top of page

白い米、黒い義 ―大塩平八郎―


米は、白すぎる。白は潔白ではない。白は、汚れが目立つことを最初から知っている者の色だ。だから白い米は、腹を満たす前から人間の恥を呼び起こす。飢えた者の舌に、白は触れない。触れない白ほど残酷なものはない。

天保の冬、大阪の川は黒かった。水が黒いのではない。腹が黒いのだ。腹が黒いと、川も黒く見える。川面に映る蔵の影は、倉庫の影というより、貪りの影だった。貪りは重い。重い貪りほど軽々しく人を踏む。

私は帳面を抱えて、米問屋の前を通るのが嫌だった。嫌いなのは米問屋ではない。——と言いたい。だが嘘だ。私は嫌っていた。嫌いなものほど、目が離せない。目が離せないから、胸の内側で勝手に物語が育つ。物語は甘い。甘い物語は腐る。腐った物語の上で、人は「正義」を欲しがる。

その頃の大阪には、正義の匂いがなかった。あるのは、湿った藁の匂いと、冷えた魚の匂いと、吐瀉物の匂いと、焼けた糠の匂いだけだった。匂いは時間を知らない。知らない匂いほど残酷だ。昨日の腐臭が今日も同じ強さで鼻孔に刺さると、人は「明日」から切り離される。

私は役所の末席にいた。墨を磨り、帳面に数字を書き、米価の上がり下がりを写す。数字は臭いを持たない。臭いを持たぬものほど危険だ。臭いを持たぬ数字の上で、人は平気で「仕方がない」を言える。

仕方がない——この四字が、どれほどの命を殺すか。殺すのは刀ではない。言葉だ。言葉は軽い。軽い言葉ほど人を殺す。

飢えた者たちは、川べりにいた。膝を抱え、目だけが生きている。目は乾いていた。乾いた目は泣かない。泣かない目は、いつか燃える。燃える目は危険だ。燃える目は、火を求める。

火は美しい。美しい火ほど危険だ。美しさは、破壊に意味を与えたがる。意味は麻酔だ。麻酔を欲しがる者は、次の火を呼ぶ。

私は火を呼びたくなかった。だが、火の匂いが近づいているのを、毎日感じていた。

大塩先生の塾へ初めて行ったのは、冬が春に折れかける頃だった。大塩平八郎——その名は、役所の廊下でも、町の茶屋でも、ささやかれていた。ささやきは軽い。軽い噂ほど、現実を重くする。

塾の戸を開けると、紙と墨と木の匂いがした。生活の匂いではない。匂いは静かで、冷たかった。冷たさは正しい。正しい冷たさは、余計な感傷を叱る。机の上に、端正な文字が並んでいた。端正な字ほど不潔だ。端正な字は、血の匂いを消してしまう。だが先生の字は、端正なのに臭いがあった。臭いは、燃えた薪のように苦かった。苦さは真実だ。真実は甘くない。甘くないから腐らない。

先生は、私を見ると、ただ頷いた。頷きは楽だ。頷けば説明を省ける。説明ほど重いものはない。だがその頷きは楽ではなく、判を押すような頷きだった。押された瞬間、私はもう「外」へ戻れない気がした。

先生の目は澄んでいなかった。澄んだ目は正義の目だ。先生の目は濁っていた。濁りは迷いでも恐れでもない。濁りは、飢えの匂いを見てしまった者の色だ。飢えの匂いを知ってしまうと、人間は「清潔な理屈」で眠れなくなる。

「米が、あるのに」

先生が言った。たったそれだけだった。だがその一言は、私の喉の奥を叩いた。米があるのに。あるのに飢える。あるのに死ぬ。ある、という事実ほど残酷なものはない。ないなら諦められる。あるのに届かないとき、人は届かせたくなる。届かせたくなる欲望が、義になることがある。義は美しい。美しい義ほど危険だ。

先生は硯に水を落とし、墨を磨り始めた。磨る音は乾いていた。乾いた音は正しい。正しい音ほど残酷だ。墨が濃くなるほど、部屋の空気が締まる。締まる空気は、祈りの空気に似ている。祈りに似た空気ほど危険なものはない。祈りは叶わぬから強い。叶わぬ強さが、現実を壊す。

先生は紙を置き、筆を立て、ただ一字を書いた。

「義」

義。字の上の“羊”が、墨の中で黒く沈み、下の“我”が爪のように光った。私はその「義」が、米俵より重く見えた。重い字ほど危険だ。重い字は、人を軽くする。人を軽くして、燃やしてしまう。

「義は腹を満たさぬ」

先生は言った。

「だが腹が潰れてしまえば、義も書けぬ」

私は何も答えられなかった。答えれば、どちらかを選ぶことになる。選ぶという行為は、いつでも誰かを捨てる。捨てることが怖くて、私は沈黙した。沈黙は卑怯だ。だが言葉はもっと卑怯になり得る。言葉は、血の匂いを消してしまうからだ。

その日、私は塾を出るとき、川の黒さが少し変わって見えた。黒は闇の色ではない。黒は、火を抱えた色だ。川の黒さは、腹の黒さではなく、火種の黒さだった。

春になっても、米は白くならなかった。白い米は蔵にある。蔵の中の白は、外の人間を白骨にする。白骨は清潔に見える。清潔に見える死ほど不潔なものはない。清潔に見える死は、誰かの帳面の中で「減」と書かれるだけだ。

先生は、ある夜、私に言った。

「書け」

机の上に紙が置かれ、筆が差し出された。私は震えた。震えは恐怖ではない。恐怖に似た責任の震えだ。責任の震えほど、人を早く老けさせる。

「何を……」

「人に渡す言葉だ」

人に渡す言葉。人に渡す言葉は、いつか刃になる。刃になった言葉は、人を切る。切るのは敵だけではない。味方も切る。切られた味方は、義を憎む。憎みは火種になる。火種は、町を焼く。

先生は、その連鎖を知っている顔をしていた。知っている者ほど恐ろしい。知らぬ者は無邪気に燃えるが、知っている者は冷たく燃やす。冷たい燃焼ほど残酷だ。

先生は低く言った。

「言葉がなければ、餓えはただの腐臭だ。腐臭のまま死ぬ。言葉にすれば、腐臭は罪になる。罪になれば、誰かの胸に刺さる。刺されば、動く」

動く。動くために、どれだけのものが燃えるのか。私は紙の白を見つめた。白は潔白ではない。白は、汚れを目立たせるための背景だ。その白に黒を置くことが、どれほどの赤を呼ぶか。私は分かっていた。分かっていながら、筆を取った。

「救民」

私はそう書いた。救う、という語は甘い。甘い語は腐る。腐った救いの上で、人は平気で死を美談にする。先生は私の字を見て、首を振った。

「救う、は危うい。救いは甘い。甘い言葉は、飢えの苦さを消す」

先生は自分で書いた。「施」

施す。施すという字は、旗のように見えた。旗は危険だ。旗はいつでも誰かを踏ませる。それでも先生は、その旗を掲げるしかない顔をしていた。

「お前は、匂いを忘れるな」

先生は言った。「義の匂いではない。飢えの匂いだ。匂いを忘れた義は、ただの道楽になる」

道楽。その語が、胸に刺さった。義が道楽になる。正しさが装飾になる。装飾になった正しさほど、よく人を殺す。

その日が来た。空は妙に青く、青は無関心の色だ。無関心は残酷で、残酷だから正しい。正しい空の下で、町は燃えた。

火は、美しかった。美しい火ほど危険だ。私はその危険を知っていた。知っているのに、目を逸らせなかった。蔵の壁が赤く照らされ、煙が太く上がり、煙が空へ昇る途中で黒く変わる。黒い煙は、義の姿に似ていた。義もまた、最初は白い紙の上に立ち上がり、やがて黒い煙になる。煙はどこへ行くのか。どこにも行かない。鼻へ入り、喉へ入り、肺に貼りつく。貼りついた煙は、しばらく取れない。

人が走った。走る背中は美しくない。美しくない背中は物語にならない。物語にならないことが、唯一の救いになることがある。だが町は、すぐ物語を求めた。誰が正しいか。誰が悪いか。誰が先に撃ったか。誰が火をつけたか。問いはいつでも遅い。遅い問いは、答えを持たない。答えのない問いの代わりに、匂いだけが残る。焦げた木の匂い、汗の匂い、血の匂い、そして——恐怖の匂い。

先生を見た。火の向こうで、先生の顔が一瞬だけ照らされた。あの濁りが、さらに濃くなっていた。濁りは、勝利の濁りではない。敗北の濁りでもない。濁りは、現実の濁りだった。

私は思った。先生は火を望んだのではない。火が出る道しか残されていないことを知っていただけだ。知っている者ほど孤独だ。孤独は美しい。美しい孤独ほど危険だ。危険だから私は、先生の孤独を美談にしたくなかった。

「退け!」

誰かが叫んだ。叫びは外へ向かう。外へ向かう叫びは、すぐ空へ消える。消える叫びほど空虚だ。私の足は勝手に動いた。動く足は、命の卑しさだ。卑しさがある限り、人は生きる。生きるために私は逃げた。逃げることが恥だった。恥は生き残った者の印だ。恥がある限り、私はまだ人間だった。

背後で、火が唸った。火の唸りは獣の唸りに似る。獣は理由を持たない。理由を持たぬ破壊ほど残酷なものはない。義が、理由を持たぬ破壊へ滑り落ちていく。その滑り落ちる音が、私には聞こえた気がした。

数日後、先生が捕らえられそうになったと聞いた。その後のことは、噂でしか知らない。噂は軽い。軽い噂ほど現実を重くする。先生は、逃げた。先生は、隠れた。先生は、火を選んだ——とも言う。人は死を、すぐ「選んだ」と言いたがる。選ぶという語は清潔だ。清潔な語ほど残酷だ。死に追い詰められた者の足元には、選択肢など薄い。薄い選択肢は、紙より薄い。紙より薄いものを、人は「覚悟」と呼んで美しくする。

私は美しくしたくなかった。

先生の家の跡を訪ねたとき、土はまだ黒かった。黒は闇の色ではない。黒は、燃えたものの色だ。灰の匂いが残っていた。灰は軽い。軽い灰ほど厄介だ。軽い灰は風に舞い、どこへでも行く。どこへでも行く灰は、やがて「伝説」になる。伝説は甘い。甘い伝説は腐る。腐った伝説の上で、誰かがまた火を欲しがる。

私は灰の中から、焼けた紙片を拾った。そこに残っていたのは、半分だけ焦げた文字だった。

「義」

義の上の“羊”が欠け、下の“我”の爪だけが残っている。爪。爪は掴むためにある。掴むものは、いつも何かを傷つける。私はその紙片を掌に乗せ、ただ見つめた。救いはなかった。慰めもなかった。あるのは、匂いだけだった。焦げた墨の匂い。焦げた紙の匂い。焦げた義の匂い。

私はその匂いを胸に吸い込んだ。吸い込んだ瞬間、咳が出た。咳は人間の音だ。人間の音は、理屈の中に居場所がない。私はその咳に救われた。救いという言葉は嫌いだ。救いは甘い。甘い救いは腐る。だが咳は甘くない。甘くないものだけが、腐らずに残る。

その後も大阪の米は白かった。白い米を口に運べる日が来ても、私は白を祝福できなかった。白は潔白ではない。白は、飢えの黒さを際立たせる背景だ。口の中で米がほどけるたび、私は灰の匂いを思い出した。義は腹を満たさない。だが腹が潰れれば、義も書けない。その二つの真実の間で、人はいつも何かを燃やす。

先生は、燃えた。燃えたものは、燃えたという事実だけが残る。残る事実を、誰かが美談にしようとするたび、私は掌の紙片を思い出す。半分欠けた「義」。爪だけ残った「我」。

正義は、清潔ではない。正義は、いつでも焦げ臭い。焦げ臭いものほど、次の火を遠ざけることがある。

私は今日も、紙片を持っている。人に見せない。言葉にしない。ただ、匂いだけを忘れない。忘れないことだけが、私に残された最小の反逆であり、最小の祓いだ。


 
 
 

コメント


Instagram​​

Microsoft、Azure、Microsoft 365、Entra は米国 Microsoft Corporation の商標または登録商標です。
本ページは一般的な情報提供を目的とし、個別案件は状況に応じて整理手順が異なります。

※本ページに登場するイラストはイメージです。
Microsoft および Azure 公式キャラクターではありません。

Microsoft, Azure, and Microsoft 365 are trademarks of Microsoft Corporation.
We are an independent service provider.

​所在地:静岡市

©2024 山崎行政書士事務所。Wix.com で作成されました。

bottom of page