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大和出撃9


第三十一章 昭和五十年(1975) 石の冷たさ

「戦後三十年」と、新聞が書いた。

 

区切りのよい数は、人の心を軽くも重くもする。軽くなるのは、「もう三十年も経ったのだから」と言ひ聞かせて忘れられる気がするから。重くなるのは、「もう三十年も経ったのに」と言ひ聞かせて、なお忘れられぬものが胸に居座るから。

 

私の中では、三十年は軽くならなかった。軽くならないどころか、年を重ねるほど、ひとつひとつの出来事が“沈んでいく”やうに感じられる。沈んでいくものは、見えなくなる。見えなくなるほど、手を伸ばしたくなる。手を伸ばしても届かない。届かないから、胸の中でだけ、伸ばした手を握りしめる。

 

昭和五十年の春、私はふいに思った。

 

――触れられるものが欲しい。

 

夢の中では抱かれた。春一番の夜半、ラジオの防人の歌に押されるやうに、私は君の腕の温かさを受け取った。温かさは、確かに胸に残った。残ったからこそ、現実の冷たさを確かめたくなった。

 

生きてゐる者は、温かい。死んだ者は、冷たい。その当たり前を、私は何度も避けてきた。避けることで、私は日々を回してきた。母の咳に手を当て、湯を沸かし、教室で子どもの声を受け止め、桜袋を懐に入れて歩く――そうして「冷たさ」を見ないやうにしてきた。

 

けれど、三十年。三十年は、逃げ道を細くする。母の背が薄くなり、私の膝が痛み出し、鏡の中の顔が知らぬ皺を増やす。逃げ道が細くなるほど、私は逆に「一度は確かめねばならぬ」と思ってしまふ。

 

確かめる。何を。君の死を――と書けば簡単だが、私が確かめたいのは死ではない。死はもう、何度も確かめさせられた。電報で。噂で。新聞の欄外の数字で。沖縄の礎の名札の“不在”で。

 

私が確かめたいのは、私の手が、いまでも君を探してゐることだった。

長いこと、私は「碑」といふものから逃げてゐた。

 

慰霊碑。戦没者の碑。忠魂碑。石に刻まれた文字は、強い。強いから、そこへ行けば「終り」を受け取ってしまふ気がした。終りを受け取れば、私は毎年の歌が書けなくなる気がした。書けなくなれば、私は呼ぶ場所を失くす。呼ぶ場所を失くせば、私は生活の中のどこに君を置けばいいか分からなくなる。

 

それに――碑の前には、人が集まる。人が集まると、関係が問はれる。

 

「奥さんですか」「遺族の方ですか」「どなたの――」

 

私はその問いに、いつも怯えてゐた。私は嫁いでゐない。未亡人でもない。それでも私は許嫁だった。許嫁といふ言葉は古く、いまの世では肩身が狭い。「結局、結婚しなかったのね」と言はれるのが怖いのではない。“その程度”に、君との年月を薄く扱はれるのが怖かった。

 

だから私は、海へ向けてだけ花を落とし、帳面の中でだけ君に触れてきた。海は私を問はない。帳面も私を問はない。問はない場所でだけ、私は君の名を呼べた。

 

けれど昭和五十年の春、私は逃げきれなくなった。

 

母が、縁側で団扇を膝に置いたまま、ぽつりと言ったのだ。

 

「百合……あんた、一度、行っておいで」

 

「どこへ」

 

と訊く前に、母の目が私の懐――桜袋のあたりを見た。母は、もう言葉を尽くさない。言葉を尽くせば、私が逃げると知ってゐる。ただ、目で言ふ。

 

――会ひに行け。

 

私は湯呑を両手で包みながら、息を整へた。

 

「……呉の、あれ?」

 

「そう。……あんた、いつも“海”へ話しとる。海もええ。けどね」

 

母は小さく咳をして、少し間を置いた。

 

「花を置く場所も、あったほうがええ。女はね、置く場所がないと、ずっと歩くけえ」

 

置く場所。その言葉が胸に刺さった。

 

私はずっと歩いてきた。歩くことが生き残りだった。歩いて、歩いて、桜の季節を巡り、軍靴の音を避け、オイル灯の闇を越え、沖縄の礎の名札を探し――それでも、置けてゐないものがあった。

 

君の花。君へ渡すはずだった花。渡せぬまま、三十年が来た。

 

「……行ってくる」

 

私はそう言ってしまった。言ってしまふと、もう引き返せない。引き返せないことが、怖くもあり、少しだけ頼もしくもあった。

出かける朝、私は花屋の前で立ち止まった。

 

店先には春の花が並び、ガラスの花瓶に水がきらきらしてゐる。チューリップの赤、菜の花の黄、カーネーションの薄桃。その色の中に、白い菊がある。白い菊は、どの時代でも“弔ひ”の色だ。白い菊を見ると、背筋が勝手に伸びる。弔ひの色に慣れてしまった自分が、少し嫌だった。

 

店の女主人が、私を見て言った。

 

「先生、今日はどうされるん」

 

先生――その呼び名が、ありがたかった。奥さんでも、遺族でもなく、先生。私は少しだけ息をついて答へた。

 

「……花、ほしいんよ。慰霊碑へ」

 

女主人は一瞬だけ目を細め、それから黙って頷いた。余計なことを聞かない。聞かないことが、田舎の女の礼儀のときがある。聞かない礼儀に救はれることが、私には多い。

 

女主人は白い菊を二本取り、そこへ薄紅の小さな花を一本添へた。桜ではない。桜は切り花にしにくい。けれど薄紅は、桜の色に近い。私が桜を抱へてゐることを、女主人は知らないはずなのに、手が勝手に選んだのかもしれない。それが、ありがたかった。

 

「白だけじゃ、寂しゅうない?」

 

女主人が小さく言って、新聞紙で包み、最後に薄い紙で巻いた。新聞紙のざらりとした手触りが、戦後の配給の包みを思ひ出させ、胸が少し痛んだ。痛みは現実だ。現実の痛みがあるうちは、私は変に夢へ逃げずに済む。

 

花を抱へて歩くと、道の光が眩しかった。国道の舗装は相変らずつるりと光り、車は速い。けれど私の歩みは速くない。速く出来ない。花を持つと、歩みは自然に慎重になる。慎重さが、今日の私には丁度よかった。慎重さがないと、私は碑の前で崩れてしまふ気がした。

 

駅へ向かふ途中、港の方から汽笛が聞こえた。ぼう、と低い音。連絡船の年に、白波の道を見たときの胸の熱が戻る。海はいつも、私の胸を掻き立てる。

 

――呉。

 

呉は、海の町だ。軍港の町だ。海軍といふ言葉が、いまは「昔のもの」になりつつあるのに、町の形だけは昔の影を残してゐる。その影の中へ、私は今から自分の足で入っていく。

列車は海沿ひを走った。

 

窓の外に、灰いろの船が見える。自衛艦――と、誰かが言った。“自衛”といふ言葉は、戦時にはなかった。戦後になって出来た言葉だ。けれど船の形は、私の胸の奥の艦の形を勝手に呼び起こす。呼び起こされるほど、私は無意識に桜袋を押さへた。桜袋は、いつも私の懐で小さく現実を返す。

 

呉の駅に降りると、潮と油の匂ひが濃い。工場の鉄の匂ひも混じる。港町の匂ひは、どこか“男の匂ひ”だ。汗と機械と海の匂ひ。その匂ひの中で、私は自分が女であることを強く意識してしまふ。女がここへ来るのは、何か理由がある――そんな目が、昔は確かにあった。いまは昔ほど露骨ではない。けれど、私は昔を知ってゐるから、いまでも勝手に身を縮める。

 

駅前からバスに乗り、長迫公園へ向かふ。窓の外に、造船所のクレーンが見える。鶴のやうな影が、空へ伸びる。製鉄の火花の年の赤い雲を思ひ出す。この町は、戦後の復興を“鉄”で立ち上げた町だ。鉄は暮らしを作り、同時に戦も作る。その二面を、この町はよく知ってゐるはずだ。

 

バスの中で、花を抱へてゐると、何人かの視線が私に触れた。触れて、すぐ逸れる。逸れる視線の優しさと、逸れる視線の冷たさが同時にある。人は、他人の悲しみに深入りしない。深入りしないことで、互ひを守る。戦後の町は、そうやって生き延びた部分がある。

 

やがてバスが止まり、「長迫公園前」とアナウンスがした。私は降り、花を抱へ直した。公園へ向かふ道は少し坂で、息が上がる。息が上がると、胸の奥の海が動く。動く海を落ち着かせるために、私は歩数を数へた。数へると、現実が戻る。

 

公園の入口には、子どもの声がした。遊具のきしむ音。小さな笑ひ声。春の公園は、戦の影を隠すやうに明るい。その明るさが、私には眩しかった。眩しいから、逆に影が濃くなる。

 

道を進むと、やがて石の碑が見えた。

 

遠くからでも分かる。石の塊が、そこに“ある”。木よりも強く、花よりも動かず、何年も同じ場所に立つもの。私はその「動かなさ」に、足が少し重くなった。

 

碑の前には、すでに誰かが花を手向けてゐた。白い菊が数束、瓶に入れられてゐる。線香の匂ひが、微かに残ってゐた。

 

私は少し離れたところで立ち止まり、息を整へた。胸が早鐘を打つ。早鐘は恥ではない。恥ではないと自分に言ひ聞かせても、頬が熱くなる。私は何度も、自分の感情に「はしたない」と札を貼ってきた女だからだ。

 

石碑の文字が読めた。「大和」――その二文字が見えた瞬間、喉の奥がひゅっと鳴った。

 

大和。艦の名。国の名。沖縄で聞いた「ヤマト」の名。そして、今日、私が花を手向ける相手の入り口の名。

 

私は一歩、また一歩と近づいた。花束を抱へる腕が、少し震へる。震へるのを止めようとすると、余計に震へる。私は震へを受け入れることにした。震へるのは、まだ生きてゐる証だ。生きてゐる者だけが、震へて花を置ける。

 

碑の前に立つと、石は想像より大きかった。石は、無口だ。無口なのに、文字ははっきりしてゐる。文字がはっきりしてゐるほど、そこに刻まれたものが“動かない現実”として胸に落ちてくる。

 

私は花束をそっと置いた。置くとき、紙がかさりと鳴った。その音が、やけに大きく聞こえた。公園の子どもの声も、風の音も、その瞬間だけ遠のいた。私の耳が、紙の音に全神経を寄せたのだ。花を置く音は、三十年ぶんの遅れを取り戻す音に聞こえた。

 

私は合掌した。合掌の形は、母から教はった形だ。宗教といふより、生活の形。掌を合わせると、胸の中の言葉が少し整ふ。

 

――篤志さま。――来ました。――遅うなりました。

 

声には出さない。声に出せば、ここで崩れる気がした。崩れたくない。崩れたら、母のところへ帰れない。だから私は、胸の中でだけ言ふ。

 

合掌を解いたあと、私は碑の文字を見つめた。字の溝には、影が溜まってゐる。影が溜まるほど、字が深い。深い字は、海底の溝を思はせる。私は、字の溝に指を伸ばしさうになった。伸ばさうとして、手が止まった。

 

――触れていいのか。

 

触れると、私は何を受け取るのだらう。石の冷たさ。石の硬さ。動かぬ現実。

 

触れた瞬間、私の中の夢の温かさが砕ける気がした。砕けてもいい、とどこかで思った。砕けるほど、私は現実に立てるかもしれない。

 

私は、そっと手を伸ばした。

 

指先が石に触れた瞬間、冷たさが、骨へ入った。

 

石は、思った以上に冷たかった。春の昼の、日が差してゐるのに、石の肌は冷たい。冷たさは、鉄の欄干の冷たさとも違ふ。もっと深い冷たさ。水の底の冷たさに似てゐる。

 

私は指を引かず、そのまま掌を当てた。掌の中心が、石の冷えを受け止める。冷えが、じわじわと皮膚の下へ入り、腕を上ってくる。私は息を吸ひ、息を止めた。

 

そして、ふいに思ってしまった。

 

――これが、君の掌だ。

 

君の掌は、本当は温かかった。出撃前夜、私の手を包んだ掌は、若い男の熱があった。熱の中に、震へがあった。震へを隠すやうに、君は強く握った。「大丈夫」と言はずに、「行ってくる」と言って。言葉より先に、掌の圧が私へ残った。

 

その掌が、いまは冷たい。冷たい掌は、握り返さない。握り返さないのに、私は握られてゐる気がした。握られてゐるのは、私の記憶だ。記憶が、石に触れた瞬間、勝手に掌を作り出す。

 

石の冷たさは、君の掌の“不在”だった。不在を、私は掌で受け止めた。受け止めたとたん、胸の奥のどこかが、かすかに鳴った。ぱき、と小さな音。防人の歌の夜の夢の温かさが、少しだけひび割れた音。

 

涙が出さうになった。けれど私は泣かなかった。泣けば、冷たさが“悲しみ”だけになってしまふ。冷たさは悲しみだけではない。冷たさは、触れられる現実だ。触れられる現実は、私を支へる。支へるために、私は今日ここへ来た。

 

背後で、砂利を踏む音がした。振り向くと、年配の男が一人、帽子を手にして立ってゐた。作業着のやうな、しかしどこか整へた服。胸の辺りに、小さな記章が光ってゐた。

 

男は私を見て、軽く会釈した。私も会釈した。言葉は交はさない。言葉を交はさぬまま、同じ場所で手を合わせる――それが、この碑の礼儀なのだらう。

 

男は碑の前に立ち、ゆっくりと頭を下げた。そして、石に手を置いた。置いた手が、私の手と同じ場所に来た。同じ冷たさを、男も受け取ってゐるのだらうか。受け取ってゐるなら、この男にも、胸の中に誰かの掌があるのだらうか。

 

男が小さく言った。

 

「……寒いでしょう、石は」

 

私は一瞬、返事に迷った。寒い――と言へば簡単だ。けれど、私が感じてゐるのはただの寒さではない。

 

「……冷たいです」

 

と私は答へた。男は頷いた。

 

「冷たいのにね、触ってしまふ。……わしも、毎年触るんです」

 

毎年。その言葉が、私の胸にひっかかった。私は三十年、触れに来なかった。来なかった自分が、急に恥づかしくなりさうになった。

 

男が続けた。

 

「触ると、現実になりますけえね。……生き残ったほうは、現実にせんと、生きられん」

 

生き残ったほう。その言ひ方に、私は黙って頷いた。男の言ひ方は、英雄も英霊も言はない。ただ、生き残ったほう、と言ふ。生活の言葉だ。生活の言葉は、いつも私を現実へ戻す。

 

男は帽子をかぶり直し、もう一度会釈して去っていった。その背中を見送りながら、私はふいに思った。

 

――私は、今日ここで、ひとつ“遺族”になったのかもしれない。

 

戸籍の上では違ふ。世間の呼び名も違ふ。けれど、花を置き、石を触った。それだけで、私は胸の中の関係を、外の世界へ一歩だけ出した。

 

一歩だけでいい。二歩出れば、私はまた世間に切られる。けれど一歩だけなら、私の恋は私のまま守れる。

帰り道、公園の桜が少しだけ散り始めてゐた。

 

花びらが一枚、碑の石の上に落ちた。落ちた花びらは、石の冷たさの上で少しだけ震へ、やがて動かなくなった。動かなくなった花びらは、薄紅のまま、石の灰色に貼りついた。

 

私はその光景を見て、胸が少しだけ落ち着くのを感じた。石と花。冷たさと薄紅。その取り合わせが、私の三十年そのものだった。

 

駅へ戻るバスの窓から、港が見えた。灰いろの船。クレーン。工場の煙突。それでも空は春の色で、光が柔らかい。柔らかい光の中で、私は自分の掌に残る冷たさを確かめた。冷たさは、まだ消えない。消えないうちは、私は「来た」と言へる。

 

家へ帰ると、母が縁側に座ってゐた。房子が湯を沸かしてくれてゐるらしく、台所から湯気の匂ひがした。

 

「おかへり」

 

母は私の顔を見ると、ほっと息を吐いた。その息があるだけで、私はまた生活へ戻れる。

 

「……どうじゃった」

 

母の問いは、短い。短い問いの中に、三十年ぶんの心配が詰まってゐる。

 

私は花の包みの空を見せ、静かに言った。

 

「……置いてきた。触ってきた」

 

「触ったんかい」

 

「うん。……石が、冷たかった」

 

母はしばらく黙ってゐた。そして、ゆっくり頷いた。

 

「冷たいねえ。……冷たいけえ、花を置くんじゃ」

 

花は温い。花は、人の手の温度を一度受け取ってから、死者の側へ行く。花を置くとき、花は生きてゐる者の体温を覚えてゐる。だから花は、冷たさの上に温さの影を落とせる。

 

母の言葉は、私の今日を正しい場所に置いてくれた。私は湯呑を受け取り、湯を啜った。湯の温かさが喉を通ると、掌の冷たさが少しだけ薄れる。薄れても、消えない。消えない冷たさを、私は今夜、言葉に置く。

 

母が眠りについたあと、私は机に向かった。帳面を開き、鉛筆を握る。今日、花を初めて手向けた。石の冷たさが、君の掌になった。掌の不在が、私の掌に移った。

 

私は一首を書いた。

慰霊碑へ 初めて花を 手向けたり石の冷たさ 君の掌なり

書き終へると、私は自分の掌を見つめた。掌は、生きてゐる。生きてゐる掌で、冷たさを受け取った。受け取ったから、私はまた来年も、君へ花を置けるかもしれない。花を置くことは、終りではない。私の恋の、新しい“触れ方”だ。

 

窓の外で、電車の音がした。一定の音が、夜を通り過ぎる。音は続く。続く限り、私はまだ書ける。冷たさを抱へたまま、温い湯を沸かし、母の背をさすり、桜の季節を巡る。

第三十二章 昭和五十一年(1976) ひかりの翼

駅は、いつの間にか「町の顔」になってゐた。

 

昔の駅は、荷を運ぶ場所で、兵を送る場所で、別れの声がこだまする場所だった。いまの駅は、磨かれた床と、ガラスの壁と、エスカレーターの動きで、人を前へ前へ押し出す。「前へ」と押す力は、いつだって正しい顔をしてゐる。便利。発展。スピード。合理。その言葉は、油の冬を越えた町に、また勢ひを戻さうとしてゐた。

 

昭和五十一年の春、私はその「前へ」に、ひさしぶりに強く押された。

 

新幹線――ひかり。

 

白い車体が、海沿ひの町にも、もはや「珍しいもの」ではなくなりつつある。けれど私は、あの流線形の先頭を目にするたび、胸が少しだけざわつく。速すぎるものは、こちらの心を置き去りにする。置き去りにされた心は、置いていかれぬものへ縋りつく。

 

置いていかれぬもの――君。

発端は、教育委員会からの通知だった。

 

「県外研修(福岡)参加者 出欠確認」「山陽新幹線利用 日帰り可」紙の上の文字は、淡々としてゐる。淡々としてゐるほど、世の中の変化は大きい。

 

福岡。昔なら、福岡は「遠い」。瀬戸を渡り、夜汽車に揺られ、宿を取り、何日もかけて行く場所だった。いまは「日帰り可」。日帰りが出来るほど、距離が縮んだと言ふ。縮んだのは距離であって、心ではないのに。

 

職員室では、若い先生たちが声を弾ませた。

 

「先生、博多まで新幹線で行くんですよ。すごいですよね、三時間かからんって」「駅弁、何にします? 明太子弁当とかあるんですかね」「帰りにちょっと商店街寄れますよ」

 

寄れる。ちょっと。その軽さが、眩しくもあり、怖くもあった。私は、海へ沈んだ人の名を「ちょっと」で扱へない女だからだ。

 

けれど、出欠の欄に丸をつける手が、いつもより早かった。早かったのは、私が旅に憧れたからではない。新幹線といふ速さの中へ、一度自分を投げてみたかった。速さが、胸の底の重さを少しでも攫っていくのではないか――そんな期待を、私はまだ捨てきれない。

 

家へ戻り、母に言ふと、母は湯呑を置いて静かに頷いた。

 

「福岡……九州かい」

 

「うん。日帰りで行けるって」

 

母は鼻で小さく笑った。

 

「日帰りで九州。……ほんま、世の中は速うなったねえ」

 

速うなった。母の口から出ると、その言葉は、誉め言葉でも皮肉でもなく、ただ事実になる。

 

「母さん、留守、だいじょうぶ?」

 

「房子さんに頼んどきなさい。……それに百合」

 

母は、私の顔をじっと見た。

 

「速いもんに乗ってみい。……あんたの胸が、少しでも楽になるなら」

 

母は、私の胸の中の名前を口にしない。口にしないまま、全部を知ってゐる。知ってゐる人の「行きなさい」は、私の背をまっすぐにする。

 

私は房子に頼み、薬の順番を書いた紙を置き、母の枕元に湯のポットを置いた。出発の前夜、桜袋を懐に入れるか迷ひ、結局入れた。持っていけば重い。持っていかねば空になる。空になる怖さのほうが、私には勝った。

当日、早朝の駅はもう「旅の匂ひ」で満ちてゐた。

 

切符売り場の前の列。「みどりの窓口」といふ札。緑の札は、戦時の緑ではないはずなのに、緑といふ色が持つ「公」の匂ひが、少しだけ胸に引っかかった。切符は紙切れで、ただの乗車券だ。ただの乗車券なのに、私はそれを握るといつも、出征の切符の紙の感触を思ひ出してしまふ。紙は、記憶を吸ふ。

 

私は窓口で、言ひ慣れぬ言葉を口にした。

 

「……博多まで。指定席を」

 

窓口の男は手際よく切符を出し、機械的に言った。

 

「こちら、ひかり号、○号車○番です」

 

ひかり。光。光は、私にとって灯台の光であり、工場の火花であり、オイル灯の炎であり、――そして、帰らぬ船を待つ白い点だった。光と名のついた列車に乗れば、何かが変はるやうな錯覚がした。

 

ホームへ上がると、人が多い。サラリーマンの背広、学生の鞄、土産物の紙袋。女も多い。昔の旅は男のものだったのに、いまは女も「旅の顔」をして歩く。それが、戦後三十年の変化の一つなのだらう。

 

やがて、遠くから低い風のやうな音がした。風ではない。鉄が風を割って来る音だ。

 

ひかり号が、滑るやうに入ってきた。白い鼻先。窓の列。車体の側面に光る文字。人々が「おお」と息を吐き、身体が前へ寄る。速いものを前にすると、人は皆、子どもの顔になる。

 

私は、子どもの顔にならなかった。なれなかった。白い車体を見るほど、私の中では別の白が浮かぶ。坊ノ岬沖の泡の白。沈む艦の周りに立ったであらう白い泡。白いものは、いつも私の胸を二つに割る。

 

乗り込むと、車内は明るく、座席の布が新しい匂ひをしてゐた。窓が大きい。窓の外を見れば、すぐに町が流れていく。

 

発車ベルが鳴り、車掌の声が流れた。

 

「間もなく発車いたします。危険ですので――」

 

危険。その語が一瞬、戦時の「危険」と重なる。重なった瞬間に、車体が動き出した。動き出すと、私の身体は座席に押し付けられ、景色が後ろへ引かれていく。

 

速い。速いのに、音は思ったより静かだった。静かな速さは、余計に怖い。人は、静かなものほど深く飲み込まれる。

 

窓の外で、家々が線になり、田が緑の布になり、山の輪郭が滑っていく。目が追ひつかない。追ひつかないとき、人の心はどこへ行くか。

 

――追ひつかない。――追ひつかないものは、いつも君だ。

 

私は窓の外に目をやりながら、胸の内側に落ちていく感覚を確かめた。速さは、私を攫ってはくれない。速さは、私の「思ひ」の根を抜いてはくれない。むしろ、景色が流れるほど、胸の奥の一点が動かないことが、はっきりする。

 

動かない一点――海の底の君。

 

若い先生が隣で、弁当の包みを開けながら言った。

 

「先生、すごいですね。昔は九州って、ほんと遠かったんでしょう?」

 

「遠かったよ」

 

「ねえ。……でも、いまはこんな」

 

若い先生は笑った。笑ひながら、窓に映る自分の顔を見てゐた。若さは、自分の未来がまだ“速くなる”と思へる顔だ。私はその顔を見て、ふいに、篤志の横顔を思ひ出した。出撃前夜の、あの若い横顔。若い横顔は、未来の速さに乗れなかった横顔だ。

 

私は、弁当を口に運べなかった。口に運べないまま、湯呑の代りの紙コップの茶を啜った。茶の温かさだけが、現実の手触りを返してくれる。

 

列車は、広島を過ぎ、山口の方へ滑っていった。トンネルに入ると、一瞬、窓が鏡になる。鏡になった窓に、私の顔が映る。映った顔に、皺がある。皺の間に、二十五歳の百合がまだ隠れてゐるやうで、私は目を逸らした。

 

トンネルを抜けると、海が見えた。瀬戸内とは違ふ、少し荒い色の海。白波が立つ。白波を見ると、連絡船の年の「追ふ」といふ言葉が胸に戻る。追ふ。追ふことを、私はこの速さの中でも出来ない。出来ないから、追ふのは想像だけになる。

 

そのとき、ふと頭をよぎった。

 

――もし君が、生きてゐたら。――私たちは、このひかりに乗って、どこへ行っただらう。

 

新婚旅行。そんな言葉は、私には遠いままだ。けれど想像の中では、私は一度だけ許される。車窓の桜を見る。駅弁を分け合ふ。窓に映った二人の顔を見て笑ふ。笑ふ――といふ行為の軽さを、私は想像の中でだけ知ってゐる。

 

想像は甘い。甘いから、現実が痛む。

 

列車は、やがて博多へ着いた。「博多」の文字がホームに並び、人がどっと動き出す。人の流れは速い。駅は、速さの器だ。器の中で、人は考へる暇もなく歩かされる。

 

会場へ向かふ道の途中、私は一瞬だけ立ち止まり、空を見上げた。九州の空は広い。広い空の下で、私は思った。

 

――空は広くても、君は飛べない。

 

「翼」といふ言葉が、胸に刺さった。人は翼を手に入れた。飛行機。新幹線。高速道路。翼のやうなものを幾つも作って、距離を縮めていく。けれど、君の魂には翼がない。海の底へ沈んだ魂は、光の列車にも乗れない。

 

会場の研修は、例によって言葉が多かった。「教育の近代化」「視聴覚教材」「生活指導」――。皆が頷き、メモを取り、拍手をする。私は頷きながら、心の半分はずっと海の底へ沈んでゐた。速さの中で浮かび上がった「動かぬ一点」が、ここでも私を離さない。

 

帰りのひかりに乗るとき、私は疲れてゐた。疲れは、現実の重さだ。現実の重さがあるぶんだけ、私は夢へ流されない。

 

窓の外で、夕日が山の端を赤く染めた。赤は、製鉄の赤とも、夕焼けの赤とも、戦火の赤ともつかない。赤は、色の中で一番人の心をざわつかせる。私はその赤を見ながら、懐の桜袋を押さへた。薄紅は、赤ほど強くない。強くないから、私の恋には似合ふ。

家へ帰ると、母は縁側に座ってゐた。

 

房子が隣で湯を沸かしてくれてゐる。母は私の顔を見ると、ほっと息を吐いた。

 

「おかへり。……速かったかい」

 

「速かった。……ほんと、速かったよ」

 

母は、小さく笑った。

 

「速いのはええねえ。……でも、百合」

 

母の目が、私の胸のあたり――桜袋の場所へ、また一瞬だけ落ちた。

 

「速いもんでも、追ひつかんもんはあるねえ」

 

追ひつかん。母がその言葉を言ふとき、そこに篤志の名が隠れてゐる。名を隠して言へる優しさが、母の強さだった。

 

私は湯呑を受け取り、湯を啜った。湯の温かさが喉を通ると、博多の速さが少しずつ生活の中へ溶けていく。溶けていけば、旅は「出来事」ではなく「一日」になる。一日になれば、私はまた明日も母の背をさすれる。

 

夜、母が眠りについたあと、私は机に向かった。帳面を開き、鉛筆を握る。今日の速さは、眩しかった。眩しかったからこそ、君との距離の変はらなさが、はっきりした。

 

ひかりが駆ける。ひかりが駆けても、追ひつけない。追ひつけない相手は、海の底の君。翼なき魂。

 

私は、今年の一首を置いた。

新幹線 ひかり駆けても 追ひつかず君の魂は 翼なきまま

書き終へると、胸の奥が少し静かになった。速さは、私を救はない。けれど、速さが救はないことを知るだけで、私は少し賢くなる。賢くなれば、無闇に「前へ」に飲まれずに済む。飲まれずに済めば、私は私の歩幅で、君を抱へて生きられる。

 

窓の外で、遠く電車の音がした。一定の音。速くも遅くもなく、夜の町を通り過ぎる音。私はその音に耳を澄ましながら、次の年の雨を思った。梅雨の空の重さの中で、軍帽の紺がまた濃く揺れるやうな年が来る――そんな予感がした。

次のテーマ案(第三十三章・昭和五十二年/1977)

章題(案)

「社宅窓の紺」(※教員住宅=職員宿舎を、周囲が慣用的に「社宅」と呼ぶ設定にすると、これまでの“教師としての百合”と矛盾せず繋げられます)

核となる和歌(提示テーマ)

社宅窓 重たき雨を 眺むれば軍帽の紺 なお濃く揺るる

この章で描く“中心のテーマ”

「時が経つほど薄れるはずの記憶が、むしろ雨で“染まり直されて濃くなる”」

  • 雨=記憶を洗い流すのではなく、インクのように滲ませて“濃くする”

  • 窓=世界と自分の境界。百合は外の現代へ出られるのに、心は室内(過去)に留まる

  • “紺”=篤志の軍帽の色であり、同時に当時の規律・国家・沈黙の色(百合が抱えてきた価値観の色)

舞台の空気

  • 春〜梅雨〜初夏の長雨。室内に湿り気が溜まり、壁紙の匂い、濡れた傘、雨戸の軋みなど“重さ”で一年を始める。

  • 経済はオイルショック後の影が残り、街の明るさは戻っても、どこか人々の語気が慎重で、**「浮かれにくい時代の気配」**がある。

主な出来事(章の骨格案)

  1. 職員住宅の窓辺

    • 雨の筋、曇ったガラス、外の街灯の滲み。

    • 窓に映る自分の顔の上に、ふと“軍帽の庇の影”が重なって見える(錯視/記憶の投影)。

  2. 雨の通学・生徒たちの紺

    • 雨の中を歩く生徒(紺の制服、濡れた帽子)に、篤志の軍帽の紺がフラッシュバックする。

    • ここで百合は「戦争の紺」と「平和の紺」を同じ目で見てしまい、自分の記憶が“今”を侵す怖さを自覚する。

  3. 母の咳と湿気

    • 湿気で母の咳が長引く。百合は薬・湯・背中をさする生活に戻る。

    • “守る”が戦時の言葉ではなく、生活の言葉として確かになる(守れなかったもの/守れるものの対比)。

  4. 雨音の夜、軍帽の紺が濃く揺れる瞬間

    • 雨が一番重くなる夜、灯の下で桜袋の刺繍糸が湿気を吸い、色が深く見える。

    • それが“紺”の連想を呼び、**「薄れるどころか、濃くなる」**という逆説に着地する。

モチーフ(繰り返し出すと効く小道具)

  • 窓ガラスの曇り(境界/未練/呼吸の跡)

  • 紺の色(軍帽→制服→雨に濡れた布→夜の海)

  • 湿った紙(1967の“乾かぬ恋文”と響かせる)

  • 雨戸・雨樋の音(外界の重さ、心の重さのリズム)

百合の内面の到達点(この章の“結び”)

  • 百合は「忘れられない私」を責めるのではなく、


    忘れられなさが“生き残った者の責務”でもあると、半歩だけ受け入れる。

  • ただし、受け入れは美談ではない。雨の重さのように、重いまま抱えて生きるという静かな覚悟。

第三十三章 昭和五十二年(1977) 社宅窓の紺

雨は、音で重さを見せる。

しとしと――は、やさしい。ぱらぱら――は、軽い。けれど、昭和五十二年の梅雨の雨は、やさしくも軽くもなかった。

どん、どん、と言っている。屋根を叩く、といふより、家を押しつけてくるやうに。雨樋がたぷたぷと息をして、溜まった水が一度に吐き出される。吐き出されるたび、家の中の空気まで揺れる。

私はその音を、社宅の窓辺で聞いてゐた。

社宅――といふと、誰かの会社に属する人の住まひのやうだが、私の住まひは、学校の職員住宅だった。けれど近所はいつの間にか、それを社宅と呼ぶ。呼び名が変はるだけで、人の暮らしは少しだけ別のものに見える。

学校は、職員が交替する。校長も替はる。子どもは卒業する。この町の景色も、少しずつ替はる。だから、建物の呼び名くらゐ、あっさり替はるのだらう。

職員住宅は、旧い木造の長屋だった。廊下が外にあり、雨の日は戸を開けるだけで湿気が入る。隣の家の咳が聞こえる距離。台所のまな板の音が聞こえる距離。畳に座ると、柱の節目が目に入る距離。暮らしの距離が近い家は、便利なやうで、心が薄くなることもある。

薄くなるはずの心が、雨の日だけは逆に濃くなる。濃くなるものは、いつだって君の色だった。

引っ越したのは春の終りだった。

母の身体が弱って、冬の寒さがこたえるやうになり、私は少しでも日当たりの良いところへ移らせたかった。古い家は風が通りすぎる。通りすぎる風は、母の咳を連れていくどころか、胸の奥を刺激する。

「社宅はいやじゃ」

と母が言ったのは、最初だけだった。いや、と言ふ声が、あまり強くなかったのが救ひだった。母は、私の都合と母の身体の都合が、もう切り離せないことを知ってゐる。

「隣が近いのが、いやじゃねえ」

母はそう言った。隣が近いのは、よそへ気を遣ふ。気を遣ふと、咳が増える。咳が増えると、私が心配する。私が心配すると、母もまた苦しくなる。母は、その循環を嫌がってゐた。

けれど、母は最後にこう言った。

「百合、あんたが通いやすいほうがええ。……わたしは、どこでも寝るけえ」

どこでも寝る――それは、戦後の女の言葉だった。焼け跡でも寝た。疎開先でも寝た。親戚の座敷でも寝た。寝ることで、生き残った。母の「どこでも寝る」には、あの時代の体温が残ってゐた。

私は荷をまとめ、職員住宅へ移った。母の箪笥。薬の箱。湯呑。布団。それから、私の机と帳面と、桜袋。持っていけるものだけを持っていくと、人生が急に小さく見えた。小さく見えて、なお、心の中の海だけが大きい。

長屋の廊下を歩くと、隣の家の女が、洗濯物を取り込みながら言った。

「先生、引っ越し? お母さん、具合悪いん?」

私は笑ってごまかした。

「ちょっとね。……日当たりがええけえ」

女は、余計なことは言はずに頷いた。戦後を越えてきた女は、他人の家の事情に深入りしない。深入りしないのは冷たいからではない。深入りすれば、自分の暮らしが揺れることを知ってゐるからだ。

私はその“深入りしない優しさ”に、いつも救はれる。そして同時に、少しだけ寂しくもなる。君のことを話せる相手が、結局どこにもゐないことを、思ひ知らされるから。

梅雨が来ると、社宅はすぐ湿った。

畳が、ふわりと重くなる。押し入れの奥の布団が、少しだけ黴の匂ひを持つ。母は咳をし、私は湯を沸かす回数が増える。湯気が家の中を満たし、湿気がさらに増える――そんな矛盾の中で、生活は回る。

朝、窓を開けても、風が入らない。雨が空気ごと押し返してくる。窓ガラスには、外の灰いろが貼りついて、世界が薄い紙の向うにあるやうに見える。

私はその窓の前に、よく立った。

立って、雨を眺める。眺めるといふのは、何もしてゐないやうで、実は胸の中の整理に一番役立つ。動けば、感情が散る。散った感情は、拾ひきれずに残り、夜に戻ってくる。だから私は、雨の日はなるべく動かず、窓を見てゐる。

窓の外で、雨がまっすぐ落ちる。落ちる筋が見えるほど、雨は重い。重い雨は、まるで、時代の重さが形になったみたいだった。

この頃、テレビでは政治の話がよく流れる。汚職だの、金だの、責任だの。言葉はいつも大きいのに、どれも薄い。薄い言葉が、雨の日の空気に溶けて、ますます薄く感じる。薄い言葉は、胸の中の濃いものを呼び起こす。

濃いもの――軍帽の紺。

学校の梅雨は、子どもが騒ぐ。

靴下が湿り、机の下が蒸れ、窓が曇る。廊下の床が滑り、転ぶ子が出る。私は声を張り、「走らない」と繰り返す。走らない。走るな。落ち着け。その命令が、自分の胸へも向けられてゐるのが分かる。

昼休み、廊下の端で、男子が紺の帽子を振り回して遊んでゐた。雨に濡れた帽子は、色がいっそう深く見える。紺が濃い。濃い紺が、ふいに視界の中で揺れた瞬間、私は息を止めた。

軍帽の庇。あの庇の影。出撃前夜、灯の下で一瞬だけ見えた、君の目の疲れ。疲れを隠すやうに、あなたは帽子を深くかぶった。深くかぶることで、「大丈夫」を装った。装ったまま、あなたは行った。

「こら、帽子、投げんよ」

私はできるだけ平らな声で言った。子どもは「はーい」と返事をして、帽子をかぶり直した。かぶり直す仕草が、きちんとしてゐる。今の子どもの帽子は、ただの校則の帽子だ。ただの校則の帽子が、私の目には軍帽のやうに見えてしまふ。

怖い。怖いのは、戦争が戻るからではない。私の記憶が、今を勝手に戦争へ変へるからだ。

教室に戻ると、窓が曇ってゐた。子どもが指で曇りを拭ひ、ガラスに落書きをしてゐる。指の跡が、線になる。その線の中に、外の雨が滲む。滲む雨は、昔、乾かぬ恋文の年のインクの滲みに似てゐる。

私は思ふ。

忘れるといふのは、きっと、乾くことだ。乾けば、線は薄くなる。けれど、雨が続くと、線はむしろ濃くなる。濃くなるから、消えない。

家へ帰ると、母は窓の近くで座ってゐた。

雨の日の母は、窓を見る。窓を見る母の横顔は、沖縄で見た年配の男が木札を整へる姿に似てゐる。静かで、言葉が少ない。言葉が少ないから、重い。

「母さん、寒うない?」

「寒いことはない。……湿っぽいねえ」

母は咳をひとつした。咳が湿ってゐる。私は湯を沸かし、薬をのませ、背をさすった。背をさする掌が、いつもより湿気を感じる。湿気は皮膚にも記憶にも貼りつく。

「百合」

母がぽつりと言った。

「雨は、嫌いかい」

嫌い――と聞かれて、私はすぐ答へられなかった。嫌いではない。雨は、焼け跡を冷ました。雨は、闇市の匂ひを流した。雨は、恋文の年に、私の手を動かした。雨は、幾つもの年で、私を生かした。それでも雨は、記憶を濃くする。濃くするから、時々息が出来なくなる。

「……嫌いじゃないよ。……ただ」

「ただ?」

「ただ、雨の日は、昔が近うなる」

母は頷いた。頷きながら、母の目は窓の外の雨を見てゐた。

「近うなるねえ。……わたしも、父さんの声を思ひ出す」

父の声。母にもまた、声がある。母にもまた、取り返せない声がある。私はその事実に、胸が少し温かくなるのを感じた。一人だけが抱へてゐるのではない。抱へてゐる者は、皆、同じ雨の下にゐる。

母が続けた。

「けど、雨が降らんと、畑も乾く。……雨は、必要じゃ」

必要。母の言葉は、いつも生活の底へ落ちる。雨の意味を、美談にも悲劇にもせず、必要として置く。その置き方が、母の強さだ。

私は母の背をさすりながら、ふいに思った。君の死も、必要だったのだらうか。そんな問いを立てた瞬間、自分の頭を叱りたくなった。必要な死などない。必要な死などないのに、国はそれを必要と言って若者を送った。その言葉の刃を、私はまだ恨んでゐる。

恨んでゐるのに、年を重ねるほど、恨みは薄まらず、むしろ静かな色を増す。紺のやうに。黒ではなく、青でもなく、深い紺。

ある夕方、雨が一番重く降った。

帰宅して傘を立てかけ、濡れた靴下を替へ、母に湯を渡し、やっと一息ついた。窓の外は灰いろで、街灯が薄い輪を作ってゐる。輪の中に雨が落ち、光が滲む。

私は窓の近くに座り、桜袋を取り出した。刺繍糸は、湿気のせいか、いつもより色が深く見えた。薄紅の糸が、少しだけ濃くなる。濃くなった薄紅は、夜の中で妙に生々しい。

そのとき、窓ガラスに自分の顔が映った。暗い部屋の中で、ガラスは鏡になる。鏡になったガラスの中で、私の頬の線がはっきり見える。その線の上に、外の雨の筋が重なる。

雨の筋は、軍帽の庇の影に似てゐた。影が揺れる。揺れる影が、紺の色を呼び起こす。

――軍帽の紺。

私は息を吸ひ、吐いた。吐く息がガラスを曇らせ、曇りに自分の指が触れる。指の跡が、また線になる。線が、また濃くなる。濃くなるほど、君の姿が近づく。

近づいてほしいわけではない。近づけば、私は壊れる。壊れたくない。けれど、近づくことでしか、自分の中の君を確かめられない。

私は窓の外の雨を見つめた。雨は重い。重い雨は、記憶を洗ふのではなく、染め直す。染め直して、忘れたはずの色を濃くする。

濃くなった紺は、出撃前夜の君の帽子だけではない。遺族会の男の帽子。沖縄で見たフェンスの向うの軍服の色。教室の子どもの制服の紺。そして、私自身の「沈黙」の色。

戦後、女は声を出すやうになったと言ふ。自由に恋を言ふ女も増えたと言ふ。けれど私は、まだ声の出し方を知らない。知らないから、雨の日にだけ胸が勝手に喋り出す。

私は窓から離れ、机に向かった。鉛筆を削る。削る音が、雨音に混じって小さく響く。帳面を開くと、紙が湿ってゐる気がした。湿ってゐるのは紙ではなく、私の指先かもしれない。

私は、今年の言葉を探した。社宅の窓。重たい雨。軍帽の紺が濃く揺れる。

“濃く揺れる”――それは、忘れられないといふことだ。忘れられないことは、弱さではない。弱さだと教へられてきたけれど、弱さだけでは三十年以上も生きられない。忘れられないことは、責めではなく、私の形だ。

形として置く。置けば、母の背をさすれる。子どもに「走るな」と言へる。夜、息を整へて眠れる。

私は鉛筆を動かした。

社宅窓 重たき雨を 眺むれば軍帽の紺 なお濃く揺るる

書き終へると、雨音が少しだけ遠くなった気がした。遠くなったのは雨ではない。私の胸の中で、紺の色が「今年の場所」に収まったのだ。

窓の外では、雨がまだ落ちてゐる。落ちる雨は止められない。けれど、落ちる雨の中で私は呼吸が出来る。

重たい雨が降るたび、軍帽の紺は濃く揺れる。揺れることを、もう責めない。揺れるまま、生活を回す。それが、生き残った女の、静かな仕事だ。

第三十四章 昭和五十三年(1978) 塩の痕

梅雨が明けると、世界は急に乾く――はずなのに、今年の夏は、乾くより先に焼けた。

朝の空が、もう白い。白い空の下で、家の屋根も、道のアスファルトも、草の葉先も、みな同じやうに光を受けて、目が痛む。蝉は、まだ本調子ではない癖に、こちらの耳を試すやうに鳴く。鳴いて、黙って、また鳴く。息を合わせるでもなく、ただ暑さに背中を押されて出てくる声だ。

社宅の小さな台所で湯を沸かしてゐると、鍋の湯気より先に、私の額に汗が浮いた。汗は、ひと雫が出来ると、あとは遠慮なく増えていく。首すじを伝り、背中へ落ち、腰のあたりに溜まる。溜まる汗は、布を重くする。布が重くなると、心まで重くなる。

「百合……暑いねえ」

奥の部屋から、母の声がした。声が、すでに少し息を含んでゐる。暑さは、咳を増やすほどではないが、胸の奥を鈍くする。母の胸の奥が鈍くなると、私は無意識に湯呑を早く差し出してしまふ。

「冷たいの、飲む?」

「冷たいのは、喉がびっくりするけえ。……ぬるいのでええ」

母は、暑いのに、冷たいものを欲しがらない。戦後、冷たいものは贅沢で、身体に悪いと言はれてきた世代の、頑固さだ。頑固さといふより、身体が知ってゐる。急な冷えが、あとで咳を呼ぶことを。

私は湯を少し冷まし、麦茶を作り、母の枕元へ持っていった。母の手は薄い。薄い手に湯呑を渡すとき、私はいつも思ふ――この手の薄さが、私の三十年なのだと。

縁側の窓を開けても、風は入らない。入らないどころか、外の熱が、室内へ押し返してくる。熱は、押し入る。押し入られた熱は、畳の匂ひを濃くする。濃くなった畳の匂ひが、戦後の長い夏の匂ひと重なり、胸が一瞬だけきゅっと縮む。

――今年の夏は、容赦がない。

そんな言葉が、喉の奥で勝手に形になった。

学校は夏休みに入っても、教師の足は止まらない。

研修があり、会議があり、学級の記録を整理し、二学期に備へて掲示物を作り、机の傷を見つければ用務員さんと相談し、草が伸びれば刈らねばならぬ。「子どもが休みでも先生は休みじゃないのね」と近所の女は笑ふが、笑ひながらも、どこかで“教師は働くもの”と決まってゐる。女が働くことが当たり前になったとは言ふが、女が働くと、家は誰が回すのか――といふ問いは、いつも女の背中に貼りついてゐる。

私は朝、母の薬を並べ、房子さんに「何かあったら」と声をかけ、弁当――と呼ぶほどのものではない握り飯を作り、学校へ向かった。

学校の裏庭で、用務員の田島さんが草刈り機を出してゐた。昔は鎌で刈ってゐた草を、いまは機械が唸って刈る。機械は便利だが、音が大きい。大きい音は、どこか命令の音に似る。私は、機械の唸りに、いまだに身構へる癖が抜けない。

「先生、きょうは暑うなりそうじゃ。水、よう飲んで」

田島さんが言った。田島さんの腕は日に焼け、汗が光ってゐる。その汗の光り方が、海の上の照り返しに似てゐて、私は目を細めた。

「手伝うことある?」

「ええよ、ええよ。……でも、こっちの雑巾がけだけ、頼めるかね。廊下、ねちゃねちゃするけえ」

夏の廊下は、湿気で足裏に貼りつく。拭かなければ、子どもが滑る。滑って転べば、親は学校へ言ふ。親が言はなくても、こちらの胸が痛む。

私は古い「作業着」を更衣室で引っ張り出した。青みの強い紺。襟のあたりが少し擦れて白くなり、背中に小さな穴もある。この作業着は、学校の備品のやうに扱はれてゐるが、たぶん誰かが持ち寄ったのだらう。女の職場には、さういふ「誰のものでもないもの」が生まれる。誰のものでもないから、誰かが使ふ。誰かが使ふから、暮らしが回る。

作業着に腕を通すと、布が肌に貼りついた。汗がすでにゐる。汗がゐる布は、最初から重い。

私はバケツに水を汲み、雑巾を絞った。絞ると、掌の筋が浮き、指が白くなる。絞った水が床へ落ち、そこに夏の匂ひが立つ。ワックスの匂ひ。汗の匂ひ。古い木の匂ひ。

廊下を一筋拭くたび、背中の汗が増えていった。拭いても拭いても、乾くより先に汗が落ちる。汗は、こちらの仕事の成果をすぐ塗り替へる。塗り替へるくせに、汗がなければ人は働けない。矛盾が、夏の身体にははっきり見える。

額から汗が落ち、目に入った。しみる。しみると、涙が出る。涙が出ると、またしみる。私は瞬きをして、手の甲で目の端を拭いた。

そのとき、舌の先に、しょっぱさが来た。汗が唇へ落ちたのだ。汗は、塩辛い。

塩辛い――その味が口に入った瞬間、胸の奥の海が動いた。

昼すぎ、校庭の草刈りが一段落すると、田島さんが木陰で麦茶を配った。紙コップに注がれた麦茶はぬるい。ぬるいのに、喉へ落ちると身体が少しだけ戻る。

「先生、海でも行きたいのう。こんな暑いと」

誰かが言った。若い体育の先生だ。若い先生は、汗の乾きが早い。肌がすぐ次の涼しさを引っ張ってくる。私はその若さを眩しく見る。

「海ねえ……」

私は曖昧に笑った。海は、行きたい場所ではない。海は、思ひ出の場所ではない。海は、墓だ。

けれど、口に出して言へる言葉ではない。言へば、場が止まる。止まった場の空気は、私を刺す。だから私は笑って、麦茶を啜った。ぬるい麦茶の奥に、やっぱり塩の味が残ってゐた。汗の塩だ。

体育の先生は、紙コップを捨てながら言った。

「先生、唇、しょっぱくないですか。汗で」

「……しょっぱいよ」

私はそれだけ言った。“しょっぱい”といふ日常の言葉に、私は胸の奥で別の意味を載せてゐる。載せてゐることを、誰にも見せない。見せないのが、女の生き方だった。見せないことで、家を守り、職場を守り、老いた母を守ってきた。

けれど、その日だけは、ふいに思ってしまった。

――しょっぱさは、私の中の海だ。

夕方、家へ戻る道は、まだ熱かった。

アスファルトが昼の熱を抱へ、靴底からじわじわ上がってくる。社宅へ着くと、縁側に母が座ってゐた。団扇をゆっくり動かしながら、私の顔を見た。

「おかへり。……えらい汗じゃ」

「掃除したけえね。……草刈りも」

母は小さく頷いた。母の頷きには「偉い」といふ褒めはない。ただ「そうか」といふ受け止めがある。受け止めがあるだけで、私は十分だ。

私は母の薬を用意し、麦茶を足し、背中をさすった。さすりながら、自分の作業着の背中が汗で冷えていくのを感じた。冷えていくと、急に身体がだるくなる。汗は、出てゐる間は熱を逃がすが、乾き始めると人を冷やす。冷えると、咳が増える。母も私も、それを知ってゐる。

「風に当たりすぎんで。……着替ええ」

母が言った。言ひ方が、若いころの母の言ひ方に戻ってゐた。母が私を“娘”として叱れるうちは、まだ生きてゐるのだと思へる。

私は洗面所で顔を洗ひ、作業着を脱いだ。脱ぐと、布が肌に張りついていたぶんだけ、肌が空気を欲しがる。肌は空気を吸ひ、汗が少しずつ引いていく。引いていく汗のあとに、白い筋が残った。塩の筋だ。

作業着をたらいで軽くすすぎ、洗濯機へ入れた。洗濯機は古い。脱水のとき、少し唸る。唸る音が大きくなると、私はすぐに手を止めて様子を見る。壊れたら困る。壊れたら、直す金も、買ひ替へる余裕もない。母の薬が先だ。生活の優先は、いつも女の手で決まる。

洗濯を終へ、外へ干す。社宅の裏手の物干し台は、陽がよく当たる。夕方でも、まだ「炎天」の名残がある。布団を干すと、布団が焼けるやうに熱くなるほどだ。

私は濡れた作業着を竿にかけ、ぱん、と叩いた。叩くと水滴が飛び、布が少しだけ軽くなる。軽くなっても、色は濃いまま――濡れた紺は、まるで深海の色みたいだった。

深海の色。その言葉が頭に浮かんだ瞬間、私は手を止めた。

竿にかかった作業着は、風に少し揺れた。揺れる紺。去年の雨の章で見た、軍帽の紺の揺れ。同じ揺れが、ここにもある。

違ふのは、匂ひだ。作業着は汗の匂ひがする。汗の匂ひは、生きてゐる匂ひだ。軍帽の匂ひは、もう記憶の匂ひになってしまった。

私は竿の下に立ち、作業着の背中をじっと見つめた。乾き始めた布の上に、白い痕が浮かんでゐる。汗が乾いて残った、塩の痕。肩口、脇のあたり、背中の中央。白い筋が、まるで波の泡のやうに残ってゐた。

白い塩。白い泡。白い航跡。白い花びら。石碑の上に落ちた薄紅の花びらが、冷たい石の上で震へて動かなくなったあの春を、私は思ひ出した。

塩は、海にある。塩は、汗にもある。塩は、涙にもある。

私は、自分の唇をそっと舐めた。まだ、しょっぱかった。しょっぱさは、今日一日の働きの味だ。そして同時に、海の味だ。

――君の眠る海。

その思ひが胸へ来た途端、目の奥が熱くなった。熱くなると、涙が勝手に出る。涙が出ると、頬を伝る。伝った涙が唇へ来る。唇で、またしょっぱさを知る。

涙も、しょっぱい。

私はその瞬間、妙に可笑しくなった。可笑しいといふより、逃げ場のなさがはっきりして、笑ふしかない気持ちになった。

海の塩から逃げたくて陸に生きてゐるのに、陸で汗をかけば、同じ塩が出る。同じ塩が出るから、私は海を思ふ。海を思へば、涙が出る。涙も塩辛い。

どこへ行っても、塩が追ひかけてくる。

――私は、海を身体の中に持ったまま生きてゐる。

そう思った。海を持ったまま生きてゐるのは、苦しい。けれど、海を持ったままだから、私は君を忘れずに済む。忘れずに済むことが、救ひなのか罰なのか、私はまだ分からない。分からないままでも、塩の痕は、作業着の上に正直に残る。

背後で、母の咳が聞こえた。私は慌てて涙を拭いた。母の前で泣くのは、まだ“はしたない”と感じてしまふ。感じてしまふ価値観が、私の中に残ってゐる。残ってゐるから、私は泣くとき、いつも一人になる。

母のところへ戻ると、母は団扇を止め、私を見た。

「……百合、どした」

「なんでもない。……汗が目に入っただけ」

嘘だと分かってゐる顔を、母はした。けれど母は追及しない。追及しないことが、母の優しさだ。戦後の女は、追及しないことで家を守った。守るための沈黙は、時に温かい。

母は、ただ言った。

「汗は、しょっぱいねえ」

私は頷いた。

「……しょっぱい」

母は湯呑を持ち、麦茶を一口飲んだ。

「海も、しょっぱい。……百合、あんたは、海を思うね」

思ふ。思ふ、としか言へない。思ふ、と言ふ言葉の中に、三十年以上の年月が詰まってゐる。詰まりすぎて、言葉が軽く見えるのが悔しい。

私は母の背をさすり、薬をのませ、蚊取り線香をつけた。蚊取り線香の匂ひは、夏の匂ひだ。夏の匂ひの中で、私はまだ生きてゐる。生きてゐるから、汗をかく。汗をかくから、塩が出る。塩が出るから、海を思ふ。

循環から逃げられないなら、私はそれを言葉に置くしかない。

夜、蝉の声がやっと本気になり、窓の外で鳴き続けた。熱はまだ壁に残り、扇風機が唸る。扇風機の唸りが大きくなると、私はふいに手を伸ばして、首の角度を変へる。古い機械は、機嫌を取らねば動かない。機嫌を取るのは、女の仕事になりがちだ――と、私は苦く笑った。

机に向かい、帳面を開いた。昼間の炎天の白さが、まだ目の裏に残ってゐる。物干し竿に残った白い塩の痕が、まだ胸に残ってゐる。その白が、坊ノ岬沖の泡の白と重なる。

私は鉛筆を握り、息をひとつ吐いた。吐く息は、もう塩辛くない。けれど、頬の奥に、今日のしょっぱさが残ってゐる。

私は、今年の一首を書いた。

炎天に 干す作業着の 塩の痕海を想へば 涙もしょっぱし

書き終へた瞬間、胸の奥が少しだけ静かになった。静かになったのは、海が遠のいたからではない。海を、今年の場所に置けたからだ。塩の痕を、紙の上に移せたからだ。

窓の外で、扇風機の風に乗って、どこかの家の洗濯物がぱたぱたと鳴った。同じ町の、同じ夏の音。生きてゐる音。生きてゐる音の中で、私は明日の洗濯も、明日の湯も、明日の咳も受け止める。

そしてきっと来年、扇風機も洗濯機も、また故障を始めるだらう。古い機械は、直しながら使ふしかない。直しながら使ふ自分の身体も、同じやうに古くなる。

第三十五章 昭和五十四年(1979) 年代機

「また、止まった」

 

と口に出した声が、台所の壁にぶつかって戻ってきた。戻ってきた声は、湿気を含んでゐて、どこか疲れて聞こえた。

 

洗濯機が、脱水の途中で唸りをやめてゐた。水の匂ひと、洗剤の匂ひと、古いモーターの熱い匂ひが、ひとつに混じってゐる。濡れた作業着が、桶の中で重たく沈み、布の重さが、まるで「暮らし」そのもののやうだった。

 

脱水のスイッチをいったん切り、もう一度入れる。——うん、と一度だけ低く鳴って、すぐ沈黙する。

 

沈黙は、機械の沈黙なのに、私はなぜか「人の沈黙」と同じやうに受け取ってしまふ。返事がない。返事がないのに、こちらだけが待ってゐる。待つ、といふ姿勢だけが残る。

 

私は、ため息を呑み込んだ。呑み込む癖は、戦後ずっと抜けない。ため息まで声にしたら、家の空気が壊れてしまふ気がする。壊したくないから、呑む。

 

母の部屋の方で、咳がひとつした。私はすぐに手を止め、耳を澄ませた。咳は続かない。続かないだけで、私はほっとする。母の咳は、いまの私の暮らしの「時計」だ。咳が増えれば季節が変はり、薬が変はり、夜の起きる回数が増える。

 

洗濯機の沈黙は、その時計の針を乱す。

 

「……ええ加減にしておくれよ」

 

私は、洗濯機に向かって小さく言った。叱ると言ふより、頼む声だった。機械に頼む女。それが昭和五十四年の私だ。

この洗濯機は、もう十年以上前のものだった。

 

結婚した夫婦が「新しいのに替へたけえ」と言って、知り合ひづてに回ってきたものを、私はありがたく貰ひ受けた。ありがたく——といふのは本心だ。当時、女が一人で暮らしを立てるには、何もかもが足りなかった。足りないものを埋めるのは、金ではなく、人の縁と、恥をかいて頼る勇気だった。

 

私は恥をかいた。恥をかいて、洗濯機を貰ひ、扇風機を貰ひ、古い箪笥を貰ひ、鍋を貰ひ、布団を継いで使った。継いで使ふ、といふのは貧しさの証しでもあるが、同時に、戦後の女たちの知恵だった。

 

いま、世の中は「買ひ替へ」が当たり前になりつつある。テレビでは、白い家電が並び、ピカピカした台所が映り、モデルのやうな女が笑ってゐる。笑ってゐる女は、洗濯機の沈黙に腹を立てたりしない。腹を立てる前に、買ひ替へる。買ひ替へることが、明るい暮らしの証明みたいに語られる。

 

けれど私は、買ひ替へるといふ言葉を口にしただけで、胸が少し痛む。まだ動くものを捨てることが、どうしても出来ない。出来ないのは、金が惜しいからだけではない。「捨てる」といふ行為が、私にとっては、いつだって何かの終りに繋がってしまふからだ。

 

終りは、嫌だ。終りを受け取ると、君のことまで終りにしてしまひさうで怖い。

 

私は桶に両手を入れ、濡れた作業着を掴んだ。布は重く、指の間から水が落ちる。私は歯を食ひしばり、捻るやうに絞った。腕の筋が痛む。痛むと、身体が「年」を主張する。年は、隠しても隠しきれない。

 

絞った水が、ぼたぼたと落ちる。その音が、まるで雨樋みたいに一定で、私はふいに去年の梅雨の重たい雨を思ひ出した。社宅窓の紺。重たき雨。なお濃く揺るる。

 

雨で濃くなるのは記憶だけではない。錆も濃くなる。塩の年の夏に見た白い痕が、金具の隙間に入り、じわじわと赤茶けた色を作る。汗の塩が、機械の鉄を朽ちらせる。朽ちらせるのは、鉄だけではない。人の関節も、同じやうに塩と時間で軋む。

 

桶の水の匂ひの中で、私は思った。

 

——直せるだらうか。——直して、また動くのだらうか。

 

直す。直すといふ言葉は、昔は「繕ふ」に近かった。破れたところを糸で塞ぎ、ほころびを隠し、穴を小さくする。穴を小さくして、また暮らしを続ける。戦後すぐ、私は裁ち板に針を踊らせ、縫ふ桜を布に咲かせた。布を繕ふことが、自分の心を繕ふことに似てゐた。

 

いまの「直す」は、ねじと油と電気の言葉になった。それでも本質は同じだ。壊れたところをそのままにしない。そのままにすれば、暮らしが止まる。暮らしが止まれば、母の薬も、私の仕事も、君を呼ぶ年の歌も止まる。

 

止めたくない。だから私は、直す。

修理は、電気屋の畑中さんに頼むことにした。

 

畑中さんは、駅前の小さな電器店の主で、昔からこの町の家電を直してきた男だ。「買ふ」のが当たり前になる前の時代、電気屋は「直す」ことで暮らしを支へた。直す職人の手は、言葉が少ない。言葉が少ないところが、私は好きだった。言葉が少ない人は、他人の心を安易に切らない。

 

電話をかけると、畑中さんは少し困った声をした。

 

「先生とこか。……ああ、洗濯機? うーん、あれ、もう年代もんじゃろ」

 

年代もん。その一言が、胸へきた。

 

年代もん——古い。古いものは、価値があると言ふ。骨董だの、味だの。けれど、暮らしの道具が古くなるのは、「価値」より先に「不安」になる。止まるかもしれない。動かなくなるかもしれない。その不安が、女の背中へ乗ってくる。

 

「……来てもらへる?」

 

「行くけどねえ。部品があるかどうか。最近は、メーカーも古いのは……」

 

メーカー。部品。ない。その言葉が、私にはいつも“届かぬ人”の話に聞こえる。

 

——部品がない。——戻る道がない。——連絡がつかない。

 

畑中さんは、最後に少し声を柔らかくした。

 

「まあ、見てみんと分からん。今日の夕方、寄れるけえ」

 

「お願いします」

 

電話を切ったあと、私は母の部屋へ行って、湯呑を替へた。母は窓の外を見てゐた。夏の日差しが、障子の紙を薄く透かし、部屋の中まで白い。

 

「洗濯機、また止まったんかい」

 

母は、聞かなくても知ってゐるやうに言った。母は暮らしの音で判断する。洗濯機の唸りが無ければ、止まったと分かる。音で暮らしを読む力は、戦後の女の力だった。

 

「うん。畑中さん呼んだ」

 

母は小さく頷いた。

 

「直せるとええねえ。……買へばええのに、と言ふ人もおるだらうけど」

 

母の口から「買へばええのに」が出ると、私は少し驚く。母は、買ふことに慣れてゐない世代なのに、世の中の流れを知ってゐる。

 

「……買へば楽なんかもしれん。でも、まだ——」

 

「まだ、捨てたくない」

 

母が私の言葉を先に言った。言はれて、私は息を呑んだ。

 

母は、私の胸の中の「捨てたくない」が洗濯機だけの話ではないことを知ってゐる。知ってゐるのに、責めない。責めずに、ただ言葉にして置く。それが母の慰め方だ。

夕方、畑中さんが工具箱を提げて来た。

 

工具箱は黒く、角が擦れてゐる。擦れは、年月の証しだ。畑中さんの手も、同じやうに擦れてゐる。爪の間に、油の黒が少し残る。その黒は汚れではなく、仕事の色だ。

 

「さて……」

 

畑中さんは洗濯機の蓋を開け、底の水を覗き、耳を近づけた。機械に耳を近づける姿は、医者が聴診器を当てる姿に似てゐる。機械も、胸を持つのだと思ってしまふ。胸があるから、息をする。息が詰まれば、止まる。

 

畑中さんは背面の板を外さうとした。ねじが錆びて固い。ねじが固いと、回らない。回らないねじを前にすると、私はいつも人生を思ひ出す。回らない時間。戻らない年。

 

畑中さんは「こりゃ固い」と言って、油を一滴落とし、しばらく待った。待つ時間が、仕事の中にちゃんとある。待つことは無駄ではない。待つことで、回るようになる。待つことでしか解けないものがある。その当たり前を、私は忘れがちになる。私は待つ女だったはずなのに、いまは待つことに疲れてゐる。

 

畑中さんがねじを回し、板が外れた。中から、古いベルトと、ほこりと、少しの錆が見えた。

 

「ほれ。ベルトが緩んどる。これじゃ脱水で滑るわ」

 

畑中さんの言葉は、生活の言葉だ。滑る。緩む。固い。難しい理屈は言はない。理屈を言はないから、こちらも落ち着く。

 

「替へられる?」

 

私が訊くと、畑中さんは口を尖らせた。

 

「新品のベルトは難しいかもしれん。……けど、似たの、何かから取れるかもしれん。店に戻って探してくるわ」

 

店に戻って探す。その言ひ方が、昔の女の「継ぎ当て」を思はせた。新しい布がなければ、古い布の端を切って当てる。当てて、縫って、また着る。直すとは、さういふことだ。

 

畑中さんがいったん帰り、私は台所で夕飯の支度をした。煮物の匂ひが立つと、家が少し落ち着く。母は畳の上で、団扇をゆっくり動かしてゐる。団扇の風は弱い。弱いのに、母はその弱さを好む。強い風は、体を冷やして咳を呼ぶ。人の身体は、速さや強さに追ひつけないことがある。

 

畑中さんが戻ってきたのは、日が傾いてからだった。

 

手には、少し色の違ふベルトがあった。「こいつで行けるかもしれん」と言って、古いベルトを外し、新しいものを嵌めた。嵌める指の動きが、迷ひなく滑らかだ。私が針を持って布を繕ふときの指の動きと、どこか似てゐた。

 

「よし。試してみ」

 

畑中さんが言った。私はスイッチを入れた。——うん、と低く鳴り、今度はそのまま回り始めた。水が回り、音が一定になる。一定の音が出るだけで、胸がほどける。人は、機械の音にこんなにも救はれる。

 

脱水に切り替へる。洗濯機が少し強く唸る。それでも止まらない。桶の中の水が遠心力で引かれ、布が壁に貼りつく音がする。

 

畑中さんは、ふっと笑った。

 

「まだ行ける。……まあ、先生、これも延命じゃけえ。いつまで持つかは分からん」

 

延命。その言葉が、胸を刺した。

 

延命――それは、本来、人に使ふ言葉だ。機械にも使ふのだ、と畑中さんは当たり前に言った。当たり前に言へる時代になったのだ。延命。延命装置。延命治療。新聞でもそんな言葉を見ることが増えてきた。命が長くなるほど、命の「持たせ方」が問題になる。

 

私は洗濯機の回る音を聞きながら、思はず母の背を思った。背骨の薄さ。咳の回数。薬の量。母の延命は、機械の延命よりずっと重い。重いのに、私はそれを「延命」とは呼びたくない。母はただ、生きてゐるのだ。生きてゐる限り、湯を飲み、咳をし、寝返りを打つ。それが生活だ。

 

畑中さんは帰り際、ぽつりと言った。

 

「先生も、無理せんで。……最近、皆、よう倒れるけえ」

 

倒れる。その言葉が、私には遠くの話ではなくなってきた。膝が鳴り、目が霞み、肩が重い。夏の炎天のあと、身体の戻りが遅い。遅いのに、暮らしは待ってくれない。

 

「ありがとう。助かった」

 

私が頭を下げると、畑中さんは照れたやうに手を振って帰っていった。玄関の外で、工具箱がかたんと鳴る。その音が、遠ざかるにつれて小さくなる。遠ざかる音は、見送りの音に似てゐる。私は見送りの音に敏い女だ。

学校でも、「古いもの」が話題になった。

 

職員室に、新しい複写機——コピー機が入るといふ噂が立った。若い先生が目を輝かせて言ふ。

 

「ガリ版、もう大変じゃないですか。手が真っ黒になるし。コピーがあれば、プリントがすぐ——」

 

すぐ。便利。効率。その言葉は、いつも善意の顔をしてゐる。善意の顔をしてゐるから、反対すると自分が意地悪に見える。

 

私は笑って頷いた。

 

「そりゃ、助かるねえ」

 

頷きながら、心の中では、ガリ版の匂ひを思ひ出してゐた。鉄筆で蝋紙を削る感触。削る音。インクの匂ひ。手につく黒。黒くなる指先を見て、私はいつも思った。——言葉は、擦ってやっと形になる。——手を汚さないと、配れない。

 

新しい機械は、手を汚さない。手を汚さないのはいい。いいのに、私はどこかで怖い。手を汚さずに言葉が増えると、言葉は刃になりやすい。昔、戦時の標語は、誰の手も汚さない顔で人を送った。汚れない言葉ほど、怖いものはない。

 

もちろん、コピー機が戦争を呼ぶわけではない。そんな馬鹿な理屈は分かってゐる。分かってゐるのに、私は「速さ」と「清さ」に身構へる癖が抜けない。

 

昼休み、用務員の田島さんが古い映写機を抱へてきた。

 

「先生、これ、また止まったわ。フィルムのところが——」

 

止まった。止まった、といふ言葉が、この年は多い。止まるものが増えるほど、私の身体も止まりやすくなる気がして、胸がざわつく。

 

私は映写機の裏を覗き、田島さんと一緒にねじを回した。ねじは固い。固いねじは、油を落とせば少し回る。回れば、また動く。その当たり前が、なぜか嬉しい。

 

嬉しいのは、直せるからだ。直せるものがあると、直せないものを抱へてゐても息が出来る。直せないもの——君の死。君の不在。それは直らない。直らないのに、私が生きてゐる限り、それは年を取らない。

 

田島さんが笑って言った。

 

「先生、手際ええのう。……家でも機械いじるんかね」

 

私は、少しだけ笑って答へた。

 

「壊れるけえね。……直さにゃ、暮らしが回らん」

 

暮らしが回らん。その言葉が、自分の胸へも返ってくる。

 

暮らしを回す。回すために直す。直すために手を動かす。手を動かすと、手が老いる。老いるほど、また直さねばならないものが増える。循環は、止まらない。

秋のはじめ、また「油」の話が出た。

 

テレビで、遠い国の映像が流れ、石油の値段が上がるかもしれないと言ふ。町の人は、去年ほど慌てはしなかった。慌てることに疲れたのか、慌ててもどうにもならぬと学んだのか。それとも、慌ての色が「顔に出にくくなった」だけなのか。

 

けれど、電器店の前に「省エネ」と書かれた札が出ると、私はオイル灯の年を思ひ出した。闇。軍靴の音。錆びず響く。油が暮らしを動かし、油が暮らしを止める。油の怖さは、機械の中にも、国の中にも、同じやうに潜む。

 

私は、桜袋を懐で押さへた。押し花は、昔より色褪せた。薄紅が、少し黄みを帯びてきた。けれど、形は残る。形が残るところが、押し花の強さだ。

 

君も、形だけが残る。形は、記憶の中で若いままだ。軍帽の紺のままだ。目の疲れも、口元の固さも、二十代のまま止まってゐる。

 

私は、ふいに気づいてしまった。

 

——君が朽ちないのは、強いからではない。——朽ちないのは、止まったからだ。

 

止まった時間は、腐らない。腐らない代りに、温かくならない。温かくならないものを、私はずっと胸の中で抱いてゐる。抱いてゐるから、私は時々、石碑の冷たさを掌で確かめたくなる。冷たさは、現実の形だ。

 

私は自分の手を見た。指の節が、少し太くなった。爪が割れやすい。皮膚が乾きやすい。この手は、朽ちる。朽ちるのが怖い。怖いのに、朽ちることを止められない。

 

洗濯機は、直してもまた止まるだらう。扇風機も、唸り方が去年より大きい。ラジオも、つまみを回すと雑音が増えた。家の中のものが一つずつ「年代機」になっていく。その年代機を抱へる私自身も、年代機になっていく。

 

直しつつ、使ひつつ、朽ちていく。

 

それでも私は、直す。直すことだけが、私に出来る「前へ」の形だからだ。国のやうに大きな前へではない。生活の前へ。母の薬を今日も飲ませる前へ。教室で子どもの名を呼ぶ前へ。そして、君の名を来年も呼ぶ前へ。

年の暮れ、北風が吹く夜、私はまた洗濯機の前に立ってゐた。

 

脱水の音はする。けれど、前より少しだけ重い。重い音は、いつ止まってもおかしくない音だ。

 

私はその音を聞きながら、ふと思った。機械の音を聞き分けるやうに、私は母の咳も聞き分ける。そして、自分の身体の音も聞き分け始めてゐる。膝が鳴る音。階段で息が上がる音。夜に目が覚める音。それらの音は、誰にも見えない。見えない音を、私は一人で聞いてゐる。

 

一人で聞いてゐるところが、少し寂しい。

 

母が眠りについたあと、私は机に向かった。灯の下で帳面を開く。紙は白い。白い紙に、私は毎年「直し」をする。乱れた心を言葉へ直し、沈んだ年を一首へ直す。直せば、今年が形になる。形になれば、来年へ行ける。

 

私は鉛筆を握り、今年の年を胸の中で並べた。洗濯機の沈黙。畑中さんの工具箱。固いねじ。油の一滴。回り始めたモーター。学校の映写機。「効率」といふ言葉の眩しさ。母の「捨てたくない」を言ひ当てる声。押し花の色褪せ。君の朽ちなさ。

 

私は、静かに書いた。

年代機 故障続けど 直しつつ我も朽ちなむ 君は朽ちざらむ

書き終へると、胸の奥が少しだけ痛んだ。痛むのは、朽ちることを認めたからだ。朽ちることを認めるのは、怖い。怖いのに、認めないと、母の背をさする力も、帳面に字を書く力も、無駄に硬くなる。

 

朽ちるなら、朽ちるまま。直せるところは直し、直らぬところは抱へる。抱へて、生きる。生きて、書く。書いて、君を呼ぶ。

 

窓の外で、風が鳴った。風の音は、冬の音だ。冬の音は、盆灯籠の川面の音を遠くに連れてくる。来年は、また灯の話になるだらう。流す灯。追ふ影。君をのせたかと問ひ続ける夜。

 

私は鉛筆を置き、桜袋を懐に押し当てた。押し当てると、刺繍の凹凸が指先に「まだ」と返す。まだ。まだ書ける。まだ湯を沸かせる。まだ母の背をさすれる。

 

年代機の音が止まる前に、私はもう少しだけ、暮らしを回してみようと思った。

 
 
 

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