烈日のバラエティ
- 山崎行政書士事務所
- 1月15日
- 読了時間: 6分

1. 長寿番組「烈日ショー」の熱狂(ねっきょう)
ゴールデンタイムに放送される人気バラエティ番組**「烈日ショー」**は、日本全国の老若男女を虜(とりこ)にしていた。週末の夜ともなれば、高視聴率を誇(ほこ)り、スタジオはいつも熱気に包(つつ)まれている。芸人やアイドル、俳優など各分野のタレントが次々と体当たりロケや奇抜な企画に挑戦し、笑いを求める視聴者に“一瞬の快楽(かいらく)”を届ける番組。
しかし、その裏側では「日本人の精神や誇(ほこ)り」が空虚に消費されてゆく構造(こうぞう)が進行していた。「笑いこそ至上主義(しじょうしゅぎ)」制作陣(せいさくじん)は視聴率のためなら、どんな伝統や神聖なものでもギャグ化(か)し、エンタメに仕立てることを厭(いと)わない。
2. 歌舞伎の血を継ぐ俳優・寿我(じゅが)の苦悩(くのう)
主人公の**寿我(じゅが)**は、由緒正(ゆいしょただ)しい歌舞伎の家系に生まれながらも、現代TVの世界で売れっ子俳優として生きざるを得なかった。家系には江戸期から続く芸の伝統があり、幼少の頃(ころ)からしつけも厳(きび)しかったが、時代の流れとともに歌舞伎だけでは食(く)っていけない現実があり、バラエティやドラマへの出演を求められていた。
寿我自身、武士や侍を演じるときは誇(ほこ)りに燃(も)え、伝統芸の所作(しょさ)を本気で体に染(し)み込ませているが、番組ではその要素が“笑いのためのパロディ”や“おふざけ企画”に矮小化(わいしょうか)されてしまう。「先祖の墓(はか)に唾(つば)を吐(は)くようなものだ……」そう感じながらも、事務所やスポンサーの意向(いこう)には逆らえず、彼は笑顔で“歌舞伎をモチーフにしたコント”を演じ続けなければならない。
3. 番組プロデューサーの“伝統芸+お笑い企画”
ある日、「烈日ショー」の敏腕プロデューサー・**鬼頭(きとう)**が寿我に目をつけ、「伝統芸×笑い」の新コーナーを作って視聴率を爆上げしよう!と提案する。寿我の立ち居振る舞いの美しさ、所作(しょさ)の優雅(ゆうが)さを“バカにしたおふざけ”で面白おかしく見せる企画。たとえば歌舞伎のような化粧(けしょう)を顔に施(ほどこ)してギャグを連発し、どじょうすくいのように茶化(ちゃか)す“演出”が想定されている。
寿我は内心、「これは最悪(さいあく)だ……」と思うが、マネージャーや事務所から「今はこれを断(ことわ)ったら干(ほ)される」と説得され、結局受けることに。撮影(さつえい)現場では、笑いを取るために大げさな動きや滑稽(こっけい)な台詞(せりふ)を求められ、彼のプライドはズタズタに踏(ふ)みにじられる。
4. “身体(からだ)への陶酔”と番組の再編集
寿我はかつて剣術や身体表現に陶酔し、“肉体と魂(たましい)の一致”をめざす三島由紀夫のエッセイを読み耽(ふ)けた経験があった。刀(かたな)や武器を手にしたときこそ、“日本の精神”を自らの身体で示せるのでは、と感じていたのだ。だが、烈日ショーの演出はその想いを無遠慮(ぶえんりょ)に踏みつぶす――マネージャーが言う。「視聴率のため、アクションシーンをもっとオーバーに、剣術や舞踊(ぶよう)もヘンテコにやって笑わせよう」。テープ(収録映像)を編集(へんしゅう)する段階でも、「真面目な所作の部分はカットして、滑稽なリアクションのとこだけ使う」とプロデューサーが指示。寿我は自分の身体そのものが“見世物”として弄(もてあそ)ばれる感覚に苦悶(くもん)する。
5. 特番「命がけの歌舞伎アクション」
そして運命の特番(とくばん)の撮影がやって来る。テーマは「歌舞伎アクション大作戦!」で、寿我が宙吊(ちゅうづ)りになって剣(つるぎ)を操(あやつ)るなど、命がけのパフォーマンスを披露(ひろう)するという触れ込みだ。鬼頭プロデューサーは「視聴率50%目指すぞ!」と鼻息荒(はないきあら)く、スタッフは大掛かりなセットを組(く)み、金属製の刀と火薬を仕込(しこ)んだ舞台装置でド派手に演出。寿我は明らかに危険(きけん)を感じ、「これ以上はさすがにやりすぎだ」と訴(うった)えるが、聞き入れられない。「本番(ほんばん)は生放送だから、失敗すればネタになるし、成功すれば伝説(でんせつ)になる!」と鬼頭は煽(あお)る。
6. 生放送の悲劇──寿我の“本気”の闇
ついに特番当日、スタジオには大勢の観客が詰(つ)めかけ、SNSでも「ハチャメチャ歌舞伎アクション!」と前評判が高い。舞台上(ぶたいじょう)で寿我は伝統的な歌舞伎衣装を身にまとい、刀を握(にぎ)る。周囲のスタッフや芸人が「面白おかしくしてよ〜!」と叫(さけ)ぶが、彼は冷静(れいせい)な眼差(まなざし)で刀を見つめている。まるで三“死と美”に通じる何かが、刃(やいば)の奥で照り返(かえ)している。そして本番が始まる。火薬(かやく)の爆発(ばくはつ)やワイヤーアクションの中、寿我は予想を上回る集中力(しゅうちゅうりょく)を発揮し、“本物の”舞踊(ぶよう)のように美しい殺陣(たて)を披露(ひろう)する。観客は大いに沸(わ)き、スタジオは歓声(かんせい)の嵐(あらし)。
7. 最後の“切腹”か、舞台装置の惨劇(さんげき)か
しかし、クライマックスへ向かうにつれ、寿我の動きに異様(いよう)な気配(けはい)が漂(ただよ)い始める。まるで刀を実際の武器として扱うかのように、彼の目は獣(けもの)のような輝(かがや)きを放ち、実況(じっきょう)する芸人が「ちょ、マジで危ないって……」と怯(おび)える。「これが俺の最期(さいご)の舞台だ――」寿我は心の中でそう呟(つぶや)き、刀の刃(やいば)を自らの腹へ当てようとする。一瞬(いっしゅん)、観客は「演出(えんしゅつ)だろう」と笑いながら拍手喝采(はくしゅかっさい)するが、すぐに寿我の本気(ほんき)の表情(ひょうじょう)に気づき、凍(こお)りつく。そのとき、舞台装置に仕込(しこ)まれた火薬が誤作動(ごさどう)を起こすかのように閃光(せんこう)をあげ、炎(ほのお)が吹(ふ)き上がる。悲鳴(ひめい)がスタジオを包み、画面は一瞬(いっしゅん)激しく揺(ゆ)れて、放送は強制(きょうせい)終了となる。
8. 悲惨な結末と冷淡(れいたん)な世間
後日(ごじつ)、報道(ほうどう)によると、寿我は重体(じゅうたい)で救出(きゅうしゅつ)されたが、搬送先(はんそうさき)の病院で息を引き取(と)ったという。刀傷(かたなきず)と火薬による大火傷(おおやけど)が致命傷(ちめいしょう)だったそうだ。SNSは一時的に「大事故!」「放送事故!」と大炎上し、番組制作陣やテレビ局は批判(ひはん)にさらされるが、結局「安全管理のミス」で片付(かたづ)けられ、責任逃(に)げのコメントが続く。視聴者は「ヤバかったね」「まぁエンタメはリスクあるし」と軽く受け止め、やがて別の話題へ移り変わる。寿我が“本気で死の美学(びがく)を体現(たいげん)しようとした”事実など誰も本質的には気づかない。誰も語らない。
9. 終幕:弔(とむら)われない魂
プロデューサー鬼頭や番組スタッフらは、その後(ご)も新しい企画で視聴率(しちょうりつ)競争を続け、「あの放送事故は残念だった」と言いながらも、社会はすぐに忘れてしまう。寿我の遺骨(いこつ)は静かに先祖代々(せんぞだいだい)の墓に納(おさ)められるが、歌舞伎の家系一同(いちどう)は「そんな形で死ぬなんて、先祖に申し訳ない」と嘆(なげ)き悲(かなし)むのみ。番組では追悼特集(ついとうとくしゅう)を行わず、ネットでは「自業自得(じごうじとく)の事故死」と嘲笑(ちょうしょう)すら飛び交う。彼が最後に示したかった“武士道的”な覚悟(かくご)や純粋(じゅんすい)な死への衝動(しょうどう)は、この現代メディアの海原(うなばら)に埋(う)もれてしまうのだった。





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