相続人はTeamsに現れる
- 山崎行政書士事務所
- 5月13日
- 読了時間: 14分

――山崎行政書士事務所事件簿
山崎行政書士事務所では、午後五時を過ぎると、複合機が妙に人間くさくなる。
紙を飲み込む。
唸る。
たまに何もしていないのに起きる。
「先生、また複合機が勝手に動いています」
悠真が戸籍請求書の控えをそろえながら言った。
山崎所長は湯飲みを持ち上げた。
「古い機械は、夕方になると昔話をしたくなるんだよ」
蓮斗はノートPCから顔を上げない。
「複合機にもアカウント棚卸しが必要です」
「君は何にでも棚卸しを求めるね」
「棚卸しされないものが、一番夜に動きます」
その言葉が終わる前に、事務所の引き戸が開いた。
入ってきたのは、三人の家族だった。
母、朝倉澄子。
長男、陽太。
長女、美帆。
三人とも、喪服ではなかった。
けれど、表情はまだ葬儀の中にいた。
相談内容は、急逝した夫であり父である、朝倉慎一の相続手続だった。
慎一は、小さなシステム開発会社を経営していた。
取引先との契約、会社のクラウド、預金口座、個人の通帳、生命保険、そして仕事用のMicrosoft 365。
悠真は、落ち着いた声で説明した。
「まず、出生から死亡までの戸籍を集めて相続人を確定します。その後、法定相続情報一覧図の作成、預貯金資料の整理、財産目録、必要であれば遺産分割協議書の作成へ進みます」
陽太は疲れた声で言った。
「父は、何でもクラウドに置く人でした。通帳よりTeamsの方が信用できるって」
美帆が小さく笑った。
「変な人だったよね。家族旅行のしおりもTeamsに上げてた」
澄子は膝の上で手を握った。
「そのTeamsが……昨夜、動いたんです」
山崎の湯飲みが止まった。
「動いた?」
澄子はスマートフォンを取り出した。
画面には、Teamsのチャットが表示されていた。
送信者は、朝倉慎一。
送信時刻は、昨夜二十三時五十九分。
慎一が亡くなってから、十二日後だった。
文面は短かった。
見てほしいファイルがある。
四人で開け。
つばめの残高が鍵。
相続人はTeamsに現れる。
慎一
事務所の空気が、すうっと冷えた。
美帆が震える声で言った。
「お父さん、死んだんですよね」
山崎は静かに言った。
「そこは確認済みです」
蓮斗がスマートフォンを見た。
「幽霊と決める前に、予約投稿を疑います」
「予約投稿?」
「Teamsには、メッセージを後で送る機能があります。生前に設定しておけば、指定時刻に送られることがあります」
陽太は眉をひそめた。
「じゃあ、父が死ぬ前に?」
「可能性があります。ただし、アカウントが誰かに使われた可能性も排除しません。サインインログ、投稿作成時刻、アカウント状態を見ます」
澄子は小さく言った。
「でも、四人って……私たちは三人です」
その言葉が、相談室の真ん中に落ちた。
四人で開け。
相続人はTeamsに現れる。
山崎行政書士事務所の壁時計が、やけに大きく鳴った。
1 つばめの残高
翌日、朝倉家は慎一の資料を持ってきた。
預貯金通帳。
ネット銀行のメモ。
会社用口座の一覧。
生命保険証券。
古い封筒。
そして、慎一の会社で使っていたMicrosoft 365の管理者情報。
蓮斗は最初に釘を刺した。
「故人のパスワードを推測してログインすることはしません。会社アカウントなのか個人アカウントなのか、管理者権限で何ができるのか、誰の同意が必要かを分けます」
山崎がうなずいた。
「幽霊退治にも手続がいる」
「幽霊ではありません。たぶん」
悠真は預貯金資料を整理していた。
都市銀行。
地方銀行。
信用金庫。
ネット銀行。
ゆうちょ。
そして、古い「つばめ信用金庫」の通帳。
最後の残高は、681円。
美帆が画面を見た。
「つばめの残高って、これ?」
陽太が言った。
「681円が鍵? 父さん、最後まで変なクイズを」
蓮斗がTeams上のファイルを確認する。
慎一の投稿には、OneDrive上のフォルダリンクが添付されていた。
フォルダ名は、
四人で開け
パスワード入力画面が出た。
美帆が、震える指で入力した。
681。
フォルダが開いた。
中には三つのファイルがあった。
法定相続情報一覧図_下書き.pdf
預貯金資料_朝倉慎一.xlsx
四人で見る動画.mp4
そして、もう一つ。
小春さんへ.txt
澄子の顔から血の気が引いた。
陽太が低く言った。
「小春って、誰」
美帆は母を見た。
「お母さん、知ってるの?」
澄子は答えなかった。
悠真は、まだファイルを開かなかった。
「先に戸籍を確認しましょう」
陽太が苛立った。
「でも、ここに名前が」
「ファイルは手がかりです。相続人を決めるのは、戸籍です」
山崎が静かに言った。
「クラウドは話しかけてきます。でも、法的な線は戸籍が引きます」
2 戸籍は静かに現れる
悠真は、慎一の出生から死亡までの戸籍を集めた。
本籍の移動が多かった。
静岡。
名古屋。
東京。
また静岡。
改製原戸籍、除籍謄本、現在戸籍。
一枚ずつ、慎重に読み込む。
数日後。
悠真は、朝倉家を事務所へ呼んだ。
机の上には、戸籍の束と、相続関係説明図の下書き。
悠真は、慎重に言った。
「確認できました。朝倉慎一さんには、前婚があります」
美帆が息を呑んだ。
陽太は椅子の背を握った。
澄子は目を伏せた。
「そして、前婚中に生まれたお子さんがいます。朝倉小春さん。戸籍上、慎一さんの子です。したがって、相続人です」
沈黙。
陽太が低く言った。
「母さん、知ってたのか」
澄子は小さくうなずいた。
「結婚するときに聞いていた。でも、あなたたちには……言えなかった」
「何で」
「慎一さんが、いつか自分で話すと言っていたから」
美帆の声が震えた。
「その“いつか”がTeamsなの?」
誰も答えられなかった。
その時だった。
蓮斗のノートPCが小さく通知音を鳴らした。
Teams。
送信者は、朝倉慎一。
二つ目の予約投稿だった。
怒るなら、私に怒れ。
小春を疑うな。
彼女は、私の沈黙の被害者です。
次のファイルを、四人で見てください。
陽太が立ち上がった。
「誰かが父のアカウントを使ってる!」
蓮斗は画面を確認した。
「落ち着いてください。サインインログを見ます」
ログには、生前の慎一が、亡くなる三日前に予約投稿を設定した記録が残っていた。
亡くなった後の新規サインインはない。
投稿は予約送信。
ファイル編集も、慎一の死亡前。
ただし、一つだけ不審な動きがあった。
慎一の死亡後、フォルダ内の「法定相続情報一覧図_下書き.pdf」が一度、削除されかけていた。
操作したアカウントは、
澄子。
美帆が母を見た。
「お母さん?」
澄子は両手で顔を覆った。
「怖かったの。小春さんの名前が出たら、あなたたちが壊れると思った。だから、消そうとした。でも、消せなかった」
陽太は何か言おうとして、言葉を失った。
山崎は、ゆっくりと言った。
「隠すことは、守ることに似ています。でも、相続では、隠したものが一番人を傷つけることがあります」
悠真は相続関係説明図を出した。
慎一。
配偶者、澄子。
子、陽太。
子、美帆。
子、小春。
線は四本。
相続人は、Teamsに現れたのではなかった。
最初から、戸籍にいた。
3 デジタル遺品は誰のものか
蓮斗は、慎一の会社アカウントを整理した。
「慎一さんのTeams、OneDrive、Outlookは、会社のMicrosoft 365テナント上にあります。会社の業務データ、個人の思い出、相続資料が混ざっています。全部をご家族が自由に見る、という扱いにはできません」
陽太が言った。
「父のデータなのに?」
「会社のデータでもあります。取引先情報もあります。だから、必要な範囲を分けます。相続手続に必要な資料、会社運営に必要な資料、私的な写真やメッセージ。アクセス権限と保存期間を整理します」
山崎がうなずいた。
「遺品整理にも、部屋ごとの鍵があるわけだね」
蓮斗は、慎一のアカウントについて方針を出した。
サインインを停止する。
ライセンスを外す前に必要データの保全範囲を確認する。
OneDriveとOutlookのアクセスを、会社側の正当な管理者へ一時付与する。
Teamsの予約投稿は確認済みのもの以外を止める。
相続資料フォルダは、相続人全員が確認できる形へ移す。
取引先情報は、家族ではなく会社の承継担当が管理する。
美帆がぽつりと言った。
「お父さん、何でも一つの場所に置きすぎ」
蓮斗は真顔で答えた。
「クラウド整理の観点では、その通りです」
山崎が言った。
「死後に専門家からダメ出しされるのも、なかなかつらいね」
悠真は、預貯金資料を確認していた。
慎一が残したExcelは正確だった。
銀行名。
支店。
口座種別。
残高証明の取得予定。
保険。
借入。
会社貸付。
未払税金。
そして、つばめ信用金庫681円の欄には、備考があった。
小春へ最初に送った養育費の残り。
使えなかった。
これを鍵にする。
陽太が画面を見て、目を伏せた。
「父さん、何をしてたんだよ」
澄子が泣きながら言った。
「不器用だったの。小春さんにも、あなたたちにも」
その時、Teamsに三つ目の通知が出た。
慎一からの最後の予約投稿。
19時に、小春が入ります。
逃げずに、会ってください。
動画はその後で。
美帆が小さく叫んだ。
「本当に現れるの?」
山崎は時計を見た。
午後六時五十九分。
一分後、Teams会議の参加通知が鳴った。
画面に、一人の女性が現れた。
朝倉小春。
相続人は、Teamsに現れた。
4 四人で見る動画
小春は、画面の向こうで深く頭を下げた。
「突然ですみません。小春です」
陽太は固い声で言った。
「あなたは、父の……」
「はい。前の結婚のときの娘です」
美帆は泣きそうな顔だった。
「何で今まで」
小春は少し笑った。
「私も、どう会えばいいかわかりませんでした。お父さんも、たぶんわからなかったんだと思います」
澄子は、震えながら言った。
「小春さん、ごめんなさい」
「澄子さんが謝ることではありません。私も、もっと早く連絡すればよかった」
会議室の空気は、薄い氷のようだった。
山崎は静かに言った。
「では、動画を見ましょう。慎一さんは“四人で”と言っています」
画面に、慎一が映った。
少し痩せている。
けれど、目はいつもの写真と同じだった。
『これを見ているということは、私はまた説明を先送りにして、とうとう期限を過ぎたということです』
山崎が小さく言った。
「期限管理が苦手な方だったようですね」
蓮斗が囁く。
「予約投稿はできていました」
動画の慎一は続けた。
『澄子。君に一番つらい役を押しつけました。小春のことを、子どもたちに話せないままにして、本当にすまない』
澄子は泣いていた。
『陽太、美帆。怒っていい。私は父親として、話すべきことを話さなかった。相続人という言葉で初めて小春の名前を知るなんて、最低の登場のさせ方だと思う』
陽太は拳を握った。
『小春。君にも謝りたい。私は、会う勇気を何度も失った。つばめ信用金庫の681円は、最初に君へ送った養育費の通帳の残りです。使えなかった。残しておくことで、責任を果たした気になっていた。情けない父親でした』
小春は画面の向こうで涙を拭った。
『遺産のことは、山崎先生たちに手伝ってもらって、全員で話してください。戸籍を集めれば、小春が相続人であることは必ずわかります。だから、その前に、私の言葉で伝えたかった』
慎一は、少しだけ笑った。
『法定相続情報一覧図の下書きは、あくまで下書きです。悠真さん、正式にはちゃんと戸籍を見てください。蓮斗さん、私のアカウントは止めてください。予約投稿だけは、どうか見逃してください』
蓮斗が真顔で言った。
「見逃し済みです」
山崎が小声で言った。
「返事しなくていいよ」
動画の慎一は、最後にこう言った。
『相続人は、財産を取り合う人ではありません。私が残してしまったものを、事実として一緒に受け止めてくれる人たちです。どうか、疑いで始めないでください。四人で、一度だけ同じ画面を見てください』
動画はそこで終わった。
会議室は静かだった。
長い沈黙のあと、陽太が画面の小春に向かって言った。
「父さんのこと、好きでしたか」
小春は少し考えた。
「わかりません。でも、嫌いになりきれませんでした」
美帆が泣きながら笑った。
「それ、私たちも同じかも」
澄子は、画面に向かって頭を下げた。
「小春さん。遅くなってごめんなさい。これから、手続のことも、慎一さんのことも、一緒に話してくれますか」
小春は、涙のままうなずいた。
「はい」
山崎行政書士事務所の古い複合機が、その瞬間、なぜか小さく唸った。
蓮斗が振り向いた。
「先生、何か印刷しました?」
「していない」
排紙トレイから一枚の紙が出た。
そこには、前日に悠真が印刷予約した相続関係説明図があった。
慎一から四人へ伸びる線。
陽太がそれを見て、ぽつりと言った。
「Teamsより、こっちの方が怖いな」
悠真が言った。
「でも、正確です」
その場に、初めて小さな笑いが生まれた。
5 相続手続は、画面の外で進む
それからの手続は、派手ではなかった。
悠真は戸籍をそろえ、法定相続情報一覧図を作成した。
預貯金資料は、金融機関ごとに整理した。
財産目録には、個人の預金、会社関係の貸付、保険、車、古い腕時計、そしてつばめ信用金庫の681円まで載せた。
遺産分割協議書の文案は、四人が話し合える状態になってから作った。
陽太は、最初、小春と目も合わせられなかった。
美帆は、毎回泣いていた。
澄子は、何度も謝った。
小春は、画面越しに参加し、ある日こう言った。
「お金の話は、ちゃんとしましょう。でも、私が一番ほしいのは、父がどんな人だったかを聞く時間です」
陽太は、それを聞いて、慎一の古いノートPCから写真を探した。
蓮斗は、会社情報と私的写真を分けるため、慎重にフォルダを整理した。
「これは会社の資料。これは家族写真。これは……」
画面に、慎一が作った謎のフォルダがあった。
子どもたちに見せると怒られる写真
中には、陽太の寝癖、美帆の変顔、小春へ送るつもりだったが送れなかった年賀状案が入っていた。
美帆が言った。
「お父さん、最低」
陽太が笑った。
「でも、父さんらしい」
小春も画面の向こうで笑った。
「私にも、送れなかった年賀状があったんですね」
山崎は、その光景を見て静かに言った。
「デジタル遺品という言葉は冷たいけれど、中身は人の未送信の気持ちなんですね」
蓮斗がうなずいた。
「だからこそ、雑に開けても、雑に消してもいけません」
6 最後の投稿
四十九日が過ぎたころ。
朝倉家の相続手続は、少しずつ形になった。
法定相続情報一覧図。
預貯金の手続書類。
財産目録。
遺産分割協議書の案。
会社アカウントの停止記録。
デジタル遺品の整理表。
そして、Teamsには最後の確認が残っていた。
蓮斗は言った。
「予約投稿は、確認できる範囲ではすべて送信済みです。アカウントは停止します」
澄子は深く息を吸った。
「お願いします」
アカウント停止の直前、Teamsのチャット欄に、送信済みの最後のメッセージが残っていた。
四人で見てくれてありがとう。
もう、私のアカウントに用はありません。
これからは、直接話してください。
慎一
陽太が言った。
「最後まで偉そうだな」
美帆が泣き笑いした。
「でも、言ってることは正しい」
小春が画面越しに言った。
「じゃあ、次はTeamsじゃなくて、直接会えますか」
澄子はうなずいた。
「もちろん」
陽太は少し間を置いてから言った。
「父さんの悪口を言う会なら、参加します」
小春が笑った。
「たぶん、私もたくさんあります」
美帆が言った。
「じゃあ、相続人会議じゃなくて、慎一反省会にしよう」
山崎が真面目な顔で言った。
「議事録を作りますか?」
四人が同時に言った。
「いりません」
事務所に笑い声が広がった。
相続人は、Teamsに現れた。
けれど本当は、Teamsが相続人を作ったわけではない。
戸籍が、慎一の人生の事実を示した。
法定相続情報一覧図が、家族の線を見える形にした。
預貯金資料が、財産の輪郭を整理した。
遺産分割協議書が、これからの合意を支える紙になった。
そして、Teamsの予約投稿は、慎一が生前に言えなかった言葉を、少し遅れて届けただけだった。
山崎行政書士事務所に戻った夜、悠真は相続関係説明図の控えをファイルに綴じた。
蓮斗は、慎一のアカウント停止記録を確認した。
山崎は湯飲みを置き、しみじみと言った。
「相続って、財産を分けることだと思われがちだけれど、時々、言えなかった言葉まで分け合うんだね」
悠真はうなずいた。
「はい。ただし、言葉だけでは手続は進みません。戸籍が必要です」
蓮斗も言った。
「アカウントも止めます」
山崎は笑った。
「実務家たちの情緒は、今日も正確だ」
複合機が、また小さく唸った。
誰もが一瞬だけ振り向いた。
でも、今度は何も出てこなかった。
慎一の予約投稿は、もう終わっていた。
これから話すのは、生きている四人の番だった。
作中の実務背景
確認日:2026年5月13日。
法務局の法定相続情報証明制度では、相続人が戸除籍謄本等の束と、相続関係を一覧にした法定相続情報一覧図を登記所へ提出し、登記官の確認を受けた一覧図の写しの交付を受ける制度として説明されています。作中の悠真が「ファイルではなく戸籍で相続人を確定する」とした部分の背景です。
法務省の相続登記手続案内では、相続人間で財産をどのように分けるかを協議し、遺産分割協議書として書面を作成する流れが示されています。作中の遺産分割協議書は、家族の感情を整理した後に、合意内容を形にする書類として描きました。
Microsoft Teamsには、チャットメッセージやチャネルメッセージを指定した日時に送る予約送信機能があります。作中の「亡くなった人からTeams投稿が届く」という導入は、この機能をミステリー風に脚色したものです。
Microsoft 365管理者向け文書では、元従業員のアカウント削除前にOneDriveやOutlookコンテンツへのアクセス付与を検討すること、削除後も一定期間コンテンツが保持されることが説明されています。作中の蓮斗が、故人の会社アカウントをすぐ開けず、会社データ・相続資料・私的データを分けて扱った場面の背景です。





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