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宇津ノ谷と「伊勢物語」の伝説〜 するがなる宇津の山辺に響く、雅の調べ 〜

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月17日
  • 読了時間: 4分



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1. 歌枕としての宇津ノ谷

 “するがなる宇津の山辺の…”―― こう始まる一節は、『伊勢物語』の中でも、ひときわ駿河の地の美しさと、そこを通り過ぎる人々の儚(はかな)い物語を象徴する歌として伝わる。 宇津ノ谷(うつのや)は、東国と都(みやこ)を結ぶ東海道の難所にして、山が深く折り重なる峠の里。ここを越えねば、まっすぐ都へは行けない。平安の歌人や貴公子たちもまた、この峠を息を切らしながら越えたのだった。

2. 若き貴公子と姫の邂逅

 そのころ平安京を出立した**在原業平(ありわらのなりひら)とは名を伏せたがごとき貴公子が、噂では都の恋を背負い、遠く東へ向かう途中であったとも言われる。 ある夕暮れ、宇津ノ谷のふもとの小さな茶屋に立ち寄った男がいた。年は二十半ばか、衣(きぬ)は塵(ちり)にまみれながらも、どこか雅(みやび)な雰囲気が漂う。茶屋の老婆が問えば「名などどうせ覚えられませぬ」と笑みを浮かべた。 そこに偶然、山里の姫である糸瀬(いとせ)**が家人の送りで通りかかる。糸瀬は男の上品な振る舞いに不思議な気を惹(ひ)かれ、「どちらへの旅ですか」と声をかける。男は「ただ東国へ用あって」とだけ答え、二人はそれ以上話さなかった。が、その夜、月下の囲炉裏(いろり)の前でちょっとした和歌のやりとりが交わされたとも、伝えられている。

3. 山辺の恋歌と別離

 翌朝、男は一足先に茶屋を立ち、峠道へと向かった。糸瀬は後を追うようにして山中へ踏み入る。 山道は薄霧に閉ざされ、濡れた笹(ささ)が道を狭めている。糸瀬の心には、男とのあの短い対話が妙に残響していた。 「いつかまた、この山を越えるとき、私はあなたの面影を探すでしょう」 ――そう言い残した男が、山稜(さんりょう)のどこかへ消えてゆく姿を、彼女は遠く見送ったとき、心底から寂しさを覚えたという。 そして、男は行き去るまえに一首の和歌を紙片にしたため、茶屋へ置いていったとか。その文面には、「するがなる宇津の山辺の…」で始まる歌が記され、そこに“願わくはこの峠にて人の縁を結ばん”というような余白の想いがにじんでいた——と、のちの人は語る。

4. “伊勢物語”とのつながり

 この話は、のちに都へ返った誰かの手によって“伊勢物語”へ含まれたという説がある。 伊勢物語の典拠が複数存在するうち、**“するがなる宇津の山辺の…”**という節が、この宇津ノ谷の情景と共に描かれているのは、まさに業平かそれに準ずる貴公子が、ここで一夜の儚い邂逅(かいこう)を経験したからだ、というのが地元伝承の骨子である。 それが事実かどうか、学問的な検証はさまざまあるものの、地元では「あの男が在原業平その人だった」と確信的に話し、峠道の一角に小さな石碑を建てた。

5. 山里に垂(た)れる霧

 宇津ノ谷には一年を通じて霧が多い時期があり、行き交う旅人が道を見失うこともしばしば。茶屋の主人曰く、「この霧こそが、あの男と糸瀬の切ない想いを包みこんでいるんだよ」と苦笑まじりに言う。 あるとき、豪雨で山道が崩落し、旅人が困っていると、村人たちがこぞって助け合い、一晩かけて応急の道を作ったという。そのとき、伊勢物語の歌がささやかれ、「もしあの世で在原の殿が見ておられたら、笑ってくれるかのう」と笑い合ったと伝えられる。

6. 時代とともに静まる物語

 時代が明治・大正へ進むと、街道にトンネルが作られ、交通の流れも大きく変わっていった。 だが、古い峠道にはまだ朽(く)ちかけの茶屋跡が残り、かつての通り巌(いわお)で刻まれた和歌の痕跡が見つかるとも噂される。 そんな時代でも、地元の人々は“ここは伊勢物語に縁ある場所”と語り継ぎ、峠の入り口には小さな祠や、男と女が交わした歌を刻んだとされる石碑がひっそり立っていた。やがて観光客が増えるとともに、物語はさらに人々の心を惹きつける要素となる。

7. 余韻

 もし伊勢物語の中の一節が、真に宇津ノ谷の峠を舞台としたものであるとすれば、そこには**「山辺で交わされた儚い恋の歌」が確かに息づいていたに違いない。 男は都へ戻らず東国へ向かったのか。女はわずかな想いを胸に峠の茶屋で彼を見送ったのか。はたまた二人が夜の闇にまぎれて短い契りを結んだのか……。 時は流れ、やがてこの峠にトンネルや新道ができ、人々は車や鉄道であっという間に通り過ぎるようになる。そうなれば昔の旅人たちが山を仰ぎ、息を切らせて峠を登ったころの景色は消えゆくばかりだ。 しかし、“するがなる宇津の山辺の…”というあの一首は、今もなおこの地に風を呼び込み、旅人の想像をかきたてる。まるで峠の雑木林が男と女の囁(ささや)きをいつまでも抱えこんでいるかのよう。 そうして、半ば事実か幻か分からぬまま、物語は次代へと伝えられ、山霧の中に溶けていく。これこそが山と人とが紡(つむ)ぎ上げる“詩情”**の真骨頂と言えよう。古(いにしえ)を宿す峠道は、時空を超えてなお、伊勢物語の哀歓(あいかん)を日本人の心に流しつづけるに違いない。

(了)

 
 
 

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