山と海のかけ橋
- 山崎行政書士事務所
- 1月19日
- 読了時間: 6分

静岡市の大地は、南アルプスの裾野から安倍川の流れ、そして駿河湾へとつながる。山と海が見つめ合うように地形を成し、人々はその恩恵を受けながら暮らしている。けれど、だれもが知るわけではない、“山と海を結ぶ見えない橋”という伝説がこの地にはあるという。
始まりの風
ある春の夕暮れ、中学一年生の**湊(みなと)**は、ふとした拍子に友達ともめごとを起こし、一人安倍川のほとりを歩いていた。川面には紅色の夕日が反射し、その向こうには富士山のシルエットが淡く立ち昇っている。
どこかで潮の香りを伴った風が吹きつけ、湊は胸の内にざわめきが広がるのを覚えた――まるで誰かが呼んでいるような感覚。「なんだろう」と首をかしげた瞬間、遠く河川敷の先に、古めかしい石の鳥居のようなものが一瞬見えた。だが、よく目を凝らすとそれは消えてしまう。
「あれは……気のせいかな……」
湊は首を振りながら、そのまま家へ帰ったが、頭の中には「山と海を結ぶ見えない橋」という伝説の断片が浮かんで消えなかった。
“見えない橋”の伝説
翌日、図書館で山と海の伝承を調べてみると、古い文献にこう記されていた。
「富士の山頂から駿河の海へ、かつて“見えざる橋”が架けられていた。それを渡れるのは、心澄みきった者のみ。橋を行き来する者は、山の息吹と海の息吹をひとつにつなげる役目を担う――。」
心澄みきった者……。湊は自分がそんな立派な存在とは思えなかったが、なぜかその言葉に強く惹かれた。
石段のようなものを見た気がする安倍川の河原へまた行ってみると、そこには本当に苔むした小さな祠(ほこら)があった。扉をそっと開けようとすると、中には木製の札があり、「ここは山と海のかけ橋への入り口なり 行く者は心を清らかに」とだけ書かれている。
「山と海のかけ橋……やっぱりあるんだ!」
湊の胸はどきどきした。
見えない足場
その夜、更ける頃、どうにも落ち着かず外へ出てみると、川辺から富士山の方向へ青白い筋のような光が続いているのを見つけた。まるで空に浮かぶ道のように見える。
「あれが……見えない橋……?」
足を進めようとすると、不思議なことに、光の筋が湊の足元でかすかに形をなす。恐る恐る踏み出してみると、なんの根拠もないのに足裏がしっかり地を踏むような感触があった。怖いけれど、なぜだか前に進まずにはいられない――。
こうして湊は夜の闇の中、光の筋をたどり、富士山の方向へ歩きはじめた。
火の息吹と水の息吹
空の彼方に山の稜線がうっすら見えはじめる頃、足元の道が揺らぎ、まるで雲の上を行くような景色が広がる。突如、稜線付近に赤い輝きが現れ、そこから炎を纏うかのような火の息吹の精が浮かびあがった。
「ここまで来たか、人間の子よ。お前は山の力を恐れずに進んできたのだな。」
湊はびくりと身を縮めるが、どこか親しみも感じられる精の声に、無言でうなずく。火の精は穏やかに目を細め、次のように続けた。
「富士山は長き火の力を秘め、その恵みを麓の民にも与えてきたが、近ごろは山麓における人々の振る舞いで、我が息は乱されがちになっている。いずれ噴きあがるかもしれぬ火を、どう制御すべきか、我も迷うのだ。」
湊は胸を詰まらせるように、ただ黙って聞いた。
「だがこの先、海の息吹と出会い、お前が何を感じるか――それが山と海をつなぐ橋を生かすか、絶やすかの分かれ道となろう。行くがよい、人間の子よ。」
火の精はそう言うと、わずかに炎のような光を湊の胸に宿し、すうっと夜闇に溶けていった。
海の息吹としずくの光
火の精との出会いから少し先へ進むと、今度は足元から冷たい潮の香りが漂う。見えない橋は駿河湾の上空まで伸びているらしく、遥か下に小さく街の灯りと海面が見えた。
すると、波しぶきのような蒼い光が現れ、水の息吹の精が姿をあらわす。
「あなたは山を経て、ここまで来たのね。海の底は、流れ込むゴミや汚れで疲れている。私たちの力だけでは、もう浄化しきれないほど大きな負担があるの……。」
精の声は穏やかだが、深い悲しみを孕んでいた。湊は思わず瞳をそらし、「ごめんなさい、ぼくたちのせいで……」と絞り出すように答える。
「謝らないで。あなたはこうして、山と海をつなぐ橋を探してくれた。それだけでも大きな一歩。でも……わたしたちは山と海、それぞれの力を、過不足なく巡らせるために、人間の協力が必要なの。」
水の精は、きらきらとしたしずくの光を湊の胸の奥へと送り込むようにそっと触れる。
「山の火も、海の水も、どちらが欠けても、静岡の大地は成り立たない。どうか、あなたがこの橋の存在を伝えて……山から海へ、海から山へ、命の流れがあることを思い出してほしい。」
消えゆく橋、残る光
ふたつの精霊から託された炎の光としずくの光が混ざりあい、湊の胸の中で小さな輝きを放ち始める。それがまるで心臓の鼓動に同調するように、ぽん、ぽん……とあたたかな振動を生み出した。
すると、見えない橋が一瞬、まばゆい閃光を放ち、湊を包み込む。息をするのも忘れるほどの光が周囲を満たしたかと思うと、次には闇に呑まれるようにすうっと消えていった。
はっと気づけば、湊は安倍川のほとり、あの苔むした祠の前に立っていた。夜空には星が瞬き、富士山はかすかに輪郭を浮かべ、駿河湾方向からはほんのり潮の香りが漂う。
「……夢……じゃないよね、きっと……。」
胸に手を当てると、まだあの炎としずくの余韻が静かに燃えているように感じられる。
新たな一歩
翌朝、湊は友だちに謝ろうと決心し、学校で素直に声をかけた。くだらない言い争いで疎遠になりかけていた相手も、「俺も悪かったよ」とすぐに笑ってくれた。それだけで胸が少し軽くなったようで、あの橋の光が後押ししてくれたと信じたくなる。
そして、山から海へ、海から山へ――自然のつながりを自分なりに守りたいと思った湊は、安倍川の清掃や、富士山麓の植林ボランティアに興味を持ちはじめた。それらは小さな行動だけれど、火と水の息吹が教えてくれたバランスを、ほんの少しでも取り戻す手伝いになるのではないか、と思うのだ。
「あの見えない橋は……、きっとずっとそこにあるんだろう。ぼくたち一人ひとりの“純粋な思い”があれば、いつでも渡れるはずだ。山と海をつなぐのは、特別な力じゃない。ほんの小さな気づきと、行動なんだ……。」
湊はそう呟きながら、川面に映る空を見つめ、遠く富士山と駿河湾を一緒に想像する。そこには、混ざり合いながらも離れられない火と水が、今日も静かに息づいているはずだ。
終わりに
――こうして、静岡という地形が孕む山と海の対話は、見えない橋を通じて幾度も繰り返されるのかもしれない。火の息吹と水の息吹は、争うためでなく、人々に自然を敬う心を取り戻してもらうために、時おりメッセージを送ってくる。
いつの日か、あなたも夜の川辺や海辺、山麓の小道で、淡い光の橋を見かけるかもしれない。もし心が澄んでいれば、そこにはきっと二つの大きな力が待ち受けていて、静かに語りかけてくれるだろう。山から海へ、海から山へ――命の循環を、どうか忘れないで、と。





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