昭和18年
- 山崎行政書士事務所
- 5月7日
- 読了時間: 25分
昭和十八年(1943年)一月――
年が明けても、東京の下町の印刷所にはいささかの余裕も訪れなかった。日中戦争と太平洋戦争が重なり始めてからというもの、戦局はますます複雑化し、軍からの宣伝印刷の量は増えるばかり。先月までの徹夜がとうに限界を超えているにもかかわらず、社長や戸田、堀内、そして幹夫は、昼夜の区別なく機械を回し続けるしか生存の術がない。
一月とはいえ正月の気配は見当たらず、ラジオや新聞が「国力総結集」「大東亜戦の一層の激化」を伝える声ばかりが町を覆っている。警察は年始めの巡回を例年どおりに強化し、印刷所でも「軍の仕事を優先しているか」「配給紙に不正はないか」と事細かく点検。結果は当然「問題なし」となるが、社長たちは徹夜明けのやつれた面で帳簿を捧げ、警察が去った後に「これで何とか生き延びられる」と安堵のため息をつく。もっとも、心底から休めるわけでもなく、すぐに次の大量注文をこなすための準備に追われるだけなのだ。
一方、静岡の父は親戚の家に世話になったまま、すでに実家も畑も奪われ、行き場がない生活を余儀なくされていた。葉書には「この冬を越せるか怪しい体調だが、いまさらどこへも行けない。戦況が激しくなるたび、周囲から疎まれているように感じる」とあり、読む幹夫の胸を冷たい鉛が締めつける。かつてあった茶畑の緑や、家族で暮らした家が遠い幻のようだと父は嘆くが、幹夫自身もここ東京で戦争を支える印刷物を昼夜こなす身――救える術など思いつかないまま、ただ紙とインクに沈む。
夜半、ようやく下宿に戻って窓を開けると、一月の凍える風が部屋を凍りつくように吹き抜ける。二つの風鈴はわずかに揺れるが、もうほとんど音を立てない。「父さん……守れなかったものがあまりに多いな……」 幹夫は心でそう呟くが、唇は震えて声にはならない。手先もかじかんで、短い仮眠を取らねば明日の徹夜に立ち向かえない。数時間後、また同じルーチンが始まる――印刷所の轟音、警察の巡回、社長の唸り、戸田と堀内の書類作業、そして幹夫の仮眠すらままならぬ無言の労働。
こうして昭和十八年一月は、年明けとは思えないほどの暗鬱な空気のまま過ぎていく。誰も正月を祝う気力を持たず、戦争の深みが夜も昼も奪い尽くしていく。ラジオが語る“大本営発表”や“南方での進攻”はここでは作業量を増やす報せでしかなく、徹夜の連鎖はじわじわと人々の心を侵食している。静岡の父の嘆きも、東京の息苦しさも、二つの風鈴がほんの一瞬のチリンという儚い音を生むかどうかだけで、何かを変えられるわけではない。幹夫はただ、また机に伏し、インクの染みる手を見つめながら朝を待つばかりだった。
昭和十八年(1943年)三月――
凍てつく冬の空気がわずかに緩み始める気配を帯びながらも、東京の下町の印刷所には相変わらず昼夜を問わない徹夜の轟音が満ちていた。日中戦争と太平洋戦争が重なり激化しつつあるという報道が連日ラジオで流れ、軍の宣伝物の要求も増す一方。ここでは幹夫や戸田、堀内、そして社長らが限界を超えた疲労を抱えながら、ただ黙々と徹夜の作業を続けるしかなかった。
三月に入り、軍は「戦局をさらに盛り上げ、国民の戦意を高揚せよ」という名目で、大量のポスターやチラシ、小冊子を追加で発注してくる。社長は「またこれほどか……」と、もう何度目か分からぬ嘆きを漏らしながら、納期を死守する以外ないと腹をくくる。戸田は紙の配給を夜ごと確保し、堀内は警察への提出書類や在庫管理をこなし、幹夫は休憩すらままならぬ機械の前で昼夜を乗り越える。周囲の職人たちも同様に疲弊を極め、しかし誰も声を上げられない。
一方、静岡の父は、かねてより親戚宅に厄介になっているまま、今度はそちらの家庭にいる兵役中の息子が休暇で帰るという話で、さらに居づらさを感じているらしい。葉書には「どうにも肩身が狭くて……戦時下に“働けない老人”が一人増えた形だからな」と短く綴られ、幹夫はその切なさをかみしめる。自分はここで軍の宣伝印刷を徹夜でこなし、父は何もかも失った状態で周囲に肩身を狭められている――まるで戦争の矛盾が父子をそれぞれ追い込むようで、胸が痛むばかりだ。
警察の巡回は、相変わらず月例のように帳簿を確認して「問題なし」と言い残し、「しっかり協力せよ」と背を押していく。社長は「これほど徹夜して、戦争を支えているんだがな……」と苦笑を浮かべ、戸田や堀内は慣れた手つきで書類を始末する。幹夫はそれを横目に、機械の音へ戻されて徹夜ローテーションに組み込まれ、休みのない一日を続ける。もしこの流れを断ったら店が潰れる――そんな恐怖をみな感じながら、声を沈めたままポスターやチラシを刷り上げていく。
夜が深まり、幹夫が少しの合間に下宿に帰り着くと、窓を開けて外気を取り入れる。三月の冷気はまだ身を刺すようだが、少しだけ冬の刺すような寒さが和らいできたかもしれない。とはいえ、二つの風鈴はあまり音を立てず、わずかに揺れるだけ。 「父さん、あの家も畑もあったころに戻る日はないんだな……」 そう呟くが返事はなく、疲労がまぶたを落とし、布団に沈んで短い仮眠を取る。数時間後にはまた頭が朦朧としたまま印刷所へ帰らねばならない。その繰り返しに終わりは見えない。
こうして昭和十八年三月も、戦火がさらに遠く南方や各方面へ拡大する報道のなか、彼らはただ戦争を支える歯車となる徹夜を継続する。父の嘆きも、東京の疲弊も、軍命令の前には無力で、警察の監視はそれを押し固めるように「問題なし」と言い放つばかり。 夜半に時折鳴るかもしれない風鈴の音も、いまはほとんど響かず、過去と静岡と自由と……あらゆる失われたものを思い出す糸すら弱々しくなっていくかに思える。戦争の渦中で春を迎える意味を感じる余裕は、幹夫や彼らにはもう残されていないかのようだった。
昭和十八年(1943年)四月――
冬の冷えが解け始め、暦の上では春もたけなわ。けれど東京の下町にあるこの印刷所には、まだ季節の恵みを感じる余地はなかった。朝も夜も区別なく回る印刷機の轟音と、軍から絶えず舞い込む宣伝物の大口発注が、すべての日常を塗りつぶしている。日中戦争に続いて太平洋戦争が始まってから一年以上が過ぎ、状況は悪化する一方で、社長も従業員たちも、もはや徹夜の連鎖が“当たり前”となっていた。
四月に入り、軍は「戦局が新たな局面を迎えている」として、さらに膨大なポスターや小冊子、チラシの制作を命じてくる。社長は「またか……」と落ち込むような表情のまま受注せざるを得ない。戸田は夜通し帳簿と格闘して紙の配給や納期調整に追われ、堀内は警察や軍への報告書を睡眠時間を削って作り、幹夫は機械の前で昼夜を問わず黙々と紙を流し続ける。誰もが口数が減り、疲労の限界を超えているが、戦争の歯車を止めるわけにはいかなかった。
一方、静岡の父は親戚宅で肩身狭く暮らし続けていた。家も畑も失った老体にとって、春という言葉には今や虚しさしか残らないようで、短い葉書には「桜を見に行くことさえ、やり場がない」と書き添えてある。幹夫がそれを読み、胸を締めつけられるのはいつものことだが、機械を止めて考える時間すら与えられず、すぐに徹夜の作業へ呼び戻されてしまう。自分はここで戦意高揚を煽る印刷をせっせとこなし、父は家も土地も奪われている――その矛盾に苦悶しても、答えは見つからないまま日々が過ぎる。
月の半ば、警察が印刷所を巡回し、「軍以外の仕事は完全にしていないな?」「用紙の配給に不正はないか?」と念入りにチェックしていく。何もかも従順にやっている以上、結果は当然「問題なし」となるが、社長は「これほど徹夜して身体を壊してるのに、どこが“問題なし”なのか……」と内心嘆く。戸田と堀内は慣れた手つきで書類をもとに警官を見送り、幹夫は機械のオイルを点検しながらまた徹夜に戻っていく。
夜も深まってから下宿へ帰る幹夫は、ほんのわずかな合間に窓を開ける。柔らかな春の夜風が入り込むが、かつてほど温かさを感じられないのは、自分の心が疲弊しきっているからだろうか。二つの風鈴はほとんど揺れも小さく、チリンというかすかな音も聞こえない。 「父さん、桜を見られないのか……俺はここで戦争を刷り続けるだけ……」 そんな思いをかみしめて布団に沈み、数時間後にはまた起き出して印刷所へ向かわなくてはならない。
こうして昭和十八年四月は、戦火を拡大する日本の報道にあわせて、印刷所での徹夜がさらに色濃く押し寄せる月となっていた。どこかで春の陽気や花の香りが感じられるはずなのに、この場所には機械の轟音とインクの匂い、そして警察や軍の厳しい目だけが漂い続ける。幹夫の胸に父の嘆きが重くのしかかるが、依然として何もできない。もし二つの風鈴が僅かに触れ合い、音を生む瞬間があっても、それは戦争の轟音と徹夜の眠気にかき消されてしまう。そんな暗い現実の中で、また明日が来れば、同じ徹夜を繰り返すしかない――誰もが疲労の限界にありながら、戦争の求める印刷を黙々と支え続けていた。
昭和十八年(1943年)五月――
東京の下町が蒸し暑さの前触れを感じ始めても、この印刷所には相変わらず戦時下の轟音と徹夜が支配していた。日中戦争に加え、太平洋戦争が始まって一年半――軍からの要請はますます多くなり、ポスターやチラシを量産するための徹夜が、やむことなく続いている。社長は日ごと痩せこけ、戸田と堀内は紙や納期、警察報告の書類に埋もれ、幹夫や職人たちは仮眠を交代でとりながら昼夜の区別なく機械を回し続ける。
五月に入り、戦況は南方作戦での“戦果”や大東亜共栄圏を謳う宣伝が増え、そのぶん印刷所にも新しい文面のポスターや小冊子が山積みになる。「徹夜はもう通常運転だな……」と社長がため息をつけば、戸田や堀内は「今から夏本番になれば、さらにきつくなる」と互いに目を伏せる。どれほど声を落としても、結局は軍命令を断れず、徹夜で紙を捌くしか道はない。
静岡の父は相変わらず親戚宅で辛うじて過ごすまま、手紙には「段々と配給も物資も厳しくなり、肩身の狭さが増すばかり」とある。戦争が深まるにつれ、周囲の目がさらに冷たくなるらしく、父は「生きているのが申し訳ない」とまで書き残していた。幹夫がそれを読み、「父さん、そこまで追い込まれなくていいのに」と内心慟哭しても、ここで戦争の宣伝物を刷る日々を止めることは叶わない。むしろ自分が太平洋戦争を煽る歯車になっているという矛盾が、胸を焼きつくす。
警察は今月も月例のように巡回し、「軍の印刷を最優先」「不正な紙の使用はないか」を精査するが、いつも通り「問題なし」とだけ言い、すぐに立ち去る。社長や戸田たちが「よかった……」と苦笑で言い合う横で、幹夫は機械へ戻る。もし万が一書類に不備でもあれば、この店が戦時体制に逆らっていると疑われ、あっという間に閉鎖されかねないからだ。
夜が深まって幹夫が下宿へ戻ると、窓を開けても外の空気は生ぬるい。二つの風鈴はかすかに当たっても、チリンという音が弱く短い一拍になるだけで、すぐ静まる。「父さん……このまま夏に突入すれば、もっと生きづらくなるだろうな」 そう胸の奥で呟いてから、幹夫は布団に沈みこむ。数時間の仮眠後、また印刷所へ戻る――そんな往復に人生が吸い取られていく。
こうして昭和十八年五月も、戦況の報道が声高に“日本の勝利”をうたい、軍はさらなる協力を求め、警察の監視が形ばかりではなく続くなか、徹夜の負荷が増大していく。静岡の父の苦境もさらに厳しく、幹夫は答えを見いだせないまま、昼夜逆転の轟音に身を投じている。「どこへ行き着くのか」と薄暗い意識で思っても、終わりはまるで見えず、二つの風鈴のか細い響きも印刷機の騒音にかき消されるかのようだ。周囲の世界は戦争一色へと転がり続け、彼らを逃がす気配などどこにも感じられなかった。
昭和十八年(1943年)六月――
梅雨が迫る気配とともに、東京の下町の空気はむし暑さを帯び始めたが、印刷所の内側では相も変わらず終わりのない戦争の歯車が回り続けていた。日中戦争に加え、太平洋戦争が本格化してから一年半以上が経過し、前線の広がりに応じるように軍からの印刷依頼は増えるばかり。徹夜で膨大なポスターやチラシを仕上げる作業も、全員が限界の疲労に近いなかで常態化している。
社長は「この体制はもうどこまで保てるのか……」とため息をつきつつ、軍に逆らうわけにもいかず、さらに厳しいスケジュールを引き受けざるを得ない。戸田は夜な夜な用紙の配給を確保し、堀内は警察報告や軍への納品管理をこなし、幹夫は機械の前で昼夜を問わない作業に沈み込む。机に突っ伏して仮眠をとる姿は皆が当たり前のように続けているが、かつての余力などもう誰の顔にも見られない。
一方、静岡の父は親戚宅でやはり肩身の狭い暮らしを続けており、先日届いた葉書では「このまま夏を乗り切れるか自信がない」とまで書き添えてあった。かつて守りたかった茶畑も家もなくした身には、戦争が深まり配給が一段と厳しくなるにつれ、生きる手だてもおぼつかない。周囲からは「老いて役に立たぬ」と白い目を向けられ、寝込む日の増えた身体に痛みがしみるという。幹夫は心で「父さん……ごめん」と呟きながら、しかし目の前の徹夜から逃れるわけにもいかないのだ。
六月中旬、警察がまた月例のように巡回に来るが、いつも通り「軍の仕事優先」「用紙の流用なし」で“問題なし”とされる。社長は「徹夜と疲労で皆が倒れそうでも、これを正常と呼ぶのか」と苦笑を漏らし、戸田と堀内は書類をまとめる動作に慣れた手つきを見せる。幹夫は機械を止められない現実に、こわばった表情で再び用紙をセットし、黙々と印刷に集中する。最近は言葉を交わす元気さえ職人たちから消え、ただ淡々と紙を捌く音が店内を支配している。
夜、幹夫が下宿へ戻った頃には街灯の光もあいまいな程で、肌に感じる空気は湿気を帯びて重苦しい。窓を開ければ二つの風鈴はわずかに動くだけで、チリンというかすかな音も生まれない。「父さん……夏を越せるかって……」 か細い声を落としつつ、幹夫は薄暗い部屋の布団に倒れこむ。徹夜を控えた数時間の睡眠は浅く、疲れで頭が朦朧としても、朝になればまた工場へ向かわねばならない。誰も彼を止めてはくれず、彼も止まることを許されないまま、印刷機がまるで地獄の釜を叩くような轟音を立て続ける。
こうして昭和十八年六月は、暑さと湿度を増しながら戦争のための轟音を絶やさぬまま進んでいく。職人たちの身体がどこまで持つのか、あるいは父の余生がどれほど耐えられるのか、誰も分からない。「すべては国策のため」と押し流されて、個人の悲鳴はどこにも響かず、印刷所には徹夜の轟音とインクの匂いが充満するばかり。あの二つの風鈴が夜風に触れ合う一瞬さえ、もはや誰の心にも届かないような深い闇が、この夏を押し寄せようとしている。
昭和十八年(1943年)七月――
夏の盛りを目前にしても、東京の下町の印刷所には、むせかえるほどの湿気と戦時の轟音が絶えずこだましていた。日中戦争と太平洋戦争が重なり、軍の宣伝印刷は前年からさらに激しく増大し続けている。社長や戸田、堀内、幹夫――彼らは昼夜をほとんど区別できないほどの徹夜体制に追い込まれ、ただ機械の音に身をまかせるしかない。
七月に入っても軍からの依頼は容赦なく、前線の“戦果”を喧伝するポスターや、小冊子、チラシを大量に求められる。社長は「これ以上、職人が持つはずがない……」と青ざめるが、軍に背を向けるわけにはいかない。戸田は夜通し用紙配給の手続きに走り、堀内は警察報告を綿密にまとめる。そして幹夫は仮眠を短時間で済ませ、再び機械の前へ戻って何百、何千という紙を流し続ける。皆が疲労で倒れ込んでは交代で立ち上がり、ほとんど無言で徹夜を繰り返している。
一方、静岡の父は親戚宅に世話になりながら苦しい夏を迎えていた。近頃の手紙には、「配給がますます厳しくなり、周囲の目がさらに冷たく感じる。家も畑もない老人には誰も興味を持たない……」という言葉があり、幹夫はそれを読み胸を締めつけられる。自分が戦争を煽る印刷ばかりを作っている裏で、父は生きる場所も居場所も奪われたまま――そんな矛盾に目を背けても、機械の轟音が脳をかき乱し、紙を捌く手は止まらない。
警察は今月も印刷所を巡回して帳簿と在庫を検査し、「問題なし」と言葉を残すだけ。「いつまでこれが続くんだ……」と社長が押し黙った声で呟くが、戸田や堀内も疲労の中で苦笑するしかない。幹夫は窓を開け放した工場の隅から外気を吸い込み、汗がにじむ額を拭いながら再びインクの匂いと向き合う。熱帯夜が続く中、徹夜はさらに過酷さを増していく。
夜更け、かろうじて下宿に戻った幹夫が窓を開けると、蒸し暑い風が部屋を包みこむ。二つの風鈴がわずかに触れあっても、チリンという音は聞こえず、ただ小さく揺れるだけ。「父さん……もう何も取り戻せないのかな……」 そんな独り言が宙に溶けても、疲労で沈むまぶたを持ち上げられる余力はない。しばし布団に沈み、また夜明けが来れば徹夜の続きに向かうしかない。それが昭和十八年七月の日常――戦争はさらに深く人々を奪い、彼らは音をたてず擦り切れていく。風鈴すら音を失ったかのように、夏の蒸し暑さと轟音だけがこの町の空気を支配していた。
昭和十八年(1943年)八月――
日中戦争と太平洋戦争の激化で、軍からの宣伝印刷が容赦なく増えていくなか、東京の下町の印刷所は、すでに限界を超えたとしか思えないほどの徹夜を繰り返し続けていた。暑さが最高潮に達し、路地に蝉の声が響く時期だが、ここでは暑苦しい機械の轟音とインクの匂いが交じり合い、休む暇もないまま皆が汗に塗れて働き詰めだ。
八月に入り、軍は「前線での作戦をさらに喧伝し、国民を鼓舞せよ」と、また大量のポスターやチラシ、小冊子の制作を命じてくる。社長はやつれた表情を浮かべながらも「これを断ったら店が潰れる……」とため息をつき、戸田は夜通しの用紙配給確保と納期表づくり、堀内は警察報告の書類に目を通しては仮眠も取れずにデスクへ突っ伏す。幹夫は仮眠から起きればすぐ機械の前へ立ち、インクまみれの手で紙を捌いていく。昼夜が反転しているかのような徹夜サイクルは、もう一年以上も当たり前となった光景だった。
静岡の父から送られてくる葉書には、親戚宅での生活がさらに息苦しいと嘆きが記されている。配給が厳しくなり、食も乏しくなる一方で、年老いて働き手にならない父は肩身が狭く、人々の視線が冷たくなっているように感じるという。幹夫がそれを読み、いたたまれない思いで胸を抉られても、目を閉じる前にまた作業が呼ぶ声が聞こえてしまう。自分が戦争を煽る宣伝を刷る毎日のどこに父を救う術があろうか――そう思っても答えは見えない。
半ば呆然としながら続ける徹夜の日々、月の半ばを迎えるころ警察がいつもどおり巡回にやって来た。軍の仕事以外は一切していないことを示す書類を堀内が淡々と差し出し、社長が「大丈夫です、徹夜で刷ってますから」と苦笑いすると、警官は形ばかり「問題なし」と言って去る。印刷所の職人たちは人が倒れても交代要員ですぐ補い、死にものぐるいで機械を回し続ける。それがこの国の“当たり前”という言葉に収斂されるのだ。
夜、ようやく下宿へ帰れた幹夫が窓を開けると、生ぬるい夜風が部屋に入り込む。二つの風鈴はほとんど揺れず、チリンというかすかな音さえたやすくは鳴らない。「父さん……」 喉の奥で吐息が途切れても、動けない身体はただ布団へ沈みこむ。寝苦しい熱帯夜が汗を煮立たせ、数時間の仮眠で息が整わないままに朝を迎える。再び機械へ戻れば、昼夜を失ったような労働がまた待っているだけ。
こうして昭和十八年八月も、激しさを増す戦争の渦中で、休みなく徹夜が続く月となっていた。前線の“功績”を掲げた印刷物が増えるたび、ここで汗と疲労に塗れた人々の時間はより奪われていく。父の苦悩にも応えられず、二つの風鈴が沈黙に近い揺れをみせるだけで、かつて温もりを宿した生活は遠ざかるばかり。遠くで鳴く蝉の声さえ印刷機の轟音に飲み込まれ、空は暑さを濃くして次の月へと沈んでいくのだ。
昭和十八年(1943年)九月――
夏が過ぎても、戦争の熱はまったく冷める様子を見せず、東京の下町の印刷所では徹夜続きの日々が依然として常態となっていた。日中戦争、そして太平洋戦争という二つの戦局を前に、軍は絶えず「前線の状況」を国民に広報するため、ポスターや小冊子、チラシの大量印刷を求めてくる。社長は「これ以上無理をしてどこまで持つか……」とため息をつきつつ、軍に従わぬわけにはいかず、膨大な注文を受け続けるしかない。
九月に入ってからは暑さもいくらか和らぐはずだが、印刷所の内側は相変わらずインクと機械の熱気、そして徹夜の疲労が充満している。戸田は昼夜を問わず紙の配給手続きと納期調整を行い、堀内は警察や軍への細かい報告書づくりを休む間もなく進める。幹夫は仮眠をわずかに挟みながら、再び機械の前で紙を送り続ける。誰もが疲弊の限度を超えているように思えるが、戦争を支えるこの歯車を止めれば店が潰れかねず、職を失うリスクを抱える以上、徹夜は当たり前だという空気に沈み込んでいる。
一方、静岡の父は親戚の家に寄宿しながら、畑も家も失った身の行き場のなさを相変わらず嘆いていた。「年をとって動けぬ老人など、戦時下では何もできない」と葉書に記してきて、幹夫の胸を刺す。その上、配給がさらに厳しくなり、親戚にも迷惑をかけていると書かれている。幹夫はここで徹夜し続ける現実の中で、遠い郷里で父が苦しむ様を想っても、どうにもしてやれないという無力感に苛まれる。
九月中頃、警察の巡回がまた行われるが、印刷所が軍の依頼を忠実に徹夜でこなしている様子を見て、いつものように「問題なし」と一言。社長が「皆が倒れそうでも“問題なし”か……」とごく低い声で漏らすと、戸田と堀内も苦い笑みを浮かべる。幹夫はそれを聞きながらも口を閉ざし、機械の方へ戻ってまた深夜まで働くしかない。徹夜の日常が完全に固定されて久しい。
夜深く、ようやく下宿へ戻った幹夫が窓を開けても、涼しくなるはずの秋の風は妙に湿り気を含んでおり、二つの風鈴もわずかに揺れるだけで音を作らない。「父さん、まだ辛いのか……」 彼はそう心で呟いてから布団へ沈む。数時間の仮眠ですら浅く、朝には再びポスターやチラシの印刷が待ち構えている。もはや一年以上がこの繰り返しだ。
こうして昭和十八年九月が過ぎ行くなか、太平洋戦争の戦況はより複雑さを増し、ここで刷られる宣伝も数を減らさない。むしろ軍の統制がいっそう厳しくなり、職人たちは声をひそめ、休む間もなく歯車として働き続ける。遠く静岡で家も畑も失って肩身を狭くする父の姿を思う幹夫の胸を満たすのは、どうしようもない痛みだけ。 夜に二つの風鈴がもしチリンと鳴る瞬間があっても、それはもはや彼の疲れ切った意識を一瞬揺らすだけで、戦争の轟音がそのかすかな響きをすぐにかき消す。秋は深まるはずなのに、ここには衰え知らずの徹夜と息苦しい日常だけが広がり、誰もそこから逃れることができない。
昭和十八年(1943年)十月――
秋の足音が近づき、東京の下町にもひんやりとした風が流れ始めるはずだった。しかし、この印刷所の内部では、戦時下の騒音と徹夜の轟音が昼夜を問わず鳴り響き、季節の移ろいなど感じる余地すら奪い去られている。日中戦争と太平洋戦争が重なり合うなか、軍の宣伝物の需要はますます膨れ上がり、社長や戸田、堀内、そして幹夫らは限界を越えた疲労を抱えながら作業に没頭し続けるしかなかった。
十月に入っても、軍からの命令書には「戦局がますます激化している。国民の志気を高めるため、前線の様子を大々的に知らせよ」という文言が並んでおり、ポスター・チラシ・小冊子の数と納期は壮絶を極める。社長は何度も「もう店がもたない」と呟くものの、軍部に逆らえば即刻閉鎖の危機を招く。それを阻止するために、戸田は夜中にも紙の配給手続きを行い、納期表を徹夜で組み上げ、堀内は警察報告書や在庫管理の書類づくりに沈む。幹夫は仮眠すら満足にとれぬまま、インクで汚れた手で紙をひたすら送り込み、耳をつんざく機械の音に身を埋めていた。
静岡の父は親戚宅で暮らし始めて長いが、すでに家も畑も失った身の上では肩身が狭いらしく、「周囲から冷たい視線を浴びる」「配給も思うように受けられず、病がちの身体で寝込んでいる」と短い葉書に愚痴ともつかない嘆きが記されている。幹夫はそれを読み、胸をかきむしりたくなる思いに駆られるが、徹夜明けの身体では思考すらままならず、机に突っ伏すうちに、数分後にはまた工場へ呼び戻される声がかかっている。自分が戦争の後押しとも言える宣伝印刷をこなしている裏で、父が生き地獄のような日々を送っている――その矛盾はもう何度も繰り返し頭をよぎりながら、結局は何もできぬまま徹夜へ戻るしかない。
月半ば、警察の巡回は変わらず続き、納品数や軍のポスターの製作状況を確認していく。社長と戸田、堀内が要領よく書類を示すと、警官は「ああ、問題なし」とひと言で済ませ、足早に去る。彼らの背後で職人たちは徹夜を明けても表情を消し、疲れた顔でインクの匂いにまみれた机に突っ伏し、仮眠の交代を待つ。幹夫が気づけば仮眠をとっている誰かを代わりに起こし、また機械へ戻る。いつこれが止まるのか、誰も答えを知らない。
夜更けに下宿へ戻れたとき、幹夫が窓を開けると、外の風は確かにひんやりと秋の気配を運んでいるはずなのに、この部屋にはまるで息苦しい熱がこもっている。二つの風鈴は微かに揺れるだけで、ほとんど音を立てない。「父さん……」 かすかな声が夜へ溶け、数時間の仮眠で身体を休めようにも、疲労を拭えるほどの睡眠はとれないまま朝を迎える。 そしてまた印刷所へ向かい、徹夜で“戦時下を支える”という名の苦役をこなす日々が続く。それが昭和十八年十月の景色。もう秋がどう移ろうかなど考える気力は職人たちには残っておらず、太平洋戦争の進展に合わせて増す紙の量が、彼らの人生を根こそぎ奪い尽くしているように映る。
こうして風鈴のかすかな振動すら音を失いつつあるなか、徹夜の轟音は変わらず街の一角を満たし続ける。戦争がどれほど深まり、父がどれほど孤独に衰えていようと、彼らはただ紙とインクに覆われた暗い世界で翌日を迎えるだけだ。その轟音の先には何が待つのか、誰も想像する余地を持たないまま、機械のリズムに取り込まれた日常がひたすら続いていく。
昭和十八年(1943年)十一月――
秋も深まるはずのこの時期に、東京の下町の印刷所には相変わらず戦争の影が重く覆いかぶさっていた。日中戦争に続き太平洋戦争が始まって二年近く。前線の拡大報道が絶えることなく、軍からの宣伝物の要請は依然として膨大。そうして幹夫たちは徹夜でポスターやチラシ、小冊子を刷り続けるしかない日々を過ごす。
十一月に入り、社長は一段と痩せた面をこわばらせ、「これ以上どうやって納期に間に合わせれば……」と嘆くが、軍を拒めば店が潰れるリスクは大きい。戸田は徹夜の合間に紙の配給を確保し、納期の段取りを新たに組み直す。堀内は警察や軍への報告書を細かく作成し、在庫を管理しながら職人の交代も仕切る。幹夫はいつものように仮眠をかじり取る程度で機械の音に戻り、昼と夜の境を失った身体で紙をさばき続ける。人によっては徹夜の最中に倒れかける者も出るが、休めるのはほんの数時間。そうして誰もが、恐るべき疲弊を抱えながら動き続ける。
静岡の父は親戚の家で肩身を狭くしながら、家も畑も失った身でどこへも行けぬ生活を送っている。近ごろの短い葉書には、「もう配給も少なく、周囲から冷たい目で見られ、すでに家族ではないと暗に言われているようだ」と書いてあり、幹夫は心が鋭く痛む。しかしここで太平洋戦争の後押しをする印刷を徹夜でやっている自分が、何を言えようか――そんな無力感に苛立ちを抱きながらも、結局は朝を迎えればまた機械の前へ立たねばならない。
月の半ば、警察の巡回がいつものように入るが、書類を確認して「問題なし」とだけ残し、早々に去っていく。社長は「こんなにも徹夜で頑張ってるのに、誰も労うわけじゃない……」と自嘲まじりに呟くが、それ以上の言葉は出てこない。戸田と堀内は慣れた手つきで帳簿を整え、幹夫はそこで機械の音に戻される。薄暗い工場内で、轟音とインクの匂いに浸っているときが、もはや当たり前の呼吸のようになっていた。
夜、ようやく下宿へ帰った幹夫が窓を開けると、冷たい秋の風が部屋をかすかに揺らし、二つの風鈴はかすかな振動を見せるが、音として鳴り合うほどではない。「父さん……もうどうしようもないのかな……」 ぼそりと呟き、疲労で沈む目を布団に預ける。いつもどおりの短い仮眠を終えれば、また明け方から作業が始まる――そんな光景が昭和十八年十一月も変わらずに繰り返される。
こうして太平洋戦争の渦中で、徹夜の轟音が人々の肉体と心を削り取っていく。誰もこの歯車を止められず、警察の「問題なし」という形ばかりの認定だけが店を存続させている。このまま冬へ移ろうとしても、戦況はさらに深まるばかり。幹夫の胸には父の嘆きが重なってひびき、「二つの風鈴」が夜風に鳴るはずの一瞬さえ、もはやかき消されて聞こえなくなりつつある。年の瀬が近づいても、そこに休息という言葉は見つからないまま、轟音のなかで再び日々が沈んでいくのだった。
昭和十八年(1943年)十二月――
年の瀬を迎えてなお、東京の下町の印刷所には休まる間もない轟音が響き渡っていた。日中戦争から始まった戦争は今や太平洋戦争へと発展し、国内外の戦線がさらに拡大を続けるなか、幹夫や戸田、堀内、そして社長たちは大量の軍需宣伝物を徹夜で刷り上げる暮らしを変えられずにいる。
十二月に入ると、軍は「年末こそ士気を高め、戦局を一層押し進める」と称して、ポスターやチラシ、冊子の追加発注を一気に増やしてきた。社長は痩せた顔を歪めつつ「これで年末はまた徹夜づくしか……」と弱々しい声を漏らすが、軍の命令を拒むわけにもいかない。戸田は夜な夜な用紙配給の手続きを続け、堀内は警察への書類と在庫表を作成し、幹夫は機械の前で昼夜を逆転させつつ紙を流し込み、インクと汗の混じる熱気を全身で受け止めるばかりである。
静岡にいる父は、親戚宅での息苦しい生活を続けたまま、ここで迎える冬はさらに厳しいと手紙に記していた。家も畑も、そして行き場さえも奪われた老体には、配給も人間関係もあまりに寒々しく、かつて暮らしていた土地を思うと切なさばかりが募るようだ。幹夫はその嘆きを胸に、また徹夜の作業へ戻るしかないのが現実だ。昼夜問わず機械の音が魂を削るようでありながら、辞めれば店が潰れると分かっている以上、どうにも止められない。
月の中頃、警察の巡回は例月通りに行われ、社長と戸田、堀内が手慣れた調子で帳簿と在庫の説明をする。軍の印刷のみを徹底している姿勢を「問題なし」と認められ、速やかに立ち去る警官。職人たちは人が疲れ切って倒れそうになっても替わりを呼び、「大丈夫か?」と声をかけあうくらいで、休めるのはほんの数十分の仮眠だ。幹夫もそのなかでかろうじて息を繋ぎ、また機械に向かわねばならない。
夜が深まって下宿に戻った幹夫が窓を開けると、冷たい冬の風が部屋に入り、二つの風鈴がわずかな振動を見せるものの、チリンという音はすぐ闇にかき消される。「父さん……」 その声も小さく、寒気を帯びた空気の中で吸い込まれていく。彼は布団へ倒れこむように身体を横たえ、数時間後にはまた戦時下を支える“徹夜の歯車”として呼び戻されるのが宿命だ。
こうして昭和十八年十二月は、印刷所の内部で年の瀬の余韻など感じることもないまま、さらなる徹夜の極限へ突き進んでいく。太平洋戦争は引き続き拡大を続け、報道が伝える前線“勝利”を誇示するポスターが次々と生産される一方で、ここで働く人々の身体はぼろぼろで、静岡の父は地を失い寄る辺を失い……。 夜の戦時下、二つの風鈴がもし僅かに鳴る音を持っていても、それは恐るべき轟音と疲労の狭間に飲み込まれていく。誰も止められない戦争という歯車が、年が明けてもなお彼らの生活を深い闇で包み続ける――そのまま血の通わぬ年末へと足音を進めていくのであった。





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