第16章 モデルの証言
- 山崎行政書士事務所
- 5月7日
- 読了時間: 19分
午前九時十五分。
Aster Analyticsから、暗号化されたファイルが届いた。
件名は、短かった。
Scenario Stress 04 実行ログ一次提出
三枝涼真は、メールの件名を見ただけで背筋が伸びた。
第三会議室には、すでに主要メンバーが集まっていた。
望月玲子社長。黒崎情報システム課長。秋山法務総務部長。大石倉庫部長。北斗DFIRの久我真琴。山崎行政書士事務所の山崎。そして、Aster Analyticsの榊と森野がオンラインで待機している。
三枝は、受信時刻、差出人、添付ファイル名、ハッシュ値を記録した。もう誰も「そこまで必要ですか」とは言わない。
必要なのだ。
ログは、届いた瞬間から証跡になる。だが、証跡になるかどうかは、扱い方で決まる。
久我が言った。
「まず、隔離環境で開きます」
三枝は頷き、手順書どおりにファイルを移した。
ファイル名は、こうだった。
aster_model_execution_trace_scenario04_20280414.json
JSON。
モデルの実行履歴だった。
画面に、整形されたログが表示される。
run_idmodel_versionscenario_idinput_parameterscreated_byexecution_identitysource_environmentoutput_artifactexplanation_trace
三枝は、最後の項目で目を止めた。
explanation_trace
説明トレース。
モデルが、なぜその結果を出したかを残すためのログだった。
山崎が静かに言った。
「モデルにも、説明のログがあるのですね」
森野が答えた。
「はい。需要予測AIの実証では、経営判断に使う可能性があったため、シナリオごとの前提条件と出力理由を残す設計にしていました」
久我が言った。
「その説明ログが、今回はこちらの証跡になるかもしれません」
森野は、複雑な表情で頷いた。
「そうです」
本来は、AIの透明性のために残したログ。経営者に、なぜこの需要予測になったのかを説明するためのログ。
それが今、攻撃者が何を試したのかを示す証言になる。
三枝は、カーソルを動かした。
execution_identity: eval-runner-ast-04source_environment: retired-eval-sandbox-eastrun_time: 2028-04-14 02:08:12scenario_id: Scenario Stress 04modified_parameters: true
久我が言った。
「退役済み評価サンドボックス。やはり旧環境です」
山崎がすぐに確認した。
「“退役済み”とは、Aster社内の管理上の名称ですか」
榊が答えた。
「はい。retired-eval-sandbox-eastは、実証終了後に停止した評価環境のはずでした」
山崎は、ホワイトボードに書いた。
retired ≠ inaccessible
退役済み。だが、アクセス不能ではなかった。
また一つ、言葉の空白が見つかった。
午前九時四十一分。
久我は、モデル実行ログの入力パラメータを読み上げた。
「East Capacity Reduction、四十パーセント。West Fallback、Active。Cold Chain Priority、High。Contact Notification Delay、Variable。Vendor Response Delay、High。Disclosure Lag、Simulated」
大石が眉をひそめた。
「それ、攻撃のシミュレーションそのものじゃないですか」
森野が、苦しそうに言った。
「元のScenario Stress 04には、災害時の東側能力低下と西側フォールバックはありました。しかし、Contact Notification Delay、Vendor Response Delay、Disclosure Lagは標準パラメータではありません」
山崎が言った。
「つまり、物流シミュレーションに、情報漏えい対応と委託先沈黙と公表遅延の変数が追加されている」
「はい」
森野は頷いた。
「この三つは、実証時の標準仕様にはありません」
久我が、ログの次の行を指した。
「追加パラメータの作成者を見ます」
三枝は、画面をスクロールした。
parameter_source: custom_overrideoverride_file: stress04_override_public_delay.yamlcreated_by: eval-runner-ast-04uploaded_from: external_session_7f91
外部セッション。
会議室が静まり返った。
久我が言った。
「外部セッションから、シナリオ上書きファイルがアップロードされています」
榊の顔色が変わった。
「そのセッションは、当社の通常オペレーションではありません」
山崎がすぐに言った。
「記録します。Aster社によれば通常オペレーションではない。外部セッションから上書きファイルがアップロードされた痕跡。アップロード者の実体は未確認」
三枝は入力した。
09:43 Asterモデル実行ログ確認。Scenario Stress 04に標準外パラメータContact Notification Delay、Vendor Response Delay、Disclosure Lagが追加。override_file stress04_override_public_delay.yaml がexternal_session_7f91よりアップロード。Aster社通常オペレーションではない旨一次回答。実体は未確認。
山崎は、画面の前に立った。
「ここから重要なのは、“AIが攻撃計画を立てた”と短絡しないことです」
大石が言った。
「でも、そう見えます」
「見えます。だからこそ分けます」
山崎はホワイトボードに書いた。
AIが自律的に攻撃した攻撃者がAIシミュレーションを利用した攻撃者が既存シナリオを改変した第三者が実証環境へ不正アクセスしたAster内部の未承認操作
「現時点で確認できているのは、二つ目です。攻撃者または未確認の第三者が、AIシミュレーション環境を利用または改変した可能性。AIが自律的に攻撃を始めた、とは言えません」
久我が頷いた。
「技術的にも同じです。モデルは計算しています。誰かが入力し、誰かが実行環境を使っています」
三枝は、少しだけ息を吐いた。
SFじみた恐怖に飲まれかけていた。
AIが会社を攻撃した。そう言えば、物語としては派手だ。
だが、現実はもっと生々しい。
人間が残した旧環境。契約終了後も消えなかった接続。無効化されていない評価アカウント。曖昧な削除証明。そして、攻撃者が使った可能性のあるモデル。
AIの暴走ではない。
未了の利用だった。
午前十時十二分。
モデル実行ログの中に、さらに厄介な項目があった。
explanation_trace
久我が言った。
「開きます」
三枝は頷き、表示した。
文章が並んでいた。
Primary disruption path:1. Reduce East Warehouse capacity below 60%.2. Force operational fallback to West line.3. Delay vendor confirmation to increase uncertainty.4. Trigger contact-list exposure to increase external communication load.5. Introduce public disclosure lag to amplify trust impact.
三枝は、喉の奥が乾くのを感じた。
主な混乱経路。
東側倉庫処理能力を六十パーセント未満に下げる。西側ラインへの業務フォールバックを強制する。委託先確認を遅らせ、不確実性を高める。連絡先リスト露出を引き起こし、外部コミュニケーション負荷を増やす。公表遅延を導入し、信頼への影響を増幅する。
それは、三か月前の事件の骨組みだった。
望月が、低い声で言った。
「これを、攻撃者は見ていた」
久我は慎重に答えた。
「少なくとも、攻撃者がこの画面または出力の一部を把握している可能性は高いです」
山崎は、画面を見ながら言った。
「モデルは、会社の弱点を説明してしまった」
森野が顔を伏せた。
「この説明トレースは、本来、BCP検討用でした。どこを強化すべきかを理解するために……」
大石が、かすれた声で言った。
「守るための説明が、壊すための説明になった」
会議室は静まり返った。
山崎は、静かに言った。
「説明可能性は、誰に説明するかを決めなければ危険です」
三枝は、山崎を見た。
山崎はホワイトボードに書いた。
説明可能AIにも、説明先の権限管理が必要
「AIの説明ログは、透明性のために重要です。しかし、その説明には、会社の急所が含まれることがあります。誰が見られるのか。いつまで残すのか。契約終了後にどう扱うのか。これも統制対象です」
秋山が言った。
「AIの説明ログまで、契約に入れる必要があるのですね」
「はい」
山崎は答えた。
「モデルそのものだけでなく、入力、出力、説明トレース、評価ログ、シナリオ定義、派生データ。全部です」
三枝は、入力した。
10:14 explanation_traceに、東側能力低下、西側フォールバック、委託先確認遅延、連絡先リスト露出、公表遅延による信頼影響増幅の混乱経路が記録されていることを確認。BCP検討用の説明ログが攻撃利用された可能性。AI説明ログの権限管理・保存期間・契約終了時削除が未了。
保存。
説明は、防御である。
だが、説明もまた、守らなければ攻撃になる。
午前十時五十八分。
Aster社の榊が、外部セッションの接続元について暫定情報を出した。
「external_session_7f91は、匿名化プロキシを経由しています。ただ、認証にはeval-runner-ast-04の古い資格情報が使われています」
久我が聞いた。
「その資格情報は、どこに保存されていましたか」
榊は、目を伏せた。
「旧検証環境のジョブ定義内です。シークレット管理サービスへ移行予定でしたが、未了でした」
黒崎が、思わず苦笑した。
「また未了」
誰も笑わなかった。
森野が言った。
「研究環境では、スピード優先でジョブ定義に資格情報を置いていた時期がありました。本番では許可されていませんが、実証環境では……」
山崎が、すぐに言った。
「実証環境でも、本番業務データや業務モデルに接続できるなら、本番相当の管理が必要です」
森野は頷いた。
「はい」
山崎は、未了事項台帳に追加するよう三枝へ指示した。
U-136 AI実証環境における資格情報管理未了U-137 説明トレースの閲覧権限・削除管理未了U-138 BCPシナリオ情報の業務機密分類未了
三枝は、入力した。
未了が増える。
だが、今度の未了は、Asterだけのものではない。駿河メディカルロジスティクス自身のものでもある。
AI実証に何を渡すか。何を返してもらうか。何を消してもらうか。何を残すか。誰が確認するか。
そこを決めなかったのは、自社でもある。
望月は、画面を見ながら言った。
「Aster社を責めるだけでは終わりません。当社のAI実証管理を全面的に見直します」
山崎は頷いた。
「それが適切です」
午後零時十五分。
昼食は、会議室の隅に置かれた弁当だった。
誰もゆっくり食べなかった。
三枝は、弁当の蓋を開けたまま、モデル実行ログを見ていた。
explanation_traceの続きに、さらに気になる項目がある。
confidence_score: 0.82recommended_observation_window: 48-72htrust_degradation_trigger: delayed disclosure + third-party ambiguity
三枝は、眉を寄せた。
「久我さん、これ」
久我が画面を覗いた。
「信頼低下のトリガー。公表遅延と第三者曖昧性」
山崎も近づいた。
三枝は読み上げた。
「推奨観察期間、四十八から七十二時間。信頼低下トリガー、公表遅延と第三者曖昧性」
望月が顔を上げた。
「七十二時間……」
Blue Heronが最初に突きつけた期限と同じだった。
山崎は、静かに言った。
「攻撃者が七十二時間という期限を使った理由が見えてきました」
久我は頷いた。
「モデルが、四十八から七十二時間の観察期間を推奨しています。攻撃者は、その出力を脅迫文に取り込んだ可能性があります」
秋山が言った。
「つまり、攻撃者はモデルの説明をもとに、当社を揺さぶる時間を決めた」
「可能性があります」
山崎は、すぐに補正した。
「記録は可能性です。断定はしません」
三枝は入力した。
12:18 explanation_traceに“recommended_observation_window: 48-72h”“trust_degradation_trigger: delayed disclosure + third-party ambiguity”を確認。Blue Heronの72時間要求との関連可能性あり。攻撃者がモデル出力を脅迫・揺さぶり設計に利用した可能性。未確認。
山崎は、望月に向けて言った。
「これは、逆に重要な教訓にもなります」
「逆に?」
「はい。攻撃者は、公表遅延と第三者曖昧性が信頼を傷つけると知っていた。だから、御社は第二報を先に出し、委託先・再委託先調査状況を未確認事項として示した。その判断は、モデルが示す攻撃効果を弱めた可能性があります」
望月は、少しだけ目を伏せた。
「説明したことが、防御になった」
「はい」
三枝は、胸の奥で何かが静かに結ばれるのを感じた。
攻撃者は、モデルで会社の失敗を訓練した。だが、会社は説明することで、そのシナリオを少しずつ外した。
AIが予測した失敗に、人間が別の判断で抗った。
それは、小さな勝利だった。
午後一時三十分。
山崎は、「モデルの証言」と題した内部整理資料を作り始めた。
三枝は、そのタイトルを見て言った。
「証言、ですか」
山崎は頷いた。
「はい。モデルは意思を持って証言するわけではありません。しかし、実行ログ、入力、出力、説明トレースは、何が試されたかを語ります」
久我が言った。
「技術レポートでも、その表現は分かりやすいですね。ただし、擬人化しすぎないように」
山崎は頷いた。
「もちろんです。正式資料では、“モデル実行ログによる確認事項”とします。内部章題としては、“モデルの証言”で十分です」
資料の構成は、こうだった。
一 実行ログの存在と保全状況二 実行環境とアカウント三 標準外パラメータの追加四 説明トレースに示された混乱経路五 七十二時間要求との関連可能性六 AI実証データ管理上の未了事項七 防御用デジタルツイン再設計案
三枝は、七つ目を見た。
「防御用デジタルツイン」
山崎は言った。
「はい。攻撃者が使った地図を、今度は防御側が適切な統制のもとで使います」
大石が、オンラインで言った。
「現場から条件を出します。AIが勝手に現場を単純化しないように」
森野が頷いた。
「現場レビューを必須にします」
久我が言った。
「技術的には、疑似データ化、アクセス制限、実行ログ保全、シナリオ承認、出力の持ち出し制限が必要です」
秋山が続けた。
「契約では、シナリオ定義、説明トレース、派生データ、モデル評価ログを明確にします」
山崎がまとめた。
「そして、経営報告では、デジタルツインが何を示し、何を示さないかを説明します」
三枝は、画面の中で空欄になっている「防御用デジタルツイン統制案」を見た。
攻撃者が使ったものを、守るために作り直す。
それは怖い。だが、逃げるよりも現実的だった。
倉庫の急所を、攻撃者だけが知っている状態にしてはいけない。
会社自身が知り、守る必要がある。
午後二時四十二分。
Aster社の森野が、モデルの説明トレースについて補足した。
「このモデルは、出力に対して説明を付けます。どの制約がボトルネックになったか、どの遅延が信頼影響を大きくしたか、どの代替ルートが効かなかったか。BCP検討には有用です」
山崎が聞いた。
「説明トレースを無効にすることはできますか」
「できます。ただし、透明性が落ちます」
「保存範囲を制限することは」
「できます。詳細説明を内部限定にし、外部共有用には要約を出すことも可能です」
久我が言った。
「実行ログは残した方がいいです。問題は、誰が詳細を見られるかです」
山崎は頷いた。
「では、三層に分けましょう」
ホワイトボードに書く。
レベル1:経営・現場向け要約レベル2:技術・BCP担当向け詳細レベル3:機密説明トレース・攻撃利用可能情報
「レベル3には、倉庫の急所、委託先遅延、連絡先負荷、公表遅延など、攻撃利用可能な情報が含まれます。閲覧権限、保存期間、持ち出し制限、契約終了時削除、証跡保全を必須にします」
森野が頷いた。
「対応できます」
秋山が言った。
「契約書にも、説明トレースの分類を入れます」
大石が言った。
「現場向けには、急所だけでなく、対策も出してください。東側が止まると危ない、で終わると不安だけが残る」
山崎は頷いた。
「良い指摘です。説明は、弱点を示すだけでなく、行動につなげる必要があります」
三枝は、メモした。
弱点の説明には、対策をセットにする。
説明は、防御である。
だが、対策のない説明は、不安になる。攻撃者にとっては武器になる。
防御用の説明には、行動が必要だ。
午後三時三十分。
Blue Heronから、新たなメールが届いた。
件名は、Can you explain us?
我々を説明できるか?
本文は、挑発的だった。
You explain your logs.You explain your vendors.You explain your AI.Can you explain us?
あなたたちはログを説明する。委託先を説明する。AIを説明する。では、我々を説明できるか?
その下には、送信元を示すような偽の情報が並んでいた。
国名。組織名。内部者らしき名前。暗号資産ウォレット。Torアドレス。どれも、いかにも犯人らしく見える。
久我は、画面を見た瞬間に言った。
「混ぜています」
「混ぜている?」
三枝が聞いた。
「本物の可能性がある情報と、偽物と、関係ない情報を混ぜています。こちらに犯人像を急がせるためです」
山崎は頷いた。
「攻撃者の説明を、攻撃者に任せないことです」
望月が聞いた。
「どう対応しますか」
山崎は言った。
「まず、保全。次に、警察と久我さんの調査へ渡します。対外説明では、攻撃者の自称や提示情報を断定的に扱わない。社内にも、“攻撃者に関する不確定情報を広めない”と周知します」
秋山がすぐに社内注意文を作り始めた。
三枝は時系列表に入力した。
15:30 不明差出人より件名“Can you explain us?”のメール受信。攻撃者属性を示すような複数情報を提示。久我所見:本物・偽情報・無関係情報を混在させ、犯人像を急がせる意図の可能性。警察・フォレンジック調査へ共有。対外・社内では断定しない。
保存。
山崎は言った。
「説明できる会社とは、何でも即答する会社ではありません」
三枝は頷いた。
「分からないことを、分からないと言える会社」
「はい。そして、誰が確認しているかを言える会社です」
Blue Heronは、自分たちの正体まで説明の攻撃に使ってきた。
だが、こちらは乗らない。
犯人探しを急がない。事実を積む。関係機関へ渡す。
説明できないことを、無理に物語にしない。
午後四時四十八分。
警察への追加共有が行われた。
久我が、Blue Heronの新メール、Asterモデル実行ログ、Scenario Stress 04の説明トレース、外部セッション、eval-runner-ast-04の資格情報残存を説明した。
警察担当者は、しばらく沈黙した後に言った。
「攻撃者が、被害企業のAI実証環境を攻撃準備に利用した可能性がある、ということですね」
久我は答えた。
「可能性です。ただし、複数の時系列が一致しています」
山崎が補足した。
「当社としては、AIが自律的に攻撃したとは認識していません。契約終了後も残存した実証環境、評価アカウント、派生データ、シナリオ定義が利用された可能性として整理しています」
警察担当者は頷いた。
「その整理は重要です。報道対応でも、AIが暴走したという表現は避けた方がよいでしょう」
望月が答えた。
「はい。当社もその方針です」
三枝は、警察向け共有メモに入力した。
AI暴走ではなく、AI実証環境・派生データ・評価アカウントの残存利用可能性として整理。
山崎は、その一文を見て頷いた。
「良いです」
午後五時三十分。
取引先向け更新文に、AI実証関連の項目が追加された。
文面は慎重だった。
また、過去に実施した物流需要予測AIの実証実験に関連するクラウド接続および派生データ管理について、契約終了後の一部確認未了が判明しました。現時点で、当該実証データに患者情報等が含まれていたことは確認していませんが、倉庫処理能力、配送優先度、代替ルート等の業務機密情報が含まれる可能性があるため、関係事業者と連携してログ保全および影響確認を進めています。
営業部長が文面を見て言った。
「難しいですね」
山崎は頷いた。
「難しいです。ですが、隠すべきではありません」
望月が言った。
「個人情報ではないが、業務機密として重要。そこを説明する」
「はい」
大石が言った。
「現場からすると、倉庫処理能力や代替ルートはかなり大事です。外に出たら困ります」
秋山が頷いた。
「今後は、個人情報台帳だけでなく、業務機密データ台帳も必要ですね」
山崎は言った。
「その通りです。特にAI実証では、匿名化されていても業務の急所が見えるデータがあります」
三枝は、未了事項台帳に新しい分類を作った。
業務機密データ
今までの分類にはなかった。
個人情報。契約情報。技術情報。顧客情報。ログ。アカウント。
そこに、新しい分類が加わる。
業務機密データ。
会社の動き方そのものを表すデータ。
攻撃者は、それを見ていた。
午後六時四十分。
Aster社から、シナリオ定義ファイルの差分が提出された。
元のScenario Stress 04は、東側ライン停止と西側フォールバックを想定したBCP検討用だった。
攻撃者が追加した可能性のある項目は、次の三つ。
Contact List Leak連絡先リスト露出。
Vendor Response Delay委託先応答遅延。
Public Disclosure Lag公表遅延。
それぞれに、重み付けが設定されていた。
連絡先リスト露出は、外部問い合わせ件数を増やす。委託先応答遅延は、復旧判断を遅らせる。公表遅延は、信頼低下を増幅する。
久我が言った。
「これは、かなり本件と一致します」
山崎は、静かに言った。
「攻撃者は、会社の技術システムだけでなく、説明システムもモデル化した」
望月が聞いた。
「説明システム?」
「はい。誰がいつ何を説明するか。委託先がいつ答えるか。取引先がいつ不安になるか。公表が遅れると信頼がどう落ちるか。攻撃者は、そこをシナリオ化しています」
三枝は、その言葉を聞いて、背筋が冷たくなった。
会社には、サーバや端末だけでなく、説明システムがある。
社内報告。取引先説明。委託先回答。行政報告。現場連絡。記者対応。
そのシステムが遅延すると、信頼が壊れる。
山崎行政書士事務所が支援してきたのは、まさにその説明システムだった。
攻撃者が狙った場所に、山崎が防御線を引いた。
山崎は言った。
「再発防止に、“説明システムのBCP”を入れましょう」
秋山が、すぐに入力した。
説明システムBCP:取引先第二報、本人通知、行政速報、委託先一次回答、現場Q&A、経営判断記録の標準化と演習
営業部長が言った。
「広報だけの話ではないですね」
「はい」
山崎は答えた。
「説明は、業務継続の一部です」
三枝は、ノートに書いた。
説明は、業務継続の一部。
午後八時。
その日の最終会議で、望月は静かに言った。
「Blue Heronは、当社の倉庫を攻撃しました。当社の顧客情報を攻撃しました。当社の委託先関係を攻撃しました。そして今、当社のデジタルツインと説明システムを攻撃していた可能性が見えています」
会議室は静かだった。
望月は続けた。
「しかし、それは逆に、当社が何を守るべきかを教えています」
山崎が、望月の言葉を受けて言った。
「現実の倉庫。データ上の倉庫。説明の倉庫。その三つです」
大石が、少しだけ笑った。
「説明の倉庫、ですか」
山崎は頷いた。
「はい。事実、証跡、判断、文書、連絡先、回答期限を保管し、必要な時に出荷する場所です」
三枝は、その比喩に妙に納得した。
説明の倉庫。
取引先が求める情報を、正しいラベルで、正しい宛先へ、正しい時刻に出す。
それは、物流と同じだった。
情報の物流。
そして、山崎行政書士事務所は、その物流を設計している。
望月は言った。
「では、守りましょう。三つの倉庫を」
三枝は、時系列表に入力した。
20:05 経営方針確認。現実の倉庫、データ上の倉庫、説明の倉庫をいずれもサイバーセキュリティ統制の対象とする。AI実証データ、デジタルツイン、説明システムBCPを再発防止ロードマップへ追加。
保存。
午後九時二十四分。
Blue Heronから、その夜最後のメールが届いた。
件名は、You are learning。
本文は、二行だけだった。
Now you see the map.But we have more maps.
今、あなたたちは地図を見た。だが、我々にはもっと多くの地図がある。
三枝は、もう驚かなかった。
保全する。記録する。警察へ渡す。久我が解析する。山崎が説明の位置づけを整理する。
手順は崩れない。
山崎は言った。
「次の地図があるのでしょう」
望月は頷いた。
「なら、こちらも探します。契約書にいない接続先、眠っているAI実証、古いBIツール、外部レポート、全部」
黒崎が言った。
「外部接続棚卸しを全社に広げます」
秋山が言った。
「契約終了済みサービスも対象にします」
大石が言った。
「現場で使っている古い可視化ツールも出します」
三枝は、画面を見た。
Asterは、一つの地図だった。だが、攻撃者の言うとおり、会社にはもっと多くの地図があるかもしれない。
配送ルート最適化。在庫可視化。顧客別優先度。災害対応計画。営業案件管理。品質事故履歴。クレーム対応記録。委託先評価表。
どれも、守るために作った地図。だが、攻撃者に渡れば攻撃の地図になる。
三枝は、未了事項台帳に新しい大項目を追加した。
全社データ地図棚卸し
そして、その下に最初の行を入れた。
U-139 攻撃利用可能な業務地図の全社棚卸し未了
責任者。
三枝・秋山・大石・営業部長・山崎行政書士事務所
期限。
十四日以内に一次棚卸し
状態。
開始
保存。
画面右下。
保存しました。
午後十時三十分。
第三会議室の照明が少し落とされた。
会議は一旦終了した。だが、三枝は席に残っていた。
目の前には、三つのファイルが開かれている。
AI実証データ影響整理表.xlsxモデルの証言_内部整理.docx全社データ地図棚卸し.xlsx
三枝は、画面を見ながら思った。
サイバーセキュリティは、もう境界防御だけではない。
会社が自分をどう記録しているか。会社が自分をどうモデル化しているか。会社が自分をどう説明するか。
そこまで守らなければならない。
山崎が、静かに声をかけた。
「三枝さん。今日はここまでにしましょう」
三枝は頷いた。
「はい」
「未了は増えましたが、見えました」
「見えすぎるくらいです」
「見えないより良いです」
三枝は笑った。
「山崎先生なら、そう言うと思いました」
山崎も、少しだけ笑った。
「明日から、地図の棚卸しです」
三枝は、画面を閉じた。
「攻撃者より先に、自分たちの地図を見つけます」
山崎は頷いた。
「それが、次の防御です」
午前零時。
会社は、また新しい日を迎えた。
現実の倉庫は動いている。データ上の倉庫は保全された。説明の倉庫は、次の報告を準備している。
攻撃者には、まだ地図があるかもしれない。
だが、駿河メディカルロジスティクスも、ようやく自分たちの地図を見始めた。
三枝は、最後に自分のノートへ書いた。
地図を作ることは、危険を作ることでもある。だが、地図がなければ守れない。だから、地図にも鍵をかける。地図にもログを残す。地図にも責任者を置く。地図も、説明できるようにする。
保存。
その時、倉庫からラベルプリンタの音が聞こえた。
現実の荷物が、また一つ出荷された。
そして、会議室の画面では、見えない地図の棚卸しが始まっていた。







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