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富士を見上げるには幼すぎた

富士を見上げるには幼すぎた。それは首の骨がまだ柔らかかったとか、背が低かったとか、そういう話じゃない。

見上げた先に、何か「揺るがないもの」があると知ってしまうには、幹夫は幼すぎたのだと思う。

幹夫がまだ小学生のころ、牧之原の茶畑は今よりずっと大きく見えた。畝の一本一本が、遠足の列みたいに続いていて、葉の間に落ちる影が深かった。朝露はガラスの粒で、指先に触れるたび、世界の冷たさがそのまま伝わってくる気がした。

父はよく言った。

「茶ぁ、見てりゃ分かる」

何が、と聞く前に、父は葉を摘む手を止めない。父の言う「分かる」は、説明されるものじゃなくて、いつの間にか皮膚に染みてくるものだった。

その年の夏、母がいなくなった。理由は誰も幹夫にきちんとは言わなかったし、幹夫も聞かなかった。聞いたら、何かが本当に決まってしまう気がした。決まることが怖かった。怖いのに、すでに決まっているみたいに、家の中の匂いだけが変わった。

夕方、祖母が火を落とした台所には、味噌汁の湯気だけが残る。湯気は天井に逃げていくのに、言葉は逃げない。言葉は、出なければそこに固まって、沈黙になってしまう。沈黙は重い。畳の目の間に、ずっと溜まる。

幹夫は、自分がその沈黙の重さを増やしている気がして、息を潜めた。

ある日、父が軽トラで「出るぞ」と言った。車の荷台には、茶の袋と、いつもの作業道具。行き先を聞くと、父は短く答えた。

「富士んとこ。届けもん」

富士、と言われても、幹夫の頭に浮かんだのは山の形じゃなかった。小学校の教科書に出てくる、真っ白な三角。遠足のしおりに載っている写真。写真の中の富士はいつも、晴れていて、強そうで、近づけない。

幹夫は助手席に乗り、窓の外に流れる道を見た。お茶の匂いが車内に染みついていて、揺れるたび、乾いた葉の香りがふっと鼻に触れる。山道を抜けて、少し開けた場所に出たとき、突然、視界の端にそれは現れた。

富士山。本物の富士は、写真みたいに白くなかった。夏の富士は、青黒く、肌が見えていて、空に「置かれている」というより、地面からそのまま立ち上がっている感じがした。あまりにも大きくて、見慣れているはずの空の広さが、急に狭くなる。

父が言った。

「ほら。富士だら」

父の声には珍しく、少しだけ、誰かに見せたい色が混じっていた。それを聞いた瞬間、幹夫は思った。父も、見上げたい人なのだ。父にも、胸の奥が動くものがあるのだ。そう思ってしまうと、逆に怖かった。父がただの固い人じゃなくなると、自分は父の痛みも感じてしまう。

だから幹夫は、富士を見上げなかった。見上げずに、ただ前方の道路の白線を見た。白線はまっすぐで、まっすぐだから、目を置くには楽だった。

父はしばらく黙っていた。そして、何もなかったみたいにハンドルを切った。

あのとき、幹夫は本当に幼かった。「見上げない」という選択が、いつか自分の首を締めることになるなんて、まだ知らなかった。

中学生になって、幹夫は富士が見える場所をいくつも知った。晴れた日の校庭からも見えるし、帰り道の橋の上からも見える。どこにいても、ふと顔を上げれば、あの山はいる。静岡の空は、富士のために少しだけ場所を空けてあるみたいだった。

でも、幹夫は相変わらず、長くは見られなかった。見てしまうと、何かを問われている気がする。「お前はどうする」「どこに立つ」誰も言っていないのに、勝手に聞こえる。

風が吹くと、茶畑の葉がざわめく。あの音は、答えを急かさない。ざわめきはただ、そこにある。それが救いだった。救いだから、幹夫はいつも、下を向いて葉を触っていた。

駿河湾で母に会った日から、幹夫の中で、いくつかのものがほどけた。ほどけたのに、楽になったわけじゃない。結び目が解けると、今度は紐がぶらぶらして、どこへ繋げればいいのか分からなくなる。分からないままでも、放っておけるほど、幹夫は子どもじゃなくなっていた。

だから、その週末、幹夫はひとりでバスに乗って、富士がよく見える場所へ行った。「どこへ」と聞かれても、答えたくなかったから、祖母にも父にも言わなかった。それがずるいのは分かっている。分かっているのに、今は自分だけの場所が必要だった。

バスは山の方へ向かう。茶畑の緑が遠のき、杉の濃い影が増える。窓から入る空気が少し冷たくなって、鼻の奥がきゅっと締まる。冬の一歩手前の匂いがした。

降りたのは、観光地みたいに賑やかな場所じゃない、小さな展望の広場だった。ベンチが一つ、手すりが一つ。手すりには、誰かが貼った古いステッカーが剥がれかけている。遠くで犬の鳴き声がして、車の音が途切れ途切れに届く。

幹夫は手すりに両手を置いて、息を吸った。空気が冷たい。冷たいのに、胸の奥が熱くなる。——また、この感じだ。駿河湾の潮風でも、茶畑の朝露でも、胸の奥は同じように反応する。体は、心の嘘を見逃してくれない。

そして、富士はそこにいた。

大きい。でも、あの日の車窓で見た富士より、今日は静かだった。山は動かない。動かないのに、見る側の心だけが勝手に揺れる。その揺れを、山は責めない。責めないから、余計に、こちらが自分を責めたくなる。

幹夫はやっと、ゆっくり顔を上げた。

見上げた瞬間、首の後ろが少し痛んだ。痛みは、筋肉の痛みだけじゃない気がした。ずっと上げなかった首。ずっと見なかったもの。その分、今、体が「遅れ」を取り戻そうとしている。

富士の頂は、雲に少しだけ触れていた。雲は白く、富士は青黒い。境目がはっきりしているのに、どこか溶け合って見える。幹夫は思った。境目は、いつも人の目が勝手に作るのだと。父と母の間にも、自分と父の間にも、境目を作っていたのは誰だったんだろう、と。

「……俺さ」

声に出したら、想像以上に小さかった。風にさらわれる前に、喉の奥で引っかかる。幹夫は唾を飲み込み、もう一度言う。

「……富士、見たかったんだと思う」

誰に言っているのか分からない。富士に言っているのか。母にか。父にか。たぶん、自分だ。自分に言っている。

見上げるというのは、ただ上を見ることじゃない。自分の中にある「逃げたい」を見つけて、それでも目を上げることだ。幹夫は、そこまで分かるようになってしまった。分かるようになった分、痛い。

涙が出た。出たのに、悲しいだけじゃなかった。怒りもあったし、悔しさもあったし、どこかでほっとする感じもあった。ほっとするなんて、ずるい、とも思った。ずるいと思う自分も、もう子どもじゃない証拠だ。

幹夫は手すりを握り直した。指先が冷たくて、手すりの金属も冷たい。その冷たさが、涙で熱くなった頬を少し落ち着かせる。

「……富士を見上げるには、幼すぎた」

今なら、その言葉をちゃんと口にできる。幼かったから、見上げられなかった。でも、幼かったこと自体が悪いわけじゃない。幼いときには、下を向いて守らなきゃいけないものもある。幹夫はそのことも、今日、富士の前で初めて許せた気がした。

見上げたまま、幹夫は長く息を吐いた。息は白くならない。けれど、胸の奥で何かが少しだけ白くほどける感じがした。

遠くで風が鳴った。茶畑のざわめきとも、駿河湾の波音とも違う、乾いた音。その音は、幹夫の中の声を沈ませなかった。沈ませずに、ただ、空の方へ押し上げていく。

幹夫は、もう一度だけ富士を見た。今度は、逃げないで見た。

そして、帰りのバス停へ向かって歩き出した。歩きながら、父の顔が浮かぶ。母の「うん」が浮かぶ。祖母の黙った背中も浮かぶ。浮かんだものは、まだ全部つながらない。でも、つながらないまま、抱えて帰れる程度には、幹夫は大きくなっていた。

富士は、見上げても崩れない。見上げた自分のほうが、少しずつ形を変えるだけだ。

その変わり方を、幹夫は怖いと思いながら、どこかで待っていた。

 
 
 

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