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大和出撃7


第二十二章 昭和四十一年(1966) 赤き溶湯の星

夜の空から、星が減った――と、誰かが言ったのは、いつの頃だったらう。

減ったのは星ではなく、こちらの目の方だと、私は最初は思った。三十を過ぎれば、暗いところは見えにくくなる。灯の下の細い針に目を細めるやうに、夜空もまた、だんだん薄くなる。けれど昭和四十一年の私は、はっきりと知った。

星は、空から消えるのではない。別の光が、星の場所へ来るのだ。

工場の灯。煙突の赤い火。夜勤のための白い蛍光灯。そして、――鉄が走る火花。

夜を照らすのは、月や星だけではなくなった。町の夜は、働く光に塗り替へられていく。それが「豊かになる」といふことなのだと、皆は言った。「働けば暮らしが良くなる」「汗は裏切らん」「国は伸びる」――その言葉は、戦時の標語ほど硬くはないのに、どこか同じ方向へ人の背中を押す力を持ってゐた。

私は、その力に憧れたい気持ちと、身構へてしまふ癖とを、同じ胸に抱へて歩いた。

その春、学校で「工場見学」が決まった。

行き先は、新しく拡張された製鉄の工場だった。国道の向う、海寄りの埋立地に、いつの間にか鉄の骨が林のやうに立ち、煙突が増え、クレーンが鶴のやうに首を伸ばした場所。何年か前、私はあの鶴を見上げて「平和は遠し」と思った。それでも、子どもに「今の世」を見せねばならぬのが教師の役目だ。

校長先生は職員室で言った。

「いまは“重化学”の時代だ。鉄が国を支へとる。子どもらにも、働く場を見せてやらんといけん」

“重化学”――重い言葉だ。重い言葉のくせに、人の口に軽く乗る。私はその軽さが、少し怖かった。

当日、子どもは白い帽子をかぶり、名札を胸につけ、弁当を抱へてバスに乗り込んだ。車内は汗と石鹸の匂ひと、新しい鉛筆の匂ひが混じる。皆、遠足みたいに浮き立ってゐる。

「先生、鉄ってどうやって出来るん?」「溶けるん?」「赤いん? 青いん?」

子どもの質問はいつも素直で、私の胸の奥の影を容赦なく叩く。鉄。赤い。溶ける。その言葉が、すぐに別のものへ繋がるのを、私は知ってゐる。戦争の鉄。砲の鉄。艦の鉄。篤志を呑んだ鋼の骨。

私は、なるべく明るく言った。

「見たら分かるよ。――ただ、近づきすぎたら危ないけえ、先生の言ふこと、ちゃんと聞くんよ」

“危ない”――その一言だけで、胸がひりつく。危ないものの近くへ、私たちは昔、平気で子どもを押し出した。いまは「守る」が口に出来る時代だ。守る、と言へるだけで、私は少し救はれる。

製鉄所の門をくぐると、空気が変はった。潮の匂ひの中に、焼けた鉄の匂ひが混じる。油と、熱と、湿り気。耳の奥が、工場の低い唸りで満ちる。身体が、勝手に緊張する。

案内の男は、ヘルメットを被り、胸を張った。

「ここはね、国の骨を作っとる場所です。鉄がなければ、橋も家も船も出来ません」

国の骨。その言ひ方に、私は喉の奥が乾いた。“骨”といふ言葉は、どうしても戦死者の骨に触れる。骨が戻らない海の底を、私は毎年思ひ出す。

子どもたちは、男の声にうなづきながら、きょろきょろと見回す。巨大な配管。太いレール。黒い車輪の付いた、胴の丸い車輌。どれも「大きい」。大きさに圧されて、子どもの声が少しだけ小さくなる。

ガラス越しに、高炉の一部が見えた。昼間なのに、奥が赤い。暗い腹の中に、赤が息をしてゐる。赤は、火の色で、血の色で、夕焼けの色で――そして、海に沈む前の空の色だ。

私はその赤を見て、ふいに篤志の顔を思ひ出した。出撃前夜の、あの横顔。「熱いもの」を抱へてゐる人の横顔。熱いものが、どこへ向かふのか分かってゐる人の横顔。

子どもが言った。

「先生、あれ、地獄みたい」

私は一瞬言葉を失ひ、すぐに笑ってごまかした。

「熱いけえね。……でも、あれがあるけえ、鉄が出来るんよ」

地獄。私は、地獄を見たことがある。焼けた町で。瓦礫の中で。けれど、いま子どもが指さす赤は、暮らしのための赤だ。そう信じたい。信じなければ、私はここに立てない。

見学が終はり、子どもたちは「すごかった」「暑かった」と口々に言ひながらバスへ戻った。私はバスの最後尾で、振り返って製鉄所を見た。煙突が白い蒸気を吐き、空が薄く曇ってゐる。鶴のやうなクレーンが、昼の光の中で黙って立ってゐる。

“国の骨”――その言葉が、背中に残ったままだった。

夏に入ると、母の咳が、風向きで変はるやうになった。

北風の日は少し楽で、海側から風が来る日は、咳が湿って長引く。医者は「年のせい」と言ふ。近所の女は「気のせいよ」と言ふ。けれど私は、煙突の匂ひを知ってゐる。白い蒸気の奥に、目に見えぬ粉が混じってゐることを、身体が先に知ってしまふ。

母は、咳をしながら笑って言った。

「昔は煤じゃったのにねえ。いまは煙も白い。白うても、喉はむずむずする」

白い煙。白いものは、いつも私を安心させてくれるはずだった。灯台の白。蒸気の白。旗の白。けれど、白い煙が母の喉を刺すなら、白はもう、ただの“祈りの色”ではなくなる。

私は母の背をさすりながら、小さく言った。

「……無理せんで。暑い日は、窓も閉めとこ」

窓を閉める。空気を閉ぢる。豊かになるはずの時代に、私は空気を閉ぢる。その矛盾が、胸に重かった。

秋の初め、夜更けに、町がひとつ低く鳴った。

どん――と、遠くで腹に響く音。遠雷ではない。海鳴りでもない。“鉄の音”だ、と私は思った。

私は寝付けずに起き上がり、障子を少し開けた。夜の空が、妙に赤い。雲の下が、うすく朱に染まってゐる。まるで夕焼けが残ってゐるやうに。けれど時計はもう夜半を過ぎてゐる。

赤は、工場の赤だった。

「……百合」

母が布団の中で、小さく呼んだ。咳ではなく、ただ私が起きてゐるのを感じ取った声。

「眠れんの?」

「ちょっと……外の光が」

母はゆっくり起き上がり、私の見てゐる方角を見た。母の目は細く、けれど赤を捉へた。

「鉄が燃えとるんじゃねえ」

燃える――と母は言った。“操業してゐる”と言はずに、“燃える”と言ふ。母の言葉はいつも生活の言葉で、学の言葉ではない。けれど生活の言葉は、真実に近いときがある。鉄は、燃える。燃えて、形を変へて、暮らしになる。

私は母に羽織をかけ、二人で玄関先へ出た。夜風は涼しく、潮の匂ひが薄く混じる。その匂ひの向うに、赤い雲がある。

遠くで、また音がした。

がん――。がん――。

鉄を打つ音だ。その拍子が、胸の奥のどこかに触れた。戦時の“動員の拍子”とは違ふ。けれど「大きなものが動いてゐる」といふ感じだけが、同じやうに腹へ来る。

そのとき、家の前を、作業着の男が自転車で通りかかった。近所の若い衆だ。夜勤の交代に向かふのだらう。

「百合先生、起きとったんですか」

「……あんた、これからかい」

「はい。今日は溶湯の方が忙しゅうて。夜、赤いですよ。――見ます?」

男は気軽に言った。“見ます?”――工場の赤を、夜景のやうに言ふ。それがこの時代の価値観なのだらう。働く火は、誇りであり、景色になる。

母が、私の袖を引いた。

「百合、ちょっとだけ行ってきたらええ。……近くで見たら、気が済むかもしれん」

気が済む。母は、私の胸のざわつきがどこから来るか知ってゐる。知ってゐるからこそ、「見て、戻ってこい」と言ふ。怖がって閉ぢこもれば、ざわつきは増える。母は、私が沈むのを恐れてゐる。

私は迷ひ、そして頷いた。母を家に戻し、戸をきちんと閉め、男の後ろを少し離れて歩いた。夜道を行くと、工場の方へ向かふ人の影が、ちらほらと見えた。皆、黙ってゐる。黙りは、働きへ向かふ黙りだ。その黙りは、出征の黙りとは違ふ――と、私は何度も自分に言ひ聞かせた。

小高い丘に出ると、製鉄所が見えた。昼に見た鶴が、夜は黒い影になり、煙突の根元が赤く脈打ってゐる。赤い光が雲を染め、空の底が燃えてゐるやうだった。

そして――線路の上を、赤いものが動いた。

溶湯を運ぶ車輌だ。黒い胴体の腹の中に、赤い海を抱へたまま、ゆっくりと走る。鉄の車輪が軋み、地面が低く震へる。その背後に、火花が散った。

ぱら……ぱらぱら。

一瞬、空に星屑が撒かれたやうに見えた。夜空の星ではない。地上の星。人の手が作り出す星。

男が言った。

「ほら、あれが溶湯です。熱いけえ、近づきすぎちゃいけんですよ」

熱い。赤い。走る。火花が散る。

私は息を止めてゐた。胸が痛いのに、目が離せない。火花は美しい。美しいほど、残酷だ。

――火花は星か。――それとも、君の残光か。

篤志が沈んだ海の底には、光が届かないと言ふ。けれど私は、海底の闇の中に、あの人の帽章の光をいつも探してしまふ。夢でひかった軍帽。夜の駅で散った火花。そして、いま目の前で散る鉄の火花。

同じ“光”が、何度も私の前へ現れる。光は、慰めなのか。それとも、忘れるなといふ責めなのか。私はまだ分からない。

溶湯車が曲がり角を曲がると、赤い腹の縁が一瞬だけ露わになり、そこから火花がまた弾けた。ぱちっ、と乾いた音。その音が、胸の奥のどこかを切った。

私は、唇の内側で名を呼んだ。声には出さない。海鳴りに掻き消された去年の春が、喉に残ってゐる。

――篤志さま。――あなたの鋼は、いま、ここで燃えてゐますか。

答へはない。けれど溶湯は走り、火花は散り、夜は仕事の拍子で進む。その確かさが、私には眩しかった。

男が照れたやうに言った。

「すごいでしょう。……鉄が走るんです、ほんとに」

私はうなづいた。すごい。すごいのは分かる。分かるからこそ、胸が焦げる。

鉄は、暮らしの骨になる。けれど鉄は、戦の骨にもなる。時代が狂へば、同じ赤が、別の赤になる。私はそのことを忘れたくない。忘れたくないのに、目の前の火花があまりに美しい。

美しいものは、人を黙らせる。黙らせたまま、同じ方向へ連れていく。私はその仕組みを、二十年前に知った。

だから私は、火花を見つめながら、胸の内で静かに誓った。この赤を、ただの賛美にしない。ただの恐れにもしない。私は、私の言葉で、私の年の中へ置く。

溶湯車が遠ざかると、赤い雲も少しずつ薄れた。夜空に、本物の星が二つ、三つ、見えた。小さく、遠く、頼りない星。それでも星は、まだゐた。

家へ戻ると、母は起きて待ってゐた。戸を開けると、母が小さく息を吐く。

「どうじゃった」

「……赤かった。鉄が、走っとった」

母は頷いた。

「働いとるんじゃねえ。……皆、ようやる」

“ようやる”――その言葉は、この時代の徳のやうに響く。よく働く。よく耐へる。よく回す。母の世代は、耐へることで生き延びた。いまの世代は、耐へた先で“豊かさ”を掴まうとしてゐる。その間に、私は挟まってゐる。

母が、咳をひとつした。その咳が、赤い雲の下の粉を思ひ出させた。私は湯を沸かし、母に含ませ、背をさすった。掌の中の骨の細さが、さっき見た溶湯の重さと、奇妙に対照をなした。

鉄は重い。命は軽い。軽いのに、命がなければ鉄は意味を持たない。

母が眠ったあと、私は机に向かった。灯を点け、帳面を開く。鉛筆を削る音が、夜の静けさに小さく響く。

今日の赤い溶湯。火花の星屑。胸の奥で揺れた“君の残光”。それを、言葉にしなければ、私はまた、ただの影になる。

私は一首を書いた。

製鉄の 赤き溶湯 奔る夜火花は星か 君の残光か

書き終へると、鉛筆の先が少し丸くなってゐるのが見えた。丸くなった先で、私は今日を紙に置いた。置いたから、明日も教室に立てる。母の背をさすれる。桜袋を懐に入れて歩ける。

星が減ったのではない。星の場所へ、別の光が来ただけだ。その光を、私は恐れながらも見つめ続ける。見つめ続けて、君の名を、消えぬやうに置いていく。

第二十三章 昭和四十二年(1967) 乾かぬ手紙

雨の音には、種類がある。

 

屋根を叩く雨、畳を湿らせる雨、土の匂ひを立てる雨。そして、軒の先から落ちてくる、雨垂れの音。

 

ぽたり。ぽたり。

 

その年の梅雨は、雨垂れの音が、やけに律儀だった。朝も、昼も、夜も、間を空けずに同じ拍子で落ちる。誰かが小さな机を叩いてゐるやうに、誰かが「続けろ」と言ってゐるやうに。

 

私は雨の音が嫌ひではない。戦後の焼け跡で聞いた雨は、灰を冷ましてくれた。闇市の雨は、匂ひを洗ひ流してくれた。けれど、昭和四十二年の雨は、洗ひ流すといふより、留める雨だった。湿気が部屋の隅へ溜まり、紙が湿り、木がしめり、心までぬるく重たくなる。

 

“進歩”だの“発展”だの、町は相変はらず速い言葉を口にするのに、雨の季節だけは、時間が後ろへ引かれるやうだった。

六月のある朝、母が布団の中で咳をした。

 

乾いた冬の咳ではなく、湿った胸の奥を引っ張り出すやうな咳。咳が続くと、母は息を整へるのに少し時間がかかる。私は湯を沸かし、湯呑を両手で持って母の口へ寄せた。

 

「……ありがと」

 

母の声が、雨の日の木みたいに少し湿ってゐる。

 

「今日は、外、やめとこ。洗濯も」

 

「やめとこ。……雨が、長いけえ」

 

母は小さく笑った。笑へば咳が出るのに、笑ふ。母の笑ひは、いつも咳の前借りだ。

 

私は窓を少し開け、外の匂ひを確かめた。雨の匂ひの奥に、工場の白い蒸気の匂ひが混じる。高度成長の匂ひは、雨の日でも消えない。“景気がええ”と言ふ人の声が、雨の向うで薄く聞こえる気がした。

 

家の中は暗い。灯を点けるには早い時間。暗いのに、湿気だけははっきりと皮膚にまとわりつく。

 

その暗さの中で、雨垂れが落ちてゐた。

 

ぽたり。ぽたり。

 

私は台所の片隅で、茶箪笥の引き出しを開けた。そこに、便箋がある。白い便箋。罫線の入ったもの。町の文具屋で、たまに買ひ足す。封筒もある。使ふ相手のない封筒。使ふ宛名のない封筒。

 

それでも私は買ふ。買ふのは、「書く」場所を自分に与へるためだ。書かなければ、胸の奥の海がじわじわと生活へ滲んでくる。滲むと、母の咳の音にも、子どもの笑ひ声にも、全部、別の影が重なる。影を影として置くには、紙が要る。

 

雨の日は、紙が湿る。紙が湿ると、言葉まで湿る。湿った言葉は、なぜか正直になる。

学校へ行くと、職員室の窓が曇ってゐた。

 

若い先生が、机の上に機械を置いてゐる。“タイプライター”といふやつだ。カタカタ、と軽い音を立てて、紙に文字を打っていく。紙が機械の中を進むたび、言葉が整列していく。

 

「便利でしょう、綾瀬先生。書類が早いんですよ」

 

若い先生は嬉しさうに言った。便利。早い。整列。その三つの言葉が、雨の日の私には少し冷たく聞こえた。

 

私は笑って頷いた。

 

「ええねえ。……手が疲れんで済む」

 

本当は、羨ましかった。文字が揃ふのが羨ましいのではない。“宛先”があることが羨ましかった。書類には必ず、宛先がある。教育委員会。校長。保護者。宛先があるから、機械で打つ意味がある。

 

私の恋文には、宛先がない。宛先がないのに、書きたくなる。書くこと自体が、宛先になってしまふ。それが、自分でも怖い。

 

雨の日の授業は、子どもが落ち着かない。靴下が湿り、髪がぺたんとし、匂ひが立つ。窓の外へ意識が吸はれる。私はいつもより声を張って、黒板に字を書いた。

 

「雨の日はね、足元が滑る。――慌てて走らない」

 

声を張るたび、去年の海鳴りを思ひ出す。声が掻き消される怖さ。声が細くなる怖さ。教室では私の声は届く。届くことが、いまの私の“仕事の救ひ”だ。

 

放課後、校庭の水たまりを避けながら帰る子どもを見送り、私は傘を差して家へ向かった。雨は小ぶりになったり、また強くなったりする。空は終日、灰いろのまま。その灰いろが、昭和二十年の瓦礫の灰と重なるのを、私は避けられなかった。

夜。母は薬を飲んで眠り、家は静かになった。

 

静かになっても、雨だけはやまない。雨垂れが、暗い廊下の先で落ち続ける。

 

ぽたり。ぽたり。

 

私は机に向かい、便箋を一枚、机の上に置いた。万年筆を取り、インク壺を開ける。最近はボールペンも増えたが、私の恋文はどうしても万年筆になった。万年筆のインクは、濃い。濃いから、紙に沈む。沈むから、消えにくい気がする。

 

けれど梅雨の湿気のせいで、インクが乾かない。一行書くと、まだ濡れてゐる。袖が触れれば、にじむ。息を吐いただけでも、紙が湿ってゐる気がする。

 

私は机の引き出しから、吸取紙を出した。昔から、家のどこかに必ずある薄い紙。母が帳面を書くとき、父が手紙を書くときに使ったもの。吸取紙をそっと当てると、インクが吸はれて、紙の上の黒が少し薄くなる。薄くなるのが、怖い。薄くなるたび、篤志の名も薄くなる気がしてしまふ。

 

だから私は、吸取紙を当てる手を、いつもより慎重にした。慎重にしたところで、時間は戻らないのに。

 

私は、最初の一行を書いた。

篤志さま

それだけ書くと、胸の奥がきゅっと縮む。呼ぶ声は海に掻き消されても、紙の上の「さま」は、ちゃんとそこに残る。残るだけで、涙が出さうになる。

 

雨垂れが、ぽたり、と落ちた。その音が、タイプライターのキーの音みたいに聞こえた。私はふいに思った。

 

――この音で、手紙を紡げる。

 

カタカタではない。ぽたり、ぽたり。一文字ごとに、雨が落ちる。一文ごとに、雨が落ちる。雨が落ちるたび、私は書く。雨が落ちるたび、私は止まらない。

 

私は、便箋に言葉を続けた。

 

「こちらは、今年も梅雨です」「母の咳が、湿り気で少し長引きます」「学校では、子どもが雨を嫌がります」「それでも、紫陽花が咲いてゐます」「桜はもう散ってしまひました」

 

書いてゐるのは、どれも暮しのことだ。恋文なのに、恋の言葉が出てこない。出てこないのは、私が冷えたからではない。恋が、暮しの底へ沈んでしまったからだ。沈んでしまった恋は、暮しの言葉でしか浮かばない。

 

ふと、便箋の端に、桜袋のことを書きたくなった。艶なき布に刺した桜。押し花を守る袋。あの袋の刺繍は、梅雨の湿気の中でも形を失はない。形を失はないものが、私を支へる。

 

私は書いた。

 

「あなたの桜は、今年も懐に入れてゐます」「布の上の桜は、雨にも負けません」「私はまだ、あなたの許嫁です」

 

そこで、ペン先が止まった。許嫁。その言葉を、いまの世の中で口にする女は少ない。“婚約者”といふ言ひ方が増えた。“恋人”といふ言ひ方も、若い女は平気でする。けれど私は、許嫁と書いてしまふ。許嫁は、家の言葉で、古い言葉で、けれど私の身体に合ふ言葉だ。古い言葉でしか、この恋は守れない気がする。

 

雨垂れが、また落ちた。

 

ぽたり。

 

その一滴が、まるで「続けろ」と言ってゐるやうに聞こえ、私はまた書き始めた。

書いてゐるうちに、便箋の端が湿ってきた。湿った紙は、指にまとわりつき、書いた文字が少しずつ滲む。滲んだ文字は、海の中の字のやうだ。海の底へ送る手紙なら、滲んでもいいのかもしれない――そんな馬鹿な考へが、梅雨の夜には浮かぶ。

 

私は書いた。書いて、吸取紙を当て、また書いた。

 

やがて、便箋が何枚も重なった。一枚一枚が、乾かない。乾かないから、机の上に積めない。積めば、下の文字が写って、汚れる。汚れるのが怖い。私は便箋を一枚ずつ広げ、机の端、箪笥の上、畳の上にまで並べて乾かした。家の中が、言葉で埋まる。埋まるほど、私は息が楽になる。息が楽になるほど、私は怖くなる。

 

――私は、どこへ向かって書いてゐるのだらう。

 

便箋の束を、封筒に入れればいい。封をして、宛名を書けばいい。けれど宛名がない。郵便局が受け取っても、行き先がない。行き先がないのに、封をするのが怖い。

 

封をすれば、決まってしまふ。「送り先がある」ふりをしてしまふ。送り先があるふりをした瞬間、私は自分の愚かさに耐へられない気がする。だから私は封をしない。封をしないことで、「これはただの書きものだ」と自分に言ひ聞かせる。

 

けれど本当は――封をしないのは、送りたくないからではない。送りたいからだ。送りたいのに送れないから、封が出来ない。封をしてしまへば、「届かない」が確定する。届かないのが確定するのが怖い。

 

だから私は、封をしないまま、引き出しの奥へしまふ。しまへば、届かないことも、届くことも、宙に浮いたままになる。宙に浮いたままの恋が、私の二十年以上だった。

 

雨垂れが、ぽたり、ぽたりと落ち続ける。落ち続ける音は、私の書く手を止めさせない。止めないでゐるうちは、届かないことの痛みも、少しだけ薄れる。

ある晩、私はふいに、便箋の端へこう書いてしまった。

 

「あなたは、寒くないですか」

 

書いた瞬間、胸の奥が痛んだ。海の底は寒い。寒いに決まってゐる。決まってゐることを、いまさら訊くのは残酷だ。残酷なのに、訊いてしまふ。訊くことで、私の胸の底の寒さを、言葉に移したくなる。

 

私はその行の上に吸取紙を当て、少し薄くした。薄くしても、文字は残る。残る。残るから、私はまた怖い。

 

母が、奥の部屋で咳をした。私は慌てて便箋を伏せ、湯を沸かしに立った。湯気が立ち、家の中の湿気がさらに増す。母の背をさすりながら、私は思ふ。

 

――私の恋文は乾かない。――母の咳も乾かない。――梅雨の湿り気が、すべてを同じ重さで包む。

 

母が息を整へ、眠りに戻ると、私はまた机へ戻った。伏せた便箋をそっと開き、滲みのないか確かめる。滲みは、少しだけ増えてゐた。私の焦りが、紙に移ったやうに見えた。

 

雨垂れが、ぽたり、と落ちた。

 

その音で、私はまた書き始めた。書くことだけが、今夜の私を現実からも夢からも守る。

年の終り、雨は止み、冬が来た。けれど雨垂れの音は、私の耳の奥に残ったままだった。雨の音は、今年の私の“拍子”になってしまった。

 

母の咳は冬の乾いた音に戻り、学校はストーブの匂ひを持ち始める。それでも私は、夜になると便箋を取り出してしまふ。インクの匂ひ。吸取紙の薄い手触り。封をしない封筒。乾ききらない言葉。

 

私は机に向かい、今年の一首を帳面に置いた。恋文を書き続けた一年を、雨垂れの拍子に結びつけて。

雨垂れの 音で紡げり 恋文を乾かず綴り 封をせぬまま

書き終へて、私は鉛筆を置いた。封をしない手紙は、相手へ届かない。けれど、封をしないことで、私はまだ“届けたい”を生かしてゐる。生かしてゐる限り、私はまだ君へ嫁いだままだ。

 

窓の外では、雨ではなく風が鳴ってゐた。それでも耳の奥では、ぽたり、ぽたり、と雨垂れが続く。続く音の中で、私は今日もまた、書く女になってゐる。

第二十四章 昭和四十三年(1968) 文化論

本棚は、ひとの歳月を隠さない。

 

木の色が日に焼け、棚板が少しだけたわみ、背表紙の並びが、持ち主の癖を語る。几帳面に揃へたつもりでも、手が伸びる場所だけ磨り減り、よく読む本の角だけ白くなる。私は近ごろ、その「白さ」が怖くなってきた。白くなるのは、読むからだ。読むのは、生きてゐるからだ。生きてゐるほど、死んだ人の時間が遠のく――そんな理屈が、木の匂ひと一緒に胸へ入り込む。

 

昭和四十三年の春、私はふいに本棚を整へたくなった。

 

梅雨の手紙の年から、机の引き出しに紙が増えた。封をしない便箋の束が、言葉の湿気を抱へたまま、奥で眠ってゐる。引き出しを開けるたび、紙の匂ひがこもってゐて、胸が少し重い。重いのを、どこかへ移したかった。それで私は、書きものの紙ではなく、家の「本棚」の方へ手を出した。

 

棚の上段には、教員の参考書や、古い地図帳、戦後に出回り始めた新しい教科書の副読本が並んでゐる。中段には、母が若いころに読んだやうな家庭読本、裁縫の本、そして父の遺した数冊の漢籍が、埃を被ってゐる。下段には、私のもの――歌の帳面、便箋の束、そして、篤志の名のない「誰にも出せぬ」手紙が、布に包まれて収まってゐた。

 

私は埃を払ひ、背表紙を指でなぞった。指先に、紙と布のわずかな凹凸が伝はる。その凹凸のひとつひとつが、私の暮しの「継ぎ目」だ。

 

ふいに、棚の隅から一冊、薄い本が落ちた。拾ひ上げると、戦後すぐに配られた「民主主義」の啓蒙書だった。表紙が擦れ、角が丸い。あのころ、皆が言葉を新しくしようとしてゐた。新しい憲法、新しい教育、新しい国。新しい言葉を口にすることが、まるで罪滅ぼしみたいに感じられた。

 

けれど――新しくしたはずの言葉が、また別の刃になることもある。

 

私は本を棚に戻しながら、そんなことを考へてしまった。

学校へ行くと、職員室の空気が少し硬かった。

 

新聞の切り抜きが、机の上に広げられてゐる。東京の大学の写真。ヘルメットを被った若者が、校舎の前で列になり、棒を持ってゐる。「紛争」「封鎖」「闘争」――紙の上の字が荒い。“学生運動”といふ言葉が、ここ数年で急に大きくなった。

 

若い先生が、興奮した声で言った。

 

「すごいですよね。あれだけの若者が、世の中を変へようとしてる」

 

別の先生が眉をひそめた。

 

「でも、暴れるのは違ふだらう。教育の場を壊してどうする」

 

議論は、すぐ「言葉」になった。「体制」「自由」「正義」「権力」「革命」――。どの言葉も重く、口にすれば胸を熱くする。熱くするから、言葉は人を集める。集めるから、言葉は刃になる。

 

私は湯呑を持ったまま、黙ってゐた。議論の輪に入らないのは、臆病だからではない。臆病でもあるけれど、それ以上に、私は「揃ふ空気」を恐れてゐる。正しい言葉が正しい顔で並ぶとき、異なる者は呼吸がしにくくなる。その呼吸のしにくさを、私はよく知ってゐる。戦時の空気の中で、女は息を殺して生きた。

 

新聞の写真の若者の靴音が、耳の奥で勝手に鳴った。軍靴の音なき終の春――と、私は昔詠んだ。あれは「音が消えた」喜びだったはずなのに、今は別の形で音が戻ってきたやうに感じる。音は、いつだって何かを運ぶ。旗も、標語も、正しさも――音に乗って運ばれる。

 

授業の合間、六年生の男の子がぽつりと言った。

 

「先生、テレビで、学生が警官と喧嘩してた。あれ、戦争みたい」

 

その一言が、私の胸をきしませた。戦争みたい。子どもがそれを言ふのは、怖い。怖いのに、子どもが感じる「似てゐる」は、たぶん本物だ。“喧嘩”の姿は、違ふ理由であっても、似た形を取ってしまふ。棒を持てば、棒は棒の形をする。

 

私は黒板の文字を消しながら、できるだけ静かに言った。

 

「戦争はね、人を殺す。……喧嘩も、放っておいたら人を傷つける。言葉も同じ。言葉で人を刺すことがあるけえ、気をつけんといけん」

 

子どもは頷いた。頷きは素直だ。けれどその素直さが、いつか別の言葉に塗られてしまふ怖さも、私は知ってゐる。

その頃、町の本屋の棚にも、急に「思想」といふ札が増えた。

 

仕事帰りに立ち寄ると、入口近くに積まれた新刊の背表紙が目に入る。「文化」「国家」「防衛」「革命」「青春」――。言葉が、見出しのやうに立ってゐる。言葉は本来、誰かの胸の奥から出てくるものなのに、こうして積まれると、商品になる。商品になると、刃は磨かれる。磨かれた刃は、よく切れる。

 

私は、ふいに一冊を手に取った。

 

『文化防衛論』――三島由紀夫。

 

“防衛”といふ字が、目に引っかかった。戦時中、「防衛」は甘い響きを持ってゐた。守るためだと言はれれば、誰でも頷いてしまふ。守る、と言ふ言葉ほど、人を動かすものはない。けれど私は「守る」が「送る」に変はる瞬間を知ってゐる。守るために送った若者が、戻らない。戻らないから、守られたものの輪郭が曖昧になる。

 

私は本を閉じ、棚に戻さうとした。戻す指が、一瞬止まった。“文化”は、何を守るのか。守るといふ言葉で、また人を送るのか。そんな疑ひが胸に湧くのに、目は背表紙を追ひ続ける。

 

隣に『太陽と鉄』といふ本もあった。鉄――昨年、赤い溶湯と火花を見た夜が、胸に戻った。鉄の火花は美しかった。美しかったから怖かった。言葉も同じだ。美しい言葉ほど、人を運ぶ。運び方が正しければ救ひになる。運び方が誤れば、刃になる。

 

私は、迷ひながら二冊を買った。袋を手にした帰り道、舗装の国道は相変はらずつるりと光り、車のヘッドライトが雨上がりの道を白く走った。光は便利で、眩しい。眩しいほど、暗がりが濃くなる。

夜、母が先に眠った。

 

咳はあるが、今日は長く続かなかった。湯を含ませ、背をさすり、布団の端を整へると、母は小さく言った。

 

「……百合、あんた、本を買うたんかい」

 

「うん。……ちょっと、読んでみたくて」

 

母は目を細めた。本を読む娘を、母は昔から悪く言はない。女が本を読むことを「生意気」と言はれた時代もあったが、母は、学ぶことを羨ましがる方の女だった。

 

「読むのはええ。……ただ、難しいことを読んで、胸を痛めなさんな」

 

母の言葉はいつも、私の胸へ手を当てるやうに落ちる。胸を痛める――それは、私の癖を知ってゐる人の言ひ方だ。

 

「うん。……気をつける」

 

私はそう答へて、母の部屋の灯を落とした。

 

机に向かい、買ってきた本を開く。印刷の匂ひが新しい。活字が整列してゐる。整列した活字は、軍隊の整列にも似てゐる。整列は美しい。美しいから、怖い。

 

読み進めるうちに、胸の中で何かがひりついた。言葉が鋭い。鋭い言葉は、こちらの胸を押し広げてくる。押し広げられると、そこに入れたくない記憶まで入ってくる。

 

「国」「美」「死」「精神」「防衛」――

 

どれも、戦時の記憶が持ってゐた言葉だ。戦後の教室で「平和」を教へるために、私はそれらの言葉をなるべく遠ざけてきた。遠ざけてきたのに、活字は遠慮なく私の前へ戻ってくる。

 

戻ってきた言葉は、昔よりも見栄えがよかった。理屈が整ひ、比喩が美しく、文章が光る。光るから、余計に切れる。

 

私は、ページをめくる指が震へるのを感じた。怖いなら閉ぢればいい。閉ぢれば、母の背をさする現実へ戻れる。けれど、閉ぢられない。閉ぢられないのは、私が「言葉で生きてゐる女」だからだ。

 

私は毎年、言葉で篤志を呼ぶ。言葉で桜を咲かせる。言葉で、届かぬ手紙を綴る。言葉がなければ、私は二十年以上を越えられなかった。

 

だからこそ、言葉が刃になり得ることが、怖い。私が頼ってゐるものが、同時に私を傷つける。

 

読みながら、ふいに、あの電報の定型句が胸に浮かんだ。

 

――名誉の戦死であります。

 

あの一文は、私の胸を切った。切ったまま、二十年以上、傷口を閉ぢさせない。言葉は、人を慰めるふりをして、人を切ることがある。しかも「正しい顔」で切る。正しい顔が一番痛い。

 

私は本を閉ぢ、机の上に置いた。灯の下に、活字の黒が残像のやうに残る。黒は、夜の海の底の青に似てゐた。

 

私は懐の桜袋を押さへた。刺繍の凹凸が、指先に「形」を返す。言葉は刃でもあるが、言葉は形でもある。形があるから、私はまだ踏みとどまれる。

 

ふと、本棚の方へ目をやった。背表紙が並ぶ。文化論、教育論、生活の本。その中に、封をしない手紙の束が眠ってゐる。

 

私は思った。

 

――私は、刃を握ってゐるのかもしれない。――言葉を握るといふことは、刃を握ることに似てゐる。――切るつもりはなくても、切れてしまふことがある。

 

切れるのは、他人ではなく、いつも私の胸だ。篤志を思へば思ふほど、言葉は胸を裁つ。裁って、裁って、血は出ないのに、痛みだけが増える。

 

それでも私は、言葉を捨てられない。言葉を捨てれば、篤志まで捨ててしまふ気がする。捨てたくない。捨てたくないから、刃を抱へる。

 

窓の外で、遠く電車の音がした。レールの音は一定で、言葉のやうに揺れない。揺れない音が、夜の私を少し落ち着かせた。

 

私は、帳面を開いた。今年の歌の頁。鉛筆を持つ。刃を持つやうに、慎重に。

 

本棚に並ぶ文化論を読み、言葉の鋭さに胸を裁たれ、それでもなお、裁たれたところから篤志の名が滲み出てくる。それが、今年の私だった。

 

私は書いた。

文化論 本棚に読み 君想ふ言葉の刃 胸を裁つなり

書き終へると、胸の奥が少しだけ静かになった。静かになるのは、傷が癒えたからではない。刃の形が見えたからだ。見えれば、握り方を選べる。握り方を選べるだけで、人は明日へ行ける。

 

灯を消す前に、私はもう一度本棚を見た。並ぶ背表紙の中に、私の歳月がある。そして、歳月のどの年にも、君がゐる。

 

言葉が刃でも、私は言葉でしか君に触れられない。だから私は、刃を抱へたまま、来年も書く。

第二十五章 昭和四十四年(1969) 人の月

月は、昔から「遠いもの」の代表だった。

 

手の届かぬ恋を月に託し、届かぬ思ひを月へ向けて詠む――そんな歌を、女学校で幾つも習った。戦時中、灯火管制で町が闇に沈んだ夜も、月だけは空に残り、白い顔で私たちを照らした。白い月は、どこか無慈悲だ。隠れてゐても見つけてしまふ。泣いてゐても照らしてしまふ。けれど同時に、月は救ひでもあった。空さへ見上げれば、国がどれほど荒れても、同じ月がある――さう思へるだけで、人は一晩ぶん息がつけた。

 

昭和四十四年、月は「遠いもの」ではなくなりかけた。

 

――人が、月へ行く。

 

ラジオがさう言ひ、新聞がさう書き、子どもたちがさう騒いだ。月へ行く?私はその言葉を、最初はどこか冗談のやうに聞いてゐた。「空を飛ぶ」と聞いたときの、大人の笑ひに似た気持ちが、胸のどこかにあったのだと思ふ。

 

けれど冗談ではなかった。冗談ではないと分かった瞬間、私は笑へなかった。笑へなかったのは、驚きのせいだけではない。

 

――月へ行けるなら。――海の底へも、行けるのだらうか。

 

そんな馬鹿な考へが、胸の底の海から勝手に浮かび上がってきたからだ。

七月に入ると、学校の教室の空気まで「宇宙」になった。

 

社会科でも理科でも、子どもが月の話を持ち出す。算数の時間にさへ、男の子が指を挙げて言った。

 

「先生、月まで何キロ?」

 

私は黒板に「月」と書き、しばらく考へた。正確な数字は、頭にない。理科の先生なら答へるのだらうが、私は国語と社会が主だ。それでも、教師の口が止まると子どもは不安になる。私は、いまの世の教師に求められるもの――「何でも知ってゐる顔」を、少しだけ作って言った。

 

「……ずいぶん遠いよ。だから、行くのは大変なんよ」

 

子どもは目を輝かせた。

 

「でも行くんだって! テレビでやるって、父ちゃんが言うた!」

 

テレビ。いつの間にか、子どもの未来はテレビの中で決まるやうになった。私が娘のころ、未来は軍の掲示板と新聞の号外で決まった。形は違ふが、世の中が一斉に同じものを見る怖さを、私は知ってゐる。祝ひでも、興奮でも、群れは簡単に熱を持つ。

 

職員室でも話題は同じだった。若い先生が新聞を叩いて言ふ。

 

「すごいですよね。月に人が立つなんて。……科学の勝利です」

 

年配の先生は眉を寄せた。

 

「でも、あんなことに金を使ふなら、世の中の困ってゐる者に回したらええのに」

 

言ひ分はどちらも分かる。分かるから、私は黙った。言葉が増えるほど、胸がざわつく。私は、言葉が刃になるのを去年、痛いほど見たばかりだ。だから私は、誰かの正しさに簡単に乗りたくなかった。

 

ただ一つ、胸の内でだけはっきりしてゐたことがある。

 

月へ行かうが、空を裂かうが、君のところへ行けるわけではない。

 

その事実だけが、やけに確かだった。

月面着陸の中継は、夜更け――いや、こちらの時間では、ほとんど明け方だと聞いた。

 

「朝方だってよ」「眠らんで見るんかね」「歴史の瞬間じゃけえ」

 

近所の佐伯さんの家が、また「見る家」になった。テレビを持つ家は、こういふときだけ、町の集会所になる。祭りとも違ふ。ご成婚とも違ふ。けれど、人が集まる匂ひだけは同じだ。

 

母に言ふと、母は布団の中で目を細めた。

 

「月、見に行くんかい」

 

「……テレビで、やるらしい」

 

「百合も、見るのかい」

 

母の声は、責めでも興奮でもなく、ただ確かめるやうだった。母は知ってゐる。私が「世界の大きい出来事」を見るたびに、胸の底の出来事も一緒に揺れることを。

 

私は、少しだけ迷ってから言った。

 

「……見るよ。母さんも、起きられたら一緒に」

 

母は小さく笑った。

 

「わたしは、目ぇが先に閉じるだらうけどねえ。……でも、見てみたいわ。人の月なんて」

 

「人の月」――その言ひ方が、妙に古風で、妙に刺さった。月は昔から月だ。そこへ人が立つなら、月は「人の月」になる。月が人のものになる――その言葉の響きが、少し怖かった。

その夜、私たちは早く布団に入った。早く入ったところで、眠れるわけではなかった。

 

母は咳をして、息を整へ、やがて浅い眠りに落ちた。私は横になったまま、雨垂れの年の名残のやうに、時計の針の音を聞いてゐた。ちり、ちり、と小さく進む音。それが、夜の駅の火花の音に似てゐる気がして、胸がひりついた。

 

やがて、決めた時間になった。私はそっと起き上がり、母の布団の端を直した。母は目を開けてゐた。

 

「……起きとったの?」

 

「うん。行く?」

 

母は少しだけ迷ひ、それから、ゆっくりと起きた。肩に薄い羽織をかけ、私は母の腕を取った。

 

夜道は涼しく、夏の湿り気が肌にまとはりつく。国道の車は少ない。代りに、遠くで工場が低く唸ってゐる。働く音は、夜でも止まらない。止まらないところが、いまの時代の「強さ」だ。

 

佐伯さんの家に着くと、座敷にはすでに人が集まってゐた。皆、眠気と興奮を同じ顔に乗せてゐる。茶が回り、団扇が動き、テレビの前だけが明るい。

 

画面の中は、ざらざらした白黒だった。砂嵐が走り、音が途切れ途切れになり、時々、言葉が飲み込まれる。それでも皆、目を離さない。「世界の向こう」のものを、この茶の間で見てゐる――その不思議が、人の目を縛る。

 

母は畳に座り、湯呑を両手で包んだ。

 

「……夜中に、よう集まるねえ」

 

「歴史の瞬間、って言うけえね」

 

私はそう言ひながら、心の中では別のことを思ってゐた。歴史の瞬間。歴史の瞬間は、いつも「あとから」瞬間になる。そのとき渦中にゐた者は、瞬間など感じない。ただ息をして、ただ祈って、ただ失ふ。瞬間になるのは、生き残った者の都合だ。

 

画面の中で、妙に遅い映像が動いた。暗い空間の中に、白いものがにじむ。人影。梯子。足。足が、ゆっくりと下りてくる。

 

「出たぞ……!」

 

誰かが息を呑んだ。座敷の空気が一斉に固まる。

 

足が、最後の段から降りる。白い粉のやうな地面へ、靴底が触れる。触れた瞬間、何も音はしない。ただ、映像だけが「踏んだ」と言ふ。

 

「……立った!」

 

歓声が上がった。拍手が起きた。夜中の拍手は、妙に乾いてゐる。乾いた音が、私の胸の奥を叩いた。

 

私は拍手できなかった。出来なかったのは、驚いてゐたからでも、反対だからでもない。ただ、あの「踏む」姿を見た途端、別の「沈む」姿が、胸の中で同時に立ち上がったからだ。

 

梯子。降りる。暗い中へ。光のない場所へ。

 

月へ降りる男の影が、海へ沈む艦の影に重なる。あの春、私は「沈んだ」と聞いた。沈むといふ言葉は、あまりに短くて、あまりに重い。沈むものは、戻らない。戻らないものを、私は二十年以上、胸に入れて生きてきた。

 

世の中は沸いた。茶の間は沸いた。けれど私の中は、妙に静かだった。

 

静かで、冷たくて、深い。

 

誰かが言った。

 

「すごいなあ……人間が月へ行く時代じゃ」

 

別の男が笑った。

 

「次は火星かもしれんぞ」

 

火星――といふ言葉が、戦時の「火」を思ひ出させ、私は湯呑の縁を強く握った。湯呑は温かい。温かいから、私はまだここにゐられる。

 

母が、ぽつりと言った。

 

「月は、昔から見とったのにねえ。……触れるんじゃねえ」

 

触れる。その言葉が、私の胸をちくりと刺した。私は触れられない。触れられないものを、ずっと抱いてゐる。抱いてゐるのに、触れられない。

 

画面の中で、男が跳ねるやうに歩いた。重力が違ふからだと誰かが説明する。軽い動き。軽いのに、そこへ行くまでにどれほどの金と時間と命が使はれたか――そんな話も、後ろで聞こえる。

 

私の耳には、ただひとつだけ響いた。

 

――人は、月へ行ける。――けれど私は、君へ行けない。

 

「百合」

 

母が小さく私を呼んだ。私ははっとして母を見る。母は私の顔を見て、目を細めた。

 

「……あんた、嬉しいんかい」

 

嬉しい――と問はれて、私は言葉に詰まった。嬉しいのだらうか。人が月へ立つことが、嬉しいのだらうか。嬉しいと答へれば、私の中の影が嘘になる。嘘にしたくない。かと言って、悲しいと答へれば、母の胸をまた濡らす。

 

私は、やっとのことで言った。

 

「……すごいとは思ふ。ほんとに」

 

母はうなづいた。

 

「すごいねえ。……でも、百合」

 

母は湯呑を置き、私の手の甲にそっと触れた。その触れ方は、咳の夜に背をさするときのやうに、静かな現実だった。

 

「すごいことがあっても、あんたの胸は、あんたの胸じゃ。置いていかれんでええ」

 

置いていかれんでええ。その言葉に、私は泣きさうになった。置いていかれる怖さを、母はずっと見てきた。道が光り、電車が走り、五輪旗が揺れ、鉄が燃え、月まで人が行く。世の中はどんどん遠くへ行くのに、私だけはここに置かれる。置かれたまま、君の名を呼ぶ。

 

母はそれを「悪いこと」だと言はない。ただ「置いていかれんでええ」と言ふ。母の優しさは、いつも私を生活へ戻す。

 

画面の中の月面は、相変はらずざらざらしてゐた。砂のやうで、灰のやうで、白いのに冷たい。私はその白を見ながら、ふいに海底の青を思ひ出した。青い底には光が届かない。月面は、太陽の光が当たりすぎるほど当たってゐる。同じ「遠さ」でも、質が違ふ。

 

私の遠さは、光のない遠さだ。それが、たまらなく寂しい。

中継がひと段落し、人が少しずつ帰り始めたころ、外はうっすら明るくなってゐた。

 

夜が明ける。世界が騒いだまま、朝が来る。朝は、誰にでも来る。祝ひの朝も、咳の朝も、同じやうに来る。

 

母の腕を取り、私たちは家へ戻った。道の端の草に露が光り、鳥が一声鳴いた。月はまだ西の空に残ってゐる。白い月。昔から見てきた月。そこに人が立った、と言ふ月。

 

家の前で、私は思はず立ち止まった。母は私の顔を見て、黙ってゐる。黙りの中で、私は月を見上げた。

 

月は何も言はない。ただそこにある。そこに人が立ったと言はれても、月は月のまま、白い顔をしてゐる。

 

私は胸の中で名を呼んだ。

 

――篤志さま。――人は月へ行ったそうです。――でも私の宇宙には、あなたしかゐません。

 

“宇宙”といふ言葉を、私はこんなふうに使ふ女ではなかった。宇宙は理科の言葉で、ロケットの言葉で、男の言葉だと思ってゐた。けれど、いまの私には、宇宙は「胸の中の広がり」になった。そこにある星は一つ。君だけ。

 

母が、眠たげに言った。

 

「百合……帰って寝よう。風邪ひく」

 

「うん」

 

私はうなづき、母を布団へ戻し、自分も横になった。眠れるはずはないと思ったのに、身体は疲れてゐて、いつの間にか少しだけ眠った。短い眠りの中で、私は夢を見た。

 

夢の中の海は、月の光を受けて白かった。白い道が水面に伸び、その道の先に、軍帽のひかりが一つだけ浮かんでゐた。私はその光へ手を伸ばしたが、指は届かない。届かないまま、目が覚めた。

 

目が覚めると、昼だった。母が台所で湯を沸かしてゐる音がした。生活は、月面着陸の翌日でも、同じやうに回る。回ることが、ありがたい。

年の終り、私は帳面を開いた。

 

月へ人が行った年。世の中が沸いた年。新聞は「偉業」と書き、テレビは何度も映像を繰り返し、子どもは月の絵を描いた。その騒ぎの中で、私は一度も「嬉しい」と言ひ切れなかった。言ひ切れない自分が嫌でも、嘘をつきたくなかった。

 

私の宇宙は、変はらない。君の名を中心に回り、桜の季節で息をし、海鳴りで揺れ、雨垂れで綴る。それだけだ。それだけなのに、私は今日まで生きてしまった。

 

鉛筆を握り、私は今年の一首を書いた。

人の月 踏みしと報じ 世は沸けど我が宇宙には 君のみ光る

書き終へて、私は灯を見つめた。灯は小さい。けれど、小さい灯で十分だった。宇宙の大きさを、私はもう外に求めない。外がどれほど広くなっても、私の広さは胸の内にある。そこに光るのは、ただ一つ。

 

君。

第二十六章 昭和四十五年(1970) 市ヶ谷の秋

落葉は、ひとの「見送り」に似てゐる。

 

枝を離れるときのためらひ――といふものが、桜にはあまり無い。咲くときも散るときも、桜は潔い。けれど、秋の葉は違ふ。ひとひら、ひとひら、順番に色を失ひ、風に耐へ、まだ残らうとするやうで、やがてふいに落ちる。落ちたあともしばらく地に貼りつき、踏まれても形を残し、雨でやうやく土に戻る。

 

私はその「まだ残らうとする」感じを見るたびに、胸の奥がざらりとする。残らうとして残れなかったものを、私は知ってゐる。残らうとする暇もなく、若いままで海の底へ消えた人を、私は知ってゐる。

 

昭和四十五年の秋、校庭の隅の桜は、もう葉をつけてゐなかった。桜は春の木で、秋には静かだ。代りに、校門の外の街路樹が、黄色く色づいた。銀杏の葉は、風に弱い。掃いても掃いても落ちる。朝、竹箒を手にした用務員さんが、「追いつかんのう」と苦笑する。私はその背中を見ながら思った。

 

――見送りも、追いつかない。――見送った数だけ、こちらが残る。

その年の春から夏にかけて、世の中は妙に浮ついてゐた。

 

大阪で万国博覧会が開かれ、「人類の進歩と調和」などといふ、眩しすぎる言葉が旗のやうに掲げられた。テレビの画面の中で、奇妙な顔の塔が空に伸び、外国の人が笑って歩き、未来の機械が光ってゐる。子どもたちは目を輝かせて言った。

 

「先生、万博って、外国の人がいっぱい来るんだって!」「未来の車が走るんだって!」「月へ行った次は万博なんだね!」

 

月の年の熱が、まだ冷めきらないまま、今度は「未来」が祭りになる。未来は、いつも祭りの顔をして来る。祭りの顔をして来るから、人は疑はず、手を叩き、口を開ける。

 

職員室でも、誰かが言った。

 

「大阪、行きました? すごいですよ、先生。世界が来てました」「うちの子、ねだってねだって。写真も撮って帰ってきましたよ」

 

私は行かなかった。行けなかった、と言ふ方が近い。母の咳は相変らずで、長い外泊は怖い。それに――未来の祭りの中へ入っていくことが、私には少し恐ろしかった。未来の明るさは、こちらの影を濃くする。濃くなった影を、私は抱へきれなくなる気がした。

 

それでもテレビで、塔の下の人波を見た。人波の上に掲げられた標語。「進歩」と「調和」。

 

私はその二つの言葉を、しばらく口の中で転がしてみた。進歩――国道が光り、線路が火花を散らし、鉄が赤く奔り、人が月を踏んだ。調和――それは、どこにあるのだらう。

 

調和といふ言葉は、戦時にもあった。「和」を乱すな、空気を乱すな、皆と同じ方向を見よ。調和の名で、言葉を呑み、声を細くし、顔を揃へる。私はその調和を「恐れ」として覚えてゐる。

 

だから、標語の「調和」が眩しければ眩しいほど、胸の奥で別の音が鳴った。――ほんたうに、調和してゐるのか。――何かを呑み込ませてゐないか。

 

梅雨の手紙の年に、私は言葉の刃を知った。文化論の年に、刃が美しく磨かれてゐる怖さを知った。言葉は、いつだって先に立つ。先に立って、あとから人を引っ張る。

秋が深まるころ、本屋の棚の端で、私はまた三島由紀夫の背表紙を見つけた。

 

以前買った『文化防衛論』と『太陽と鉄』は、すでに家の本棚にある。あの活字の鋭さに胸を裁たれた夜を、私はまだ覚えてゐる。「美」や「死」や「国家」といふ言葉が、整へられた文の形で並び、切っ先をこちらに向けてゐた。

 

あの人の言葉は、刃だ。刃を握る手が、あまりに迷ひなく見えた。迷ひなく見えるものほど、人は惹かれる。惹かれて、切られる。

 

私は本屋でその背表紙を見つめたまま、しばらく動けなかった。買ふでもなく、戻すでもなく。結局その日は、何も買はずに帰った。帰り道、銀杏の匂ひがした。秋の銀杏は、葉の色が美しいくせに、落ちると臭い。美しさと臭さが同居する。それが、秋の正直さだと思ふ。

十一月の終り、空が高く、乾いてゐた。

 

朝の空気が硬い。息を吸ふと、胸が少し痛い。用務員さんが校庭の落葉を掃き、竹箒の音が、からからと乾いた。子どもたちは息を白くするほどではないのに、走ると頬を赤くした。

 

その日、授業を終へて職員室へ戻ると、誰かがラジオのつまみを上げた。

 

「……東京の市ヶ谷で、作家の三島由紀夫氏が――」

 

名前が聞こえた瞬間、私は思はず手を止めた。湯呑を持つ指が止まり、喉の奥が乾く。

 

「市ヶ谷?」

 

若い先生が眉を寄せて言った。

 

「自衛隊のところですよ。……なんか、立てこもってるって」

 

立てこもる。その言葉は、近頃よく聞く。大学の封鎖、バリケード、闘争。けれど「作家が」「自衛隊で」――と続くと、急に形が違って見える。

 

誰かが言った。

 

「政治の芝居みたいなことをするんじゃのう」「いや、危ないですよ。刃物でも持ってたら……」

 

刃物。刃の話になると、私の胸はすぐ硬くなる。言葉の刃。そして、ほんたうの刃。

 

私は職員室の隅の黒いテレビに目をやった。学校のテレビは、本来授業用だ。けれど、こういふ「出来事」のとき、誰もがつい点けてしまふ。世の中が一斉に同じものを見る――その癖は、戦後になっても無くならない。

 

校長先生が、「少しだけだぞ」と言って、テレビを点けた。画面は白黒で、ちらつきがある。けれど映ってゐるのは、はっきりと「東京の空」だった。

 

高い建物。広い敷地。自衛隊の門。そして、空の色――秋の空の高さ。

 

市ヶ谷の秋の空は、私の町の空より、少し冷たく見えた。画面の端に、風に舞ふものが映った。落葉だ。銀杏か、欅か、よく分からない。けれど、葉が散ってゐた。

 

散る落葉。その散り方が、どこか「ざわざわ」してゐた。風が強いのか、人の気配が強いのか。画面の向うの空気まで、ざわついてゐるやうに見えた。

 

「……演説してるって」「屋上で? ほんとか」

 

断片的な情報が飛び交ふ。そのうち、画面が切り替はり、建物の一角が映った。ベランダのやうな場所。そこに、人影が立つ。制服ではない。軍帽でもない。それでも、その立ち姿には、どこか軍の匂ひがあった。声が、音割れして聞こえた。何を言ってゐるのか、全部は分からない。「憲法」とか「天皇」とか、そんな語だけが断片として耳に刺さる。

 

次の瞬間、下の方から、別の音が上がってきた。笑ひ声のやうでもあり、怒号のやうでもある。若い兵の野次――と誰かが言った。“やじ”といふ言葉が、妙に軽い。軽いのに、その軽さが人を殺すことがある、と私は知ってゐる。笑ひで誰かを追ひ詰める。正しさで誰かを追ひ詰める。追ひ詰めるのは、いつも群れだ。

 

私は画面から目を離せなかった。離せないのに、見たくない。見たくないのに、見てしまふ。

 

しばらくして、画面が戻り、アナウンサーの声が急に低くなった。

 

「……三島氏は、その後、割腹し――」

 

割腹。その語が、職員室の空気を切った。誰かが息を呑み、誰かが「まさか」と呟いた。私は、その瞬間、身体の中の血がすうっと引くのを感じた。

 

刃を、呑む。

 

私は、なぜかその言ひ方で思ってしまった。呑む――呑み込む。私は二十年以上、言葉を呑み込んできた女だ。声を呑み込み、涙を呑み込み、名を呑み込み、世間の目を呑み込み、母のためにさらに呑み込む。呑み込んで、生きた。

 

あの人は、刃を呑んだ。呑んで、死んだ。

 

その差が、胸の奥でひどく痛かった。

 

「……なんで、そんなことを」

 

若い先生が震える声で言った。年配の先生が、かすれた声で答へた。

 

「分からん。……分からんが、あの人は、昔から“死”を美しく言ひ過ぎた」

 

言葉の刃。言葉が人を切り、最後には本人の腹を切る――そんなふうに聞こえてしまって、私は唇を噛んだ。

 

校長先生がテレビを消した。「授業に差し支える」と言ったが、もう授業は終ってゐる。皆の顔が、それぞれ違ふ方向へ向いたまま、どこへも行けなくなってゐた。

 

私は湯呑を置き、そっと席を立った。胸の奥がひりひりして、ここにゐると、言葉が刃になって自分を切りさうだった。廊下へ出ると、窓の外に校庭が見え、落葉がひとひら舞って落ちた。

 

落葉は、音を立てずに落ちる。音を立てずに落ちるのに、胸の中では大きな音がする。

 

私はその音を、ずっと昔にも聞いた。篤志を見送ったときの、あの「何も出来ぬ音」。声を出せなかった音。ただ見送ってしまった音。

家へ帰ると、母が縁側にゐた。

 

団扇ではなく、膝掛けを抱へてゐる。咳は少ないが、目が冴えてゐる。母は、私の顔を見るとすぐに気づいた。

 

「……何かあったんかい」

 

私は靴を揃へながら、言葉を探した。探しても、どの言葉も刃を持ってゐるやうに思へた。母に刃を向けたくない。向けたくないのに、黙れば母はもっと不安になる。

 

私は、できるだけ平らに言った。

 

「東京でね……作家さんが、自衛隊で騒ぎを起こして……死んだって」

 

母は、一瞬だけ目を閉ぢた。その閉ぢ方に、戦時の電報を受け取った女の顔が重なって見えた。母もまた、見送りの女なのだ。

 

「……死んだんかい」

 

「うん」

 

母はしばらく黙ってゐて、やがてぽつりと言った。

 

「死ぬのは、簡単じゃないよ」

 

簡単じゃない。母の言葉は、いつも生活の底へ落ちる。死は思想ではなく、身体の事実だ、と母は言ってゐる。身体の事実の前で、言葉はどれほど綺麗でも無力になる。

 

私は台所へ立ち、湯を沸かした。湯気が立つと、家が少し生き返る。湯気の匂ひは、言葉の刃を少し鈍らせる。

 

母に湯呑を渡し、私は自分の湯呑も持った。二人で黙って湯を啜る。湯の温かさが喉を通るだけで、「まだここにゐる」が確かになる。

 

母が、しばらくして言った。

 

「百合……あんたは、いろんな人を見送ったねえ」

 

私は返事が出来なかった。見送った。篤志を見送った。父も見送った。友も見送った。そして、今日、テレビの中の男も見送った。

 

「見送った」と言ふのは、残った者の言葉だ。残った者は、いつも見送る役になる。見送る役は、拍手もしないし、主役にもなれない。ただ、後ろ姿を胸に入れるだけだ。

 

母は続けた。

 

「見送るのはね、しんどい。……でも、見送った者が悪いわけじゃない」

 

悪いわけじゃない。その言葉が、胸に染みた。私はずっと、見送った自分をどこかで責めてゐた。声を出せなかった自分。止められなかった自分。見送ってしまった自分。

 

今日も同じだ。私はテレビの前で、止められなかった。遠い市ヶ谷の空の下で起きたことに、私は何も出来なかった。ただ、見て、呑み込んで、暮しへ戻る。その繰り返しが、私の人生だ。

 

母の言葉は、私の胸の奥の責めを少しだけほどいた。ほどけたところへ、また別の痛みが入った。

 

――私は、見送ることしか出来ないのだらうか。――見送るだけで、生きてしまふのだらうか。

夜、家が静かになった。

 

母は薬を飲んで眠り、私は机に向かった。灯を点けると、壁に私の影が落ちる。影は細い。細い影の中に、二十五年前の娘の影がまだ混じってゐる。

 

私は帳面を開いた。今日のニュースの断片が、頭の中でまだざわついてゐる。市ヶ谷。自衛隊。演説。野次。割腹。言葉の刃が、とうとう身体の刃になった――そんな感じが、胸の底で冷たかった。

 

ふと、窓の外で、落葉がさらさらと鳴った。風が吹いて、庭の葉が擦れ合ふ音だ。その音が、テレビの中のざわめきに似てゐた。ざわめきの下に、秋の空がある。高くて、冷たい空。その空から葉が散る。

 

私は鉛筆を握った。握るのは、刃を握るのに似てゐる。けれど私は、刃を呑まない。私は刃で、自分の胸の内を切り開いて、言葉として置く。置いて、暮しに戻る。それが、私の生き残り方だ。

 

今日、私は“刃を呑む人”を見た。見たと言っても、同じ場にゐたわけではない。画面の中の市ヶ谷を見ただけだ。それでも見送った。見送ってしまった。見送りの女は、今日もまた見送った。

 

私は、一首を書いた。

市ヶ谷の 秋の空より 散る落葉刃を呑む人 我も見送りぬ

書き終へると、胸の奥が少しだけ静かになった。静かになったのは、理解したからではない。分からぬままでも、「分からぬ痛み」を紙の上に置けたからだ。

 

外では風が鳴り、落葉がまた一ひら落ちた。落ちた葉は、きっと明日の朝、用務員さんが掃く。掃いても掃いても落ちる。見送っても見送っても、人生は残る。

 

私は桜袋を懐に押し当てた。刺繍の桜は、秋の闇の中でも形を失はない。形があるものだけが、私を支へる。言葉もまた、形だ。刃になり得る形を、私は抱へたまま、明日も生きる。

 
 
 

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