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特定技能の罠

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月6日
  • 読了時間: 9分



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第一章:埋もれた声

 梅雨明け間近の蒸し暑い朝、東京下町の一角にある雑居ビルの細い階段を、**行政書士の真鍋一馬(まなべ・かずま)**は重い足取りで上っていた。彼の事務所は、ビルの三階奥にひっそりと存在する。玄関にかかった小さなプレートには「真鍋行政書士事務所」とだけ書かれている。 ドアを開けると、寝不足を物語るように赤い目をした女性スタッフ、**藤咲千夏(ふじさき・ちなつ)**が迎えてくれた。彼女は留学生時代からの後輩で、言語が堪能だ。

「先生、例の実習生の方々が先に来てます。体調はあまり良くないみたいです」「そうか、ちょっと待っててもらってくれ」

 真鍋はデスクにカバンを置き、身だしなみを整えてから来客用のソファスペースへ向かった。そこにはアジア系の若い女性二人が座っていた。おそらく20代前半だろう。顔色が悪く、どこか落ち着かない様子だ。 彼女たちは「特定技能」のビザを取得して日本にやって来た外国人労働者。工場や建設現場など、人手不足の分野を支える新たな在留資格だ。だがこのところ、真鍋の事務所には彼女たちのように“ひどい労働環境に置かれている”という相談が相次いでいた。

「私たち、毎日12時間以上働かされる。でも、給料は……安い。寮もとても汚い。ご飯、作る道具もない」

 たどたどしい日本語でそう訴える彼女たちを前に、真鍋は表情を曇らせた。特定技能の制度が始まった当初は“外国人労働者を正規に受け入れる道が広がる”と期待されていたはず。それなのに、現実には悪用され、彼らはまるで消耗品のように扱われている。

「わかりました。ご安心ください。とりあえず、あなた方の契約書を見せてくれませんか」

 こうして始まったのが、行政書士としての真鍋の“闘い”だった。

第二章:悪徳ブローカーの影

 真鍋は早速、契約書に目を通した。書面にはいかにも形式ばった雇用条件が並んでいるが、その裏には何かが隠されているように感じる。

「千夏、これ、どう思う?」「はい……条件だけ見ると、最低賃金スレスレですよね。それに休日も不透明。“残業代込み”と書いてあるけど、これじゃ実質無休でしょう」

 藤咲千夏は指摘しながら苦い顔をしている。たしかに“特定技能ビザ”自体は本来、最低賃金の保証や一定の生活サポートを義務づけているはずだ。しかし、この書面からはそれが守られているとは思えない。 さらに気になるのは、契約の仲介業者の欄に書かれている**「グローバル・エージェント」**という会社の名前だった。かつて技能実習生の相談を受けたときにも、この名前を見かけたことがある。調べを進めると、どうやら海外での人材斡旋から日本での職場紹介まで“一括”でやっているらしい。その手数料は相当高額だと、以前別の労働者が嘆いていたのを思い出す。

 その翌日、真鍋は藤咲千夏を連れてグローバル・エージェントに乗り込んだ。都心のオフィスビルに入居しているが、受付は業務委託のようで、派手な装飾とパンフレットだけが目につく。やがて現れた責任者は、西洋風の名前を名乗る外国人男性。だが日本語は堪能で、応対は慇懃そのものだった。

「私どもは正規に手続きをしておりますよ、先生。いま雇用主と労働者の間にトラブルがあるのでしょうか? それは労使間で解決していただくべき問題かと」

 ぬけぬけと答える男の態度に、真鍋は嫌な予感を覚える。一方で、部屋の隅に貼られた地図や資料の数々は、それこそ日本全国にわたるネットワークの存在を示唆していた。

第三章:倒れていく労働者たち

 真鍋の事務所に寄せられる外国人労働者からの相談は、次第に深刻さを増していった。工場のライン作業で疲労が重なり、通訳もいないままコミュニケーションが上手くとれず、一部では過労による体調不良で倒れてしまうケースが続出しているという。 ある日、真鍋のもとに一本の電話が入った。とある工場で働く技能実習生――いや、“特定技能”に切り替えたばかりの女性が、急性心不全で搬送されたという。

「彼女は元々、健康だったはずなんです……原因が分からなくて。残業がかなり増えていたと聞いています」

 電話口の同僚は、震えながら訴える。真鍋は胸が痛む。たしかに法律上は1日8時間以上の労働に相応の賃金を支払う必要がある。しかし、制度の隙間を突いて“サービス残業”を強要したり、タイムカードを誤魔化したりする企業が後を絶たないのだ。 その背景に一枚噛んでいるのが、先ほどのグローバル・エージェントのような“ブローカー”である。彼らはビザの手続きを代行する一方、高額な仲介料を取り、労働者を“奴隷”のごとく日本企業へ送り込む。逆らえば国へ強制送還されるリスクがあり、誰もが声を上げにくい。

第四章:闇の共謀

 問題はそれだけではなかった。真鍋が何とか助けてやりたいと考え、行政や入管局に改善を訴えようと動き始めたところ、妙な圧力がかかり始めたのだ。 ある夕方、真鍋のスマートフォンに着信があった。名乗らない男の声は、低く囁くように言う。

「……あんた、余計なことをするな。俺たちの“商売”に口を挟むなってことだ」

 男はそれだけ言うと、ガチャンと切ってしまう。真鍋は一瞬唖然としながら、冷たい汗が背中を伝うのを感じた。明らかに脅迫だ。 次の日、入管局に勤める元同級生を頼って相談しようとしたのだが、予想外に取り合ってもらえない。むしろ「最近、いろんな方面にクレームが来ていて、組織としても動きにくい」という煮え切らない返事だ。かすかに感じるのは、入管内部にも何らかの“忖度”や“コネ”が絡んでいるのではないかという疑念。

 さらに調べを進めると、一部の日本企業には地元選出の国会議員や地方政治家との繋がりがあることが浮かび上がってきた。忙しい現場ではできるだけ人件費を抑えたい。その分の“協力”を得るため、政治献金や便宜を図っているらしい。それが入管や監督機関に影響を及ぼし、外国人労働者の過酷な現状が黙殺され続けている……。

第五章:糸口

 真鍋は藤咲千夏とともに、ある企業の内部告発者との接触に成功した。告発者は顔を隠したまま、音声だけで証言するという。

「うちの会社は、表向きは“海外人材を積極活用しています”と謳っている。でも裏では、グローバル・エージェントにお金を渡して、労働者をどんどん斡旋してもらってる。『帰国したくなったら違約金を払え』と脅して働かせるんだ。社員の多くは見て見ぬふりをしている」

 その告発者は、さらに資料の一部をメールで送ってくれた。そこには雇用契約書の改ざん痕跡や、過剰な手数料の請求内容がはっきり記されていた。真鍋たちは、これを大きな糸口と考え、弁護士や労働組合と連携して告発の準備に入る。 だが、相手は有力政治家や入管局にもパイプを持つ大きな組織。すんなりと白状してくれるはずもない。むしろ告発の動きを感じ取ったのか、街中で真鍋の後をつける男たちの姿が目立ち始めた。

第六章:捨て駒にされる命

 やがて事態はさらに深刻な方向へ動き出す。過労の末に入院した外国人女性が、病室で突然“何者か”に暴行を受けたというのだ。命に別状はないが、口封じを狙った犯行だとすれば、背後には例のブローカーの存在がちらつく。 警察に相談しても捜査は遅々として進まない。現場には証拠を示す防犯カメラ映像もなかった。まるで何もなかったかのように事件は闇に葬られていく。その一方で、病室の彼女は震えながらこう言うのだ。

「会社の人に言われました……“お前は国に帰るか、死ぬかだ”……」

 この言葉を聞いた瞬間、真鍋は怒りと悲しみに支配された。外国人労働者は、ただ日本で真面目に働こうとやって来たはずだ。それがこんな仕打ちを受けなければならないのか――。

第七章:決死の行動

 真鍋は、一連の証拠をそろえて報道機関に持ち込むことを決意する。政治家と企業、ブローカーと入管局、そして過酷な労働で疲弊する外国人たち――この構図を白日の下にさらすには、公的機関だけでなく世論の力が不可欠だと考えたのだ。 ところが、そうした動きを察知したのか、ある夜、真鍋が一人で事務所に残っていたとき、ビルの廊下から複数の足音が近づいてきた。半ば強引にドアを破られ、数人の屈強な男が室内になだれ込む。

「黙れ。これ以上、暴れまわられると困るんだよ。書類を出せ」

 うち一人が冷ややかに言い放つ。真鍋はファイルを抱きかかえたまま後ずさる。だが相手は容赦なく腕を掴み上げ、奪い取ろうとする。真鍋は必死に抵抗し、デスク脇のライトを振りかざすが、二人がかりで押さえつけられて動けない。 このままでは証拠もろとも破棄されてしまう――そう思った瞬間、後方から「警察です!」という声が聞こえた。なんと藤咲千夏が、異変を察して急いで通報してくれていたのだ。サイレンの音がビルの下から響くと、男たちは目を見合わせ、急いで逃走していった。

第八章:暴かれた真実

 真鍋は力の抜けた体を壁にもたせながら、ようやく息を整えた。彼らが欲しがったファイルには、企業とブローカーの不当な契約書や、政治家の秘書が受け取った怪しげな謝礼の記録が含まれていた。これこそが闇の繋がりを示す核心部分。 後日、真鍋は新聞記者と弁護士らの協力を得て、これらをまとめた形で告発に踏み切った。特集記事が発表されると、瞬く間に世論が沸騰し、国会でも“特定技能ビザの闇”として取り上げられる。やがて与党の有力議員が事情聴取を受け、その周辺の秘書らが捜査の対象となった。入管局にも大きな批判が集まり、監督体制の不備が再検証されることになった。

 同時に、グローバル・エージェントの幹部数名が逮捕され、裏金の流れや外国人搾取の手口が次々に明るみに出る。過酷な労働を強いられた彼女たちの一部は、安全な環境に移り、法的に賠償請求できる見込みが立った。

終章:希望と代償

 夏が終わり、秋風が吹き始める頃――。 真鍋の事務所では、あのとき相談に来た外国人女性たちが笑顔を見せ、藤咲千夏と新しい職場の契約手続きを進めていた。条件は以前より格段に良くなり、彼女たちは安心して日本で働ける見通しだ。 真鍋は窓辺のカーテンを開けて、静かに空を見上げる。この数ヶ月、長く苦しい戦いだった。脅迫にも遭い、死者こそ出なかったが病院送りになる者もいた。日本の制度は今なお穴だらけで、完全に救われるわけではない。それでも、闇の一端が暴かれたことで、多少の改善に向かうはずだ――そう信じたい。

「先生、本当にありがとうございました。私、日本でがんばります」 笑顔で頭を下げる彼女たちの言葉に、真鍋は力強く頷く。

 制度の綻びの中で踏みにじられていた人々を守るために、法を使う。彼は改めて、行政書士としての役目をかみしめていた。

 一方、政治家や企業の罪がすべて明らかになったわけではない。まだ権力を振りかざす者が大勢残っていることも、真鍋は知っている。 しかし、この国の未来を変えるために、ほんの一歩でも進めるなら。彼はそう信じて、机に向かい、次の依頼の書類と向き合うのだった。

 窓の外には、透き通った秋晴れの青空。 闇に沈む真実はいまだ数多くあれど、誰かが声を上げ続ければ、いつかは光が届くかもしれない――そう、彼は信じ続けている。


 
 
 

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