昭和21年
- 山崎行政書士事務所
- 5月8日
- 読了時間: 61分
昭和二十一年(1946年)一月――動き出す復興と、遠い父との距離
敗戦からすでに半年が過ぎた。東京は焼け野原からの立ち上がりに向け、わずかずつ動き始めていたが、その速度は決して速くはなく、街の至るところに瓦礫や焦げ跡が残り、人々の暮らしはまだ闇市や臨時バラックに頼る状況が続いている。大空襲によって職と家を失った幹夫にとっても、この昭和二十一年一月は、以前のような生活には程遠いが、どうにか生計を立てる術を探る毎日の連なりだった。
1. 新年のかすかな息吹
正月とは名ばかりで、今年の元日はしんとした寒さのなかで迎えられた。占領軍(GHQ)の指令がいくつも発せられ、日本国内の政治や教育、社会制度が大きく変わろうとしているらしいという噂は耳にするものの、焦土に生きる人々にはすぐに実感できるものでもない。闇市で細々とした買い物をしている幹夫は、英語の看板や米兵相手の商売が増えているのを眺めつつ、かつて徹夜で印刷を回していた日々とは異質な空気を痛感する。
かつての社長や戸田、堀内ら仲間とも、年末年始は落ち合うこともなかった。社長は「春までに何とか小さな印刷工場を立ち上げようと模索している」と消息を伝え聞いたが、金融も整備もままならぬ復興期に、すぐに資金や設備を調達できるわけではない。幹夫もまた、別の安定した仕事は見つからず、日雇いの荷運びや闇市の露店手伝いなどで朝から晩までこき使われ、薄い毛布の下で夜を越える生活を続けていた。
2. 父の容態と焦り
一方、静岡にいる父の近況は年末以降、幹夫のもとへほとんど情報が入らない。ささやかな郵便物が途絶えており、先月に出した手紙も返信がないまま。噂によれば「そちらの親戚宅が荷が重くなり、どこかに移るのでは」と誰かが言っていたが、確証はない。もし父が親戚から出されたなら、老体で行き場があるとは思えない。幹夫は気が気でなく、しかし東京を離れて長期間静岡で過ごす余裕もなく、胸の痛みを抱えながら日々を過ごすしかない。
ふと夜の焼け跡で空を見上げると、かつて徹夜の轟音のなかで思い描いた父の姿が頭をよぎる。「あの頃は苦しかったが、まだ働き口はあった。いまは戦争も終わって、母国が再生しようとしてるのに、自分も父もこんなに困窮している……」とやるせなさに歯を食いしばる。寒風が骨身にしみ、二つの風鈴も失った記憶がよみがえるたび、何もかもが遠い昔のように思えてくる。
3. 再建へ向かう兆し
とはいえ、廃墟の町にもやや新しい空気が流れ始めている。GHQの指令により地方から物資が運ばれ、闇市から少しずつ合法の形へ移行しようとする露店も出始めている。幹夫の周囲では「小さな印刷屋が起業準備をしているらしい」との噂も飛び、昭和二十一年に入り「新聞や雑誌もどんどん出るらしいぞ」という話が耳に入る。 幹夫は内心、「印刷機が動くなら自分もそこへ入れてもらえるかもしれない」と希望を抱くが、そのためには昔の仲間や社長らとのパイプを復活させたいところだ。しかし今はそれが容易ではない。街は広大な焦土と化していて、知り合いの所在を突き止めるのは困難なうえ、連合国軍の統制を受ける仕事を始めるには英語の書類が必要という話もあり、ハードルが高い。
4. 義務と生存の間
新年が明けて数週間後、幹夫は簡易炊き出しで出会ったかつての警察官と偶然言葉を交わす。戦時中、巡回で「問題なし」と告げていた立場だったが、いまでは軍も消え、業務も再編され、個人として苦労しているらしい。 「俺たちも生活がままならない。占領軍に雇われて英語を使う警備や通訳をしている同僚もいる」と聞かされ、幹夫はなんとも言えぬ気持ちになる。かつての上下関係や警察の威圧がすべて失われ、今は皆が焦土の上で、生活と再生を探して漂っている。同じ苦しさを分かち合っているかのような、妙な親近感さえ沸くが、それだけ状況が切迫しているとも言えた。
5. それでも生き延びるために
幹夫は日々の糧を得るために、闇市から少し合法化された市場で荷役仕事を続けながら、いずれ印刷に関わる道が開けないかと模索する。時々、バラックで駆け出しの商店が「チラシを作りたいが、どこか印刷してくれるところはないか」と話すのを耳にするが、まだ大規模設備の再建には程遠い。 夜、風が冷たいなかでバラックの一隅に寝転がれば、二度と戻れない「徹夜での軍印刷」を思い返すと同時に、「あれほど苦しかった時代から生還しただけでもありがたい」と自分に言い聞かせる。そのとき、父の寝たきりに近い姿や失った畑が頭をかすめ、「何もできない自分」に苛立つ。だが、腹を満たす程度の金しかなく、郷里へ行く余裕も見当たらない以上、悶々とした時だけが過ぎる。
結び: 時代が変わる夜
こうして昭和二十一年一月を過ぎ、二月を迎える頃の東京は、戦争の轟音こそ消え去ったが、新しい秩序へと大きく揺さぶられる時代を走り始めていた。GHQの占領施策が次々と発布され、新聞・ラジオも一変するなか、庶民の暮らしは焼け跡からの生存争いに追われ、自分の道を見いだすのは容易ではない。 幹夫は父との再会を果たしたいが、かろうじて情報交換する程度で、親戚の家には「もう厄介にはなれない」という雰囲気があるらしく、決断を先延ばしにしている。かつての職場の仲間との再起計画は夢のようで、眼下に横たわるのは闇市、配給、そして終わりの見えない再建の足踏みだけだ。 夜風がヒュウと吹くと、幹夫は二度と鳴らない二つの風鈴を想起し、腹を抱えて寝込む。寒さを防ぎきれないバラックの中で、かつての徹夜はもはや遠い光景。戦争が終わり、警察も旧軍も変化しているが、焦土から這い上がる道は果てしなく険しい――そんな戦後の夜を、幹夫と同じように彷徨う人々が無数にいる。結局、次の朝も同じように来て、彼らは日雇いへ出かけ、父の心配を抱えたまま、どうにか一日を凌ぐばかり。それが昭和二十一年一月の終わりから、戦後の冬を越えようとする東京の真実だった。
昭和二十一年(1946年)二月――焦土を歩む再会への道
東京の焼け跡で廃墟のなかを生き抜く幹夫の日々は、年明けからさらに深い寒さを伴いながら続いていた。一月に始まった新年といっても、占領軍(GHQ)の施策が次々と打ち出され、街の表情はじわじわ変わりつつあるものの、庶民の暮らしは依然として飢えと寒さ、それに闇市の混乱を抱えたままだ。警察も戦前のような権威を失い、かといって新秩序が安定するわけでもなく、あちこちで雑多なトラブルが起こる。かつて大空襲の前に「問題なし」と巡回していた姿は遠い記憶となり、今は町の片隅で多くの人々が闇雲に再建の糸口を探している。
1. 冬の闇市と掘っ立て小屋
二月も半ばに入り、幹夫はバラックの掘っ立て小屋を借り受けた居場所で寝起きしている。屋根に隙間が多く、夜は風が吹き込んで底冷えがするが、野宿で過ごした頃よりはまだマシだった。朝から闇市や復員兵向けの臨時労働を探し回り、夜には疲れた体を押して戻ってくる。この月の寒さは厳しく、昼間でも吐く息が白くなり、凍える指で小さな炭火に手をかざしながらどうにか温をとるだけだ。
焼け跡が広がっていた下町でも、一部の土地を掘り返してバラック商店を建てる動きが進んでおり、その横には連合国軍兵士が通りかかる風景もある。英語で看板を掲げる露店や小さな食堂が立ち上がり、闇市から“半合法”へ移行しようとしている業者が増えているという。幹夫はそれらの場所で日雇いの荷運びなどを引き受け、何とか食いつないでいる状態だ。雑多な音が入り混じるが、徹夜の轟音が響いた印刷所の日々とはまったく違う雑踏に、彼は今なお馴染めない。
2. 父を迎えたい想い
幹夫の心を強く占めているのは、静岡の父のことだ。ここ数か月、葉書のやり取りもままならず、彼自身の生活が不安定で、父を東京に呼び寄せる算段が立たない。しかし、親戚宅で肩身の狭いまま老体を衰わせている父の様子を想像すると、せめて一緒に暮らして支えたいという気持ちが募ってやまない。 先日、知人から「静岡の親戚宅にも疎開している家族が増え、そろそろ父上に出て行ってほしいという空気もあるらしい」と耳打ちされ、幹夫は焦りを覚える。自分の生活基盤すら脆く、もし父が追い出されたらどこへ……という問いが頭から離れず、夜になっても薄い布団の下で悶々と考え込む。かつては徹夜の轟音に思考を妨げられたが、今は闇市の喧噪の裏で、自分の無力さを痛感する時間が増えるばかりだ。
3. 印刷の目覚め――小さな動き
そんななか、幹夫が闇市の一角で聞いた噂に「印刷機が修理され、簡易的にチラシや張り紙を刷る場を立ち上げたバラックがある」という話があった。GHQが日本での言論・報道を新たに開放し始めた背景もあり、小規模な印刷や出版の活動が徐々に動き出しているらしい。英語を少し読み書きできる人や、一部はGHQ向けのビラを作るなど、新しい仕事が生まれ始めているという。 幹夫は胸が高鳴る。「あの徹夜の轟音から逃れた後、再び印刷に戻れる道があるのだろうか……」。すぐにそこへ飛びつけるわけではなく、機材や紙の入手も困難を極めると聞くが、それでも全く希望がないわけではなさそうだ。自分がこの手で紙を扱い、印刷をして生計を立てれば、父を呼び寄せるための準備もできるかもしれない――そんな思いがささやかに彼の足を前へ進めた。
4. 警察・軍の影
かつて幹夫らが徹夜で作業していた印刷所を巡回し、「問題なし」と言いに来た警察や軍の姿は、今はもうない。戦争が終わり、GHQの占領が進む中で、警察は大きく再編され、旧来の統制力を失い、印刷を取り締まるでもなければ、社長たちを探す理由もない。彼らが言う「問題なし」の一言は、時代の彼方に消え去った。 代わりに町を闊歩する米兵やGHQの司令部の影響力が急に増しており、新たな規制や指令が噂される。出版や印刷もGHQの検閲対象となり、反占領軍的な内容や軍国主義的な文言が許されないらしいという話も広がっていた。徹夜の轟音が消えた先には、また別の厳しい監視と検閲が待っているのだろうか――そんな予感に、幹夫は少なからず戸惑いを抱く。
5. 焦土に灯る寒々しい灯り
二月も末に近づく頃、冷え込む夕暮れに焼け残った建物が立ち並ぶ光景は、相変わらず不気味な静寂を漂わせていた。人々は闇市で配給か闇取引をし、占領軍兵士がトラックやジープで通り過ぎる。幹夫はその脇を仕事帰りに歩きながら、焼失した印刷所のあった区画のほうへ足を向ける。そこには鉄骨とコンクリ片が相変わらず朽ち果てて横たわり、草さえ生えない灰色の地面が広がっていた。 「印刷所がここにあったのも、もう遠い昔みたいだ……」 幹夫は黙って立ち尽くす。徹夜の作業で苦しんだ記憶がありながらも、そこには仲間たちとの絆や生計があったのだ。いまや焦土の冷たい風が吹きすさび、二つの風鈴すら跡形もない。“警察”が「問題なし」と告げた記憶だけが、やけに鮮明に胸に残る。
結び: 冬の終わりと新しい春への準備
こうして昭和二十一年二月も、幹夫は闇市の仕事やあちこちの日雇いで生き延びながら、静岡の父との再会を模索し、わずかな印刷再開の噂を探す日々を続ける。戦争が終わったという現実はあるものの、痛ましい焦土と過酷な生活条件は、徹夜の機械音が消え去ったあとも、より厳しい形で迫ってきた。 それでも、春に向かう冬の終わりがささやかに感じられる日が時折訪れ、占領軍の許可を得て小さな広告ビラを刷る者が出はじめている、との噂も届く。もしかすれば幹夫が再び印刷業に携わる日は、そう遠くないかもしれない。 父の老いた身体は刻一刻衰えているだろうが、幹夫はせめてそこに辿り着く準備をするため、冷たい夜風を受けながら焦土の道を歩く。かつての轟音も風鈴の音も失った耳には、いま行く先の雑踏と英語の看板、そして遠くで工事の音が微かに響いている。新しい春へ向かって動き出すか――それはまだわからない。けれど焦土の冬を越えなければ、彼は何も取り戻せないのだろう。丁度その狭間で、また夜が訪れるのを幹夫は感じていた。
昭和二十一年(1946年)三月――焦土の街に芽吹くかすかな春
終戦から半年以上が過ぎた。昨年の終わりには昭和二十一年という新しい年を迎えたものの、東京の下町はまだ廃墟から抜け出す道を模索している最中で、実質的な復興にはほど遠い。かつて徹夜の轟音に包まれ、軍の宣伝物を昼夜問わず印刷していた印刷所も、三月十日の大空襲ですべてを失い、その跡地は長らく放置されていた。街頭には占領軍(GHQ)の指令や英語の看板が増え、闇市から少しずつ公的な市へ移行する動きはあるものの、混乱と貧困は相変わらず根強く残り、人々の生活は息苦しいままだ。
1. 春の兆しと焼け跡の今
三月になると、ようやく冬の寒さが緩み、焦土と化した町に薄い陽光が射し始めた。木々が芽吹く様子は残っているが、あちこちの土地は瓦礫や焼け焦げた木材が散乱していて、ふとした隙に吹く春の風がまるで場違いにも思えるほど。幹夫は闇市での荷運びを続けながら、わずかな賃金と配給を得る日々だ。寝床は粗末なバラックの一角で、雨が降れば簡単に雨水が入り込むという脆い環境だが、あの徹夜の轟音とはまた別の形の苦労が続いている。
最近は、占領軍が旧軍関連施設を次々と解体し、GHQの新たな統制が入っているという話を耳にする。警察も大きく再編され、「かつてのように民衆を厳しく取り締まる力はなくなった」と言われるが、街の混乱自体は収まらず、盗難や略奪、闇取引が日常茶飯事の光景だ。幹夫は日々、闇市や路地でさまざまな人間模様に触れ、精神的にも疲労を感じているが、それでも生きる糧を得るために働き続けるしかなかった。
2. 父の健康への不安
一方、静岡の父は昨年末から葉書の返事が途切れている。幹夫が一月、二月と立て続けに手紙を出しても、親戚宅からは無反応。人づてに聞いた話では「老いた父上の体調がさらに悪化し、ほぼ寝たきりに近い状況」とのことだが、確かな情報を得られない。もし父が親戚から出て行かなければならなくなれば……と考えると、幹夫の胸は張り裂けそうになるが、こちらもまだ住まいと仕事が不安定で、すぐに迎えに行くわけにはいかない。
幹夫はときおり「もう一度静岡へ足を運んで父を探そう」と考えるが、交通費や移動のリスク、また東京でわずかに得ている日銭を失うことなど、障害は大きい。目の前の日常すら覚束ないまま、連合国軍統治下の日本が「民主化」「農地改革」「教育改革」を叫んでいても、個人の生活や親子の再会を助けてくれるわけではない――そんな歯がゆい現実に息苦しさを覚える。
3. 焦土に芽生える印刷再開の声
そんな混乱のなか、**小規模な印刷機を修理し、チラシやポスターを刷る“新しい印刷所”**を立ち上げようとする動きも現れ始めているという噂が広がっていた。戦争が終わり、GHQの検閲や民主化の風で、新しい雑誌や新聞が次々と創刊される兆しがあり、宣伝や広告の需要がゆっくりだが生まれ始めているのだ。
幹夫はその情報を聞いて心がざわめく。一度は家も印刷所もすべて焼け、徹夜の轟音の記憶が灰に消えたと思っていたが、自分のかつての技術が何かに役立つ可能性があるかもしれない。「社長や戸田、堀内と再会し、印刷をもう一度……」と夢見るが、まだ直接の接点は見つかっていない。いま動いている新しい印刷工場は、GHQ関係の英語ポスターを刷るなど、限られたルートを持つ者が経営しているらしい。
4. 街角の再会と旧友の話
ある夕方、闇市近くで働いていた幹夫は、ふと呼び止められて顔をあげると、堀内がそこに立っていた。すでに三月の大空襲以降、音沙汰なくなっていた仲間だ。 「幹夫……無事だったのか……」 堀内は目にうっすら涙を浮かべ、幹夫もまた「あんたも生きてたんだ……良かった」と互いの手を強く握りしめる。堀内は戦後の混乱を横目に、数か月間地方へ移っていたが、最近東京へ戻り、やはり日雇いをしながら暮らしているらしい。 「実は社長も近いうちに戻ってくるって話だよ。何とか印刷をもう一度始めたいみたいだ。戸田さんも生き残ったようだって……」 この一報に、幹夫の胸は熱くなる。自分も再び印刷機を回せるかもしれない――徹夜の轟音こそ悪夢でもあったが、そこには仕事と仲間が確かに存在していた。
5. 春への一縷の期待
三月の寒さは相変わらず身を切るようだが、桜のつぼみが少しずつほころぶのを見て、幹夫は深い焦土にもやがて春の光が射すのではないかと微かな期待を覚える。もっとも、道路はまだ荒れ、闇市の喧噪に押し流される日々に変わりはない。警察も新たな組織形態に移行しつつあり、GHQの指令のもと、「民主的改革」と称して取り締まりも緩くなっているが、代わりに違法行為や犯罪が増えているとも言われる。 幹夫は父を迎える段取りをどうするか、頭を悩ませつつも、まずは自分が東京で腰を落ち着け、安定した収入を得る道を作らなければならない。もし社長や戸田が印刷機を入手し、小さな工場を立ち上げるなら、そこに参画できるかもしれない。そうすれば父を呼び寄せることも可能になるだろう――ただし本当に再起がかなうのかは、まったく未知数だ。
結び: 徹夜の轟音から遠ざかった場所で
そうして昭和二十一年三月、幹夫は闇市の労働をこなしながら、かつての職場仲間とのわずかな情報や噂をかき集め、焦土の町の路地を歩き回る。徹夜と轟音はもうない。しかし、家や印刷所を失った現実は徹夜の苦労とは別種の苦難を押しつけてきた。 父が親戚宅でどこまで耐えられるのか――思い煩う夜、彼は瓦礫のかさを枕に、かすかに二つの風鈴を思い出す。もう焼失してしまったそれらのチリンという短い音は、戦中の徹夜の合間にほんの少しの安堵を与えたかもしれないが、今となっては二度と耳にできない幻想だ。 幹夫は瞳を閉じ、「せめて春が本格的に来る頃には、印刷の道をもう一度歩み出せたら……」とわずかに願う。街角の黒い夜気に包まれながら、朝が訪ればまた闇市へ行き、わずかに稼ぎ、父への想いを胸に、歩き続ける――それがまだ続く戦後の荒涼とした生活の光景であった。春の風は、その焼け跡にわずかながら花の香りを運び込み、幹夫の心に「いつか、父を迎えられる場所を作るんだ」という小さな炎を燃やしているのだ。
昭和二十一年(1946年)四月――焦土にこぼれる新たな陽光
三月が終わり、東京の街にはようやく穏やかな陽光が降りそそぐ日が増え始めた。徹夜の轟音が鳴りやまずに軍の宣伝を刷っていた頃から、わずか一年ほどしか経っていないのが信じられないほど、この町は焼け落ち、変わってしまった。幹夫は三月末まで闇市の労働で食いつなぎ、四月の声を聞いたころから、かつての印刷仲間とも少しずつ顔を合わせるようになっていた。
1. すこしだけ芽生えた復興の気配
四月に入ると、占領軍(GHQ)の主導する諸政策がさらに進行し、役所や警察の人員が入れ替わり、新しい看板や指令書が街に増えてきた。新聞や雑誌は増刷され、多様な記事が世に出始めている。幹夫が耳にしたところによれば、小規模な輪転機や手動式の印刷機を手に入れ、簡易なチラシやポスターを刷る動きが少しずつ活性化しているという。とりわけGHQの公示や英語混じりの広告を作りたいという需要がわずかに芽吹き、旧い印刷技術を持つ者たちが集まって細々と事業を始める場面もあるらしい。
幹夫は夜ごとに闇市で野菜や乾物を売る露店を手伝いつつ、昼は配給の列に並び、その合間に再建の噂を求めてあちこちを歩き回っていた。**「印刷所をまた起こしたい」**と話していた社長の姿は未だ確かめられず、戸田や堀内もそれぞれのルートで生活を確保しているらしく、連絡がつかないままだ。かつては一夜にして全部を失った惨状を思うと、彼らも容易には動けないに違いない。
2. 父からの短い葉書
そんなある朝、珍しく幹夫のもとに静岡からの郵便が届いた。曲がった文字で綴られた、それは父のものだった。文面はごく短いが、「状態は厳しいがまだ生きている。農地改革という噂が流れているが、わしは動ける身体でもなく、親戚宅に置いてもらっているが長くはいられんかもしれん」と書かれている。幹夫はそれを読み、安堵と切なさが胸を同時に突き刺す。 (まだ生きていてくれたんだ……でも、このままじゃ父はいつ路頭に迷ってもおかしくない) 戦争中の徹夜印刷から開放され、いまは自分も日雇いをしながら生き延びる身ではあるが、とても父を呼び寄せられる余力はない。どこか住まいを手に入れ、安定して食い扶持を確保する――そのためにはやはり印刷という昔取った杵柄を活かすしかないのでは、と幹夫は考えを深める。
3. 焼跡での小さな再会
四月半ば、幹夫は偶然、かつての同僚だった職人と路地でばったり顔を合わせる。かつては徹夜に交替で印刷機を回し、軍のポスターを作っていた仲間の一人だ。 「おまえも無事だったか……どうしてる?」 互いに瓦礫だらけの路地で再会し、ぎこちない笑顔をかわす。徹夜の音が頭から離れぬまま大空襲で焼け出され、家族や友人が散り散りになった話を聞き合う。彼もまた、仮設住宅に入りながら日雇いの労働をしているという。 さらに、「社長がどうやら“バラック印刷所”を探しているらしい」と耳にし、幹夫は胸を躍らせる。「小さい輪転機や手動機を集めて、多少お金を出してくれる人がいるとか……社長は春を目処にしていたが、まだまとまらないんじゃないか」との噂だが、それでも一筋の光が差す思いがした。彼らが合流すれば、父を呼ぶための資金や住居を得られるかもしれない。
4. 占領下の警察と印刷業
かつて「問題なし」と巡回した警察は、今やGHQの改革方針で大幅に組織が変わり、旧来の上下関係や検閲制度は形骸化しつつある。昭和二十一年四月時点では、新しい指令に適応できず混乱している警察職員も少なくないが、その一方で違法な闇取引や売春、略奪が横行し、秩序の再確立に苦闘している姿が目につく。 印刷業は、ある程度の許認可さえ得られれば、GHQの宣伝や広告、あるいは日本国内向けの再建ポスターなどを扱うチャンスがあるかもしれない。とはいえ、夜を徹して機械を回すほどの設備や資金はどこにもない。それでも春の空気のなかで、あちこちのバラックからガチャガチャと簡易的な手動機の音が聞こえ始め、「少しずつビラやチラシを作り出しているんだ」と耳に入ると、幹夫は改めて印刷人としての血が騒ぐのを感じるのだ。
5. 父への手紙と小さな一歩
幹夫は、一縷の希望を胸に、父へ手紙を書くことにした。自分も大変な状況だが、「社長らが印刷の再建を試みているらしい。俺もそこに加われたら、もう少し安定した暮らしができるかもしれない。そしたら迎えに行きたい」という趣旨を綴り、「もう少しがんばって生きていてほしい」と懇願するような文面を書く。 郵便はまだ混乱しているが、焼失を免れた中央郵便局はどうにか動いているというので、そこへ出向いて投函する。父がいる親戚宅に届くかは分からないが、ほんの少しでも気持ちが届いて、父の心を支えられたらと祈るしかなかった。
結び: 焦土の中で生まれる再起
昭和二十一年四月、依然として廃墟の光景が広がり、夜はまだ冷えるが、日中に微かに暖かい風が吹きはじめる。町には占領軍兵士が行き交い、英語の看板や進駐軍専用の施設ができ、雑然とした新しい秩序が動き始めている。 かつて徹夜で轟音を立てながら軍のポスターを大量印刷した記憶も、もはや遥かな過去のようだ。幹夫の耳にはあの機械の音も、二つの風鈴の短い響きも残っていない。だが、その空白を満たすべく、小さなバラックの印刷機がどこかで回り出しているとの噂は、彼の胸に微かな期待を灯す。 今の闇市での荷運びから脱却し、旧来の仲間たちと再び紙とインクにまみれる日は来るだろうか。そのとき父を東京へ呼び、あの苦い徹夜と灰の歴史を越えた新たな暮らしを作れるのだろうか――幹夫は薄日の射す夕方の瓦礫の路上で目を伏せ、唇を結ぶ。そう遠くない春の日々に、もう一度紙に向き合う人生を取り戻したい。それが父への、そして自分への誓いのように感じられる四月の始まりだった。
昭和二十一年(1946年)五月――焦土に新たな息吹を求めて
東京大空襲から一年と少しが経ち、終戦からもすでに九か月余りが経過している。気温がやわらかな上昇を見せ始め、空には連合国軍(GHQ)の軍用機こそ飛ばなくなったものの、焦土の町はまだ荒涼とした姿を多くとどめている。そんな混乱のただ中で、かつて徹夜の轟音に苛まれながら印刷所を支えていた幹夫も、闇市の労働で食いつないだり、日々の糧を確保したりと不安定な生活を続けていた。五月といっても、その明るい響きとは対照的に、まだ復興への道筋は険しいばかりだ。
1. 都市の復興が動き出す報せ
連合国軍(GHQ)の占領政策がさらに進行し、東京全体の再開発や復興計画の草案が持ち上がっているとの噂が飛び交う。幹夫が闇市で耳にする話によれば、「役所が焦土の区画整理を本格的に始める」とか、「GHQの意向で公職追放が進み、古い権力構造が崩れている」といった情報が錯綜している。 実際、路地のあちこちには簡易な屋台やバラック商店が立ち並び、そこを追い風に小規模の印刷所が徐々に起業・再建されつつあるという声も届く。雑誌や新聞、あるいはビラやチラシを刷りたいという需要が、戦後の混乱下でも生まれ始めているのだ。幹夫は「いつか自分も印刷の技術を活かせるかもしれない」と期待を抱きつつ、夜は相変わらず焼け野原のバラックで眠る日々である。
2. 父を迎えられない苛立ち
静岡の父への葉書をこの春も何通か送ったが、返信は一向にこない。親戚宅で「肩身が狭い状態」が続いているという情報を聞き及ぶたび、幹夫は「すぐ迎えに行く」と決意したい気持ちに駆られる。しかし、いまだに東京での住まいと生計が安定しておらず、父を連れてくるには到底心細い。 それでも、父の体調が悪化する前にどうにかしたいという焦りが日増しに募る。日雇いでいくらか稼いだところで、当面の食糧を買うので精一杯だ。もし印刷所を再起できれば、旧仲間と力を合わせて職を得て、父を呼び寄せる道も見えるのだが――そこに手が届くには、まだ壁がある。雑誌や新聞の発行が活発化しているといっても、設備投資や資金をそろえる余力が幹夫たちにはないからだ。
3. 古い仲間からの手紙
ある夕暮れ、幹夫は廃墟のバラックに戻ると、不意に同居する日雇い仲間から**「手紙が届いていたぞ」と差し出される。見ると宛名には、かつての印刷所仲間・堀内の名が。懐かしい筆跡に胸を高鳴らせながら開封すると、なんと「社長が闇市の親方と組んで、小さな輪転機を手に入れた**」という報せが書かれていた。 堀内自身は何とか連絡を取ったらしく、今後その機械で簡易的なビラや張り紙を刷る仕事を開始する計画だという。「もしおまえ(幹夫)も力を貸してくれるなら、ぜひ来てほしい」との言葉が綴られており、幹夫は思わず立ち上がった。もしかすると「徹夜の轟音」はもう戻らないにせよ、印刷という仕事を再び手に入れられるかもしれない。
4. 復興の風とGHQの監視
もっとも、この計画はGHQの許可が必要だし、占領軍の意向に背く文面を刷ることは一切認められないらしい。さらに紙の配給はまだ不足気味で、闇市経由で高値で紙を仕入れるか、古紙を再利用するなど苦労は尽きないという。それでも社長や堀内、あるいは戸田も関わりそうだとのことで、幹夫の胸にはかすかな光が差す。 「もう一度、紙を扱い、インクと格闘する日々になるかもしれない。でも、父さんを迎えるには……」 幹夫は火の粉ですべて失われた印刷所の記憶が甦り、少しだけ目が潤んだ。かつては徹夜で辛かったが、仕事がある生活はまだ支えがあった。今なら、戦争の宣伝ではなく、復興や新しい情報を届ける印刷ができるかもしれない。そんな思いが彼を前へと押す。
5. 父への便り、そして決意
幹夫はすぐに葉書を用意し、「父さん、東京で印刷の仕事を再開できそうな兆しがある。まだ軌道には乗らないかもしれないが、もしうまくいけば、父さんを呼びたい」と静かに書き綴り、親戚宅宛に送ろうとする。戦後の郵便は遅延や誤配が多いが、希望を捨てずに投函する。 もしこれが形になれば、数か月後には落ち着いた住居を整え、父を連れてこられるかもしれない。戦争が終わった今、家や畑を再生できなくても、新しい街の形を二人で生きていく術があるかもしれない――幹夫は、こんなにも心が弾むのは久々だと感じながら、焦土の路地を足取りわずかに軽くする。
6. 暗雲を裂く、一瞬の温もり
日が落ちて、バラックでの薄暗い光の下、幹夫は隙間風に震えながら夕餉の残りをかき込む。周囲の会話からは「米兵が近くの通りをパトロールしてた」「闇取引で補導されたやつがいる」など、戦後の混沌を感じさせる話題が続く。かつて警察が「問題なし」と言っていた時代が遠い幻のようだ。 しかし、瓦礫の町には徐々に活気が戻り、生活に必要な露店や簡易な商売が増え始めている。幹夫は、これが本当に復興への一歩なのか、あるいは一時的な混乱が形を変えているだけか判断がつかないが、ひとつ確かなのは、自分が印刷に戻れるかもしれないという事実だ。それは、父を安心させる糸口にもなるはずだ。
結び: 春のその先へ
こうして昭和二十一年五月を迎えようとしている東京は、戦後の空気を吸い込みながらも、廃墟を抜け出せずにもがいている状態だ。徹夜の轟音が止み、軍によるチェックが消え去った代わりに、占領軍の新たな管理と闇市の雑然が続き、配給不足や物資高騰に苦しむ人々が溢れている。 それでも幹夫の心には、かつての仲間と印刷をもう一度始めるかもしれない希望が、父を迎えるための唯一の道として立ち上がりつつある。戦時の徹夜は終わったが、父がいる静岡と焼け跡の東京をどう結び、そこに生活を築くか――その困難を抱えながらも、瓦礫だらけの街には新しい風がわずかに吹いていた。 幹夫が微かに思い描くのは、いつか再び紙とインクの仕事を通じて、父の手を取れる日。あの二つの風鈴はもう戻らないが、その響きの残像を追い、彼は春から続く復興の光を目指して進んでいくのだった。
昭和二十一年(1946年)六月――焦土で少しずつ広がる再生の息吹
戦争が終結してからおよそ十か月、焼け野原の東京には徐々に復興の風が漂いはじめていた。もっとも一面廃墟になった街を完全に建て直すには途方もない時間と労力が必要であり、目に見える変化はささやかなものだ。連合国軍(GHQ)の占領は続き、軍国主義的な制度が取り払われる一方で、英語の看板やジープが新しい統制の気配を街に広めている。警察や行政機構はかつての力を失っており、人々は闇市やバラック暮らしで細々と糧を得る日々だ。
そんな中、幹夫も焦土のなかをうろつきながら、かつての仲間との連絡を少しずつ取り合い、新たな「印刷の再開」の噂に触れていた。三月の東京大空襲で消え失せた印刷所をもう一度築くのは容易ではないが、世の中が戦後の民主化や自由な言論を広げる動きに連動し、新しい雑誌や広告を作ろうという動きがわずかに芽生え始めている。大規模な設備を持つ印刷所は大空襲で焼失したままだが、小さな輪転機や手動プレス機を用いてチラシや張り紙を作る者たちも現れはじめていた。
1. かつての仲間と「再起」の兆し
六月に入ってまもなく、幹夫はようやく旧社長の所在を突き止め、再会を果たすことができた。社長はあの大空襲で家も店も失ったが、命だけは取り留め、戦後は親戚の口利きで地方に一時疎開していたという。戦時中に「問題なし」と巡回した警察の姿など、今や思い出にもならないほど彼自身も混乱のなかを彷徨ってきた。そして最近になり、どうにか少額の資金をかき集めて、小規模の印刷所をバラックに立ち上げようと動いているらしい。 「大がかりな機械はないが、手動の輪転機を修理して少しずつポスターや広告を刷れば、GHQ相手の仕事もなくはない。幹夫、おまえの腕が必要だ」 社長はそう熱のこもった言葉で幹夫の手を握る。幹夫の胸は高鳴った。徹夜の轟音に塗れた日々はもう二度と御免だが、それでも印刷こそが自分の“戻れる場所”なのだとあらためて思う。
2. 父を迎えたい焦り
一方、静岡の父をなんとか呼び寄せたいという幹夫の願いはさらに強まっている。親戚宅が厄介者のように扱っていると聞き、父自身も配給不足のため衰弱が進んでいるらしい。だが幹夫は今のところ闇市の労働だけで手一杯で、自分の住む場所も安定せず、父を迎えるのは困難だった。 そこへ印刷所の再開がもし進めば、多少の資金と住まいを確保できる可能性がある。父が東京で暮らすのはハードルが高いが、幹夫が働いて安定すれば、新居を探して親子で再度暮らす糸口が見えてくるかもしれない――そんな希望に、幹夫は胸を躍らせながら、社長や戸田たちと協力して新たな拠点を探す計画に奔走し始める。
3. バラック印刷所への道
しかし、現実は甘くない。バラックで印刷を始めるとしても、紙の確保は依然として難しく、GHQからの許可や検閲の問題も避けられない。さらに、ある程度まとまった資本がないと用紙購入すら安定しない。かつては軍の命令で紙をあてがわれ、警察のチェックを受けながら徹夜の大量印刷が可能だったが、もはやそんな後ろ盾は皆無で、紙は高値で売買されるか、古紙を再利用するかしかない。 さらに社長によれば、小さな輪転機だけでは効率が悪く、刷れるものも限られる。戸田や堀内も人脈を使ってGHQの庁舎に出入りする業者を当たってはいるが、一朝一夕にまとまる話ではなく、焦土の復興の波に乗れなければ企画倒れとなる危険もあった。幹夫はそれでも、徹夜の地獄に比べれば努力のしがいがあると感じ、「やるだけやってみる」と気を奮い立たせる。
4. 街の変化と占領軍の目
六月の空気は初夏の熱を帯び始め、焦土だった町に露店や仮設の店がさらに増えて活気を見せる一方、まだあちこちで倒壊したままの建物も残り、社会全体の混乱は依然深刻だった。幹夫が通う闇市でも、米兵相手のバーや売店がひそかに生まれ、同時に飲酒や売春に絡むトラブルが頻発している。GHQは「民主化」の旗を掲げながらも、不正や犯罪を黙認しない姿勢を見せており、新しい取り締まりや検閲が敷かれる可能性もある。 かつて印刷所を巡回して「問題なし」と言い渡した警察は、今や大きく制度が変わり、かつての人員は再編成や公職追放の対象となって姿を消し、まったく新しい秩序へ移行中だという。幹夫がそれらを横目に見れば、戦前・戦中のような警察権力はもはやなく、むしろ複雑に利権や闇取引が入り混じる奇妙な時代になったと感じる。
5. 父への一歩と夢の萌芽
そんな十字路のなか、幹夫は社長と戸田、堀内と再会を果たす機会をようやく得た。バラックの空きスペースを借りて輪転機を設置し、手探りで小規模な印刷を始めようとする話が本決まりに近づいているという。 「まだ紙も数が足りない。印刷できるものも英語の張り紙や広告がメインかもしれないが……」「やらないよりはマシだろう。復興への足掛かりになるかもしれん」 彼らがそう語るうち、幹夫はほっとして深い息をつく。「俺にも手伝わせてください。父さんを呼んで再起するために、なんとしても働きたい……」という思いがあふれて止まらない。
結び: 暗くも確かな再始動
こうして昭和二十一年六月、かつて徹夜の轟音を鳴らした印刷所メンバーは、焦土の町の片隅で新たなバラック印刷所への夢を描き始めた。もちろん、徹夜の日々が戻るわけではなく、設備も資金も乏しいが、米兵や闇市の需要に応えながら少しでも印刷を再開しようと意気込んでいる。 父の老いた身体を静岡から呼び寄せる日は、いつになるかまだ分からないが、幹夫は「ここで金を稼いで安定できれば……」と願いを強くする。もう二度と“警察の巡回に怯え、軍の無理難題をこなす徹夜作業”は御免だが、今度は自らの意思で紙とインクを扱う仕事を築いていくのだ――そういう希望が彼の胸を押し上げる。 焦土の町で迎える暑い日差しとともに、かつての轟音は沈んだまま。しかし、新たな印刷機の音が再び耳に響くかもしれない未来を想像すれば、幹夫の中に失いかけていた活力が蘇りつつある。二つの風鈴も、父の畑も取り戻せないが、せめて次の一歩を踏み出すために――六度目の夏がやってきても、彼らはあきらめず焦土を歩み続けるのだ
昭和二十一年(1946年)七月――焦土にこだまする小さな輪転機の響き
東京が大空襲の火に包まれてから一年と少し。終戦からは、はや十か月を超えて、焦土に咲き始めた闇市や、バラックでの仮住まいが“戦後の日常”と化している。一方、戦前・戦中に機械の徹夜轟音で動き続けた印刷所を失った幹夫や社長、戸田、堀内らは、この廃墟の街で再起を図るべく小さな印刷機を用いた「バラック印刷所」を準備し始めている。しかし資金も物資も不足のままで、連合国軍(GHQ)の新たな規定や紙の配給状況を睨みながら、未だ試行錯誤の段階だった。
1. 夏の暑気と進む占領政策
七月に入り、東京の路上では日差しが強く照りつけるようになり、汗をかく日が増えた。瓦礫と焼け焦げが広がる町並みに、夏の陽射しは容赦なく照り返し、あちこちに湧いたバラック商店や闇市の露店では、人が群がり、英語交じりの声が入り乱れる。占領軍による改革の一環として「農地改革」「財閥解体」「教育改革」などがラジオや張り紙で盛んに宣伝され、その文言を印刷する需要すら生まれつつあるという噂もあった。
幹夫たちが狙っているのは、そうした新しい張り紙やビラ、あるいは広告の仕事を請け負う小規模印刷の市場だ。戦時中は軍の命令で徹夜に追われ、警察の「問題なし」を受けながら機械を回したが、今はその大掛かりな設備は焦土と化し、手動式や小さな輪転機を集めて立ち上がるしかない。しかし、この「バラック印刷所」のアイデアは徐々に形を帯びはじめ、必要なパーツをかき集めたり、闇市で古い活字を手に入れたりと、みんなが少しずつ力を出し合って準備を進めている。
2. 父の近況と焦れ
一方、幹夫が抱える切実な問題は、静岡の父の体調だ。終戦後も親戚宅で寝たきりに近い状況と聞き、時おり届く手紙には「体が弱り周囲の世話になるばかりで肩身が狭い」と嘆きが書かれている。迎えに行きたいと幹夫も何度も思いながら、いまだ自分の生活も安定せず、とても父を引き取れる余裕は見いだせないままだ。 六月末に届いた父の葉書には「わしもそれほど長くはなかろうが、おまえの生きる道が見えれば、それが一番の安心だ」と綴られており、幹夫は歯がゆい感情を押し殺すしかない。もしバラック印刷所が軌道に乗れば、家賃を稼ぎながら小さな住居を借り、いつか父を連れてこられるだろうか――そんな一縷の希望にすがり、夜な夜な焼け跡の路地で考え込む毎日だった。
3. 印刷所立ち上げ準備
七月の半ば、社長と戸田、堀内、それに幹夫ら旧仲間が焼け残りの一角をバラックで借り受ける段取りを進めている。そこには中古の小型輪転機を組み立て、簡単な活字を並べるスペースを作り、英語や新制の日本語表現を刷る技術を試そうというのだ。 GHQの許認可については、戸田が多少のコネを使い、広告ビラ程度なら特に大きな制限も受けないらしい。紙の配給が問題だが、闇市で古紙を買い、雑誌の裏面を再利用するなど工夫をこらす腹積もりで、これならすぐに大金をかけずとも印刷の真似事が始められる。 徹夜の大量印刷とは違うが、今度は自分たちの意思で、自由な情報や宣伝を扱う――それは戦時中の轟音とは逆の意味で、幹夫をわくわくさせる光でもあった。
4. 暑気と闇市の雑踏
しかし、まだまだ生計は闇市の働きが主となっており、幹夫らは昼間に少しずつ印刷の準備を進め、夜には闇市で食糧を買い、配給を受ける列に並ぶ。夏の暑さが増し、汗ばむ体でバラックへ戻ると、そこにはかつての徹夜の騒音はなく、代わりに就寝スペースを取り合う避難民や闇商人がひしめいている。社長は仮住まいが遠く、戸田と堀内も各々別の場所で夜を過ごしていて、たまに顔を合わせるだけだ。印刷の立ち上げはあくまで少人数で動かす予定であり、職人全員を雇えるわけでもない。 幹夫は「これで本当にうまくいくのか」と疑念を抱きながらも、二度と轟音の徹夜に縛られたくない思いと、戦後を生き抜き父を迎えたい切実な願いが背中を押す。以前の大掛かりな機械音がない分、静かだが、焦土の風が熱を帯び、夜も寝苦しい。時折、米兵のジープが石畳を駆け、英語の看板を派手に掲げるカフェの噂なども聞こえるが、そこと自分の暮らしは遠い世界の話と感じる。
5. 警察の変貌と新たな検閲
また、幹夫の中には「かつて警察が徹夜の巡回で“問題なし”と告げていたのは何だったのだろう」との疑問が宿り続けていた。今や警察はGHQの指令で形を変え、戦時中の取り締まりや検閲制度は大きく崩れている。ところが、GHQのもとで印刷物を出そうとすれば、今度は占領軍の検閲や制限が待っており、自由に印刷できるわけでもないらしい。 とくにGHQが嫌うのは、軍国主義や反占領を煽るような文書で、もし誤って印刷すれば店ごと取り潰される危険があるという噂を聞く。まるで戦時中とは別種の検閲が、戦後の占領下で機能するようになっている。幹夫は「また轟音に追われずとも、違う形の不自由が印刷を縛るのか……」と複雑な思いを抱くが、それでも戦中のように徹夜で軍を支える日々よりはマシだと感じる。
結び: 夏空に続く道
昭和二十一年七月、焦土の東京には陽射しが強烈に照りつけ、日ごとに灼熱を増していく。幹夫たちが思い描く小さなバラック印刷所の立ち上げは、紙やインク、許認可の問題でまだ難航しており、本格稼働までには時間を要するだろう。だが、徹夜の轟音に塗れた戦時下の暗闇を抜け、各自が再起を目指す姿勢には確かな変化がある。 父を迎えるための生活基盤を整えるには、まだ多くの困難がある。静岡の親戚宅から「父の体調が思わしくない」との噂が届くたび、幹夫は胸を押し潰されそうになる。しかし、この下町で印刷所を再生する夢は、父を救う唯一の道に感じられた。 日中は闇市の荷運びをこなし、夜はバラックの一隅でうっすら汗をかきながら眠りにつく。そんな日常でも、あの徹夜の轟音と二つの風鈴が消え去った記憶を抱え、幹夫は少しずつ前進しようとする。夏空の下には、占領軍のジープや英語の看板が増えるなか、新しい時代の鼓動が聞こえ始めている。かつての“警察の巡回”や“問題なし”と告げられる徹夜とは別の世界に、自分も踏み出すのだ――そう信じながら、焦土の中をまた一日、一日と歩き続けている。
昭和二十一年(1946年)八月――焦土に漂う実りの気配と新たな足音
戦後が始まってまもなく一年になる東京の下町。あの大空襲による焦土が未だ癒えていないものの、八月の灼熱の陽気の中で、町には占領軍(GHQ)の影響と少しずつ広がる復興の兆しが混じり合うようになっていた。かつて徹夜の轟音に包まれながら印刷所を支えていた幹夫や社長、戸田、堀内ら仲間は、散り散りに避難していたが、この夏までに再び連絡を取り合い、小さなバラック印刷所の立ち上げに向かって準備を進めている。警察が「問題なし」と告げるための徹夜が消え去って久しいが、それは同時に彼らが自分たちの意志で印刷を始める自由を模索する時代の到来でもあった。
1. バラック印刷所の萌芽
七月までの段取りで、ようやく幹夫たちが使える小型の輪転機が闇市経由で入手されていた。社長は、かき集めた資金でバラックを借り、そこに動力を通すために奔走したが、電力不足の時代ゆえ安定した電気が来るかも分からない。戸田は紙の仕入れに苦心し、英語のチラシを刷ってGHQ相手に売り込むほか、日本人向けの広告や張り紙を地元商店から取るなど、仕事の当てを作ろうと走り回っている。堀内は警察やGHQへの許可申請、占領下での検閲にも注意しながら、なんとか夏のうちに印刷を稼働させたいという切迫感を抱いていた。
幹夫は、かつて轟音が鳴り響いた大規模印刷とは程遠い、ガタガタした輪転機を見るだけで胸が熱くなる。父を迎えるためには、自分の生活を立て直し、少しでも収入を確保することが必要だ。このバラック印刷所が軌道に乗れば、父を東京に呼ぶ日の糸口が見えてくる――そんな思いが幹夫の背中を押している。
2. 灼熱の闇市と苦しい配給
しかし、現実は相変わらず厳しい。東京の夏は焦土に容赦なく日を注ぎ、瓦礫の地面から熱気が立ち上る。闇市は活況だが、そこでは商売と犯罪が紙一重で混在しており、警察もGHQの指令を受け形ばかりに取り締まりを行っているが、秩序はまだほど遠い。幹夫自身も、印刷所の開業準備に参加するかたわら、闇市の荷運び仕事を続けながらどうにか配給や闇取引で食べ物を手に入れている。
配給制度も十分機能せず、パンや雑穀などをめぐる争いがしょっちゅう起きる。幹夫は灼熱のなか列に並び、自分の番が来る頃には汗だくになりながら、数日分の食糧を確保する。それをバラックの一隅で煮炊きして飢えをしのいでいる。ときおり夜風にあたりながら、「あの徹夜の日々も辛かったが、いまの闇市暮らしも相当きつい」と感じ、何かを得るには何かを失うのだなと苦笑する。
3. 父の行方と暗雲
静岡の父は今月になっても沈黙が続いていた。親戚宅から出されたのではないかとの噂を聞くが、はっきりした消息は誰も知らない。幹夫は焦って葉書を再び出したが、返事が来るかは分からない。仮に父が放浪の末に倒れてしまったら――そんな悪夢が頭をかすめるたび、幹夫の心は疼くように痛む。しかし、いまは東京でバラック印刷所の立ち上げ準備が最優先。ここを軌道に乗せれば、父を探す手立ても確保できると信じ、幹夫は昼夜とわず奔走を続ける。
4. 警察の影とGHQの検閲
バラック印刷所を開くには、GHQに仕事を依頼される可能性もあるが、そのためには検閲を受ける必要があり、いわゆる「軍国主義」的な内容や、占領軍に否定的な文面は刷れないルールがある。警察は戦前のように「問題なし」と巡回する立場ではなくなり、むしろGHQの監視下で、印刷や出版の自由をどこまで許すか試行錯誤中だ。 かつて徹夜の印刷をしていた頃は、軍の要求こそ絶対だったが、紙は潤沢に支給されていた。いまは自由であっても紙も資金もない。戸田はそこを何とか闇市のルートで補おうとし、堀内は警察とGHQの狭間で許可を得る交渉を進める。社長が言う「当面は英語混じりの広告や、新制出版社の受注を狙う」という戦略に、幹夫も賛同し、日増しに暑くなるバラックの小屋で可能性を模索している。
5. 脈打つ小さな輪転機
そして八月も下旬に近づくころ、バラック印刷所の輪転機がなんとか形になり、手回しで試運転を行う段階へこぎつける。社長が町外れの骨董品屋のような場所で調達した古い部品や、戦前の活字箱を修理したものを組み込み、戸田が裏取引で手に入れたインクと紙を用いて、まずは広告チラシを数十枚刷ってみるという。 幹夫がガチャガチャとハンドルを回すと、紙が滑り込み、活字面にインクが乗って印字される――「ゴトン、ゴトン」という不揃いな音が、かつて徹夜で稼働した大きな機械に比べてはるかに小さいが、それでも懐かしい印刷の手応えが彼の胸を満たす。「これで父を、家を、もう一度……」と、不完全な仕上がりの紙を手に取りながら、幹夫はこみ上げる感情を抑えきれない。
結び: 未来への機械音
昭和二十一年八月、焦土の東京にはまだ焼けこげた面影が強く残り、警察や連合国軍の新たな統制と、闇市の雑然が入り混じった混沌が続いている。幹夫は父を探し迎えるための糧を得ようと、このバラック印刷所に懸けている。かつての徹夜の轟音はもう戻らないが、今度は小さな輪転機が不揃いな音を刻んで、ひとつずつ広告チラシを世に送り出す。昼夜を逆転させるほどの徹夜労働は今のところ必要なく、むしろインクや古紙、配給の不足が最大の壁となっている。 父を迎えたいと願いながら闇市を行き来する幹夫の耳には、警察が「問題なし」と言いに来ていた昔の記憶がときおりよみがえる。今やそんな統制の仕組みは崩れ、占領軍の検閲と資材不足が新たな軛となっているが、それでも幹夫は輪転機を回す手応えを感じ、「これなら自由を掴むために働けるかもしれない」と希望を抱く。 真夏の暑さに汗を流し、夜風に当たりながらバラック屋根の下で無骨な機械を掃除すると、二つの風鈴がかつて鳴った下宿を思い出す――戦争宣伝の地獄の代償と、灰へと燃え尽きた大空襲。そのすべてを越えて、自分が今ここで紙を扱う日々が戻ったことは、小さくても確かな光だ。徹夜の嫌な記憶に苛まれず、「いつか父を迎える一歩になる」と信じて、幹夫は輪転機を一層念入りに磨くのだった。
昭和二十一年(1946年)九月――焦土のバラックに息づく小さな印刷機
終戦から一年あまり。大空襲で焦土となった東京の下町は、いまだ瓦礫の山が残るなか、占領軍(GHQ)による新しい秩序が少しずつ広がっている。警察や行政の再編、民主化や農地改革といった大きな変化が世間を騒がせる一方で、庶民の暮らしは闇市やバラックでの厳しい生活を強いられ、復興の兆しは小さく揺れ動く程度。かつて「徹夜で軍のポスターを刷り続けた」幹夫や社長、戸田、堀内らも、その大空襲で職場を失ってから長らく散り散りになっていたが、この数ヶ月は小さなバラック印刷所を立ち上げるため協力し合っている。
1. バラック印刷所、ついに試験稼働
九月に入り、残暑が残るとはいえ猛暑の山は越え、昼夜の温度差が少し心地良い風を運んでくる。バラックに組み上げた小型の輪転機が夏の終わりから何とか動き出し、英語混じりの広告ビラや、闇市で使うチラシ、さらには新しく創刊されつつある雑誌の簡単な印刷をこなすまでになった。社長は「まだ売り上げは微々たるものだが、ここからがスタートだ」と言い、戸田は紙やインクの調達ルートを確保すべく奔走し、堀内がGHQの検閲や警察との調整に気を配っている。
幹夫は手動機のハンドルを回しながら、昔の大規模な輪転機の轟音や、警察からの「問題なし」と告げられた徹夜の記憶を思い出す。「今度は徹夜ではなく、我々の意思で仕事ができる。軍の命令ではなく、市民や商店、たまには占領軍の仕事も受けて自主的にやれる」と考えると、労苦はあっても充実した感慨がわずかに胸を満たす。まだ仕事量は少なく、日中に軽く機械を回しても、一日あたりの収入はギリギリの水準。結局は闇市の労働や日雇いとの掛け持ちが必要だ。
2. 父の容態と手紙
このバラック印刷所が本格的に軌道に乗れば、幹夫は静岡の父を呼び寄せようと考えている。だが、父を招くには住まいを確保し、配給など生活の条件を整えねばならない。親戚宅からの噂では、父は衰えがさらに進み、配給不足や心労から寝込む日が増えているという。葉書を出しても返事が途絶えがちで、幹夫は毎夜、「父さん、どうかもう少し待ってくれ……」と思わずにいられない。 「あともう少し、この印刷所が軌道に乗れば……」 そんな思いを支えに幹夫はハンドルを回す腕に力を込めるが、実際には紙の値段も高く、仕事量もまばらで、決してすぐには収入が安定しそうにない。それでも社長や戸田ら仲間と再会して同じ場所で働けることが、幹夫に少しの勇気を与えている。
3. 雑誌創刊の依頼とGHQの検閲
そんなある日、見慣れない男がバラックを訪れ、「GHQに報告するための文書や、英語混じりの雑誌を小規模で発行したい」と依頼してきた。詳しく聞くと、戦後の言論の自由を担う新たな出版社の関係者らしく、まだ大手の印刷所は稼働していないため、バラックでも小さく刷ってほしいとのこと。 社長は興味を示し、戸田が紙の在庫を確認する。堀内が「内容によってGHQの検閲が必要になるかもしれません。反占領的な文面は刷れませんが大丈夫ですか?」と尋ねると、男は「そこは大丈夫だ。むしろGHQ向けの雑誌にもなるかもしれない」と笑う。幹夫はそのやりとりを聞きながら、「徹夜の轟音から解放されたいま、こんな仕事があるなら……」とわずかな希望を抱く。
これまでの戦争宣伝の徹夜とは異なり、自分たちで仕事内容を選べると感じる点が、幹夫には新鮮だった。もっとも、連合国軍側の検閲や警察の目もあるため、気軽に何でも刷れるわけではないが、徹夜に軍の命令をこなすのとはまったく違う自由を感じるのだ。
4. 焦土の町に漂う秋の気配
九月の空気は、夜になると涼しさを増し、夏の蒸し暑さから解放されつつある。バラックに戻った幹夫が外を見上げれば、かつて警察が巡回し、「問題なし」と告げた夜を思い出す。いまや警察の姿も当時と別物で、GHQの指令に左右されながら、街の治安維持に苦労している。徹夜の労働や機械の轟音はなくなったが、がれきの道を占領軍のトラックが通る音が夜に響き、遠いところで英語の放送やジャズが流れる音が聞こえるなど、街の雰囲気は戦中とは一変している。 幹夫は眠りに就く前、やはり父の顔が脳裏をよぎる。「冬が来る前に何とかしたいが……まだこの店の状況も不安定だ」と唇を噛む。机の片隅には葉書が用意され、父宛に「印刷を少し軌道に乗せて、住まいが落ち着けば迎えに行きたい」と書き始めるが、途中で文章が進まなくなり、筆を置く。いつ届くかも分からないし、また返事がこないかもしれない――そんな不安が手を止めさせるのだ。
結び: 徹夜なき新たな轟音を待ちわびて
昭和二十一年九月、バラック印刷所がどうにか形を成し、幹夫たちは少量ながら印刷物を世に出しはじめ、焦土からの再生を試みている。かつて大空襲前の轟音に溺れつつ毎夜徹夜を過ごした時代は、はるか昔のようでもあり、まだ一年半しか経っていないようでもある。しかし、その間に街も社会もまったく様相を変え、警察や軍の在り方も一変した。 いま幹夫たちは「自分たちの意思で印刷をする」道を歩み出しつつあるが、それを軌道に乗せるには時間と運が必要だ。父を東京へ呼ぶための基盤も、これから稼ぎを積み、配給や住居を整えなければ実現できない。 夜のバラックで、小さなランプの灯りを囲みながら、社長や戸田、堀内と次の手を話し合う。徹夜で機械を回すほどの注文はまだないが、いずれ需要が増えれば昼夜を問わず仕事をするかもしれない――ただし、あの戦時中の嫌な記憶とは違う“自由を探す徹夜”であってほしい。 幹夫は心の底で願いつつ、焼け跡から吹く夜風に胸を震わせる。失くした風鈴の音も、遠い静岡の父の姿も、すべてが心を刺す痛みだけを残しているが、少なくともいまはこのバラック印刷所で、戦争を煽らない形で紙とインクに触れることができるのだ――焦土に新たな轟音を鳴らす日が、少しずつ近づいているのかもしれない。
昭和二十一年(1946年)十月――焦土の町にこだまする輪転機の新しい響き
八月の終わりから九月にかけ、東京の下町に建てられた小さなバラック印刷所は、幹夫や社長、戸田、堀内ら数人の旧仲間の努力によって、どうにか稼働の形を整えつつあった。かつて、軍からの命令に従い「徹夜の轟音」で大量の宣伝物を刷っていた頃とはまるで別世界だが、自分たちの意志で印刷を行い、幾ばくかの収入を得られる喜びは新鮮だった。英語や新仮名遣いを含むビラや広告を少量刷るだけでも、闇市の臨時労働よりはやや安定した稼ぎが見込めるかもしれない。占領軍(GHQ)の検閲や警察の許可など、越えねばならないハードルも多いが、少しずつ軌道に乗りはじめていた。
1. 木枯らしの前触れ
十月に入り、灼熱だった夏の陽射しは和らぎ、朝晩の空気がひんやりと冷え始めた。焼け野原となった街には、崩れた煉瓦や瓦礫を積み上げて作られたバラックが増え、路地を歩けば英語の看板と闇市の掛け声、ラジオから流れるGHQの指令などが混じり合う。日中はまだ暖かくとも、夜は風が冷たく、焦土の上で寝起きする人々には厳しい季節が近づいている。
幹夫は朝からバラック印刷所に顔を出し、仲間と共に回す輪転機をチェックしている。以前のように徹夜で大部数を刷る需要はなく、ポスターやチラシの小ロットが中心だが、英語を混ぜた広告や雑貨店向けの張り紙など、これまでになかった種類の仕事が入りはじめた。 「少しずつ、やれるぞ……」 社長が眼を輝かせ、戸田も紙の入手を工夫しながら刷れる数を増やしていこうと意気込む。堀内は警察やGHQが提示する規則の読み込みを行い、ややこしい書類の作成を担当している。皆がそれぞれの力を持ち寄り、戦後の印刷を何とか形にしているところだ。
2. 父の消息とすれ違う葉書
一方、静岡にいる父の容態は依然として分からない。八月末に出した手紙も、九月末に出した葉書も返事が来ず、幹夫は焦りを隠せない。「親戚宅を出て行ったかもしれない」という噂を人づてに聞き、胸が軋むように痛む。もし父が病身で行き場なく漂っているなら、早急に迎えに行かなければ――そう思っても、バラック印刷所がまだ十分な収益を得られる段階ではなく、自分の住まいすら安定しない。
幹夫は出勤するバラックの脇で戸田に打ち明ける。「父さんがどこにいるか本気で分からない。無事にいてくれればいいんだが……。俺も東京を離れられないし……」 戸田はやや困ったように眉を寄せ、「今は何よりこの店を起動に乗せるしかない。少し落ち着いたら休みを取って、静岡へ探しに行けばいい」と肩を叩く。幹夫は唇を噛み締め、ひとまず目の前の印刷作業に集中するほか道がないという現実を受け入れるしかなかった。
3. 警察の新顔と検閲の匂い
旧来の警察による戦時統制は崩壊した一方、占領下では新たな検閲や取り締まりの形が生まれている。幹夫の印刷所にも、何度か進駐軍の将校や通訳が顔を出して、「反占領的な文書がないかチェック」したり、「英語表記を間違えていないか」と口を挟んだりすることがある。 堀内は「これまでの軍の命令と警察の巡回とは違う、別の意味で面倒だな……」と苦笑するが、徹夜での大量印刷を強いられた戦時中を思えば、まだマシだろうと感じる部分もある。それでも「自由な言論」とはいかず、戦後の印刷はGHQの意向に大きく左右されるのだと改めて実感させられる。 社長は「今度は我々の意志で仕事をしてるんだ。一方的に徹夜を命じられるわけじゃない」と鼓舞するが、幹夫が小さく相槌を打ちながらも「父さんに会えないのが歯痒い」と心の中で呟く。
4. 徹夜なき忙しさ
この印刷所では仕事量こそ少ないが、英語チラシや小冊子の案件が舞い込み始め、昼間に機械を動かすだけで手一杯になることもしばしば。夜遅くまで作業する場合もあるが、それは戦時中のような強制的な徹夜ではなく、自分たちの判断で「今日中に何とか刷り上げよう」と決める自主的な残業の形だ。 「まだ足りない紙はどうする」「いいインクが手に入らない」といった問題が山積みながらも、ガチガチに警察が巡回して“国策”を強制するわけではない。幹夫はハンドルを回しながら、かつて大空襲前に感じていた絶望よりは、ほんの少しだけ明日へ希望を抱けると感じている。 もちろん、父の不在が心を曇らせるが、少なくとも焦土の闇市暮らしよりは確かな職の手応えを得ており、若干の賃金を蓄えられれば、いずれ父を探しに行くチャンスを作れるはずだ。
5. 秋へ向かう灯
十月も末に近づくと夜風がぐっと冷たくなり、薄い屋根のバラックでの作業が身に染みるように寒くなってきた。それでも昼にうっすら陽光が差すと、焦土だった町にもわずかな色彩が戻るような気がする。占領軍や日本人が入り混じる雑多な風景のなか、幹夫は「もう二度と徹夜の轟音に強いられることはない」と自らに言い聞かせては、小さな手動輪転機を回して汗をかく。 以前のような大量印刷とは違い、ガチャンガチャンという小さな音がバラック内に響き、紙が一枚ずつ吸い込まれては印字されていく。それは“自由”とは呼べない程度の制約はあるが、戦時中の「軍の支配下」という異様な空気とは明らかに違う。暗い焦土の景色を背景に、彼らが少しずつ灯火をともしていく印象だ。
結び: さらなる一歩を踏み出すために
こうして昭和二十一年十月、焦土の下町でバラック印刷所は形を整え、幹夫たちはあの徹夜の記憶から新しい印刷の日々を生み出しつつあった。警察の巡回が「問題なし」と告げ、徹夜で軍ポスターを刷り続けた時代は遠く、いまやGHQが定める検閲や資材不足という新たな制約が彼らを縛るが、それでも自分たちの意思でハンドルを回すことは可能だ。 父の行方に不安を抱きつつも、幹夫は「必ずここで生活を安定させ、父を探し出す」と心に誓い、日々の小さな案件をこなしていく。夜になれば少し冷えるバラックの屋根を見上げて、二度と戻らない風鈴の音を思い出し、あの緑の茶畑を失った父の孤独を想像する。だが、このバラック印刷所が軌道に乗れば、父を迎えに行く日はきっと来るはずだ。 曇天から一筋の陽が射すように、徹夜の轟音なき世界で、幹夫はインクの染みた手とともに焦土の未来を拓くための一歩を踏み出している――それが新しい秋の訪れを感じさせる、昭和二十一年十月の風景だった。
昭和二十一年(1946年)十一月――焦土に根を張るバラック印刷所の奮闘
戦後が始まって一年三か月、東京は焼け野原の様相をまだ随所に残しながらも、少しずつ復興への歩みを進めていた。連合国軍(GHQ)の占領政策が定着し、街には英語の看板やアメリカ製品を扱う露店が増え、警察は再編されて戦前・戦中の権威を失い、かつて徹夜の轟音を司った時代とはまるで別世界が広がっている。かつて幹夫や社長、戸田、堀内らが軍の命令で徹夜に追われた印刷所は、大空襲ですべてを失ったが、今年の夏から彼らはバラック印刷所の再開に乗り出し、小規模ながら印刷の仕事を取り戻そうと奮闘していた。
1. バラック印刷所と増える仕事
十一月に入り、秋の深まりとともに、朝晩の冷えが瓦礫とバラックの町をしんとした空気に包んでいた。徹夜のような無理な作業は避ける方針だが、日中は小さな輪転機を回し、英語混じりの広告ビラや、地方からの依頼で広報物を少しずつ刷るようになっている。ラジオや新聞がGHQの検閲を通じながらも増刷され、雑誌や広告も増え始めたことで、幹夫たちのバラック印刷所にも細い仕事が舞い込んできていた。
例えば、街の闇市を合法化して店舗を作ろうとしている商店主が、屋号や値札を印刷したいと依頼してきたり、GHQ向けの英語パンフを希望する小さな出版社が原稿を持ち込んできたり――以前のような大量の軍ポスターを徹夜で刷るのとはまったく違うが、今度は自分たちのペースで受注をこなせるのが幹夫には新鮮だった。「紙の手配は相変わらず苦労するが、前の嫌な徹夜の轟音に戻るわけじゃない。少しずつでも前進するしかない」と社長も意気込んでいる。
2. 依然不安定な街の情景
一方、警察や行政の再編が進んでいるとはいえ、この昭和二十一年十一月の東京はまだ物資不足と復員兵の帰還で大混乱にあり、闇市での売買や盗難、住居を巡る争いが絶えない。かつて戦時中「問題なし」と告げに回った警察が、今やGHQの指令に従い新体制へ移行しており、幹夫たちのバラック印刷所を取り締まることはないが、英語の文書を刷るときはGHQが定めるルールや検閲があり、多少の手間が生じる。
加えて、印刷に不可欠な紙やインクは高値で買うしかなく、バラック印刷所の利益は限られたものだ。幹夫は昼は印刷機を回しつつ、夜になると闇市の荷運びをしたり、闇取引に関わる仲介をするなどして何とか日銭を稼ぐ。まだ自分の住まいもバラックの片隅に雑魚寝する形で、冷え込む夜には父を思って胸が痛む。
3. 父の消息を求める焦り
静岡の父は相変わらず行方が知れないままで、親戚宅を出たという噂だけが耳に入っている。幹夫が何度葉書を出しても返信はなく、知人から「駅の近くで見かけたという話があったが定かではない」とも伝え聞く。周囲からは「一度静岡へ行って探してみたらどうか」と言われるが、バラック印刷所が軌道に乗り始めたばかりで、自分が抜けると回せなくなる恐れもあるし、そもそも旅費や時間の余裕がほとんどない。 「父さん……まさかどこかで倒れてはいないだろうか」 幹夫は夜になると、この思いが頭を離れず、仕事をしながらも胸に重くのしかかる。GHQによる新体制と民主化の新聞が華々しく報じられても、自分にとっては父を探す術こそが切実なのだ。周囲の変化よりも、一刻も早く父の無事を確かめたいと願いながら歯がゆい日々を送る。
4. 小さな輪転機の音
このバラック印刷所の輪転機は、手動と電力を併用する簡易な作りで、日中は細々と回転音が響く程度のものだが、幹夫にとってはかつての“徹夜の轟音”を否定するような穏やかさがある。日曜には店を閉め、戦時中のような強制的徹夜ではなく、自分たちのペースで原稿を組み、在庫の紙を確認して印刷を行う――その自由が幹夫の心に暖かさをもたらすと同時に、軍の支配から離れた開放感を改めて感じさせる。
もっとも、かつてのような大量印刷を頼まれることはないし、街は焦土の復興にまだ程遠い。月に数回まとまった仕事がある程度で、インク代や紙代を差し引けば収益はごくわずかだ。それでも社長は「ここで粘っていれば、いずれ大きな仕事に繋がるかもしれない」と鼓舞し、戸田が「英語の習得も必要かもしれないな」と不安げに言う。堀内は慎重にGHQの検閲を確認しつつ「私たち自身が急がず進めるしかない」とまとめる。徹夜を強制されない自由には、また別の厳しさがあった。
5. 戦時から離れた印刷物
この月、幹夫たちが実際に手がけたのは、英語と片仮名混じりのジャズ喫茶のチラシ数十枚や、占領軍向けの娯楽施設の案内カードなど。多少は怪しげな業種もあり、かつて軍国宣伝を受注した時期とは全く異なる世界を知ることになる。飽きた英語を覚えようと苦心しながら、幹夫は機械を回すたびに不思議な違和感を覚える。 「あの徹夜の轟音はもう戻ってこないけれど、オレたちは今、戦争じゃなくて、戦後の再建を何とか助ける印刷をしてるんだな」 紙をめくりながらそうしみじみ思うと、胸の奥にささやかな誇りが生まれ、同時に父の消息を思う切なさが滲んでくる。「父さん、もしここで安定した仕事ができれば呼べるんだけど……」と、いつもの思考に行き着き、溜め息をつく。
結び: 秋の入り口と遠い道
そうして昭和二十一年十一月の終わりへ向かい、東京の下町には冷気が濃くなってきた。焼け野原も少しずつ瓦礫を片づける住民や業者の動きで、ほんのわずかに整備が進み、バラックや闇市が“町並み”を形成し始めている。幹夫たちの小さな輪転機は静かな稼働音を立てながら、軍によらない印刷物を世に出し、父がいつか戻れる場所を作ろうとする彼らの思いを象徴しているかのようだ。
警察も戦中とは全く別の形で再編され、徹夜の巡回や「問題なし」の声が響いた記憶は、遠い幻のように薄れていく。いま監視を行うのは占領軍であり、検閲や許可をクリアすれば自主的に印刷が可能、しかし資材不足や紙の高騰という現実の苦労が大きい。また、幹夫にとっては闇市の労働を並行しないと生計が回らず、夜には父の行方不明を案じて眠れぬ時もある。 それでも戦争に翻弄された徹夜の轟音を脱し、自分たちの意志で働く自由があることは確かな一歩と言えよう。黙々と輪転機を回す中、幹夫はふと複雑な胸の内を抱える。「父を探し出し、この焦土から共にやり直すために、まだあきらめたくない」――そんな願いを噛みしめつつ、バラック印刷所の短い昼の仕事を終える。外の風は一段と冷たく、冬の足音を伝えていたが、かつての絶望的な徹夜よりは、ほんの少し明るい明日を期待できる自分がいることが、彼の力をわずかに支えていた。
昭和二十一年(1946年)十二月――バラック印刷所で迎える初めての年の瀬
焦土と化した東京の下町に吹き付ける冷たい風は、年の瀬らしい寒さをいよいよ色濃く感じさせる。終戦から一年数か月が経ち、占領軍(GHQ)による新しい秩序が徐々に定着し始めた一方、大空襲で焼失した多くの建物はいまだ再建のめどが立たないまま。闇市が賑わう一角には、かつて幹夫と旧仲間たちが運営していた印刷所を思い出させるかのようなバラック印刷所が、夏以降ようやく動き始めた。そこでは、かつてのような徹夜の轟音は存在せず、昼間を中心に小さな輪転機を手動で回し、英語や日本語のチラシや広告を刷っている。
1. 初めての“戦後の年の瀬”
十二月に入り、戦中のように徹夜続きで軍の仕事をこなす必要がないとはいえ、彼らが再起したバラック印刷所は、軌道に乗るまでの資金不足で苦労が絶えない。社長や戸田、堀内、そして幹夫が協力しながら、闇市経由の紙やインクを高値で仕入れ、GHQ向けの英語混じりの印刷物や、小規模な出版社の試し刷りなどを請け負う。ただ、収入は少なく、警察や占領軍の検閲ルールに合わせることも必要で、ここでの仕事も決してスムーズではない。 それでも、幹夫にとっては戦時中の徹夜に比べればはるかに自由で、嫌な圧迫感はなく、自分たちの意志で機械を回せる点が救いだった。外は底冷えのする寒さだが、バラック内にこもるインクと油の匂いには、かつての徹夜を否定するような新しさがある。
2. 警察の新顔とGHQの検閲
一時は「問題なし」と徹夜を許可してくれた戦時中の警察はいま大きく再編され、徹底した民主化と公職追放によって顔ぶれも変わり、街での取り締まり方針も変容している。その代わりに、GHQの方針で自由な言論が謳われる一方、占領軍への批判や反軍的な文面には注意するよう申し渡しがある。 幹夫たちが小さなチラシを刷るときにも、英語表現や政治的内容には細心の注意を払っている。徹夜こそしなくなったが、検閲という形で新たな制約がある点に、彼らは苦笑まじりに向き合う。「戦時中と違って命を脅かされるわけじゃないし、働く自由があるだけマシか……」と社長は呟くが、幹夫はそれでも不満を抱え、「本当の自由はいつ訪れるんだろう」と夜ごとに考え込む。
3. 父の捜索を視野に
静岡にいると思われる父の消息は相変わらずつかめない。幹夫は秋から再三葉書を送っているが、親戚宅を出てしまったのか、返信が来ないまま年の瀬を迎えようとしている。バラック印刷所の仕事がいくらか回り始めた今こそ、父を探しに行くべきではと焦るが、まだ店の人手が足りず、自分が不在になるのは難しい状況だった。 幹夫は夜になると、灯の乏しいバラックで輪転機の整備をしながら、「あの徹夜の轟音から解放されたのに、なんでこうも身動きが取りにくいんだ」と苦い思いに囚われる。父を失う前に、どうか見つけたい――その思いだけが、彼を仕事へ駆り立てる原動力ともなっていた。
4. 年の瀬の印刷と闇市の賑わい
年末が近づくにつれ、幹夫たちの小さな印刷所にも、年末の広告や張り紙の注文がわずかに増える。正月用品や福袋の宣伝、GHQ向けには新年の挨拶カードなど、これまでにない種類の印刷が入り、幹夫は短い時間ながらも機械を手動で回す指に少し熱がこもる。かつての大量の軍ポスターとは違い、自分たちが喜ばれる印刷を作っているという実感が、ささやかな満足感をもたらす。 闇市もこの時期は多少の賑わいを見せ、米兵や帰還兵、疎開から戻った市民が雑踏を作る。警察や占領軍が見回りをしているが、取り締まりが緩んでいる面もあり、「夜の酒盛り」が行われる露店も見え隠れする。その光景に社長が「戦争が終わって、ようやくこういう雰囲気が出てきたんだな……」と感慨を漏らし、戸田が「紙の入手ももう少し容易になってくれれば」と呟く。幹夫はそれを横で聞きながら、父を探しに行く猶予ができればと心の中で願う。
5. おぼろげな夜の安らぎ
この頃、徹夜で機械を回すほどの仕事はなく、幹夫たちは昼間に数時間作業し、夜にはバラックを閉めるのが日課になりつつある。警察が巡回して「問題なし」と告げた戦時中や、軍の無理難題で徹夜に追われた日々を思うと、まるで嘘のような静けさだ。 夜遅く、幹夫がバラックの屋根裏に敷いた寝床に横たわると、外の寒風が隙間から入り込むが、徹夜の轟音も大空襲の爆音も聞こえない。「ただし、これで父が見つかれば完璧なのに……」と苦く息をつき、瞳を閉じる。二つの風鈴を失った下宿も、もう遠い過去のようだ。轟音のない夜が嫌でも、自分に考える余裕を与え、父のことを思う時間を増やすのだ。
結び: 新年へ向けての思い
こうして昭和二十一年十二月の終わりが近づき、バラック印刷所は一応の形を整えて年を越す目処がついている。とはいえ、紙やインクの流通、GHQの検閲、警察の新体制、さらに飢えや住まいの不足など数多くの問題は相変わらず解消されていない。遠く静岡にいる父の消息もわからないまま、新しい年を迎えるのが幹夫にとっては何より辛い。 しかし、戦時中に徹夜の轟音で押し潰されていた日々を振り返れば、今は自分たちが小さいながらも印刷という仕事を自主的に始められているのが救いだ。大空襲で燃え尽き、警察の「問題なし」も失って久しい焦土の街で、また印刷機を動かせること自体が奇跡に近い。 年の瀬の冷たい風がコートの襟を揺らし、幹夫はバラックの屋根を見上げてから呟く。「父さん……来年こそ……必ず東京で一緒に暮らそう……」 かつて轟音を立てた機械の代わりに、今は小さな輪転機がチリチリと控えめな音を出すだけ。警察の巡回も過去のものとなり、戦中の徹夜は去った。しかし新しい時代の厳しさと闇市の不安定を乗り越えれば、父を探して迎えに行く日がきっと来る――幹夫はそれを信じ、痛みと希望を胸に、焦土の町で戦後初めての年越しを迎えようとするのだった。
昭和二十一年(1946年)十二月――小さな印刷所が迎える、はじめての年の瀬
敗戦から一年と数か月が過ぎた東京は、まだまだ焦土の姿をとどめつつ、少しずつではあるが新たな歩みを進めている。占領軍(GHQ)のもと、各種の改革が進んでいるという報道はあるものの、市井の人々には日々の糧を確保する闇市での生活や、住居の確保といった現実問題がひしひしと押し寄せていた。かつてこの町が大空襲で焼け落ちた際、徹夜での印刷作業から一気に仕事も住まいも失った幹夫たち。しかし、そこから立ち上がるべく準備してきたバラック印刷所が、ようやくいくらか軌道に乗りはじめたのがここ数か月の話だった。
1. 戦時の残像と新生の息吹
十二月に入り、朝晩の冷え込みがいっそう骨身にしみるなか、バラック印刷所には幾人かの旧仲間——社長、戸田、堀内、そして幹夫が集まり、英語と日本語の混じる小規模なチラシ印刷を続けている。かつては徹夜の轟音を伴い、大量の軍宣伝ポスターを刷っていたが、いまは限られた紙を闇市や古紙のリサイクルで買い集め、小さな輪転機を日中だけ回すのが日常だ。長時間の徹夜はやらず、仕事が終われば夜にはバラックを閉める。
戦中に「問題なし」と巡回した警察の姿は、すでに過去のもの。占領軍の新方針で警察は再編され、いまはむしろGHQの検閲や規制に配慮しながら仕事を続ける形だ。「徹夜」が存在しないことで、幹夫たちが自分たちのペースで働ける点は救いだったが、同時に客足が急激に増えているわけでもなく、配給や物資不足の現実から完全に逃れられないのが実情だ。
2. 雪の予感と闇市の喧騒
外に出れば、昼間は戦後の復興とはいえ、瓦礫の山が広がり、所々にバラック商店が立ち並ぶだけで、まだ多くの建物は再建されていない。夜になると冷たい風が吹き、雪がちらつくとの噂が出始める。闇市は相変わらず人々の足が絶えず、米兵や帰還兵、疎開から戻った家族が雑踏を作り、治安も決して良くない。幹夫も昼は印刷所で働き、夜は闇市で配給や少しの副収入を探す日々である。
時折遠くで米兵が笑い声をあげるか、ジープが通る音が響く。警察は以前のように「問題なし」と巡回する権威を失い、GHQの後ろ盾を得て街の再編に関わってはいるが、混乱を収められる力はまだ弱い。幹夫は焼け跡の路地を歩きながら「また今年も年を越すのか……」と、かつての徹夜の轟音を懐かしむような、あるいは嫌悪するような、複雑な心持ちで息をつく。
3. 父の行方と幹夫の葛藤
焦がれる思いで追い続けているのは、静岡の父の消息だ。半年以上前から親戚宅を出たという噂があり、手紙を幾度も出しても応答がなく、どこに行ったか定かでない。幹夫は、自分がある程度の収入を得られれば東京へ呼び寄せたいと願いながらも、印刷所の薄い収益と闇市の稼ぎだけではまだ家を借りるほどの安定は得られず、不安が増すばかりだ。 社長や戸田、堀内は「もう少し立てばビラや広告の仕事が増えるだろう」「占領軍相手の印刷も増えるかもしれない」と言って幹夫を励ますが、彼は夜ごとに父の孤独を思い、「自分が徹夜の轟音から解放されたかわりに父を置き去りにしている」と苦しくなる。いつか春になったら、探しに行くと決意を新たにしては葉書を出すが、やはり無返事。闇に消えるような思いを強いられている。
4. バラック印刷所の年の瀬
十二月下旬になり、印刷所には戦時中のような大量注文はないが、年末の広告や張り紙、GHQ向けの年始カードなど小仕事が増えてきた。かつては警察が巡回し「問題なし」と言い渡した上で徹夜を命じられたが、今は自主的に手動機を回し、必要があれば夜も作業をするという形。「徹夜」は望めばいつでもできるが、紙の量も仕事量もそこまで多くないのが実情だ。
それでも、かすかな活気が幹夫らの心を弾ませる。戦時中は軍のために押し潰されるような日々だったが、今は占領下で制限はありながらも、印刷物を出して市民から金を得る喜びが少しずつ味わえている。「これで父さんを呼ぶ基盤が作れれば……」と幹夫は毎日思う。 夜更けにバラックの片隅で火鉢を囲みながら、社長や戸田、堀内が「来年はもっと紙を買い込んで仕事を増やそう」と話している様子を見つめ、幹夫は心が温まる。戦争で潰れた徹夜から抜け出し、自分たちの手で印刷を再生しようという意志が確かにあるのだ、と。
5. 警察の旧知との邂逅
年の瀬が近づくある夕方、幹夫は闇市で買い出しをしている最中、かつて印刷所を「問題なし」と見回っていた旧警察官の一人とばったり出会う。戦後、組織から外され闇市で治安維持のアルバイトをしているらしい。互いに驚きつつ、「あのころは徹夜に押しつぶされていましたね」「今じゃGHQと交渉しなきゃいけないんですから、お互い立場が変わりましたよ」と苦笑いを交わす。 彼も「こんな日が来るとは思わなかった。俺も厳しいが、おまえも父親を探してるんだろう?」と言うと、幹夫は胸に迫るものを抑えながら「そうなんです……まだ見つからない」と力なく首を振る。警察官もできる限りの情報を集めてみると言ってくれるが、戦後の混乱ではあまり期待もできない。 夜の闇市には雑音と酔客の喧騒が広がっており、遠くで米兵がヘラヘラ笑う声が耳に入る。その異様な風景に幹夫は思わず懐かしい徹夜の轟音と二つの風鈴を思い起こし、切なくなる。
結び: 来年こそ——焦土のバラックに灯る夢
昭和二十一年十二月も末、年越しまであとわずか。幹夫はバラック印刷所で小さな輪転機の音をききながら、「軍の指令で徹夜を強制されないのはありがたいけど、この程度の仕事で父を救えるまでの余力は得られない……」と唇をかむ。警察やGHQに怯える日々は過ぎ去っても、新たな不足や矛盾が日常を支配している。 それでも、「仕事がある」こと自体が戦時中に焦がれた自由の証かもしれない。夜になり、わずかに作業を残してハンドルを回す幹夫は、インクと紙の香りに穏やかな気持ちを感じる。「いつか、この印刷で父さんを支えられるなら……」という思いが自分を支えていると気づく。二度とあの徹夜の轟音には戻らずとも、自分の意思で紙を扱い、人の役に立つ仕事ができるのだと信じたい。 外の風は一段と冷え込むが、バラックには彼らの熱がこもる。戦後最初の正月を迎える準備がわずかに感じられる町並みの裏で、本当の春はまだ遠いかもしれない。だが、来年こそ父の所在を探し、焦土の悲しみを一歩でも乗り越えるために――そんな希望を抱きながら、徹夜なき印刷所の年の瀬が静かに更けていく。





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