富士の焔(ほむら)
- 山崎行政書士事務所
- 1月11日
- 読了時間: 4分

一.村に走る噂
ある夏の朝、私(わたくし)は新聞記者として、富士山麓の小さな村へ足を運んだ。先週、その村の「巫女」と呼ばれた若い女性――お紺が、富士山の火口近くで焼死体となって発見されたという。村中は「神の怒り」「呪い」「不浄に触れた報い」と、凡そ冷静さに欠ける言葉が飛び交っているらしく、噂を確かめようと私の上司が私をここへ派遣した。ここ数日は酷暑で、富士の麓まで来るとむしろ蒸した空気が全身を包み、うっすらと山の稜線が霞むだけ。何とも言えぬ圧迫感の中、村の入り口に立つ鳥居がひっそりと佇んでいた。
二.お紺という女
村に入ると、あちらこちらで**「お紺さんがあんな亡くなり方をするなんて」「神様に咎められたのだろうか」などの声が耳に入る。彼女は幼い頃から神の啓示を受ける巫女として大事に扱われたと聞く。祭事の際には富士山への祈祷を司り、村人たちは彼女を「富士の神に選ばれた娘」**と崇めていたらしい。しかし、どうして巫女が火口近くで亡くなったのか。しかも、発見された遺体は“まるで炎に包まれた”かのように焼け焦げていたという。私はまず、村役場の役人に話を聞こうと考えたが、役場は閉ざされたように冷たい対応をするだけで、要領を得なかった。
三.火口の現場
翌朝、私は一人で火口付近へ向かおうとした。山道には火山灰が混じった砂利が広がり、一歩ずつ踏みしめるたび、靴底から嫌なきしむ音がする。麓の老人曰く、「あの辺は神聖な領域。お紺の死体が見つかった所には近づくな」と警告されたが、私の記者魂はそれを黙殺する。あたりは高地のためか風が吹き荒れ、空気が鋭く肌を刺す。そこに白く煙る火口を目にし、ふと背筋に寒気が走った。「ここで人が焼ける……?」――想像だけで息苦しさが増す。遺体があったらしい場所には、今は何も残されていない。ただ灰色の砂礫が広がり、吐き出された噴気の名残が細い煙となって空に溶けている。
四.村人たちの恐怖と畏敬
宿に戻り、私は何人かの村人へ取材を試みた。だが皆一様に口をつぐみ、視線を逸らす。中には、「お紺は神に仕える身だった。余計な詮索は“富士の神”の怒りを買う」と低い声で警告する者も。まるで真実を隠そうとする集団心理が働いているかのようだ。とはいえ、わずかに心優しそうな老婆は私にそっと語った。「あの娘、実は村の有力者・池嶋家と何か揉め事があったという話……。でも誰も本当のことを言おうとしないんです」それがきっかけで私は、村の権力者たちが巫女の存在を利用していた可能性を思い描く。「彼女は果たして本当に神に選ばれたのか、それとも選ばれたことにされたのか……?」
五.権力の闇、巫女の悲劇
いくつかの断片情報を紡ぎ合わせると、お紺が生前、ある村の重鎮・池嶋という男と対立し、村を支配する古い因習に抗おうとしていたらしい。しかし、お紺は“神の御心”を伝える巫女としてしか村人に認知されていなかった。もし彼女がその神聖な立場を捨てるならば、村人からも厄介者扱いされる。それどころか“神への裏切り”とみなされかねない。そんな中、村人の一人が私に言う。「お紺が火口に行った夜、村の若い男たちがこっそり山へ向かうのを見た気がするが、それは私の幻かもしれん……」彼らが彼女を殺したのだろうか。あるいは本当に神が彼女を焼いたのか。どちらが事実か確かめようにも、村全体が沈黙しているように思われた。
六.神の名の下に
私は再度、村の有力者・池嶋家に取材を試みるが、応対した男は無表情にこう言うだけだ。「この事件、神の采配に関わること。あえて騒ぎ立てぬほうが、あんたの身のためだ」その言葉はまるで脅迫染みており、私は息苦しさを覚えた。**「神」を騙る者が、どこまで真実を覆い隠し、人々を畏怖で縛りつけるのか。私が宿に戻ると、扉には「余計なことを調べるな」と血文字のように書かれた紙が貼り付けられている。背筋が凍り、村を出るかどうか迷う。
結末:記者の行き詰まりと“富士の神”
翌朝、私は早々に荷をまとめ、村を離れる決意を固めた。**「これ以上ここにいても、真実どころか自分の身すら危うい」**と悟る。村の者たちは既に私を“余所者”とみなしており、神への冒涜者として追いつめられるのも時間の問題だ。出立の際、薄曇りの空の下で遠くに見える富士山は、白い峰を霞に溶かすようにそびえ立っている。その姿は、まるで人間の醜い策略や嘘を全て呑み込み、沈黙しているかのようだ。「お紺は、本当に神の怒りで焼かれたのだろうか? それとも権力者の陰謀か――」私は答えを得られぬまま、足早に村の境を越える。振り返ると、山の稜線は低い雲に隠され、まるであの事件も富士の闇の奥へと葬り去られるかのように見える。こうして私は“富士の神”の名の下に隠された恐怖と欺瞞を、何ひとつ明らかにできぬまま退散せざるを得なかった。背後の風が、あたかも嘲笑するかのように冷ややかだ。――「富士山はただの風景」と思うには、あまりに人間の罪や畏怖を背負いすぎている。お紺の焔(ほむら)はその象徴かもしれないと、私は怯えにも似た思いを抱えながら山を遠くに見送ったのだった。





コメント