水平線と記憶の航路
- 山崎行政書士事務所
- 1月17日
- 読了時間: 5分

序章:青い岸壁のスケッチ
遠くから見ても、それとわかる大きなクレーンが幾つも並んで、日差しを浴びてシルエットを描いていた。 清水港――かつては活気に満ち、豪華客船や帆船が海を彩った港町。 瀬尾 光輝(せお こうき)はその光景を、ふらりと港の堤防から眺めた。久しぶりに帰郷し、ここでの再開発プロジェクトに参加するためだ。十年ぶりに嗅ぐ潮の匂いが、胸の奥をざわつかせる。 「変わったな……」 ごくり、と唾を飲み込む。その一言に、自分でも驚くほどの切なさを帯びているのを感じる。まるで、かつての“青い岸壁”の記憶が、今の景色と一瞬だけ重なって見えたのだ。
第一章:港の計画と青年の帰郷
この度の再開発は、清水港を国際クルーズ拠点としてさらに拡張し、新しい埠頭(ふとう)や複合商業施設を建てるという大掛かりなものだった。 光輝は都内のコンサル会社に勤め、今回のプロジェクトに配属されることになった。故郷で働ける喜びと同時に、幼少期の思い出が歯がゆいほどにこみ上げる。 彼が記憶する清水港は、帆船まつりが開催され、豪華客船が入港するたびに街が華やいだ場所だった。島田航路へ渡るフェリーを見送るのが、幼い自分にとってのささやかな楽しみでもあった。 しかし、今はクレーンやコンテナターミナルが整然と並び、昔の面影は遠い。どこかであの頃を知る人々は、どう感じているのだろう――そんな想いが、光輝の胸を締めつける。
第二章:幼なじみとの再会
再開発プロジェクトの一環で、市役所や商工会との打ち合わせが続く。そんなとき、光輝はロビーで昔の友人、**渡辺 彩音(わたなべ あやね)**を見かけた。 彩音は地元の観光協会で働いており、港を活かした町おこしに熱心だという。 「え、光輝、帰ってきたんだ!」 彼女の瞳は懐かしさで輝いたが、一瞬だけ寂しそうに揺れたのを光輝は見逃さなかった。 「なんで連絡くれなかったの?」と彩音は少し拗(す)ねた口調で尋ねる。「ずっと待ってたんだから、昔のようにまた港を見に行こうって……」 光輝はわずかに気まずさを感じながら、「ごめん、忙しくて。けど、また一緒に港に行きたいよ」と答える。どこかぎこちない二人の再会には、子どものころの思い出が折り重なり、言葉にならない感情が漂う。
第三章:豪華客船の思い出
ある日の昼下がり、光輝と彩音は再び港へ出かける。かつて光輝が夢中になって眺めた豪華客船の停泊地が、今は完全に貨物用のふ頭に変わっている。 「そういえば、私たち、船を見てよく遊んだよね。デッキから手を振る旅人と目が合ったこともあったし……」 彩音の言葉に、光輝の記憶が呼び覚まされる。あの日差しの強い午後、デッキのうえの外国人観光客が何度も手を振ってくれて、二人は大はしゃぎしたっけ。 「もうそのデッキはないんだ。あの埠頭は改修されたから」 彩音は苦笑いしながら、「だけど私は、新しい埠頭ができても、子どもの頃に見た夢を捨てたくないんだよ」と強く言う。 「夢?」光輝が問うと、彩音は照れたように微笑んだ。「いつかこの港から世界へ飛び出す船に乗りたい……そんな夢。私たち、子どもながらにそう言ってたじゃない」
第四章:開発と郷愁のはざまで
プロジェクトは順調に進んでいるように見えたが、光輝の心は揺れる。会議では、巨大クルーズ船用のバース建設やショッピングモール計画がどんどん具体化し、浚渫(しゅんせつ)工事の図面が山積みされていく。 「本当にこれでいいのか。昔の風景、町の灯や漁船の往き来が失われるかもしれない……」 とある夕刻、一人で防波堤に座り、海に沈む太陽を見つめる光輝。もうすぐ大型機械が入って埠頭の形を変えてしまう。子どもの頃に見た「青い岸壁」はもう戻らないのだと思うと、胸が鋭く痛んだ。 そんな光輝の背後から、彩音が静かに足音を立ててやってくる。「あなたらしくないね」と小さく笑みを浮かべながら。「きっと港は変わっても、私たちの思いは変わらないって、そう言ってくれるんじゃないの?」 光輝は言葉を失った。彩音はしばらく沈黙したのち、「でも、私もやっぱり寂しいよ。港が様変わりするのは」と呟(つぶや)く。
第五章:最後の帆船祭り
開発が本格化する直前、地元では最後となるかもしれない「帆船祭り」が細やかに催されることになった。かつての伝統を思い出してほしいと、観光協会が立ち上がったのだ。 帆船こそ少ないが、地元の船が帆を掲げて湾内を巡航し、小さな花火も打ち上がる。港には露店が並び、人々の笑顔があふれる。光輝は企画を手伝いつつも、童心に戻ったような気持ちで海を見つめる。 ふと大きな帆船型のモニュメントが浮かんで見える――それは子どもが描いた絵を元に作られたものらしい。港に映える灯りが、その帆を赤や青に染め、町の空を柔らかく彩る。 「昔の港、こんなふうに賑やかだったんだろうね」 彩音が言い、光輝は小さく頷く。「うん、あの頃の記憶が少し蘇(よみがえ)ったみたい……」
終章:進む未来と、残る記憶
翌朝、工事は再び動き始めた。数年後には大規模な埠頭と商業施設が立ち並び、巨大クルーズ船が入港するだろう。子どもたちは新しい見どころに胸を躍らせるはずだ。 けれども、光輝と彩音は知っている。この港の海底と岸壁、そこに滲(にじ)む昔日の輝きは、決して消えるわけではないことを。港が姿を変えても、昔の夢と郷愁(きょうしゅう)は心の奥に生き続ける。 「ねぇ、いつかあの帆船祭りみたいな催しを、もっと大きくできないかな。新しい港でも、昔の心は受け継ぐの。そうしたら懐かしい人も、新しい人も、同じ港で笑えるんじゃない?」 彩音の言葉に、光輝はまぶしく海を見上げ、「それ、いいな」と笑う。 ――そして新しい港の完成を見届けた後も、二人の心には“豪華客船を眺めた少年少女”の記憶が変わらずありつづける。 港は進化し、景色は移ろう。しかし、過去と現在は交差しながら、誰かの胸に静かに息づいていく。その瞬間こそが、清水港の本当の輝きなのかもしれない。
(了)





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