看板の裏に眠る契約
- 山崎行政書士事務所
- 1月11日
- 読了時間: 6分

第一章:深夜の看板
御門台駅近くの細い路地を進んだ先に、ひっそりと行政書士事務所が建っている。外には、大きくはないがそこそこ目立つ看板が設置されており、上品なフォントで事務所名が書かれているのが印象的だ。 だが、近頃になって奇妙な噂が立った。「看板の裏側に“古い契約書”が貼り付けてある」という。誰がいつ貼ったかも分からず、その契約書には妖しげな内容が記されているというのだ。 ほとんどの人は荒唐無稽だと思って気にも留めない。けれど噂を聞いた直樹はなぜか心をそそられ、真夜中にこっそり事務所を訪ねた。 深夜の駅前は静まり返り、街灯の薄暗い光が地面を照らしていた。事務所のあるビルの外壁に取りつけられた看板も、深い影に沈んでいる。「まさか本当に貼ってあるのか?」と自問しながら、彼は汗ばむ手でスマートフォンのライトを点け、看板の裏側を覗き込む。
第二章:奇妙な契約書
案の定、そこにはテープで留められた紙があった。ざっとA4ほどの大きさだが、随分と黄ばみ、文字もかすれている。 スマホのライトに照らされるまま、彼は目を凝らした。紙には**「永遠ノ命ヲ与フル代ワリニ、一切ヲ失フ」**と、旧仮名遣いで書かれている。契約者の署名欄があり、さらに別の欄には昭和初期の年号が記されていた。 不気味な緊張感が背筋を這い上がる。いかにも意味ありげなフレーズだ。「こんなもの、一体誰が何のために……?」と呟きそうになる声を、彼は抑えるように唇を噛んだ。 夜風がビルの隙間を抜けて、看板をわずかに揺らす。その振動で、契約書の端がひらりと動き、背後にある広告板の素材とこすれる音がした。直樹はぞっとし、慌てて紙を引き剥がしそうになったが、思いとどまる。何か良くない予感がしたのだ。
第三章:契約の秘密と昭和初期
翌日、直樹は明るい時間帯に再度現地を訪れようと考えたが、やはり人目もあり、怪しまれたくはない。そこで彼はインターネットで「御門台駅 契約書」「永遠の命」「昭和初期 行政書士」などのワードを検索したが、大した情報は得られなかった。 次に、駅前図書館へ足を運び、昭和初期の地方新聞や公文書を丹念に調べる。すると、小さな記事が目に留まった。 それは**「御門台の住民らが不審な契約書に署名した疑惑」という内容**で、一部の者が財産や家族を失ったという話が記されていた。取材も中途半端で、真相はわからないままだが、確かに噂になったことはあったらしい。 「何だろう……」と直樹は考え込む。単なる詐欺か、あるいは迷信か。ただ、記事の見出しには「永遠の命を売り文句に、破滅をもたらす契約」と不気味なフレーズが踊っている。紙面には事務所名は載っていないが、「行政手続き代理人(今でいう行政書士)が関与した」とあり、地名も御門台となっている。
第四章:事務所の裏の歴史
直樹は、その行政書士事務所の正体を探るため、地元の古老や法律関係者に当たる。すると判明したのは、その事務所が昭和初期から御門台に存在していたという事実。 さらに昔の登記簿を確認すると、事務所は何度か名称変更や経営者の交代がありながら、場所はほとんど変わっていない。まるで長い歴史を背負い続けてきたような不気味な連続性だ。 「ずっと同じ看板を使っているのかもしれない」 ふとそう思ったが、実際は時代が進むにつれ看板はリニューアルされているだろう。なのに、なぜ今の看板にだけそんな契約書が貼られているのか。 ――彼の胸には、ますます不安と興味が渦巻き始める。
第五章:契約書に隠された呪縛
ある深夜、直樹は再度看板の裏を調べに行った。そして大胆にも、その紙を慎重に剥がして持ち帰った。 家の机で契約書を広げると、まるで古い羊皮紙のように硬く、じっとりとした手触りがある。文字は達筆だが、読みづらい。 辛うじて解読できる部分には、「此ノ契約ヲ結ビシ者、命永ク、然レド万事ヲ失フ――」という文言があり、署名欄には複数の人名が連なっていた。 その名前を市役所の古い住民台帳などで照合してみると、なぜか皆、昭和初期ごろを境に行方不明になっているか、あるいは財産を失っているという記録が残っていた。 「まさか、本当にこの契約が何かを奪ったというのか……?」 直樹は自分がこんなものを持ち帰ってしまったことに、ぞわりとした恐怖を覚える。
第六章:影を落とす過去
契約書の影響なのか、直樹の周囲でも奇妙な出来事が起こり始める。友人が突然、不可解な事故に巻き込まれたり、家庭でトラブルが相次いだり。 まるで契約書が悲劇を呼び寄せているかのように思える。更に不穏なのは、直樹自身が夜になると不気味な夢にうなされるようになったことだ。夢の中で「永遠の命を得たが全てを失った」という人物の姿が脳裏に浮かび、苦しげな声を残して消えていく。 「もしこの紙が本当の呪いのようなものなら、ぼくはどうすればいい……?」 頭を抱えて悩む直樹のもとに、ある日、事務所の関係者を名乗る老人が接触してくる。初老の男は、彼を見つけるや否や、神妙な面持ちで言い放った。 「貴方、契約書を剥がしたんですね? あれは触れてはならないものでした」 直樹は肝が冷える思いで、その老人の背後に、暗い過去の影を見た気がした。
結末:失われた呪縛と選択
老人の話をまとめると、昭和初期、ある行政書士が不吉な契約を住民に結ばせ、“永遠の命”を約束すると謳いながら、財産や人間関係を次々と破滅に導いたらしい。長年封印されてきたその契約書が、今や再び姿を現してしまった――。 「その書を放置すれば、また誰かが引き寄せられて不幸を背負うかもしれない。……あなたはどうする?」と老人が問う。 直樹は迷うが、最終的に契約書を手放す決断をする。**「こんな呪縛の連鎖は、ぼくの代で終わりにするしかない」と。 彼は夜明け前、御門台駅近くの河川敷へと向かい、契約書を破り捨て、燃やそうと試みる。その瞬間、どこからか強い風が吹き、燃え上がる紙を一瞬にして闇へと散らす。姿を消す炎の匂いが鼻を突き、影のようなものが溶けていく気配がした。 朝陽が昇り始め、駅にはいつもと変わらぬ人々の足音が響く。看板は相変わらず業務的な雰囲気を漂わせ、そこが何食わぬ顔で営業を続ける行政書士事務所の存在を物語る。 しかし、もうあの契約書はない。奇妙な噂もおそらく消えていくだろう。 ――けれど、直樹は確信している。この町のどこかには、まだ失われた人々の記憶が眠っている。契約書に縛られたまま行方知れずとなった者たちが、いまだその暗い影を落としていることを。 彼は去り際、駅の看板を振り返る。そこには淡々とした事務所の宣伝があるだけ。まるで何事もなかったような、その平凡さが逆に何かを匿っているように感じられた。 朝の空は澄んでいる。若い通勤者が足早に改札を抜けていく。直樹は「これでもう終わりだろうか?」**と自問するが、答えは出ない。ただ一つだけ、重苦しい契約書の存在は、この町から消えたという事実だけが残っている。
その看板の裏には、もはや何も貼り付けられていない。けれど、いつかまた人の欲望が新たな“契約”を生み出すかもしれない――そんな不穏な予感を胸に、直樹は静かに駅を後にするのだった。





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