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山稜の糸 ― ルーマニアの装いと多様性に寄せて

  • 山崎行政書士事務所
  • 9月4日
  • 読了時間: 3分

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岩肌のざらつきが、素足の裏で小さく鳴る。

丘の向こうに川が白くほどけ、畑は布を継ぎ合わせたように色を変える。風にふくらむ白い袖の上で、赤と墨の糸が静かに流れていた。肩には**アルティツァ(altiță)という小さな区画、胸元には細かな寄せ――インクレツ(încreț)。縦に落ちる帯はラウリ(râuri=川)**と呼ばれ、名前のとおり、谷に沿って下る水の道を思わせる。


腰をとめるのは、厚みのあるブラウ(brâu)。巻きスカートは土地によって**カトリンツァ(catrință)ともフォタ(fota)**とも呼ばれ、織り込まれた幾何の模様が、遠くの村々の屋根や門の影と呼応する。刺繍は派手ではない。けれど、布に宿った時間は光を吸い、午後の雲が薄くなるにつれて、文様の一本一本が山の輪郭のように確かになっていく。


この国の衣は、地図だと思う。

カルパチアの尾根、ドナウの湿地、日照の強い葡萄畑、雪を運ぶ風――それらが図形に言い換えられて、家々の卓や膝の上で何世代もかけて縫い重ねられてきた。赤は血の温かさ、黒は土の眠り。白は冬の息であり、祈りの余白だ。


山稜では、言葉より先に“円”が生まれる。

ひとが手を取り合って踊る**ホラ(hora)**の輪。輪の中心には、誰のものでもない拍が置かれ、それぞれの足取りがそこへ戻ってくる。トランシルヴァニアの木彫りの門から、ドブロジャの海風まで、輪は大きくなったり小さくなったりしながら、異なる声をほどよい距離で結び直していく。ハンガリー系の刺繍も、ザクセンの尖塔も、ロマの銅細工も、ドナウ・デルタのリポヴァンの祈りも――それぞれが輪の縁で自分の呼吸を守りつつ、隣の鼓動を乱さない。


一枚の布に戻ってみる。

針は、はじめから速くは動かない。図案は同じでも、手の温度やため息の深さで糸の表情が変わる。だから装いは“伝統”でありながら“個人”でもある。山道を慎重に降りる彼女の掌の角度、石を探るつま先のためらい、その一瞬の姿勢までもが、布の記憶に縫い留められていく。


旅人として私にできるのは、見えない縫い目に触れないことだ。

写真を撮るとき、輪の内側へ踏み込みすぎないこと。名前の違いを面白がるより先に、布が生まれた台所の匂いを想像すること。刺繍の“川”が示しているのは、どこか遠い源流で、互いの水がつながっているという事実だ。


太陽が傾き、谷の湖が薄く光った。

風が袖を揺らすたび、糸が小さく瞬き、山は古い物語を一つだけ思い出す――「人は輪になって生きる」。その輪は、祭りの日だけでなく、パンを分ける手つきや、道を譲る足の運びのなかにも現れる。多様性という言葉はときに硬いが、ここではもっと柔らかい感触だ。刺繍の裏に走る返し縫いのように、生活に寄り添って見え隠れする。


日が落ちる。

布は静まり、模様は夜の色へ沈む。けれど、ラウリは消えない。闇の底で、細い川が流れ続けるように。明日もまた、誰かの肩に新しい糸が結ばれ、別の旋律が輪の端で始まるだろう。

そして旅人は、ただその端に立ち、風の向きを確かめる。刺繍の川がたどる先を、傷つけない歩幅で。

 
 
 

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