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御門台駅、終電は死体を乗せて笑う

※この物語はフィクションです。人物・事件・時刻表・運行描写はすべて創作です。

雨の夜、静岡鉄道・御門台駅のホームに、男が座っていた。

背筋を伸ばし、両手を膝に置き、まるで終電を待つ勤め人のように。

だが、彼の胸には細長い紙が刺さっていた。

それは刃物ではない。

駅前の掲示板から剥がされた、時刻表の一片だった。

赤いペンで、こう書かれていた。

二十時十三分。上り。死。

男は死んでいた。

清水署の刑事、梶原烈は、雨を吸ったスーツのままホームに立ち、遺体の前で拳を握った。

「……ふざけやがって」

彼は熱血漢だった。怒鳴る。走る。空振りもする。だが、誰よりも遺族の顔を覚えた。誰よりも、被害者の名前を忘れなかった。

死んでいた男は、黒田省吾。かつて駅周辺の商店会長を務めた老人だった。

その夜、御門台駅の防犯カメラには、容疑者らしき人物が映っていた。

黒いコート。銀色の傘。細い体。顔は雨粒と影で潰れている。

その人物は、二十時十三分ちょうど、御門台駅とは離れた駅の改札を通過していた。

ICカードの記録もあった。

さらに、ホームのカメラにも、黒いコートの男が電車に乗る姿が映っていた。

梶原の部下、佐伯澪が唇を噛んだ。

「犯行時刻に、犯人は電車の中……」

梶原は言った。

「だから犯人じゃない、ってか?」

佐伯は首を振った。

「いえ。だから、挑発です」

翌朝、清水署に白い封筒が届いた。

中には、御門台駅の架空の時刻表が入っていた。

その余白に、整った文字が並んでいた。

梶原刑事へ。時刻表を信じる者は、時刻表に殺される。次は二十時二十九分。君の熱血は、僕のダイヤを乱せるか?

署内が凍った。

差出人名はなかった。

ただ、署員たちはすぐに一人の男の名を思い浮かべた。

天城零。

かつて鉄道運行システムの研究で名を馳せた天才。知能検査では測定上限を振り切り、世間から“MAXの頭脳”と呼ばれた男。

だが、三年前から表舞台を去り、御門台駅周辺で目撃されるようになった。

趣味は、時刻表を読むこと。

口癖は、こうだった。

「人間は不正確だ。時刻表だけが美しい」

二度目の殺人は、予告通りに起きた。

二十時二十九分。

御門台駅前の古い薬局の奥で、原田誠一という男が死んでいた。

薬局のシャッターには、時刻表の紙片が貼られていた。

二十時二十九分。下り。死。

そしてまた、天城零には完璧なアリバイがあった。

二十時二十九分、彼は黒いコート姿で電車に乗っているように見えた。

駅員も証言した。

「黒いコートで、銀の傘の人です。見ました。間違いありません」

だが、梶原は駅員の言葉に眉を寄せた。

「顔は?」

「……見ていません」

「歩き方は?」

駅員は困ったように笑った。

「そこまでは」

梶原は雨の御門台駅に戻った。

小さな駅だった。

派手な観光地ではない。誰かの生活の真ん中にある駅だった。

学生が走り、買い物袋を提げた主婦が改札を抜け、年老いた夫婦が手を取り合ってホームへ向かう。

誰かにとって、ここはただの駅ではない。

朝に出て、夜に帰る場所。

泣くのを我慢して乗る電車。

仲直りの電話をかけるベンチ。

人が、生きるために通る場所だ。

それを、殺人鬼は舞台にした。

梶原はホームの隅で、泣いている少年を見つけた。

少年は黒田省吾の孫だった。

「じいちゃん、毎朝ここでパン買ってた。僕に、電車の時間を教えてくれた」

梶原は膝をついた。

「名前は?」

「亮太」

「亮太。俺は約束は軽くしない。でも、ひとつだけ言う。お前のじいちゃんを、紙切れの数字にはしない」

少年は泣きながら頷いた。

そのとき、梶原の携帯が鳴った。

非通知。

「梶原刑事」

受話口の向こうから、若い男の声がした。

静かで、滑らかで、感情の温度がなかった。

「熱い芝居は済んだ?」

「天城零か」

「名前は記号だよ」

「人を殺して楽しいか」

「うん」

即答だった。

梶原の奥歯が鳴った。

「人間が自分の時刻を失う瞬間は美しい。怯える。祈る。後悔する。だが、列車は止まらない」

「てめえは神にでもなったつもりか」

「違う。僕は時刻表だ」

電話は切れた。

三度目の予告は、二十時四十四分だった。

警察は御門台駅周辺を包囲した。

駅、商店街、踏切、駐輪場、路地裏。

梶原は雨の中を走り回った。

二十時四十四分。

何も起きなかった。

署員たちが安堵しかけた、そのとき。

佐伯が叫んだ。

「梶原さん! 駅から少し離れたアパートで遺体発見!」

被害者は矢部君江。元看護師。

部屋の壁には、また時刻表が貼られていた。

二十時四十四分。回送。死。

梶原は壁を殴った。

「くそっ!」

佐伯が写真を並べた。

黒田、原田、矢部。

三人は、十五年前のある事故の関係者だった。

御門台駅近くの踏切で、母子が列車に接触し、母親が死亡。幼い息子だけが助かった。

事故記録には、こう書かれていた。

原因不明。母親が遮断機の内側に入った可能性。

だが、証言者欄には三人の名前があった。

黒田省吾。

原田誠一。

矢部君江。

そして、事故で助かった幼い息子の名前は――天城零。

佐伯が息を呑んだ。

「復讐……?」

梶原は首を振った。

「復讐だけなら、あんなふうに笑わねえ」

梶原は防犯映像を見直した。

一度目の映像。

黒いコートの人物は、改札を抜けるとき、右足を少し引きずっていた。

黒田ではない。

天城でもない。

原田誠一の癖だった。原田は若い頃の事故で、右足が悪かった。

二度目の映像。

黒いコートの人物は、ホームの端で軽く頭を下げた。

誰に対してでもなく、無意識に。

それは矢部君江の癖だった。元看護師の彼女は、人とすれ違うたびに小さく会釈する人だった。

梶原の背中に冷たいものが走った。

「そういうことか……」

佐伯が顔を上げた。

「何がです?」

梶原は時刻表を睨んだ。

「犯人は電車に乗ってたんじゃない」

「でも、映像には――」

「乗ってたのは、次に殺される人間だ」

佐伯の顔から血の気が引いた。

天城零は、次の被害者に自分のコートを着せ、傘を持たせ、カードを使わせていた。

脅し、罪悪感、十五年前の秘密。

それらを餌にして、被害者たちを自分のアリバイに変えていた。

一人目の殺害時、原田が天城の姿で電車に乗った。

二人目の殺害時、矢部が天城の姿で電車に乗った。

つまり、次に黒いコートを着て電車に乗る者が、次の犠牲者。

時刻表アリバイは、列車ではなく、人間の恐怖を走らせるトリックだった。

梶原は叫んだ。

「次の“天城”を探せ!」

その夜、四度目の封筒が届いた。

最終便。五時〇二分。御門台駅。太陽を殺す。

封筒の中には、古びた写真が入っていた。

十五年前の踏切。

若い警察官。

泣き崩れる少年。

そして、写真の端に写る男。

梶原の父、梶原清一郎だった。

元警察官。

十五年前の事故処理を担当した男。

梶原は実家へ走った。

父は古い仏壇の前に座っていた。

「親父。十五年前、何があった」

清一郎は黙った。

「答えろ!」

父は震える手で湯呑みを置いた。

「……あの子を守りたかった」

「天城零を?」

「零くんは、母親を追って踏切に入った。母親は、あの子を突き飛ばして助けた。亡くなったのは母親だけだった」

梶原は息を止めた。

「事故記録には、母親が自分から入ったとある」

「子どもを罪の記憶から守るためだ。黒田さんも、原田さんも、矢部さんも……皆、そう証言した。あの子が母親を死なせたと思って生きることがないように」

「それを隠した結果、あいつは何を信じた?」

清一郎は顔を伏せた。

「母親を殺したのは、大人たちの嘘だと」

梶原は拳を握った。

怒りの矛先が、犯人だけではなくなった。

善意。

嘘。

沈黙。

それらが十五年かけて腐り、殺人鬼を育てた。

梶原は父の肩を掴んだ。

「次の標的は親父だ」

清一郎は微笑んだ。

「なら、行かねばならん」

「ふざけるな!」

「烈。私は逃げてきた。今度は逃げん」

夜明け前の御門台駅は、青黒い闇に沈んでいた。

雨は止んでいた。

そのかわり、空気が冷たく、ホームの蛍光灯だけが人のいない世界を照らしていた。

五時前。

黒いコートの人物が改札を抜けた。

銀色の傘。

ゆっくりした歩き方。

梶原は柱の陰から見た。

父だった。

天城零に脅され、自らもまた“アリバイ”として歩いていた。

そして、ホームの反対側。

天城零が立っていた。

細い体。白い顔。感情のない目。

彼は梶原を見つけると、微笑んだ。

「間に合ったね。熱血刑事」

梶原は走った。

天城も走った。

二人は人気のない駅の通路でぶつかった。

天城は身軽だった。階段の手すりを掴み、梶原の突進をかわす。

梶原は肩から壁に激突したが、止まらなかった。

「逃げるな!」

「逃げてない。進行してるだけだ」

「人を数字にするな!」

梶原の拳が天城の頬をかすめた。

天城は笑った。

「君の父親も嘘つきだ。黒田も、原田も、矢部も。母さんを殺した時間を消した」

「違う!」

梶原は天城を押し倒した。

二人はホームの床に転がった。

遠くで始発の接近音が響いた。

天城の目が輝いた。

「五時〇二分。太陽が昇る前に、君の父親は死ぬ。僕はまた電車の中にいる。完璧だ」

梶原は天城の胸ぐらを掴んだ。

「完璧じゃねえ」

「何が?」

「お前の時刻表には、人間がいない」

天城の顔が初めて歪んだ。

梶原は続けた。

「あの人たちは、お前を責めなかった。お前を守ろうとした。間違ったやり方だった。最低の嘘だった。だが、お前を殺そうとしたんじゃない」

「黙れ」

「お前は、母親を殺した大人に復讐してるつもりだったんだろ」

「黙れ!」

「でも、お前が殺したのは――お前の罪を半分背負ってくれていた人たちだ」

天城の笑みが消えた。

始発列車のライトがホームを白く染めた。

清一郎が立ち尽くしていた。

佐伯が飛び込み、彼を抱えるようにして安全な場所へ引いた。

梶原は天城を押さえ込んだ。

天城は暴れた。

「違う! 違う! 時刻表は正しい! 僕は間違ってない!」

梶原は歯を食いしばった。

「間違った時刻表でも、人はそれを信じて歩いちまう。だから刑事がいるんだ。止めるために」

手錠の音が、夜明けのホームに響いた。

五時〇二分。

始発列車は、御門台駅を静かに出ていった。

天城零は連行されながら、最後に空を見た。

東の空が薄く明るくなっていた。

「……太陽は、殺せないんだね」

その声には、初めて子どものような弱さがあった。

梶原は答えなかった。

答える資格が、自分たち大人にあるのか分からなかった。

事件後、十五年前の事故記録は再調査された。

清一郎は自ら証言した。

黒田、原田、矢部がついた嘘も明らかになった。

彼らは善人ではなかった。

正義でもなかった。

ただ、泣いている子どもを前にして、正しいことができなかった弱い大人たちだった。

その弱さが、別の地獄を生んだ。

御門台駅のホームには、しばらく花が置かれた。

黒田の孫、亮太は毎朝、花に手を合わせてから学校へ行った。

ある朝、梶原は駅で亮太に会った。

少年は言った。

「刑事さん。じいちゃん、悪い人だったの?」

梶原は少し黙った。

嘘をつくのは簡単だった。

だが、嘘はいつか時刻表になる。

人をどこかへ運んでしまう。

「悪いことをした人だ」

梶原は言った。

「でも、お前を大事に思ってた人でもある」

亮太は泣かなかった。

ただ、朝日を見た。

御門台駅の線路の向こうから、光が差していた。

殺された人は戻らない。

壊れた心も、簡単には戻らない。

正義は遅すぎた。

真実は冷たすぎた。

それでも、始発は来る。

人はまた、改札を抜ける。

誰かに会うために。

誰かへ帰るために。

梶原烈は、朝日に背を向けず、真正面から見た。

むなしさと絶望の中で、それでも陽はまた昇る。

そして彼は、次の事件へ歩き出した。

 
 
 

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