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白き尾、風をわけて

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第一章 山の記憶

母が亡くなったのは、夏のはじまりだった。

ひと月遅れの梅雨がようやく明けたころで、山には白い花がぽつぽつと咲きはじめていた。


葬儀の翌日、僕は久しぶりに故郷の山をひとりで歩いた。

家の裏手の登山道を抜けて、母と何度も登った小さな尾根へ。

そこには昔から、なぜか人知れず白い花が群生していた。


「オカトラノオよ。風のように咲いて、風のように去るの」


母がそう呼んだその花は、どこか寂しげで、誇らしくて、うつくしかった。


背丈の高くない細い茎に、小さな白い星が連なっている。

花穂は弓なりにしなり、まるで“虎の尾”のように見える。

だがその姿はむしろ、記憶のなかで流れる水のようにやわらかくて、あたたかかった。


僕は膝をつき、そっと一茎に指を添えた。


「ただいま」


その声に応えるように、風が吹いた。


そして白い花が、すこしだけ、揺れた。


第二章 オカトラノオの咲くころ


母は野の草花が好きだった。

派手なものではなく、雑木林のかげでひっそりと咲く花。

四季を感じさせる名もなき花たち。


母はそれらを「風のこどもたち」と呼んでいた。


「わたしはね、花屋にある花よりも、道ばたの草の方がずっと立派だと思うのよ」


そう言って、散歩の途中でよくオカトラノオの群れを見つけては、しゃがんでじっと見つめていた。


「ほら、見て。誰にも見られなくても、ちゃんと咲いてる。

 白くて、風に沿って、ただそこにいる。それだけで、すごいことなのよ」


僕にはその意味が、当時よくわからなかった。

けれど、大人になった今、ようやくその静かな凛とした佇まいに、なにか“大切なもの”を感じるようになっていた。


山の尾根には、今年も変わらずその花が咲いていた。

人の喪失にも、世のざわめきにも、かまわず――ただ、咲いていた。


僕は地面に腰を下ろして、しばらく黙って風の音を聞いた。


すこし上の空に、母の声が混じった気がした。


第三章 記憶の中の庭


母の書斎には、いつも乾いた花が吊るされていた。

ノートの隅には、押し花が貼られ、植物のスケッチがたくさん残っていた。


「花は記憶の標本なの」


母はそう言った。


遺品を整理するなかで、ひとつだけ見慣れない古いノートを見つけた。


そこには、僕の幼少期に通っていた小学校の裏山の観察日記が残されていた。


《6月12日:オカトラノオ、開花。午前8時の光の中で、風に揺れる。

息子が“星のしっぽ”と名づけた。いい感性。大切にしたい》


思い出せなかった。

けれど、どこか深いところで、たしかにその記憶が残っていた気がする。


母が、僕の無意識の言葉を残してくれていたことに、胸が締めつけられた。


星のしっぽ――

あの白く連なった花の穂を、そう言ったことがあったのか。


その名は、今の僕にも、しっくりときた。


第四章 風のこだま


夏の夕暮れ、もう一度山に登った。


西日に照らされたオカトラノオは、朝とはまたちがった表情を見せていた。

光を受けて白銀に輝き、風の尾をなびかせている。


ふいに、子どもの声が聞こえた気がして、あたりを見渡すと、

かつて僕が通っていた小学校の学童たちが、先生とともに登ってきていた。


「この花なにー?」

「シッポみたい!」


僕は微笑んで答えた。


「オカトラノオっていうんだよ」


「おか…とら…のお?」


「そう。お母さんの虎の尾。そう覚えると忘れない」


冗談のように言うと、子どもたちは「へー」と笑ってくれた。


「きれいだね」「なんか、かっこいい」「ふわふわー!」


子どもたちの声に、かつての自分がまざっていた。


(星のしっぽ)


それを聞いた母は、どんな顔をしていたのだろう。


僕は、オカトラノオの前にしゃがみこみ、目を閉じた。


すると――たしかに、声が聞こえた気がした。


「……ちゃんと届いているわよ」


母の声だった。


もういないはずの、でもずっと風の中にいた声。


「咲いてくれてありがとう」


僕は、声にならない声で、そうつぶやいた。


第五章 白き尾の咲く場所で


夏が終わるころ、オカトラノオもその姿を消す。

葉だけを残し、茎はしずかに倒れて、また土に戻っていく。


僕は、母のノートと共に、数本の花を押し花にした。


スケッチブックの1ページをめくると、

自分が書いた詩のようなことばが、綿のように浮かびあがってきた。


星のしっぽが 風にほどける

だれかの声が その先にある


見えないけれど たしかに咲く

山のひかりと ぼくのなみだに


白い花は、今日も静かに風の中で咲いている。

人知れず、誇らしく、やわらかく。


そして、風が吹くたびに――

誰かの記憶と、だれかの声と、だれかの命を、そっと運んでいる。


僕はその花の横に立ち、こうつぶやいた。


「また来年も、会おう」


白い星が、すこし揺れた。


それはたしかに、返事のようだった。


終章 風に咲く


オカトラノオは、群れにならず、孤独でもない。

まるで“共に咲く”ことを知っているかのように、風の道にそって列をなして咲く。


誰かの背中を見送りながら

誰かの足音を待ちながら


母の声が、遠くから聞こえた気がした。


「咲き方を、あなたも覚えたのね」


僕は、静かに目を閉じた。

風はそこにいた。

いつまでも、そこにいた。

 
 
 

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