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大和出撃8


第二十七章 昭和四十六年(1971) 白波の連絡

連絡船の汽笛は、胸の奥を叩く音をしてゐた。

 

港の朝は早い。まだ太陽が海面を全部温めきらないうちに、人は荷を持ち、肩をすぼめ、切符を握って列になる。潮の匂ひに、油の匂ひが混じる。海と機械が擦れ合ふ匂ひ――それは、戦後の復興の匂ひでもあり、戦時の出撃の匂ひの影でもあった。

 

私はその匂ひを吸ふたび、息が少し浅くなる。浅くなるのに、足は止まらない。止まらないのは、今日の私は「見送る」ためではなく、「渡る」ためにここに来てゐるからだ。

 

渡る。瀬戸を渡る。島と島の間を、船が繋ぐ。繋ぐ――といふ言葉が、胸の中で妙に重たく鳴った。

きっかけは、学校から回ってきた一枚の紙だった。

 

「県外研修(香川)参加者 集合時間 午前八時」そんな素っ気ない文字。昔なら、県外へ出ること自体が大ごとだった。いまは、教師が研修で県境を越えることも珍しくない。世の中は便利になった、と皆が言ふ。便利になったぶんだけ、人は「行け」と言ふ。行けと言へる。

 

けれど私の「行く」は、いつだって母の咳の音と一緒にある。

 

研修の話を母にすると、母は布団の中で目を細めた。

 

「香川……って、四国かい」

 

「うん。日帰り」

 

「日帰りなら、行っておいで」

 

母はすぐに言った。すぐに言ふのは、私が躊躇するのを知ってゐるからだ。躊躇を長引かせると、私は結局行けなくなる。母はそれを嫌がる。

 

「でも、母さん――」

 

「わたしは大丈夫。近所の房子さんが、様子見てくれる言うたし」

 

房子――結婚式の年に会った同窓の松浦房子。いまは近所に住み、子どもも大きくなり、時々母の薬のことを気にかけてくれる。女同士の助け合ひは、口に出さぬところで暮しを支へる。それがこの時代の「当たり前」でもある。

 

私は頷いた。頷きながら、懐の桜袋に指を当てた。艶なき布に刺した桜の凹凸が、指先に「行け」とも「帰れ」とも言はず、ただ「ここ」を返してくる。

 

その夜、私は駅の時刻表を広げた。紙の匂ひ。数字の列。「宇野」「高松」「連絡船」――その文字が目に入った瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。

 

連絡船。

 

連絡――つながる、知らせる、やりとりする。私の人生で「連絡」が一番欲しかった相手は、もう海の底にゐる。つながらない相手に、つながる船。その矛盾が、なぜか私の背中を押した。

当日の朝、母はいつもより早く目を覚ましてゐた。

 

「弁当、持っていくんかい」

 

「研修会場で出るって。……でも、駅で何か買ふかもしれん」

 

母は小さく笑った。

 

「若い人みたいなこと言うねえ」

 

若い人みたい――その言葉に、私は少しだけ苦く笑った。私は若くない。若くないのに、胸の中だけはいつまでも同じところを走ってゐる。走ってゐるのに、進まない。進まないから、時々、急に走り出したくなる。

 

母の薬を枕元に置き、湯を沸かし、湯呑を渡し、背をさすった。母の背骨は薄く、掌に骨の筋がはっきり分かる。分かるほどに、私は「日帰り」と自分に言ひ聞かせる。日帰り。日帰り。言ひ聞かせるのは、母のためでもあり、自分の罪悪感を薄めるためでもある。

 

出がけに、房子が戸口まで顔を出した。エプロン姿で、髪をきちんとまとめてゐる。嫁の手つきだ。

 

「百合ちゃん、行っておいで。おばちゃんのこと、私が見とくけえ」

 

「ありがとう。……無理せんでね」

 

「無理せんよ。こういうのは、女同士で回さんと」

 

房子は笑った。「回す」――その言葉が、胸に残った。暮しは、女が回す。戦争も、女が回した。回したくて回したわけではないのに、回さねば家が止まる。止まると、誰かが倒れる。

 

私は頭を下げ、鞄を持った。鞄の底に、帳面を入れる。毎年の歌の帳面。そして、封をしない手紙の束は――置いていった。今日の旅に、湿った手紙は連れて行けない。湿ったものが、海の匂ひと混ざると、胸が崩れてしまひさうだった。

列車を乗り継ぎ、岡山を抜け、宇野へ向かふ。車窓に流れる田の緑は、去年より少し濃い。どの年も、緑は律儀に濃くなる。人の心の律儀さは、これほどではないのに。

 

宇野の駅へ近づくと、潮の匂ひが強くなった。車内の空気が、どこか湿り、鉄の匂ひが混じる。私は思はず背筋を伸ばした。海の匂ひは、私の姿勢を変へる。

 

ホームに降りると、「連絡船」の案内が見えた。矢印が海の方へ向いてゐる。矢印の先に、船が待ってゐる。船は、待ってゐる。待つ――といふ言葉の形が、急に胸に刺さった。

 

私は切符を握り、流れに従って歩いた。鞄を持った男。子どもを連れた女。学生らしい若者。皆、軽い顔をしてゐる。瀬戸を渡ることが、もう特別ではない顔だ。

 

昔は、海を渡ることは、別れの顔だった。港は、見送りの場所だった。いまの港は、通過の場所になりつつある。通過――その言葉は、残された者には冷たい。

 

改札を抜け、乗船口へ出ると、目の前に船があった。白い船体。腹のあたりが少し煤け、波の跡が筋になってゐる。それでも白い。白は、どこか「清さ」を装ふ。装ふから、余計に胸がざわつく。

 

汽笛が鳴った。ぼう、と低い音。その音が、私の胸の奥の何かを叩いた。

 

私は、ふいに思った。

 

――もし、いま。――この船に、篤志さまが乗ってゐたら。

 

そんなはずはない。そんなはずはないのに、考へてしまふ。考へてしまふから、身体がほんの少し前へ出る。前へ出た自分を、私は止められない。

 

乗船が始まり、人の列が動く。私は列の中に紛れ、桟橋を渡った。木の板が、靴底の下でかすかに鳴る。その鳴り方が、軍靴ではないのに、軍靴の記憶を呼ぶ。音は、いつだって勝手に繋がる。

 

船に乗ると、まず客室の椅子が並び、窓が大きく取られてゐた。椅子に座る者も多いが、私は足が勝手に甲板へ向かった。甲板へ出ると、潮風が顔を打つ。湿った風。夏の匂ひ。島の匂ひ。

 

瀬戸内の島々が、朝の光の中に浮かんでゐた。小さな島に家が点々と見え、白い波が岩に砕ける。「平和」といふ言葉が似合ひさうな景色。けれど私は、その景色の下に、いくつもの戦死の影が沈んでゐることを知ってゐる。知ってゐる者だけが、景色をまっすぐ見られなくなる。

 

船が動き出した。エンジンが唸り、足元が震へる。水が割れ、白い泡が立つ。そして――船の後ろに、白波が伸びた。

 

白波は、まっすぐ、まっすぐ、海面に道を描いた。道。道が出来る。国道の舗装が光った年、私は道の光に胸を焦がした。いま、海の上に道が出来る。白い道。白い道は、すぐ消える。消えるのに、確かにそこにある。

 

私はその白い道を見つめ、喉の奥が熱くなった。

 

――大和も、こんなふうに白波を立てたのだらうか。――そして、その白波の先で、沈んだのだらうか。

 

海は、何もなかったやうな顔で、白波を吞む。吞んで、青に戻る。戻る速さが、残酷だ。

 

甲板の端に、若い男が一人立ってゐた。紺の上着。帽子。背筋。肩の線。

 

私は、その後ろ姿を見た瞬間、胸が跳ねた。跳ねて、息が止まった。

 

――篤志さま?

 

そんなはずはない。そんなはずはないと、頭が叫ぶ。けれど、身体は勝手に近づいてゐた。靴が甲板を叩く音が、自分の耳に大きい。大きいのに、潮風がそれを攫っていく。

 

若い男が、ふいに振り向いた。顔は知らない顔だった。目が違ふ。頬の線が違ふ。何より、若すぎる。

 

私は、その場で止まった。止まったまま、笑ひ方が分からなくなった。恥づかしさが一気に襲ってきて、顔が熱くなる。いい歳をして、何をしてゐる。知らない青年に、何を重ねてゐる。

 

青年は怪訝さうに私を見て、すぐ目を逸らした。それで済んだ。それだけで済んだのに、私は胸が痛かった。痛いのは、恥ではない。恥の奥にある「まだ、諦めてゐない」が自分で分かってしまったからだ。

 

諦めてゐない。何を?戻らないものを。戻らないと分かってゐるのに、戻ってほしいと願ふ自分を。

 

私は甲板の手すりに手を置いた。鉄が冷たい。冷たさが、私を現実へ引き戻す。引き戻されても、白波はまだ伸びてゐた。

 

船は島の間を抜け、波を切り、瀬戸を渡る。渡るほど、白波は遠ざかる。遠ざかるほど、私は思った。

 

――もし、ほんたうに。――もし、ほんたうに、あの人がどこかで生きてゐて。――この船に乗ってゐたら。

 

私は、追ふだらうか。

 

追ふ――といふ言葉を、私は長いこと自分に許してこなかった。女が男を追ふのははしたない、と教へられた。軍人の妻になる女は、黙って待て、と言はれた。待つのが美徳で、追ふのはみっともない、と言はれた。私はその価値観の中で育ち、その価値観の中で篤志を見送った。見送って、声を出せず、ただ「待つ女」になった。

 

けれど、いまの私は違ふ。違ふと言ひたい。違ふ、と言へるほど強くなりたい。

 

連絡船がある。時刻表がある。乗り継ぎがある。海の上にも道が出来る。道が出来るなら、追へる。

 

――もし君乗らば。――私は、乗り継ぎ追はむ。

 

その想像が、胸の奥で熱く燃えた。燃えたのに、同時に冷たくもなった。追ふ相手が、もう海の底にゐることを、私は知ってゐるからだ。

 

連絡船は、つながる船だ。つながるのは、本州と四国。生きてゐる者と生きてゐる者。仕事と仕事。家と家。けれど、私がつなぎたいのは、生者と死者だ。それは、どんな船でも無理だ。

 

無理だと分かってゐるのに、私は白波の道を見て、追ふ夢を見てしまふ。夢を見てしまふほど、私はまだ「見送る女」だけではない。そう思へることが、少しだけ救ひだった。救ひといふのは、いつも矛盾の形をしてゐる。

高松に着くと、港は忙しかった。

 

人が降り、荷が運ばれ、うどんの匂ひがふわりと漂った。研修の集合時間が近い。私は群れに混じって歩き、駅の方向へ急いだ。急ぐ足音が、去年の市ヶ谷の落葉の音と違ふことに、私は少しほっとした。今日は、見送る日ではない。今日は、自分の足で渡った日だ。

 

研修は、例によって言葉が多かった。「教育の近代化」「カリキュラム」「社会の変化」――。言葉は整列し、皆が頷く。私は頷きながら、心の中ではずっと白波を見てゐた。瀬戸の白波。道のやうに伸びた白。すぐ消える白。消える白が、なぜか篤志の名の残り方に似てゐる。

 

夕方、帰りの連絡船に乗る。朝より風が強く、波が少し荒い。白波は、さらに勢ひよく立った。勢ひよく立って、やっぱり消える。

 

私は甲板で、また白波を見つめた。朝の青年の背中はもう思ひ出さないやうにした。思ひ出せば、また自分が恥に溺れる。恥に溺れると、母の顔へ帰れなくなる。

 

母。母は、今ごろ房子と茶を飲んでゐるだらうか。咳は出てゐないだらうか。私は早く帰らねばならない。帰って湯を沸かし、薬を用意し、背をさすらねばならない。その「せねばならぬ」が、私の生の支柱だ。

 

それでも白波を見ると、胸の奥のもう一つの支柱が立つ。

 

君。篤志。私の許嫁。追へぬ相手。追へぬ相手を追ひたくなる私。

 

白波は道になる。道になるほど、追ひたい気持ちが形を持つ。形を持つと、私はまた「来年も生きる」方向へ向かへる。不思議なことに、追へぬものを追ふ想像が、私を現実へ戻してくれる。

 

船が岡山側へ近づくころ、夕日が海面を薄く朱に染めた。島の影が長く伸び、波の白が金に変はる。美しい。美しいものは、人を黙らせる。黙らせる美しさに、私はいまだに身構へる。けれど今日の美しさは、戦の美ではなく、ただの夕暮れの美であってほしいと願った。

家へ帰ると、母は縁側に座ってゐた。

 

房子が帰ったあとらしく、湯呑が二つ並んでゐる。母は私の顔を見ると、ほっと息を吐いた。

 

「おかへり。……瀬戸はどうじゃった」

 

「……白波が、きれいじゃった」

 

母は小さく笑った。

 

「白波はねえ、すぐ消える。消えるけえ、見てしまふんじゃ」

 

母の言葉は、いつも当たり前のところへ落ちる。当たり前が、今日は胸に沁みた。消えるから見る。消えるから、追ひたくなる。追ひたいのに追へないものを、私はずっと見てしまふ。

 

私は湯を沸かし、母に薬をのませ、背をさすった。母の咳は今日は少ない。それだけで、今日の旅は意味があったと思へる。意味は、外の世界ではなく、ここにある。

 

母が眠りについたあと、私は机に向かった。鞄から帳面を出す。鉛筆を削る。今日の白波の道が、まだ目の裏に残ってゐる。

 

私は思ふ。

 

もし、君が乗ってゐたら。もし、君がどこかで生きてゐたら。私は、待つだけの女ではなく、追ふ女になれるだらうか。追ふことは、みっともなくても構はない。みっともなくても――そのみっともなさが、生きてゐる証だ。

 

私は息をひとつ吐き、今年の一首を書いた。

連絡船 白波たてて 瀬戸渡るもし君乗らば 乗り継ぎ追はむ

書き終へて、しばらく鉛筆を置けなかった。追ふ。追ふと書けたことが、胸の奥を少し明るくした。追へないのに、追ふ。矛盾の中でしか生きられない女の、矛盾の祈り。

 

窓の外で、遠く電車が走る音がした。レールの音は一定で、白波のやうに消えてはまた来る。一定の音がある限り、私はまだ書ける。追ふ夢を、紙の上に残せる。

 

そして――来年。来年は、沖縄が「戻る」と聞いた。戻る。その言葉が、私には怖くもあり、希望にも見えた。戻るなら、私も行けるだらうか。海の底の君へ、少しでも近づけるだらうか。

 

白波は消えた。けれど消えた白の道の感触だけは、今年の私の中に残った。

第二十八章 昭和四十七年(1972) 初旅の島

「沖縄が戻る」

 

そう言ふ声が、春の終りから町に増えていった。戻る――と人は簡単に言ふ。まるで、失くした手拭ひが箪笥の奥から出てきたやうに。けれど、戻るといふ言葉の底には、戻らぬものが幾らでも沈んでゐる。沈んでゐるものは、戻るのではなく、ただ「置いていかれる」。

 

五月の半ば、ラジオは一日じゅう「復帰」を繰り返した。役場の掲示板に紙が貼られ、商店の前に小さな日の丸が立ち、学校でも校長が朝礼で言った。

 

「本日をもって沖縄は祖国へ復帰いたしました。戦後の大きな節目であります」

 

祖国。その二文字が、私の胸の内で二つに割れた。

 

祖国といふ言葉は、私にとってはかつて「御国」だった。御国のため、と言はれて、篤志は出ていった。御国のため、と言はれて、私もまた声を呑み、涙を呑み、ただ待つ女になった。その御国が、沖縄へ戻る――と人は言ふ。戻るのが吉いことだと言ひ切れぬ自分が、情けなくもあり、また正直でもあった。

 

職員室では、意見が割れた。

 

「やっと同じ日本になりますね」「でも、基地は残るんでしょう。核はどうなんだって話もあるし」「復帰、復帰って騒ぐけど、沖縄の人の気持ちはどうなんだ」

 

若い先生は拳を握り、年配の先生は眉をひそめた。皆が“正しい”顔を持ってゐる。正しい顔が幾つも並ぶとき、私はいつも息が浅くなる。正しさは、刃になりやすいからだ。

 

私は黙って湯呑を包み、窓の外の空を見た。五月の空は明るい。明るいのに、胸の奥の海だけは暗い。

 

――沖縄。――あなたが向かった島。

 

篤志は「沖縄へ行く」とは言はなかった。ただ、「出撃だ」と言って、軍帽の庇の影を深くしていった。けれど私は知ってゐた。あの艦の行き先が沖縄だと。沖縄の浜へ、艦を座礁させてでも、最後の砲を撃つのだと。そんな話が、女の耳にも入ってくるほどに、あの頃の“終り”は露骨だった。

 

沖縄が戻る。その言葉が、二十七年ぶんの“行けなかった”を、ふいに揺らした。

 

行けなかった――といふのは、距離のことではない。私にとっては、心の禁忌だった。島へ行けば、あなたが行けなかったことが、もっとはっきりしてしまふ。島へ行けば、あなたが死んだことが、もっと現実の輪郭を持ってしまふ。それが怖くて、私は沖縄を「地図の青」にしておいた。

 

けれど、戻ると言はれると、青が動く。動く青の上に、私は自分の足を置きたくなった。

決め手は、遺族会の知らせだった。

 

町内の掲示板に、小さな紙が貼られてゐた。「沖縄慰霊団 参加者募集」「復帰を機に、戦没者の霊を弔ふため」そんな文言。

 

私はその紙の前で、しばらく動けなかった。慰霊。団。復帰。言葉が並ぶだけで、胸が重くなる。重くなるのに、手が勝手に紙を剥がしてゐた。紙を剥がすと、裏に連絡先が書いてある。私はそれを掌の中で握りつぶすやうに握った。

 

家へ戻り、母に言ふと、母は湯呑を置いて、静かに私を見た。

 

「……沖縄へ行くんかい」

 

「行きたい。……行って、手を合わせたい」

 

母は咳をひとつして、しばらく黙った。黙りの中で、私は自分の言葉が母を刺したかもしれないと思った。母にとっても、戦は終ってゐない。父を失ひ、娘の婚を失ひ、暮しの骨を折り続けた女の戦は、いまも続いてゐる。

 

母はやがて、ぽつりと言った。

 

「……あんたが行きたいなら、行きなさい」

 

それだけで涙が出さうになった。許し。母の許しは、いつも足元の許しだった。「寒いけえ羽織を」と言ふやうに、「行きなさい」と言ふ。大きな理屈を言はない。理屈を言はぬから、重い。

 

「でも、母さん――」

 

「わたしは大丈夫。房子さんもゐるし……百合、ね」

 

母は、私の懐のあたりをちらりと見た。そこに桜袋があることを、母は知ってゐる。

 

「持っていきなさい。あの桜」

 

私は小さく頷いた。桜袋を押さへると、刺繍の凹凸が指先に「行け」と言ふやうだった。

出発の日、私は初めて飛行機に乗った。

 

それまで「空を飛ぶ」といふのは、戦時の私にとっては恐れの形だった。爆音。警報。焼夷弾。空は、死が降ってくる場所だった。

 

けれど、戦後二十年以上が過ぎ、空は「旅の道」になってゐた。旅の道になってゐても、私は空を好きにはなれない。好きになれないまま、私はその道に足をかけた。

 

空港の待合室は明るく、ガラスが大きく、天井が高い。高い天井の下で、皆が軽い顔をしてゐる。弁当を食べる者、土産の袋を抱へる者、子どもを叱る母親。飛行機は、もう“特別”ではない顔をさせる。

 

遺族会の一行は、十数人だった。黒い喪服ではない。地味な平服。けれど、それぞれの鞄の中に、花や線香や、小さな位牌代りの写真が入ってゐるのが分かる。皆、口数が少ない。少ない口数の中に、「同じ目的」が詰まってゐる。それが、私には少し救ひだった。ひとりで抱へるより、群れの静けさの中に紛れた方が、息がしやすい。

 

搭乗口へ向かふとき、私はふと、篤志が出ていった朝を思ひ出した。駅ではなく、家の土間。軍服の布の音。母の声を呑む音。「行ってきます」と言った男の声。あの日の“出ていく”と、今日の“行く”は違ふ。違ふのに、身体が同じ震へを持つのが嫌だった。

 

機内の座席に座り、ベルトを締める。“ベルト”といふ言葉の軽さが、戦時の帯革の重さと違ふ。違ふのに、締められると身体が固くなる。

 

離陸のとき、機体が走り出し、腹の底がふわりと浮いた。私は思はず両手で肘掛けを握った。窓の外で、地面が遠ざかる。遠ざかるほど、海の青が広がる。青が広がると、胸の奥の青も広がる。

 

――あなたの海。

 

私は窓ガラスに額を寄せ、心の中で名を呼んだ。声には出さない。声を出せば、隣の席の知らぬ遺族に聞かれてしまふ。女が名を呼ぶことは、まだ“はしたない”とされがちだ。私はその価値観を捨てきれない。捨てきれないまま、名を心の中にだけ置く。

 

雲を抜けると、空は白かった。白い空の下に、青い海。海はどこまでも同じ色に見える。同じに見えるのに、海の底は場所ごとに違ふ。あなたの眠る底は、ここではない。ここではない、と知ってゐるのに、私は海を見てしまふ。見てしまへば、どの青にもあなたの影が差す。

那覇へ降りると、空気が違った。

 

湿り気が濃い。潮の匂ひが近い。そして、どこか甘い匂ひ――砂糖や果物のやうな匂ひが混じる。南の匂ひ、と言へば簡単だが、その簡単さが、私には少し悔しかった。南の匂ひの下に、戦の匂ひも、基地の油の匂ひも、まだ残ってゐるのを、私はすぐ嗅ぎ取ってしまふからだ。

 

空港の外へ出ると、道路を走る車が、こちらと逆に流れてゐた。右側通行。頭では知ってゐても、身体がついていかない。私は反射的に右を見てしまひ、案内の沖縄の方が「反対ですよ」と笑って教へてくれた。

 

「ヤマトの人は、みんな最初、間違へますさ」

 

ヤマト。その一言で、胸がぐらりとした。

 

ヤマト――。戦艦の名。国の名。そして、この島の人が本土の人を呼ぶ言葉。

 

私はその言葉を、耳の中で何度も転がした。あなたが死んだ艦の名が、いま私自身を指す。私はヤマトの人。ヤマトの人が、ヤマトの死者を弔ひに来た。

 

その重さに、私は一瞬、吐き気に似たものを覚えた。吐き気の奥に、謝りたい気持ちがあった。けれど謝る言葉が見つからない。沖縄の人に「すみません」と言っても、私のすみませんは届かない。届かない言葉を投げるのは、言葉の刃になる。だから私は、ただ深く頭を下げた。

 

島のバスに乗り込む。バスの窓から、石垣と赤い瓦の屋根が見えた。道端にハイビスカスが咲いてゐる。赤い花は、桜の薄紅とは違ふ。違ふのに、花の赤は人の心のどこかを同じやうに揺らす。「花」は、どの土地でも、死者へ向かふ道の傍に咲く。

 

私たちは南へ向かった。慰霊の地――摩文仁。沖縄戦終焉の丘、と案内の人が言ふ。終焉。その言葉は、私にはまだ馴染まない。私にとって戦は終焉ではなく、ただ「続いた」。続いて、続いて、女の背中に貼りついたまま今日まで来た。

 

道の途中、基地のフェンスが見えた。高い金網。英語の看板。中に並ぶ建物。空へ伸びるアンテナ。金網の向うにあるものが「外国」であることを、私は肌で感じた。復帰した、と言はれても、ここにはまだ境がある。境があるから、沖縄の人の「ヤマト」が消えない。消えないから、戦艦の名がいまも私を刺す。

最初に案内されたのは、ひめゆりの塔だった。

 

私は、教師として、あの名を知ってゐた。けれど知ってゐるのと、立つのは違ふ。石段を下りると、洞窟の冷たさが肌へ来る。湿った石の匂ひ。暗さ。そして、壁の近さ。壁が近いと、人は息が詰まる。

 

「ここに、学徒隊の子らが……」

 

案内の声が遠くなる。私は、洞窟の闇の中で、自分の教室を思ひ出した。机の並び。黒板。チョークの粉。教室は、子どもの未来の場所だ。その未来の場所が、戦では「死の場所」に変はる。変はるのが、許せない。許せないのに、歴史はそれをした。

 

石の前に花が供へられてゐる。白い菊。私は手を合わせた。合わせながら、篤志を思ふより先に、見知らぬ少女たちを思ってしまった。女であること。教師であること。その二つが、私の手を少女たちへ向けた。

 

手を合わせ終へたとき、喉の奥がひりひりした。泣けばいいのに、泣けない。泣けないのは、涙が多すぎるからだ。涙は、量が増えると、かへって固くなる。

 

外へ出ると、空が眩しかった。眩しさの中に、戦の影が残ってゐる。影は消えない。消えないのに、人は暮らす。暮らすために、影を影として置くしかない。私は、その置き方を学んできた女だった。

摩文仁の丘へ着くと、風が強かった。

 

潮風が直に打つ。崖の下で波が砕ける音がする。どん、と腹に響く音。昭和四十年、海鳴りに声を掻き消された春を思ひ出す。沖縄の海鳴りは、本土の瀬戸内よりも荒々しく聞こえた。海は島の暮しを抱へる一方で、島を削る。

 

丘には、石の塔が点々と立ってゐた。各県の慰霊塔。部隊の碑。島の方々の名を刻んだ石。石が多い。石が多いほど、死者が多い。死者が多いほど、島は軽く笑へなくなる。

 

私たちは、遺族会の代表が用意した資料を見ながら、それぞれのゆかりの碑へ向かった。私は自分の県の塔の前に立った。石は新しい。新しい石は、冷たさが鋭い。古い石は、手で撫でられ、雨で削られ、少し丸くなる。新しい石は、まだ丸くならない。丸くならない冷たさが、今日の私には丁度よかった。冷たさがなければ、私はここで崩れてしまふ。

 

塔の脇に、小さな板が並んでゐた。木札。名が書かれてゐる。ひとつひとつ、細い字で。誰かが、位牌の代りに置いた名札だと案内の人が言った。石に刻めない名を、木に書いて置く。それは、沖縄の人の手の慰霊でもあり、本土から来た者の祈りでもある。

 

私はその木札の列の前に、膝が少しだけ緩むのを感じた。

 

名札。名札がある。名がある。名があるだけで、胸が熱くなる。

 

私は鞄から、小さな紙片を取り出した。篤志の名を書いた紙。何年も前に、便箋の端へ何度も書いた名を、改めて清書したもの。「朝比奈篤志」四つの字が、私の指先を震はせる。

 

木札を一つひとつ目で追ふ。あ行。か行。さ行。た行。「あさひな」その並びが見つからない。私は息が浅くなるのを感じた。浅くなるほど、目が必死になる。必死になるほど、周りの風景が消える。消えるのは、危ない。こういうとき、人は自分だけの海に沈む。

 

私は木札を追ひ、追ひ、指先でそっと撫でた。撫でると、木のささくれが指に触れる。ささくれは痛い。痛いのが、現実の証しだ。

 

やがて私は、立ったまま、動けなくなった。見つからない。見つからない――といふ現実が、ここでも私を待ってゐる。

 

「……奥さん、探してるんですか」

 

隣にゐた沖縄の年配の男が、静かに言った。奥さん、と呼ばれて、私は少し戸惑った。私は嫁いでゐない。けれど、私の胸の中では嫁いだ。世間の呼び名と、私の名の置き方が違ふのは、いまさらのことだ。

 

「……はい。許嫁で……」

 

私は口に出してしまってから、恥づかしくなった。許嫁。この島の人に、そんな古い言ひ方が通じるかどうか分からない。

 

男は、驚いた顔をせず、ただ頷いた。

 

「海の人ですか」

 

海の人。その言ひ方が、妙に優しかった。海軍と言はない。戦艦と言はない。海の人、と言ふ。海の人なら、名札に無いこともある――と男の目が言ってゐた。

 

私は、喉の奥が熱くなって、うなづくことしか出来なかった。男はそれ以上何も言はず、ただ、木札の列の端をそっと整へた。整へる手が、生活の手だった。死者を扱ふのに、声高に語らず、ただ整へる。沖縄の人の「耐へ方」を、私はそこで初めて肌で見た気がした。

 

私は木札の列の前で、もう一度、名を探した。探して、探して、やっぱり見つからない。見つからないのに、探すことをやめられない。やめられないのは、見つからないことが分かってゐても、探すことだけが“会ひに行く形”だからだ。

 

石の塔の根元――礎のところに、名札が並ぶ。私はその前にしゃがみ込み、風に煽られる髪を押さへながら、ひとつひとつの名を目で追った。追ふ目が痛む。痛むほどに、名はただの文字ではなくなる。文字が、ひとの命になる。

 

その中に、篤志の名は無い。無いのに、私は、そこにゐるやうな気がしてならなかった。あなたは、ここまで来られなかった。来られなかった島に、私はいまゐる。来られなかったあなたの代りに、私はこの丘に立ち、海鳴りを聞いてゐる。

 

崖の向うの海は青かった。青い海の上に、白い波が立つ。波は立って、消える。白波の連絡船の年を思ひ出す。道は出来て、消える。道が消えるところへ、人は沈む。

 

私は、懐の桜袋をそっと取り出した。袋の口を少し開けると、押し花の桜が、薄紅のまま眠ってゐる。沖縄の強い日差しの下では、薄紅がいっそう儚く見えた。薄紅は、この島の赤い花とは違ふ。違ふ色が、違ふ土地へ来て、なお色を保ってゐる。それが、私の恋そのものだった。

 

私は桜の花びらを一枚、指に挟み、海へ向けてそっと落とした。花びらは風に持ち上げられ、一瞬だけ空に舞ってから、海の方へ流れていった。どこへ行くのか分からない。分からないまま、青へ吸はれて見えなくなる。

 

その瞬間、私は胸の中でだけ、はっきり言った。

 

――篤志さま。――私は、あなたが辿り着けなかった島へ来ました。――名札の中に、あなたを探しました。

 

声に出せば、海鳴りに消される。だから私は胸の中で言ふ。胸の中の言葉なら、波に掻き消されない。

帰りのバスの窓から、島の畑が流れていった。甘蔗の畝。赤い土。石垣。遠くに基地のフェンス。暮しと戦後の影が、同じ風景に同居してゐる。同居してゐるのに、島の人は笑ふ。笑ふから、私はますます言葉を失ふ。私は、笑ふ前に泣いてしまふ女だからだ。

 

那覇へ戻るころ、夕方の市場の匂ひがした。豚肉の匂ひ。香辛料の匂ひ。石鹸の匂ひ。英語の看板。沖縄の町は、本土の町と似てゐるやうで、違ふ。違ふのに、同じやうに人が暮らしてゐる。暮らしてゐるだけで、胸が痛い。

 

宿へ戻る前、土産物屋で小さな貝殻を買った。ほんたうは、貝殻など要らない。要らないのに、手が動いた。形のあるものが欲しかった。沖縄の空気は持ち帰れない。海鳴りの音も持ち帰れない。だから小さな貝殻だけでも、掌に乗る形で持ち帰りたかった。

 

その夜、宿の布団の中で、私は眠れなかった。海鳴りが耳の奥で鳴り続け、木札の名が目の裏で並び続けた。名は、どれも知らない名だ。知らない名なのに、知らないからこそ、痛い。知らない死者がこれほど多い場所を、私は知らなかった。知らなかったことが、恥づかしかった。

 

――ヤマトの人は、知らなかった。――知らなかったふりをして、戦後を走った。

 

その思ひが胸を刺し、私は枕を濡らした。声は出さない。隣室に遺族会の人が寝てゐる。泣き声ははしたない。そう教へ込まれた女の身が、まだ私の背中に残ってゐる。残ってゐるから、涙だけが静かに落ちた。

帰郷すると、母は縁側で待ってゐた。

 

房子が湯呑を置き、母の背をさすってゐた。母は私を見ると、ほっと息を吐いた。

 

「おかへり。……沖縄は、どうじゃった」

 

私は貝殻を母の掌に乗せ、短く言った。

 

「……暑かった。風が強かった。……名札が、たくさんあった」

 

母は貝殻を見つめ、やがて小さく頷いた。

 

「名札が、たくさん……」

 

母の声が少し震へた。母もまた、名札に縁のある女だ。名札は、ひとの命をまとめる。まとめた瞬間、命は戻らない。母はそのことを知ってゐる。

 

私は母の背をさすり、湯を沸かし、薬を用意した。生活へ戻る。戻ることが、旅の終りだ。旅の終りに生活へ戻れることが、ありがたい。

 

夜、机に向かい、帳面を開いた。沖縄の風の匂ひが、まだ髪に残ってゐる気がした。その匂ひの中で、私は今年の言葉を探した。

 

初旅。沖縄の地。礎の名札。君を探す。

 

探して、見つからなくても、探したことは私の年になる。年は、私の胸の墓誌になる。

 

私は鉛筆を握り、静かに書いた。

初旅にて 沖縄の地に 踏み入りし礎の名札 君を探せり

書き終へると、桜袋を懐に押し当てた。沖縄の赤い土の記憶の上に、薄紅の桜を重ねる。重ねることが、私の生き方だ。

 

窓の外で、夜風が鳴った。瀬戸内の風とは違ふ、島の風が、まだ耳の奥で鳴ってゐた。その風の中で、私は来年の不安を感じ始めてゐた。

 

世の中は「石油が高い」と騒ぎ始めてゐるらしい。灯が揺らぐ予感がする。灯が揺らげば、闇の記憶がまた戻ってくる。戻ってくる前に、私は今年の沖縄を胸の底に置き、また一日を回す。

 

第二十九章 昭和四十八年(1973) オイル灯

闇が、ひさしぶりに町へ戻ってきた。

 

戻ってきた――と言ふと、まるで闇が歩いて帰ってきたみたいだが、実際は逆で、灯のほうが引っ込んだのだ。商店街のネオンが早々に消え、看板の灯が半分になり、駅前の白い蛍光灯も「節電」の札の下で薄暗くなった。夜八時を過ぎると、町は急に静まり、車の音さへ遠くなる。暗くなれば星が戻るはずなのに、戻ったのは星より先に、胸の底の古い闇だった。

 

「石油が足りんらしい」

 

と、誰かが言った。誰か――といふのは、いつも世間だ。世間は、理由を短い言葉にするのが上手い。足りん。高い。危ない。買へ。備へろ。短い言葉は、ひとを早く動かす。早く動くと、ひとは群れになる。

 

昭和四十八年の秋、私は久しぶりに「群れの匂ひ」を嗅いだ。戦後の混乱の匂ひとも違ふ。高度成長の匂ひとも違ふ。けれど、どこか懐かしい――と言ひたくない、あの匂ひ。焦りと、恐れと、「遅れた者は損をする」といふ薄い怒りが混じった匂ひ。

きっかけは、職員室のラジオだった。

 

昼休み、弁当のふたを開ける音の中で、ニュースが「中東で戦争」と言った。続けて「産油国が輸出を制限」と言ひ、最後に「石油価格が急騰」と言った。私たちの町の弁当の匂ひの上に、遠い砂漠の匂ひがかぶさる。

 

若い先生が言った。

 

「中東って、そんなに関係あるんですかね。こっちには石油、普通に来てるし」

 

年配の先生が眉を寄せた。

 

「来とるうちは、来とる。止まったら、止まる。……石油は血液みたいなもんじゃ」

 

血液。その言ひ方が、妙に刺さった。血液は、止まれば死ぬ。止まるかもしれないものを「血液」と呼ぶこと自体が怖い。

 

校長先生が、朝礼で言った。

 

「節電に協力しましょう。不要な灯は消し、暖房は控へ、無駄をなくす。学校も社会の一員です」

 

節電。協力。無駄。耳の奥で、古い言葉が勝手に重なる。

 

――欲しがりません、勝つまでは。――贅沢は敵だ。

 

私は唇を噛んだ。同じやうな言葉が、同じやうな調子で戻ってくることが、怖かった。もちろん、いまの「節電」は爆撃から町を守るためではない。物資が尽きぬやうに暮らしを調へるためのものだ。それでも、言葉の形が似ると、胸の中の傷口が勝手に疼く。

 

教室では、子どもたちが言った。

 

「先生、トイレットペーパーが無くなるって!」「母ちゃんが、買いに行くって走ってた!」「スーパー、行列だった!」

 

行列。その言葉だけで、私は焼け跡の配給の列を思ひ出す。あのころも、皆が「無くなる」と言って並んだ。並んで、手に入れて、帰って、また次の日も並んだ。並ぶことが暮らしになり、暮らしが戦になった。

 

私はなるべく落ち着いた声で言った。

 

「慌てんでええ。……無くなるって言葉が一番、ものを無くすんよ」

 

子どもはぽかんとしてゐた。子どもは「無くなる」をまだ、家の棚の話だと思ってゐる。私は「無くなる」を、命の話として知ってゐる。その違ひが、喉の奥をひりつかせた。

夕方、私は母のために買い物へ出た。

 

母の咳は相変らずで、寒い日が近づくほど胸が重たくなる。冬を越すには灯油が要る。湯を沸かすにも、部屋を温めるにも、今の家は油に頼ってゐる。戦後しばらくは薪も使ったが、いまの暮らしは薪の置き場さへ失くした。町は便利になったぶんだけ、代りの道を細くした。

 

商店街へ行くと、店先の灯が半分だった。普段なら明るい菓子屋のショーケースも薄暗く、魚屋の氷の白さがやけに目立つ。人の顔が、灯の少なさのぶんだけ険しく見えた。

 

文具屋の前には、若い主婦が数人、何かを話してゐた。

 

「トイレットペーパー、ほんとに無いんよ」「隣の町まで行ったって」「新聞紙で拭けってかね」

 

笑ひ声のやうで、笑へない。戦後の闇市でも、冗談はあった。冗談は、生きるために必要だった。けれど、冗談の底に恐れがあるとき、笑ひは刃になる。

 

私は米屋で米を少し、薬局で母の咳止めを買ひ、最後に、灯油の販売所へ向かった。そこには長い列が出来てゐた。ポリタンクを抱へた男、やかんを持った女、空の缶を引きずる老人。列は黙って伸びてゐる。黙りの中に、エンジンの匂ひと油の匂ひが濃く漂ってゐた。

 

「奥さんも、灯油ですか」

 

後ろの男が声をかけてきた。奥さん――その呼び名には慣れない。私は嫁いでゐない。けれど、世間は女を「奥さん」で括る。括られることに腹を立てるほどの気力は、もうこの歳では出ない。

 

「母が、寒がるから」

 

「そうですよねえ。……うちも子どもが小さいし。けど、ほんとに、何がどうなってるんでしょうね。石油一つで」

 

石油一つで。私はその言葉を、心の中で反芻した。

 

石油一つで、町の灯が減り、人が走り、紙が消える。石油一つで、暮らしの薄い皮が剥がれて、昔の闇が覗く。石油一つで、国の向きが変はる。

 

私はふいに思ってしまった。

 

――大和を動かしたのも、油だった。――あの大きな艦も、油が無ければただの鉄の塊だった。――油があったから走り、走ったから沈んだ。

 

油は、暮らしも戦も動かす。動かすものは、いつだって怖い。

 

列が進み、順番が来た。売り子の若い男が、無表情に言った。

 

「一人一缶までです」

 

一缶まで。配給の言葉が、ここにも戻ってきた。私は黙って頷き、ポリタンクを差し出した。灯油が流れ込む音が、どくどくと重たい。その音が、血液みたいだと言った年配の先生の声を思ひ出させる。

 

タンクを抱へて帰る道、肩が痛んだ。痛みは現実だ。現実の痛みがあるうちは、私はまだ、闇へ沈み切らないでゐられる。

夜、母は縁側で膝掛けを抱へてゐた。

 

「遅かったねえ」

 

「灯油の列が、長うて」

 

母は少し目を細めた。

 

「……また列かい。戦後みたいじゃねえ」

 

母の口から「戦後みたい」が出ると、胸がきゅっと縮む。母は普段、あの頃を直接言はない。言はない女が言ふときは、ほんたうに似た空気が戻ってゐる証しだ。

 

私は灯油を台所の隅に置き、湯を沸かし、母に湯呑を渡した。湯気が立つと、家が少しだけ生き返る。湯気は、灯よりやさしい。

 

母がぽつりと言った。

 

「百合、灯を落とせって、町内会も言うとったよ。看板の灯も消せって」

 

「うん。学校でも、廊下の灯を半分にした」

 

母は咳をひとつして、湯を啜った。

 

「節約はええ。……けど、闇はね、心を呼ぶんよ」

 

心を呼ぶ。母の言葉はいつも生活のところへ落ちるのに、今日は詩みたいに落ちた。闇は心を呼ぶ。闇が戻れば、心の底のものが顔を出す。私は、その「顔」を知ってゐる。

 

その晩、町はいつもより暗かった。窓の外へ顔を出すと、向かひの家の灯も弱い。通りの灯も一つ消えてゐる。暗い分だけ、遠くの工場の赤い光が、妙に目立ってゐた。赤い光は、去年の溶湯の火花を思ひ出させる。働く赤。それでも、暗闇の中では、赤は戦の赤にも見える。

 

母が言った。

 

「オイル灯、出しとくかい」

 

オイル灯。古い道具箱の奥に、父が使ってゐた小さなランプが眠ってゐる。戦後しばらく、電気が不安定だったころに使ひ、いつの間にか押し入れへ追いやった灯。

 

私は迷った。電気はまだ来てゐる。消えてゐるわけではない。けれど「節電」と言はれると、私はどこかで従はねばならぬ気になる。従はねばならぬ気になるのが、怖い。怖いのに、身体が先に動く。

 

私は押し入れの奥を探し、埃を被ったオイル灯を取り出した。ガラスのほやが少し曇り、金具がくすんでゐる。それでも形はしっかりしてゐる。形があるものは、昔のまま残る。

 

灯油を少し注ぐと、油の匂ひが立った。その匂ひは、台所の匂ひでもあり、機械の匂ひでもあり――なぜか、軍艦の匂ひにも似てゐた。私は知らないはずなのに、知ってゐる匂ひ。油の匂ひは、写真の中の艦の匂ひを、勝手に想像させる。

 

マッチを擦ると、火が小さく鳴った。しゅっ、と乾いた音。火が芯へ移り、黄色い炎が立つ。炎は小さいのに、暗い部屋の隅々まで影を作る。影が、壁に揺れてゐる。

 

母が、ほっとしたやうに言った。

 

「……昔みたいじゃねえ。灯があるだけで、安心する」

 

安心――と母は言ふ。私は、安心の中に不安の匂ひも嗅いだ。灯火管制の夜、家の灯を覆ひ、外へ漏らすなと叱られたあの夜。暗い中で息を潜め、遠くの爆音に耳を澄ませた夜。あの夜の灯も、こんなふうに小さかった。

 

オイル灯の炎が、闇の中で「喘ぐ」やうに揺れた。風は入ってゐないのに、炎だけがときどき細くなる。油を吸ひ上げる芯が、息をしてゐるみたいだ。炎が細くなるたび、私は胸がざわつく。灯が消えたら、闇が勝つ。闇が勝てば、心が呼ばれる。

 

母が咳をし、私は背をさすった。背をさすりながら、私はふいに耳を澄ませた。外は暗い。いつもなら、夜道を帰る人の足音が少しはする。けれど節電で店が早く閉まると、人の往来も減る。減ったぶんだけ、ひとつひとつの音が目立つ。

 

そのとき、遠くで、靴音がした。

 

どっ、どっ、どっ。

 

最初は、ただの足音だと思った。近所の男が、夜勤へ向かふのだらう。工場の仕事は止まらない。止まらないから、夜でも人は歩く。歩く靴は、ゴム底のはずだ。けれど、暗い静けさの中で聞く足音は、勝手に硬くなる。

 

どっ、どっ。

 

私の耳の奥で、音が変はった。変はったのではない。私の記憶が音へ貼りついたのだ。

 

――軍靴。

 

軍靴の音は、終の春に消えたはずだった。消えたから、若草を君に摘みたしと夢想した。消えたから、私は「これで終りだ」とどこかで信じた。けれど、軍靴の音は消えない。消えないまま、私の胸の奥で錆びずに残ってゐる。

 

オイル灯の炎が、ふっと細くなった。細くなって、また燃え上がる。闇の中で喘いで燃える炎。その喘ぎが、出撃前夜の息づかひに似てゐる気がして、私は喉の奥が熱くなった。

 

――篤志さま。

 

名を呼ばうとして、私は声を呑み込んだ。母がゐる。母の前で、私は泣けない。泣けない女の癖が、ここでも私を縛る。

 

母が小さく言った。

 

「百合……どうした」

 

「……なんでもない。外の足音が」

 

母は、オイル灯の揺れる炎を見つめた。炎の影が、母の頬の皺を深くした。母はしばらく黙ってから、ぽつりと言った。

 

「足音はねえ……夜に聞くと、昔へ戻る」

 

昔へ戻る。母も戻るのだ。母もまた、軍靴の音を知ってゐる女だ。父を送り、娘を送り――送り返されなかったものを抱へた女だ。

 

私は母の背をさすり続けた。掌の下の骨の細さが、現実を返す。現実へ戻るために、私は背をさする。背をさすりながら、私は心の中でだけ、靴音を追った。

 

どっ、どっ、どっ。

 

音は遠ざかり、やがて消えた。消えたのに、耳の奥には残った。残った音は、去年の赤い火花よりも、もっと確かな形を持ってゐた。形を持つのは、音が「記憶」に変はったからだ。

 

闇が深いとき、記憶は光る。光るから、人はさらに闇を怖がる。私はその循環の中で生きてきた。

その冬、私は灯を惜しんだ。

 

学校でも廊下の灯は少なく、職員室の暖房も弱い。子どもは手をこすりながら「寒い」と言ふ。私は「上着を持っておいで」と言ひながら、戦時の「我慢」を思ひ出すのが嫌だった。我慢は美徳ではない。我慢は、仕方なく選ぶ最後の道だ。美徳にされると、他の道が閉ざされる。

 

家では、オイル灯がよく点いた。電気は使へるのに、つい「節電」の言葉が背中を押す。押されるたびに、私は小さく腹が立つ。腹が立つのに、従ってしまふ自分に、さらに腹が立つ。

 

オイル灯の炎は、そのたび闇に喘ぎ、燃えた。燃えるたび、油の匂ひが立ち、胸の奥の海が動く。油――。あの艦の油。油で走り、油で沈んだ艦。私の家の小さな灯が、その遠い油へ繋がってしまふのが、怖くもあり、どこか慰めでもあった。

 

大きな艦を動かした油が、いまは母の部屋の闇を追ひ払ふ。その転び方が、人生の不思議だ。不思議で、残酷で、しかし確かに「生き残った者の役目」だとも思ふ。

 

年の瀬のある晩、母が先に眠り、私は机に向かった。外は暗い。オイル灯の炎だけが、机の端で揺れてゐる。吸取紙の年の便箋を思ひ出す。紙が湿ると文字が滲む。いまは寒く、紙は乾くのに、私の胸だけが湿ってゐた。

 

炎が、ふっと細くなった。その瞬間、また、靴音が聞こえた気がした。

 

どっ、どっ。

 

もちろん、聞こえたのは私の中だけだ。音は外ではなく、胸の底から響く。胸の底から響く音は、錆びない。錆びないから、消えない。

 

私は鉛筆を握った。言葉は刃にもなる。けれど、言葉でしかこの音を置けない。置かねば、私は闇に飲まれる。

 

今年の闇は、石油の闇だった。けれど本当は、戦後の闇が息を吹き返した闇でもあった。闇が戻れば、軍靴の音も戻る。戻ってくる音は、篤志の音だ。篤志の音を、私はまだ手放せない。

 

オイル灯の炎が、闇に喘ぎ、燃えた。その揺れの中で、私は今年の一首を書いた。

オイル灯 闇に喘ぎて 燃ゆる頃君の軍靴は 錆びず響けり

書き終へると、炎が少し落ち着いたやうに見えた。落ち着いたのは炎ではなく、たぶん私の胸だ。闇の中に音を置けたぶんだけ、私は翌朝また湯を沸かせる。母の背をさすれる。教室で子どもの声を受け止められる。

 

闇は怖い。けれど、闇が戻った年に、私はまた「書くことで灯を守る」女になった。

第三十章 昭和四十九年(1974) 春一番

春一番――といふ言葉が、天気予報の口から出るやうになったのは、いつ頃からだったらう。

 

私が娘のころ、春の風はただ「春の風」だった。やはらかいとも、冷たいとも、気まぐれとも言へる、名前のない風。名前がつくと、風は「出来事」になる。出来事になると、人はそれを待ち、恐れ、語り合ふ。語り合ふうちに、風はただの自然ではなく、暮らしの中の符丁になる。

 

昭和四十九年の春一番は、ひどく派手だった。冬の名残を抱いた家々の戸を叩き、波を立て、港の匂ひを町へ投げ込んだ。油の騒ぎの冬を越えたばかりの町の胸を、いきなり掻き乱すやうに。

 

風は、音を連れて来る。そして音は、記憶を連れて来る。

あの冬――昭和四十八年の暮れから年明けにかけて、私は灯に用心する癖が戻ってゐた。

 

オイル灯を出し、灯を惜しみ、余分な明かりを落とす。それは節電といふ名目の、平和な協力のはずだった。それなのに、灯を落とした暗がりで、私は何度も「昔の呼ばれ方」をされた。闇が私を呼ぶ。闇の底から、軍靴の音が錆びずに響いてくる。

 

冬が過ぎれば、闇も薄まると思ってゐた。春の光は、いつだって人を許す顔をしてくるからだ。けれど春は、光だけではない。春は、風で始まる。

 

二月の終りか、三月のはじめ――まだ梅の匂ひが残り、桜の芽が硬いころ。夜、母の咳で一度目を覚ました私は、湯を含ませ、背をさすり、薬をのませた。母の背骨の細さが掌に浮き、私はまた「日帰りで済む未来」を数へる癖をした。何でも、数へると怖さが薄れる。薄れた気になる。

 

母が息を整へ、浅い眠りに戻る。私は布団の端を直し、灯を落とし、自分も横になる――その瞬間だった。

 

どん、と家が鳴った。

 

風が障子を押し、雨戸を揺らし、庭の木の枝が窓に当たった音だ。次に、ざわぁ、と一気に空気が走った。家の隙間から風が入り込み、畳の上の空気まで動く。湿った潮の匂ひが、夜の部屋へ流れ込んできた。

 

春一番だ――と、身体が先に分かった。春の最初の強い風。南から来る温い風。温いくせに、心をざわつかせる風。

 

母は目を開け、暗がりで私を探した。

 

「百合……風が強いねえ」

 

「うん。……春一番かもしれん」

 

私がそう言ふと、母は小さく笑った。

 

「風にも名前がある時代じゃねえ」

 

母の言葉はいつも、時代の端をひょいと掴む。風にも名前。石油にも値段。暮らしにも標語。名前がつくほど、世の中は整ひ、同時に息苦しくなる。

 

風はさらに強くなり、雨戸ががたがたと鳴った。がたがた、といふ音は、戸が壊れさうな音なのに、どこか規則正しい。規則正しい音は、行進の音に似る。似てしまふだけで、胸が硬くなる。

 

私は起き上がり、台所へ行ってラジオをつけた。真夜中のラジオは、昔から「一人の音」だ。茶の間にテレビが来てから、人の目は画面へ集まるやうになった。けれどラジオは、いまも一人の耳に寄り添ふ。寄り添ふものは、時に優しく、時に残酷だ。耳の内側のものまで引きずり出す。

 

つまみを回すと、ざざ、と砂の音が走り、やがて男の声が聞こえた。

 

「……沿岸部では強い南風。いわゆる“春一番”となるでしょう」

 

春一番。口に出されると、それはほんたうに出来事になった。私は湯を沸かすでもなく、ただ台所の暗がりでラジオの音を聞いてゐた。風が吹く。風の名が呼ばれる。それだけで、心が少し落ち着くのが分かった。名がつくと、恐れは輪郭を持つ。輪郭を持てば、抱へられる。

 

天気の話が終はり、番組は音楽へ移った。深夜の番組らしく、曲紹介の声が少し低い。

 

「今夜は、古い歌を――防人の歌を」

 

防人。

 

その二文字が、私の胸の内をひやりと撫でた。防人――遠い昔、国の端を守るために徴され、家を離れた男たち。万葉の歌に残る名。教科書の中の言葉。そのはずなのに、私はそれを、軍服の布の音と同じ場所で聞いてしまふ。

 

曲が流れ始めた。

 

音は、豪華ではない。派手な伴奏でもない。けれど、声がまっすぐだった。まっすぐな声は、人の胸を簡単に貫く。声は、守ることの名目を語る。遠い土地へ行くことを語る。残す者の痛みを語る。語りながら、語りきれぬものを、余韻に置く。

 

私は台所の柱に寄りかかり、目を閉ぢた。防人の妻たちは、どんな夜を過ごしたのだらう。海の向うへ行く男を見送り、季節が巡っても帰らぬまま、ただ家を回し、畑を守り、親を看取り、子を育て――それでもなお、胸の中では一人称で名を呼び続けたのだらうか。

 

私はその「だらうか」を、すぐに自分へ戻した。

 

私は、育てる子は持たなかった。畑も持たない。ただ母を看取り、教室の子どもを見送り、帳面に言葉を刻み続けた。それでも、胸の底にゐるのは同じだ。“国を守る”といふ言葉に押されて行った男を、取り返せない女。

 

ラジオから流れる声が、突然、篤志の声に似て聞こえた。似てゐるわけがない。けれど「似てゐる」と感じるのは、私の中の空白が、音で埋まらうとするからだ。空白は、自分で形を作る。形を作って、そこに誰かをはめ込む。はめ込むことで、今日をやり過ごす。

 

風がまた強く吹いた。雨戸ががたん、と大きく鳴る。その音に重なるやうに、歌の中の言葉が少し揺れた気がした。揺れたのはラジオの電波か、私の心か。

 

そのとき、奥の部屋で母が咳をした。私ははっとして、ラジオの音量を下げ、母のところへ戻った。母の背をさすり、湯を含ませる。母の咳は、風の日に少し荒くなる。風は、肺を刺激する。風は、心も刺激する。

 

母が息を整へると、薄暗がりで小さく言った。

 

「……何、聞いとった」

 

「ラジオ。……防人の歌が流れとった」

 

母は、しばらく黙ってから、ぽつりと言った。

 

「昔も、歌があったねえ。……送り出す歌。守る歌」

 

送り出す歌。守る歌。母の言葉は、いつも核心を避けずに触る。私はそれに頷くしかなかった。

 

「うん。……送る歌は、いつも同じじゃね」

 

「同じじゃ。……百合」

 

母は私の手首を、布団の上から軽く掴んだ。その掴み方は、細いのに確かだった。

 

「守るって言葉は、よく聞こえる。よく聞こえるけえ、怖い」

 

私は息を呑んだ。怖い――母がその言葉をはっきり言ふのは、珍しい。母はいつも「仕方ない」を先に置く女だった。仕方ないと言へば、生き延びられる。けれど、仕方ないだけでは、娘の胸が折れることを、母は知ってしまったのだらう。

 

「……うん」

 

私はそれだけ答へ、母の背をさすった。背をさする掌は、現実の側にある。現実の側にゐるうちは、歌の刃に切られすぎずに済む。

 

母が眠りに落ち、部屋がまた静かになる。私は自分の布団へ戻らうとした。戻らうとして、ふいに、ラジオの音がまだ耳の奥で鳴ってゐることに気づいた。防人。守る。送る。残す。

 

布団に入っても、風の音が続いた。雨戸が、まだ小さく鳴る。海の方角から、塩の匂ひがする。私は目を閉ぢ、胸の奥の海へ沈まぬやうに、息を整へた。

 

そのとき――夢が、ふいに来た。

夢の中で、私は春の風の中に立ってゐた。

 

桜はまだ咲いてゐない。枝だけが黒く、芽が小さく硬い。その硬い芽の上を、南の風が撫でていく。風は温く、けれどどこか湿ってゐる。海の匂ひがする。

 

ふと、背中が温かくなった。

 

誰かが、後ろから私を抱いたのだ。両腕が胸の前に回り、私の身体を包む。その腕の重さが、現実よりも少しだけ強い。強いのに、苦しくない。むしろ、胸がほどける。

 

私は息を吸った。そこには、油と布の匂ひがあった。軍服の匂ひ――と断言するほど確かではない。けれど、若い男の汗と、外気と、どこか海の匂ひが混じった匂ひ。私はその匂ひを、知ってゐる。

 

「篤志さま……?」

 

声に出したつもりが、声は風に溶けた。それでも、抱く腕は離れない。

 

耳元で、何か言葉が落ちた気がした。聞こえない。聞こえないのに、胸だけが「大丈夫」と受け取った。言葉がなくても伝はるものがある――それを、夢は残酷なくらい教へる。

 

私は振り向かうとした。顔を見たら、夢が壊れる気がして、怖い。怖いのに、確かめたい。

 

その瞬間、抱く腕が少し強くなった。強くなって、私は動けなくなった。動けなくなって、私はただ、その温かさに身を預けた。温かさは、湯呑の温かさとも、布団の温かさとも違ふ。生きた身体の温かさだった。

 

私は、夢の中で泣いた。泣いたのに、涙は冷たくなかった。涙が温い――そんなことがあるのかと思ひながら、私は泣いた。

 

そして、抱かれたまま、ふっと眠りに落ちた。

目を覚ますと、夜はまだ深かった。

 

雨戸の音は小さくなり、風は少し落ち着いてゐる。それでも空気はどこか動いてゐて、春が近づく匂ひがした。私は布団の中で、両腕を自分の胸に回した。さっきの夢の腕の形を、身体がまだ覚えてゐる。覚えてゐるのに、現実には自分の腕しかない。

 

それでも、胸は不思議に温かかった。夢の温かさが、まだ残ってゐる。残ってゐるうちは、私は今夜を越えられる。

 

耳を澄ますと、奥の部屋から母の寝息が聞こえる。生活は、まだここにある。私はその寝息に、静かに礼を言った。生きてゐる者の息があるから、私は夢を見ても戻って来られる。

 

台所へ行き、ラジオを確かめると、もう別の番組になってゐた。防人の歌は終ってゐる。終ってゐるのに、胸の内ではまだ続いてゐる。歌の余韻と、抱く腕の余韻が、ひとつに重なってゐた。

 

私は、ふと自分の頬を触った。濡れてゐない。けれど、目の奥が少し痛い。泣いたのだ。泣いたことを、身体が覚えてゐる。

その春、私は何度も思ひ出した。

 

昼の教室で子どもが笑ふときも、母の薬を用意するときも、商店街の灯が少しずつ戻っていくのを見たときも、深夜の風が雨戸を叩いた夜の、あの抱擁の温かさを。

 

抱かれたことが嬉しいのではない。抱かれて「戻った」と錯覚できたことが、嬉しいのだ。錯覚だと分かってゐる。分かってゐるのに、錯覚があるだけで、私は現実へ戻れる。現実へ戻れるから、母の背をさすれる。教室で言葉を選べる。闇に呑まれずに済む。

 

防人の歌が流れたのは、たぶん偶然だ。けれど偶然は、時に人の年の芯になる。芯が出来れば、年は折れにくい。

 

夏が来て、秋が来て、私は相変はらず日々を回した。けれど、年の終りに帳面を開いたとき、私の手は迷はず、その夜へ戻った。

 

春一番。深夜のラジオ。防人の歌。そして、抱く夢。

 

私は鉛筆を握り、今年の一首を書いた。

春一番 防人の歌 ラジオより流れし夜半に 君を抱く夢

書き終へると、胸の奥が少しだけ静かになった。夢は夢だ。抱擁は幻だ。それでも、幻がくれた温かさは、私の一年を支へた。支へたから、私はまた次の年へ行ける。

 

そして次の年、私は「石の冷たさ」を確かめに行くことになる。夢が温かかったぶんだけ、現実の冷たさを、手で触れて確かめたくなる。花を手向ける、といふ形でしか、私はあなたに近づけないからだ。

 
 
 

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