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神輿 — ある首相の儀式

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月15日
  • 読了時間: 6分


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1. 最年少首相・御子柴(みこしば)の孤高

歴代最年少で総理大臣に就任した**御子柴(みこしば)は、抜群のカリスマ性と柔軟な政策対応力で、就任当初は「若きリーダー」と国民から高い支持を得ていた。しかし、彼の胸中には幼い頃からの“皇室行事への憧憬(しょうけい)”**が燃(も)えていた。学童期のある日、近くの神社で見た御神輿(みこし)の威容(いよう)と、それに続く皇室儀式をテレビで目撃し、「日本の中心とは天皇そのもの。自分こそが神輿として日本を新たに生まれ変わらせる存在だ」と、歪(ゆが)んだほどに思い込むようになっていたのである。

2. 政治の現実と“神輿論”の温度差

就任してしばらくは、社会保障や経済政策をそつなくこなし、内閣支持率(しじりつ)も安定していた。閣僚(かくりょう)や与党幹部たちは「御子柴総理は若いが柔軟。派閥(はばつ)を超えてまとめられる」と評価(ひょうか)し、その華やかなイメージをメディアでアピールした。だが、肝心(かんじん)の御子柴本人は、日に日に**“自分の本意”**から遠ざかっている気配を感じていた。地味な審議(しんぎ)や利害調整(りがいちょうせい)に追われ、“日本を再生させる神輿たる総理”という理想と現実政治との溝(みぞ)は広がるばかり。

3. 皇室儀式での拝謁(はいえつ)、芽生える狂信

あるとき、皇室で行われる年間行事の一環として、天皇が臨席する儀式があり、総理大臣として御子柴も参列する機会があった。そこへ足を踏み入れた瞬間、厳かな神事の響き、光を落(お)とした会場に漂(ただよ)う清浄な空気が、御子柴の胸を一気に震(ふる)わせる。「やはり天皇陛下は神そのものだ。この日本を支えるために、陛下の神輿として俺が……」その思いが確信に変わり、彼の瞳(ひとみ)は燃え上がるように輝(かがや)きはじめる。だが、儀式を後にした周囲の人々は、ただ形(かたち)だけの挨拶(あいさつ)を済ませると淡々(たんたん)と日常に戻(もど)っていく。誰も彼の激しい感動(かんどう)を共有(きょうゆう)してくれない。

4. 孤立を深める総理、奇妙(きみょう)な“神輿”への執心

その頃、与党内では消費税増税(ぞうぜい)案や、外交問題をめぐる保守・リベラル議員の衝突(しょうとつ)が続き、御子柴の“まとめる力”が試されていた。しかし彼はすでに現実政治の諸問題(しょもんだい)に興味を失い、“天皇を戴(いただ)き、日本を新生させるための神輿”としての自分という狂信(きょうしん)に陥(おちい)っていた。

  • 「立法(りっぽう)? 財政? そんなものは形式だ……。


    日本を真の皇国(こうこく)に甦(よみがえ)らせるには、血を流(なが)してでも示すしかない」


    周囲は首相官邸での会議や省庁(しょうちょう)との調整に追われるが、御子柴はそれらを副(ふく)の者に任(まか)せ、自分は閉(と)ざされた部屋で古代の神事や武士の資料を読み耽(ふ)けるようになる。

5. クライマックス前夜、会見室を巡る噂

ある重大な法案――たとえば防衛関連(ぼうえいかんれん)か、皇室典範(こうしつてんぱん)の改正(かいせい)に近いもの――の採決(さいけつ)を控(ひか)え、首相官邸にはメディアのカメラがずらりと並(なら)ぶ。深夜、官邸の会見室(かいけんしつ)には警備員(けいびいん)と少数のスタッフしかおらず、閑散(かんさん)とした空気が漂う。その静けさの中で、御子柴の姿がふと会見室の壇上(だんじょう)にあり、何やら呟(つぶや)きながら机を見つめているという噂(うわさ)が秘書の間で囁(ささや)かれる。“もしや総理、今夜重大な宣言(せんげん)をするつもりでは……?”スタッフが怪(あや)しむ間に、次の瞬間、会見室のライトが急に光を放ち、御子柴が一人でテレビカメラを前に立っているという報告が走(はし)る。

6. 神輿(みこし)――自らを陛下の代わりに捧(ささ)げる儀式

官邸スタッフが駆(か)けつけると、そこには**剣道着(けんどうぎ)**のような白装束(しろしょうぞく)を身にまとった御子柴が、壇上に立っている。マイクは回され、カメラはまだ生放送には切り替わっていないが、彼の目には尋常(じんじょう)ではない光が宿(やど)る。

御子柴「日本の国体(こくたい)を真に復興(ふっこう)するため、私は自らを“神輿(みこし)”とし、陛下のため身を賭(か)する覚悟である。……血をもって証明(しょうめい)せねば、この国(くに)は再生しない。」周囲が「総理、何を……!?」と止めようとするが、彼はニヤリと微笑(ほほえ)み、ゆっくりと懐(ふところ)から短刀(たんとう)を取り出す。カメラの赤いランプが点灯(てんとう)する気配に、「やめろ!」の声が飛び交うが、御子柴は動じない。

7. 喝采(かっさい)なき切腹、悲惨な幕切れ

突然(とつぜん)、御子柴は短刀を握(にぎ)り締め、一気に自らの腹(はら)へ押し込もうとする。スタッフや警護(けいご)のSPが飛びかかるが、刃はすでに彼の体を斬(き)り裂(さ)き、真っ赤な血が会見室の床(ゆか)を染(そ)めていく。彼は歯を食いしばりながら声を絞(しぼ)り出す。

御子柴「これこそ……天皇陛下を中心とする日本の再生……見よ……俺は……」しかし周囲は「医療班を呼べ!」「止血(しけつ)しろ!」と大混乱(こんらん)。マイクは落(お)とされ、カメラも慌ただしく遮断(しゃだん)されるが、一部始終(いちぶしじゅう)の映像がわずかに外部へ流れ、SNSが騒然(そうぜん)となる。

8. そして静寂(しじま)が降りる首相官邸

命(いのち)を繋(つな)ぎとめる間もなく、彼は大粒(おおつぶ)の血(ち)を吐(は)きながら意識を失う。医療班が到着したときには、御子柴はすでに息絶(いきた)えていた。**“華やかで若き首相”**としてメディアを彩った御子柴の死は、全国に衝撃(しょうげき)を与えるが、同時に「狂人の自殺か」「理解不能(りかいふのう)」「昭和の亡霊が甦(よみがえ)ったか」など、嘲笑(ちょうしょう)まじりの論調が渦巻(うずま)く。政治評論家たちは「自己陶酔による暴走(ぼうそう)」と冷やかに言い、与党の幹部らも「彼は何を勘違いしていたんだ……」と肩をすくめる。誰も彼の“純粋な魂”や“神輿としての殉教”を真正面から受け止める者はいない

9. 悲劇と結末──誰も見ない“神輿”の行方

葬儀(そうぎ)にあたっても、御子柴の死は“職務中の不慮(ふりょ)の事故”あるいは“精神疾患(しんけいしっかん)の果ての狂気”として淡々(たんたん)と処理され、国葬(こくそう)などにはならない。ごく普通の議員葬で、同僚らの形だけの弔辞(ちょうじ)と、わずかな追悼(ついとう)番組が流される程度。その後も日本は粛々(しゅくしゅく)と国政を進め、国会は新首相のもと経済政策や外交協議に追われる。メディアは別のスキャンダルや国際情勢を報じ、御子柴が自らの血を注(そそ)いで叫(さけ)んだ“日本再生”の姿など、すぐに忘れ去られていく。結局、“死によって美を証明する”試みは、現代の社会では何の共感も呼ばず、政治は変わらず、ただ首相官邸の会見室に残った血の痕(あと)が、しばらくは消えないまま清掃員に拭(ふ)き取られ……それで終わりだ。

結び

こうして物語は、御子柴という若き首相が“天皇の神輿”となるべく悲壮(ひそう)な行動を起こし、結局は死に至(いた)るという悲劇的かつ壮絶な結末を迎える。しかし彼の理想は誰にも理解されず、身を挺(てい)して示そうとした尊いはずの死は、周囲に“狂気としか言いようがない”と受け止められ、国民の記憶には一時の衝撃としてしか残らない。己(おのれ)の身体(からだ)を賭し、日本を変えようとした美は現代社会の“合理主義”に呑(の)まれ、虚無(きょむ)だけが冷たい余韻(よいん)として漂(ただよ)う――それが**「神輿(みこし) — ある首相の儀式」**の悲壮なラストである。

 
 
 

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