富士見の市— 青春の夜啼き
- 山崎行政書士事務所
- 1月14日
- 読了時間: 6分

〔柔らかな光に揺れる朝市〕
静岡の街の中央を貫く大通りから少し外れた場所に、朝ごとに開かれる**「富士見の市」**があった。まだ空気がひんやりとする早朝、露店が軒を連ね、茶葉や野菜、焼き魚の香(かお)りが空にしっとり染みていく。遠方には富士山の頂(いただき)が薄い雲を纏(まと)いながらそびえ、晴れた日にはその姿がくっきりと見えるという。 朝の陽が低く差し込む時間帯、この市場では人々が行き交い、活気(かっき)のざわめきの中に、ほんの一瞬だけ静寂(しじま)が宿るのを感じることがある。そんなとき、誰かが「今日の富士はどんな顔だ?」と呟(つぶや)けば、まるで神へ言祝(ことほ)ぎを捧(ささ)げるかのような厳(おごそ)かさが漂う。
〔古書店の青年・泰成(やすなり)の儚(はかな)さ〕
市場の一角にある古ぼけた一軒、その看板に「古書 印月堂(いんげつどう)」とある。ここを営むのは若い青年、泰成(やすなり)。雰囲気はどこか繊細で、その瞳(ひとみ)はいつも遠くを見つめている。 昼間は店先の小机で静かに古書を並べ、市場の人々に声をかけられれば穏やかに微笑(ほほえ)む程度だ。しかし、ひとたび富士山が雲の合間から姿を見せると、彼の表情に仄(ほの)かな緊張が走る。 「富士山は、人間の心の奥を映し出す鏡だと思うんです」 照れたようにそんな言葉を漏らすが、その声音(こわね)には微かな死の匂(にお)いすら帯びているようだ。夜になると、彼は小さなノートに情緒的な詩(うた)を書き溜(た)め、「もし富士が崩れてしまうなら、人の愛や生も同じように脆(もろ)く崩れ去るのでは」とつぶやく。儚(はかな)さの中で生きる彼には、あらゆるものがある日突然消える幻想(まぼろし)に見えるのだ。
〔夜鍛錬(やたんれん)に励む男・藤嶋(ふじしま)の影〕
一方、同じ市場の周囲で、朝早くから身体を鍛(きた)え上げる姿が目撃される。かつて自衛官だった**藤嶋(ふじしま)**という男は、筋肉の張りと整った体躯(たいく)を誇り、自らの流れる“武人の血”を信奉(しんぽう)するかのように、夜な夜な人知れず稽古(けいこ)を重ねる。 ときには駿府城跡の石垣を背景に竹刀(しない)を振り回したり、市場に面する裏路地でシャドーボクシングのような訓練に没頭(ぼっとう)していたり――周囲は彼を奇妙(きみょう)な男としか思っていない。 しかし、藤嶋自身は「日本の誇り」はこの地に宿っていると確信する。富士山を遠望しながら「軍刀(ぐんとう)の魂」と言わんばかりの視線を投げ、不気味なほどの高揚(こうよう)を抱く時がある。海軍で学んだマッチョイズムと、武家への憧れが入り交じり、彼の夜闇の“死と美”への衝動(しょうどう)を掻(か)き立てていた。
〔挑発する若き政治の声——沙耶香(さやか)の奔放〕
そして、もう一人。地方議員の父を持つ大学生、沙耶香(さやか)。彼女は、この市場を見て「こんな田舎臭い商売じゃ夢はないでしょ?」と平然と口にする。父親の援助や政治的コネを活用しようともがきながら、どうやらこの富士見の市の再開発に乗り気らしい。 反骨(はんこつ)精神を隠さず、「旧態然(きゅうたいぜん)としたレイアウトや昔ながらの商売には、まったく未来なんかない」と吹聴(ふいちょう)する一方、実は若者らしい情熱で「ここを革新的に変えて、もっと都会と肩を並べたい」とも考えている。 沙耶香の挑発(ちょうはつ)的な言動に、市場の年配者は眉(まゆ)をひそめるが、若者たちは興味津々(きょうみしんしん)の目を向ける。彼女が苛烈(かれつ)に政治を語る姿は、直截(ちょくせつ)さを思わせ、清水の街を揺さぶる活気にも見える。
〔市場再開発の火種と三者の衝突〕
市場には、再開発の話が持ち上がるたびに、伝統を重んじる人と利権を狙う人とがぶつかり合う歴史があった。今回も沙耶香が「父の力を使って大規模な再開発を仕掛(しか)ける」と噂になり、保守的な人々からは批判が相次ぐ。 藤嶋は、砂利が舞い散る広場で夜な夜な鍛錬しながら、「富士の麓(ふもと)で古来から続く市場を勝手に壊すとは、日本人の誇りを捨てるも同然」と熱く吠(ほ)える。 一方、泰成は、そこに政治的な争いがあることすら面倒(めんどう)に思いながらも、市場が失われれば自身の古書店も消える運命(うんめい)を自覚し、心穏やかにはいられない。とはいえ、彼は敵対(てきたい)や反抗(はんこう)に積極的に動くタイプではなく、ただ“富士”がこの街の魂を見守ってくれるのか、祈(いの)るように見つめるだけ。
〔夜明け前、剣舞と祈りが交錯する〕
市場が片づく深夜、藤嶋の剣(けん)が舞い、空を切(き)る金属音が細く響く。その鋭(するど)い動作を眺(なが)めていた沙耶香は、背筋に震(ふる)えを覚え、「こんな狂気(きょうき)が都会にはないわ。ある意味、すごく刺激的」と呟(つぶや)く。 一方、泰成は店を畳んだあと、富士山を拝(おが)むために裏路地を抜け、見晴(みは)らし台に立つ。夜明けが近い空にうっすらと富士の輪郭(りんかく)が浮かぶと、彼の胸に痛みが走る。「人は何もかも失う運命(うんめい)なのに、なぜこんなに美しい光景が存在するのだろう……」 彼らの頭上で、星々が fade out のように消え、東雲(しののめ)の微光(びこう)が街を染め始める。明日こそ、ここで何か大きな決着(けっちゃく)がつくだろう。そんな予感(よかん)が三人の胸に宿る。
〔クライマックス:朝焼けにそびえる富士、そして衝突〕
ついに、市場の“公開討論”ともいう場が設けられ、沙耶香が父や関係者を集めて再開発案を発表する。そこで彼女は「こんな時代遅れの商法を捨て、もっと華やかで観光客を呼べる大型施設にすべき!」と声高に叫ぶ。若者や報道のカメラが集まり、一気に騒然(そうぜん)とする。 藤嶋は刀身(とうしん)こそ持ち込みこそしなかったが、竹刀(しない)を堂々と携(たずさ)え、「日本人として守るべき誇りがある!」と怒号(どごう)を上げる。彼の叫びに呼応するように、年配の市場関係者が拍手(はくしゅ)を起こし、一部の若者が挑発的に「やってみろ!」と煽(あお)る。まるで一触即発(いっしょくそくはつ)の空気だ。 そのとき、泰成がひっそりと立ち上がり、静かに視線を空へ送る。「富士……」と口ずさんだとき、朝日が差し込み、富士山が赤く染まる“紅富士”の瞬間を迎える。混乱(こんらん)のただ中(なか)、皆が一瞬、その荘厳(そうごん)な光景に目を奪われる。
〔その後と余韻:富士見の市の行方〕
議論の結末は曖昧に流れ、再開発の賛否は平行線(へいこうせん)。騒ぎは意外なほどに落ち着きを見せ、沙耶香は「外の世界を知ってからまた戻ってくるのもいいか」と呟(つぶや)き、東京へ戻る。藤嶋は「いずれまた闘(たたか)う」と言い残し、竹刀を握りしめたまま静かに去っていく。 泰成は古書店を畳(たた)もうと決めたのか、店先の古本を段ボールに詰め込んでいる。そうして、あの繊細な眼差(まなざ)しは、一度だけ空を見上げ、富士を見つめる。まるで別れの挨拶(あいさつ)か、それとも新たな旅立ちか――。 朝日が昇るなか、富士見の市は日々通りに始まり、客の声が混じり合う。そこには、賑(にぎ)やかな笑いと、市場の活気(かっき)がある一方、誰もが意識するでもなく背後に富士山を擁(よう)し、無言の深い存在感を感じ取っているようだ。 きっとここでは、儚(はかな)さと、肉体の衝突と、政治の挑発が、目立たぬ形で交錯(こうさく)している。そのことを知る者は少ないが、富士山はすべてを見おろすように沈黙しているのだ。
――朝焼けの中、青年たちがそれぞれの道を歩み出すころ、清々(すがすが)しい風が市場を通り抜ける。富士の峰は何も語らないが、そこには日本の魂が宿るかのように、そびえたつ。まさに繊細(せんさい)、崇高さ、そして挑発が三重奏のまま、この街に深い余韻を残している。





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