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少年と時空の図書室

  • 山崎行政書士事務所
  • 2月12日
  • 読了時間: 8分

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序章

オレンジ色の夕陽が静かに沈みゆく放課後、静岡県清水市にある有度(うど)小学校の図書室には、まだ少年の姿があった。大きな窓から差し込む西日の光が、本棚に並ぶ古い児童書たちを金色に染め上げている。棚の隅にある書籍カードには埃が積もり、めったに借りられない本が静かに眠っていた。クラスメイトたちが校庭でボールを追いかけている時間にも、彼はひとり、重たい本を右から左へと見比べていた。少年の名は蒼太(そうた)。おとなしく、どこか繊細な雰囲気を持つ五年生だった。

胸の奥がざわめくような本を求めて――自分をどこか遠くへ連れて行ってくれるような物語を渇望して、蒼太はページをめくり続ける。しかし、どの本にもいまいち心を震わすものがない。そんなとき、図書室の隅にある古ぼけた書架に目が留まった。いつからそこにあるのか、誰も借りた形跡のない、分厚い布装丁の本。背表紙にはくすんだ金色の文字で**「時の迷い子」**とだけ記されていた。

「これ……なんだろう?」

蒼太は自然とその本に手を伸ばし、パラリと表紙を開いた。すると、ページに書かれた言葉が淡い光を放った気がした。瞬間、まるで夕陽が急に射し込んだかのような眩しさに、蒼太は目を細める。次の瞬間、世界がふっと暗転した――。

第一章:ふたりの始まり

気がつくと、蒼太は学校の校庭らしき場所に立っていた。しかし、目の前に広がる風景はどこか違う。空は澄みきった青ではなく、淡い群青色に金の雲が浮かび、まるで黄昏と夜明けの境目が混ざり合ったような色合いだ。校庭の時計は6時を指したまま止まり、誰もいないはずの校庭には見慣れないモニュメントが立っている。「ここ……本当に学校?」思わず声に出すと、その時、背後から声が聞こえた。

「もしかして、あなたも“迷い子”なの?」

振り返ると、そこには蒼太と同じ歳くらいの少女が立っていた。セミロングの髪と白い肌が印象的で、紅いスニーカーを履いている。名前を聞くと、彼女は**結月(ゆづき)**と名乗った。「私も、気づいたらここに来ちゃって……。初めてこの不思議な世界に迷い込んだときは、泣きそうになったんだけどね」困惑する蒼太に対し、結月はどこか慣れた様子で言葉を続ける。

「ここは、本の中の世界なんだって。物語と現実が交差する場所。『時の迷い子』を開いた人が、何かのきっかけで流れ着くって、そう聞いたよ」

そう言いながら、結月は校舎の方を指差した。いつも見慣れているはずの白い壁はほんのり淡黄色に光を帯び、窓には時おり、幻のように見える影が横切っている。もしかしたら、本から抜け出してきた登場人物がいるのかもしれない――そんな想像が頭をよぎると、蒼太の胸は不思議な昂ぶりに満たされた。

第二章:迷い子たちの校舎探検

夜明け前のような空と、夕暮れ時のような風景が同居する不思議な校庭を後にし、ふたりは校舎の玄関へと足を踏み入れた。扉を開けると、廊下は静寂に包まれ、天井の蛍光灯は明滅するように淡い光を落としている。

「こんなに静かな学校、初めてだ……」蒼太が声を落としてつぶやく。結月は少し笑って、肩をすくめた。「ここでは常に時間が止まっているみたい。いつが昼でいつが夜なのかもわからなくて……。でも、たまに外を覗くと、空の色がゆっくり変化していて、まるで永遠に続く夕暮れの途中みたいなんだよね」

ふたりは理科室や家庭科室を覗いてみるが、何も動く気配はない。黒板に書かれた文字もどこか薄れていて、まるで長い間誰も使っていないようだった。しかし、不意に図書室のドアが視界に入った途端、蒼太の心臓がドキリと高鳴った。ここがすべての始まりの場所であり、きっと何かの手がかりがあるはずだ。

だが、図書室の扉には大きな古めかしい鍵が掛けられていて、開けることができない。蒼太がドアを引いてもまったくびくともしない。「どうしよう……」「たぶん、鍵を探さなきゃいけないんだね」

結月は気合を入れるように、紅いスニーカーの先を軽く床で鳴らした。こうしてふたりの校舎探検が本格的に始まったのだった。

第三章:記憶の欠片と不思議なモンスター

鍵を探す手掛かりを求めて、ふたりは職員室や音楽室へと足を運んだ。職員室の机はどれも整然と並べられているが、人の気配はない。資料棚を開けても、そこにあるのは白紙のように文字の消えかかった書類ばかり。

「鍵はどこにもないよ……」諦めムードが漂う中、結月がふと何かを思い出したように顔を上げた。「そうだ、体育館はもう見た?」「見てない。行ってみよう」

ふたりは昇降口に戻り、体育館へと繋がる渡り廊下を進む。ガラス張りの窓越しに見える空は、相変わらず夕焼けと夜明けが混ざったような、幻想的な色合いだ。そして、体育館のドアを開けた瞬間――蒼太は思わず息を飲んだ。そこには正体不明の奇妙な“影”のようなものが漂っていた。もやがかったシルエットがゆらゆらと揺れている。

「な、何あれ……?」「わからない。けど、近づかないほうがいいかも」

その“影”は、ふたりに気づくと一瞬だけ動きを止め、次の瞬間、ぼんやりとした形のまま、すうっと壁をすり抜けるように消えてしまった。まるで、本から抜け落ちたモンスターの一部のようだ。

奇妙な不安感が胸を締めつける。けれど同時に、これこそが物語の一端なのかもしれない、と蒼太は思い始める。もしもこの世界が本の中なら、出会うものすべてが“物語の要素”なのだろう。

第四章:夕映えの鍵

体育館のステージ裏を探していると、古い照明装置のケースの中から、小さな銀色の鍵が見つかった。鍵の先には夕陽を連想させるオレンジ色のガラス玉が埋め込まれている。

「これって、図書室の鍵かな?」「色がきれい……もしかしたら、これが“夕映えの鍵”ってやつかも」

結月がガラス玉を透かすようにして光を当てると、あの不思議な空の色と同じように、ぼんやりとした朱色の光が周囲を染めた。胸の奥がなぜか温かくなる。

体育館を出ると、いつの間にか空の色は、ほんの少しだけ暗くなっていた。まるで、時間が確かに動き始めたかのように。ふたりは早足で図書室へと向かい、鍵を差し込む。錆びついた扉がぎいっと音をたてて開くと、そこには膨大な本の棚が並び、その奥に一冊の本が浮かび上がるように存在感を放っていた――。

第五章:紡がれる物語

図書室の中央に特設されたような机があり、その上には先ほど蒼太が見つけたのと同じ、古めかしい装丁の本が置かれていた。タイトルはやはり「時の迷い子」。しかし、蒼太が最初に見た本と微妙に装丁が違う。まるで、別の時代の版のようだった。

「この本……あの“影”と関係があるのかな?」結月がそっと手を伸ばそうとした瞬間、本がふわりとページを開き始める。パラパラとページが風にあおられたようにめくれ、そこに書かれた文字が蒼く発光しはじめる。

“遠き世界を繋ぐ鍵 迷い子たちの願いが重なりしとき――時の川は奔流となり、閉じられし物語は開かれる”

眩しい光が図書室を埋め尽くしたかと思うと、ふたりの耳に重なり合った“声”が届いた。それは子どもたちの笑い声や泣き声、先生の優しい呼びかけ、懐かしい放送の音……この学校で積み重ねられてきた無数の記憶の欠片だ。

「全部……この学校にあった思い出?」「本当は消えてしまいそうだったのかもね」

結月の言葉に、蒼太は静かに頷いた。ふたりがこの本の中の世界を巡ったことが、もしかしたら有度小学校の思い出を再び呼び戻すきっかけになったのかもしれない。

第六章:あの日の約束

次のページへ視線を移すと、そこにはふたりの姿が描かれていた。蒼太と結月が校庭を走り、時に笑い合い、時に手を差し伸べ合うイラスト。それを見た瞬間、蒼太の胸にこみ上げる何かがあった。

「結月……」「うん?」

結月の瞳には、うっすらと涙が宿っているように見えた。やがて、イラストは淡い光を放ちながら小さく消えていく。ふと気づくと、図書室の窓の外は通常の夕陽が差し込み、時計は夕方の5時を指していた。まるで、すべての不思議が解けたかのように、いつもの放課後に戻っているのだ。

「戻ってこれたの……かな」蒼太が窓の外を見つめながらつぶやくと、結月はにっこり微笑んだ。「もう迷わないように、思い出を大切にしていかなきゃね」

ふたりは図書室を出て、昇降口へと歩き出す。校舎には、部活を終えた高学年の生徒たちが帰り支度をしていて、いつもの小学校らしいざわめきが戻っていた。

最終章:僕たちの物語は続く

昇降口で靴を履き替え、並んで校門を出る頃には、鮮やかな夕焼けが西の空を染めていた。風がそっと吹いて、ふたりの髪を揺らす。

結月が赤いスニーカーのつま先で砂を蹴り上げると、名残惜しそうに言った。「私、転校してきたばかりだけど、もうすぐまた別の町に行くことになったんだ」「え……?」

思いもよらない告白に、蒼太は言葉を失う。だけど、結月の表情はどこか晴れやかだった。「だから、私たちが今日見てきた世界は……ずっと胸の中に宝物として置いておきたい。たとえ離れても、あんなに素敵な“物語”を共有したから、きっとまた巡り逢える気がするんだ」

そう言って、彼女は小さなノートを取り出した。それは学校から配られたメモ帳で、まだ表紙が真新しい。結月はページを一枚破り、そこに連絡先と短いメッセージを書き込むと、蒼太に差し出した。

「いつかまた、一緒にあの世界に行こう。きっとそのときは、もっと広い物語が待ってるから」

頬を少し赤らめながら受け取る蒼太も、はにかむように笑う。「うん、また一緒に行こう。次はどんな冒険があるのか、楽しみだよ」

ふたりの肩越しには、深いオレンジと藍色のグラデーションが混ざり合った空が見えている。まるで、あの不思議な世界が今も少しだけ重なっているかのよう。

やがて、結月は「じゃあね」と小さく手を振って、一足先に夕陽の中へと駆けて行った。蒼太はいつまでもその背中を見つめていた。手元に残る紙切れと、心に刻まれた物語。それらが、人生を変えるかもしれない――そんな予感が、確かな輝きとなって胸の奥で灯り続ける。

――これは、清水市立有度小学校の図書室で、本を開いた少年が出逢った、不思議な世界と少女との物語。その先にはまだ、書き加えられる余白がある。黄昏の空の下、蒼太は新たなページをめくるように、静かに未来へと足を進めていくのだった。

 
 
 

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