宮島の夕焼け
- 山崎行政書士事務所
- 2月12日
- 読了時間: 6分

1. 歴史的背景:厳島神社と大鳥居
1-1. 厳島神社の創建と宮島の神聖視
厳島神社の正式な創建は明らかではありませんが、少なくとも6世紀後半には祭祀の場として機能していたと考えられています。宮島は古来より山そのものを神として崇める自然崇拝の聖地であり、「神の島」として人々の信仰を集めてきました。宮島は、「神が宿る島ゆえ人が住むべきではない」とも言われたほど特別視され、古い時代には一般の人が立ち入ることを厳しく制限されていた地域もありました。
1-2. 平清盛の庇護と荘厳な社殿の整備
平安時代末期、平清盛によって厳島神社は大きく庇護され、現在に至るまでの壮麗な社殿が整備されました。清盛は日宋貿易を推進する中で、海上交通の要衝であった瀬戸内海の安穏を願い、厳島神社を航海安全の守護神として大いに崇敬したのです。この頃から社殿は寝殿造の影響を色濃く受け、水上に張り出すような優美な様式となりました。海に浮かぶかのような大鳥居も、この世界観の一部として徐々に形成され、現在の姿へと発展しました。
1-3. 現在の大鳥居と修復の歴史
現在の大鳥居は8代目(複数の数え方がありますが、おおむね8代目前後とされる)と伝えられ、1875年(明治8年)に再建されたものが基礎になっています。海中に立つため潮の干満の影響を受けやすく、長い歴史の中でたびたび修復や再建が重ねられてきました。2020年代前半にも大規模な修復工事が行われ、私たちは往古と同じように朱塗りの大鳥居が夕日に映える光景を目にすることができます。
2. 夕焼けと宮島の鳥居がもつ象徴性
2-1. 朱塗りと夕日の調和
大鳥居の鮮やかな朱色(厳密には朱に近い丹など)は、防腐作用を期待した漆やベンガラなどの塗料が由来とされていますが、それが夕焼けの橙や赤と重なることで、より一層鮮やかなコントラストを生み出します。実際、日の沈む西方を拝むという行為は多くの宗教文化圏で尊ばれ、朱や赤は神聖・厄除けの色として世界各地で重視されてきました。宮島の大鳥居も、海面に映える夕日の金橙色との相互作用によって、現実を超えた荘厳な空気感を創出しています。
2-2. 水上に立つ門:現世と神域の境界
大鳥居が海中に立っているため、満潮時にはまるで海に浮かんでいるかのように見えます。これは、陸から神社へ直接つながらないことで**「現世と神域」**を明確に隔てるという日本古来の神道的発想があらわれています。夕刻になると陽が傾き、潮位の変化によって鳥居の足元が沈んだり現れたりする様子は、神と人間、神聖と俗世との境界線があいまいに揺らぐ瞬間を可視化しているとも言えます。この移ろいこそが、夕焼け時の大鳥居に特別な霊性を感じさせる要因です。
3. 哲学的考察:境界と崇高さ、時間の流れ
3-1. 「門(鳥居)」が示す哲学的意味
鳥居は神社の入り口を示す「門」の役割をもちます。門とは本来、ある空間から別の空間へ移行するときの**「閾(しきい)」**であり、人がその前後で状態を変化させるための象徴的通過点です。宮島の大鳥居の場合、その門が陸ではなく海に立っているため、「立ち入る」行為そのものがさらに特殊な儀式性を帯びます。満潮時、直接鳥居をくぐるのは容易ではなく、干潮時には海底を歩いていくことができます。こうした環境条件に左右される体験は、人間が自然のリズムに合わせて神域へ赴くという能動と受動の混在を象徴的に示します。
3-2. 夕焼けと時間の象徴
夕暮れは日の出と同じく、1日の中で特に移ろいを強く意識させる時間帯です。古代から世界各地で**「夕日はこの世とあの世の境目」や「太陽神の往還」など神秘的解釈がなされてきました。大鳥居が夕焼けの中でシルエットを浮かび上がらせる光景は、言わば「終わり」や「過渡期」**の比喩でもあり、時間と永遠性をめぐる深い思索を誘発します。移ろいゆく光と潮の満ち引きは、有限なる人間の存在を強く意識させると同時に、自然の壮大な周期性を感じさせる契機となります。
4. 自然と神聖性の融合:日本的感性との関わり
4-1. 「自然=聖域」という発想
日本の神道は、山や森、岩、滝といった自然物そのものを神の依代(よりしろ)として崇拝する風土を持っています。宮島全体が神聖な山「弥山(みせん)」を中心とした霊域であること、そして海と共生する瀬戸内海独特の環境も相まって、自然そのものが神聖性の根源となっています。大鳥居は人工物でありながら、海と一体化するように建てられることで、自然の持つ強大で畏敬すべき力の象徴となっています。夕焼けの美しさとあわせて、その中に**「人間的尺度を超えた崇高さ」**が浮かび上がるのです。
4-2. 「あわい(間)」の美学
日本文化には、「あわい」や「狭間」といった、はっきりと区切るのではなく、重なりあいや曖昧さを尊ぶ美意識があります。大鳥居の立つ瀬戸内の海は、陸と海、大鳥居の朱と夕日の赤、神域と現世、昼と夜といった複数の境界が交錯する「あわい」としての空間とも言えるでしょう。その一瞬の曖昧さに目を留めるとき、人は自然と自分の境目、あるいは自我と大いなる世界との垣根が希薄になる感覚を得るかもしれません。これは日本的な神観念である「八百万(やおよろず)の神」にも通じる、すべてが連続している世界観です。
5. 観光と信仰が交わる現代的文脈
5-1. ユネスコ世界遺産とグローバル化
厳島神社は1996年にユネスコの世界文化遺産に登録され、海外からの観光客を含めて多くの人々が訪れる国際的観光地にもなっています。海に浮かぶ大鳥居や社殿の姿は、日本を象徴するビジュアルとして広く認識されるようになりました。しかしながら観光地化によって、人々が宮島を訪れる目的や行動形態も変化し、神聖性と商業化との間に葛藤が生じる場面もあります。夕刻の大鳥居は一瞬の絶景ポイントとしてカメラに収められるだけで終わるのか、それとも自然と神の融合を感じ取る場であるのか――そこに現代社会が抱える「聖俗混在」の問題が浮かび上がります。
5-2. 体験としての夕焼け
夕焼け時の大鳥居を見る体験は、多くの場合「写真撮影」として消費されがちですが、本来、その一瞬を五感で味わう行為は宗教的ないし哲学的な問いを誘発する契機になり得ます。たとえば、その場で意識的に心を静め、刻々と変化する空と海、鳥居の対比を眺めながら、**「自分はどこに属し、何を求めているのか」**を内省する――これこそが神社の空間がもともと喚起してきた「祈り」の在り方に通じるとも言えます。単なる観光写真にとどまらない思索への入り口として、夕焼け時の情景は絶好の舞台を提供しているのです。
6. 結語:移ろいの刻に見出す不変のもの
宮島の大鳥居が夕焼けに染まる光景は、歴史・信仰・自然・文化という多層的な文脈の交錯点にあります。
歴史的には、清盛をはじめ多くの人々の庇護と再建、修復を経てきた長い時間の蓄積。
宗教的には、島そのものが神域として崇拝される伝統と、社殿・鳥居が形作る空間の聖性。
自然的には、潮の満ち引きや夕日の刻々と変わる色彩が織りなす動的な風景。
哲学的には、境界(門)やあわいが提示する、人間の存在の儚さと世界の神秘、そして神聖と俗世が入り混じる“不確かな一体感”。
大鳥居と夕焼けが交わる一瞬は、時間の移ろいを鋭く意識させるものの、その場に立つとき、人は何か不変の荘厳さを感じ取ることもあります。これは、一見相反する「変化」と「不変」を同時に体感する場であり、日本的な神観念が生む**「悠久の時間」と「刹那の美」**の融合点でもあります。
このような観点から、大鳥居の夕焼けは単なる「美しい絶景」という枠を超え、私たちに**「歴史の連続性」「自然の偉大さ」「自己と世界の関係性」**といった深い省察を促す存在なのです。そこでは、神と人間のあわいだけではなく、過去と未来、永遠と刹那、異なる次元の交錯が鮮やかに浮かび上がっています。





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