top of page

秋の停車場




秋の深まりゆく午後、チェコの小さな町の無人駅に、一両編成の列車が静かに滑り込んできた。ホームには人影もまばらで、木造の小さな待合室が夕日に照らされている。列車が停まり、やがてドアが開くと、幹夫は重い革の鞄を抱えてゆっくりと降り立った。枯葉を踏む音がかすかに響き、車輪の軋む金属音が静寂に溶けていく。

ゆっくりと扉が閉じ、列車は再び動き出した。幹夫が振り返ると、車窓越しにわずかに見える乗客の姿もすぐに遠ざかっていく。エンジンの音が次第に小さくなり、列車が去ったあとのホームには静寂だけが残った。澄んだ空気を深く吸い込むと、乾いた木の葉と線路脇に茂る草の匂いが鼻をくすぐった。駅名を示す小さな看板があり、チェコ語の地名が夕空の下で読めはしないが、それだけで異国の趣きを漂わせていた。幹夫はコートの襟元を軽く合わせ、ゆっくりと駅の出口へ歩き出した。

幹夫は数ヶ月前から創作の糧を求めてヨーロッパ各地を放浪していた。若い頃に憧れた画家たちの足跡を追い、名だたる美術館を巡ってみても、心の中の迷いは晴れないままだった。日本を発つ前、師から「自分の目で世界を見てこい」と送り出された言葉が、旅の途上で幾度となく蘇る。それでもなお、自分が本当に何を描きたいのか掴めずにいる焦燥が、幹夫の胸には燻り続けていた。だからこそ、この静かな片田舎の風景に身を置けば、何かが変わるかもしれない——そんな思いが彼をこの町へと導いたのだった。

駅を出て、小道づたいに町の方へ歩いていく。周囲には秋草の生い茂った野原が広がり、道端には赤や黄に色づいた木々が立っていた。傾きかけた陽光が遠くの丘を黄金色に染め、小さな家々の赤茶けた屋根が点々と見える。煙突からは薄く煙がたなびき、夕餉の支度でもしているのか、かすかに暖かな煙の匂いが漂ってきた。

幹夫は足を進めながら、静まり返った周囲の音に耳を澄ました。遠くで教会の鐘が一つ鳴り、小鳥のさえずりがそれに答えるように響く。

やがて石畳に変わった道沿いに、白壁に赤い屋根の家々が軒を連ねる小さな町に入った。窓辺に花を飾った家や、木造の看板を掲げた雑貨店らしき店が見受けられる。通りには人影が少なく、遠くで子供の笑い声が一瞬聞こえたかと思うと、すぐにまた静けさが戻った。やさしい灯りが漏れる建物の前に「Penzion」と書かれた看板を見つけ、幹夫はそこが宿屋だと察する。古びた扉を開けると、中から暖かな空気とスープのような香りが流れ出てきた。

カウンター越しに現れた女主人に、幹夫は片言の英語と身振りで今夜の宿を求めたい旨を伝えた。女主人は柔らかな笑みを浮かべ、鍵を手渡してくれた。言葉は通じなくとも、その表情から温かなもてなしの心が伝わってくる。通された二階の一室は狭いが清潔で、木の家具と白いリネンのシーツが質素に整えられている。小さな窓からは先ほど幹夫が歩いてきた駅方面の道が見え、暮れゆく空の下に淡い茜色が滲んでいた。幹夫は鞄を床に置くと、窓際の椅子に腰を下ろした。

窓の外では、夕闇が少しずつ町を包み始めていた。あたりの家々から漏れる明かりが点々と瞬き、街路に長い影が伸びている。幹夫はじっとその景色を眺めながら、自分の内側に耳を澄ました。パリやプラハの喧騒の中では聞こえなかった心の声が、この静けさの中でかすかに蘇ってくる気がした。「自分の目で世界を見てこい」——師の言葉が再び胸によみがえる。しかし今の自分に世界はどう映っているのだろうか、と幹夫は自問する。

ランプを灯し、小さな机にスケッチブックを広げてみた。白いページを前に鉛筆を握る指先がわずかに震える。描きたいものが定まらず、旅の間ずっと空白が続いていたスケッチブック。幹夫は窓の外に目をやり、暮れ残る空と静かな町並みの輪郭を心に留めると、そっと鉛筆を走らせた。最初は線がぎこちなかったが、いつしか無人駅に降り立ったときに見た光景や、肌で感じた空気の冷たさまで紙の上によみがえってくる。鉛筆の先から少しずつ形が生まれ出るにつれ、幹夫の胸の内にも久しく忘れていた温かみが灯り始めるのを感じた。

夜明け前、幹夫はふと目を覚ました。窓の外はまだ薄紗を掛けたような蒼い空気に包まれている。彼はスケッチブックと鉛筆を手に静かに宿を抜け出すと、朝もやの立ちこめる町を駅の方へと歩いていった。草葉に残る露が靴を濡らし、ひんやりとした空気が頬を撫でていく。やがて東の空が白み始め、黄金色の光がゆっくりと野原を照らし出した。幹夫は足を止め、その光景を胸いっぱいに吸い込む。心の奥で何かがほどけ、新しい息吹が生まれるような感覚があった。遠く汽笛が響き、朝の静寂を優しく揺らす。幹夫は微笑を漏らすと、再び歩き出した。その足取りは、昨日までの自分とはどこか違っているように思えた。

 
 
 

コメント


Instagram​​

Microsoft、Azure、Microsoft 365、Entra は米国 Microsoft Corporation の商標または登録商標です。
本ページは一般的な情報提供を目的とし、個別案件は状況に応じて整理手順が異なります。

※本ページに登場するイラストはイメージです。
Microsoft および Azure 公式キャラクターではありません。

Microsoft, Azure, and Microsoft 365 are trademarks of Microsoft Corporation.
We are an independent service provider.

​所在地:静岡市

©2024 山崎行政書士事務所。Wix.com で作成されました。

bottom of page