山間の古民家と相続の風景
- 山崎行政書士事務所
- 1月10日
- 読了時間: 5分

一
山裾を縫うように続く細道を歩くと、折からの秋風が肌を刺すように吹きすぎる。踏みしめる落ち葉がかさり、かさりと微かな音を立てるのを聞きながら、私は一枚の地図を手にしていた。 やがて、その道端に古びた案内板があり、「大沢(おおさわ)」という地名が朽ちかけの文字で示されている。その先には、鬱蒼とした雑木林の間から姿を見せる、瓦屋根の大きな古民家が一棟。 「ここが依頼者の“相続したい”と言う家か……」 そう思い、しばし立ち尽くすと、木々の隙間からは透きとおるような秋の陽射しが漏れ、冷えた空気の中にも淡い明るさが漂っていた。
二
依頼者、小田(おだ)郁子という女性が、表から顔を出している。大きな縁側があり、そこにまこと懐かしい赤い毛氈(もうせん)が敷かれ、柿色の風呂敷包みが何かの書類らしきものを包んでいる。 「遠いところをようこそ……わたくし、小田と申します。この家を相続したいのですが、役所で手続きが煩雑だとか聞いて、途方に暮れていたところ、先生にご相談できればと……」 彼女ははにかむように笑い、案内してくれたのは縁側。座り心地の良い座布団が置かれ、そばには湯飲みと急須が用意されている。 私(主人公)は行政書士として、書類鞄を膝に置きながら、「まずはお話を伺いましょう」と応じる。目の前には、山の稜線を背景に、鮮やかな紅葉の枝が揺れている。風がひと吹きすると、枝先の赤や黄の葉がはらりと落ちて、縁側へ舞い散った。
三
小田郁子は、この古民家を祖父母からの遺産として受け継ぐつもりでいたのだという。しかし、分家筋や遠縁の相続人が絡んで、所有権の手続きがややこしくなっているらしい。 「それで、法定相続人の確定や、登記の変更などをお願いできませんか?」 彼女がそう言いながらも、どこか懐かしむような眼差しを、屋内の梁(はり)や欄間(らんま)に向けている。 私もそっと室内を見渡すと、白壁がところどころ黄ばんではいるが、木造の味わい深い造作がなんとも優美だ。まるで大正か昭和初期の残り香が漂っているよう。 「趣あるお宅ですね。こんなに立派な梁が残っているとは」 そう呟くと、郁子は少し微笑んで、**「ええ、祖父も祖母も、ここでずっと暮らしてきました。春は梅と桜、夏は山から吹く涼風、秋はこうして紅葉が鮮やかで、冬には雪景色……。子どもの頃から何度も訪れるたび、季節ごとの表情を楽しみにしていたんです」**と語る。
四
折しも、その話を聞くうち、思わず私はこう尋ねてしまった。「この家を相続して、どうなさりたいんですか?」 すると郁子はわずかに目を伏せ、**「ここは私にとって、家族の思い出が詰まっている場所なんです。できれば古民家を壊さず、残したいんです。でも田舎の家なんて、維持費もかかるし、親戚は皆『売却したら?』って……」**と。 外からは、風が木の枝を揺らし、葉擦れの音が小さく響く。その音が、まるで亡き祖父母が何か語りかけてくるように聞こえる。 私は行政書士として、書類上の問題を解決するのが仕事――しかし、それ以上に、この家に宿る思い出を絶やさないよう、なんとか力になれたらいい。そんな感情が胸の奥で強く芽生えたのだった。
五
相続の手続きは、決して簡単ではない。法定相続人全員の同意、遺産分割協議書の作成、印鑑証明の収集、そして古民家自体の現況調査も必要。 郁子から聴き取った親族の構成をノートに記し、私が役所に行き、戸籍をさかのぼって取り寄せる作業が続く。 ある朝、山道を歩きながら私は思う。「この道もずいぶん落ち葉が積もってきたなぁ。もうじき雪でも降れば、さらに静寂に包まれるんだろう」 落ち葉を踏む音が軽やかに耳に入る。冷たい風が耳元を吹き抜けるたびに、祖父母がこの家で暮らしていた往時の賑わいをふと想像して、口元がほころぶ。そうして私は、急ぎ脚を速め、役所へ向かった。
六
冬の訪れが近づくころ、私は郁子へ進捗状況を報告に再び古民家を訪れた。 縁側には一枚の座布団が置かれ、寒さをしのぐための炭火が用意されている。外を見れば、木枯らしが庭の枝を揺らす。紅葉の名残もだんだん散り去って、地面に赤黄の絨毯が広がる様はなんとも美しい。 「全部の戸籍を揃えて、親族の方々への連絡も完了しました。あとはみなさんの印鑑証明が揃えば、書類が完成します」 郁子は手を合わせて喜びの表情。「本当にありがとうございます。先生のおかげで、祖父母の思い出が詰まったこの家を、私が守れるんですね……」 言葉尻が震え、瞳に涙が滲むのを見て、私の胸にも温かい何かが込み上げる。**「いえ、私こそ。この家の持つ力を感じて、すっかり魅了されましたよ」**と素直に伝える。
七(エピローグ)
初雪の降りしきる山里。最後の印鑑証明が届き、相続手続きがすべて整った日に、私はやわらかい雪の道を踏みしめながら古民家に向かう。 白く染まった屋根から雪がこぼれ落ちる音がときおり響く。玄関を開けると、郁子が笑顔で迎え、「先生、あなたのおかげで、今日から正式に私の家になりました」と報告する。 四季折々の花を携えてこの縁側に座った祖母、畑仕事の合間にここで昼寝をした祖父……そんな懐かしい情景を、郁子は涙ながらに語る。縁側から眺める雪景色は静寂そのものだが、そこに確かに脈打つ家族の絆が感じられる。 「日本の古い家も悪くないよね」と、私は冗談めかして言うが、郁子は「ええ、ここには季節ごとの風情と、祖父母の息づかいが残ってるんです」と微笑む。 そうして、私たちはあたたかい湯呑みに手を伸ばし、湯気の向こうに広がる雪化粧の庭をじっと見つめる。 ――この古民家とともに、家族の思い出を受け継ぐ郁子の姿が、ひとつの物語としてこれからもこの山間で輝くに違いない。





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