第七作 「残響の鉄路――儚き灯に宿る亡霊」
- 山崎行政書士事務所
- 1月26日
- 読了時間: 10分
更新日:1月27日

序章 静岡に棲む影
静清鉄道の改札口を、柔らかな朝の日差しが照らす。通勤・通学でごった返す活気の中に、ふと目をひく異様な光景があった。 一人の中年男性が青ざめた顔でうつむき、何かに怯えている。周囲の客が怪訝そうに振り返ると、その男は突如として叫んだ――
「やめろ……おまえは、死んだはずだ……!」
ホームは一瞬にして騒然となる。意味不明の言葉を吐く男の視線の先には、誰もいないはずのスペース――まるで“何か”がそこに立っているようだった。 ――その騒ぎを聞きつけ、たまたま近くを歩いていた**上原勝(うえはら まさる)**刑事は、男を落ち着かせようとする。彼こそ、十年前から続く“清水家”事件を追い続けてきた男である。
「あんた、一体何を……?」 男は恐怖で震える唇をかみしめて言った。 「鉄路に亡霊が見えたんだ……十年前に死んだはずの少年が、じっと私を睨んでた……」
そう――あの少年。清水家の血を宿し、“桂おばあちゃん”の復讐の片棒を担がされ、最期は暴走列車から転落し命を落としたはずの、あの子供。 それは錯乱なのか、本当に亡霊の仕業なのか――。かつて恐るべき惨劇の中心にいた上原には、到底無視できない話だった。
第一章 十年前の深い爪痕
十年前、静清鉄道の夜間を舞台に凄惨な暴走事件が起きた。少年が無人列車を操ろうとし、結局は自ら車外に投げ出されて死んだ。 ――事件が終わったかに思えたその後も、上原の心には重い罪悪感が残っていた。 「少年はただ洗脳されていただけで、本当は普通の子供として生きるはずだった。俺は救えなかった……」
当時と比べ、上原は年をとり、顔には皺が深く刻まれている。未解決事件の資料を机に積み上げ、警察内部でも「しつこい執念だ」と揶揄されるほど、清水家の闇を追い続けてきた。 それでも完全な真相は掴めていない。清水桂の遺体も見つからず、共犯者とされる関係者たちも謎のまま。事件の“本当の終わり”を誰も見届けていないのである。
第二章 「新清水駅」の落書き
そんな中、静清鉄道の主要駅である新清水駅の構内に、ある落書きが見つかった。 夜間に侵入された形跡はないのに、白い壁に赤いペンキで書かれた文字――
「ぼくはまだ ここにいるおかえりを待ってる清水**」
「清水」の後に名前らしきものが書かれていたが、途中で筆が乱れ、判読不明になっている。「清水○○」という形に見えなくもないが……。 警備員は、「つい先ほどまで、こんな落書きはなかった」と証言する。監視カメラにも不審人物は映っていない。まるで亡霊が一瞬にして記したかのように不可解だ。 上原はしばし黙考する。この文字、十年前の“少年”のイメージが強く重なる。誰かが少年の名を騙っているのか、それとも……?
第三章 謎の失踪者たち
同時期、静清鉄道沿線では奇妙な失踪が相次ぎ始める。被害者はいずれも、中年から高齢の男性ばかり。共通点として、「十年前の少年暴走事件を目撃していた人物、あるいは事件当時に捜査協力していた者」が多いことがわかった。 ある者は夜勤からの帰り道に失踪し、ある者は駅周辺の商店を出たあと行方不明になる。失踪現場には必ず“赤いシミ”のようなものが見つかり、被害者の所持品が道端に転がっている。血痕にしては微妙だが、不気味に赤黒い痕。 「まさか、十年前に少年を取り巻いていた大人たちに対する“復讐”なのか……?」
上原の推測を聞いた同僚たちは、「清水家関連の怨念なんて、とっくに終わった話だろう」と取り合わない。しかし、一連の動きが“少年の亡霊”を思わせることに、上原は強い不安を感じる。
第四章 薄暗い車両からの囁き
ある晩、上原はふとした用事で静清鉄道の終電に乗っていた。車内はほとんど客がいなく、蛍光灯の薄明かりが不気味に揺れている。 向かいの席には、疲れ切ったサラリーマン風の男が一人。途中駅で、その男が降りたあと、車内には上原だけが残る形となった。 ――と、突然の金属的なきしみ音。誰かが隣の車両の扉を開けようとしているようだ。終電間近、しかも他に乗客はほぼいないはず……?
上原が立ち上がり、連結部に向かう。薄暗い扉のガラス窓越しに、何か人影らしきものが見えた。しかし、ドアを開けると誰もいない。 その瞬間、微かな子供の声が耳元で響いた。
「……ぼくを……置いていくの……?」
反射的に振り向くが、そこには暗い通路があるだけ。 ――空耳か、幻聴か。だが、上原の胸は激しく鼓動する。十年前のあの“少年”の声にどこか似ていたからだ。
第五章 見えざる追跡者
失踪者たちに関する新たな情報がもたらされる。ある被害者が失踪直前、家族に「少年らしき影に導かれて、駅へ向かった」と電話していたというのだ。 しかも、その声は「上原勝の名前を出していた」らしい。 「上原刑事に頼まれたんだ、駅で会う予定なんだ」と言い残し、消息を絶っている。 当然、上原本人にはそんな記憶はなく、何者かが自分の名を騙った可能性が高い。
まるで見えない追跡者が失踪者を誘い出しているかのようだ。過去にあの事件で関わった人間を次々と狙い、何らかの目的を果たそうとしている――。 「やはり、少年の亡霊……あるいは“それを利用する第三者”が動いているのか?」
第六章 回想する警官たち
上原は捜査のため、当時の事件を知る関係者を再び訪ね歩く。十年前の暴走列車を操作しようとしたあの少年は、実際に“清水家”の血筋であるらしいが、詳細は不明のままだった。母親・村上美月の残した記録や、老女・清水桂の行動も未解明が多い。 とりわけ、当時捜査に当たった警官の一部が後に退職し、今回の失踪者リストに含まれていることが判明した。 上原の元上司だった坂下管理官も、現在は退職して地方で静かに暮らしているらしい。 「坂下さんも危ないかもしれない……」
胸騒ぎを覚えた上原は、早速坂下の住む町へ電話を入れる。しかし、つながらない。もしや既に――。
第七章 夕闇の駅、再び
いても立ってもいられなくなった上原は、翌日早朝、坂下が住む郊外の集落へ車を飛ばす。だが、そこに坂下の姿はなく、家の玄関は開け放しで荒れた形跡だけが残っている。 室内のテーブルにはメモが一枚。走り書きのような文字――
「呼ばれている。あの子に。電車に乗らねば――上原、すまない」
坂下は明らかに“何者か”の囁きに取り憑かれたかのように、自ら静清鉄道へ赴いたとしか思えない。 時を同じくして、静清鉄道から緊急連絡が入る。**「深夜、留置線で警備員の一人が謎の少年を目撃し、その後行方不明になった」**というのだ。 「また出たか……今度は留置線を拠点に何を企んでいる……?」
十年前とまったく同じ手口――レールをハッキングし、闇の時間帯に“亡霊列車”を動かそうとしているのか。上原の脳裏には嫌な予感しか浮かばない。
第八章 再来する亡霊列車
夜。上原は若手刑事を数名連れ、新静岡駅や留置線周辺を警戒する。鉄道会社の協力で、深夜の電力供給を段階的に停止しようとするも、駅舎の一部システムが謎のエラーを起こして抵抗されている。 23時半。最終電車が出たあと、警備員から「坂下元管理官らしき男性が改札を通り抜け、留置線へ向かった」という通報が入る。上原は急行し、薄暗い構内を捜索する。 案の定、留置線に止められた一両の車両がいつの間にか動き出し、ゆっくりと線路を滑り始めていた。 「やはり……!」
運転席を覗き込むと、そこには呆然とハンドルに手を置いている坂下の姿。傍らには、か細い人影が立っている。――それは、十年前に死んだはずの少年に似たシルエット。 「坂下さん、やめろ! 離れろ!」 上原が叫んでも、坂下はまるで催眠状態のように反応が鈍い。少年の幻影が彼を操っているのか。それとも、少年に似た“別人”が継続的に洗脳を行っているのか……。
車両のライトが一気に煌き、車両はポイントを切り替えて本線へと合流していく。まるで闇の底へ吸い込まれるように――。
第九章 最後の生贄
上原たちは非常用車両を発進させ、亡霊列車の後を必死に追う。だが、ポイント切り替えが何度も妨害され、なかなか追いつけない。激しい夜風のなか、レールがきしみを上げ、スパークを散らす。 やがて亡霊列車は、ちょうど十年前の惨劇を呼び起こすかのように狐ヶ崎駅へ接近。速度を緩めることなくホームへ突っ込めば多くの死傷者が出る危険がある。 「坂下さん……目を覚ませ!」 上原は無線越しに絶叫するが、返事はない。
――その刹那、ホームの先端に誰かが立ち尽くしているのが見えた。少年のようでもあるし、黒い服を纏った小柄な人間のようにも見える。彼(あるいは彼女)はレールの前に腕を広げ、まるで列車を呼び寄せるかのように微動だにしない。 悲鳴がホームを駆け巡る。駅員たちが止めようにも間に合わない。亡霊列車はその“影”めがけて突き進む。 寸前のところでハンドルが大きく操作され、車両が激しく揺れる。その瞬間、列車はポイントで脱線。車体が横転し、鉄骨を軋ませながらゴォンッという轟音とともに停車した。
追いかけていた上原たちが駆け寄ると、運転席には坂下が血まみれで倒れている。かろうじて息はあるようだが、意識不明。隣にいたはずの“少年”の影は消え失せた。 ホームにいた影は跳ね飛ばされたらしく、そこには細身の黒服が散乱し、下敷きになった遺体らしきものがある――が、その正体は判別が難しいほど損傷が激しかった。 「これは一体……誰なんだ……?」
やがて警官たちが瓦礫をどかすと、その身体は成人女性とも思える骨格だった。頭部はひどく潰れ、顔は見えない。ただ、手元には血で汚れた写真。 そこには十年前の少年が写っており、裏にはこう書かれていた。
「愛しているよ――お母さんより」
結末 残響の鉄路
今回の暴走事故で亡くなったのは誰なのか。写真から見て、その女性は**“少年の母”**を名乗る存在だったのかもしれない。だが、十年前に少年の実母だった「村上美月」は既に亡くなっているはず……。 あるいは、少年の失われた命を埋め合わせるため、どこからともなく現れた狂信的な女性か。いずれにせよ、彼女は“少年の代わり”に亡霊列車を走らせ、その最期で坂下をも犠牲にしようとした。 坂下元管理官は重体のまま病院へ搬送されたが、意識が戻ることなく数日後に息を引き取った。かつての上司を救えなかった上原は、深い無力感に打ちひしがれる。
ほどなく警察の捜査で、遺体からDNAが採取されるも照合先は出てこず。“少年”の目撃証言も結局は曖昧で、真実は再び闇の中へ沈んだ。 「十年前のあの少年の亡霊は、母とされる存在と共に再び静清鉄道を血に染めたのか――。それとも、別の誰かが“少年”という幻を演出したのか……?」 どちらにせよ、狂気と怨念に操られた“影”は多数の犠牲を生み出した。
事件から数週間後。 上原は静かな夕暮れの狐ヶ崎駅ホームに立っていた。列車が行き交うたび、あの少年の姿がよぎる――失意のまま死んでいった幼い瞳と、母なる存在の悲痛な愛。 この鉄路には、まだ何か不条理な怨念が棲みついているのではないか……。そんな不安が絶えず胸を締めつける。 ホームに吹く風が、遠い日の叫びを運んでくるようだった。
――こうして、“残響の鉄路”に宿る亡霊はまたしても流血の惨劇を招き、最後まで真相は明らかにならないまま幕を下ろした。 少年の幻影は、本当に消え去ったのか。あるいは、また別の影を生んで姿を変え、いつまでも乗客の恐怖を掻き立て続けるのか――。静清鉄道のレールは、今日も日常の乗客を運びながら、その深い暗い影を抱え続けている。
(第七作・了)
あとがき
十年前に死んだはずの“少年の亡霊”が再び姿を見せ、人々を幻惑する形で始まった今回の事件。しかし結局、その正体が何者であったのか確たる証拠は得られず、要(かなめ)となる人物たちは悲劇的な最期を迎えました。もしかすると、本当に少年の幽霊が母を呼び寄せたのかもしれないし、あるいは新たな狂信者が“母と少年”を騙っていたのかもしれません。いずれにせよ静清鉄道をめぐる“血塗られた呪縛”は、まだどこかで息づいているように思えます。
もし続編があるとすれば、今回犠牲となった坂下元管理官の死をきっかけに、上原刑事がさらに闇の奥を追究することになるかもしれません。あるいは、今回現れた“母”の正体――「村上美月」の秘密を継ぐ存在との繋がりが新たな惨劇を呼ぶかもしれない。果たして静清鉄道のレールが抱える闇は終わりを迎えるのか、それとも、またもや亡霊を生み出すのか……。血と呪いに彩られた鉄路の物語に、真の終着駅は見当たらないのかもしれません。





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