燃料の川を止めた朝 — 山崎行政書士事務所・インフラ編(長編フィクション)
- 山崎行政書士事務所
- 2025年9月14日
- 読了時間: 6分

— 2021年のコロニアル・パイプライン事案(DarkSide/ランサムウェア)を骨格にした創作
1|05:11 湾岸ターミナルの斜風
東の空の色がわずかに変わる。油槽の銀灰色を、潮風が指で撫でたようにざわめかせていく。東海燃料輸送の湾岸ターミナル。出荷管理卓の前で、白石は二度まばたきをした。
“Your network has been encrypted.”“交渉は以下のサイトで”
文字がポンプメータの数字より冷たく踊った。横に立つ夏生が息を呑む。「制御系は……応答はある。けど請求系が死んでる。ジョブが落ちて、出荷伝票が印字できない。」
「回線、落とす。」白石は短く言った。「山崎行政書士事務所に電話。」
2|06:02 “止める/伝える/回す”
静岡市の朝は薄い。山崎行政書士事務所の会議室A、ホワイトボードに律斗がいつもの三行を書いた。
止める/伝える/回す
止める:ネットワークの分割、課金・請求系の完全隔離。OT(制御)は参照専用に落とし、実運転は**手順書の“紙”**で維持。
伝える:三文の一次報を7時に。正午/17時に更新。
回す:出荷を遅いけど確実に保つため、油槽所⇄スタンドの紙伝票と電話復唱での出庫に切替。
「“全部止める”か“分けて動かす”か、の勝負です。」と律斗。「燃料は社会の血液。止め方を間違えると別の事故に繋がる。」
りなが線を引く。「法の時計は72時間。“確認された事実”と“可能性”を段落で分ける。身代金については制裁リスクの注意喚起を事前に。」
奏汰は湾岸の図面に赤を入れた。「出荷島を浮島化。発券機は切断。手書き伝票で二名承認。油面計は手計測。」
ふみかが三文を置く。
現状:一部システムで不審な暗号化を検知。安全確保のため請求系を停止、制御系は参照専用に移行。対応:出荷は継続。伝票は紙運用、電話復唱+二名承認で行います。連絡:支払い先変更などメールだけの依頼は無効。正午に続報、17時に二次報を配信します。
「時刻を入れる。不安に期限を。」りなが赤で丸をつけた。
3|07:28 バルブの音と“紙の重さ”
油槽所のゲートバルブが、低い音を響かせる。夏生は紙伝票を二枚、白石は音声で復唱する。
「出荷先:第三京浜SS、出荷量:8,000L、等級:レギュラー。二名承認、スタンプよし。」
いつもの半分の速さ。だが間違いが起きない。受付には、白い猫のマスコットが置かれた。しっぽはUSB Type‑C。札には黒字で、
「遅いけど確実。」
4|09:40 “向こう側の声”
暗号犯の掲示板に、交渉窓口が立った。金額は書かれていない。悠真が目を細める。「DarkSideのテンプレに近い文法。**“復号ツールの体験版”**を餌にしてくるかも。」
りなはタスクを配る。「警察・規制当局との連絡線、企業の法的責任、制裁(OFAC)リスクの整理。払えば解決という世界ではないことを経営に伝える。」
「払わない方針は最初に言葉にしておく。」ふみかが顧客向けのFAQに一行を足す。
「不当な要求には応じません。証跡の確保と関係機関との連携を優先します。」
律斗はホワイトボードの端に小さく書いた。「燃料は流す。鍵は締める。」
5|12:03 正午報と“二本の時計”
正午報が配信された。湾岸の食堂ではレトルト味噌汁の匂い。夏生がひと口飲んで、苦笑した。「冷めるのも遅い。」
山崎チームの可視化には四つの数字が並ぶ。
MTTD(検知までの時間):46分
一次封じ込め:2時間22分
出荷遅延平均:17分
顧客通知率:正午時点 92%
蓮斗が低く言う。「**“勝った”じゃない。今は“間に合っている”**だけ。」
白石のスマホが震えた。元請の元売からだ。
「燃料の振り分け、今日明日の見通しを」
りなは経営にメモを渡す。「供給の“配り方”は事業の言葉。危機広報は**“正午/17時”を守り、現場は“遅いけど確実”**に集中。」
6|14:18 「止めた理由」を巡る会議
幹部会。画面越しに財務担当が言う。「課金・請求が止まると**“燃料の会計”**が崩れる。動かしても売上を計れないのなら、止める判断はやむなしだ。」
律斗はうなずかない。「“止める”にも種類がある。燃料の流れを全部止めるのか、請求の線だけを遮断して紙で回すのか。今朝、私たちは後者を選んだ。遅いけど確実に。」
りなが付け加える。「“止めた理由”は、後日の説明責任で必ず問われます。事実と判断を切り分けて記録してください。」
7|16:07 “人の声で閉める鍵”
ヘルプデスクに別方向からの揺さぶり。「スマホを無くした。MFAを解除して—」みおが攻撃者役で台本を読み上げる。
夏芽は脚を組み替えず、新フローで返す。「いまお伝えの番号に折り返します。上長同席の10分会議で再登録します。」
声は鍵にもなる。手続で囲めば、鍵穴は狭くなる。
8|17:00 二次報と“夜の筋書き”
二次報の読み上げ。
封じ込め:請求系の隔離、出荷の紙運用継続、ヘルプデスクは折り返し+二名承認。影響:出荷遅延平均 14分。顧客向け事故報告なし。次:明朝までに**“疑いアカウント”の棚卸しを完了。制裁リスク評価と支払い回避方針**を文書化。
暗号犯からの脅し文が更新される。「48時間」という数字が躍った。悠真は画面を閉じる。「こちらの時計で動く。」
9|翌朝 05:26 “戻す設計”
夜明け前。奏汰は戻しのチェックリストを展開する。
課金・請求:クリーン環境で復旧、紙伝票との照合
制御:参照専用→段階復帰、ログは1分粒度で別経路へ
ヘルプデスク:折り返し+二名承認の常態化、例外は48時間で自動失効
広報:正午/17時の時刻の約束を継続
陽翔が現場に電話する。「紙の照合は午前中で終わらせる。午後は電子優先に戻す。」
夏生は油面計を覗き込む。「戻る“遅さ”が今日は正しい。」
10|三日後 11:40 “回る”という結論
出荷遅延は9分に縮み、油槽所の列は午前で解消。顧客向けFAQは更新が止まらず、苦情は説明**に変わった。
白石は猫のマスコットを撫でた。「遅いけど確実、ね。」りなが笑う。「言い切る文は現場の手の震えを止めるの。」
律斗はホワイトボードに三つを書き残す。
“止める”の設計(全部ではなく“線”で)
“伝える”の時刻(正午/17時)
“回す”の遅さ(紙/復唱/二名承認)
11|数週間後:ポストモーテム「燃料の川の守り方」
大講堂。スクリーンには三つの時計。
現場の時間(出荷・安全)
規制の時間(72時間)
経営の時間(供給・信用・費用)
蓮斗が数字を示す。
MTTD:46分 → 18分(窓の調整後)
一次封じ込め:2h22m → 1h11m
出荷遅延平均:17分 → 8分
例外期限遵守率:64% → 97%
りなは原則を三行で締めた。
言い切る(事実と可能性を混ぜない)期限を付ける(例外は時間で管理)二重に確かめる(メールと声だけを信用しない)
奏汰が端にメモを貼る。
「速さは、戻れるときだけ味方。」
ホールを出ると、海風が強まっていた。燃料の川は、きょうも遅いけど確実に流れている。
—— 完
参考リンク(事実ベースの注記・一次情報/主要報道)
https://www.fbi.gov/news/press-releases/fbi-statement-on-compromise-of-colonial-pipeline-networkshttps://www.justice.gov/archives/opa/pr/department-justice-seizes-23-million-cryptocurrency-paid-ransomware-extortionists-darksidehttps://www.colpipe.com/our-operations/https://www.energy.gov/ceser/colonial-pipeline-cyber-incidenthttps://www.axios.com/2021/05/12/colonial-pipeline-restart-operationshttps://www.theguardian.com/technology/2021/may/19/colonial-pipeline-cyber-attack-ransomhttps://www.cisa.gov/news-events/cybersecurity-advisories/aa21-131ahttps://ofac.treasury.gov/recent-actions/20210921https://www.reuters.com/business/energy/us-announce-recovery-millions-colonial-pipeline-ransomware-attack-2021-06-07/





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