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巴川、夜の水

 巴川の堤に立つと、夜は水よりも先に皮膚へ触れた。海に近い町の夜気は、山の夜のように鋭利ではない。むしろ湿りを含んだ鈍い布のように、身体の輪郭をなぞり、そこにある肉を確かめる。幹夫はその確かめられる感じが好きだった。確かめられる肉だけが、思想の浮薄さを黙らせることができる。

 川は黒かった。黒いと言うより、黒さの中に光が砕けて沈んでいる。橋の街灯が細い金属の針となって水面を刺し、その針は波の息づかいで折れたり伸びたりする。光が折れるたび、幹夫の胸の奥で何かが小さく、しかし確実に折れた。彼はその折れを痛みとは呼ばなかった。痛みと呼べば救いになる。救いは今夜、川面よりも危険だった。

 堤の向こうに、清水の町の灯が点々と浮いている。コンビニの白い看板、遠くの工場の赤い航空灯、港の方から届く低い唸り。すべてが近代の合理の匂いを放ちながら、同時にどこか虚飾めいて見える。幹夫は虚飾を憎んでいた。虚飾は肉体を空洞にする。空洞は、何かが入り込む余地を与える。入り込むものはいつも、甘い言葉を持っている。

 彼は欄干に手を置いた。金属が冷たい。冷たさは正確だった。正確さは倫理に似ている。都市の倫理は、しばしば説明に逃げる。説明はいつでも善意の顔をする。だが金属の冷たさは善意ではない。そこにはただ因果がある。冷えているから冷たい。それだけだ。幹夫はその「それだけ」を愛した。

 ――水の中も、ああいう「それだけ」なのだろうか。

 彼は川面を覗き込んだ。水面の上を走る光が、彼の眼に入り、眼の奥で細く裂けた。水は何も語らない。しかし沈黙は、言葉よりも多くの命令を含むことがある。命令は「やれ」と言わない。「できる」と言うだけだ。「できる」は誘惑の基本形である。

 幹夫は自分の身体を思った。昼間、鏡の前で確かめた肩の線、腹筋の薄い溝、脈打つ首筋。あれは確かに自分の肉でありながら、どこか借り物のようでもある。借り物の肉は、いつか返さねばならない。返す相手は誰だろう。神か、国家か、自然か。幹夫はどれも信じなかった。信じないくせに、返却だけは不可避である。その不可避が、彼の中で「死」という一語にまとわりついていた。

 死――。

 幹夫はその言葉を、口に出さずに舌の上で転がした。死は、日常に混ぜればただの概念になる。しかし概念は軽すぎる。軽すぎるものは、肉体を動かさない。幹夫は、死を概念のままにしておくことに耐えられなかった。死は肉体の問題でなければならない。肉体の問題である限り、死は美に接続し得る。美はいつも肉体から始まる。肉体のない美は、観念の墓石にすぎない。

 橋の下に、釣り人が一人いた。黙って竿を垂らし、波の気配だけを聞いている。白い煙が細く昇った。煙草の火が風に揺れ、灰が川へ落ちる。灰は水面で一瞬だけ白く浮き、すぐに消えた。消えたことが、釣り人には何の事件でもないらしい。幹夫は、その無関心に羨望を抱いた。無関心は強さである。強さは美の条件である。だが無関心はまた、醜さへも近い。どこかで線を引かなければ、強さはただの鈍さに落ちる。

 幹夫は歩き出した。堤を伝って上流へ、あるいは下流へ、方向はどうでもよかった。重要なのは、歩くことが夜の水に対する一つの抵抗になるということだけだった。抵抗は、しかし多くの場合、誘惑を濃くする。抵抗があるからこそ、誘惑は勝利の味を持つ。

 川沿いの道に、植え込みが途切れる場所があった。そこから水面がよく見える。街灯の光が届かない区画で、黒さはさらに深くなる。黒さは「形」を奪う。形を奪われたものは、観念の好きな場所へ似る。観念は境界を好まない。観念は曖昧を好み、曖昧の中で自分を増殖させる。幹夫は曖昧を憎むくせに、曖昧へ引き寄せられる自分を知っていた。

 そこで彼は、不意に自分の死を「様式」として想像した。

 死は逃避ではない、と彼は自分に言い聞かせた。逃避としての死ほど卑しいものはない。卑しさは、どれほど美しい言葉で飾っても卑しさのままだ。死が許されるためには、少なくとも形式が必要だ。形式があるとき、人は自分の欲望を露骨にしないですむ。形式とは、欲望に衣裳を着せることではない。欲望の輪郭を、刃のように確定させることである。

 しかし――と幹夫は思った。ここは巴川である。夜の河川敷である。潮と泥の匂いが混ざり、町の灯が水に崩れ、釣り人が煙草を吸っている。ここで死を形式にするには、あまりに背景が日常すぎる。日常は形式を嘲笑する。日常は、英雄の死でさえゴミ袋の隣に置いてしまう。死がどれほど劇的でも、救急車のサイレンは同じ音を鳴らす。看護師は同じ顔をし、事務員は同じ書類を出す。幹夫はその想像に、吐き気にも似た嫌悪を覚えた。嫌悪は、彼の美学の最後の砦だった。

 その時、風が強く吹き、川面がざわりと一斉に身じろぎした。光の破片が飛び散り、黒さが一瞬だけ薄くなった。幹夫は、そこに何か白いものが漂っているのを見た。袋か、発泡スチロールか、あるいは水鳥の腹か。正体がわからない白さほど、心をざらつかせるものはない。幹夫はその白さを、美しいと思わなかった。美しいと思えない白さこそが、真の死に近いのではないか――そう思った瞬間、彼の中で「様式」という言葉が少し色褪せた。

 死は完成ではない。完成という言い方が許されるのは、完成したものが残る場合だけだ。残らない完成など、ただの消滅である。消滅を完成と呼ぶのは、観念の詐欺にすぎない。

 幹夫は欄干を握り直した。掌に汗が滲んでいる。冷たい金属と暖かい汗が混じる感触は、奇妙に生々しい。生々しさは、彼を現実へ引き戻した。現実は美しくない。しかし美しくない現実の中で、なお美を求めることが、彼にとっては意志の証明だった。

 橋の向こうから、若い男女の笑い声が近づいてきた。二人は並んで歩き、何か小さな冗談を言い合い、肩を寄せ合っている。笑い声は軽く、夜の水の重さを一瞬だけ押しのけた。幹夫は、彼らの軽さを軽蔑しなかった。軽さには軽さの美がある。しかし幹夫は、その美に参加できない自分を知っていた。参加できない者が美を語るとき、語りはたちまち嫉妬になる。嫉妬は醜い。醜さは、彼の中で最も許し難い罪だった。

 二人は幹夫をちらりとも見ずに通り過ぎた。見られないことが、幹夫を救った。救ったのに、同時に傷つけた。見られない者は、存在していないのと同じである。存在しない者が死んでも、世界は何も変えない。世界が変わらない死は、いかなる形式でも救われない。幹夫はそれを悟り、足の裏が冷たくなるのを感じた。

 彼はさらに歩いた。川が海へ近づくにつれ、匂いは塩に寄り、風は広くなる。遠くで船のエンジン音が短く唸った。港の明かりが水に長い道をつくっている。あの道の上を、誰かが歩けるならどんなに簡単だろう。だが水の上は歩けない。歩けないという事実が、幹夫にはなぜか慰めになった。世界には不可能がある。不可能がある限り、意志は試される。試される意志だけが美しい。

 堤の端に、小さな祠があった。白い紙垂が風に揺れ、誰かが供えた缶飲料が転がっている。幹夫は祠の前で立ち止まった。祈りは嫌いだった。祈りは責任を外へ預ける行為に見える。だが幹夫は、その夜だけは祈りの形を借りてもいいと思った。形だけなら、責任はまだ自分の手の中にある。

 彼は祠に向かって、心の中で言った。

 ――私は、死を選ばない。

 それは道徳ではなかった。生を賛美する宗教的感傷でもなかった。むしろ、死があまりに容易であるという認識から出た、冷たい決意だった。容易なものに屈するのは美しくない。美は困難の側にしかない。死が困難でないなら、死は美の側ではない。幹夫は、そう結論することで自分を保とうとした。

 彼は踵を返した。巴川の水は背後で黙って流れている。黙って流れる水ほど、しつこい誘惑はない。しかし誘惑が残ること自体が、彼にとっては救いでもあった。誘惑のない人生は、すでに死んでいる。誘惑がある限り、意志が働く余地がある。意志が働く余地がある限り、肉体はまだ鍛えられる。

 街へ戻ると、路面の光は白く、信号は規則正しく点滅し、コンビニの自動ドアが乾いた音を立てて開いた。日常は何事もなかったように整っている。その整いが、逆に残酷だった。だが幹夫は、その残酷さの中へ戻ることを選んだ。戻ることが、今夜の唯一の形式だった。

 彼はふと振り返った。巴川の方角は闇で、灯の線だけが遠くに細く見える。水は見えない。見えないのに、そこにある。そこにあるのに、触れない。触れないことが、かえって確かだった。

 幹夫は歩いた。歩きながら、掌の中に残る金属の冷たさと汗のぬめりを確かめた。生は、こういう取るに足らない感触の積み重ねでしかない。だがその取るに足らなさに耐えることが、たぶん最も困難な行為なのだろう。

 背後で、巴川は何も言わずに流れ続けていた。

 
 
 

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