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星降る日本平(にほんだいら) 〜 富士の裾野に歌がこだまする 〜

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月16日
  • 読了時間: 6分

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その夜は、空が一面の星明かりをたたえておりました。天野透は母の病を思うと、村を出て日本平へ向かう足をとめることなどできません。母の枕元で聞いた、富士の裾野を望む日本平から祈りを捧げると、不思議な力が得られるという言い伝え――それがひとつの灯火となって、少年の心を奮い立たせたのです。 荷馬車に揺られながら、透は母の苦しい息遣いを思い起こし、まだ見ぬ日本平を想像しました。夜の深みを増すほどに星は冴えわたり、どこか遠くで風が歌うような響きが聞こえます。

1. 出発:病弱な母と富士山への憧れ

 村を離れる道すがら、透は母の面影を何度も振り返りました。母が発する咳の音が胸を締めつけ、しかしそのなかにも「必ず良い薬を探して帰る」との決意が火のように燃えます。 どうやら母には、土地の医者もお手上げの慢性の痛みがあるという。村の年長者が「日本平から望む富士山に祈ると、思いも寄らぬご利益があるかもしれんぞ」と語ったのをきっかけに、透は旅支度を急ぎました。 日本平へ行くと、茶畑のあるあたりに白い花が咲いており、不思議な薬効をもつことがあるやもしれない――そう耳にしたのは、出立の前夜のこと。どこか果てしない憧れをともなう富士山の名と相まって、透の心は高鳴ります。

2. 日本平の茶畑と夜の風の声

 ようやく日本平の麓へたどり着いたころには、夕闇が重く降り始めていました。薄闇のなかで茶畑がかすかに揺れ、その奥から人影が近づきます。「あなた、旅の方ですか?」 声をかけたのは草薙まどかという娘でした。透は不意に胸が温かくなるのを感じます。まどかの背後に広がる茶畑からは緑の香気が立ちのぼり、まるで山も畑もそっと息づいているようでした。 まどかの家では、茶の生育を担う家族が忙しそうに道具を片づけています。その優しい光のなかで、透は事情を話し、今宵一晩だけでも泊まらせていただけないかと頼みました。まどかの母が「疲れたでしょう」とあたたかい湯呑みを差し出してくれます。 夜半、透は屋外に出て星空を見上げました。昼には見せなかった静岡の街灯りも、今は遠くかすかに揺れています。すると、どこからともなく風がささやいてくるではありませんか。(富士の裾野に眠る光を見つけよ) 思わず透はあたりを見回しますが、人影などありません。風か、あるいは夜の精霊か――不思議な囁きは胸の奥に淡く沁みこみ、やがて途切れてしまいました。 翌朝、透がまどかにその話を打ち明けると、まどかは少し驚いた様子で口を開きます。「それは日本平の風。富士山にまつわる伝承を運んでくるんです。昔から、夜になると風に耳を澄ますと不思議な声が聞こえることがあるって」

3. 富士山を眺める朝の輝き

 まだ東の空が金色を帯び始める時分、まどかに道を教わりながら、透は日本平の頂を目指して登りました。薄暗い林道を抜けた先、突然開けた視界のなかに、くっきりと雄大な富士山がそびえ立ちます。 朝日に照らされた富士の山肌は、まるで黄金色の衣をまとい、雲を払いのけながら天に向かうよう。その端正な形とあまりの高さに、透は言葉を失いました。駿河湾のさざ波も遠く輝いて、世界全体が静かで大きな祝福に満ちているようです。 再び風が透の耳元をかすめます。(母を救う薬草は、富士の裾野に隠されたヒカリイモの根にある) 風の一瞬のうなりに混じって、その声は確かに聞こえたのでした。透ははっと息を呑み、朝日に染まる山並みを見つめました。母のために、その“ヒカリイモ”とやらを見つけ出せるのなら。

4. 光る芋“ヒカリイモ”を求めて

 その日、まどかは忙しく畑仕事をしなくてはなりませんでしたが、透の話を聞くと目を輝かせて言います。「わたしも一緒に行きましょう。日本平から少し下ったあたりに昔から住むおじいさんがいて、珍しい植物の言い伝えを知っていると聞いたことがあります」 ふたりは茶畑の間を抜け、裾野へと降りていきました。雲がゆっくりと流れては、富士の頂を覆い、また去ってゆきます。畑では農民たちが、陽が昇るうちから黙々と働いています。宮沢賢治が綴る“雨ニモマケズ”の精神を思い起こさせるほど、汗を流しながら大地に感謝している姿でした。 やがて透とまどかは、隠れ里のような小集落へたどり着きます。そこに住む老人が手招きをして、あちらの炉端に招き入れてくれました。「ヒカリイモ? おお、昔、富士の山が噴火した後に不思議な芋が芽吹いたという伝承がある。夜にほのかに光ったという話だが、わしはまだその実物は見たことがないわい…」 その言葉に、透とまどかは胸を躍らせます。

5. クライマックス:富士の噴火の記憶と再生

 夜が深まるころ、ふたりは裾野の畑を見回りながら、小さな lantern(行灯) を手にしてヒカリイモを探しました。辺りはしんと静まり返り、風がそっと通り抜けるたびに、過去の噴火の名残を囁いているかのようです。 突然、空が一瞬ざわめいて、かすかな稲光のような閃光が遠くで走りました。透はぎょっとするも、山頂の風がしゅうしゅうと鳴り始め、まるで噴火の幻影を呼び覚ますかのように耳をうちます。赤い火の粉が舞い散る幻が透の目に映り、富士の山肌が燃え上がるようにも見えました。 そのとき、懸命に母の名を呼び、心のなかで「どうか母を救ってください」と祈ると、風は急に優しい気配を帯び、裾野の土からかすかな光が瞬くのが目にとまります。 透は震える手で土をかき分けると、そこにはほんのりと光を放つ小さな芋が隠れていました。「これが…ヒカリイモ…!」 しかし、その光はまるで今にも消え入りそうに弱々しく揺れています。透は思わずそれを抱きしめました。母への願いと感謝の言葉を、心をこめて繰り返します。 周囲の風景がさらに闇を増すなか、ヒカリイモのかすかな輝きだけが、ふたりを包む小さな星明かりのように見えました。

6. 結末:ヒカリイモの奇跡と富士山の静寂

 翌朝、茶畑の下で別れを告げるとき、透はまどかに深々と礼を言いました。「あなたがいなければ、ヒカリイモを見つけることはできなかった。ありがとう、まどかさん」 まどかはほほ笑んで、「また母上が元気になったら、今度は一緒に日本平から富士山を見に来てください」と静かに応えます。 透は長い道のりを帰り、母のもとへ急ぎました。ヒカリイモを煎じて飲むうちに、母はほんの少しずつ快方に向かいます。白い花の茶を少しずつ飲みながら、母はあたたかいまなざしで透を見つめました。「よう頑張ったねえ、透…」 外の風がさわり、透の心は日本平に戻っていきます。あの夜に見上げた富士の姿、そしてまどかの笑顔――すべてが昨日のことのように鮮明です。 いつか母とともに、もう一度あの星降る日本平の山頂へ行きたい。そのときは朝焼けに金色の光をまとった富士山を、ふたりで並んで仰ぎ見たい。 星々の消えた夜明けに、風がそっと吹き抜けます。世界はまだまだ大きな営みを続けているのです。茶畑も富士の山肌も、そんな人々の祈りや願いを黙って受け止め、柔らかく未来へと包み込むことでしょう。 そして今日も日本平には、賢治の詩のように、風がささやくのです――「星降る晩に、あなたが祈りを捧げるなら、富士の裾野はいつだって応えるでしょう」と。

 透は母の手をそっと握りしめ、静かに微笑みます。目を閉じれば、あの黄金色に染まる富士と、夜の闇に光る芋の神秘がまざりあい、ひとつの大きな歌となって胸の奥にこだまし続けるのでした。

(了)

 
 
 

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