第12話 静鉄全駅、広告より目立つ相談者
- 山崎行政書士事務所
- 5月12日
- 読了時間: 13分

静岡市葵区、青葉通りから少し入った山崎行政書士事務所では、その朝、陽翔が妙にそわそわしていた。
いつもそわそわしていると言えばしている。 しかし今日のそわそわは、いつもの「新しいファイル名を思いついた」系ではない。 もっと大きい。 もっと駅っぽい。 もっと広告っぽい。
「所長、今日あたり来ますよ」
陽翔は入口のほうを見ながら言った。
「何が?」
山崎香澄が深蒸し茶を淹れながら尋ねる。
「波です」
「波?」
「相談者の波です。静鉄沿線に出した広告、昨日から掲出開始ですよね」
さくらが窓の外を見た。
「そういえば、新静岡駅にも貼ってありましたね。山崎行政書士事務所の広告」
その広告は、香澄が少し迷った末に出したものだった。
大きな文字で、こう書かれている。
契約書、許認可、相続、IT法務、クラウド、ISMS。 地域の困りごとに、入口を。
その下には、山崎事務所の小さな写真と、青葉通りの木々を背景にしたやわらかなデザイン。 陽翔が勝手に提案した「契約書、怖くないよ!」という吹き出しは、悠真によって即座に却下された。
「でも、広告を見てすぐ来る人なんて、そんなにいますか?」
あやのが赤ペンを片づけながら言う。
「います」
陽翔はきっぱり言った。
「静岡の人は、気になったら意外と早いです。しかも静鉄沿線です。新静岡から新清水まで、相談が電車に乗ってやってきます」
悠真が書類を整えながら言った。
「相談が乗ってくるわけではありません。相談者が乗ってきます」
「細かいですね」
「大事です」
そのとき、入口の鈴が、からん、と鳴った。
一人目の相談者は、買い物袋を提げた女性だった。
「あの、広告を見て来ました。新静岡駅で」
陽翔が小さく拳を握った。
「来ました。新静岡第一号」
「駅名で呼ばないでください」
香澄が笑顔で迎える。
女性は、青葉通り近くで雑貨店を営む小野田と名乗った。
「ネットショップを始めたんですが、取引先から業務委託契約書を送られてきて。三ページなんですけど……」
事務所内の全員が、一瞬だけ反応した。
陽翔が震える声で言った。
「三ページ……」
悠真が静かに言う。
「油断してはいけません」
小野田は目を丸くした。
「えっ、三ページって危ないんですか?」
あやのがにっこり笑って赤ペンを持った。
「危ないかどうか、未来の喧嘩を減らすために見てみましょう」
「未来の喧嘩?」
「はい。契約書チェックは、未来の喧嘩を減らす仕事です」
香澄はうれしそうにあやのを見た。
陽翔はメモを取る。
「広告第一号、名言つき」
「実況しない」
悠真が言った。
小野田の契約書には、納期、返品対応、写真素材の著作権、秘密保持、販売データの利用範囲が入り混じっていた。あやのが赤ペンで線を引き、かなえが条文を整え、香澄が「相手を疑うのではなく、お互いの仕事を守るため」と説明する。
小野田は帰り際、ほっとした顔で言った。
「広告を見たとき、“相談してもいいんだ”って思えたんです」
その言葉に、香澄は少しだけ胸が温かくなった。
だが、感傷に浸る暇はなかった。
入口の鈴が、また鳴った。
「広告を見て来ました。日吉町駅で」
次に来たのは、カフェ開業予定の若い夫婦だった。飲食店営業の許可、深夜営業、テラス席、食品表示、アルバイト雇用の話が一気に出てきた。
さくらが付箋を取り出す。
「まず、許可関係と契約関係と労務っぽい相談を分けましょう」
陽翔がうなずく。
「日吉町、カフェ開業編」
「駅名で章立てしないで」
夫婦は、広告の「地域の困りごとに、入口を」という言葉に惹かれたらしい。
「どこに相談していいか分からなくて。保健所なのか、不動産屋さんなのか、税理士さんなのか、全部混ざってしまって」
香澄はやさしく言った。
「全部を山崎事務所だけで解決するわけではありません。でも、どこへ何を相談すればいいか、一緒に整理することはできます」
りながホワイトボードに図を描いた。
店舗。 許可。 賃貸借契約。 食品表示。 スタッフ。 補助金の可能性。 相談先。
夫婦はその図を見て、声をそろえた。
「頭の中が片づきました」
陽翔が感動したように言う。
「りなさんのホワイトボード、静鉄の路線図みたいですね」
「乗り換え案内です」
りなが笑う。
「困りごとの乗り換え案内」
みおがぽつりと言った。
「迷っている人には、最初の駅が必要なんですね」
応接室が少し静かになった。
「結論の妖精、早くも本日の核心です」
陽翔が小声で言う。
「妖精ではありません」
悠真が即座に言った。
午前十一時。
音羽町駅で広告を見たという高齢の男性が来た。
相談は相続だった。
「妻が亡くなって、預金や自宅の名義をどうすればいいのか分からなくて」
事務所の空気が、自然と少し落ち着いた。
香澄がゆっくり話を聞き、悠真が必要な手続きの流れを整理した。戸籍、遺産分割協議、相続人の確認、金融機関の手続き、不動産の名義変更。
陽翔も、このときばかりは軽口を控えていた。
男性は、湯呑みを両手で持ちながら言った。
「広告を見て、ふっと思ったんです。困りごとに入口を、って。私は今、どこに立っているのか分からなかったから」
香澄は静かにうなずいた。
「入口から一緒に確認しましょう。急がなくて大丈夫です」
男性は少しだけ目を潤ませた。
青葉通りの外では、昼前の光がやわらかく揺れていた。
だが、事務所の入口は、今日に限って駅の改札のようだった。
からん。
「広告を見て来ました。春日町駅で」
ITスタートアップの代表が、API連携契約の相談に来た。
からん。
「柚木駅で見ました」
製造業の情シス担当が、Azure移行と責任分界の相談に来た。
からん。
「長沼駅の広告、目立ってました」
介護事業者の管理者が、ISMSと個人情報管理の相談に来た。
からん。
「古庄駅で見たんですけど、建設業許可ってこちらで……」
作業着姿の社長が、許認可の相談に来た。
陽翔はカウンターの横に立ち、なぜか駅員のような顔になった。
「次は、古庄、古庄。建設業許可方面は、さくらさんと所長がご案内します」
「駅員さんごっこをしないでください」
さくらが言いつつ、相談票を受け取る。
奏汰はヘッドホンを首にかけ、春日町から来たスタートアップ代表のAPI構成を見ていた。
「つながるものは、切れることもあります」
代表は真剣にメモを取った。
蓮斗は、柚木から来た情シス担当のAzure構成図を見て、しばらく沈黙した。
陽翔が横から小声で言う。
「蓮斗くんの沈黙が出ました。これは雲の形が決まっていないパターンです」
蓮斗は静かに言った。
「責任分界、バックアップ、監査ログ、権限設計。全部、少しずつ曖昧です」
情シス担当は青ざめた。
「全部ですか」
「少しずつです」
「少しずつのほうが怖いですね」
「はい」
一方、長沼から来た介護事業者の相談では、ふみかがピンクのクリップボードを抱えていた。
「利用者さんの個人情報、介護記録、写真、外部クラウド、職員教育。PマークやISMSの話以前に、現場で続けられる運用にしましょう」
陽翔が通りすがりに言う。
「ピンクのクリップボード、今日も満員電車ですね」
「改善ポイントが多いだけです」
ふみかは笑った。
昼休みは、いつ来たのか分からなかった。
香澄が気づいたとき、時計は午後一時を過ぎていた。
「皆さん、お昼……」
その瞬間、入口の鈴が鳴った。
「広告を見て来ました。県総合運動場駅で」
スポーツ教室を運営する男性だった。相談は、子どもの写真掲載、参加申込書、保険、保護者同意、外部予約システムの管理。
みおが資料を受け取り、しょうこが要点を整理した。
「相談内容は、個人情報、同意書、外部サービス、契約、保険の五つです」
男性が驚いた。
「私、十五分くらい話したのに、一瞬で五つに」
「しょうこさんは、話を圧縮する圧縮機です」
陽翔が言った。
「余計な比喩です」
しょうこは淡々と返した。
その後も相談者は続いた。
県立美術館前駅から来たデザイン事務所の代表は、著作権と秘密保持。 草薙駅から来た家族経営の会社は、事業承継と相続。 御門台駅から来た工務店は、建設業許可と電子契約。 狐ヶ崎駅から来た移動販売の店主は、営業許可とクラウド予約システム。 桜橋駅から来た水産加工会社は、海外委託と個人情報の越境移転。 入江岡駅から来た老舗商店は、EC利用規約。 新清水駅から来た港湾関係の企業は、Azureログとインシデント対応。
陽翔はとうとう、ホワイトボードに静鉄の路線図らしきものを描き始めた。
新静岡 契約書 日吉町 許認可 音羽町 相続 春日町 API 柚木 Azure 長沼 ISMS 古庄 建設業許可 県総合運動場 個人情報 県立美術館前 著作権 草薙 事業承継 御門台 電子契約 狐ヶ崎 移動販売 桜橋 海外委託 入江岡 利用規約 新清水 インシデント対応
悠真がそれを見た。
「正式な相談管理表ではありませんね」
「思い出路線図です」
「今日中に消してください」
「えっ」
「相談者情報なので」
陽翔は一瞬で真面目な顔になった。
「はい。匿名化します」
悠真はうなずいた。
「それなら、学びの整理としては使えます」
陽翔が目を輝かせる。
「悠真さんが路線図を認めた!」
「匿名化された学びの整理を認めただけです」
午後三時、事務所内の全員が、頭の切り替えで少しふらふらしていた。
あやのは契約書から同意書へ。 かなえは秘密保持から海外委託へ。 りなは運用フローから許可手続きへ。 ふみかは個人情報からPマークへ。 蓮斗はAzure構成図から監査ログへ。 奏汰はAPIからM365権限へ。 悠真は相続から契約条項へ。 さくらは付箋の色を間違えかけ、陽翔は一瞬だけ「静鉄全駅制覇スタンプカード」を作ろうとして香澄に止められた。
「今日、脳が新静岡と新清水を往復しています」
陽翔が椅子に座り込んで言った。
「私は途中駅で降りたいです」
さくらが深く息を吐く。
「でも、不思議ですね」
みおが相談票を並べながら言った。
「相談内容は全然違うのに、皆さん最初に同じことを言います」
「同じこと?」
香澄が尋ねる。
「“どこに相談していいか分からなかった”って」
事務所が少し静かになった。
外では、青葉通りの木々が夕方の光を受け始めていた。
確かに、今日来た相談者たちは、業種も年齢も相談内容もばらばらだった。
契約書。 許認可。 相続。 IT法務。 Azure移行。 ISMS。 個人情報。 海外委託。 ログ。 権限。 事業承継。
けれど、その入口は同じだった。
分からない。 不安だ。 誰に聞けばいいのか分からない。 でも、何か始めなければいけない。
広告は、その最初の一歩になっていた。
午後四時半、最後の相談者が来た。
「新清水駅で広告を見ました」
その男性は、清水港近くで倉庫業を営む会社の専務だった。
「契約書も、許可も、クラウドも、どれが相談内容なのか分からないんです。ただ、会社を少し変えようとしていて、でも、何から手をつければいいか分からなくて」
香澄は、今日何度も言った言葉を、もう一度やわらかく言った。
「大丈夫です。まず、困りごとを一緒に並べましょう」
りながホワイトボードに箱を描く。 しょうこが要点を三つにまとめる。 悠真が法的な優先順位を確認する。 蓮斗がシステム面のリスクを拾う。 ふみかが個人情報の扱いを確認する。 かなえが契約の見直しポイントを押さえる。 陽翔が軽口を言いかけて、少し飲み込む。
専務は、最後にこう言った。
「広告より、ここにいる皆さんのほうが目立ちますね」
陽翔が目を丸くした。
「広告より?」
「はい。広告は入口でした。でも、入ってみたら、相談の中身を一緒にほどいてくれる人たちがいた」
香澄は少し照れたように笑った。
「そう言っていただけると、広告を出した甲斐があります」
専務は帰り際、青葉通りの木々を見て言った。
「新清水から来てよかったです。電車一本で、少し気が楽になりました」
入口の鈴が、今日最後の音を立てた。
からん。
その音が消えると、事務所には、ようやく一日の終わりの静けさが降りてきた。
とはいえ、静けさの中には紙が山ほどあった。 相談票。 メモ。 付箋。 契約書のコピー。 構成図。 相続関係のチェックリスト。 許認可の必要書類一覧。 ISMSの初回ヒアリングシート。 Azure構成整理メモ。 そして、陽翔の匿名化された「静鉄相談路線図」。
香澄は全員にお茶を淹れた。
「皆さん、本当にお疲れさまでした」
陽翔は湯呑みを受け取り、深く息を吐いた。
「今日は、静鉄全駅が事務所に来た気がします」
「全駅ではありませんが、気持ちは分かります」
悠真が言った。
「相談内容の切り替えが大変でしたね」
あやのが赤ペンを置く。
「契約書を見ていたと思ったら、相続になって、相続を聞いていたと思ったら、Azureになって」
「私、途中で“検収期間”を“相続期間”って言いかけました」
さくらが言う。
「危険な混線ですね」
奏汰がぼそっと言った。
「脳内M365会議室が予約不能になっていました」
「それ、前回の後遺症です」
陽翔が笑う。
りなは、匿名化した路線図を見ながら言った。
「でも、相談内容は違っても、整理の仕方は似ていました。何が起きていて、誰が関係していて、どこに不安があって、次に何をするか」
しょうこがうなずく。
「入口を作って、分類して、優先順位をつける」
ふみかがピンクのクリップボードを閉じた。
「制度や契約の前に、まず“聞いてもらえる場所”が必要なんですね」
みおが静かに言った。
「地域の困りごとに入口を作るのも、仕事なんですね」
事務所が、ふっと静かになった。
今日一日の騒がしさが、その言葉の中にきれいに収まったようだった。
香澄は窓の外を見た。
青葉通りには夕方の光が差している。 通りを歩く人たちは、それぞれの家へ、会社へ、店へ、駅へ向かっている。 その人たちの中には、言葉にできない困りごとを抱えている人もいるだろう。 どこに相談していいか分からず、書類の束やクラウドの画面や家族の話の前で、立ち止まっている人もいるだろう。
山崎行政書士事務所は、すべてを一人で解決する場所ではない。
けれど、最初に扉を開ける場所にはなれる。
困りごとを並べる場所。 不安に名前をつける場所。 次の相談先へつなぐ場所。 契約書も、許認可も、相続も、IT法務も、クラウドも、ISMSも、まずは話していいと思える場所。
「広告って、目立つためだけじゃないんですね」
陽翔が珍しく真面目な声で言った。
「来ていいですよ、って伝えるためのものなんだと思いました」
悠真が湯呑みを置いた。
「今日はいいことを言いましたね」
「今日は?」
「今日は」
「頻度を上げます」
「期待しています」
陽翔はその言葉に少し驚いた顔をし、それから嬉しそうに笑った。
香澄も笑った。
「では、今日のまとめをしましょう」
さくらがホワイトボードに書いた。
地域の困りごとに入口を。 相談は、最初から整理されていなくていい。 入口を作り、道筋を一緒に探す。
陽翔がそれを見て、そっとメモを取った。
悠真が先回りして言う。
「湯呑みには印字しない」
「まだ何も言ってません」
「顔が言っている」
「今日は広告にします」
「もっと大きい」
全員が笑った。
その夜、共有フォルダに、陽翔が新しいファイルを作った。
「静鉄全駅_広告より目立つ相談者_地域の困りごと入口版.xlsx」
翌朝、悠真はそれを見て、静かに眉を上げた。
「正式な相談管理表ではありませんね」
陽翔は胸を張った。
「思い出フォルダ用です。個人情報は匿名化済みです」
悠真は少しだけ間を置いた。
「なら、残してもいいです」
陽翔は目を丸くした。
「残してもいい?」
「はい」
「歴史的判断です」
「騒がない」
香澄は休憩スペースから、昨日の広告の控えを持ってきた。
そこには、青葉通りの写真とともに、あの言葉が載っていた。
地域の困りごとに、入口を。
ふみかがそれを見て言った。
「昨日は、本当に入口になっていましたね」
あやのが赤ペンを持ちながら笑う。
「そして入口を入ったら、赤ペンと付箋と構成図と湯呑みが待っている」
「湯呑みは関係ありません」
悠真が言った。
奏汰がヘッドホン越しにぼそっと言う。
「でも、温かい飲み物は必要です」
みおがうなずいた。
「難しい話も、少しほどけますから」
青葉通りの木々が、朝の光に揺れていた。
静鉄の電車は、今日も新静岡から新清水へ、そして新清水から新静岡へ走っている。 その沿線のどこかで、また誰かが広告を見上げるかもしれない。 契約書を抱えた人。 許可のことで迷う人。 相続に不安を抱える人。 クラウドの画面を前に固まる人。 ISMSやPマークという言葉に肩をすくめる人。
そんな人たちが、ふと思う。
相談してもいいのかもしれない。
その小さな一歩を受け止めるために、山崎行政書士事務所の扉は今日も開いている。
青葉通りの契約書は、今日も笑う。 静鉄沿線から届く、ばらばらで、真剣で、どこか人間らしい困りごとを、温かいお茶と少しの笑いで迎えながら。





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