ふ勇気は、まだ持てない。

 

目を開けると、麦の波が、金色の海のやうに揺れてゐた。海のやうで、海ではない。沈むものがある海ではなく、実るものがある畑。

 

私はふと、掌の中の鎌を見た。刃は小さい。けれど刃は刃で、穂を切る。命の糧になるために、命を断つ。生きるとは、さういふことだと、戦後の私は知りすぎてゐた。

 

私は鎌を置き、両手で胸元を押さへた。そこに、布包み――桜の押し花は今日は持ってきてゐない。畑へ出るには不相応だと思ったからだ。けれど、持ってきてゐないのに、私はそこに「薄紅」を感じた。君がくれた一片は、もう紙の中だけではなく、私の身体の中へ入り込んでゐるのだ。

 

風がまた通る。音がまた、胸の奥の砂を揺らす。

 

私は、今度は逃げないことにした。逃げれば、音は追ひかけてくる。追ひかけてくるなら、こちらから向き合ふしかない。

 

私は風に向かって、声にならぬ声で名を呼んだ。

 

――篤志さま。――篤志さま。

 

呼ぶたびに、胸の奥のざわつきが少しずつほどけた。銃声の記憶が消えるわけではない。けれど、記憶の上に、今の風の音が重なる。さらさら、といふ音が、少しずつ本来の形を取り戻す。

 

やがて、子どもたちの声が聞こえてきた。

 

「先生ー! 見て、穂がこんなに重い!」「先生、虫がいた!」

 

私は振り向き、できるだけ普通の顔で手を振った。

 

「危ないから、虫は触らないの。――穂は大事に持って」

 

声はまだ少しかすれてゐたが、子どもたちは気づかない。気づかないことが、ありがたかった。

夕方、家へ戻ると、母が縁側で麦の穂を指で撫でてゐた。私が持ち帰った、少しの麦。農家が「持って帰りなさい」とくれたものだ。母はそれを見て、小さく笑った。

 

「黄金色だねえ……」

 

「うん。もうすぐ、麦飯でも少し良くなるかもしれない」

 

母は頷き、咳をひとつした。咳は以前より軽い。けれど、その軽さが、かへって怖いときがある。軽い咳は、いつでも重くなれる。戦争が終はったと思っても、また始まるやうに。

 

夜、私は灯の下で帳面を開いた。今日の風の音が、まだ耳の奥に残ってゐる。麦の波が、目の奥に残ってゐる。そしてラジオの「朝鮮」の言葉が、胸の底に沈んでゐる。

 

私は息を整へ、言葉を探した。今年の私は、風が来るたびに過去を思ひ出す。過去をふり切らうとして、ふり切れず、けれど名を呼ぶことで、なんとか今に戻る。

 

鉛筆を握る手は、以前ほど震へなくなった。震へなくなったからと言って、痛みが減ったわけではない。痛みと一緒に暮す術を覚えただけだ。

 

私は一首を書いた。

麦畑 風渡るたび 銃声の記憶ふり切り 君を呼ぶなり

書き終へると、私は鉛筆を置き、しばらく灯を見つめた。灯は小さい。けれど、闇を全部は追ひ払へなくても、手元の紙だけは照らせる。

 

君は海の底にゐる。私は陸の上にゐる。その距離は縮まらない。けれど風が走るたび、私は名を呼び、呼ぶたび、少しだけ「ここ」に戻る。

 

麦の音が銃声に聞こえてしまふ夜でも、私は生きる音を、もう一度聞き直す。

第七章 昭和二十六年(1951) 夕虹の堤

夕立ちは、いまの私には「季節の恵み」より先に「警報の気配」を連れてくる。

 

雲が急に厚くなり、風がひやりと肌を撫で、遠くで雷が鳴る――その一連が始まると、身体のどこかが勝手に身構へる。空襲警報など、もう鳴りやしないのに。戦争は終はったのに、身体だけが終はらない。

 

けれど昭和二十六年の夏の終り、あの日の夕立ちは、少し違った。

 

学校の掃除が終はり、子どもたちが帰っていったあと、廊下の窓の外が急に暗くなった。雨脚は早く、屋根を叩く音が一斉に増える。子どもが残ってゐたら、きっと喜んで騒いだだらう。けれど、校舎には先生たちの気配だけが残ってゐた。

 

職員室で帳簿を閉ぢた校長先生が、窓の外を見て言った。

 

「……すぐ止むよ。夕立ちは長く居座らん」

 

私は「そうですね」とだけ答へた。声を張って明るく返すほど、まだ私は日々に馴れてゐない。新しい暮し、新しい教科書、新しい言葉――それらを口にするほど、古いものが胸の底でうずく。

 

雨はほんたうに、校長先生の言葉どほり長くは続かなかった。十分ほどで弱まり、雲の端から、ふいに夕日が差し込む。濡れた校庭が、赤茶けた光をはね返して一瞬眩しい。水溜りの表面に、空がもう一度生まれたやうに映った。

 

そのとき、廊下の窓の向うに、うすい色が立った。

 

「……虹だ」

 

誰かが言った。私は息を止めた。虹は、子どもの頃から「吉いしるし」だと聞かされてきた。けれど戦時中、吉いしるしなど何ひとつ信じられなかった。信じることは、裏切られることと同じだったから。

 

廊下の窓から見える虹は、まだ薄い。雨雲が残り、色がほどけかけてゐる。それでも、確かに七つの色が、空の端にかかってゐた。

 

夕虹。

 

母がよく言ったことがある。「朝虹は雨、夕虹は晴れ」朝に虹が立つと天気が崩れ、夕に虹が立つと翌日は晴れる――そんな言ひ伝へだ。

 

私はふと、その言葉を思ひ出した。翌日が晴れる。たったそれだけのことが、今の私には大きい。晴れれば洗濯物が乾く。畑がぬかるまない。母の咳も、湿り気が少しは減る。生活とは、さういふ小さな天気の積み重ねだった。

 

「綾瀬先生、見に行きません?」若い先生――去年入ってきた女の先生が、弾んだ声で言った。彼女はまだ戦争の記憶より、これからの暮しの方が重い顔をしてゐる。私は、その軽さが羨ましくもあり、眩しすぎてもあった。

 

「……ええ。少しだけ」

 

私は鞄を抱へ、校門を出た。雨上がりの道は湿ってゐて、土の匂ひが濃い。子どもたちの足跡が水たまりを横切り、そこに夕日の赤が沈んでゐる。空は西が明るく、東に雲が残る。虹は東に立つ――空の決まりごとを、私は久しぶりに思ひ出した。

 

家へ帰るにはふつう、駅前を通る。けれどその日は、堤の道へ向かふことにした。川沿ひの堤は、町の裏側だ。人が少なく、声が少ない。私は、虹をひとりで見たかった。

堤へ出ると、風が変はった。雨上がりのひやりとした風が、川の匂ひを運んでくる。土と水と藻の匂ひ。海の匂ひではないが、海へつながる匂ひだ。

 

私はその年、靴を新しくした。

 

「新しく」と言っても、真新しい革靴ではない。先生仲間の伝手で手に入れた、中古の靴だ。踵が少し擦れてゐて、紐の先もほつれてゐる。けれど、下駄や草履に比べれば、ずいぶんと「都会の足」になる。履いたとき、足がすこし浮くやうな気がした。土の上から、ほんの少しだけ離れるやうな。

 

堤の上の道は、まだ砂利が多い。ところどころに瓦礫の欠片が混じり、戦後の土が完全に落ち着いたわけではない。その上を、靴が小さく音を立てる。

 

こつ、こつ、こつ。

 

下駄の「からんころん」と違ふ。軍靴の「どすん」とも違ふ。同じ足音なのに、音の重さが違ふ。靴音は軽く、乾いてゐて、どこか遠慮がちだ。

 

私はその音を聞きながら、胸が妙にざわついた。軽い――といふのは、良いことのはずだ。暮しが少し上向いてきた証でもある。けれど私は、軽くなることが怖かった。

 

私が軽く歩けるほど、篤志は遠くなる気がする。重い日々に沈んでゐた方が、海の底と同じ高さで、君に近い気がする。そんな馬鹿な理屈を、私は自分の中に持ってゐた。

 

堤の向うに、虹がはっきり見えてきた。雨雲の薄い灰色を背にして、色の弧が空へ立ってゐる。赤がいちばん外側で、内側へ行くほど色が淡くなる。夕日の角度のせいか、虹の下の方が少し濃く見えた。

 

私は立ち止まり、呼吸を整へた。虹は、見る者の位置で見え方が違ふ。誰の虹も、誰にも触れない。それでも皆、同じ虹を「見た」と言ふ。その不思議が、今の私には、君との距離に似てゐた。触れられないのに、確かにそこにある。

 

堤の下では、川がゆるく流れてゐる。水面は雨で増してゐて、いつもより色が濃い。夕日が当たるところは赤く、影は青い。青――私は去年、教科書の地図に青を塗った。載らぬ海を、私の手で濃くした。あの青と、この川の青が、胸の中でつながった。

 

川は海へ行く。この流れが、どこかで海へ注ぐ。海は、君の海へつながる。

 

私は、胸の奥でこっそり言った。

 

――篤志さま。

 

声には出さない。堤の上は静かで、人は少ないが、ゼロではない。戦後の町では、女の独り言はときに危うい。それに、名を声にすると、涙がついて来る。涙は、出ると止まらない。私はまだ、人前で泣くことに慣れてゐない。

 

私はまた歩き出した。虹に向かって歩くやうで、実際には虹は逃げない。逃げないのに、近づけない。こつ、こつ、こつ。靴音が堤を叩く。軽く、一定の間隔で。

 

その音を聞いてゐるうち、ふと、妙な願ひが胸に浮かんだ。

 

――この靴音が、君に届けばいいのに。

 

手紙は届かない。海の底には届かない。電報も届かない。祈りも、届いたかどうかは分からない。けれど「音」はどうだらう。音は、水を伝はると聞いたことがある。海の中では、音は遠くまで走る、と。大和の沈むときも、きっと大きな音がしたに違ひない。鉄が裂け、海が呑み込み、深いところで何かが鳴ったはずだ。その音は、君の耳に届いたのだらうか。

 

ならば、今の私の足音も、いつか水を渡って――。

 

私は自分の考へに、ふっと笑ひさうになった。笑へば救はれるのか、笑へば壊れるのか、分からない。ただ、笑ひの代りに、私は歩調を少しだけ速めた。

 

こつ、こつ、こつ。靴音が軽くなる。身体が軽くなる。夕立ちの湿り気が、風にほどけていく。

 

虹の色が、少しずつ淡くなった。消えていくのではなく、空へ溶けていく。虹が消えるのを見て、私は不意に怖くなった。

 

消える――記憶も、かうして薄れていくのか。私が年を取るほど、君の輪郭は虹のやうに淡くなるのか。

 

私は思はず、堤の欄干に手を置いた。冷たい。雨の水がまだ残ってゐる。その冷たさが、海の底の冷たさに触れたやうで、背筋が震へた。

 

けれど、同時に思ふ。虹は消えても、空がなくなるわけではない。虹は消えても、次の雨のあとにまた立つ。桜が散っても、春がなくならないやうに。

 

私は欄干から手を離し、もう一度だけ、胸の中で言った。

 

――届いてください。――この足音だけでも。

帰り道、堤の端で小さな子どもが二人、川を覗き込んでゐた。濡れた石を拾ひ、川へ投げてゐる。ぽちゃん、と軽い音がして、水面に輪が広がる。

 

「先生だ!」子どもが私に気づいて手を振った。

 

「何してゐるの?」

 

「石投げ! ほら、輪っかがいっぱい!」

 

私はしゃがみ、輪が広がっていくのを見た。輪は広がり、やがて消える。けれど、水は水のまま残る。その当たり前が、今日の私には沁みた。

 

「石の音、川の底まで届くかなあ」

 

子どものひとりが言った。私は一瞬、息が止まった。

 

届くかな。底まで。海の底まで。

 

私は微笑み、出来るだけ明るい声で答へた。

 

「届くかもしれないね。……川の水は、ずっと先までつながってゐるから」

 

子どもは嬉しさうに頷き、また石を投げた。ぽちゃん。輪。広がる。消える。

 

私は立ち上がり、子どもに言った。

 

「暗くなる前に帰りなさい。夕方は冷えるよ」

 

「はーい!」

 

子どもたちが走り去ったあと、私はひとり堤の上に残った。虹はもう見えない。けれど、虹が消えた空は、まだ明るかった。

 

こつ、こつ、こつ。私はまた歩き出した。靴音は相変はらず軽い。軽い音が、なぜか今夜は少しだけ頼もしかった。

家へ戻ると、母が縁側に座ってゐた。夕日が差し込み、母の横顔の皺が柔らかく見える。咳は少ない。母は私の足元を見て、ぽつりと言った。

 

「靴、慣れたかい」

 

「うん。……少し」

 

「音が違ふね。下駄のころより、静かだ」

 

私は頷いた。母は空を見上げるやうに言った。

 

「さっき、虹が出とったよ。夕虹は晴れ。……明日は、洗濯が出来るねえ」

 

私は、胸の奥がきゅっとなった。母はただ、翌日の天気を言ってゐる。私はその言葉の中に、もっと大きな願ひを勝手に読み込む。

 

明日は晴れ。明日は――少しだけ良い日。それだけで、人は生き延びる。

 

夜、母が眠ったあと、私は机に向かった。帳面を開く。紙は年を重ね、私の指の癖を覚えてゐる。灯の下で、今日の堤の道を思ひ出す。雨上がりの匂ひ。夕日の色。虹の淡さ。そして、靴音。

 

私は鉛筆を握った。軽い足取りを、私は恥ぢてはいけない。軽さは裏切りではない。生きてゐる者が生きてゐる証だ。その軽さを、君へ届けたくなるのは、きっと罪ではない。

 

私は一首を書いた。

夕虹の かかる堤を 独り行く靴音かろく 君に届かむ

書き終へたとき、胸の奥が少しだけ温かくなった。届くかどうかは分からない。分からないからこそ、私は明日も歩くのだらう。足音を、音として残しながら。

 
 
 

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