県庁の空彩と富士の紺 — ある夕暮れのやわらかな誓い
- 山崎行政書士事務所
- 1月16日
- 読了時間: 4分

1. 県庁と富士山の夕映
室井 光はまだ十五か十六ほどの年ながら、静岡県庁の見習い職員として雑用を任されていた。定時の鐘が鳴り、人々が仕事を終えて帰り支度を始めるころになると、光はこっそりと上階へ足を運ぶ。理由はただ一つ――大きな窓から、夕刻の富士山を眺めるためだった。その日は空気がからりと澄んでいて、西の空が緩やかな橙色に染まっている。よく見ると、富士山の稜線が薄い紺のシルエットを浮かばせていた。光はほんの少し胸を弾ませながら、静かに「いつか、あの山に登ってみたいな…」と、誰にも聞こえない声でつぶやく。
2. 出会い:少女・清とのすれ違い
その夕方、県庁の廊下で光は人影と軽くぶつかった。書類の束を抱えていた少女が思わずよろける。「ごめんなさい、大丈夫?」「いえ…私こそ前を見ていなかったので」少女は清と名乗った。彼女は病気の姉のため、助成金か何かの手続きで県庁を訪れているのだという。しかし窓口が多く、手続きが複雑で困っていた様子だった。「もしよかったら、書類を見せてくれる? ここで雑務をやってるから、少しはわかるかも」光が声をかけると、清はほっとした表情で頷いた。書類の整理を手伝い、一段落ついたころには、すっかり日も傾きかけている。「ここから見える夕焼け、すごく綺麗だよ。上の階に行くと、富士山が大きく見える」二人は連れ立って階段を上がり、人気のないフロアの大きな窓に辿り着いた。
3. 風の声と願い事
窓の外には赤紫から金色へと変わりゆく空が広がり、遠くにそびえる富士山は、その稜線を紺色のグラデーションへと染め始めている。まるで、光と闇のはざまで揺らめくひとかけらの紋様のようだ。「きれい…」清は息をのんでつぶやき、光もまた言葉を失ったように見入る。すると、不意に風が強く吹き込み、開けた窓からカーテンが大きくはためいた。二人は慌てて窓を閉めようとするが、その一瞬の間に、かすかな囁きが聞こえた気がした。「あなた方の願いは、あの山の光とともに届くでしょう…」清は病床の姉を救いたいと心で祈り、光は「僕も何か力になりたい」と強く思った。それは幻聴か何かのイタズラか――けれども確かに、胸の奥に優しい温度が宿るのを感じる。
4. 守衛の老人の昔話
やがて書類の用件を終えて廊下を歩いていると、定時後の見回りをしている守衛の老人が声をかけてきた。「おや、まだこんな時間に上にいたのかい。なかなか物好きだねえ」冗談めかして笑う老人に、光が「窓から富士山を見ていました」と答えると、老人は「それはいい」と相好を崩す。「昔ここは、県庁なんぞ建つ前は広い空き地でね。夕暮れの富士山を拝むと災いが避けられるとか、病が治るとか、そんな言い伝えがあったんだよ。案外まんざらウソでもないかもしれないねえ」そう言って、老人はウインクひとつ残して、静かに階段を降りていった。
5. クライマックス:夕焼けの奇跡
数日後、清は再び県庁を訪れた。姉の体調が思わしくないという知らせが入り、急いで追加の書類手続きをしなければならなくなったのだ。運よく仕事を終えた光が玄関ホールで彼女を見かけ、「まだ少し時間があるなら、また夕焼けを見に行こう」と誘う。ちょうど日は傾きはじめ、西の空が輝きを増している。二人は最上階近くの展望スペースへ駆け上がった。そこから見下ろす街は、オレンジ色の光に染まり、ビルや家々の輪郭が長い影をのばしている。遠くには富士山が、朱色から紫色へ、やがて深紺に移ろうグラデーションをまとう。風が軽やかに窓辺をなで、まるで「姉のこと、ちゃんと聞いているよ」と囁いているかのようだった。清はこらえきれず涙を流しながら、「お姉ちゃん…良くなって」と山に向かって祈る。光はそんな彼女の背をそっと支え、「大丈夫だよ。きっと大丈夫」と小さく呟く。
6. 結末:それぞれの想いと余韻
それからしばらくして、清の姉は小康状態を保ち、回復へ向かう兆しが見え始めたという知らせが届いた。清は姉の看病に全力を注ぎ、県庁の手続きはひとまず落ち着いたようだ。夕刻、光はいつものように上階の窓に立ち、夕日を受けて山頂がほんのり赤みを帯びる富士山を見つめる。あの山の向こうに清や姉がいるのだと思うと、心が温かいもので満たされる。「いつか、あの頂きに登って、もっと遠くまで見渡せるようになりたい。清や、その姉さんを、ずっと応援できるような自分になりたい」光はそう胸に誓い、風がやわらかく吹いてカーテンを揺らすのを感じた。外はもう紺色へと変わりかけた富士山と、街にともりはじめる小さな灯りが美しい対比を描いている。願いがすべて叶う保証はないけれど、確かに何かが届き始めている――そう信じられる夕暮れだった。山頂のかすかな光が、まるで優しい合図のように、光の瞳を照らしていた。
(了)





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